田母神俊雄
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| 田母神 俊雄 | |
|---|---|
| 1948年7月 - | |
| 生誕地 | 福島県郡山市 |
| 所属政体 | |
| 所属組織 | |
| 軍歴 | 1971 - 2008 |
| 最終階級 | 空将(退職時) 航空幕僚長たる空将(最高位) |
| 指揮 | 航空総隊司令官 統合幕僚学校長 第6航空団司令 |
田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年7月 - )は、日本の軍事評論家。元航空自衛官で第29代航空幕僚長。
目次 |
[編集] 略歴
1948年(昭和23年)福島県郡山市で生まれる。福島県立安積高等学校から防衛大学校に入学。卒業後航空自衛隊に入隊。職種は高射運用。
第6航空団司令、統合幕僚学校長、航空総隊司令官の要職を経て、2007年(平成19年)3月28日、航空幕僚長に就任。
2008年(平成20年)10月31日、自身の論文にて集団的自衛権の行使を日本国憲法違反とする政府見解や1995年(平成7年)8月15日発表の村山談話と異なる主張を発表した(詳細は後述)ことなどが問題視されたことを受け、航空幕僚長の職を解かれ航空幕僚監部付に[1]。62歳定年の航空幕僚長たる空将(軍隊の大将相当)でなくなったことにより一般の将(同中将相当)と同様の60歳定年が適用され、11月3日を以て定年退官となった。同年11月11日、参議院外交防衛委員会に参考人として招致される。この委員会において論文内容を否定するつもりはないことを改めて強調した[2]。これら一連の経過は、報道によって世間の注目を集めた。
[編集] 主張
安全保障など政治問題に対しても直接的な発言をすることで知られており、時には論議を呼ぶ発言をすることもある[3]。「航空自衛隊幹部学校幹部会の隊内誌『鵬友』でも「航空自衛隊を元気にする10の提言」(連載全4回 2003年7月号から04年9月号まで)、「日本人としての誇りを持とう」(07年5月号、幕僚長着任後)など、侵略の意図を否定し、“正しい歴史認識を”と繰り返し主張し続けている」としんぶん赤旗は報じている[4]。
[編集] 名古屋高裁の傍論に対する発言
自衛隊のイラクでの活動に対する違憲の確認と派遣の差し止め、及び損害賠償を求める訴訟に対し、名古屋高等裁判所[5]は控訴人の請求はいずれも不適法であるとして棄却を言い渡したが、傍論として航空自衛隊の一部の活動を違憲[6]とする見解を示した[1] [2]。同判決について、原告側は判事の「傍論」を以って「実質勝訴」だったという見解を記者会見の場で示している[7]。
当時航空幕僚長を務めていた田母神は、2008年4月18日の定例会見で判決が現地で活動する隊員に与える影響を記者から問われると、「純真な隊員には心を傷つけられた人もいるかもしれないが、私が心境を代弁すれば大多数はそんなの関係ねえという状況だ」と発言した[8]。この発言が報道で取り上げられたことに対し、後日「表現が不適切であり、判決自体には異論を述べる趣旨ではなかった」と釈明している[9]。田母神によれば、この発言の意図は笑いを取るつもりであったが、一部のマスコミから「危険人物」と言われてしまったという[10]。
当時の防衛大臣石破茂が当時流行していたお笑い芸人小島よしおのギャグを意識して言ったのではないと本人から聞いたということや、会見録からも茶化して言ったという感じではないということを衆議院安全保障委員会で述べている[11]。ただし、一種の舌禍事件となったため本人の意図に関係なく「そんなの関係ねえ」との発言のフレーズだけが、その後も多くのマスコミで繰り返し引用され[12]報道された。
国会においてもこの発言に関する質問主意書が提出されたが、政府は、国側勝訴の判決と説明を加えた上で、憲法九条に違反するとの傍論の部分は「判決の結論を導くのに必要のない傍論にすぎず、政府としてこれに従う、従わないという問題は生じないと考え」ており、田母神の発言は「政府と同様のこのような認識に立った上で〔中略〕必ずしも正確な表現ではないが、自らの言葉でこのような発言をしたものと承知している。しかし、憲法上は裁判所の判決に政府が従う必要はないため、「同じ三権の意見を尊重するか」という問題であり、政府の発言は的外れだという指摘もある。また、防衛行政については、シビリアン・コントロールの下、法令に基づき、適切に行われている。」と答弁している[13]。
もっとも、裁判所における傍論の法的拘束力は下級審について及ばないのであり、権力分立主義の下では行政府や立法府は司法の判断を傍論であっても尊重する必要がある。そこで、かかる発言・答弁は無知・無教養に起因するものであるとの批判がある[14]。
なお、田母神は退官後の12月21日に名古屋でおこなった記者会見の際にも高裁判決について「全く関係ねえです」と再度発言。更には直後の日本世論の会愛知県支部主催の講演で「あの時に『オッパッピー』までやっておけばよかった」、「侵略国家との誤った歴史観を改めなければならない」[15]と述べた。
[編集] クラスター爆弾について
使用後不発弾が大量に発生する事が問題視されていたクラスター爆弾に対し、田母神は2007年5月25日の記者会見で、日本の長い海岸線を防御するのに有効であると発言[16]したがそのなかで「クラスター爆弾で被害を受けるのは日本国民。国民が爆弾で被害を受けるか、敵国に日本が占領されるか、どちらかを考えた時、防御手段をもっておくべきだ」とした。
[編集] 東京大学・五月祭にて
2008年5月24日、現職の自衛官として初めて、東京大学五月祭にて安田講堂で、「極東の軍事情勢と21世紀における我が国の針路」というテーマの講演を行い「将来リーダーとなる東大の学生の皆さんは高い志を持って燃えて欲しい。上が燃えないと組織は不燃物集積所になる」などの発言をした[17]。この講演に先立ち、講演がおこなわれることを知った石破は上記の「そんなの関係ねえ」発言を受け、「いいですか。あなたは一個人、田母神俊雄ではありません。私の幕僚です。政府見解や大臣見解と異なることを言ってはいけません。いいですね」と釘を刺した[18]。尚、当該講演においても、戦前日本の侵略国家性への疑問について、後述の懸賞論文に書かれていたような論拠を示しつつ、多くの時間を割いて主張した。
[編集] 核武装発言
アパグループの元谷外志雄代表と親交があり、政界や言論人が集う「日本を語るワインの会」に参加していた。2004年9月15日、会合に出席した航空総隊司令官(当時)の田母神は「中国に対抗する勢力を作り、それを中国に認めさせるためには、日本が自立した国となり核武装を行うことが必要なのかもしれない」「最初から『日本は核武装を絶対しない』と宣言するのは馬鹿げたことだ」などと発言したことが明らかになっている。この会合には民主党幹事長鳩山由紀夫夫妻も参加している[19](鳩山由紀夫#核武装議論を参照)。また、この時元谷が語った歴史観と後述の田母神の論文の内容と酷似していたとの指摘[20]もある。田母神は防衛の専門家として核武装は核抑止のための選択肢の一つとして述べているに過ぎず、NATOのようなニュークリア・シェアリング・システムを導入することも検討するべきだとしている。
[編集] 最優秀藤誠志賞受賞論文
[編集] 趣旨
- 「日本は侵略国家であったのか」
「「真の近現代史観」懸賞論文#「日本は侵略国家であったのか」」も参照
[編集] 受賞決定
田母神は、2008年10月31日、アパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』[21]に応募した「日本は侵略国家であったのか」[22]が最優秀藤誠志賞を受賞。「我が国はコミンテルンに動かされた蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」「張作霖列車爆破事件も(中略)少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。コミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている」「日米戦争はルーズベルトによる策略であった」「諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。」「アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速し、日本の伝統文化が壊されていく」とする説を展開した。なお、週刊新潮や朝日新聞など一部マスコミから、主催者と懇意にしていたため出来レースで受賞したなどと報道されたため、「金のために論文を書いたわけではない」として、12月8日に開かれた表彰式においては賞金300万円の受け取りを辞退し、賞状のみを受領している。
[編集] 公表後の波紋
田母神論文は「大東亜戦争は侵略戦争ではなく、中華民国やアメリカを操ったコミンテルンによる策謀が原因である」と主張するものであった。マスコミ等で、この論文の主旨が政府見解(村山談話、小泉談話)と異なる歴史認識とされ、それを外部に発表したこと、自衛隊最上層部への申請なく応募したとして、田母神は、浜田靖一防衛大臣から航空幕僚長の職を解かれて航空幕僚監部付となったうえで、60歳定年が適用され、11月3日を以て自衛隊を定年退官する事態となった。 浜田はこれについて、田母神が自ら辞職する意志もなく、また処分手続きに協力する見込みもないことから、田母神の空幕長としての定年である2009年1月21日までに懲戒手続きが終わる見込みがないため、早期に田母神を処分するためであったと説明している[23]。また、浜田靖一防衛大臣は、本件「懸賞論文は、先の大戦を巡る認識について、村山談話などに示されている政府見解と明らかに異なる認識が示されるとともに、憲法との関係でも不適切な部分がある」ことを理由として挙げている[23]。
日本テレビが行った電話によるRDD方式(乱数計算を基に電話番号を発生させて電話をかけ、応答した相手に質問を行なう)世論調査では政府の田母神に対する更迭措置に対し、「適切だと思う」が約60%、「適切だと思わない」が約22%と、更迭を肯定する数字が高かった[24]。
田母神論文は、近現代史の識者などから基本的な事実認識に誤りが多いと評され[25]、引用元である『盧溝橋事件の研究』の著者秦郁彦からは、「論文は事実誤認だらけだ。通常の懸賞論文コンテストなら、選外佳作にもならない内容だ」「事件の1発目の銃弾は(旧日本軍の)第29軍の兵士が撃ったという見解には触れもせず、『事件は中国共産党の謀略だ』などと書かれると誤解される。非常に不愉快だ」と批判されている[26]。防衛省関係者では、元防衛大臣の石破茂は田母神論文について「文民統制の無理解によるものであり、解任は当然。しかし、このような論文を書いたことは極めて残念」と自身のブログで見解を示している[27]他、防衛庁出身の評論家である太田述正は、「田母神氏の論文は、典拠の付け方や、典拠の選び方一つとってもシロウトの域を出ていません。しかも、内容的にも論理が首尾一貫していない箇所が散見されます。遺憾ながら、彼は、大将クラスの軍人のグローバルスタンダードに達していない無能な人物である、と申し上げざるをえないのです。」と批判している[28]。一方、懸賞審査委員長を勤めた渡部昇一や、西尾幹二などの田母神に近い歴史観を持つ保守系言論人が『WiLL』誌上などで弁護する論陣を張った。
インターネットのアンケート[29]やテレビ朝日の「朝まで生テレビ」での視聴者アンケートでは、田母神論文の内容についておよそ6割~8割弱が田母神論文を支持するという結果が出ている(ただし、一部のアンケート結果の信憑性については、週刊文春が「ヤフー・アンケート」で氏への支持が58%に上った事に関してヤラセであったと報道するなど、一部で疑問の声も上がっている[30])。
また田母神の支持者からは「『言論の自由』は隊員にはないのか」という批判も発生したが、自衛隊法六十一条によって[31]隊員の政治活動は制限されており、政治的表現を持つ言論には制限がある。また、防衛省改革会議に防衛省から提出された資料では「自衛隊員が、有する経験や専門的知識に基づき適切な形で意見を述べることは、我が国の安全保障にとって必要なことであると考えている。」としながらも「しかしながら、いかなる場合でも、自衛隊員、特に航空幕僚長のような幹部は、その社会的立場に留意し節度ある行動をとることは当然である。実力組織である自衛隊を運用し、任務を遂行するという重い責任を有している自衛隊員は、自らを格別に厳しく律する必要がある」とされており、自衛官、特に幕僚長という立場の重さを強調している[32]。
田母神は2008年10月31日付で航空幕僚長を解任され、同年11月3日付で同空将を退職している。
[編集] 退職後の動向
[編集] 2008年
2008年11月9日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』に出演予定であったが、田母神への参考人招致が11月11日午前に参議院外交防衛委員会でおこなわれるため、番組出演を見送った[33]。同番組には、元海上自衛隊幹部の惠隆之介が田母神の代わりに出演した。
11月24日深夜放送(11月14日収録)の『たかじんTV非常事態宣言』に電話出演をし、「表現の自由や言論の自由は認められているはずなのに、どうしてここまで大きな問題になったのか自分でも理解できない。村山談話を批判した発言だと言うが、論文では村山談話を批判しているわけではない。ただ、最近の日本は、昔の日本は悪かった、悪かったと言い過ぎなので、このままでは日本はダメになると思い、発言をさせていただいた」とコメントを述べた。
11月30日放送(11月28日収録)の『たかじんのそこまで言って委員会』に、松島悠佐(元陸将、現在は日本戦略研究フォーラム政策提言委員)、川村純彦(元海将補、現在は岡崎研究所の副所長・岡崎久彦でやはり日本戦略研究フォーラム政策提言委員)とともに出演した。ここの話題でも、「自衛隊が、いつまでも日本が悪いという自虐史観を持っていては、自衛隊の精神が持たない」と述べた。また、核武装についても、「日本が唯一の被爆国であることから、きちんと核武装するかしないかの国会での議論はすべきだ」とコメント。本人は、「戦争、武力によって弾圧することはいけない。しかし、ただ、言論を述べただけなのに、こういう目に遭うのは困る」とコメントした。
表彰式のおこなわれた12月8日、日本テレビ系列のニュース番組『リアルタイム』に拓殖大学大学院教授の森本敏とともに生出演し、約20分間にわたり討論を展開した。
12月23日、日本会議熊本が主催して熊本市内で行われた「村山談話の撤回を求める熊本県民集会」講演で「制服自衛官の99%が私を支持していると思う」と主張した[34]。
12月26日放送の日本テレビ系列の『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』のスペシャル番組『太田総理の証人喚問!2008年世間を騒がせた21人を徹底追及SP』に出演。登場時証人席でいきなり敬礼し「危険人物の田母神です」と発言し、その後「田母神論文問題」について証人喚問され、自身の歴史観など一連の真意について語った。
また、同日発行のフライデーで田母神は「2年前に防衛大学校長が、新聞紙上で自衛隊のイラク派遣反対の意見や小泉総理(当時)の靖国神社参拝反対の意見を公表しました。防大校長も自衛隊員ですが、その発言の責任を問われる事はありませんでした」と反発した[35]。防衛大学校校長は身分としては防衛省(当時は防衛庁)職員となるが、自衛官ではないという[36]。
西原正は校長在任期間中に小泉首相の私的懇談会「対外関係タスクフォース」に参加しており、当時の五百籏頭真校長も福田内閣の外交政策勉強会、防衛省改革会議に参加するなど政策提言者としての行動を行っている。なお、2004年3月の海上自衛隊幹部候補生学校の卒業式では石破茂防衛大臣は「自衛官は政治に関与してはならないが、政治に対して関心を持つべきだと私は思う。 (略) 専門的な立場で意見を申し述べることは諸官の権利であり、同時に民主主義国家における自衛官の義務だと思っております。」(「文藝春秋」2009年1月号)と述べている[37]。
[編集] 2009年
2月19日、日本の前途と歴史教育を考える議員の会に招かれて自民党本部で行なった講演では、改めて自分の正当性を主張。石破から“空幕長ともあろう人があんな偏った歴史観では困る”と苦言を呈されたことに触れ「偏っているのはあなただと言いたい」と発言。更迭についても「辞表を書かなかったのは『ごめんなさい』と言いたくなかったからだ。一部調査では6~7割が私を支持しており、もう少し頑張った方が良かったかもしれない」と強調。出席者からは「そうだ」「興味深い話を聞いた」と賛同の声が上がったという[38]。
2月28日、名古屋の市民サークル若宮会講塾主催の講演会「拉致問題と国防」において、家族会事務局長増元照明、特定失踪者問題調査会代表荒木和博とともに北朝鮮による日本人拉致問題をテーマに名古屋市内で講演し「自衛隊を動かしてでも、ぶん殴るぞという姿勢を(北朝鮮に)見せなければ拉致問題は解決しない」と述べた。田母神は記者会見で「『ぶん殴る』とは具体的には何か」と質問されると「自衛隊を使って攻撃してでもやるぞという姿勢を出さないと、北朝鮮は動かない」と答え、軍事オプションを圧力の一環として威嚇することの重要性を訴えた[39]。
3月13日の朝鮮新報が、上記の田母神の発言に対して3月10日に朝鮮中央通信が非難したと報じた。同通信は、田母神を「日本軍国主義勢力の代弁人を自称し、内外の糾弾にさらされている極悪な右翼反動分子」だと指弾し、この発言を「反朝鮮対決と戦争の狂信者だけが吐くことのできる許しがたい暴言」「朝鮮半島をはじめアジアと世界を征服しようとする日本の反動層の再侵略野望が頂点に至っていることを示すもの」「朝鮮の自主権に対する挑戦、アジアの平和と安全に対する脅威」だと指摘していた[40][41]。
5月3日の憲法記念日にフジテレビ系列の「平成教育委員会2009!!春の最新中学入試SP」に出演。
「日本の侵略戦争説」を否定するという、自衛官にとっての「タブー」に挑戦したことで保守派に人気が高く、退官後は多くの講演に招かれている。2009年2月の講演回数は実に24回/月に及んでいる[42]。田母神は自身の人気について「日本が謝罪ばかりしていることに『何かおかしい』と感じていた多くの国民が、私の発言にストンと心に落ちるものがあるのでは」との考えを語っているほか、「日本には反日的な言論の自由はあるが、親日的な言論の自由はない」と述べている[43]。
この「日本には反日的な言論の自由はあっても親日的な言論の自由はない」という主張は自著の中でも述べている。「日本には反日的言論の自由は無限にある。日本のことをいくらでも悪く言うことができるし、それによって国会が紛糾することもない。一方、親日的言論の自由は極めて制限されている。特に自衛隊に関することと歴史認識については、言論が封じられ、言っただけで問題を引き起こす。今回の私の論文がその典型である。問題になるのが分かっていて何故言うのかという疑問があるだろう。それは、問題にしないということは少しずつ反日に同調するということを意味するからだ。これまでの歴史の推移を見れば、それは明らかである。そのとき少し譲歩して収めたとしても、次回はもっとつらくなる。もっと言論が不自由になる。この繰り返しでは日本はやがて崩壊してしまう」[44]。田母神は、敵のミサイル基地を攻撃することや、核兵器について、自衛隊に所属していたあいだは議論すること自体が難しいとも感じていた。攻撃能力や核兵器保有を決定するのは政治であるが、議論することすらも許されないであれば日本は独裁国家と同じであると断じている。
退官後の生活について週刊誌のインタビュー[45]、に、講演や著書執筆などで多忙の日々を送っており、趣味のゴルフに出掛ける機会もめっきり減ったと語った。当記事では田母神の退官後の推定年収は現役時代の約4倍に達する勢いと言う。また、自著の『田母神塾』において、複数の政党や政治関係者などから出馬要請を受けたが、本人にその意思はないと断っているとの記述がある。
田母神は「私は心底国家国民の将来を思って、問題とされる論文を書いた。今の自虐史観が払拭されなければこの国は駄目になってしまうという危機感を感じている。しかし私の国家国民への熱い思いへの回答は、私の更迭というものであった。そして保守政党『自由民主党』は、またも保守政党から遠い政党になってしまった。また少し左に寄ってしまった。自民党は、今後さらに強力に村山談話を奉っていくことになるだろう。しかしそれでも私はこの国の将来に希望を捨てていない」と述べている[46]。
[編集] 講演「ヒロシマの平和を疑う」
日本会議広島支部(松浦雄一郎会長)の主催で2009年8月6日の原爆忌当日に広島市中区のメルパルクホール広島で「ヒロシマの平和を疑う」との題目で講演を行うことが計画された。これに対し6月29日に秋葉忠利広島市長は「言論の自由という視点で考えれば、いつどこで何を発するかは自由」としたうえで、日本政府に核武装を主張している田母神が原爆の日(人類に対し核兵器が最初に実戦使用された)に被爆地で講演を行うことは「被爆者や肉親を(核兵器で)失った遺族の悲しみを、いやが上にも増す結果となりかねない」として、講演日程の変更を求めた[47]。
これに対し日本会議広島支部の関係者は「話を聞く前から拒否反応をするのは間違っている」や「核武装の議論をするが、核武装を主張するための講演ではない」と反発[48]したが、田母神は6月20日に広島の新聞社[47]に対し「核兵器は絶対に使われることのない兵器だが、持つか持たないかで国際的な発言力は全然違う。日本のために核兵器を持つべきだと考えており、講演ではそこに触れる事になると思う」と、講演で持論の核武装論を主張することを予告するコメントをしていたことが明らかになった。
この事が明らかになった為、広島の7つの被爆者団体は日本会議広島支部への抗議と日程の変更を求める申し入れを行い、もし8月6日に講演が強行された場合には講演会場前で抗議集会を検討すると表明した[49]。これに対し日本会議広島支部事務局は、秋葉市長に対し「民間団体を排除する動き。思想信条を侵害することになる」と指摘し、その主旨の文書回答を検討するとしたうえで、被爆者団体からの抗議については「核兵器がない世界を求めることについては(広島)市と同じ思い。平和へのアプローチが違うだけだ」と釈明[49]した。なお田母神サイドは日本会議広島支部から変更要請がなければ8月6日に講演を予定どうり開催するとしている[49]。
[編集] 人物像
上記に関しては各所で『田母神節』と呼ばれるほどである。
田母神はユーモアが好きで、パーティなどのスピーチでも1、2回は必ず笑っていただくことを信条としていたという[10]。
08年の週刊文春によれば幕僚長時代、自分の体格が小柄であることを題材(自著公称で身長162cm)に「自分は昔から歯に衣着せぬ発言で『慎重さが足りない』と言われてきました。しかし、私は言いたい。私に足りないのは慎重さではなく”身長”なんです!!」「各省庁のコンパクト化、スリム化が昨今言われていますが、防衛庁はまず幕僚長をコンパクト化しました」などのジョークを飛ばした。田母神は「私の自衛隊の同期、上官は親しみを込めて「タモちゃん」と呼んでくれた。酒の席となると部下までが同じようにそう呼んだ。自衛隊のような組織で部下にまでニックネームで呼ばれるのは珍しい。それだけ心を許してもらっていたのだと思う」と述べている[50]。
幕僚長解任後、「退職金を辞退するべきだ」との批判があったが最終的に受領し、受領後の質問で「やっと女房、子供から温かいものを食べさせてもらいました」と笑わせたという。
[編集] 備考
「田母神」姓は福島県に縁のある姓である。福島県郡山市田村町にある山村地帯に田母神地区がある。同地は坂上田村麻呂の母の出身地といわれている。また福島県内には同じ地名が他にいくつかある。意味であるが、田を守護する神から来た地名で、田村麻呂の子孫が散らばってその神を祭ったことに由来するといわれている。またオートレース選手の田母神昇も同じ福島県出身である。
田母神と同じように発言が原因で自衛隊要職を解任された高級幹部に統合幕僚会議議長の栗栖弘臣(当時)がいる。1978年7月に「週刊ポスト」誌上で、「現行の自衛隊法には穴があり、奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで動けない。第一線部隊指揮官が超法規的行動に出ることはありえる」と有事法制の早期整備を促す発言をしたが、これが“超法規発言”として当時の防衛庁長官・金丸信に事実上の解任(金丸が「困っている」と伝えると、栗栖が辞表を提出)をされた。この時は「自衛官の言論の自由」が議論されることはなかったが、栗栖の指摘により有事法制が議論されるようになり、のちに武力攻撃事態対処関連三法が制定される契機となった。
航空自衛隊幹部自衛官のサークル航空自衛隊幹部学校幹部会「鵬友」発行委員が発行する『鵬友』第29巻第6号(平成16年3月号)に寄稿した「航空自衛隊を元気にする10の提言」パートIIの内容で「身内の恥は隠すもの」と記している。
[編集] 年譜
- 1967年(昭和42年)3月:福島県立安積高等学校卒業
- 1971年(昭和46年)3月:防衛大学校卒業(15期、電気工学専攻)
- 1986年(昭和61年)1月:2等空佐昇任
- 1990年(平成2年)1月:1等空佐昇任
- 1991年(平成3年)8月:航空幕僚監部防衛課
- 1993年(平成5年)12月:第3航空団基地業務群司令
- 1995年(平成7年)6月:航空幕僚監部厚生課長
- 1996年(平成8年)7月:空将補昇任
- 1997年(平成9年)3月:南西航空混成団司令部幕僚長
- 1998年(平成10年)7月:第6航空団司令
- 1999年(平成11年)12月:航空幕僚監部装備部長
- 2002年(平成14年)12月:空将昇任、統合幕僚学校長
- 2004年(平成16年)8月:航空総隊司令官
- 2007年(平成19年)3月:第29代航空幕僚長
- 2008年(平成20年)
- 10月31日:民間の懸賞論文へ応募した作品が日本の過去の侵略行為を正当化する内容で、政府見解と対立するものであったことが問題視され幕僚長を更迭、航空幕僚監部付となる。同日付で「航空幕僚長たる空将」から空将となったことにより一般の将と同様の60歳定年が適用、6ヶ月の定年延長が発令される。
- 11月3日:定年延長が11月3日までとされ、同日付をもって定年退職。退官行事は行われなかった。
[編集] 著書
- 『自らの身は顧みず』、ワック、2008年12月、ISBN 978-4-89831-128-8
- DVD 『自らの身は顧みず 田母神俊雄講演』 ワック、2009年1月 ISBN 489831306X
- 『田母神塾』、双葉社、2009年2月、ISBN 978-4-575-30110-6
- 『真・国防論』 宝島社 2009年4月20日 ISBN 4796669744
- 『自衛隊風雲録』 飛鳥新社 2009年5月13日 ISBN 4870319195
-
- ※以下は共著・対談
- 『日本は「侵略国家」ではない!』 渡部昇一と、海竜社、2008年12月、ISBN 978-4-7593-1054-2
- 『自衛隊はどこまで強いのか』 潮匡人と、講談社+α新書、2009年3月19日 ISBN 4062725673
- 『この身、死すとも「これだけは言いたい」』 長谷川慶太郎と、李白社 2009年4月14日 ISBN 4894519089
- 『国防論』 勝谷誠彦、川村純彦、松島悠佐と、アスコム、2009年4月15日 ISBN 4776205483
[編集] 脚注
- ^ 政府、田母神空幕長を更迭 「侵略はぬれぎぬ」主張巡り(NIKKEI NET 2008年11月1日 01:01)
- ^ 第170回外交防衛委員会(第170回国会 外交防衛委員会 第6号)平成二十年十一月十一日
- ^ 航空幕僚長:田母神氏更迭 過去にも問題発言、隊内に衝撃(『毎日新聞』 2008年10月31日 22時25分(最終更新 11月1日 1時13分) )
- ^ 「更迭の空幕長、侵略美化就任前から 隊内誌に論文 政府の任命責任重大」(『しんぶん赤旗』 2008年11月2日付)
- ^ 裁判長青山邦夫・裁判官坪井宣幸・裁判官上杉英司
- ^ 、航空自衛隊部隊が多国籍軍兵士をバグダットに輸送していることについて、戦闘地域での活動とし、他国による武力行使と一体化した行動で、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない行動であり、武力行使を禁じたイラク特措法に違反し、日本国憲法第9条に違反する活動を含んでいるとする問題点を指摘した。
- ^ 自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の会/声明 ─ 違憲判決を承けて
- ^ 違憲判決?「そんなの関係ねえ」(『デイリースポーツ』、2008年4月19日)
- ^ 「関係ねえ」発言 空幕長、「一部不適切だった」(『産経新聞』 2008年4月25日)
- ^ a b 『自らの身は顧みず』205ページ
- ^ 第169回国会 安全保障委員会 第6号 平成20年4月25日
- ^ ”「そんなの関係ねえ」と言い放ち”(「空幕長更迭 侵略が「ぬれぎぬ」とは 」(『北海道新聞』 2008年11月1日 社説)、”「そんなの関係ねえ」と記者会見でちゃかして”(「空幕長更迭―ぞっとする自衛官の暴走」(『朝日新聞』 2008年11月2日 社説)、”お笑いタレントの言葉を引用して「そんなの関係ねえ」と語り”(「空幕長更迭 トップがゆがんだ歴史観とは」(『毎日新聞』 2008年11月2日 社説)、 ”お笑いタレントのせりふに重ね「そんなの関係ねえ」と述べた”(「空幕長論文 あきれ返る「侵略」正当化」(『西日本新聞』 2008年11月3日 社説)、”「そんなの関係ねえ」といわんばかりの言動”(「前空幕長の陳述 文民統制を何と心得る」(『東京新聞』 2008年11月12日 社説)など
- ^ 内閣衆質一六九第三一九号 平成二十年四月三十日 (第169国会質問319号「航空幕僚長の「そんなの関係ねえ」発言と官房長官の「戦闘地域で民間航空機が飛ぶはずがない」発言に関する質問主意書」に対する答弁書)
- ^ マガジン9条〜伊藤真のけんぽう手習い塾〜第64回:イラク派兵9条違憲判決の効力
- ^ 田母神氏、再び「関係ねえ」発言 名古屋の講演で共同通信12月21日
- ^ 朝日新聞 2007年5月26日朝刊
- ^ 「東大生は年寄りが多い」 “関係ない”発言の田母神航空幕僚長が講演(『産経新聞』 2008年5月24日)
- ^ 憲法改正論にまで踏み込む前航空幕僚長 「田母神論文」の危うさ(『毎日新聞』 2008年11月12日夕刊)
- ^ 核武装論じた会合に出席 前空幕長 アパ代表が主催(『しんぶん赤旗』 2008年11月8日)
- ^ 週刊朝日2008年11月24日号
- ^ アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集(APA GROUP)
- ^ 日本は侵略国家であったのか(PDF)
- ^ a b 平成20年11月4日(11時01分~11時23分)防衛大臣記者会見概要 防衛省
- ^ 日本テレビ2008年11月定例世論調査
- ^ 『小学校から勉強を』 「低レベル」論文内容 識者らあきれ顔東京新聞 2008年11月1日閲覧
- ^ 朝日新聞 朝刊 社会面 2008年11月1日。ただし、「(旧日本軍の)」という部分は誤りであり、第29軍は中国側の軍を指す。朝日新聞は翌日の朝刊で訂正。
- ^ 石破茂(いしばしげる)オフィシャルブログ「田母神・前空幕長の論文から思うこと」
- ^ 防衛省OB太田述正アングロサクソン文明と軍事研究ブログ「田母神空幕長解任事件について」
- ^ 「田母神氏支持」、ネット調査で7割(livedoorニュース 2008年11月12日)
- ^ 『週刊文春』 2008年11月27日号 p.166-167
- ^ 自衛隊法 法令データ提供システム
- ^ 「防衛省改革の取組みについて(防衛省)PDF)
- ^ 時事ドットコム 2008年11月11日
- ^ “田母神氏「制服99%が支持」 講演で影響力強調”. 西日本新聞(. 2008-12-23) 2009-02-17 閲覧。.
- ^ フライデー 2008年12月26日号 『田母神俊雄《前航空幕僚長》【激白】「過剰な文民統制が日本を滅ぼす』」
- ^ 朝日新聞2009年3月13日の訂正記事より。防衛大学校校長を自衛官と表現したことから、防衛省から抗議がきたため。
- ^ p110 「田母神塾」田母神俊雄 双葉社 ISBN 978-4-575-30110-6
- ^ 田母神前空幕長が石破氏批判 「偏っているのはあなただ」東京新聞2009年2月19日
- ^ 拉致問題「自衛隊動かしてでも」 田母神前空幕長、講演で共同通信2009年2月28日
- ^ 朝鮮中央通信 田母神前航空幕僚長の暴言を非難朝鮮新報2009年3月13日
- ^ 「拉致と国防」でシンポジウム 家族会事務局長・増元氏、特定失踪者調査会代表・荒木氏ら 田母神氏も参加し「ぶん殴る姿勢示せ」日刊ベリタ2009年03月3日
- ^ "田母神氏、講演引っ張りだこ 「言論タブー」照らし出す". 産経新聞. 2009年2月28日 閲覧。
- ^ "言論タブーも照らし出す“田母神人気”". 産経新聞. 2009年3月1日 閲覧。
- ^ 『自らの身は顧みず』167ページ
- ^ 週刊新潮、2009年3月12日号「講演会モテモテ「田母神」前空幕長は「年収1億」突破目前」
- ^ 『自らの身は顧みず』205 - 206ページ
- ^ a b 中国新聞 2009年6月30日朝刊
- ^ 朝日新聞2009年6月30日朝刊
- ^ a b c 中国新聞 2009年7月1日朝刊
- ^ 『自らの身は顧みず』142ページ
[編集] 関連項目
- 戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話
- 真珠湾攻撃陰謀説
- 張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説
- 文民統制
- 歴史認識
- 藤尾正行
- 奥野誠亮
- 永野茂門
- 桜井新
- 江藤隆美
- 平沼赳夫
- 西尾幹二
- 西村眞悟 防衛政務次官 を短期で辞任
- 日本会議
- 日本文化チャンネル桜
[編集] 外部リンク
- 田母神俊雄 後援会 (公式サイト)
- 田母神論文と自衛官の名誉を考える会
- 田母神俊雄(防衛大第15期同窓会 『航空自衛隊を元気にする10の提言』へのリンクあり)
- 小泉談話
- 揺らぐ文民統制(東京新聞「特集・連載」)
- 第12回防衛省改革会議 防衛省提出資料「防衛省改革の取組みについて」
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