原健三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
はら けんざぶろう
|
|
|---|---|
| 生年月日 | 1907年2月6日 |
| 出生地 | 兵庫県津名郡浅野村(現・淡路市) |
| 没年月日 | 2004年11月6日 |
| 死没地 | 東京都渋谷区 |
| 出身校 | 早稲田大学政経学部、アメリカオレゴン大学 |
|
|
|
| 選挙区 | 兵庫1区 |
| 当選回数 | 20回 |
| 任期 | 1946年 - 2000年 |
原 健三郎(はら けんざぶろう、1907年2月6日 - 2004年11月6日)は、日本の政治家である。衆議院議員(20期)、第65代衆議院議長(議長在任期間:1986年7月22日 - 1989年6月2日)。
労働大臣(第28代・第30代)。国土庁長官(第9代)。北海道開発庁長官(第43代)を歴任。
目次 |
[編集] 概要
位階は従二位。勲章は勲一等旭日桐花大綬章。「ハラケン」の愛称で親しまれた。
兵庫県津名郡浅野村(北淡町を経て現在は淡路市)に生まれる。洲本中学校を経て1931年、早稲田大学政経学部卒業後、アメリカのオレゴン大学に留学。講談社にて雑誌「月刊現代」の編集長を務めたのち、1946年4月に戦後初の総選挙で兵庫1区から立候補・初当選し、政界入りした。
衆議院副議長、労働大臣2回、国土庁・北海道開発庁長官、衆院ロッキード問題調査特別委員長、自民党広報委員長、国民運動本部長などを歴任したが1972年の第3次佐藤内閣改造内閣労働大臣時には成人式の講演での失言(「感謝の気持ちを忘れ我を押し通したものが養老院にいる、諸君がそうなっては困る」)から、辞任に追い込まれた。このほかにも1980年のモスクワ五輪ボイコットの際、それに抗議した選手たちに「この国家の一大事に飛んだり跳ねたりしたいのか」と選手らの無念の気持ちを逆なでする発言を行い、非難を浴びたこともある。
自民党国民運動本部長時代、大相撲の「内閣総理大臣杯」の創設の提案した。これは実現し、現在も続いている。
1986年7月の第106特別国会で「自民300議席」という絶対多数のもと第65代衆議院議長に就任。大型間接税(売上税・消費税)導入をめぐる税制改正問題に加えて1988年に発覚したリクルート問題など厳しい国会運営を強いられる中、第113臨時国会(「税制国会」)での消費税導入を含む税制改革関連6法の成立に尽力した。しかし、1989年の第114通常国会における予算案の強行採決をめぐる混乱により6月に辞任。予算案は憲政史上初めて自民党により単独採決となった。
「継続は力」をモットーに50年の議員生活をやりぬき、1996年には尾崎行雄、三木武夫に続いて史上3人目となる名誉議員の有資格者となったが財政難で同認定されていない。最後の選挙となった1996年10月の第41回衆議院議員総選挙では苦しい選挙運動を繰り広げた。結果は小選挙区(兵庫9区)で新進党現職宮本一三に敗北し比例復活での当選であった。1999年中曽根派から志帥会旗揚げ参加。
宮本が自民党移籍した事もあり2000年の衆議院解散を機に20期54年にわたる議員生活に別れを告げ、93歳という衆院歴代第2位(1位は尾崎行雄)の高齢で政界を引退した。銅像を建てるという夢は財政難などから野党の同意を得られず、念願を果たすことはなかった。引退後は地元関西のテレビやラジオにコメンテーターとして出演しながら晩年を過ごした。主な出演番組は『迫って!GABURI。』(毎日放送)、『さてはトコトン菊水丸』(MBSラジオ)内の「教えてハラケン」など。
明石海峡大橋の建設にも強い執念を燃やした。架橋が夢物語だと思われていたころには「ハラケン」をもじって「ハシケン」「ホラケン」などとも揶揄されたが、最終的にこれを実現へと導いた。国会に銅像を立てる念願こそ果たせなかったが、明石海峡大橋のたもとにはこの功績を称える銅像が立てられている。
2004年11月6日1時52分、心不全のため東京都渋谷区の自宅で死去した。97歳だった。
[編集] 作品
- 1959年 ギターを持った渡り鳥(脚本)
- 1960年
- 渡り鳥いつまた帰る(原作)
- 若い突風(原作)
- 南海の狼火(のろし)(原作)
- 大草原の渡り鳥(原作)
- くたばれ愚連隊(原作)
- 大暴れ風来坊(原作)
- 海を渡る波止場の風(原作)
- 海から来た流れ者(原作)
- 赤い夕陽の渡り鳥(原作)
- 1961年
- 波濤を越える渡り鳥(原作)
- 東京騎士隊(ナイツ)(原作)
[編集] 註釈
原はこれら日活映画『渡り鳥』シリーズの原作やシナリオを担当したことになっているが、選挙向けや党内活動の肩書きとしてクレジットされたものだった。実際日活のオリジナル作品であり、原はノータッチであることを当時の日活の脚本家が明らかにしている[1][2]。
[編集] 関連項目
[編集] 関連文献
- ハラケン「生涯現役」 元衆議院議長・原健三郎 人生聞き語り(2001年、神戸新聞東京支社・編)
[編集] 出典
- ^ 小林信彦「ギターを持った渡り鳥」『2001年映画の旅 ぼくが選んだ20世紀洋画・邦画ベスト200』小林信彦、文藝春秋、2000年、p.189
- ^ 山崎巌『夢のぬかるみ』新潮社、1993年、p.69
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||
|
||||||||||||||||||||||

