道場

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道場(どうじょう)は、日本武術武道格闘技における稽古練習、鍛錬、試合競技を行う施設である。

目次

[編集] 概要

各地にある道場の多くはいずれかの流派に属し、看板または施設名標にその流派名や道場名が書かれている。規模の大きな流派では、地域毎にそれらを束ねる組織が存在し、またその上位にも同様の組織が存在して最終的には流派の頂点となる道場(例えば柔道講道館など)へと連なる。

道場には、技術習得を目的として通うもの、自己鍛錬を目的として通うものに分けられる。技術習得を目的とするものは、その道場の師範(または師範代)からその流派の武術・格闘術などを習う。この際同時に精神面の鍛錬も行われる。

道場の内装であるが、一般的な日本の道場では、正面には神座が設けられ、額縁には道場訓格言などが墨書されて飾られている。日章旗が掲揚されている場合もある。は武道種目によって異なり、例えば柔道では剣道では板張りである。

現代における道場は、都市過密化や地価の高騰などにより、それ専用の建物だけで存在しているとは限らず、雑居ビルの一室や体育館での代用など形態は様々である。個人が柔道教室などを開いている場合、自宅家屋の一角を道場に改造している場合もある。

日本の警察では柔道剣道逮捕術が必修とされていることから、各都道府県警察署警察学校警察本部内全てに道場が完備され、全国で見ると数え切れないほどの道場数になる。警視庁や警察学校の道場は100名くらいが一度に使える大型道場となっている。警察署が柔剣道教室を開き、道場を小中学生に開放していることも多い。

公共の大規模道場は「武道館」といわれる。日本武道館は日本最大級の武道館として有名である。芸能人コンサート会場としても使われているが、元来の目的はその名の通り、武道のための施設である。

歴史的、文化財的な武道館は「武徳殿」といわれている。

[編集] 歴史

「道場」という呼称は明治時代に始まる。江戸時代までは「稽古場」と呼ぶのが一般的であった[1]

戦国時代の末期に各武術の創始者が現れたが、例えば上泉信綱柳生宗厳居城におもむき教授するなどのように、初期には師範は全国を廻って弟子のところに訪ねており、稽古場は個人屋敷を利用するなど専門の施設はなかった。ある程度戦乱が治まると、宮本武蔵との戦いで有名な吉岡流などのように定住して稽古場を持つようになっていったものと思われる。このころは剣術の試合は木刀で行なっており、殺し合いも同然で命賭けであるため、ほとんど行われなかった。

江戸時代には町人農民など武士以外の身分に武術を教えることは幕府によりたびたび禁止されていたが、町人や農民は稽古を望む者が多く、実態として教伝されていた。江戸中期になって稽古法において剣術では竹刀防具による打ち込み稽古柔術では畳など床の衝撃緩和道具による乱取りなど、形稽古のみではなく、ある程度安全で自由な稽古法が編み出されたため、江戸など人口の多い地域では、例えば北辰一刀流剣術千葉周作などの江戸三大道場へ多数の稽古希望者が殺到し、それまでの個人的な小さい道場から専門の大きな道場へと整備された。この頃の道場は師範が弟子の稽古を総見する床があり、そこに日本神話から、「剣の神、武の神」とされた「鹿島大神宮」(タケミカヅチ)、「香取大明神」(経津主神)の二柱の神名を書いた掛軸が掛けてあった。この形式は現在の大相撲の稽古場がよくその形を残している。また各においても藩士、町人、農民などへの教育施設「藩校」の整備をはかり、武術の稽古場を併設する藩が多かった。この稽古場の名称は各藩独自であり、道場など一定の名称は使用されていない。江戸は道場が多数できたことから、各道場での試合に勝利し名をあげようとする者もあらわれた。

明治維新近代化して一時武術は廃れたが、嘉納治五郎は柔道とその道場を創設し是後に全国に個人道場が建てられた。また、1878年10月16日に建てられた北海道の有名な札幌市時計台、は正式名称「旧札幌農学校演武場」であり各学校にも武術稽古場は併設された。日露戦争の前後、武術も武士道同様に見直され、天覧試合開催を目的とする大日本武徳会が武術の振興を図るための財団法人となり京都を中心に各地域に武徳殿(この頃、江戸時代の道場にはなかった神棚が道場に作られるようになった)という道場を建設した。また、武術を大正時代に武道と改称し、それまで学校教育では禁止されていた武道を教育のため指導できるようにした。剣術改め剣道においては旧制中学校生徒のため大日本帝国剣道形と集団教授法を整理された。それまで試合は天覧試合のみであったものを全国的大会を開催するなど武道の振興を図った。

大日本帝国太平洋戦争降伏の後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は大日本武徳会を解散させ、武道を禁止した。各武道はスポーツ競技として再出発した。日本独立後、各武道は本格的に普及を図り、各地域には公的武道場である武道館と個人の道場ができた。

近年では道場を所有することが難しくなっており、体育館スポーツ施設を借りて稽古している団体も多い。この場合、上座と下座の観念があいまいになること、また神域)の感覚が薄くなること、床が固すぎて負傷する(スポーツ障害)など、いくつかの問題も生じている。

[編集] 養成道場

上述の通り「道場」自体が武道関連の人材を養成する場をあらわす名称であるが、ここから派生して「養成道場」と名乗る講習セミナー等が以下の通り存在する。

[編集] 脚注

  1. ^ 牧秀彦『古武術・剣術がわかる事典』、技術評論社 40,41ページ

[編集] 関連項目