石原伸晃
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いしはら のぶてる
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| 生年月日 | 1957年4月19日(54歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 慶應義塾大学文学部社会学科 |
| 前職 | 日本テレビ報道局記者 |
| 所属政党 | (無所属→) 自由民主党(山崎派) |
| 称号 | 文学士(慶應義塾大学・1981年) |
| 親族 | 石原慎太郎(父) 石原宏高(弟) |
| 配偶者 | 石原里紗(妻) |
| 公式サイト | 衆議院議員 石原のぶてる公式ホームページ |
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| 内閣 | 第1次小泉再改造内閣 第2次小泉内閣 |
| 任期 | 2003年9月22日 - 2004年9月27日 |
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| 内閣 | 第1次小泉内閣 第1次小泉改造内閣 |
| 任期 | 2001年4月26日 - 2003年9月22日 |
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| 選挙区 | (旧東京4区→) 東京8区 |
| 当選回数 | 7回 |
| 任期 | 1990年 - 現職 |
石原 伸晃(いしはら のぶてる、1957年4月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自由民主党幹事長(第45代)、自由民主党東京都連会長、TOKYO自民党政経塾主宰、社団法人日本ジュニアヨットクラブ連盟会長。
規制改革担当大臣、国土交通大臣(第3・4代)、自由民主党政務調査会長(第49代)等を歴任した。
目次 |
[編集] 概要
父は参議院議員、衆議院議員、環境庁長官、運輸大臣を歴任した東京都知事の石原慎太郎。ただし石原慎太郎・石原伸晃親子の間には選出選挙区の重複がなく、後援会や地盤の引き継ぎがないため、一般的な世襲議員には分類されない。弟にタレント、気象予報士の石原良純、前衆議院議員の石原宏高、画家の石原延啓がいる。父・慎太郎の旧東京都第2区の地盤は事実上、弟・宏高が継承した。
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
神奈川県生まれ。中学校から慶應義塾に通い、慶應義塾大学文学部卒業。日本テレビ放送網勤務を経て、1990年(平成2年)より衆議院議員を務める。身長178cm、体重69kg、血液型A型。
[編集] 政治家として
いわゆる「政策新人類」の代表格として知られる。1998年(平成10年)の「金融国会」では金融再生関連法案の成立に尽力した。森政権においては政権批判の急先鋒で、「加藤の乱」に連座するなどした。
小泉政権では、第1次小泉内閣にて規制改革担当大臣として初入閣を果たした。なお、このとき同時に「行政改革を推進するため行政各部の所管する事務の調整」も担当することとなった。第1次小泉第1次改造内閣では、そのまま規制改革担当大臣として留任し、あわせて「行政改革を推進するため行政各部の所管する事務の調整」を担当した。第1次小泉第2次改造内閣では、国土交通大臣に就任した。また、同時に「首都機能移転の具体化に向けた検討を推進するため行政各部の所管する事務の調整」や「観光立国を実現するための施策を円滑に推進するため行政各部の所管する事務の調整」もあわせて担当した。
第2次小泉内閣では、国土交通大臣に再任され、「首都機能移転の具体化に向けた検討を推進するため行政各部の所管する事務の調整」や「観光立国を実現するための施策を円滑に推進するため行政各部の所管する事務の調整」もあわせて担当し、道路公団問題などに取り組んだ。続く安倍政権の党人事でも、幹事長代理、政調会長に就任した。
一方では、自民党寄りのメディアにすら「チャンスに打てない中軸打者」と揶揄されるほど、「お坊ちゃま」ゆえに「打たれ弱い」と評されることもあった[1]。
2001年10月、大臣時代に「北海道の道路は車が走っている数よりヒグマが走っている数のほうが多い」と発言。その発言に激怒した鈴木宗男から「冗談じゃないよ、アンタ!」と猛抗議を受けた。2008年9月1日の福田康夫総裁辞任表明を受けて行われる自民党総裁選挙には、9月3日まで山崎拓らが慎重姿勢を示した影響もあってか、出馬をする意向を見せていなかったが、9月4日には与謝野馨らと共に、出馬への意欲を示した。9月9日には、出馬表明を決定した。しかし、9月7日のサンデープロジェクトで、小泉路線の二の舞になるのではないかと、批判されていた。9月15日の釧路での演説では「釧路から札幌まで高速道路はつながります。(中略)道路がつながって整備されて、皆さんに活用される社会資本整備になると、私、石原伸晃は確信している」と述べた。
[編集] 政策・主張
- 道路公団民営化
- 小泉政権の主要政策の一環として、道路公団民営化を任せられ脚光を浴びるも、道路族の猛攻を抑えることができず、妥協を重ねて屈したとする評価が多い[2]。自身も、「最終報告には実現不可能な部分もある」と弱気なコメントを残している。
- 道路関係四公団民営化推進委員会委員長代理であった田中一昭(政府民営化案の妥協策を不服として辞表を提出した)からは「偽りの民営化—道路公団改革」という暴露本を通じて「経綸を持たず、むしろ無能ぶりを天下にさらした」と酷評された。
- 国土交通大臣時代、日本道路公団総裁藤井治芳を解任した。藤井は解任取消を求めて東京地方裁判所に提訴。2006年9月6日に解任処分は相当であると、石原勝訴の判決が下された。
- 新銀行東京
- 父親で都知事である石原慎太郎の提唱で都税1000億を投入して設立された新銀行東京に対して、石原伸晃の元私設秘書が決算書類の改ざんを知りながらもブローカーの仲介を引き受け、自民党都議に口利き仲介していたことが判明している。石原伸晃事務所は「(元秘書は)既に退職しており、口利きなどについては承知していない」としている[3]。その後、石原慎太郎都知事は「口利きするのは、それこそ政治家の仕事」として政治家の口利きを肯定する発言をしている[4]。
- 2008年10月26日にNHKの番組に出演し、金融危機で経営不安に陥っている金融機関への資本注入を実現する金融機能強化法改正案に関して、「法律の中には銀行(「新銀行東京」と「金融危機で苦しんでいる銀行」)に区別はない」と述べ、2008年秋の世界的な金融危機とは無関係に経営が行き詰まっている新銀行東京も対象に含まれるとの見解を示した[5]。これに対して11月2日に自民党園田博之政調会長代理がNHKにて「(出資している)東京都が立て直しに責任を持つべきだ。今注入できるとは思えない」と否定的な見解を示している。
- 政治資金
- 消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けている[6] 。
- 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[7]。
- 日歯連前会長の臼田貞夫(贈賄容疑で逮捕)と関係が深いなど、日本歯科医師連盟との繋がりで知られ、4000万円の迂回献金を受け取っていたことが発覚している[8]。
- 竹島問題
- 2010年2月22日、竹島の日の式典に党代表として出席した[9]。
- 2011年東京都知事選挙
- 2011年4月の東京都知事選挙に際し、父である現職の石原慎太郎東京都知事について、「幹事長としてはぜひ出ていただきたい。家族としては休ませてあげたい」と、複雑な胸中を口にしていた。石原慎太郎知事は東京都議会定例会最終日の3月11日、都議会本会議で出馬する意向を表明した。
[編集] 発言
- 「集団ヒステリー状態」
- 2011年6月14日、自民党幹事長在任時の記者会見で、福島第一原子力発電所事故後の反原発の動きについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べた[10]。
- 2011年9月10日、青森県弘前市での講演で、当時経済産業大臣だった鉢呂吉雄が福島県の被災地を視察したあとの一連の発言をめぐって、「万死に値する」と批判した[11]。
- 「歴史の必然」
- 2011年9月10日の青森県弘前市での講演にて、アメリカ同時多発テロ事件について「産業革命から続いた西欧文明、キリスト教支配に対するイスラム圏の反逆で、歴史の必然として起きた出来事ではないか」[12]と述べた[13]。
- イスラムと国際政治を専門とする静岡県立大学国際関係学部准教授の宮田律は「欧米とイスラム世界の衝突があったときに、『歴史の必然』なんて言ったら、対立構造は残ってしまう。自民党の幹事長たる人がそういうことを言うのは、無責任」[14]と指摘し「政治家としての主体的な努力を、一切放棄した発言に聞こえる」[14]と述べた。なお、宮田と石原は大学時代の同級生であるが、宮田は「昔から言動に軽さの目立った石原君のことですから、感覚的に深い主張もなく、『歴史の必然』なんて言ったんでしょう」[14]と慮っている。作家の高杉良は、自由民主党の「軽い政治家」の例として石原の名を挙げており「9・11のことを『歴史の必然』などと発言しているでしょう。そんな程度の幹事長です。軽すぎますよ」[15]と評している。
[編集] エピソード
NHK総合テレビが深夜に不定期で放送している、「MUSIC BOX」(1970 - 1990年代のヒット曲と共に、当時の世相や流行を記録した映像を放送する深夜番組)では、日本テレビ報道局に在籍していた石原が、青函トンネル開通を記念して報道陣を乗せた特別列車の中で、取材メモを取っている姿が流れる(取材中にNHKのニュース映像に偶然映ってしまった模様)。
大臣在任時、出張時の昼食を高級レストランに設定した事務方を叱責し、「事務方が勝手に高級な物にセットした。料金は払わない」と主張したことがある[要出典]。
[編集] 信仰
新興宗教・崇教真光の信者である[16]。秋季大祭の来賓の中でも石原は少年の頃、岡田光玉と岡田恵珠が自宅に訪れたエピソードを42周年秋季大祭(2001年)の祝辞にて披露した[17]。45周年秋季大祭(2004年)では自身が組み手(信徒)であることを明らかにし、組み手としての立場をメインに祝辞を述べた[18]。46周年秋季大祭(2005年)では中級に昇格したことを祝辞にて紹介している[19]。
また、2009年-2010年の間に、自身が代表を務める自民党東京都第8選挙区支部の政治資金より、「会費」の名目で崇教真光に対し計36万円以上を支出している。[20][21]
[編集] その他の役職
2010年度より財団法人東京都軟式野球連盟の顧問に就任している。
[編集] 所属議連・団体
たばこと健康を考える議員連盟、日朝国交正常化推進議員連盟所属。役員を務める。
[編集] 略歴
- 1970年 - 鎌倉市立御成小学校卒業
- 1973年 - 慶應義塾普通部卒業
- 1976年 - 慶應義塾高等学校卒業
- 1978年 - エルマイラ大学[22](ニューヨーク州エルマイラ)留学
- 1981年 - 慶應義塾大学文学部(都市社会学専攻)卒業後、日本テレビ放送網に入社し、大蔵省・外務省・首相官邸などを担当する報道局政治部記者を務める
- 1989年 - 日本テレビを退社
- 1990年 - 第39回衆議院議員総選挙では旧東京4区から保守系無所属として立候補し、2位で初当選(同選挙区1位は自民党の粕谷茂)。この時の第一秘書は、後に民主党衆議院議員となった長島昭久。
- 1993年 - 第40回衆議院議員総選挙では自民党公認で立候補し、5位当選で最下位ながらも再選を果たす。
- 1996年 - 小選挙区制導入後初の第41回衆議院議員総選挙に東京8区から立候補し、後に杉並区長に就任する新進党の山田宏を約7000票差で下し、3選。通商産業政務次官に就任
- 2001年 - 小泉内閣で特命担当大臣(行政改革担当、規制改革担当)として初入閣
- 2003年 - 国土交通大臣に就任( - 2004年9月)
- 2004年 - 党金融調査会長に就任
- 2005年
- 党道路調査会長に就任
- 11月 - 法務委員長に就任
- 2006年9月 - 自由民主党幹事長代理に就任。党選挙対策本部副本部長、党改革実行本部長を兼務
- 2007年
- 8月 - 自由民主党政務調査会長に就任
- 12月 - 近未来政治研究会(山崎派)に入会
- 2008年
- 9月 - 08年自民党総裁選に立候補したが、落選。51歳5ヶ月は総裁選立候補者としては歴代最年少。麻生執行部で党幹事長代理に就任
- 2009年
- 7月 - 東京都議会議員選挙での敗北の責任を取り、党東京都支部連合会の会長を辞任する意向を表明。しかし、第45回衆議院議員総選挙が迫っているとして、辞任は認められず
- 8月 - 衆院選で東京8区から公明党の推薦を受け立候補し、保坂展人に圧勝し7選。自民党が下野した直後の09年自民党総裁選では谷垣禎一の推薦人に名を連ねた。谷垣総裁の下で党組織運動本部長に就任。また東京都連会長に再任
- 2010年
- 2011年
- 9月 - 自由民主党幹事長に再任
[編集] 賞歴
- 2001年 - 第30回ベストドレッサー賞政治・経済部門。
- 2001年 - 日本歯科医師会のベスト・スマイル・オブ・ザ・イヤー男性部門。
[編集] 家族・親族
- 祖父・潔
- 明治32年(1899年)12月生~昭和26年(1951年)10月没
- 愛媛県長浜町生まれ。父・信直は警察官だった。宇和島中学(現在の宇和島東高校)中退。14歳で山下汽船に店童(てんどう)として入社した。店童(てんどう)[24]あがりだったにもかかわらず、最後は関連会社の重役にまで出世した。
- 祖母・光子(加藤三之助の娘)
- 明治42年(1909年)9月生~平成4年(1992年)6月没。
- 叔父・裕次郎(俳優、歌手)
- 昭和9年(1934年)12月生~昭和62年(1987年)7月没。
- 父・慎太郎(作家、政治家・東京都知事)
- 昭和7年(1932年)9月生~
- 母・典子(石田光治の娘)
- 昭和13年(1938年)1月生~
- 弟・良純(俳優・気象予報士)、宏高(政治家・元衆議院議員)、延啓(画家)。
- 妻・里紗
- 伸晃は1988年(昭和63年)、女優・女性タレントであった田中理佐と結婚、衆議院議員選挙に初当選した1990年(平成2年)には女児が誕生した[25]。第二子として1993年(平成5年)に誕生した長男には先天性動静脈瘻があり、2度の外科手術を受けたものの生後5ヶ月で死亡した[25]。1999年(平成11年)、次男となる男児が誕生した。
[編集] 系譜
- 石原家
詳細は「石原慎太郎」を参照
小泉又次郎━━芳江 ┃ ┣━━━━━┳小泉純一郎━━┳小泉孝太郎 ┃ ┃ ┃ 小泉純也 ┗小泉正也 ┗小泉進次郎 (鮫島) ┃ ┃ ┏石田重蔵━━石田吉之輔━━━美枝子 ┃ ┃ ┃ (田中) ┗石田光治━━典子 里紗 ┏男 ┃ ┣━━━━━╋男 ┣━━━━━━┳石原伸晃 ┗女 ┃ ┃ 石原潔━┳石原慎太郎 ┣石原良純 ┃ ┃ ┃ ┣石原宏高 ┃ ┃ ┃ ┗石原延啓 ┃ ┗石原裕次郎
[編集] 脚注
- ^ 「チャンスに打てない中軸打者石原伸晃「本日も空振り」」、『週刊文春』2006年12月21日号、文藝春秋、2006年12月14日、2010年10月11日閲覧。
- ^ http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2003_05_14/index.html
- ^ 2008年10月18日 読売新聞
- ^ 2008年11月1日 スポーツ報知
- ^ 2008年10月27日 時事通信
- ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
- ^ http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/kanpo/020913/203/pdf/20020913g00203y0116.pdf
- ^ 2004年5月13日(木)「しんぶん赤旗」
- ^ “島根で5度目の竹島の日 知事「世論の高揚不可欠」”. 47NEWS(共同通信社). (2010年2月22日) 2010年11月23日閲覧。
- ^ 反原発、「集団ヒステリー」=石原自民幹事長 (時事ドットコム、2011/06/14-13:12)
- ^ 自民党幹事長 首相の任命責任も (NHK NEWSWeb、2011/09/10-17:44)
- ^ 「石原自民幹事長、米中枢同時テロ『歴史の必然として』」『石原自民幹事長、米中枢同時テロ「歴史の必然として」 - MSN産経ニュース』産経デジタル、2011年9月10日。
- ^ 自民党幹事長 首相の任命責任も (NHK NEWSWeb、2011/09/10-17:44)
- ^ a b c 宮田律「自民党政権でも外交はダメダメ」『週刊朝日』116巻48号、朝日新聞出版、2011年10月7日、28頁。
- ^ 高杉良・小宮悦子「『虚像』刊行記念特別対談――野田総理は『小泉&竹中』の負の遺産を断ち切れるか!」『週刊新潮』56巻39号、新潮社、2011年10月13日、68頁。
- ^ 『崇教真光』誌平成16年12月号 P65-67
- ^ 『崇教真光』誌平成13年12月号
- ^ 『崇教真光』誌平成16年12月号
- ^ 『崇教真光』誌平成17年12月号
- ^ 「石原幹事長、宗教法人に「会費」=自民支部から2年36万円―「適正に処理し報告」」 asahi.com、2011年11月24日。
- ^ 「石原幹事長、宗教法人に「会費」=自民支部から2年36万円-「適正に処理し報告」」 時事ドットコム、2011年11月24日。
- ^ http://www.elmira.edu/
- ^ 自由民主党役員表 自由民主党ホームページ 2010年9月9日付
- ^ 店童(てんどう)とは、海運会社独特の制度で、商店でいえば丁稚に相当し、宿舎と食事は確保してくれる代わりに、給料は一切なかった。便所掃除、社員の靴磨き、使い走り。店童(てんどう)は上司から命じられれば何でもやらなければならなかった。時には、質入れや、なじみの遊郭の女郎に菓子を届けることまでやらされた(『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』31頁)。
- ^ a b c 『妻の目』(石原伸晃公式ウェブサイト) 平成13年7月のエントリー、平成22年10月2日閲覧
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 林寛子 |
第3・4代:2003年 - 2004年 |
次代: 北側一雄 |
| 先代: 橋本龍太郎 |
2001年 - 2003年 |
次代: (廃止) |
| 議会 | ||
| 先代: 塩崎恭久 |
2005年 - 2006年 |
次代: 七条明 |
| 党職 | ||
| 先代: 大島理森 |
自由民主党幹事長 第45代:2010年 - |
次代: (現職) |
| 先代: 中川昭一 |
自由民主党政務調査会長 第49代:2007年 |
次代: 谷垣禎一 |
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