平成

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平成(へいせい)は、日本元号の一つである。昭和の後、1989年(平成元年1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。

西暦2014年(本年)は平成26年に当たる。

目次

改元

1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御して、今上天皇が即位した。これを受け、元号法に基づき1989年(平成元年)1月8日に改元がなされた。元号法によって改元された最初の元号である。

「平成」は、改元時の内閣総理大臣竹下登ら政府首脳も決定前から執心していたという(渡部恒三[1]。また、閣僚などを通じ、「平成」や「修文」などの候補が外部に漏れ、幾ばくかの国民の間では予想する事も可能であった。しかし、佐野眞一は『文藝春秋』に載せた記事の中で、的場順三内閣内政審議室長(当時)が「元号は縁起物であり改元前に物故した者の提案は直ちに廃案になる」[注 1]と発言したとしている。また佐野は、宇野精一目加田誠山本達郎に新元号提案の委嘱があったといわれ、目加田が「修文」を宇野が「正化」を提案したことを認めているが、山本だけが「ノーコメント」を貫いたため山本が「平成」の提案者ではないかと「断定してよさそうである」と書いている[1]。 一方非公式ながら、1990年(平成2年)1月、竹下登が講演の際、「平成」は陽明学者・安岡正篤の案であったと述べている。[2]但し安岡正篤も昭和天皇崩御前に物故している為、彼の発案という事は有り得ない、という意見も有る[3] [注 2]

政府は昭和天皇崩御を受け、その当日(1989年昭和64年)1月7日)の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を求めた。その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」「正化(せいか)」の2候補はローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になるので不都合ではないかという意見が出て全員一致で「平成」に決まったと伝えられる。

同日14時10分から開かれた臨時閣議に於いて新元号を正式に決定。14時36分、内閣官房長官小渕恵三が記者会見で発表。

只今終了致しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。新しい元号は、『平成』であります

と言いながら新元号「平成」を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた(#元号発表も参照)。

同日、「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)は新天皇の允裁(いんさい)を受けた後、官報号外によって公布され、翌1月8日から施行された。また、「元号の読み方に関する件」(昭和64年内閣告示第6号)が告示され、新元号の読み方が「へいせい」であることが明示された。

大正昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサをはじめとするOAに伴うプログラム等の変更を行うためと報道された。

「平成」の出典

新元号の発表時に小渕恵三が述べた[4]「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨の「地(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」()など、外国の年号や13代成務天皇の諡号にも使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。

江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り、出典も同じ『史記』と『書経』からとされている。

ただし典拠・故実に由来する反対意見に以下のようなものがある[誰によって?]

  • 典拠として『史記』を『書経』よりも重視するのはおかしい。書経のみを以て典拠とするべきである。
  • 書経の当該部分は、清代中国における研究によって偽書偽古文尚書)である事が確定したものであり、典拠として書経を挙げるべきではない。
  • 平治以来「平」で始まる元号がないのは、平治が戦役によって混乱した時代であったためであり、「平」で始まる元号はこれを避けるのが故実である。また、「平」「成」の文字の中に「干(=楯)」「戈(=鉾)」があり「干戈(戦争を意味する)」に通じる。
  • 追号しても、薬子の変を起こし、敗れた平城天皇(変発生当時は退位していて上皇であった)と一文字違いである点も懸念された。

なお最終案である「平成」「修文」「正化」の他に「文思」「天章」「光昭」などの案も存在したと言われる。

時代の流れ

時代概説

バブル崩壊期〜アメリカ同時多発テロ発生

1989年(平成元年)1月8日から2001年(平成13年)9月10日まで。

日本国内では、不動産や証券への投機熱でバブル景気が起こった。昭和から平成に年号改元された1989年(平成元年)にはベルリンの壁が崩壊した。東ヨーロッパでは次々と革命が起こって共産党政権が倒された。マルタ会談で米ソ首脳が冷戦終結を宣言して、第二次世界大戦後に44年間も続いた冷戦は終結した。1990年(平成2年)には湾岸戦争が勃発した。翌年の1991年(平成3年)には冷戦の盟主国の一角であったソ連が崩壊して、日本ではバブル経済が崩壊した。湾岸戦争の勃発・ソ連崩壊・バブル経済の崩壊によりアメリカナイゼーショングローバル資本主義が世界を席巻した。アメリカ一極体制の時代が到来した。日本の社会は失われた10年と呼ばれた不況の時代が続き、団塊ジュニア世代の学生は就職氷河期に見舞われた。政界では55年体制が崩壊して、政界再編による新党の結成が活発化した。1995年(平成7年)は戦後50周年の節目として村山談話があり、1月17日には阪神・淡路大震災が発生、3月20日にはオウム真理教地下鉄サリン事件が発生して、戦後体制の崩壊が叫ばれた。世紀末の不安が叫ばれるようになり、日本政府と企業の護送船団方式が崩壊して、内需縮小とデフレが始まる。

アメリカ同時多発発生〜世界金融危機

2001年(平成13年)9月11日から2007年(平成19年)9月28日まで。

新世紀となった2001年(平成13年)にイスラム過激派アメリカ同時多発テロ事件を起こして、自爆テロ対テロ戦争が吹き荒れた時代となった。アメリカ一極体制の下に悪の枢軸イラクイラン北朝鮮)を名指してイラク戦争アフガニスタン紛争など対テロ戦争を主導したアメリカは泥沼化でしだいに苦境に追い込まれていく。資源価格の高騰により、アラブ首長国連邦などの資源国やブラジル(Brazil)・ロシア(Russia)・インド(India)・中国(China)・南アフリカ共和国(South Africa)のBRICs諸国が台頭した。日本では小泉内閣が聖域なき構造改革と称して政治改革や経済構造のアメリカナイゼーションを一層強めた。輸出産業の好転によって一時的に経済状況が好転したが、富裕層や外需関連業種を除いて景気回復の実感はなく、格差社会の到来が叫ばれた。一方、中国の経済発展により、日本の最大貿易相手国がアメリカから中国に変わった。

平成期に入り進行していた事象だが、特にインターネットの普及やコンピュータ2000年問題以降、多くのマスコミは元号よりも西暦を主に使用することが多くなり、民間では元号を使う習慣が衰退した。

世界金融危機〜東日本大震災後の復興期

2007年(平成19年)9月29日以降。

アメリカ合衆国のサブプライムローンを引き金に世界同時不況が勃発した。世界では、リーマンショックドバイショックGM破綻などが起きた。世界中で急激な信用収縮が発生して、日本では就職氷河期が再来して、非正規雇用者の解雇が相次ぎ、ゆとり世代の新卒者の就職率も低下した。格差社会が問題となり、小泉内閣聖域なき構造改革などの新自由主義政策が批判されるようになった。政界では、2008年(平成20年)ごろから、日本や世界各国で政権交代が相次いだ。2011年(平成23年)初頭にはアラブ諸国ではアラブの春による反政府デモが起こり、チュニジアエジプトで長期政権が崩壊した。同年3月には、日本で東北地方太平洋沖地震が発生。この地震に起因する東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故が発生し、太平洋沿岸自治体で津波による居住地や職場の喪失、放射能汚染により福島県の広範囲が居住不能となり、被災地域の多くの人が移住を余儀なくされて、戦後最大の国難と称された。また、地震と原発事故に伴い全国各地の原子力発電所が停止して、電力不足が懸念され、東日本大震災による電力危機から節電が余儀なくされた。PIGSと呼ばれた4カ国のポルトガル(Portugal)・イタリア(Italy)・ギリシャ(Greece)・スペイン(Spain)の財政赤字が深刻化した。ユーロ圏で使用されるユーロの通貨危機が起きた。尖閣諸島問題北方領土問題や竹島問題などの領土問題反日運動が激化した。

政治史

内閣総理大臣

平成期に在任していた内閣総理大臣は、竹下登宇野宗佑海部俊樹宮澤喜一細川護熙羽田孜村山富市橋本龍太郎小渕恵三森喜朗小泉純一郎安倍晋三福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫菅直人野田佳彦の17人である。

氏名 在職日数 就任年齢 誕生年 出生地 学歴 世襲
74 竹下登 576日 63歳 1924年
(大正13年)
島根県 早稲田大学商学部卒業 父:竹下勇造元島根県議会議員
75 宇野宗佑 69日 66歳 1922年
(大正11年)
滋賀県 神戸商業大学神戸大学)中退
76-77 海部俊樹 818日 58歳 1931年
(昭和6年)
愛知県 中央大学専門部法科卒業
早稲田大学第二法学部卒業
早稲田大学大学院法学研究科修士課程中途退学
78 宮澤喜一 644日 72歳 1919年
(大正8年)
東京府
(選挙区は広島県
東京帝国大学法学部政治学科卒業 父:宮澤裕元衆議院議員
79 細川護熙 263日 55歳 1938年
(昭和13年)
東京府
(選挙区は熊本県
上智大学法学部卒業 祖父:近衛文麿元首相
高祖父:近衛篤麿元貴族院議長
80 羽田孜 64日 58歳 1935年
(昭和10年)
東京府
(選挙区は長野県
成城大学経済学部経営学科卒業 父:羽田武嗣郎元衆議院議員
81 村山富市 561日 70歳 1924年
(大正13年)
大分県 明治大学専門部政治経済科(明治大学政治経済学部)卒業
82-83 橋本龍太郎 932日 58歳 1937年
(昭和12年)
東京府
(選挙区は岡山県
慶應義塾大学法学部政治学科卒業 父:橋本龍伍元衆議院議員
84 小渕恵三 616日 61歳 1937年
(昭和12年)
群馬県 早稲田大学第一文学部英文科卒業
早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了
父:小渕光平元衆議院議員
85-86 森喜朗 387日 62歳 1937年
(昭和12年)
石川県 早稲田大学第二商学部卒業 父:森茂喜根上町
祖父:森喜平根上村長
87-89 小泉純一郎 1980日 59歳 1942年
(昭和17年)
神奈川県 慶應義塾大学経済学部卒業 父:小泉純也元衆議院議員
祖父:小泉又次郎元衆議院議員
90 安倍晋三 366日 52歳 1954年
(昭和29年)
東京都
(選挙区は山口県
成蹊大学法学部政治学科卒業 父:安倍晋太郎元外相
祖父:岸信介元首相
大叔父:佐藤栄作元首相
祖父: 安倍寛元衆議院議員
91 福田康夫 365日 71歳 1936年
(昭和11年)
東京府
(選挙区は群馬県
早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業 父:福田赳夫元首相
92 麻生太郎 358日 68歳 1940年
(昭和15年)
福岡県 学習院大学政治経済学部政治学科卒業 父:麻生太賀吉元衆議院議員
義父:鈴木善幸元首相
祖父:吉田茂元首相
曾祖父:牧野伸顕(大臣、知事など)
高祖父:大久保利通(内務卿、大蔵卿)
93 鳩山由紀夫 266日 62歳 1947年
(昭和22年)
東京都
(選挙区は北海道
東京大学工学部計数工学科卒業
スタンフォード大学大学院博士課程修了
父:鳩山威一郎元外相
祖父:鳩山一郎元首相
曾祖父:鳩山和夫元衆議院議員
94 菅直人 449日
63歳 1946年
(昭和21年)
山口県
(選挙区は東京都
東京工業大学理学部応用物理学科卒業
95 野田佳彦 481日
54歳 1957年
(昭和32年)
千葉県 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
96 安倍晋三第2次安倍内閣 480日
58歳 1954年
(昭和29年)
東京都
(選挙区は山口県
成蹊大学法学部政治学科卒業 父:安倍晋太郎元外相
祖父:岸信介元首相
大叔父:佐藤栄作元首相
祖父: 安倍寛元衆議院議員
在任期間

1982年(昭和57年) - 1987年(昭和62年)の中曽根康弘内閣を最後に、平成に改元された当時の竹下登内閣以降、平均の在任期間が1年強という短命な内閣が続き、2011年(平成23年)までの24年間に18代(17人)の日本国総理大臣が就任した。平成での一番の長期政権は、小泉純一郎内閣で、戦後3位の1980日である。一番の短命政権は、羽田孜内閣で、64日である。一度総辞職した元総理大臣が再任した例は安倍晋三のみである。

年代

大正生まれ(大正世代)の内閣総理大臣が宇野宗佑宮澤喜一村山富市である。戦後生まれの総理大臣が安倍晋三鳩山由紀夫菅直人野田佳彦である。最も若くして就任したのは、安倍晋三(52歳)であり、最高齢で就任したのは、宮澤喜一(72歳)である。

出生地

東京都東京府)生まれが一番多く、宮澤喜一細川護熙羽田孜橋本龍太郎安倍晋三福田康夫鳩山由紀夫の7人である。

学歴

早稲田大学出身者は、竹下登海部俊樹小渕恵三森喜朗福田康夫野田佳彦の6人である。東京大学出身者は、宮澤喜一鳩山由紀夫の2人である。慶應義塾大学出身者は、橋本龍太郎小泉純一郎の2人である。

国立大学出身者は宇野宗佑(神戸商業大学)、宮澤喜一(東京帝国大学)、鳩山由紀夫(東京大学)、菅直人(東京工業大学)の4人であり、ほとんどが私立大学出身者である。理系学部出身は鳩山由紀夫工学部卒業)・菅直人(応用物理学科卒業)の2人であり、大部分が文系学部出身である。大学院修了者は、小渕恵三(早稲田大学院修士)、鳩山由紀夫(スタンフォード大学院博士)の2人がいる。

海外留学経験があるのは、小泉純一郎ロンドン大学)・安倍晋三南カリフォルニア大学)・麻生太郎スタンフォード大学など)・鳩山由紀夫スタンフォード大学院)の4人である。

世襲

11人が親族(父・祖父・おじ・兄弟)が総理大臣経験者など国会議員であった世襲政治家であり、宇野宗佑(実家が造り酒屋)、海部俊樹(実家が写真屋)、村山富市(父が漁師)、森喜朗(父が根上町長)、菅直人(父がサラリーマン)、野田佳彦(父が自衛官)の6人は世襲議員ではない。

派閥

2012年(平成24年)現在、17人の首相のうち、派閥領袖として首相に就任した人物は竹下登宮沢喜一小渕恵三森喜朗麻生太郎の5人のみである。

その他

自民党でなかったのは、細川護熙日本新党)・羽田孜新生党)・村山富市日本社会党)・鳩山由紀夫民主党)・菅直人民主党)・野田佳彦民主党)の6人である。在職期間1年未満だったのは、宇野宗佑細川護熙羽田孜福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫の6人である。平成期に国会議員に初当選した総理大臣は安倍晋三福田康夫野田佳彦の3人である。平成期に死去した総理大臣は、宇野宗佑小渕恵三竹下登橋本龍太郎宮澤喜一の5人である。現在国会議員から引退している総理大臣は海部俊樹細川護煕羽田孜村山富市森喜朗小泉純一郎福田康夫鳩山由紀夫の8人である。

皇室との姻戚関係がある総理大臣

華族清和源氏で旧熊本藩主家)の家柄細川家や、旧華族の系統(明治維新の功労者の大久保利通子孫)の麻生家は華族や明治維新の功労者の血筋を引く歴史上の人物(華族)の親戚など上流階級の系統であり細川護煕と麻生太郎は学習院初等科の出身者である。細川護煕の実弟が細川家から近衛家に養子に行った近衛忠輝であり細川首相は三笠宮家の甯子内親王義兄にあたり、麻生太郎の妹が寛仁親王妃信子であり麻生首相は三笠宮家の寬仁親王の義兄にあたるなど皇室と親戚関係がある内閣総理大臣が2人いる。

政党

  1. 55年体制末期(平成元年から〜平成5年まで)の時期に結成された新党は以下である。スポーツ平和党真理党参議院院内会派の連合の会(民主改革連合と改称した)・平成維新の会日本新党新党さきがけ新生党が結成された。
  2. 55年体制が崩壊した後の1990年代の中盤から1990年代の後期(平成6年から〜平成11年まで)の時期に結成された新党は以下である。新党みらい高志会新党護憲リベラル護憲新党あかつき・公明新党・公明・自由連合・グループ青雲・民主の風・民主新党クラブ・市民リーグ改革の会柿沢自由党自由改革連合新進党新社会党社会民主党旧民主党太陽党フロムファイブ国民の声新党友愛新党平和民政党・黎明クラブ・民主友愛太陽国民連合民主党自由党みどりの会議無所属の会政党・尊命が結成された。
  3. 2000年代(平成12年から〜平成21年まで)の時期に結成された新党は以下である。保守党保守新党新党・自由と希望国民新党新党日本新党大地(初代新党大地)・共生新党改革クラブ幸福実現党国民運動体 日本の夜明けみんなの党が結成された。
  4. 2010年代(平成22年)以降の時期に結成された新党は以下である。たちあがれ日本日本創新党新党改革減税日本大地・真民主党新党大地・真民主新党きづなアイヌ民族党・改革の志士・国民の生活が第一みどりの風緑の党改革無所属の会・平安党・日本維新の会太陽の党反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党減税日本・反TPP・脱原発を実現する党日本未来の党新党大地(2代目新党大地)・新党 今はひとり・生活の党日本未来の党 (政治団体)緑の党グリーンズジャパン結いの党・新党 ひとりひとりが結成された。
55年体制期
自由民主党の敗北と日本社会党の躍進
  • 1989年(平成元年)に、7月の第15回参議院議員通常選挙で自民党は過半数割れの大敗をした。社会党が一人勝ちをして参議院は与野党が逆転した。以下の点が自民党の敗因として挙げられる。
  1. 竹下内閣による消費税法成立による消費税導入で消費税廃止法案を公約に掲げる日本社会党が消費税の是非を争点とした事。
  2. リクルート事件による自民党金権汚職事件に対して国民世論が反発した事。
  3. アメリカ合衆国からの圧力で牛肉オレンジ農産物の輸入自由化がされた事によって、農民層が自民党を離れをした農民の反乱現象があった事。
  4. 宇野宗佑首相の女性スキャンダルによって女性有権者の反発があった事。
  • 土井たか子委員長の女性政策によってマドンナ旋風がおき女性議員が倍増した。以後平成期は国会でも地方議会でも女性議員が増加している。社会党は1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙でも勝利したが、自民党も安定多数で勝利した事で政権獲得に失敗する。
小沢一郎と政治改革

小沢一郎幹事長のもと自民党政権が(竹下登金丸信を中心とする竹下派)の経世会支配で政界が安定する。自民党の最大派閥であった竹下派は、1992年(平成4年)に経世会の会長の金丸信東京佐川急便事件で逮捕された事をきっかけに小渕派と小沢一郎を中心とする羽田派に分裂した。

小沢一郎は衆議院議員選挙制度小選挙区への変更をする利点として以下の点を、自身の著書で政治改革論議として強調をした。

  1. 自由民主党候補の同士討ちやサービス合戦廃止をする事で派閥を解消する。
  2. 二大政党制による政権交代可能な選挙制度にする。
  3. 金がかからない選挙にする。
  4. 利益誘導型選挙から政策重視の選挙に変更する。
  5. 人物重視の候補者本位から政党本位にして政権選択選挙を目指す事と、党首の人気が重視される事と、政党のマニフェストが重視される選挙制度を提起する。
  6. 本気で政権を獲得する気がない万年野党であった日本社会党が小選挙区で勝利しにくくなる事で左翼勢力を壊滅させて、政党間の離合集散による合併を推進して、新たに政権を獲得する強い力がある野党を結成する。
新党ブーム

宮澤喜一首相が出演した番組の「総理が語る」の発言がきっかけとなった内閣不信任決議に賛成して嘘つき解散に追い込んだ小沢一郎は自民党を離党して新生党を旗揚げした。また別の政治改革グループの「ユートピア政治研究会」が新党さきがけを旗揚げした。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙日本新党新生党新党さきがけが躍進して新党ブームがおきた。

連立政権の時代

1993年(平成5年)に(日本新党新党さきがけ新生党公明党民社党日本社会党社会民主連合民主改革連合)の7党1会派が連立した細川内閣が成立した。非自民連立政権の成立により、自民党は一時野党に転落して55年体制は崩壊するも、1994年(平成6年)には自民党は社会党との村山連立政権で早くも政権に復帰して、その後は公明党との連立で政権を維持した。

政権与党
政権与党は以下の変遷である
  1. 自由民主党
  2. 橋本内閣の閣内から第41回衆議院議員総選挙後は閣外協力となった日本社会党から党名変更した社会民主党
  3. さきがけに改称した新党さきがけによる自社さ連立政権
政治体制
新進党と民主党の結成

新進党結党で、55年体制時代に野党第1党で、これまで第2党であった日本社会党は第3党となった。日本社会党時代で最後の国政選挙になる第17回参議院議員通常選挙(1995年〔平成7年〕)で敗北した。その後、山花貞夫前委員長や政策集団「デモクラッツ」の赤松広隆など社会党右派によって第3極を目指す日本社会党・新党さきがけ連合の新党結成の動きがあり、社会党左派執行部は新党結成とイメージチェンジのために社会民主党に党名変更した。しかし、自社さ連立政権新進党勢力に属しない第三の道を目指す市民リーグが結成されて、さらに発展した新党として友愛を理念とする鳩山由紀夫菅直人によって旧民主党が結党された。日本社会党は民主党入党組と社会民主党残留組に分裂した。その後の第41回衆議院議員総選挙(1996年〔平成8年〕)で敗北した事で、旧社会党の議席数が衰退した。

1994年(平成6年)6月に、自由民主党・日本社会党・新党さきがけによる村山富市内閣が発足した事で下野した非自民・非共産勢力が、1人しか候補者が樹立できない小選挙区制度となった第41回衆議院議員総選挙で勝利するために新・新党を結成する事となり新生党・公明党の一部(公明党が解散して地方組織の公明と公明新党に分党して国会議員による公明新党のみが新進党に合流)・民社党・日本新党・自由改革連合(高志会・改革の会・新党みらい・柿沢自由党が合併した政党)が合併して、巨大新党で日本社会党に代わる第2政党である野党の新進党が結成されて、自由民主党対新進党の二大政党制が成立した。日本社会党とさきがけ勢力が結集した第三極(ゆ党)と呼ばれた民主党成立後に新進党が小沢自由党・新党友愛・新党平和・ 国民の声・黎明クラブ・改革クラブに分割されて解体する。1998年(平成10年)からは自民党vs民主党二大政党制が成立した。

自由民主党と民主党による2大政党制の時代

2005年(平成17年)自由民主党小泉内閣郵政解散による選挙で大勝して絶対多数の議席を獲得したが、後継の安倍内閣2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙で民主党に大敗して、参議院は与野党逆転をしてねじれ国会の構図が生じていた。2009年(平成21年)には、第45回衆議院議員総選挙で民主党が大勝して自由民主党が野党に転落して、民社国連立政権鳩山由紀夫内閣が誕生して政権交代がおきた。2010年(平成22年)5月28日から、社民党が連立離脱し、民国連立政権が誕生した。

2012年(平成24年)1月、野田内閣が推進する消費税増税・TPP参加・八ッ場ダム建設再開・原発容認などの政策に対し、民主党が主張したマニフェスト(政権公約)に違反するものとして反発した議員が民主党を離党して、新党大地・真民主新党きづなを結成した。3月には亀井静香国民新党代表が民国連立政権からの離脱を主張して、政権残留派と無所属となった離脱派に国民新党が分裂した。7月には、民主党の小沢一郎を中心とする小沢グループの議員の中から、消費税増税法案の衆議院での採決において反対投票を行った衆議院議員の一部と同調した参議院議員が離党を表明。衆議院と参議院に新会派「国民の生活が第一・無所属の歩」(後の「国民の生活が第一」)と新党の国民の生活が第一をそれぞれ結成した。第180回国会で消費税増税法案(消費税関連法案)が3党合意(民主党・自由民主党・公明党)与野党の多数で可決された。第1極の与党(民主党・国民新党)と第2極の野党(自由民主党・公明党・社会民主党・日本共産党)以外の第3極によるオリーブの木構想が浮上した。国民新党を離党した亀井亜紀子参議院議員と民主党から3人の女性参議院議員が離党して新会派の「みどりの風」を結成した事で、民主党・新緑風会は自由民主党・たちあがれ日本・無所属の会と並ぶ参議院の第2会派に近い少数会派となった。平成24年度の時点で日本の政党二大政党と中政党とミニ政党が複数あり、与党民主党国民新党であり、野党自由民主党(自民党)・国民の生活が第一公明党日本共産党(共産党)・みんなの党社会民主党(社民党)・日本維新の会新党大地・真民主太陽の党減税日本みどりの風新党改革[注 3]新党日本であり、2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙の解散時点で史上最多の15個の政党が乱立していた。第46回衆議院議員総選挙で野党の自由民主党・公明党が勝利して政権を奪還した。2013年(平成25年)の第23回参議院議員通常選挙からネット選挙が解禁された。

政治思想・法制度改革

  • 平成期は様々な政治改革や法制度改革が行われた。
  • 選挙制度改革として以下の改革がされた。
  1. 小選挙区比例代表並立制の導入
  2. 参議院比例代表制度が改定されて非拘束名簿式の導入
  1. 政治資金規正法の改正
  2. 政党助成金制度の創設
  3. 国会議員政策担当秘書の制定と導入
  • 地方自治制度改革として以下の改革がされた。
  1. 大都市地域特別区設置法案の制定
  1. 省庁再編の実施
  2. 公務員改革の実施
  1. 新司法試験制度の導入
  2. 法科大学院の設置
  3. 裁判員制度の導入
  4. 少年法の改正
  1. 有事法制の整備
  2. PKO協力法の成立
  3. 1992年(平成4年)のカンボジアを最初とする国際連合平和維持活動
  4. 小泉内閣時代に成立したテロ対策特別措置法による自衛隊の海外派遣
  5. 国旗国歌法の法制化
  6. 教育基本法の改正
  7. 日本国憲法第9条を中心とする日本国憲法を改正する改憲
  8. 武器輸出三原則の平和利用目的を条件とする緩和
  9. 原子力基本法の改正で安全保障目的の活用を許可する項目の追加
  10. 特定秘密保護法案の制定
  11. 国家安全保障会議(日本版NSC)の創設
  • 第二次大戦前への「逆コース」の傾向が強い政策への抵抗感が弱まり、日本社会党など革新勢力は弱まった。日本共産党は共産主義政党としては例外的にソ連崩壊後も勢力を維持し、1990年代には日本社会党が与党として基本政策を転換した事を批判する左翼支持層からの革新票を吸収して躍進した。しかし、2000年(平成12年)以降は野党票が民主党に流れるようになり、小選挙区制度が機能して自由民主党VS民主党の2大政党化が進行した。日本共産党は比例区を中心に得票を減らして長期低落傾向に陥っている。
  • 2001年(平成13年)以降の小泉内閣及び民主党政権では、特殊法人の廃止と民営化の議論が開始された。相次ぐ、選挙結果を無視する国会議員独自の政界再編と政治家のスキャンダルもあり国民の政治不信を呼んだ。そのため、特定の支持政党を持たない無党派層が既存政党への支持者を大きく上回っている。2003年(平成15年)12月1日から法改正されて期日前投票が開始されて、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙から公職選挙法が改正されて、民主党が先駆けてマニフェスト選挙を行った。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では自民党に対する逆風から民主党へ無党派の浮動票が流れて、民主党は安定過半数の300議席を持つ第1党となった。自由民主党は110議席代となり初めて衆議院の第1党から転落した。創価学会からの組織票がある公明党を除く中小政党は後退傾向となり、2大政党化が進行した。特定の支持政党を持たない無党派層が政権を左右する風潮が2000年代以降顕著になり、政治家政党ポピュリズム大衆主義)やマスコミによる世論調査が盛んになり、与野党攻防の劇場化現象や政治家の発言のワンフレーズ化と言われる風潮が生まれた。
  • 2009年(平成21年)に誕生した民主党政権は、日米同盟を主軸とした外交政策は維持するものの、「対等な日米関係」を重視する外交への転換を標榜したが、普天間基地移設問題をめぐる鳩山由紀夫首相の見解が一貫せず、新しい外交政策の軸足が定まらず混乱、菅内閣では従前の外交路線に回帰した。また新自由主義政策からの転換も図られ、脱官僚や政治主導が再び叫ばれたが、民主党政権は鳩山由紀夫内閣や菅内閣では閣内の見解の不一致をたびたび露呈し、鳩山由紀夫首相や菅直人首相の発言も二転三転する有り様で、官僚に対し改革の主導権を握ることができなかった。民主党は政権公約のマニフェスト農業者戸別所得補償制度高速道路無料化を掲げ、鳩山内閣や菅内閣で実施する事を試みたが失敗して、2011年(平成23年)に野田内閣が発足するまでにマニフェストからの政策転換を余儀なくされた。
  • 2010年(平成22年)ごろから、地方から政治を変えていこうとする流れが起きており、大阪維新の会減税日本などの地方政党が徐々に勢力を強めている。首相公選制参議院を廃止して一院制を導入する議論が提案された。2012年(平成24年)頃には、第46回衆議院議員総選挙の候補者育成のための政治スクールとして、大阪維新の会が開設した維新政治塾。大村秀章愛知県知事が開設した東海大志塾。減税日本の河村たかし名古屋市長個人の河村たかし政治塾が開設された。

税制改革

政治家

国会議員

橋本内閣総理府行政改革会議が設置されて、中央省庁等改革基本法が成立した。2000年(平成12年)の中央省庁再編により、官邸主導が強まった。2001年(平成13年)から2006年(平成18年)にかけての小泉政権下では社会保険庁の年金問題が表面化して、官僚による無駄使いや天下り批判がされ脱官僚の声が強まり、政権主導の改革を推進した。しかし、安倍内閣福田康夫内閣麻生内閣と後継政権の迷走が続き、小泉政権の時のような官邸のリーダーシップが発揮できなくなっている。

2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙で最後の明治生まれの桜内義雄原健三郎が議員引退して明治生まれが全て引退して、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙で、中山太郎が落選して大正生まれ(大正世代)の議員がいなくなり全議員が昭和生まれとなった。1990年代は竹下派七奉行や清和会四天王と呼ばれた政治家が活躍した。20世紀の間は大正生まれから、昭和一桁生まれ・昭和10年代生まれの政治家に世代交代をする移行期であり、大正生まれ(中曽根康弘竹下登宇野宗佑宮澤喜一村山富市梶山静六など)から昭和一桁生まれ(土井たか子海部俊樹武村正義など)・昭和10年代生まれ(小沢一郎羽田孜細川護煕橋本龍太郎小渕恵三など)までの政治家が1990年代の政界を主導したが、竹下派七奉行安倍派四天王を中心に2000年代に入るとこれらの政治家の多くが死去したり引退した。自由民主党では自由民主党総裁選挙での自由民主党の派閥争いが弱体化したが総理大臣の座を巡って、ネオ・ニューリーダーと呼ばれた政治家が活躍して、金竹小安竹宮YKK山崎拓加藤紘一小泉純一郎)・麻垣康三NAISの会根本匠安倍晋三石原伸晃塩崎恭久)などと呼ばれた政治家が注目された。2000年代になると、昭和10年代生まれ(森喜朗小泉純一郎亀井静香小沢一郎福田康夫麻生太郎など)・昭和20年代生まれ(鳩山由紀夫菅直人岡田克也安倍晋三など)が主導権握り、2010年代になると、昭和30年代生まれ(前原誠司野田佳彦など)の政治家が主導権を握り始めた。与野党で戦後生まれの党首が誕生して、国会議員は大日本帝国期の1945年(昭和20年)以前に誕生した戦前生まれ・戦中生まれの政治家より、団塊の世代など第2次世界大戦の後に誕生した戦後生まれの政治家の方が多数となった。新党ブームがあった1990年代には、昭和30年代生まれ・昭和40年代生まれ(新人類バブル世代)が、小泉チルドレン・小沢ガールズなどが注目されるようになった2000年代には、昭和40年代生まれ・昭和50年代生まれ(氷河期世代団塊ジュニア)が国会議員となった。

20世紀までは、高学歴・実業家・世襲議員などのエリート階層や労組出身の国会議員が一般的であったが、21世紀に入って、就職氷河期を経験した氷河期世代(昭和40年代後半生まれ・昭和50年代生まれ)が政治家となり、杉村太蔵太田和美などフリーター(元非正規労働者)だった経歴の一般的な若者の経歴と共通する政治家も登場した。

昭和時代の末期まで長らく衆議院では女性議員が約1%の少数であり1986年(昭和61年)の衆参同日選挙の結果では、衆議院の女性議員が7人で割合が1・4%で、参議院の女性議員が22人で割合が8・7%であったが、1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙でマドンナ旋風が吹き日本社会党を中心に女性候補が大量当選して以来、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙の結果では女性議員が54人となり割合が11・3%となり、2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙の結果では女性議員が44人となり、割合が18・2%となり、徐々に女性政治家は増加している。

小選挙区比例代表並立制に選挙制度が変わり自民党民主党の二大政党は、小泉チルドレン小沢チルドレンなどのサラリーマン化した議員を輩出して、中選挙区制時代のような地主型政治家や労組出身者は激減した。

首長

地方では、2000年(平成12年)に太田房江が大阪府知事となり、日本初の女性知事が誕生した。

大臣・中央省庁

1996年(平成8年)に内閣総理大臣補佐官制度が導入されて、1999年(平成11年)に国会審議活性化法が成立して、2001年(平成13年)に国会における政府委員制度及び政務次官が廃止されて、副大臣大臣政務官が新たに設置された。内閣府副大臣復興副大臣総務副大臣法務副大臣外務副大臣財務副大臣文部科学副大臣厚生労働副大臣経済産業副大臣環境副大臣防衛副大臣国土交通副大臣など副大臣制度が創設された。

内閣府大臣政務官総務大臣政務官法務大臣政務官外務大臣政務官財務大臣政務官文部科学大臣政務官厚生労働大臣政務官経済産業大臣政務官環境大臣政務官防衛大臣政務官国土交通大臣政務官復興大臣政務官など大臣政務官制度が創設された。

内閣府設置法によって内閣府が創設されて、阪神大震災の教訓や東日本大震災への対応から防災担当大臣復興担当大臣)が設置されて、福島第一原子力発電所事故対策の必要から原発担当大臣が設置されて、原子力安全庁(原子力規制庁)の設置計画が閣議決定された。2011年(平成23年)に東日本大震災復興基本法が成立して、2012年(平成24年)2月に復興庁設置法が施行されて、復興庁が設置された。同時に内閣の定員である担当大臣枠を1人増加させる法案が可決された。急速に進んだ少子化対策として内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)が創設された。消費者庁を管轄する消費者及び食品安全担当大臣金融庁を管轄する金融担当大臣・沖縄問題と北方問題を管轄する沖縄及び北方対策担当大臣が創設された。経済財政諮問会議を管轄する経済財政政策担当大臣が設置された。拉致問題対策本部のトップである拉致問題担当大臣が創設された。一時的に規制改革担当大臣科学技術政策担当大臣防災担当大臣・食品安全担当大臣・青少年育成及び少子化対策担当・個人情報保護担当大臣・産業再生機構担当大臣・ 食育担当大臣・イノベーション担当大臣・地方分権改革担当大臣・再チャレンジ担当大臣・国民生活担当大臣・地域主権推進担当大臣・「新しい公共」担当大臣・原子力損害賠償支援機構担当大臣・原子力行政担当大臣・沖縄及び北方対策担当大臣・科学技術政策担当大臣・宇宙政策担当大臣・行政刷新担当大臣・原子力防災担当大臣・教育再生担当大臣・原発事故再生担当大臣・公務員改革担当大臣・国土強靭化担当大臣が設置された。

海部内閣森山真弓が女性初の官房長官となり、小泉内閣田中真紀子が女性初の外務大臣となり、安倍内閣小池百合子が女性初の防衛大臣となった。女性大臣は昭和時代の男性のみ女性なしから、第1次小泉内閣の女性大臣5人を最多に女性が平均1人から2人の割合で入閣するのが当たり前となった。1993年(平成5年)8月6日に日本社会党出身の土井たか子が女性初の衆議院議長(第68代)となり、2004年(平成16年)7月30日に自由民主党出身の扇千景が女性初の参議院議長(第26代)となる。

民主党政権では国家戦略室が設置されて、行政刷新会議による事業仕分けが実施された。2011年(平成23年)の野田内閣では政策仕分けが実施される。

2010年(平成22年)1月1日社会保険庁長官をトップとする厚生労働省外局社会保険庁が廃止されて日本年金機構となる。

国税の徴収・課税をする国税庁と、国民年金厚生年金など公的年金の運営業務をする日本年金機構を統合して、新たに歳入庁を設置する構想ができた。

2006年(平成18年)に内閣官房内に「電子政府推進管理室(GPMO)」を設置した。さらに2012年(平成24年)には政府情報化統括責任者(政府CIO)を設置して、各省庁の情報システム刷新に関する指揮やマイナンバー制度(「国民総背番号制#日本」参照)に伴うシステム調達の監査、各省庁の調整を担当する事が決まった。

地方自治体

  1. 政令指定都市制度
  2. 中核市制度
  3. 特例市制度

地域政党

  • 新しい地域政党として結成されたのは以下である。
  1. 大阪維新の会橋下徹大阪府知事が設立)
  2. 日本一愛知の会大村秀章愛知県知事が設立)
  3. 中京維新の会大村秀章愛知県知事が設立)
  4. 地域政党いわて飯沢巧岩手県議会議員が設立)
  5. 埼玉改援隊清水勇人さいたま市長が設立)
  6. 三木新党8人のサムライ蕨本吉秀兵庫県三木市長が設立)
  7. 減税日本河村たかし名古屋市長が設立)
  8. 対話でつなごう滋賀の会清水鉄次滋賀県議会議員が代表を務める)
  9. 龍馬プロジェクト吹田新選組石川勝大阪府吹田市議会議員が設立)
  10. 新政みえ
  11. 日本維新の会→日本維新連合原口一博衆議院議員が設立)
  12. 松山維新の会愛媛県松山市議会議員らが設立)
  13. 愛媛維新の会愛媛県議会議員らが設立)
  14. 西予維新の会愛媛県西予市議会議員らが設立)
  15. 京都党村山祥栄京都市議会議員が設立)など次々と地域政党が設立された。

経済史

バブル崩壊と平成不況

小泉構造改革と景気回復

2001年(平成13年)に首相に就任した小泉純一郎によって「聖域なき構造改革」が推進された。郵政事業などの公共サービスの民営化・電気産業・通信産業・運輸業などの参入規制改革を政策目標としていた。民間金融機関に係る行政は、伝統的に大蔵省(現在の財務省)が担ってきたが、民間金融機関等の検査・監督を分離して2001年(平成13年)に内閣府の外局として発足した金融庁によって金融再生プログラムが実施されて、銀行の不良債権処理が進んで金融機関は健全化した。日本銀行ゼロ金利政策から量的金融緩和政策に転換して、都市銀行は三大メガバンクに統合された。デフレが進行した経済対策からノーベル経済学賞を受賞した経済学者ポール・クルーグマンが提唱したインフレターゲットの導入が検討された。

長く緩やかな景気回復(2002年(平成14年)2月から2008年(平成20年)2月まで)が続いたが、この景気拡大は専ら外需主導であり、公共投資の縮小及び企業の人件費抑制に伴う労働分配率低下により、内需と個人消費は冷え切ったままであった。また、2003年(平成15年)の大卒就職率は55%にまで低下、高卒も史上最悪の就職難に遭遇した。新興国の経済発展に伴い、重厚長大産業を含む製造業の復権が起こった一方、新しい産業としては情報革命によってIT産業が発達して、少子高齢化によって介護サービス事業が成長して、非正規雇用の増大で労働者派遣業が成長した。

2000年代後半に入ると、六本木ヒルズ族と呼ばれる富裕層が話題を振り撒いた。富裕層増加の一方で非正規雇用の増大(15歳 - 19歳は約7割が非正規雇用)や、フルタイムで働いても貧困から脱却できないワーキングプアの存在が表面化して、日本共産党の支持層に多いプロレタリア文学蟹工船の読者が急増して、「格差社会」の到来が叫ばれるようになった。2009年(平成21年)の日本政府の発表では、2006年(平成18年)の時点で貧困率は15.7%であった。2008年(平成20年)に入ると、景気は再び後退し始め、資源価格上昇の中で景気後退が続くスタグフレーションの進行が憂慮された。

経済構造の変化と日本社会の変化

1990年代バブル景気による土地神話が消滅するバブル崩壊があり、基準地価公示地価など地価が毎年下落し続けた。2005年(平成17年)以降は一部優良な土地の地価が上昇するようになった。平成20年代になり、ガソリン価格の高騰による運輸業の経営への圧迫やガソリン税減税問題が提起された。2008年(平成20年)に国土交通省の外局として、日本の観光を盛んにして観光地に外国人観光客を多数呼び込み、観光(観光業)立国を目指すために観光庁が発足した。ギャンブル関係では、数字選択式全国自治宝くじロト6スポーツ振興くじ・競馬のワイドが導入された。金融関係ではペイオフが実施され、ネット証券ネットショッピング投資信託が普及した。広告関係で顔面広告や絶対領域広告など人間広告が普及した。ホームページブログに張り付ける広告のアフィリエイトが普及するなどインターネットビジネスが成長した。平成20年代に芸能人のブログでのステルスマーケティングが問題となる。

小売業では、ダイエーなどのGMSの隆盛が終息を迎え、100円ショップブックオフコーポレーション日本マクドナルド吉野家などの商品の値下げ競争が注目された。こうした価格競争に取り残されたそごうなどの百貨店が縮小した。ユニクロなどの低価格で大量販売をするチェーンと、2000年(平成12年)に大規模小売店舗法が廃止された事で大規模店舗の建設と出店が自由化されてイオンを代表とする郊外型スーパーが成長した。三浦展の造語である大型店やチェーン店などが郊外に進出することで、地域の個性が失われてしまう現象のファスト風土化<下流社会>と呼ばれる所得が低い貧困層の上に、向上意欲も低い社会階層が誕生した。地方都市郊外にはロードサイド店が林立し、地方都市の中心市街地を荒廃させた。

地方では医療崩壊が始まる中、鉄道ローカル線路線バスが相次いで廃止され、自家用車を自ら運転できない高齢者の買い物難民や交通難民が社会問題となった。一方、公共交通機関の発達した都市部の若者は生活必需品ではない自動車に興味を示さなくなり、車離れをするようになった。地方で大きな雇用を生み出していた建設業は大幅な公共事業の削減で建設会社が減少して、一部は農業福祉産業に転じる動きもみられた。製造業円高のために生産縮小と海外への工場移転が続いた。平成初期から2010年代までに進行した男性向きの建設業製造業などの仕事が減少して、女性向きの福祉・サービス業・事務職などの仕事が増えた結果、労働力の中心だった男性の価値が相対的に低下する男性不況が話題になる。

プリペイド前払い式のWAONイオンリテール株式会社)やカード型のみのTOICA東海旅客鉄道株式会社)などの電子マネーの普及で2011年(平成23年)には1円玉硬貨が1枚も製造されなかった。印刷物書籍に代わって、電子書籍が普及する。

2006年(平成18年)5月1日総会屋を規制する会社法会社法第120条が施行される。2011年(平成23年)に携帯電話PHSの契約台数が日本総人口の1億2805万人を超える国民の保有数が1億9805万台となり、人口比で契約数が101.4%となった。通常の携帯電話以外に通信機器専用のスマートフォンをもつ人や会社などの仕事用の携帯電話とプライベートの携帯電話で使い分ける「2台持ち」の人が増加した事も要因と分析されている。

2000年代に小泉改革による航空業界の規制緩和を機に、スカイマーク北海道国際航空(現・AIRDO)をはじめとする低運賃の格安航空会社が新規参入した。平成20年代より、外資系LCCの国際線参入が相次いでいる。

2012年(平成24年)頃から稚魚の不足からウナギの価格が高騰した。

団塊の世代が青年期だった1970年代までの生産年齢人口が増加する人口ボーナスによる高度経済成長から団塊の世代が60歳以上の高齢者となった2000年代には老人が急増して若者などの勤労者が減少する人口オーナスによるデフレ経済に移行した。高齢者を狙う押買押売が社会問題となる。バブル期には富裕層の間で億ションが小泉時代には富裕層の間で六本木ヒルズに住むものが増加したが、21世紀になり民家自宅借家)・アパートマンション以外に若者の間に流行したシェアハウスで共同生活をする男女が急増した。

世界同時不況

2000年代は輸出産業である製造業が好調だったが、人手不足は2004年(平成16年)に労働者派遣法が改正された事で製造業にも派遣が認められて外国人労働者を含む派遣社員を中心に不安定雇用労働者などでまかなわれた。そのため、海外市場の減速が製造業を直撃した事と2009年問題により、2008年(平成20年)秋頃から、派遣労働者の解雇や雇い止めをする「派遣切り」が増加した。年越し派遣村が創設されるなどの貧困対策が取られたが、2009年(平成21年)3月までに19万人が失職した。職を失った派遣社員が大量に寮を追い出され、ホームレスと化した。

アメリカのサブプライムローンを引き金とする2008年(平成20年)末からの世界同時不況は、「100年に1度の不況」「第二次世界恐慌」などと呼ばれており、製造業以外の業種にも深刻な打撃を与えている。2009年(平成21年)に麻生内閣の緊急経済対策として定額給付金の給付やエコカー減税エコカー補助金エコポイント制度・ふるさと雇用事業などの対策がとられたが本格的な回復路線に乗ることはなかった。

国際化と日本の企業問題

  1. V(ベトナム
  2. I(インドネシア
  3. P(フィリピン
  • さらに2012年(平成24年)頃からチャイナパッシングが進行して、CLMBと呼ばれる免税などの企業が優遇されて人件費が安い以下の4ヵ国に進出する企業が増加した。
  1. C(カンボジア
  2. L(ラオス
  3. M(ミャンマー
  4. B(バングラデシュ

東日本大震災後

2011年(平成23年)には、米国債ショック東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が起こり、さらにそれによって福島第一原子力発電所事故が起きた。この影響により、株価が急落したり、製造ができなくなったり、作物の風評被害が起きたりと障害が起きている。2011年(平成23年)夏には、電力使用制限令が発動される。菅内閣内閣の退陣と引き換えに固定価格買い取り制度再生可能エネルギー特措法を成立させて風力発電太陽光発電地熱発電水力発電などの自然エネルギーの活用を推進した。

金融広報中央委員会が2012年(平成24年)2月22日に発表した2011年(平成23年)の家計の金融行動に関する世論調査の結果では、一家の人数が2人以上の世帯で「貯蓄がない」と答えた世帯の割合が28.6%に上り、調査を始めた1963年(昭和38年)以来では、過去最高の数字となった。

2012年(平成24年)頃には、韓国企業のサムスン電子に価格や品質や人材力で敗北するようになり、2000年代三重県亀山市シャープ亀山工場大阪府堺市堺区シャープ堺工場を建設するなど世界の亀山モデルと呼ばれた液晶テレビで好調だったシャープ東芝パナソニックなど大手電機メーカーの売り上げが不振で赤字となり人員削減などの大規模なリストラを実施した。被災地の鉄道復旧が進まずバス・ラピッド・トランジット(BRT)が気仙沼線で導入された。東日本大震災の影響で防災対策が注目されて、防災用品として保存が長く持つロングライフ食品がヒット商品となった。

アベノミクス(第2次安倍内閣)

2012年(平成24年)12月26日第2次安倍内閣が成立した。安倍内閣はアベノミクスと呼ばれる政策で日本銀行による金融緩和や日本銀行による建設国債の買い取りを実施して、デフレからの脱却を目指すために、物価上昇率を2%と高めに設定するインフレターゲット目標を定めた。アベノミクスは円安による輸出黒字の増大と株価が上昇する効果を狙う政策であった。国土強靭化計画によって、高度経済成長期に建設された道路の補修や改修などの公共事業を増加させてインフラを整備するアベノミクス政策が実施されるようになった。経済財政諮問会議が復活して日本経済再生本部産業競争力会議が設置された。

国際経済問題

平成期は、人件費の抑制と円高の進行で製造業の海外移転が相次ぎ、産業空洞化が進んだ。

バブル期のあたりは、貿易摩擦を解消するために海外へ移転する製造業が増加した。バブル崩壊後の1990年代中ごろになると、円高が生じ、海外へ移転する製造業が増加した。2000年代に入ると、人件費削減のため、中華人民共和国や開発途上国(ASEANなど)へ製造工場を移転することが多くなった。2010年代に入ると、再び円高が生じ、海外への移転が増加した。2011年(平成23年)にタイ洪水がありタイ王国内の工業団地に多数の工場を進出させていた日系企業が被災して自動車産業などの工場が操業停止となる。

2000年代に入り日本の国内で発生した内政問題やアメリカ合衆国との間で、日本が牛肉の輸入禁止措置や検査強化をした事に対する日米外交問題や国際問題としてBSE問題が発生した。

東日本大震災や急激な円高の進行で自動車産業家電などの輸出が不振となり、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で日本国内の原子力発電所が相次いで点検や安全性の確保のために発電を停止して、火力発電所での発電の増加で海外からの燃料の輸入額が大きく増加したのが原因で2011年(平成23年)の日本の貿易収支は赤字に転じて、1980年(昭和55年)の第2次石油危機以降では、31年ぶりになる貿易赤字国へ転落した。

菅内閣野田内閣TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉をする議論を開始した。

株式市場

円高

ドル-円相場

平成初期の円は、1ドル120円から160円であったが、1990年代中ごろから円高が進行して、1ドル100円を突破した。その後、円高はおさまり、1ドルが100円を突破することは少なくなったが、2008年(平成20年)以降、急激に円高が進行して、1ドル100円を突破、2011年(平成23年)ごろからは、1ドル80円を超える状態が続き、一時1ドル75円台となり、円高記録を更新した。

ただし、2002年(平成14年)ごろまでは、ドル/円の為替レートと実効為替レートとがほぼ一致していたが、2002年(平成14年)以降は、ドルの世界的な価値が下がったため、ドルに対する円の価値と世界的な円の価値とが乖離するようになった。

ユーロ-円相場

2000年(平成12年)ごろは1ユーロ90円から110円であったが、その後円安になり2000年代中ごろには1ユーロ160円台になった。2008年(平成20年)に急速な円高が生じて、1ユーロ130円前後になり、その後、ギリシア危機などでさらに円高となり、1ユーロ110円台となった。

人民元-円相場

平成初期は、1元30円程度であったが、1990年代前半にかけて急速に円高が進行して、1元10円前後となった。その後、人民元は、固定相場制や通貨バスケット制によって相場は安定して、1元14円あたりを前後している。

実効為替レート「2005年(平成17年)を100とした時 数値が高いほど円高」

1990年(平成2年)ごろは、90台であったが、その後円高が進行して、1993年(平成5年)ごろから130を超えるようになった。1995年(平成7年)には一時150を超えたが、その後円安となり、100台にまで下がった。2000年(平成12年)前後から120台へ円高となったものの、その後は円安となり、80台にまで下がった。2008年(平成20年)には急激な円高となり、100前後まで上がったが、その後は100前後で安定している。

教育史

教育制度改革

  • 昭和末期から平成初期に、偏差値重視の教育制度の改革が進められ、臨時教育審議会の提言で文部科学省は新学力観を導入し、その考えが元となる学習指導要領が1989年(平成元年)に改訂、1992年(平成4年度)から施行された。その後、中央教育審議会の提言で生きる力の育成という目的が導入され、その目標に基づく学習指導要領が1998年(平成10年)に改訂、2002年(平成14年度)から正式に施行された。この指導要領によって総合的な学習の時間を設置、授業時間数の削減、教育内容の減少となった。しかし、PISAの順位が落ちたことから、学力低下を引き起こしていると批判を受け、生きる力の育成という目標は堅持しつつも、授業時間の増加、教育内容の増加が盛り込まれた学習指導要領が2008年(平成20年)に改訂、2011年(平成23年度)以降から正式に施行された。
  • 文部科学省が教育改革として、新設された高校として、中高連携教育や特色ある学校を認可するなどの教育改革を実施して、以下の学校が創設された。
  1. 総合制高校の新設。
  2. 単位制高校の新設。
  3. 国際高校の新設。
  4. 公立高校中高一貫教育をする中等教育学校タイプの高校の新設。
  5. 併設型中等教育学校タイプの高校の新設。
  6. 連携型中等一貫校タイプの中高一貫校の新設。
  7. 福祉高等学校の新設。
  • 生きる力を重視している文部科学省は以上の新しい高等学校を設置した。
  • 生活力の育成や学校独自の教育を推進するために、文部科学省が設置した新設教科として、以下がある。
  1. 中学高校課程の地理歴史科の新設。
  2. 小学校低学年の生活科の新設。
  3. 小中高教育での学校設定教科の創設。
  4. 福祉科の創設。
  • 以下の新しい教科を新設した。
  • 国際化や男女平等を推進する教育改革として、文部科学省は以下の教科を必修教科として必修化した。
  1. 小学校での外国語活動として英語必修教科として必修化した。
  2. 高校での世界史を必修教科として必修化した。
  3. 男女共同参画社会を目指す男女平等政策として中学・高校での家庭科の男子必修化が行われた。
  • 出席名簿も男女が混ざったものに変わった。アメリカの自由教育思想や大正時代の自由教育の思想の影響で職業体験の重視や天才的な頭脳をもつ高校生の大学進学を早期にするための教育の規制緩和として、以下の活動と制度を導入した。
  1. 社会奉仕体験活動の導入。
  2. 大学の飛び入学の導入。
  3. 週休2日制の導入。
  • 教育制度改革の計画として、優秀な高校生を早期に大学進学をさせて専門分野を専攻できるようにすることで、国際社会で活躍できる人材の育成を狙う文部科学省2012年(平成24年)6月1日に、高等学校を2年間で卒業して大学に入学できる制度を創設する方針を決定した。国家戦略会議平野博文文部科学大臣が取り組む。

学力問題

1990年代から学力低下が懸念されて、1999年(平成11年)には「分数が出来ない大学生」が出版された[12]。さらに2003年(平成15年)のPISATIMSS2006年(平成18年)のPISAでは学力低下が顕著となった。その後、2003年(平成15年)には教育内容の上限規定が撤廃された。2007年(平成19年)には全員参加方式の全国学力・学習状況調査テストが復活して、さらに脱ゆとりへと路線が変更されて、2008年(平成20年)には指導要領が改正されて、移行措置として一部が2009年(平成21年)から実施されて、小学校では全面的に2011年(平成23年度)から実施されることとなった。2007年(平成19年)のTIMSSでは、学力低下が止まり、2009年(平成21年)のPISAでは、学力が回復した。2013年(平成25年)の経済協力開発機構OECD)の国際成人力の調査で日本国が第1位になる。

学校制度改革

2003年(平成15年)に国立大学法人法が制定されて、国立大学国立大学法人となった。教員の相次ぐ性犯罪や、偏った思想に基づいた教育や言動などが問題となり、教員の資質向上のための教育改革として実施された制度が教職大学院の創設であり、それと検討されたのは教員免許更新制である。これに伴って日本の教育問題として、親の学歴・収入・家柄・職業などの経済格差と都道府県別や市町村別の地域格差を背景とした能力格差の拡大が表面化している。この原因は公教育機能が低下しているためと言われ、公教育への不信感が増大している。それを補うため、東京都を中心に公立学校選択制の導入や公立学校以外の学習塾私立学校へ進学希望者が増加している。私立学校と教育を重視する地域などの一部学校や、文部科学省の方針で教育予算が増加されて低学年で実施されたのが、少人数授業少人数教育を目的に「35人学級」や「30人学級」で、きめ細かい指導を導入する教育改革がされた。平成期に学校群制度が全廃されて丸坊主などの頭髪の規制を撤廃して長髪を認可したり制服のみから私服を認可して服装の自由化をするなど校則が改正される学校が増加した。公立小学校公立中学校義務教育期間に一体化して連携教育を行う「小中一貫教育」が広がった事から、第2次安倍内閣中央教育審議会が提言した構想で、小中連携教育を推進するために6歳〜15歳までの9年間の小中一貫の「義務教育学校(仮称)」の新設が議論された[13]。高校の普通科で「キャリア教育」を必修化するが検討された。

教育行政と新設教科

2001年(平成13年)1月6日中央省庁再編により文部省を改組して、科学技術庁を吸収合併して廃止する形式で文部省と科学技術庁が統合されて、文部科学省が設置される。2003年(平成15年度)から情報科が新設されて、高等学校の必修教科となる。2011年(平成23年度)から小学校で、外国語活動の時間が設けられて、2012年(平成24年度)から中等教育で、安全性の問題が議論されている武道科(剣道科・柔道科・相撲科)の3種目と指導方法の向上が必要であるダンス科(創作ダンス・フォークダンス・現代的なリズムのダンス)が導入されて、3 種目から選択して必修化されるようになった。2012年(平成24年度)から、木造校舎の建設を可能とするため木造校舎の焼失実験が実施されて、1972年(昭和47年)に終了した放射線教育が約30年ぶりに中学校の理科で復活した。

成績評価

2000年(平成12年)から小学校と中学校の義務教育の課程で相対評価から絶対評価による教育評価成績評価が重視をされるようになった。重視されるようになった絶対評価には認定評価の他に到達度評価があり、到達度評価の1つである観点別学習状況による教育評価と成績評価が導入をされた。

修身教育の見直しと道徳教育重視

自由民主党修身教育復活や道徳教育重視を唱える愛国心儒教道徳の育成を目指す保守派議員の意向で文部科学省2002年(平成12年)4月に、全国の小学校・中学校に道徳の副教材の心のノートを無料配布した。民主党政権の事業仕分けによって教材作成の補助が廃止された。

私立中学受験

2007年(平成19年)に首都圏では格差社会の進行やゆとり教育の影響で学歴社会負け組となる公立中学校を敬遠するようになり私立中学校の受験者数はピークとなり中学受験バブルがおきたが、翌年には私立中学受験バブルは崩壊した。2008年(平成20年)のリーマンショック以降の景気低迷、公立学校における脱ゆとり教育への転換、さらには東日本大震災などの影響で、私立中学受験者数の減少は続いており、受験者数の減少に歯止めがかかっていない。私立中学校の募集定員は3万9721人から4万1688人と約5%も増加して、私立中学受験ブームを受けての定員数の増加や、中高一貫体制強化による付設高校の募集定員の縮小と廃止が行われた。

大学受験

平成初期に大学共通第1次学力試験に代わり大学入試センター試験が導入された。バブル世代が大学生だった平成初期は学閥など大学ブランドが強い明青立法中日東駒専関関同立などの私立大学が人気であったが、2000年代以降は平成不況による貧困家庭の急増の影響などの学費の問題で地元の国立大学志向となる。受験生の志願者数はベビーブーム世代が大学生だった平成一桁期は第2次ベビーブーム団塊ジュニア世代)による18歳人口の多さで3流大学でも高倍率であり大学入試は難関で卒業は難易であったが、2000年代以降に18歳人口の減少による少子化の進行と学歴インフレの進行で3流私立大学の定員割れが急増した。1990年代日本大学(日大)と早稲田大学の志願者数がトップであったが、2000年代に日本大学の志願者が減少して2008年(平成20年)まで早稲田大学が1人勝ちの志願者がトップであった。2009年(平成21年)以降は早稲田大学の志願者がトップであったが、早稲田大学ブランドの魅力が変わり志願者が減少して、代わって明治大学が志願者トップとなる。

教育と社会問題

不登校問題やフリースクールの試みが行われた。学校を卒業しても社会に参加しないニート引きこもりに陥る者が多く現れ、メディアで盛んに報道され、問題視されるようになった。これは、学校と実社会の間にギャップがあるという日本独特の問題が潜んでいるとされる。余りに学校社会に慣れた子供は、卒業しても社会に適応することが困難になると言われる。現在の引きこもりは1970年代生まれ(氷河期世代の初期と中期)の人々が最も多く(後の世代では引きこもりは減少傾向)、引きこもりの長期化・高齢化が深刻になっている。また、ニートだと定義されていない35歳以上の中年の無業者も問題になっている[14]
1990年代後半あたりからパソコンや携帯電話が、2010年代前半あたりからスマートフォンが学生の間でも普及しだした。2002年(平成14年)には、小学1年生で5.0%、中学1年生で32.3%だったのに対し、2007年(平成19年)には、小学生1年生で11.7%、中学1年生で62.0%と2000年代に入ってからは小中学生の間でも普及しだした[15]。また、2000年代後半になると、10代のパソコン離れが起き、携帯の使用率が上がっている[16]。これらの世代はパソコン、携帯電話などを使ってネットによる情報発信能力を身につけたにもかかわらず、情報リテラシーやマナー教育が追いつかなかったため、ネットいじめが社会問題になった。末期氷河期世代は「キレる17歳」「コギャル世代」「酒鬼薔薇世代」とも呼ばれ、さらには酒鬼薔薇事件西鉄バスジャック事件秋葉原通り魔事件などの犯罪や、援助交際や、新成人の成人式の騒ぎが問題となった。その一方で、それらの問題が、若者に対するステレオタイプだとして、俗流若者論という概念も生まれた。東日本大震災の影響で子供の心的外傷後ストレス障害(PTSD)が増加したり、被災地岩手県宮城県福島県の子供の転校が急増する。
少子化の進展で大学全入時代を迎えて、21世紀には大学倒産時代となり、ブランド大学以外の地方大学や私立大学は定員割れで経営危機に立たされている。私立大学・私立短大の中には、統廃合によって学生募集を停止して廃校になる学校が増加した。親の収入と学歴の高低が子供の学歴の高低に直結する「格差の遺伝」とも言われる現象が広く知られるようになった。一方で、逆に高い学歴を持ちながら生活に苦しむ学歴難民と呼ばれる層も氷河期世代から発生している。女子の高学歴化や進学率の増加、厳しい経済状況を背景にした難関志向もあり、難関大学の難易度は、依然高い水準にある。進学率が増加する一方で、BFランク大学の名前を書くだけで受かる入試、ユニーク入試一芸入試など学力にとらわれない入試も増加している。

いじめ問題とマスコミ報道

  • 第1期のいじめ問題といじめ自殺ブームとして、1986年(昭和61年)の中野富士見中学いじめ自殺事件(昭和46年生まれの団塊ジュニア世代)があった。平均兄弟数が2人まで少子化した影響で人間関係が上手でない新人類世代が中学生だった昭和40年代からいじめ自殺の事例はあった。[注 4]これまでまったくの一般人の自殺である事と、心理的影響でいじめ自殺が増加する事から、昭和50年代までタブーだったいじめや自殺問題を久米宏などの戦中生まれのマスコミがあまりにもこの中学生に対するいじめが酷かった事を理由にタブーを破り最初のいじめ自殺報道がされた。[注 5]
  • 第2期のいじめ問題といじめ自殺ブーム(平成で最初)として、1994年(平成6年)前後の時期に愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件(昭和55年生まれの松坂世代の学年でポスト団塊ジュニア世代)を中心とするいじめ自殺報道があった。
  • 第3期のいじめ問題といじめ自殺ブームとして、2006年(平成18年)前後の時期に福岡中2いじめ自殺事件(平成4年生まれのゆとり世代)を中心とするいじめによる自殺が繰り返し報じられた。
  • 第4期のいじめ問題といじめ自殺ブームとして、2012年(平成24年)にも大津市中2いじめ自殺事件(平成9年生まれのゆとり世代)があった。
  • マスコミの報道によっていじめ問題が注目されて、この時期の統計ではいじめ自殺やいじめが増加している。
  • この時期など数年に1回の割合でいじめ自殺やリンチ殺人がマスコミによって報道されており、以下のいじめについての教育問題があった。
  1. 政治家の発言。
  2. 文部科学省の対応。
  3. 親の対応。
  4. 加害者のいじめ行為。
  5. インターネットへの個人情報や中傷の書き込み。
  6. 学校の対応。
  7. 被害者が受けた被害と情報。
  8. 和田秀樹が主張するマスコミのWHO世界保健機関)が定めた自殺ガイドラインのルールに違反する自殺報道によって自分も自殺して同情されたい注目されたいと思うウェルテル効果が起きる心理的な影響。[17]
  9. 教育委員会の対応。
  10. 警察犯罪被害への対応といじめ問題への介入。
  11. 道徳教育の必要性。
  12. 被害者と加害者の実名などのプライバシーの問題。
  13. マスコミによる過剰な報道の是非。

教育思想

平成期の教育思想は大きく区分して2種類ある。教育思想として以下の2種類の教育思想が対立して激しい論争となる。
  1. 昭和時代の戦後期に主流だった教育思想のジェローム・ブルーナーの教育理論を支持する和田秀樹学歴社会受験競争偏差値教育を第一として詰め込み教育を肯定する思想。
  2. アメリカ合衆国や大正時代に盛んだった作文や職業体験などの経験主義で個性を伸ばすジョン・デューイの教育理論を支持する寺脇研の公立学校での詰め込み教育を排除した教育改革として20世紀アメリカ合衆国新教育運動大正時代大正自由教育運動を模範とするゆとり教育という思想などがある。
小渕内閣教育改革国民会議による教育を変える17の提案の発表や安倍内閣教育再生会議福田康夫内閣教育再生懇談会が設置された。学校教育法地方教育行政の組織及び運営に関する法律社会教育法の改正が実施されるなど『教育改革3法案』が成立した。
新保守主義による国旗国歌法教育基本法の改正などの愛国心を謳った教育が主張された。2001年(平成13年)に、新しい歴史教科書をつくる会が既存の社会科の教科書を左翼自虐史観であると称して、それら左翼的自虐史観の教科書に反対する保守勢力が地理歴史科教科書公民科教科書を執筆したが、中華人民共和国大韓民国朝日新聞などの左翼勢力の反対で教科用図書検定が妨害される歴史教科書問題が再びおきた。その後、日中歴史共同研究日韓歴史共同研究なども模索された。

社会と大学教育

財界大企業では東京証券取引所上場企業の社長数1位が、昭和時代の東京大学出身者から慶應義塾大学出身者の三田閥となり、政界でも平成での出身大学別総理大臣で一番多いのは、6人を輩出した早稲田大学であるなど、東京大学学閥は早稲田大学・慶應義塾大学の躍進で政界・財界のトップではなくなり、平成期に学歴的地位が低下した。
夜間と通信制の高校、大学、大学院で社会人と高齢者を対象に生涯学習社会になり、情報化社会や知識社会の到来で子どもと青年期以外の全ての世代が教育対象になる。
大学での女子学生へのセクシャルハラスメントの問題やアカデミックハラスメントが問題となる。貧困層の増加で大学進学が容易でない家庭や奨学金の返済がされない問題が発生をした。21世紀になり東京大学などで日本の大学で主流である従来の4月入学を全廃して、海外で主流である秋入学への全面移行をする教育改革が進んでいる。国際的な大学間の競争に対応して、学生の海外留学を促すことが理由である。大学生活の期間にボランティアなどの社会奉仕や徴農制の導入を推進する事も検討されている。
平成期になり日本政府の留学生受け入れ増加計画で中華人民共和国などアジアからの留学生が急増する。その反面、日本からの海外留学生数は団塊ジュニア世代が大学生だった1990年代がピークだった。2000年代ゆとり世代が大学生となりアメリカの大学や欧米諸国を中心に海外に留学する日本の若者が減少した。2012年(平成24年)に文部科学省は世界の大学が採用する共通の大学入学資格取得に必要な教育課程の国際バカロレア資格の国内認定校の拡大のために200高校に留学支援課程を設置する計画を立案した。英語の第二公用語化の議論や一部の学力が高い大学で講義の英語化が実施された。
平成期は大学進学率と大学院進学率が急上昇した。大学進学率1989年(平成元年)の24.7%から2010年(平成22年)には50.2%となった。進学者は、約40万人から約60万人にまで増加した。短大進学者が4年制大学にシフトして短大進学率は1994年(平成6年)の13.2%をピークに減少して2010年(平成22年)には6%となった。修士課程の大学院進学率は急上昇して17%となり、2003年(平成15年度)に、専門職大学院の制度が作られ、法科大学院などが作られた。それに伴い、教育改革として学部をおくことなく大学院をおく大学(いわゆる大学院大学)の数も増加した。特に、大学への進学率、進学者増加は、分子(大卒の就職者数)がバブル期とほとんど変わらないのにもかかわらず、分母(大学卒業者数)が増えたため大卒の就職率(就職者数/卒業者数)が大幅に下がってしまった要因のひとつとなった。2012年(平成24年度)には、全国の法科大学院73校の入学生の統計で、86%に当たる63校で定員を下回るようになった。
予算や設備、人員を各学部ごとに集中させて教育の質を高め、優秀な人材を育成する狙いから、一つの国立大学法人の下で複数の大学の学部を集約して、具体例として大学Aは医学部理工学部、大学Bは法学部経済学部、大学Cは文学部に特化することなどを想定する文部科学省は、都道府県を超えて国立大学の学部の再編を進める方針を2012年(平成24年)に固めた。新しい大学教育制度として、一つの国立大学法人が複数の国立大を運営できるようにして、各大学にある類似する教育内容の学部を再編する計画ができた。
昭和時代戦後期)に誕生した駅弁大学からさらに大衆化が進行して、平成時代(21世紀)になってコンビニ大学と呼ばれてコンビニ化した地方大学や私立大学が問題となっていたため、2012年(平成24年)に、田中真紀子文部科学大臣によって大学設置基準による大学認可問題がおきた。

教育方法

新しいタイプの学部・学校と通信教育の充実

世相

学術研究史

PISAショック

2000年(平成12年)以後に、PISA(OECD生徒の学習到達度調査)と呼ばれる学力調査が行われ、これは、OECDが求める学力を調べる学力調査でPISAショックと呼ばれた。

世界史

昭和天皇崩御の年である1989年(平成元年)にベルリンの壁の崩壊が起こり、同年12月に米ソによるマルタ会談があり冷戦が終結した。 1991年(平成3年)にソビエト社会主義共和国連邦は、領土を構成していた共和国の全てが独立し、死滅した。こうして、それまでクレムリンホワイトハウスに抑圧されて来た国々では、民族・宗教紛争が勃発した。ソビエト連邦の死滅後は、アメリカ合衆国が唯一の超大国となって絶対的な力を揮うアメリカ一極体制となり、旧東側諸国が西側経済に統合され、特に1991年(平成3年)から2000年(平成12年)までの間、世界は「アメリカナイゼーション」「グローバリゼーション」と呼ばれるグローバル資本主義に巻き込まれた。

一方で、欧州連合(EU)中国ロシアラテンアメリカなどが、アメリカ一極体制を牽制する動きを見せている。この動きは、2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件以後に顕著となった。

国連創設60周年に当たる2005年(平成17年)には、敵国条項の削除と国連安全保障理事会常任理事国入りを目指し、グループ4(日本、ドイツインドブラジル)を結成したが、中国、韓国、さらにはアメリカなどの反対にあって挫折した。2011年(平成23年)には、アラブの春によってチュニジアエジプト民主化がおき、周辺国で民主化のデモが起きる。

国際関係史

アメリカとの関係

日本は、冷戦時代と同じく日米関係を外交の基軸として、湾岸戦争イラク戦争に協力した。冷戦後、政治・経済・社会のシステムが根こそぎアメリカ型に変わった。詳しくは経済史を参照

沖縄米兵少女暴行事件1995年(平成7年)に発生して普天間基地移設問題が起き、2009年(平成21年)には民主党政権のはっきりしない外交政策と安全保障政策によって辺野古に移す案が問題化して、2012年(平成24年)にはオスプレイの配備が問題となっている。

アジアとの関係

海外ではアジア諸国、中国・インドタイマレーシアなどに急速な経済発展が見られ、それに伴って日本との経済関係も、これまで以上に緊密になった。

中華人民共和国との関係
北京オリンピック上海万博を開催して、「四つの近代化」を進めてきた中国は急速に経済的存在感を強め、日中関係は「政冷経熱」と呼ばれるように緊密化した(日本の最大の貿易相手国は中国である)。それとともに、ガス田開発尖閣諸島などの領土を巡る尖閣諸島問題などで日本との摩擦が表面化している。また、中国は天安門事件で国際社会から制裁を受けた1989年(平成元年)以降、年々軍備増強を強力に推し進めており、日本にとって脅威になっていると言われている(中国脅威論)。
大韓民国との関係
大韓民国は民主化が進み、1993年(平成5年)には朴正煕政権以来32年間続いていた軍事政権は消滅して、金泳三による文民政権に移行した。しかし、「反日カード」を外交問題・内政問題に利用するスタンスは軍部政権時代と変わらず、金泳三は日本海呼称問題朝鮮総督府庁舎の取り壊しや竹島の実行支配など歴史問題で中国と連携して強硬な反日キャンペーンを行った。続いて1998年(平成10年)に発足した金大中政権は日本文化の受容や日本との関係改善に取り組み、平成14年の2002 FIFAワールドカップの日韓共催、マスコミが主導した韓流ブームや韓国料理Kフード)の人気や宣伝など文化面では友好ムードが高まった。しかし、政治面では竹島の領有権問題の表面化や、小泉純一郎首相の靖国神社参拝により、日韓関係は冷えた。2003年(平成15年)からの盧武鉉時代には、近隣諸国に対し強硬な外交姿勢を示すことが多くなり、日本だけでなく中国・米国との摩擦も高まった。2008年(平成20年)に李明博政権が発足した。李明博大統領は大阪府出身の<月山明博>と云う日本名があった在日韓国人で当初は親日韓国大統領と見られていたが、2012年(平成24年)8月10日に韓国の歴代大統領として初めての竹島訪問による領土問題の激化や天皇に対する謝罪要求があり日韓関係が悪化した。2005年(平成17年)に日本の島根県議会竹島の日条例が可決されて毎年2月22日記念日となった。2010年(平成22年)8月10日に管内閣によって管談話が発表された。
朝鮮民主主義人民共和国との関係
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で日本人拉致問題核開発問題が深刻化している。日本政府は拉致問題を解決するために、経済制裁を可能とする法整備を進め、ミサイル発射訓練を機に制裁を発令した。
東南アジア諸国との関係
この他の東南アジア諸国でも自国の経済発展や華僑の人口増加、中国の経済発展に伴って、日本を先頭とした雁行型経済に代表されてきた伝統的な対日依存を見直し、新たな経済大国として浮上した中国や、EUなど他地域との関係を強化する事で、経済の多極化を図る動きがある。
なお、東南アジアにおいては東南アジア諸国連合(ASEAN)が結成され、東南アジア諸国は共同体形成を模索している。
アジア全体との関係
東アジア共同体、およびアジア共同体構想が浮上している。これはEUのアジア版であり、ASEANや日中韓などの各国が共同して立ち上げた大戦略だが、ASEANや日中韓といった地域には人種、宗教、言語、文化、経済力といった地域統合を促す要素に共通性が希薄で、また共同体の主導権を巡って日中が激しく争う向きがあるものの、アジア諸国が日中の二者択一を望んでいないといった理由などで、構想自体が空中瓦解するだろうという見方も少なくない。

文化史

バブル景気全盛期 - 崩壊期(1989年(平成元年)-1994年(平成6年)頃)

この時期の文化は1980年代(昭和末期)からの継続という色が濃い。

1960年代生まれ(新人類)の青壮年の間で、ハイレグ水着や、真っ赤な口紅にソバージュやトサカヘアー、太眉ボディコンという押しの強いファッションが流行した。食の本格志向が強まり、イタリア料理エスニック料理が定着し、消費の多様化とブランド志向の高消費文化を築いた。東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』などトレンディドラマの最盛期であり、当時の人気俳優を起用したドラマは軒並み高視聴率を叩き出した。音楽業界ではバンドブームビーイング系の最盛期。バブル景気時代の風俗の代名詞として知られる「ジュリアナ東京」が営業していた時期は、バブル崩壊期に当たる1991年(平成3年)から1994年(平成6年)であり、当時既に時代の最先端から半歩遅れていたディスコであった。情報化社会の到来も叫ばれ、パソコン通信ポケベルが最も普及したのもこの頃である。

平成不況期(1995年(平成7年)- 2000年(平成12年)頃)

バブル崩壊後の不況の長期化により「右肩上がりの時代」は完全に終わり、デフレ時代が到来し、日本の風俗は大きな転機を迎えた。

ファッションの多様化が起こり、1970年代後半 - 1980年代前半生まれ(ポスト団塊ジュニア)の青少年の間で、アムラー裏原宿系・B系渋谷系などのファッションが流行した。バブル景気時代の流行から一転して細眉が流行し、茶髪が定着した。中高生が一気にファッションの中心の一部として認知され、コギャルが風俗として注目された。コミュニケーション手段としてはPHSを含む携帯電話インターネットが爆発的に普及。Windows 95の発売を機に、安価になったパーソナルコンピュータが多くの家庭に浸透していった。1994年(平成6年)末には『週刊少年ジャンプ』が653万部の歴代最高部数を達成し、1995年(平成7年)頃には日本の漫画の売り上げがピークに達した。音楽業界ではビーイング系(ビーイングブーム)・小室系ヴィジュアル系の最盛期で、1998年(平成10年)頃にはCDセールスがピークとなった。

聖域なき構造改革」期(2001年(平成13年)頃 -2007年(平成19年)頃)

外需主導により実感のない「景気回復」が続いていた時期。この時期も、大半の被雇用者の賃金は下落傾向にあり、「格差社会」が流行語となった。

パソコンや携帯電話は2000年代に入るとほとんどの国民に普及し、インターネットの利用が一般化した。ブログSNS動画投稿サイトなど、個人が発信者となるネットサービスが新たな媒体として普及していった。いわゆる「構造改革」により福祉や公共事業の抑制、市町村合併などの緊縮的政策が実施され、大都市圏以外の地方の経済の疲弊が進んだ。行政による福祉サービスの縮小に伴い、漫画喫茶インターネットカフェが、低所得者向けビジネスとしての機能を果たすようになった。雑誌や漫画を始めとする出版物の発行部数が減少(出版不況)したが、発行点数はむしろ増加している。iPodが爆発的な売上げを記録し、音楽のインターネット配信がそれまでのパッケージ媒体(CD)を置き換えていった。一部ではテレビ離れも囁かれ始め、メディア業界の不振が目立つようになった。映画では、テレビ局制作作品を初めとした邦画洋画を上回る興行成績を上げるようになり、日本映画の復活が注目を集めた。1980年代生まれの青年層では、秋葉系おたく文化の浸透が進み、メイド喫茶フィギュアに代表される、「萌え」をめぐる社会現象が盛んに取り上げられた。戦中生まれ世代(焼け跡世代)や団塊世代などの中高年層では、1950年代-1960年代高度経済成長時代を懐古する風潮も広がった。また、世界的な健康指向の定着により、たばこ離れやアルコール離れと言われる現象が日本でも顕著になった。ファッションでは、環境省主導で官公庁を中心にクール・ビズファッションが広まり、節電指向の広まりから民間企業でもしだいに定着した。若者のファッションは著しく多様化し、世代全体に広がるようなファッションの流行はもはや見られなくなった。

世界同時不況期(2008年(平成20年)頃-2012年(平成24年)頃)

アメリカのサブプライムローンに始まる恐慌が世界を覆い(世界同時不況)、少子高齢化や貧困層の増大が進む日本の風俗にも深い影を落としている。

製造業が軒並み経営悪化し、撤退・廃業・海外移転が相次いだ。基幹産業たる製造業を失った地方経済の疲弊は著しく、地方商店街は軒並みシャッター通りと化した。公共事業に頼らない地域振興を狙った地域おこし事業が模索されるようになり、ご当地グルメゆるキャラが取り上げられ、人気を集めるようになった。インターネット配信やウェブアプリケーション、ネット通販などによる、従来の様々な媒体やサービスの置き換えが進んだ。TwitterYouTubeニコニコ動画などの新しいソーシャルメディアが急激に成長し、文化・政治・社会の各方面に大きな影響を及ぼしつつある。雑誌の休廃刊が相次ぎ、新聞・広告業界は深刻な不振に陥り、社員に希望退職を募る出版社や新聞社が続出した。音楽では、嗜好の個別化がさらに進み、レコード会社の影響力はすっかり低下。新曲売上の落ち込みに伴いヒットチャートは一部アイドルグループやアニソン等に偏る傾向となり、過去のような流行歌が生み出されにくい環境になっている。アナログテレビ停波に伴いテレビ離れは若者から中高年にも及び、印刷媒体の出荷量は急激に落ちこみ、レジャー産業やメディア産業の縮小が著しい。一方で、携帯電話を対象にした各種サービスの成長は著しく、携帯電話からのインターネット利用がパソコンを上回った。大都市圏ではiPhoneをはじめとしたスマートフォンの普及も進み、書籍や雑誌のネット配信も本格化しはじめる。

アベノミクス期(2013年(平成25年)以降)

世界同時不況からの回復期であるが、日本では富裕層とそうでない層の乖離、大都市圏と地方の格差拡大が一層進んでいる。

スマートフォンは大都市圏に限らず日本全国に普及し、携帯電話の主流となった。ネット文化では、若年層を中心に「LINE」などが広く普及し、コミュニケーションの形態を変えているが、リテラシーやモラル面での教育、啓蒙が追いついていない面が指摘されている。また、スマートフォンとタブレット端末の普及により、主だった新聞社や出版社、レコード会社はネット配信に一層力を入れるようになった。ネット通販があらゆる分野で一般的に利用されるようになったのに伴い、中小規模の書店などが経営悪化し、閉店に追い込まれる事態も起きている。ファッションでは、資本力のある多国籍企業が展開するファストファッションが普及、衣料品の低価格化が進んだ。これに限らず小売業では価格競争やプライベートブランドの普及などにより、低価格化が進んでいる。これは可処分所得が低下している多くの日本国民のニーズに応えたものであるが、一方で貴金属類や高級マンション、その他高額なぜいたく品の売れ行きがかなり良くなったというマスメディアの報道がこの頃から多くなり、これがいわゆる「アベノミクス」効果であるともされている。だが、こうした喧騒とは裏腹に、生活保護受給世帯は増加の一途を辿っており、若者の雇用の不安定化、労働環境の悪化も深刻化している。

宗教史・社会思想史

<参考文献>『平成宗教20年史』(出版社:幻冬舎新書、出版年度:2008年(平成20年)、著者:島田裕巳
  1. 世界真光文明教団
  2. 崇教真光
  3. 神霊教
  4. 統一教会
  5. 幸福の科学
  6. エホバの証人[23]
  1. サイババブーム[27]
  2. アガスティアの葉の個人の人生についての予言ブーム
  3. インド占星術ブーム
  4. 細木数子六星占術ブーム[28]
  5. ホラーブーム
  6. 1973年(昭和48年)に五島勉が執筆したノストラダムスの大予言を発端とする1999年(平成11年)7の月に恐怖の大王が降ってきてアンゴルモアが蘇りマルスが幸福の内に支配するだろうのノストラダムス人類滅亡予言ノストラダムス現象ハルマゲドンブーム[29]
  7. 平成24年12月21日マヤ文明の終了を意味する2012年人類滅亡説が唱えられた。

社会問題

高齢化の進行と生活保護問題・年金問題

平成の少子化問題

  • 1989年(平成元年)に合計特殊出生率が1.57となり、1966年(昭和41年)の丙午の1.58をも下回ったため「1.57ショック」として社会的関心を集めた。平成期になり、出生率低下が続き、1992年(平成4年)度の国民生活白書で少子化という言葉が使用されて、少子高齢化が国民に知られるようになった。1995年(平成7年)に生産年齢人口(15 - 64歳)が最高値(8717万人)となり、1996年(平成8年)から生産年齢人口が減少過程に入った。1997年(平成9年)には少子社会となった。
  • 2003年(平成15年)には年間出生数が112万人まで減少した。2005年(平成17年)の出生数は106万2530人であり、合計特殊出生率は1.26人と過去最低となり総人口の減少が始まった。その後は合計特殊出生率が上昇して、2010年(平成22年)に合計特殊出生率は1.39となった。しかし、出生数は微増なのでこれからも日本人の人口の減少は止まらない。
  • 働く女性の保育所待機児童の問題や、児童虐待事件の一覧があったように児童福祉法児童虐待の防止等に関する法律が制定されて児童虐待が問題となる。

医療問題・福祉問題

環境問題

主な出来事
社会問題化した環境関連の事柄
その他

女性史

平成以前の女性史

女性と結婚と子どもの問題

  • ポスト団塊世代から新人類世代において、女性の社会進出と非婚化、若年男性の経済的貧困化が進んだ事が理由で、出生率は1.5人以下の過去最低を更新し続けた。団塊ジュニア世代以降は、専業主婦志向が強まりだすが、不景気の中で専業主婦になることは非常に難しく、男性も専業主婦の妻を抱えることは歓迎せず、なりたくてもなれないという現実に直面している。[47]。2006年(平成18年)以降出生率は増加に転じたが、若年の女性の人口が減っているために出生数はあまり増えていない。
  • 少子化特命担当大臣が設置される。
  • 厚生労働省の2011年(平成23年)の人口動態統計(概数)の発表では、第1子出産時の母親の平均年齢は30・1歳と、初めて初産年齢が30歳を超えた。
  • 結婚の時期が20歳前後から30代後半と長期に亘って分散する傾向になり、適齢期という概念は薄くなった。
  • 2000年(平成12年)にミレニアム結婚(ミレニアム婚)が増加した事と、ミレニアムベビーの(濱田龍臣など)が誕生した。2001年(平成13年)に新世紀ベビーの(敬宮愛子内親王など)が誕生して、20世紀21世紀の境界であるこの2年間に、小規模な結婚ブームとベビーブームがあった。
  • 総務省の国際結婚の統計では、 中国人女性(婚姻数は約7000件〜約13000件)韓国人女性(婚姻数は約5000件〜約8000件)フィリピン人女性(婚姻数は約7000件〜約13000件)など主にアジア人女性と日本人男性との国際結婚が急増して、2006年(平成18年)にはピークに達する。同年誕生した日本の新生児(約110万人)の内、片親が外国国籍の子供である混血(ハーフの日本人)は約3.2%を占めた。ただし、2007年(平成19年)以降は国際結婚は減少に転じている。
  • 欧米を中心とする外国人男性と日本人女性との国際結婚の破綻(国際離婚)が急増し、子の日本への連れ去りが国際問題化。子供の親権を定義するハーグ条約の加盟が欧米諸国から要求されるようになった。土井たか子を中心とするフェミニズム系の女性議員によって国籍法が改正されて、国際結婚で誕生した子供は父親が日本人で母親が外国人のみ日本国籍とする男系による国籍選択から外国人男性と日本人女性の間に誕生した女系の日本人となる子供も日本国籍にする事を可能にしたため二重国籍の問題が誕生した。
  • 2007年(平成19年)1月18日菅直人元代表代行が「愛知や東京は生産性は高いが、子どもを産む生産性が低い」、同年1月27日柳澤伯夫厚生労働大臣が「女性は子供を産む機械」と、女性を出産マシーンに例える発言があった。
  • 2006年(平成18年)に熊本県熊本市慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」と呼ばれる赤ちゃんポストを設置して賛否をめぐる議論となった。
  • 自民党が政権の時に幼保一元化政策として、認定こども園に関する法律が施行された。
  • 民主党が政権の時に幼保一体化政策としてのこども園構想が具体化されて実施へと移る動きがでてくる。
  • 2010年(平成22年)度に子供手当法が施行され、児童手当から子ども手当へと変更された。しかし、2011年(平成23年)はつなぎ法案の平成二十三年度における子ども手当の支給等に関する特別措置法で子ども手当は存続したが、2012年(平成24年度)から再び「児童手当」と云う名称となった。
  • 1980年(昭和55年)に男性が2・6%(+17・5%)で、女性4・5%が(+5・1%)だった生涯未婚率が、2012年(平成24年)には、50歳時点で一度も結婚したことがない生涯未婚の人の統計の生涯未婚率が、男性で20.1%、女性で10.6%にのぼった。年代別では25歳〜29歳の男性の未婚率が71・8%女性が60・3%で、30歳〜34歳の男性の未婚率が47・3%%で、女性が34・5%で、35歳〜39歳の男性の未婚率が35・6%で、女性が23・1%にのぼった。

フェミニストが唱えた思想

以下に記述するのは、特に平成期に入ってから広まったフェミニズムに関する思想であるが、以前から存在した思想も含まれる。

実現した女性運動

男女雇用機会均等法による社会進出と結婚

1986年(昭和61年)4月に施行された男女雇用機会均等法の影響により、女性の社会進出が徐々に一般化し平成時代には以下のような変化が起きてきた。

  • 女子アナウンサーを代表例に成人女性を女子とする概念に変化して、30代になってもおばさんと思わない女性の精神年齢の若返りが起きた。
  • 女性の社会進出に伴い、30代男女の未婚率が急上昇した。
  • 主婦主婦活が盛んとなり主婦の就職支援をする必要性が高まった。

女性に関する社会問題

性犯罪や性的モラルの問題

女性アイドルと女性芸能人

女性の政治史

女性に関わる文化と流行

1989年(平成元年)- 2000年(平成12年)
2000年代(平成12年 - 平成21年)
2010年代(平成22年 - )

スポーツ史

野球(プロ野球・高校野球・国際野球)

1980年代・1990年代(1989年〔平成元年〕 - 1999年〔平成11年〕)
2000年以降(平成12年 - )

大相撲

1980年代・1990年代の千代の富士時代〜若貴時代・曙貴時代・二子山時代・武蔵川時代(1989年〔平成元年〕 - 1999年〔平成11年〕)
2000年代の貴丸時代〜朝青龍時代〜青白時代(平成12年 - 平成21年)
2010年以降の白鵬時代〜(平成22年 - )

サッカー

1980年代・1990年代(1989年〔平成元年〕 - 1999年〔平成11年〕)
2000年以降(平成12年 - )

オリンピック競技

その他

競馬
競輪

歴史的類似時代

平成・享保
古田隆彦による新語で[51]江戸時代1716年(享保元年)から1736年(享保21年)の享保期の約20年間の転換期と同じように、1990年(平成2年)からの約20年間は調節の時代となるだろうという予測から、戦後の高度経済成長期に流行語となった「昭和元禄」にならって「平成・享保」と名付けられた[52]
その他
平成期は坂本龍馬が人気となり、また平成維新の会大阪維新の会が設立されるなど維新思想がブームとなった事から幕末期から明治維新に続く明治時代に類似している。
日本近代史では大日本帝国憲法下(戦前)と日本国憲法下(戦後)の2代目の天皇が在位した時代で大正時代は関東大震災が発生して、平成は阪神大震災東日本大震災が発生するなど大正時代に類似している。
昭和時代大日本帝国期)の世界恐慌の時代と大不況の面で類似しているという者もいる。
文明法則史学の800年周期説や世代による周期説など、時代には周期があると唱える者もいる。
人類史革命論

人類史第1革命の農業革命、第2革命の産業革命(工業革命)に次ぐ革命として、第3革命論の「情報革命」をアルビン・トフラーが唱えた。2000年代を情報革命の時期としている。

年表

1989年(平成元年)
昭和天皇大葬の礼日本労働組合総連合会(連合)が発足。消費税導入。手塚治虫美空ひばり松下幸之助死去。宇野内閣が発足。参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で初のねじれ国会に。宇野内閣退陣。第1次海部内閣発足。女子高生コンクリート詰め殺人事件発覚。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者が逮捕。坂本堤弁護士一家殺害事件が発生。東証の日経平均株価が史上最高値を記録。六四天安門事件ベルリンの壁崩壊マルタ会談
1990年(平成2年)
即位の礼第2次海部内閣発足、その後新たに第2次海部改造内閣も発足。ドイツ再統一イラククウェート侵攻礼宮文仁親王(現:秋篠宮)と川嶋紀子が結婚。『ちびまる子ちゃん』放映開始。秋山豊寛が日本人として初めて宇宙へ。スーパーファミコン発売。
1991年(平成3年)
雲仙普賢岳が大噴火。湾岸戦争勃発。第58代横綱千代の富士が引退。信楽高原鐵道列車衝突事故大韓民国朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が国際連合加盟。宮澤内閣発足。東北・上越新幹線東京駅乗り入れ開始。ソ連8月クーデターソビエト連邦解体。バブル経済崩壊。
1992年(平成4年)
バルセロナオリンピックアルベールビルオリンピック開催。尾崎豊死去。毛利衛が宇宙へ(スペースシャトル日本人初搭乗)。PKO協力法の成立。天皇が初めて中華人民共和国を訪問。米大統領にビル・クリントンが当選。宮澤内閣改造内閣発足。山形新幹線開業。
1993年(平成5年)
皇太子徳仁親王小和田雅子が結婚。レインボーブリッジが開通。非自民連立政権細川内閣発足により、自由民主党最初の下野(55年体制の崩壊)。歴史的冷夏。1993年米騒動によりコメの部分開放を決定。ドーハの悲劇田中角栄死去。北海道南西沖地震。第61回式年遷宮伊勢神宮)。
1994年(平成6年)
リレハンメルオリンピック開催。羽田内閣が発足。自社さ連立政権村山内閣発足。中華航空機墜落事故。女性宇宙飛行士の向井千秋が宇宙へ。大江健三郎ノーベル文学賞受賞。松本サリン事件関西国際空港開港。三陸はるか沖地震金日成死去。
1995年(平成7年)
阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件が発生。オウム真理教麻原彰晃代表逮捕。ウィンドウズ95発売。戦後50周年村山談話野茂英雄投手がメジャーリーグ新人王に。大統領シラク南太平洋ムルロア環礁核実験を強行。
1996年(平成8年)
第1次橋本内閣発足。第2次橋本内閣発足。アトランタオリンピック開催。ペルー日本大使館人質事件が発生。藤本弘渥美清死去。北海道豊浜トンネルが落盤事故。O157による食中毒事件。
1997年(平成9年)
神戸連続児童殺傷事件ナホトカ号重油流出事故香港中国に返還。秋田新幹線長野新幹線東京湾アクアライン開業。たまごっちブーム。映画『もののけ姫』が公開。ダイアナ元英皇太子妃事故死。第2次橋本改造内閣発足。サッカー日本男子代表がW杯初出場を決める。ポケモンショック京都議定書が採択される。
1998年(平成10年)
山一證券が自主廃業。和歌山毒物カレー事件参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で2度目のねじれ国会に。小渕内閣発足。長野オリンピック開催。サッカーワールドカップに日本が初出場。横浜ベイスターズが38年振りに日本一。北朝鮮テポドン1号発射実験。新しく民主党が結党される。
1999年(平成11年)
天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典の開催。全日空61便ハイジャック事件発生。国旗国歌法成立。マカオ中国に返還。ミッチー・サッチー騒動。「だんご3兄弟」が大ヒット。ノストラダムス現象(7の月に恐怖の大王)。2000年問題が話題に。NATO軍がユーゴスラビアに大規模空爆。東海村JCO臨界事故
2000年(平成12年)
九州・沖縄サミット開催。二千円札発行。小渕恵三死去。第1次森内閣発足。神の国発言神の国解散第2次森内閣発足。日比谷線脱線事故韓国北朝鮮南北首脳会談が実現。9月11日東海豪雨が発生。三宅島が噴火し全島避難。シドニーオリンピック。米大統領にジョージ・ウォーカー・ブッシュが当選。加藤の乱世田谷一家殺害事件20世紀が終わる。
2001年(平成13年)
21世紀が始まる。えひめ丸事故第1次小泉内閣発足。附属池田小事件アメリカ同時多発テロ事件が発生。米英軍がアフガニスタンに報復攻撃。九州南西海域工作船事件皇太子徳仁親王妃雅子愛子内親王を出産。ウィキペディアが設立される。
2002年(平成14年)
ソルトレイクシティオリンピックが開催。EU圏内で新通貨ユーロに完全統合。住民基本台帳ネットワークが開始。東北新幹線が八戸駅までに延伸。サッカーワールドカップ韓国と日本が共催。日朝首脳会談。拉致被害者5人が日本へ帰国。
2003年(平成15年)
天皇前立腺癌となり摘出手術東海道新幹線品川駅が開業。イラク戦争勃発。サッダーム・フセイン拘束。玄界灘海難事故阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグ制覇。第2次小泉内閣発足。感染症SARSの世界的流行。
2004年(平成16年)
九州新幹線が開業。佐世保小六女児同級生殺害事件。観測史上最多の10個の台風が日本列島に上陸。アテネオリンピック開催。新潟県中越地震発生。日本銀行券のデザインを20年ぶりに変更。 『東北楽天ゴールデンイーグルス』がプロ野球パ・リーグに新規参入。 スマトラ沖地震(インド洋大津波)
2005年(平成17年)
H-IIAロケット打ち上げ成功。福岡県西方沖地震JR福知山線脱線事故愛知万博開幕。中部国際空港開港。ロンドン同時多発テロ衆議院解散を断行、総選挙郵政民営化法案成立。第3次小泉内閣発足。構造計算書偽造問題が発覚。
2006年(平成18年)
平成18年豪雪ライブドアショック堀江貴文逮捕。トリノオリンピック開催。ワールドベースボールクラシック開催、日本が初代優勝。ワールドカップ ドイツ大会開催。村上ファンド代表の村上世彰逮捕。秋篠宮妃紀子悠仁親王出産。安倍内閣発足。北朝鮮が核実験。サッダーム・フセインイラク元大統領処刑。
2007年(平成19年)
食品に関する不祥事が相次ぐ。防衛庁が防衛省に移行。能登半島地震長崎市長射殺事件松岡利勝農相自殺。新潟県中越沖地震参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で3度目のねじれ国会に。福田康夫内閣発足。日本郵政公社民営化、日本郵政グループ(JPグループ)発足。
2008年(平成20年)
石油価格高騰による物価上昇。チベットで大規模暴動四川大地震秋葉原通り魔事件岩手・宮城内陸地震後期高齢者医療制度が施行される。北京オリンピックリーマンショック、世界的な金融危機(世界同時不況)、急速な景気後退。麻生内閣発足。バラク・オバマが史上初の黒人大統領になる。東海道新幹線0系引退。
2009年(平成21年)
2009年新型インフルエンザ発生。第2回WBCで日本2連覇。北朝鮮によるミサイル発射核実験民社国連立政権鳩山由紀夫内閣発足により、自由民主党が2度目の下野。天皇陛下御在位二十年記念式典の開催。
2010年(平成22年)
朝青龍引退。バンクーバーオリンピック開催。公立高校無償化宮崎県南部を中心に口蹄疫の流行菅内閣発足。ワールドカップ 南アフリカ大会開催。第22回参議院議員通常選挙参院が与野党逆転、平成で4度目のねじれ国会に。高齢者所在不明問題日本各地で記録的な猛暑尖閣諸島中国漁船衝突事件東北新幹線東京 - 新青森間全面開通。2010年欧州ソブリン危機
2011年(平成23年)
タイガーマスク運動アラブの春大相撲八百長問題発覚。カンタベリー地震オサマ・ビンラディン殺害東日本大震災福島第一原発事故九州新幹線鹿児島ルート全面開通。サッカー女子W杯なでしこジャパン優勝。テレビアナログ放送が被災3県(福島、宮城、岩手)を除き停波、被災3県では翌年3月末に停波(地デジへ完全移行)。野田内閣発足。台風12号被害。カダフィー殺害タイ洪水金正日死去。
2012年(平成24年)
平田信菊地直子高橋克也逮捕。天皇狭心症の症状で心臓バイパス手術東京スカイツリーが開業。新東名高速道路開通。大飯原発など原子力発電所反対デモ九州北部豪雨ロンドンオリンピック開催。尖閣諸島国有化中国における反日活動日本維新の会結成。東京駅丸の内駅舎復元パソコン遠隔操作事件民国連立政権が終わり、自公連立政権第2次安倍内閣発足。
2013年(平成25年)
フランス軍セルヴァル作戦を実施。アルジェリア人質拘束事件出雲大社遷宮を実施(60年ぶり)。富士山世界文化遺産登録。第62回式年遷宮伊勢神宮)。あまちゃんブーム。東北楽天ゴールデンイーグルスパ・リーグ初優勝および初の日本一。
2014年(平成26年)
ソチオリンピック開催。平成26年豪雪宇露関係が悪化してクリミア自治共和国2014年クリミア住民投票

西暦との対照表

平成 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年 10年
西暦 1989年 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年
干支 己巳 庚午 辛未 壬申 癸酉 甲戌 乙亥 丙子 丁丑 戊寅
平成 11年 12年 13年 14年 15年 16年 17年 18年 19年 20年
西暦 1999年 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年
干支 己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未 甲申 乙酉 丙戌 丁亥 戊子
平成 21年 22年 23年 24年 25年 26年
西暦 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年
干支 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳 甲午

平成を冠するもの

以下には、「平成」を冠する主な名称・用法・事柄などを列挙している。当然、全てを網羅するものではない。

文化・芸能

政治機関

企業・経済団体

番組名・作品名

鉄道

地名

なお上記のうち、岐阜県関市(改元当時は武儀町)の地名に限っては平成改元以前の昭和時代1988年(昭和63年)以前)にも存在していた小字名である。

道の駅

  • 道の駅平成 - 上記岐阜県関市の平成(へなり)地区に建てられている。ただし駅名としての読み方は「へいせい」。

教育

小学校

中学校・高等学校

大学

博物館

病院

橋梁・トンネル

その他

  • 平成大堰
  • 平成に改元した翌日の平成元年(1989年)1月8日朝日新聞朝刊に、新元号と同じ平 成(たいら しげる)さんや○○平成(○○へいせい)さんが数人いることが掲載された[53]。マスコミの中には(たいら しげる)さん個人を見つけ出してインタビューする番組も見られた。

元号発表

小渕恵三内閣官房長官(当時)が記者会見で使用した台紙に平成と文字を墨書きしたのは、内閣総理大臣官房(当時。中央省庁再編後は内閣府大臣官房)人事課辞令専門職の河東純一である。記者発表の20分ほど前、「平成」と鉛筆で書かれた紙片を渡され、新元号名を知る。その後、河東自らが用意した4枚の奉書紙にそれぞれに平成と書き、4枚目を額に入れ、ダンボール風呂敷で梱包したものが小渕内閣官房長官の元へと運ばれた。河東本人談として、初めて平成と知った時、「画数の少ない字は形が取りにくく、書きにくい」と思ったそうである[4]。また、4枚目を選んだのは上手い下手に関係なく、初めから4枚目を提出するつもりだったとも語っている。新元号を墨書する場所は、予め同官房内政審議室の会議室と決められていた。入室した際の同室では数人が別の作業を行っていたので、頼んで作業机の片隅を空けてもらい、「平成」を書き上げた。作業机は比較的高く、椅子はパイプ椅子で、周囲もやや喧騒であったため、非常に書きにくかったそうである[54]。河東純一は、2005年(平成17年)12月に職務(20万枚以上に及ぶ官記・位記・辞令及び表彰状等の作成)の功績を認められ、第18回「人事院総裁賞」個人部門を受賞した[55]

その「平成」の奉書紙は、平成改元時の内閣総理大臣であった竹下登に贈呈され、現在も竹下元首相私邸に飾られている。[56]

脚注

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注釈

  1. ^ 的場は新元号考案の委嘱を受けた人物には諸橋轍次貝塚茂樹坂本太郎の名をあげているが、昭和天皇崩御前に物故したため彼らの提案はすべて廃案になったとしている。参考:佐野眞一『ドキュメント昭和が終わった日2 元号「平成」の決定の瞬間』(『文藝春秋』2009年3月号掲載)
  2. ^ 2011年2月15日放送の『夕やけ寺ちゃん 活動中』(文化放送)にゲスト出演した石原信雄の発言にも「亡くなっている人の案は採用されない」とある[要高次出典]
  3. ^ 2010年(平成22年)参院選・比例区得票率2%以上の政党要件を満たしている。
  4. ^ 昭和45年11月の伊勢新聞北勢版や中日新聞の三重県桑名市の昭和33年生まれの女子中学生自殺かの記事で自殺を寝た子をおこすなでクローズアップしなかった。
  5. ^ 2006年(平成18年)10月、久米宏は福岡いじめ自殺事件に対する回想コメントで「報道関係者としていじめ自殺報道でいじめや自殺が増加することも想定したが、男子中学生へのいじめがあまりにも酷かったのでニュースにしちゃいました」と発言している(「報道ステーション」や「たけしの日本教育白書」などテレビ番組での発言)。
  6. ^ <参考文献>『平成宗教20年史』(幻冬舎新書、2008年(平成20年)、島田裕巳) - <書籍要約>平成元年、週刊誌が坂本弁護士事件を報道して糾弾を開始しオウム真理教はにわかに注目を集める。その後オウムは一連の騒動を起こし、その間、幸福の科学も台頭、宗教は社会の重大な関心事となり、ついに平成7年、地下鉄サリン事件を迎える。一方、平成5年、万年野党だった公明党が連立政権に参加、11年以後、与党として君臨し、ついに日本は新宗教団体が政治権力を行使する国となった―。オウム、創価学会以外にもさまざまな新宗教やスピリチュアル・ブームに沸いた現代日本人の宗教観をあぶり出す。
  7. ^ 1970年生まれ以前の世代の短大卒のステータスは、1980年生まれ以降の世代に比べると高かった。
  8. ^ 競艇でも以前は「高松宮杯」という名を使っていたが、1987年(昭和62年)2月以降から競輪や中央競馬よりも早く高松宮記念 (競馬)に名称を変更していた。参考:「高松宮殿下と住之江」(日本財団電子図書館)

出典

  1. ^ a b 佐野眞一『ドキュメント昭和が終わった日2 元号「平成」の決定の瞬間』(『文藝春秋』2009年3月号掲載)
  2. ^ 「雑学大全」230ページ 東京書籍2007年刊/ISBN 978 4 487 80130 5C
  3. ^ 文藝春秋 2012年2月号
  4. ^ a b 『解禁! マル秘ストーリー』 TBSテレビ、 11月16日放送。発表時の記者会見の映像が抜粋され放送された。
  5. ^ “10月から環境税導入、家計負担は年1228円増 撤廃求める産業界”. 産経新聞. (2012年9月28日). http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120928/biz12092823270037-n1.htm 2012年10月4日閲覧。 
  6. ^ “県:全県で「神奈川州」 横浜市の構想と違い鮮明−−地方自治制度、県方針の素案 /神奈川”. 毎日新聞. (2012年8月29日). http://mainichi.jp/area/kanagawa/news/20120829ddlk14010257000c.html 2012年8月31日閲覧。 
  7. ^ “「双京構想」皇室の一部機能移転を 30年後の京都の未来像を提言”. 産経新聞. (212-03-12). http://sankei.jp.msn.com/life/news/120312/imp12031223050002-n1.htm 2012年8月31日閲覧。 
  8. ^ 『日本経済史 1600年代-2000年代 歴史に読む現代』(慶應義塾大学出版会)、301ページ18行目
  9. ^ 『日本経済史 1600年代-2000年代 歴史に読む現代』(慶應義塾大学出版会)、300ページ13行目
  10. ^ 『日本経済史 1600年代-2000年代 歴史に読む現代』(慶應義塾大学出版会)、302ページ2行目
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  52. ^ 平成享保(へいせいきょうほう)(現代社会研究所)
  53. ^ 朝日新聞 1989年1月8日付朝刊 社会面
  54. ^ TBSラジオ伊集院光・『日曜日の秘密基地』より。
  55. ^ 第18回(平成17年)「人事院総裁賞」個人部門受賞者 人事院、2009年7月23日 閲覧。
  56. ^ TBS系列『世界バリバリ★バリュー』2007年11月28日放送

参考文献

改元の項目
  • 読売新聞政治部編 『平成改元』 (行研、1989年)
  • 佐野眞一 「第2章 元号<平成>の決定の瞬間」 『ドキュメント昭和が終わった日』より(文藝春秋、2009年)
歴史学的類似時代の項目
  • 古田隆彦 『昭和元禄から平成享保へ』 (PHP研究所、1989年)
  • 堺屋太一 『時代は変わった知価革命』 (講談社、2001年)
政治史の項目
経済史の項目
宗教史の項目
教育史の項目
時代概説
  • 「昭和から平成へ」 『集英社版 漫画 日本の歴史』より
女性史の項目
  • 「女性史」 『日本女性史大事典』より (新人物往来社、1994年、新版2002年)
  • 生涯未婚率の記述⇒2012年(平成24年)5月1日火曜日 17時42分-社会(J-CASTニュース)
  • 女性の初産年齢が初の30歳超えの記述⇒厚生労働省2011年(平成23年)の人口動態統計(概数)
大正時代類似説
  • 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』 (産経新聞社、2002年)

関連項目

外部リンク


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