石破茂

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日本の旗 日本の政治家
石破 茂
いしば しげる
Gates meets Ishiba 8 November 2007 cropped for Ishiba.jpg
石破茂(2007年11月8日)
生年月日 1957年2月4日(57歳)
出生地 日本の旗 鳥取県八頭郡郡家町(現八頭郡八頭町
出身校 慶應義塾大学法学部
前職 三井銀行(現三井住友銀行)従業員
所属政党 自由民主党→)
改革の会→)
自由改革連合→)
新進党→)
無所属→)
自由民主党(額賀派→無派閥)
称号 法学士
親族 祖父・石破市造(大御門村長)
父・石破二朗鳥取県知事自治大臣
公式サイト 石破茂オフィシャルサイト

選挙区 鳥取県全県区→)
鳥取1区
当選回数 9回
任期 1986年7月8日 - 現職

内閣 第2次安倍改造内閣
任期 2014年9月3日 - 現職

内閣 麻生内閣
任期 2008年9月24日 - 2009年9月16日

日本の旗 第4代 防衛大臣
内閣 福田康夫内閣
任期 2007年9月26日 - 2008年8月2日

日本の旗 第68・69代 防衛庁長官
内閣 第1次小泉第1次改造内閣
第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
任期 2002年9月30日 - 2004年9月27日
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石破 茂(いしば しげる、1957年昭和32年)2月4日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(9期)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)

農林水産大臣第49代)、防衛大臣第4代)、防衛庁長官(第6869代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第46代)等を歴任した。

参議院議員自治大臣国家公安委員会委員長鳥取県知事建設事務次官等を歴任した石破二朗[1]は父。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

鳥取県八頭郡郡家町(現八頭郡八頭町)生まれ[2]。茂の出生時、父・二朗は48歳であり、二朗の秘書を務めていた高岩迪資によれば、自身の高齢の恥ずかしさから二朗は病院へ行きたがらず、高岩が代理で病院へ出かけていた。そのため病院側は、高岩が茂の父親と間違えたことがあったという[3]鳥取大学教育学部附属小学校鳥取大学教育学部附属中学校を経て、慶應義塾高等学校に進学。1975年慶應義塾大学法学部法律学科に入学する[2]。大学在学中の1976年には、全日本学生法律討論会で優勝した。1979年、慶應義塾大学を卒業し、三井銀行(現三井住友銀行)に入行[2]。石破の三井銀行入行に関して、三井信託銀行社長を務めた鳥取県出身の土井正三郎は、「昭和五十三年初夏の頃石破(二朗)さんから令息・茂君の就職について相談を受けたことがありました[4]。そのとき私は本人の志望会社を認められることを強調し、たまたま入社志望会社の人事担当役員が古くから親交がありましたので、石破(二朗)さんと一緒に訪ねたこともありました[5]。又、令息の学業、クラブ活動の成績等は極めて優秀、希望通り採用内定し、その通知を受けられた、ご両親のご安堵の程が察せられたことを想起しています[6]」と述べている。1981年、父・二朗が死去。父の死後、二朗の友人であった田中角栄から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められ、政界入りを志した[7]

衆議院議員[編集]

1983年三井銀行を退職し、田中角栄が領袖の木曜クラブ事務局に勤務する。1986年第38回衆議院議員総選挙自由民主党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選した。当時28歳で、全国最年少の国会議員であった[2]。なお、石破本人は田中派からの出馬を希望していたが、鳥取県全県区からは既に田中派の平林鴻三が選出されていたため、中曽根派の幹部であった渡辺美智雄を頼り、中曽根派から立候補した。以後、9期連続当選。1990年第39回1993年第40回衆議院議員総選挙では、鳥取県全県区でトップ当選する。1993年細川連立政権が推進した政治改革関連4法案をめぐり、野党に転落した自民党の方針に反して賛成し役職停止処分を受けたため、自民党を離党。改革の会に参加し、改革の会・新党みらい柿澤自由党が合流した自由改革連合を経て、新進党結党に参加した。しかし、1995年に新進党党首に選出され、国連中心主義を唱える小沢一郎安全保障政策に失望し、1996年第41回衆議院議員総選挙を前に単身、新進党を離党。総選挙では新設された鳥取1区から無所属で出馬し、過半数を上回る得票で圧勝した。以後6度、鳥取1区では対立候補に1度も比例復活を許さず、当選を続ける。2000年第2次森内閣農林水産政務次官に任命され、2001年第2次森改造内閣では防衛庁副長官に任命される。

小泉政権[編集]

元々、石破は農水族として地歩を築いてきたが、自身も「国防がライフワーク」と語るように「新国防族」などと称され、外交安全保障に精通する政策通で知られていた。拉致議連の会長を務めた後、2002年第1次小泉内閣第1次改造内閣防衛庁長官に任命され、初入閣した。防衛庁長官在任中はアメリカ同時多発テロ事件の発生による有事法制の制定や、陸上・航空自衛隊のイラク派遣に取り組んだ。

福田政権[編集]

安倍晋三の退陣に伴う2007年自由民主党総裁選挙では福田康夫を支持し、福田が総裁に選出される。福田康夫内閣では防衛大臣に任命され、約3年ぶりに防衛省へ赴任する。翌2008年、福田首相の退陣に伴う自由民主党総裁選挙に出馬し、25票を獲得するも立候補者5人中最下位に終わった(当選者は麻生太郎)。

麻生政権[編集]

2008年麻生内閣農林水産大臣に任命される。農林水産大臣は松岡利勝(自殺)、赤城徳彦(辞任)、遠藤武彦(辞任)、太田誠一(辞任)ら前任者の多くが不祥事に見舞われていたが、石破は特に目立った不祥事を起こさず、約1年間、農林水産大臣を務めた。2009年第45回衆議院議員総選挙では与党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、鳥取1区で民主党の新人に比例復活すら許さない大差をつけ、8回目の当選を果たした。鳩山由紀夫内閣の発足に伴い、農林水産大臣を退任。

野党時代[編集]

2009年9月、自民党の野党転落後に行われた自民党総裁選挙では、前回の総裁選の対立候補であった与謝野馨から立候補を促され、マスメディアも石破の立候補を有力視していたが、前回総裁選の推薦人であった議員20人のうち13人が落選し、推薦人集めの難航が予想されたため、立候補を断念。谷垣禎一財務大臣への支持を表明し、総裁に選出された谷垣の下で自由民主党政務調査会長に起用された。自民党鳥取県連の関係者によれば、党三役入りした鳥取県選出議員は石破が初めてであった[8])。政調会長就任に伴い、所属していた額賀派を離脱した。

2010年4月22日の記者会見において、自民党を離党した与謝野馨、園田博之らが参加する新党たちあがれ日本について「私自身、新党「たちあがれ日本」に参加した与謝野馨園田博之とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」「たちあがれ日本とは、「民主党の過半数を阻止しなければならない」という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」[9]と述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、講演でも「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ[10]」と述べ、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。同年9月、自民党政調会長に留任。

2011年9月、党役員人事により自民党政調会長を退任(後任は茂木敏充)。政調会長退任後は所属していた額賀派には復帰せず、同年12月に派閥横断型政策勉強会「さわらび会」を立ち上げた。衆議院予算委員会野党筆頭理事、自民党安全保障調査会長に就任。

2012年9月10日自由民主党総裁選挙への出馬を表明[11]9月26日に実施された投開票では、1回目の投票で立候補者5人中トップの199票(地方票165票、国会議員票34票)を獲得し、特に地方票では2位以下の候補を大きく引き離したが、過半数の確保には至らなかった。国会議員のみによる2回目の投票では、大きく上積みし89票を獲得するも、108票を獲得した安倍晋三元首相に敗れる[12]

自由民主党幹事長[編集]

自由民主党総裁に選出された安倍の下、無派閥ながら自由民主党幹事長に起用され[13]2012年第46回衆議院議員総選挙2013年第23回参議院議員通常選挙の陣頭指揮を執った。2013年1月、無派閥連絡会の立ち上げに参加する。一部のマスメディアや自民党議員からは「事実上の石破派立ち上げ」の声も上がったが[14]、石破本人はこれを否定している[15]

第2次安倍政権[編集]

2014年9月3日第2次安倍改造内閣発足に先立ち、安倍は石破に対し、新設する安全保障法制担当大臣への就任を打診していたが、石破は8月25日にラジオ番組に出演し、安全保障法制担当相への就任を辞退する意向を明言し、内閣改造後も引き続き幹事長職に留まりたい意向を表明した[16]。しかし「幹事長が公の場で人事の希望を言うなど前代未聞」等、石破に対する批判が高まり、自民党参議院幹事長脇雅史は「個人の見識があるのは当然だが、内閣、組織の意向に従うのが常識だ」と苦言を呈した[17]。安倍はさらに、挙党体制の確立のため石破に安全保障法制担当相以外での入閣を打診し[18]8月29日に正式に会談した際、石破もこれを受け入れた[19]9月3日に発足した第2次安倍改造内閣では、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)及び「元気で豊かな地方の創生のための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣に任命された[20]

政策・主張[編集]

外交・安全保障[編集]

自民党きっての外交・安全保障の論客、政策通で知られるが、「軍事オタク」[21]「防衛オタク」[22]の評もある。

防衛庁長官就任後、情報収集機関の調査隊を改組し、防衛庁長官の直轄部隊の情報保全隊を組織した。

徴兵制度の利点を認める発言を行っているが、日本での実際の徴兵制の導入については否定している。自民党の憲法改正草案で当初「徴兵制度の禁止」を謳った条文が想定されていたが、石破らの「国家のために生命を懸けることができないような国家を、果たして国家と呼べるのか?」という批判で消滅した。

自衛隊を機動的に動かせるような法改正を繰り返し主張しており、特に北朝鮮有事の際の邦人救出の必要性を強調している。2008年の自民党総裁選挙に立候補した際は「動乱が起き、北朝鮮の(日本)国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は(国内法の制約で)助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べた[23]。2013年1月27日には、同月に発生したアルジェリア人質事件を受けて、「日本人の生命、財産を守るのは国家の当然の責務。必要最小限の武器使用は(憲法が禁じる)武力行使ではない」と述べ、在外日本人を緊急時に自衛隊が救出するために武器使用基準を緩和すべきと主張した[24]

2010年5月23日、テレビ番組で「将来的に日本のような島国海兵隊が無いのはおかしなことだと思っている」と述べ、日本も海兵隊を持つべきだと主張した。また、日本が海兵隊を持った場合、日本の海兵隊がアメリカ海兵隊と共同で活動する可能性にも言及した[25]

来日したアメリカ合衆国国防長官(当時)のドナルド・ラムズフェルド(右)と記者会見に臨む防衛庁長官時代の石破(2003年11月15日)
来日したアメリカ合衆国国防長官のロバート・ゲーツ(左)と握手を交わす石破(2007年11月8日)
ロバート・ゲーツ(右)と(2007年11月8日

外交問題では硬軟織り交ぜた見解を表明しており、朝日新聞社の論壇誌『論座』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、北朝鮮への単独制裁に対して疑問を呈している。内閣総理大臣靖国神社への参拝にも反対を表明し[26]、靖国神社からの「A級戦犯の分祀」を主張している[27]

農政[編集]

初入閣は防衛庁長官であり、防衛庁長官・防衛大臣を通算で3年以上務め、政調会長就任後も予算委員会では主に外交・安全保障を中心に質疑を行っていたため外交・安全保障の政策通の一面ばかりが注目されがちであるが、元々は農水族であり、農水政務次官を2度務めた。自身の農政への取り組みについて、「農家から防衛しか知らないと思っていたと言われた、農林水産問題を語ってもメディアが報じてくれない」と述べている[28]

経済[編集]

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉について「参加しない選択はあり得ない」と述べ、交渉参加に賛成する考えを示しており[29][30]、自身のブログにおいて「総選挙において『わが党が政権を担当すればTPP交渉からは直ちに離脱する』とでも公約するつもりなのか。そこまでの覚悟があるのならそれはそれで構いませんが、私はそのような公約をすることには反対です」と表明している[31]。一方で「国益を損ねて、重要産業を壊滅させてまで(TPP交渉を)まとめる必要性はない」と述べ、「安易な妥協はすべきでない」という見解を表明した[32]

教育[編集]

論座』への寄稿において、「愛国心は国が政策面で強制するものではない」という理由から改正教育基本法への愛国心の明文化に反対する意向を表明した。なお改正教育基本法には「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と愛国心教育について明記された。

皇室[編集]

2009年12月の天皇特例会見問題では、石破が委員長を務める「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」は民主党政権の対応を「陛下の政治利用にあたる」と指摘[33]。石破は民主党政権の対応を「かなり異例[34]」「大事じゃない国はルール通りだが、大事な国はひっくり返して会見するのは政治判断だ。そういうことをしていいのか[35]」「(ルールが)時の政府の意向で左右されることであってはいけない[36]」と民主党政権を重ねて批判した。

2010年2月25日鳩山由紀夫内閣天皇の公的行為に関してまとめた統一見解[37]に関し、官房長官平野博文(当時)が記者会見で「本来、憲法で言っている概念からいくと、天皇は国政に関する権能を有しないので、政治利用が存在することはあり得ない」と述べ、天皇の政治利用はそもそも存在しないとしたことに対し、石破は「ルールはいらないというなら、憲法の趣旨や陛下の立場を無視した考えられない見解だ」と述べた[38]

外国人参政権[編集]

2010年の自由民主党大会で、永住外国人への地方選挙権付与について、「憲法上の議論が多く残り、国民的議論も成熟していない。私どもは拙速な法案成立に断固反対する」と述べ、党として法案に反対する考えを表明、また「(憲法上の)住民とは日本国民をさすと考えており、私どもは多くの疑義があると考えている。国の形そのものにかかわる問題だ」[39]、「この問題は国の形そのものにかかわるものだ。憲法のあり方からしても、拙速な法案成立には断固反対していく[40]」と述べた。

選択的夫婦別姓法案関連[編集]

民主党主導の選択的夫婦別姓案に反対している。2010年3月3日の記者会見で、民主党が目指す選択的夫婦別姓の導入を含む民法改正案について「これを待ち望む人々のニーズに応えながら、法案には反対だという姿勢を示したい」と述べた。また、自民党内の選択的夫婦別姓に賛同する動きについて「党内には(民主党が推進する選択的夫婦別姓の)問題点が理解されず、『まあ、いいじゃないか』という風潮があるのも事実だ」と述べた[41]

人権侵害救済機関[編集]

2011年3月3日部落解放同盟の全国大会に来賓で出席した際、石破は部落解放同盟が求める人権救済機関創設のための法整備に意欲を示し、「法律を制定することに与党野党もない」と述べた。一方、2012年自由民主党総裁選挙に際しては、民主党政権が法案提出を準備していた人権侵害救済法案には反対する意向を表明しながら、何らかの人権保護措置の必要性を主張した[42]

子ども手当[編集]

民主党の政策である子ども手当について、子どもを母国に残した在日外国人も対象になっていることに触れ「(在日外国人であるが)子どもさんは国外にいる。そして、子どもさんは日本国籍を有していない。どう考えても、こういう方々に対して、日本国民の税金を使って支給すべきではない」と述べている[43]

発言[編集]

「自衛隊は『自閉隊』」
防衛庁長官在任中の2004年3月16日に、自衛隊についての発言で「今まで半分やゆ的に自閉隊と言われていたところがある。自閉症の子供の自閉と書いて自閉隊だ」と述べた[44][45]。石破は、発言について「世間でそのように自衛隊を非難する人がいると言っただけ。自衛隊が内にこもっては駄目だという意図だ」と説明した[46]が、自閉症に対する認識不足であるとの批判を浴び[45][47]、3月19日に発言を陳謝した[48]
「未確認飛行物体(UFO)の存在は確認していない」
防衛大臣在任時、UFOの存在を日本政府としては確認していないという公式見解を表明した[49]
田母神論文
田母神俊雄航空幕僚長(当時)の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。自身のブログでも、かつての部下である田母神を批判した[50]
「鳥取、島根は日本のチベット」発言への批判
民主党選挙対策委員長(当時)の石井一の「鳥取・島根は日本のチベット」発言に対し「日本海側の人間はかつて裏日本と言われ悔しい思いをしてきた訳で、地域の人を見下す対応をする人が選挙を仕切っているのが民主党のやり方だ」と批判した[51]
「自衛隊は暴力装置」
2010年11月18日参議院予算委員会において、仙谷由人内閣官房長官が「暴力装置でもある自衛隊」と述べたことから審議が紛糾して発言の撤回・謝罪に追い込まれた件に関連し、2009年3月30日、現職の農林水産大臣であった石破も民間のシンポジウムにて「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べていた[52]ことが指摘された[53]。この点について石破は、2010年11月19日に自身のブログにて、北朝鮮がなぜあのようなテロ行為を引き起こすのかを説明する上で、政治学上の定義を引用したに過ぎず、自衛隊を名指ししたものではないと釈明した[54]。ただし石破は、清谷信一との共著である『軍事を知らずして平和を語るな』(2006年)にて、暴力装置に自衛隊も含まれるとの旨を以下のように明確に述べたことがある[55]
2008年1月29日付の「世界新聞報」に掲載された発言[56]
私は防衛庁長官時代にも靖国神社を参拝したことがない。第二次世界大戦の時に日本の戦争指導者たちは、何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから私は靖国神社に参拝しない、あの戦争は間違いだ、多くの国民は被害者だ
日本には南京大虐殺を否定する人がいる。三十万人も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという。何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ
日本には慰安婦についていろいろな見解があるが、日本軍が関与していたことは間違いない。
日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは、侵略戦争に対する一種の詭弁だ
(中国は日本に対する脅威であるから対中防衛を強化せよという人たちは)何の分析もしないで、中国は日本に対する脅威だと騒いでいる
日本は中国に謝罪すべきだ
2011年福島第一原子力発電所事故を受け、長年にわたり原子力発電を推進し、電力会社や原発を製造したメーカーから多額の献金を受け取っていた自民党の責任について[57][58][59][60]
誰が悪い、彼の責任だと言っても詮無き事
東電社員の叱責は事態改善をうながすことにならぬ
福島原発事故は政府による災害だ
人体に影響を与えるような汚染のレベルにはほど遠い
森本敏の防衛大臣への任命について
野田第2次改造内閣において、保安庁防衛庁時代を含め史上初の民間人から防衛大臣に任命された森本敏拓殖大学大学院教授について「政治家でない以上、責任はとれない」と批判する一方、森本の能力自体は高く評価しており、森本や長島昭久との共著でも「森本先生みたいな方に、政治任用で安全保障担当補佐官になっていただきたいのです。有為な人材を得る。それは何も、政治家でなければいけないということではない」「政治任用といっても、別に政治家である必要はありません。ローレスにしても、別に上院議員ではないですから。それは防衛参事官制度にも共通して言えることですが、政権と運命を共にする人であれば、政治家である必要はまったくない。政治家の論功賞のポストでも何でもないわけですから」と述べている[61]
「デモの絶叫戦術はテロ行為」
2013年11月29日、自身のブログにおいて、特定秘密保護法案への反対を訴える国会議事堂周辺のデモについて、「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう」「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において余り変わらないように思われます」との見解を表明した[62]。これに対し、石破の見解を批判する声が上がり[63]12月2日のブログのエントリで「整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです」「一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います」とした上で、「『一般市民に畏怖の念を与えるような手法』に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、『テロと本質的に変わらない』と記しましたが、この部分を撤回し、『本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います』と改めます」とした。そして「自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます」[64]と釈明した。同日、菅義偉官房長官が「誤解を招かないように一部を撤回するなど、真意をきちんと説明した」、同法案を担当する森雅子少子化担当相も「市民のデモ活動はテロに該当しない」と述べた[65]。一方、野党各党は「言語道断の暴言」と抗議し、東京新聞は社説で「デモ活動がテロ行為であろうはずがない。デモは有権者による意思表示の重要な手段で、憲法も表現の自由を保障する。デモの持つ重みを理解していないのなら、あまりにも鈍感で、政治家失格だ」と批判した[66]

人物[編集]

信仰[編集]

クリスチャンプロテスタント)である。父は浄土宗西橋寺の信徒で仏教徒だったため、故郷にいる時には父祖の墓参りを欠かさなかったが、母方が曽祖父金森通倫から続くキリスト教徒であったため、教会附属の幼稚園に通い、18歳のときにプロテスタント系では日本最大の組織である日本基督教団鳥取教会洗礼を受けた。石破は「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた」と述べている[67]

趣味・嗜好[編集]

  • 高校時代からアイドル歌手グループキャンディーズの大ファンであり、中でもミキ(藤村美樹)がお気に入り。2007年11月15日守屋武昌元防衛事務次官に対する証人喚問において、久間章生額賀福志郎両名の名前が出た日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した[68]。メンバーの一人で解散後女優に転向した田中好子が2011年4月21日に死去した際には「本当の同時代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達を亡くしたような思いだ」とコメントした[69]
  • 軍事オタクにしてミリタリー系プラモデルの愛好家。静岡ホビーショーにおける自衛隊車輌展示も、石破の働きかけにより実現したものである。少年時代は自動車タクシーSLが大好きなマニア、鉄道マニアでもあった。現在でも戦車戦闘機プラモデルを集めるのが趣味のようである。防衛庁長官時代、ロシア国防大臣が訪日した際に大臣を喜ばせるために2日間徹夜して空母アドミラル・クズネツォフの模型を組み上げた(防衛庁長官就任に際し「在任中のプラモデル制作の我慢」を自戒していたが、これを機に自戒を破っている)。石破自身は「子供のころから戦車、戦闘機、軍艦といった、乗り物が好きで、国防や外交について『筋金入りのオタク』という意見や批判はいささか買いかぶりのような気がしてならない」と述べている[70]
  • 鉄道ファンでもあり、ブルートレイン銀河」の廃止の際、寝台券が入手できず残念がった。2010年3月に寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」が廃止された際にもテレビ番組のインタビューに答えている。現在でも鳥取・東京間の往復に寝台特急サンライズ出雲瀬戸」、特急スーパーいなば」を利用する姿がたびたび報じられている。雑誌『週刊プレイボーイ』(集英社)2009年2月16日号のインタビュー記事では、「寝台車で過ごす時間は側近にも邪魔されず、好きな事をして過ごせるとても楽しい時間だ」と述べている。2013年にあけぼのの廃止及びブルートレインの全面廃止方針が報じられた際には、ブログ上で「暗澹たる気分になっています」と述べている[71]

交友関係[編集]

  • 2012年から2年間、総裁・幹事長の立場で連携したが、安倍晋三と石破との関係は決して良好ではないとされ、「いまだに腹を割って話す関係にない。目も合わせないこともある」との評もある[72]。この背景には、2007年第21回参議院議員通常選挙での自民党の大敗を受け、石破が安倍を痛烈に批判し、公然と退陣を迫ったことがあるとされる[73]
  • 2012年9月に自由民主党幹事長に就任して以降、公明党幹事長の井上義久とプライベートでも親交を深め、同年9月には劇団四季ミュージカルコーラスライン』を揃って観劇した。観劇には石破の妻も同行し、観劇後には和食料理店で会食もしている。石破は井上について「井上さんも私も堅物ですよね。理屈が通らないことは嫌い、駆け引きはできないが人を裏切らない、たぶらかさない。そのあたりが互いに分かって、気が合ったんじゃないかな」と述べた[74]
  • 民主党前原誠司衆議院議員は同じ鳥取県出身であり[75]、外交・安全保障の政策通、内閣総理大臣の靖国神社参拝反対、鉄道マニア、プラモデル愛好家等、共通点が多く、共著も出版している[76]。石破の2008年自由民主党総裁選挙への出馬のきっかけは、前原との会話が間接的な原因でなったとする報道もある[77]。また菅政権下では民主・自民・公明3党の枠組みでの政策協議が積極的に行われたため、菅政権で政策調査会長を務めた玄葉光一郎とも親しい。

不祥事[編集]

年金未納[編集]

防衛庁長官在任中の2004年年金未納問題が発覚した際に石破自身も2年2ヶ月の未納が発覚し、菅直人により「未納3兄弟」の1人に数えられた(後に1年8ヶ月分を納付)。

政治資金[編集]

東京電力からの献金[編集]

東京電力や関連企業がパーティー券購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが報じられた。議員秘書等から依頼に応じパーティー券を購入し、一回あたりの購入額を政治資金収支報告書に記載義務のない20万円以下にして東電からの資金の流れが表面化しないようにしていた[78]

道路運送経営研究会からの献金[編集]

道路特定財源が資金源の一つになっている道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[79]

在日韓国人が経営するパチンコ企業からの献金[編集]

石破が代表を務める自民党鳥取県第1選挙区支部が、在日韓国人が経営する鳥取市内のパチンコ企業から2006年から2011年にかけて合計75万円の政治献金を受けていたことが2012年10月に報じられた[80][81]。石破側は2011年3月に、この企業の経営者が韓国籍であることが判明したため、外国人が株式や出資金の過半数を保有する企業からの献金を禁じている政治資金規正法に抵触すると判断し、全額を返金していた[80]。石破は、献金者は日本名を使用しており、韓国籍とは知らなかったと説明した[82]

所属団体・議員連盟[編集]

家族・親族[編集]

父・石破二朗(後列左端、大正10(1921年)3月、殿尋常高等小学校卒業式記念写真)

石破家[編集]

父・石破二朗
本所厩橋警察署長の正装
昭和12(1937年春)
石破二朗
建設省事務次官当時
1956年(昭和31年)11月)
鳥取県八頭郡八頭町郡家殿鳥取市
石破家は鳥取県八頭郡大御門村大字殿(旧郡家町大字殿、現八頭町郡家殿)の農家だった。八頭町郡家殿は、集落の半数が“石破姓”で、同町は農林業が基幹産業である[83]
明治7年(1874年)生〜 昭和17年(1942年)没。
明治41年(1908年)7月〜昭和56年(1981年)9月没。

臼井家[編集]

鳥取市
臼井宗(教育者)は父・二朗の長姉の夫。『続 因伯の医師たち』(森納著) p.88-90によると、「臼井家はもと高田姓を名のっていた。八東郡下私都村峰寺に代々を業として住み、時には御殿医としてに仕えたこともあった。臼井家六代目宗順(宋順)の時に峰寺より中私都村市場に移った。宗順に医家を継ぐ男子なく三女のちよに八上郡本角村の医師田淵養玄の二男幾蔵を迎えて婿養子とした。幾蔵の二男宗は教職につき丹比小学校長等をつとめた。宗の子宗雄は鳥取市で眼科医院を開業している。」という。
父・石破二朗(後列右、昭和14(1939年)夏)

金森家[編集]

熊本県玉名郡天水町[85]託麻郡本山村[85]東京都
安政4年(1857年)8月生〜昭和20年(1945年)3月没。

略系図[編集]

 
 
 
 
臼井幾蔵
 
臼井宗
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
里喜
 
 
 
 
 
石破常七
 
石破市造
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山田松太郎
 
マサ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
石破二朗
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
石破茂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
金森通倫
 
金森太郎
 
和子
 
 
 
 
 
 

著作[編集]

単著[編集]

  • 『職業政治の復権―混迷からの脱出 それは無党派層がめざめるとき』(1995年、サンドケー出版局
  • 『国防』新潮社 2005 のち文庫 
  • 『国防入門』(漫画・原望、2007年、あおば出版
  • 『国難 政治に幻想はいらない』新潮社、2012 
  • 『日本を、取り戻す。憲法を、取り戻す。』(2013年、PHP研究所

共著[編集]

論文[編集]

参考文献[編集]

  • 「回想録 石破二朗 追想篇」(石破二朗回想録刊行会、1982年)
  • 「『いじめられっ子』石破茂の逆襲」山村明義 (『文藝春秋』2004年5月号)
  • 「国防」石破茂(新潮社、2005年)ISBN 4104737011
  • 「新訂現代政治家事典―中央・地方の政治家4000人」(日外アソシエーツ、2005年) ISBN 4816918922
  • 「生粋の愛読者が抱く『正論』『諸君!』への違和感」石破茂(『論座』2006年8月号)

脚注[編集]

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  1. ^ 日外アソシエーツ編『新訂現代政治家事典―中央・地方の政治家4000人』(日外アソシエーツ、2005年)40-41頁。
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  5. ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』422-423頁
  6. ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』 423頁
  7. ^ 国防 77頁
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  9. ^ “たちあがれ日本と共同歩調も”. NHKニュース. (2010年4月14日). http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100414/t10013832351000.html 2010年4月15日閲覧。 [リンク切れ]
  10. ^ “「衆参ダブル選の可能性高い」と石破氏 「たちあがれ日本」との連携も模索”. 産経新聞. (2010年4月14日). http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100414/stt1004142044010-n1.htm 2010年4月15日閲覧。 
  11. ^ “石破氏が出馬表明”. 共同通信. (2012年9月10日). http://www.47news.jp/movie/general_politics_economy/post_7664/ 2012年9月10日閲覧。 
  12. ^ “自民新総裁に安倍氏=決選で石破氏を逆転-結党以来初の再登板”. 時事通信. (2012年9月26日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012092600599 2012年9月26日閲覧。 
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  19. ^ “石破氏、入閣を受諾 「トップの決定に従う」”. 日本経済新聞. (2014年8月29日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS29H1B_Z20C14A8MM0000/  2014年9月21日閲覧。 
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  21. ^ 石破茂 『軍事を知らずして平和を語るな』 ベストセラーズ、2006年ISBN 978-4584189672
  22. ^ 『神道時事問題研究』 2010年2月1日
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  47. ^ “自衛隊は「自閉隊」 石破防衛庁長官が発言”. 中日新聞. (2004年3月17日) 
  48. ^ “「自閉隊」発言を陳謝 引用不適切だったと石破氏”. 共同通信社. 47NEWS. (2004年3月19日). http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004031901000961.html 2011年6月27日閲覧。 
  49. ^ 質問主意書
  50. ^ 田母神・前空幕長の論文から思うこと - 石破茂オフィシャルブログ 2008年11月5日、文民統制 - 石破茂オフィシャルブログ 2008年11月10日(2010年11月28日閲覧)
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  53. ^ このシンポジウムには、当時の民主党の副代表であり、仙谷の「暴力装置」発言の時点における幹事長である岡田克也ら複数のパネリストも参加していたが、石破が警察や軍隊を「暴力装置」と表現した点について、特に誰からも問題視されなかった。
  54. ^ 週末日程、「暴力装置」発言 - 石破茂オフィシャルブログ 2010年11月19日
  55. ^ 『「暴力装置」は「差別用語」か?』 清谷信一 - asahi.com Astand RONZA 2010年11月19日
  56. ^ WiLL』2008年6月号渡部昇一「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」
  57. ^ 中央公論2011年5月号
  58. ^ 【放射能漏れ】「事態改善をうながすことにならぬ」首相の東電社員叱責に自民・石破氏が批判 - SankeiBiz
  59. ^ しんぶん赤旗 2011年4月19日
  60. ^ 原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態 電力会社幹部は3年間で5600万円を自民党政治団体に献金、「味方作り」を推し進めてきた現代ビジネス
  61. ^ 「国防の論点 日本人が知らない本当の国家危機」PHP研究所115頁。
  62. ^ 沖縄など - 石破茂オフィシャルブログ 2013年11月29日
  63. ^ “「本音出た」「反対抑圧」 石破氏の「テロ行為」発言に厳しい批判”. 産経新聞. (2013年12月1日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131201/plc13120119040007-n1.htm 2014年9月21日閲覧。 
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  66. ^ “「テロ」と石破氏 デモの重み感じぬ鈍さ”. 東京新聞. (2013年12月2日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013120302000151.html 2014年9月21日閲覧。 
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  68. ^ 週刊文春』(文藝春秋2007年11月29日号26-28頁「石破大臣が歓喜のキャンディーズ熱唱-守屋喚問、久間、額賀実名暴露の夜に」
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  74. ^ そろってミュージカル鑑賞も!安倍政権を裏で支える石破&井上・自公幹事長の「蜜月」に要注目| 田崎史郎「ニュースの深層」|現代ビジネス [講談社]
  75. ^ 前原本人は生まれも育ちも京都府だが、父祖の地は鳥取県(父は境港市、母は日野郡日南町出身)。
  76. ^ 『石破茂・前原誠司ほかが集中講義!日本の防衛 7つの論点』2005年、宝島社、ISBN 978-4796647892
  77. ^ “【自民総裁選】続々名乗り、麻生氏苦虫”. 産経新聞. (2008年9月6日). http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080906/stt0809060053000-n1.htm 2008年9月6日閲覧。 
  78. ^ “東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入”. 朝日新聞. (2012年1月8日). http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201201070496.html 2012年3月28日閲覧。 
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  80. ^ a b “石破氏に外国人献金 3社から75万円、全額返金”. 共同通信社. 47NEWS. (2012年10月18日). http://www.47news.jp/CN/201210/CN2012101801000740.html 2012年10月19日閲覧。 
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  82. ^ “石破氏「外国人と知らず」 献金問題で”. 共同通信社. 47NEWS. (2012年10月18日). http://www.47news.jp/CN/201210/CN2012101801001122.html 2012年10月19日閲覧。 
  83. ^ asahi.com(朝日新聞社):〈09総選挙〉鳥取1区 石破・農林水産相の「ふる里」八頭 - 2009総選挙
  84. ^ 中村明氏死去 石破茂農相の義父 - mediajam
  85. ^ a b 金森通倫(tsuushin_main)
  86. ^ 赤間剛 『フリーメーソンの秘密 世界最大の結社の真実』 三一書房 1983年8月 85-86頁
  87. ^ 『回想録 石破二朗 追想篇』421頁

関連人物[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
新藤義孝
日本の旗 特命担当大臣国家戦略特別区域
第2代:2014年 -
次代:
現職
先代:
町村信孝(臨時代理)
日本の旗 農林水産大臣
第49代:2008年 - 2009年
次代:
赤松広隆
先代:
高村正彦
日本の旗 防衛大臣
第4代:2007年 - 2008年
次代:
林芳正
先代:
中谷元
日本の旗 防衛庁長官
第68・69代:2002年 - 2004年
次代:
大野功統
先代:
創設
日本の旗 防衛庁副長官
2001年
次代:
萩山教嚴
議会
先代:
大野功統
日本の旗 衆議院運輸委員長
1998年 - 1999年
次代:
仲村正治
党職
先代:
石原伸晃
自由民主党幹事長
第46代:2012年 - 2014年
次代:
谷垣禎一
先代:
保利耕輔
自由民主党政務調査会長
第52代:2009年 - 2011年
次代:
茂木敏充