一向一揆
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一向一揆(いっこういっき)は、戦国時代に浄土真宗(一向宗[1])本願寺派の信徒たちがおこした一揆の総称。
争乱の排除をめざして浄土真宗本願寺教団によって組織された武士、農民、商工業者などによって形成された宗教的自治である。1488年、加賀国守護 富樫政親を滅ぼすことでその勢力を世に知らしめる。戦国時代末期、織田信長などによって平定されるまでは各地に安定した豊かな町が築かれた。本拠地とされた摂津大坂や伊勢長島、三河矢作川流域などは湿地帯であったことから、高度な治水技術があったのではないかとの見方もされている。 朝倉氏に奪われた越前吉崎を取り戻すため何十回となく大規模な戦を起こしたり(九頭竜川の戦い)、一揆の拡大によって武家政権の基盤を脅かされることを恐れた織田信長や細川晴元ら権力者との争いを展開するなど戦国大名化して覇権を争ってもいる。
しかし、1580年織田信長との抗争に敗れて本願寺顕如が大坂を退去した後は本願寺の分裂騒動もあって一向一揆という名称は見られなくなる。
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[編集] 主な一向一揆
- 1466年、近江・金森合戦 史上初の一向一揆
- 1474年、越前一向一揆
- 1480年、越中国越中一向一揆
- 1488年、加賀一向一揆
- 1531年、大小一揆
- 1532年、畿内(奈良)一向一揆
- 1563年、三河一向一揆
- 1567年、伊勢長島一向一揆
- 1570年、石山合戦

