甘利明

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日本の旗 日本の政治家
甘利 明
あまり あきら
Amari Akira 1-3.jpg
生年月日 1949年8月27日(64歳)
出生地 神奈川県厚木市
出身校 慶應義塾大学法学部
前職 政治家秘書
所属政党 新自由クラブ→)
自由民主党(無派閥)
称号 法学士(慶應義塾大学)
親族 父・甘利正(元衆議院議員
公式サイト 甘利明 公式サイト

内閣 第2次安倍内閣
任期 2012年12月26日 - 現職
議員会館 衆議院第2議員会館514号室

内閣 麻生内閣
任期 2008年9月24日 - 2009年9月16日

内閣 第1次安倍内閣
第1次安倍改造内閣
福田康夫内閣
任期 2006年9月26日 - 2008年8月2日

日本の旗 第65代 労働大臣
内閣 小渕内閣
任期 1998年7月30日 - 1999年1月14日

選挙区 旧神奈川3区→)
神奈川13区
当選回数 10回
任期 1983年12月19日 - 現職
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甘利 明(あまり あきら、1949年8月27日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(10期)、内閣府特命担当大臣経済財政政策)、さいこう日本代表。

自由民主党政務調査会長(第54代)、労働大臣第67代)、経済産業大臣(第78代)、内閣府特命担当大臣(規制改革)等を歴任した。

戦国時代武田氏の重臣で知られる甘利虎泰の子孫である[要出典]。元衆議院議員甘利正は父。

来歴[編集]

2007年1月28日世界経済フォーラム年次総会にて欧州委員会委員(通商担当)ピーター・マンデルソン(奥左)、スイス連邦参事会参事(連邦経済省担当)ドリス・ロイタルト(奥右)と

神奈川県厚木市生まれ。神奈川県立厚木高等学校慶應義塾大学法学部卒業。1972年ソニーに入社したが1974年に退社し、父・甘利正の秘書に転じる。

1983年、正が政界引退を表明したため、代わって第37回衆議院議員総選挙旧神奈川3区から、父の地盤を引き継いで新自由クラブ公認で出馬し、初当選(当選同期に田中直紀熊谷弘二階俊博額賀福志郎野呂田芳成衛藤征士郎田中秀征尾身幸次北川正恭町村信孝伊吹文明自見庄三郎大島理森野呂昭彦鈴木宗男ら)。1986年、新自由クラブの解党に伴って同党の所属議員の多くが自民党に復党し、甘利も自民党に入党した。自民党入党後、新自由クラブの同僚であった山口敏夫の勧めにより、中曽根派に入会。1989年通商産業政務次官に就任。

1996年第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い神奈川13区から自民党公認で出馬。選挙区では新進党新人の冨沢篤紘1,751票の僅差で敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活した。1998年小渕内閣労働大臣として初入閣。同年、それまで所属していた旧渡辺派を退会し、山崎派の結成に参加。以後は同派閥の領袖である山崎拓への忠誠心を示した。

2004年衆議院予算委員長に就任。自民党内では商工分野に特に精通しており、党商工部会長や衆議院商工委員長も務めた。また知的財産に関する取り組みも積極的に行っておりコンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律の成立を主導した。2005年、党政務調査会長代理に就任。

2006年の自由民主党総裁選挙では、出馬に意欲を示していた山崎派会長の山崎拓の出馬に一貫して反対。安倍晋三への支持をいち早く表明し、安倍の選挙対策本部の事務局長を務める(安倍は麻生太郎谷垣禎一を破り当選)。同年9月、第1次安倍内閣経済産業大臣に任命された。組閣後の記者会見において、ロシア8月30日に石油・天然ガス開発計画である 「サハリン2」の一部事業の中止を命じたことについて「日本側に過剰反応の面がある。ロシア側が指摘する環境破壊にどう対処するのか精査してから、反論を組み立てるべきだ」と冷静に対応する姿勢を示した[1]。また、日本と中国が対立している東シナ海ガス田開発の件に関しては「日本と中国は共同で(開発に)取り組む方向で一致しており、粛々と取り組みたい」と発言した[1]

2007年8月、第1次安倍改造内閣で経済産業大臣に再任。同年9月3日、農林水産大臣遠藤武彦の辞任を受けて、臨時代理を兼務。安倍の総裁辞任に伴う自由民主党総裁選挙においては、山崎派は福田康夫を支持する方針を決定したのに反し、劣勢が伝えられた麻生太郎への支持を表明[2]。麻生への支持を表明した後に山崎派に退会届を提出したが、受理されなかった。このため経産相に再任されず、退任する公算が高まっていたが、福田康夫内閣でも留任した。

2008年の自由民主党総裁選挙では、自由民主党幹事長であった麻生を支持し、麻生の推薦人に名を連ねる(麻生は与謝野馨ら4候補を破り、当選)。同年9月に発足した麻生内閣内閣府特命担当大臣(規制改革)に任命され、また行政改革、公務員制度改革を担当する国務大臣も兼務した。在任中、麻生内閣が推進する公務員制度改革に対し、人事院総裁(当時)の谷公士から強い反発を受け、2009年1月30日には、麻生が本部長を務める国家公務員制度改革推進本部の第3回目の会合が予定されていたが、流会。同日の記者会見において、甘利は流会の理由を、谷が欠席したためと説明した。同年2月の山崎派総会においてこの一連の騒動に言及し、谷について「内閣に指名された役人が、テレビで政権交代にまで言及した。極めて傲岸不遜で信じられない」と強い不快感を示した[3]。同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、神奈川13区で民主党公認の橘秀徳1,960票の僅差で敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで9選。

2011年6月、派閥横断型の政策集団さいこう日本を立ち上げ、代表に就任。参加者の多くは山崎派の議員であるが、町村派松野博一高木毅高村派佐藤ゆかりも参加した[4]。同年10月、自民党広報本部長に就任。

2012年自由民主党総裁選挙では、同じ山崎派の石原伸晃が出馬する中、安倍晋三の選挙責任者を務めた。安倍の総裁再任後は自由民主党政務調査会長に就任した(初の党三役入り)。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、神奈川13区で10選。選挙後、所属していた山崎派の新会長に石原の就任が決まり、これを機に正式に派閥を退会、無派閥となった。

選挙後に発足した第2次安倍内閣では内閣府特命担当大臣経済財政政策)に任命された。併せて経済再生担当、社会保障・税一体改革担当の国務大臣を務める。また第2次安倍内閣が日本国として環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)締結交渉への参加を決定したことを受けてTPP担当国務大臣に就任した[5]

2013年1月、世界経済フォーラムダボス会議に出席して政府主導の円安誘導との批判もあるアベノミクスについて説明を行い、国際通貨基金専務理事のラガルド経済協力開発機構事務総長のアンヘル・グリアから支持を取り付けた[6]

同年12月2日に体調不良のため検査入院。5日の記者会見で「早期の舌がん」であることを公表。これを理由に首相に辞任を申し出たが、慰留されたとして続投と休養を表明。翌週に手術を受け、26日に公務に復帰した。

三宅雪子の転倒騒動[編集]

2010年5月12日、衆議院内閣委員会国家公務員法改正案審議中に民主党三宅雪子を転倒させたとして、民主党から懲罰動議が提出された。しかし、甘利は「全く三宅さんには触れていない」「はめられた、と思った」と述べ、疑惑を全否定した。

不祥事[編集]

献金[編集]

東京電力からの献金[編集]

東京電力や関連企業がパーティー券購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが報じられた。議員秘書等から依頼に応じパーティー券を購入し、一回あたりの購入額を政治資金収支報告書に記載義務のない20万円以下にして東電からの資金の流れが表面化しないようにしていた[12]

高額な事務所費[編集]

甘利の資金管理団体が計上した事務所費と、実際の事務所家賃との間に、大幅な差額が発生していることが報道された[13]

甘利の資金管理団体「甘山会」と自由民主党神奈川県第13選挙区支部は、2005年に事務所費として1650万円超を計上している。2003~2005年の3年間の事務所費の合計は、約4700万円に上る。神奈川県大和市の事務所の大家は、家賃について「両団体合わせて、月に20万円、年間240万円」だとしており、事務所費と家賃との間の差額は2005年だけで約1400万円、2003~2005年の3年間では約4000万円発生している[14]

なお、政治資金収支報告書では、人件費、光熱水費、備品・消耗品費は別に計上され、事務所費には家賃、火災保険料、電話代を計上することになっている。そのため、事務所費と家賃との差額は、人件費、光熱水費、備品・消耗品費などとは別の用途に使用されたことになる。 甘利事務所は、「法令に従って適切に処理しています」[14]と主張している。また、「事務所は、家賃などのかからない東京永田町議員会館の他は神奈川県の1か所のみ」[14]としている。

国民年金保険料未納[編集]

2004年政治家の年金未納問題が注目された際に国民年金保険料の未納が発覚した(1986年4月から15年11か月間)[15]。甘利は、議員年金と国民年金の両方に入らなければならないことに気付かなかったとして陳謝しつつも、社会保険庁から督促が来なかったとも述べている[15]

労働保険未加入[編集]

2009年1月、甘利の資金管理団体「甘山会」が、勤務するスタッフに対する労働保険に未加入のまま長期間放置していたことが発覚した[16]

労働保険の中でも労働者災害補償保険は、雇用者がいれば加入義務があると労働者災害補償保険法により定められており、未加入でスタッフを雇用するのは違法行為である。甘利の事務所は「アルバイトは加入の必要がないと誤解していた」[16]と説明しており、「甘山会」は2009年1月に労働保険に加入し、2006年度分まで遡及して支払った[16]。なお、2004年12月頃の時点で、自由民主党本部は関係する各団体に対し社会保険や労働保険に適切に加入するよう指導した、と指摘されている[17]。また、甘利は労働大臣経験者でもある。

所属団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

単著[編集]

編著[編集]

論文[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b “サハリン2事業中止「過剰反応せず反論検討」甘利経産相”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2006年9月26日) 
  2. ^ 【政局検証】一気呵成の8派連合「激動2007 永田町メルトダウン(中)」 MSN産経ニュース 2007年12月26日
  3. ^ 人事院総裁は「傲岸不遜」=甘利行革相 時事通信 2009年2月5日
  4. ^ “甘利氏の「さいこう」発会式 自民党議員19人が参加”. 産経新聞. (2011年6月23日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110623/stt11062300170000-n1.htm 2011年7月31日閲覧。 [リンク切れ]
  5. ^ 甘利氏、TPP交渉参加「成長戦略実行の第1弾」 日本経済新聞 2013年3月15日閲覧
  6. ^ “政府・民間が結束=「アベノミクス」国際公約に成功”. 時事通信. (2013年1月27日). http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2013012700192 2013年1月27日閲覧。 
  7. ^ 衆議院議員鈴木宗男君提出社団法人全日本トラック協会への補助金のあり方に関する質問に対する答弁書
  8. ^ [1]
  9. ^ しんぶん赤旗 2014年3月2日
  10. ^ 甘利元労相らに献金 しんぶん赤旗 2003年4月17日
  11. ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日
  12. ^ “東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入”. 朝日新聞. (2012年1月8日). http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201201070496.html 2012年3月28日閲覧。 
  13. ^ 「赤城農水相に続き、今度は甘利経産相に『4000万円事務所費疑惑』」『週刊ポスト』39巻33号、小学館2007年7月27日、30,31頁。
  14. ^ a b c 「赤城農水相に続き、今度は甘利経産相に『4000万円事務所費疑惑』」『週刊ポスト』39巻33号、小学館2007年7月27日、31頁。
  15. ^ a b “甘利副幹事長が約16年未納 HPで認める”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年5月17日). http://www.47news.jp/CN/200405/CN2004051701002325.html 2012年9月29日閲覧。 
  16. ^ a b c 稲垣衆史・秋山信一・中村かさね「労働保険:5閣僚事務所が未加入――強制知らず秘書分など」『労働保険:5閣僚事務所が未加入 強制知らず秘書分など - 毎日jp(毎日新聞)毎日新聞社2009年1月26日
  17. ^ 秋山信一「労働保険未加入:自民本部の指示を放置」『労働保険未加入:自民本部の指示を放置 - 毎日jp(毎日新聞)毎日新聞社2009年1月26日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
前原誠司
日本の旗 特命担当大臣経済財政政策
第19代:2012年 -
次代:
現職
先代:
与謝野馨
日本の旗 特命担当大臣規制改革
第11代:2008年 - 2009年
次代:
稲田朋美
先代:
二階俊博
日本の旗 経済産業大臣
第7・8代:2006年 - 2008年
次代:
二階俊博
先代:
伊吹文明
日本の旗 労働大臣
第65代:1998年 - 1999年
次代:
牧野隆守
議会
先代:
笹川堯
日本の旗 衆議院予算委員長
2004年 - 2005年
次代:
大島理森
先代:
白川勝彦
日本の旗 衆議院商工委員長
1995年 - 1996年
次代:
武部勤
党職
先代:
茂木敏充
自由民主党政務調査会長
第54代:2012年
次代:
高市早苗