Wikipedia:井戸端

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Wikipedia:井戸端/過去ログ

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台風のソートキーについて[編集]

台風記事でチト妙な絡まれ方をしたので改めて調べて見たところ、多くの台風記事でデフォルトソートのソートキーが書き換えられている(例・へいせい◯ねんたいふうたい◯こう → たいふうたい◯こう)のに今更ながら気がついたのですが、これ何処かで議論されたものなのでしょうか?

とりあえずプロジェクト:気象と気候プロジェクト:災害台風のノートページや過去ログあたりを読んでみましたが、これについて議論された形跡はありませんでした。自分がこれまでに立項した台風記事では、参考にした過去の台風記事のソートキーが元号の読みを含めてたのでそれに合わせて立項していましたが(今見ると全部書き換えられてるようです)、そもそもデフォルトソートのソートキーをこんな風に詰めちまっていいのかしらん?と。見たところ、とりあえず問題は無さそうなのですが・・・--KAMUI会話) 2015年4月2日 (木) 13:42 (UTC)

デフォルトソートという点で言えば、「ページ名」で付けるのが本来の役割なので、平成20年台風第13号だと「へいせい20ねんたいふうたい13こう」になるはずです。実際にそのように付けられていましたが、昨年書き換えされたようです。
おそらくですが、ほとんどの台風記事においてCategory:xxxx年の日本とCategory:xxxx年の台風という年別カテゴリが付与されていますが、これらに個別のソートキーが割り振られていた(こちらは「たいふうたい13こう」が振られていました)ため、「ならいっそこっちのほうが便利じゃん?」的にデフォルトソートの変更と、個別ソートキーの除去を行なったんじゃないかなぁと推測します。
そもそも、普段の生活の中で「年号xx年台風第xx号」って呼称は見かけないんですが。気象庁でも番号を振り当てているとしている以外、正式名称がウィキペディアで用いられているページ名であるとはしていません([1])。報道では過去の台風を例に挙げるときに「昭和52年に発生した台風xx号が・・・」とは聞きますが、単に台風報道のときは「台風xx号がどこどこに上陸しました」とか用いられますから、ページ名にも若干違和感があります。
他言語を見てみるとそもそも命名法が違うので、en:Typhoon Sinlaku (2008)とか、zh:颱風辛樂克 (2008年)とバラバラなんですが、重複する記事名であるが故に西暦の曖昧さ回避付きで記事が作られています。どのような運用方法をするにしろ、どこかで一回、台風に関してのページ名の付け方で合意を得たほうが良いんじゃないかなぁと思います。(「年号xx年台風第xx号」ってページの命名法則自体はどこから出てきたんでしょうか?)--アルトクール(/) 2015年4月2日 (木) 16:43 (UTC)
気象庁の台風の命名則は「元号付きで番号は第◯号と付ける」のが基本です。気象庁の気圧配置 台風に関する用語には、『台風番号』の用例において「平成22年台風第9号(情報文などでは、元号を用いる)」とあります。報道などでは(今年発生した台風ならば平成27年なのは当然なので)元号は略されますし「第◯号」も「◯号」になってますけど。
海外の命名則は、1999年以前はアメリカによる英語名(日本ではジェーン台風などが有名ですね)、2000年以降は台風委員会によるアジア名が使われており中国ではそれに漢字を当てたもの(Sinlaku = 辛樂克、日本語読みだと「シンラコウ」)を使っています。また、フィリピンではPAGASAによる独自のフィリピン名が使われます。これらはあらかじめリストが用意されていて何回も使い回されるので、年号が付いている訳です(w:Typhoon Sinlaku)。海外では一般に番号順が使われることはありません。--KAMUI会話) 2015年4月2日 (木) 20:46 (UTC)
なるほど、年号+台風第○号の組み合わせはそこに記述があったのですね。ありがとうございます。それであれば、プロジェクト:災害経由で「記事名の付け方」の合意として、気象庁の用例に沿ったページ名と、これにあわせたデフォルトソートの運用について話し合ってはいかがでしょう。日本の気象庁として命名が行われている分については、日本ではアジア名では聞き馴染みがないですから、年号+台風第○号とそれにあわせたデフォルトソートで運用する方向が望ましいと考えられますが、どういった形式でソートされるのが望ましいのかはいくつかの方法があるのは明らかですから合意があったほうがいいんじゃないかなと思います。--アルトクール(/) 2015年4月9日 (木) 10:06 (UTC)
プロジェクト‐ノート:災害#台風記事のソートキーについてを立ち上げました。--KAMUI会話) 2015年4月10日 (金) 12:03 (UTC)

既存の別ページに先人が製作した記事(の部分)を移動してもよろしいでしょうか。[編集]

野生のエルザ (映画)』及び、続編の『永遠のエルザ (映画)』のページを作成し始めましたが、途中で、既存の別ページの記事(の一部)を勝手に移動することになると気付きました。

野生のエルザ (映画)』については、既存のページ『エルザ (ライオン)』内に、先人によって記事が製作されていました。しかし続編の『永遠のエルザ』については、情報が不十分で、ストーリーも、『野生の…』と『永遠の…』の区別が付きにくい状態でした。この二作は、一本の原作を前後に分けた映画ではなく、別々に著されたフィクションに基づく作品だからです。しかし、『エルザ (ライオン)』のページ内に、続編の映画について、前作と同じ形式で書き足していくと、記事が非常に長くなってしまいます。

そのために、新しく『野生のエルザ (映画)[』及び『永遠のエルザ (映画)』のページを製作しました。『永遠のエルザ (映画)』のページは、オリジナルです。しかし、『野生のエルザ (映画)』に関しては、ストーリー以外の部分が、既存の『エルザ (ライオン)』内の先人の記事と重複しています。

エルザ (ライオン)』内の映画に関する記事を短く書き換え、『野生のエルザ (映画)』への参照のリンクを張れば良いと考えたのですが、これは、私が勝手に行ってはいけない作業かもしれないと気付きました。『ページの改名』とは違うと思うのですが、どのような手続きが必要か、ご相談させて頂きました。初心者でご迷惑をお掛けしますが、ご教示を宜しくお願い申し上げます。

なお、新規のページに『… (映画)』と付けたのは、それぞれに同名のフィクションの原作が存在しているためです。--Bompkin会話) 2015年4月5日 (日) 01:02 (UTC)

  • これは事前に、Wikipedia:ページの分割と統合#ページの分割の手順を踏むべき事項で、勝手に記事の移動はできません。今からでも分割提案の告知からされたらどうでしょう。--奈良たかし会話) 2015年4月5日 (日) 07:40 (UTC)
    • 奈良様、ありがとうございました。事情を説明して告知してみます。お手間をお掛けいたしました。--Bompkin会話) 2015年4月5日 (日) 09:11 (UTC)

3Dデータへの外部リンクの可否について[編集]

知り合いの研究者の方から、ウィキペディア日本語版に、外部サイトにある3Dデータ(おそらくはそのデータをホストするページ)へのリンクを掲載することは可能かどうか、質問を受けました。日本語版にも記事のある田中浩也さんという人です。

  • 想定しているのは、3Dプリンターなどに使うデータで、ブラウザで見られるようなものではないと思います。
  • この種のファイルは、Thingiverseのような投稿型サイトにもありますが、研究室でサイトを立ち上げて、研究室で作成したファイルをそこにアップロードするようです。

Wikipedia:外部リンクの選び方には、決定的な手がかりはないように思ったので、ここでご意見を伺ってみることにしました。

個人的には、外部リンクの選び方に書いてあることをベースに考えると、

  • 記事からは得られない情報が得られる、中立的である、信頼できる、ということならブラウザ上で閲覧・再生できないファイルであっても構わないような気もしました。
  • 記事の執筆者が自らリンクをしない、宣伝をしないというあたりを厳密にとるなら、NG、ということになるようにも思いました。

どうしたらよいでしょうか。ご意見など頂ければ幸いです。(ご本人にもこちらでの意見・議論を参照してもらおうかと思っています。) Tomos会話) 2015年4月6日 (月) 16:14 (UTC)

外部リンクとして載せるならばWP:ELの原則通りだと思います。個人的な考えですが、3Dプリンタで実作した物の写真やソフトウェアでレンダリングした画像を Wikimedia に投稿し、Description もしくは Source でデータ置き場のURLを示すと親切ではないかと思いました。- NEON会話) 2015年4月7日 (火) 01:16 (UTC)
映像外部リンク
オブジェクトAの3Dデータ(リンク先はダミー) - (現時点ではテンプレートが画像・音声・映像にしか対応していないため、映像であるかのように表示させていますが、テンプレートの記述は修正可能)
コメント ご相談のケースを厳密に、記事末尾のウィキペディアで言うところの「外部リンク」の話であると限定してしまうと、WP:ELPOINTSの「日本語版ウィキペディアの利用者にとってのアクセシビリティ、可読性を確保している」かどうかに疑問符がつきます(一体読者の何%が手軽に3Dプリンタを使えるか)。より具体的にはWP:ELNOの5番、すなわち「特定のブラウザやソフトを使用しなければ閲覧できないサイト」に類似するケースになってしまいます。しかし、一旦視点を変えてみると、これは「外部リンク」というより、「外部メディア」と呼んだほうが良いケースではないでしょうか。例えば一部の記事では、著作権上の問題等からウィキペディアで受け入れ不可能なメディアであっても、読者の理解の一助とするためにそのメディアを紹介することが望まれると感じた執筆者がTemplate:External mediaを使ってに外部リンクするケースがあります(例示参照)。3Dプリンターのデータというのはこういった「外部メディアの利用」に近い気がします。従って、記事にとって有益であると言えるならば、そのようにリンクするのはアリかもしれません。しかしそれでもなお、アクセシビリティの問題が残ります。いわゆる「外部リンク」であれ「外部メディア」であれ、アクセシビリティが最大限確保されるようにするべきです。記事の対象となっている事柄の立体構造を3次元で示す必要があるならば、3Dプリンターのデータよりも、例えばブラウザの画面中でインタラクティブに回転させることのできる3Dモデル、あるいはオブジェクトが回転するアニメーションなどで同じ情報を伝達できないものでしょうか。(この3例は、前者ほど閲覧者に構造が理解されやすいがオーディエンスが限られてしまい、後者ほどオーディエンスが広くなるが立体構造を伝えにくくなるというトレード・オフの関係にあります。)--朝彦会話) 2015年4月7日 (火) 03:05 (UTC)
【追記】なお、3DプリンティングファイルのうちCCなどでライセンスされているものは(著作権上受け入れ可能なものは)、ウィキメディア・コモンズでも受け入れるようにしてはどうかという提案は早くも2005年に既になされていますが(phab:T3790)、長らく対応が進んでおりません。現在コモンズは3Dフォーマットを受け入れていませんが(c:COM:UNSUPPORTED)、3Dプリンティングの広まりに伴い昨年頃から再びぼちぼちと議論が再開されつつあります。今後技術的・ルール的な課題が整理され次第、受け入れが始まる可能性はゼロではありませんが、明確なロードマップは特にありません。(参考:コモンズの井戸端での議論コメント依頼 Hosting files for 3D models)--朝彦会話) 2015年4月7日 (火) 03:20 (UTC)
Assemblykinematicsさんのコメントを見てようやく理解したのですが、何か特定のオブジェクトの3Dデータにリンクするという話ではなくて、3Dデータのレポジトリに外部リンクするという話だったのでしょうか。だとしたら私の上記コメントは少しピントがずれているので無視して頂いて結構です。--朝彦会話) 2015年4月8日 (水) 00:56 (UTC)
コメント 朝彦様 Toms様の「外部サイトにある3Dデータ(おそらくはそのデータをホストするページ)へのリンク」という文言を見てそう推測しましたが、3Dデータへの直接のリンクの可能性やその将来性もなきにしもあらずとも思えました。また、直接リンクが検討されているのであれば、間接的なリンクにするべきでは?という意味も込めての下記のコメントでした。なお、Commonsの動向は全く知らなかったので、上のコメントは大変参考になりました。有益な情報、感謝申し上げます…。--Assemblykinematics会話) 2015年4月8日 (水) 17:39 (UTC)
コメント さしあたって本件に関しては、日本ファブラボ界の代表的人物が研究室で3Dデータ(STLファイルでしょうか?)を公開されるということですので、そのサイトのトップページを外部リンクに掲載するのは問題ないと思います。アップされている3Dデータは誰もが開ける訳ではありませんが、このような方が3Dデータを公開されているということに意義があると考えられ、記事「門田和雄」の編集に携わった者としても興味があります。
次に個別の3Dデータへのリンクについては、大抵は3Dデータへ直接という訳ではなく、3Dデータの個別解説・ダウンロードのページへのリンクになると考えます。DOIが付されたオンライン文献を参照する場合も、PDFファイルに直接リンクされておらず、個別の情報ページにつながります()。また、多くのユーザーに知られていたり記録的なダウンロード数を持つなど、注目に値するものであれば外部リンクに箇条書きで記してもよいと考えます。例えば
  • 3Dプリンタのデータベース by △△Lab.
    • ◇◇(20aa-bb-cc) - ××万ダウンロードを記録。
    • □□(20xx-yy-zz) - ○○コンテストで大賞を受賞。
といった感じでしょうか。
また、雑誌や論文、報道で取り上げられるなど、信頼できる情報源で言及があるものであれば、本文中に記載・言及しても良いと思います(NEON様や朝彦様が提案されているような形で)。ただ、データの形式としては3DモデルならIGES、3Dプリンター用ならSTLなど、CGや3次元CAD/CAMの標準的なデータ形式とするといった基準が必要かもしれません。--Assemblykinematics会話) 2015年4月7日 (火) 23:29 (UTC) (例を追加し、一部言い回しを修正。--Assemblykinematics会話) 2015年4月8日 (水) 17:39 (UTC))

NEONさん、朝彦さん、Assemblykinematicsさん、いろいろなご意見やアドバイスを、どうもありがとうございます。また僕の説明が拙い上に、アクセシビリティについても書いてあることを飲み込めてなくてすみませんでした。。にもかかわらず親切に応答して下さって、どうもありがとうございます。

リンク先は、Assemblykinematicsさんが指摘して下さったDOIリンクの場合と同じような形になるだろうという認識です。(直接ではなくて間接になる)

頂いたアドバイスなどから、可能なのはどういうリンク・掲載の仕方か、を考えました。

  1. 画像をウィキメディアコモンズの方に投稿し、その画像のソース(オブジェクトの3Dデータ)についての外部のページにSource欄なりDescription欄なりからリンクすることはできるかも。(NEONさんのアドバイスから考えました。そういう意味で書かれたのではないかも知れないとも思ったのですが。)どういうオブジェクトならニーズがあるかというのを考えてみたのですが、かつての平安京の構造や、分子の構造みたいな写真に撮れない・撮りづらいもので、色彩や動きが重要にならないものならいいのかも、と思いました。
  2. 記事で扱っている主題について有益な追加的情報を提供するものとして外部メディアへのリンクを掲載することは、3Dプリンター用のデータではなく、回転する3Dアニメ画像や、インタラクティブな3D画像なども採用し、アクセシビリティを最大限確保するなら可能。(3Dデータ単独であればNG)(朝彦さんのアドバイスから考えました)
  3. リポジトリのトップページに対する外部リンクを、例えば田中浩也の記事につけるのはOKそう。その際に、ある種の特筆性を持っているようなデータについては個別に付記するということもありうる。(Assemblykinematicsさんのアドバイスから考えました)
  4. 信頼できる情報源でとりあげられているようなデータなら、(記事本文中で引用する情報源としてデータを扱うのではなく、)文中での紹介・解説の対象になることも考えられる(データが独立した記事の主題になることは考えにくいと個人的には思いますが)。具体例をあえて考えてみると、何か国宝みたいなものを3Dデータ化し、そのデータについて専門誌で紹介された場合、そのデータへの(間接)リンクはできる、とかでしょうか。その場合でも、標準的な形式のデータである必要はありそう。(Assemblykinematicsさんのアドバイスから考えました)

誤解しているところがあったらすみません。僕も随分混乱していたのですが、おかげさまで多少頭の中が整理できて来た気がしました。。

Tomos会話) 2015年4月10日 (金) 20:29 (UTC)

さまざまなご意見・ご議論ありがとうございます。大変勉強になります。当初考えていたのは、外部の3Dデータサイト(Thingiverse, Shapeways, NASA, NRI, スミソニアン博物館, 大英博物館)などの3Dプリンター専用データSTLが公開されている紹介ページ(3Dデータそのものではなく)に外部リンクする方法でした。ただ、これらの紹介ページには3Dデータ以外には静的な2Dの画像しか載っていないため、3Dプリンタを所持していないユーザへのメリットが低いことは感じていました。そこでブラウザ上で3Dプリンター専用データSTLを表示・回転できるJavaScriptを研究室で開発しており、その技術ができあがれば、そちらへリンクすることも検討しています。ただその場合、スミソニアン博物館や大英博物館のコンテンツへのアクセスにならないことが逆にデメリットかなと感じていました。ウィキメディアコモンズへの3D採用については一番興味があります。ぜひその議論をまた勉強させてください。

田中浩也会話) 2015年4月12日 (日) 3:24 (UTC) 以上のコメントは、118.109.176.243(会話/履歴/Whois IPv4IPv6)さんが[2015年4月12日 (日) 03:27 (UTC)]に投稿したものです(KurodaSho会話)による付記)。

過去に公式サイトに記載され、現行サイトには記載されていない芸能人の本名の扱い[編集]

こんばんわ、播磨国の鉄道・音楽ファンです。

SCANDALの本名掲載の件で質問があります。(ノートページには僕が書き込みましたが、現時点で有意な質問はありません。)

SCANDALの公式サイトでは、インターネット・アーカイブにある2011年11月27日 SCANDALプロフィール(一番下が中国語版、ここに本名があります)があり、SCANDAL本文にはこれを根拠に、本名が記載されています。

しかし、2011年12月28日のアーカイブ現行ウェブサイトには、本名は記載されていません。

芸能人の非公開の本名は削除対象ですが、SCANDALのように過去に公式サイトに記載され、現行サイトには記載されていない芸能人の本名が、その芸能人のページに記載されている場合、本名を除去して削除依頼に出すのが妥当でしょうか?--播磨国の鉄道・音楽ファン 2015年4月8日 (水) 09:39 (UTC)

一般論では、一旦公表したものであれば、かつ元々のソースに権威と信頼性があれば、特に問題は無いと考えます。--Hman会話) 2015年4月8日 (水) 09:41 (UTC)
そうでしたか。過去に公式サイトなどで本名を公表していればそれで大丈夫ですね。SCANDALのノートページにその旨書いておきます。--播磨国の鉄道・音楽ファン 2015年4月8日 (水) 09:43 (UTC)

考慮漏れの誤った結論だと思うのですが。出典のない記述は、どういう記事であるか記述であるかを問わず論外(WP:NOR、WP:V)です。今回の場合、さらにWikipedia:存命人物の伝記が適用され、当人はプライバシー尊重を望んでいると推定することが原則です。いったん公開したとはいえ、公開を停止したということ、別に政治家や官僚の涜職というわけでもなし、強いて書くことが望ましいものではないと考えます。繰り返しになりますが、「プライバシー尊重を望んでいる」のはウィキペディアンではなく当人であり、「当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」との推定に立って行動し泣けr羽ならないのはウィキペディアンです。Wikipedia:Info-jaに働きかけがあるわけでもない現状では削除までは必要ないでしょうが、除去が望ましい対応と考えます。--ikedat76会話) 2015年4月8日 (水) 12:46 (UTC)

こんばんわ、播磨国の鉄道・音楽ファンです。

SCANDALのノートページにもありますように、SCANDALのメンバーの本名は、中国語圏では広く知られていますし、中国のメディアにも本名付きで報道されている以上、「中国では」本名が公表されています。

一方、日本のメディアで、SCANDALのメンバーの本名で報道された例はありませんし、現行ウェブサイトにも当然本名はありません。

「他国では本名が広く知られ、日本では公表していない」芸能人の本名の扱いになるでしょうが、ここは「日本語版」ですので、日本語版としてどんな見解が出るのかですね。--播磨国の鉄道・音楽ファン 2015年4月9日 (木) 09:36 (UTC)

日本以外であっても「本人が積極公開した情報」であれば記載が可能です。日本語版ウィキペディアは日本語話者が多いプロジェクトですから、日本語の出典が多いほうが見る側にしてみれば検証や理解しやすいでしょうけれど、日本語で書かれた、あるいは日本で出版された書籍や日本発の情報でなければならないというわけではありません。例えば中国語版記事を日本語に翻訳した場合は、日本語の出典ではなく中国語の出典が多数を占めるでしょうし、ドイツ語版記事なら、ドイツ語や(ドイツ近隣と考えられる)フランス語や英語の出典が多数を占めると考えられます。こうしたものが「検証不能」として除去される確率は低いでしょう。
今回の「本名」という点なら、「中国では知られてるんです」だけではなく、中国語でも構いませんから「出典」を用意(書籍、Webサイト等。これらは日本語版のプロジェクトの方針によります)できて、かつ現在も積極公開していると判断できるなら問題はないと考えられます。本名が「積極公開」の枠にはいるのかどうかが鍵です。知られている原因が本人が意図としない形なのであれば、それは当然除去対象になりえます。報道で本名が公開されている場合はその傾向が顕著なので、報道によるものは出来るだけ排除したほうが無難かもしれません。インタビューは本人の同意があって行われますから、当然本人が確認して出版されてると思われるので、それは問題ないと思いますが。--アルトクール(/) 2015年4月9日 (木) 10:25 (UTC)
SCANDALのノートページにある中国語版の本名の出典は、昨年2014年です。今年出された出典はありませんので何とも言えませんが、韓国でもBoaK (歌手)のように、韓国のみで本名を出している芸能人もいます。
海外サイトが出典でも、日本語版で本名を載せることが可能なわけということですが、その出典(SCANDALの場合)は中国のメディアであります。(SCANDAL公式サイトはグーグルによる機械翻訳)
中国のメディアによって公開された情報が、「現時点で」本名掲載版の削除依頼を出さないという根拠であればいいのですね。(scandalが中国メディアでの本名公開に積極的などうかは僕はわかりませんが)--播磨国の鉄道・音楽ファン 2015年4月9日 (木) 11:17 (UTC)
積極公開を過去にしていた事実が判明し、なおかつ現在積極公開していないと判断できる状況があるなら「除去」になります。過去から現在に至るまでに積極公開していないことが明らかである(つまり出典に書かれていない情報の記述など)なら「削除」の対処になります。あとは、その人物の国籍や活動・生活の場のある国の法などによります。播磨国の鉄道・音楽ファンさんのおっしゃるとおり、「削除」にならない根拠として、過去に出版なりされている情報が示されれば削除は回避されます。ただし、今は公開してないことを理由にして「除去」をすることは妨げられるものではありません。--アルトクール(/) 2015年4月9日 (木) 11:38 (UTC)
SCANDALのメンバーの本名の件ですが、今年SCANDALはワールドツアーを行い、中国語圏では香港と台湾でライブが組まれています。そのライブは香港や台湾のメディアも当然報道するでしょうが、その時に本名を出すかどうかですね。とりあえず様子見ということにします。--播磨国の鉄道・音楽ファン 2015年4月10日 (金) 09:06 (UTC)

オリジナルの書籍を出典とする際に、オリジナルと明記する必要があるのかについて[編集]

本日、利用者:Loasa氏に、このような要求を受けました。

えー要は。書誌と言うものは時折、「愛蔵版」「文庫版」「新装版」「ソフトカバー版」などとして、新たに刊行される場合がございます。この際、Lossa氏は出典に用いたのが、オリジナルの本であったとしても、それを明記すべきだ、と言う求めでございます。

勿論私もその辺りは心得てございまして、オリジナルのもの以外が存在し、かつ「オリジナル以外」のものを用いる時は、常にそれを明記してございますし(そもそもページ番号が合わなかったりしますがね・・・)、また複数の版を参照した時には、特記無き場合○○版のページ番号に準ずる、と明記するようにしてございます。オリジナルを用いた場合には(出版年が古いものが多く入手容易性に問題がありますのでできるだけ、新しいモノを使いますが)、特に明記することもございません。暗黙でオリジナルのものである、と見なして良いと考えるからです。私が読む側に立ったとしても、普通にそう考えるでしょう。 まあ、勿論、暗黙にそれが明らかであるにも関わらず、オリジナル版を参照したと明記されたい方は、されて構わないでしょう。しかし私はこう言ったケースでそれを利用者全員に求める事に、強い違和感を感じます。恐らく過半数以上の書籍は、オリジナル版しか存在しないのではないか?と考えて居る意味もございます。割と一環して、「わかりゃいい」でやってございまして。ええ、もちろんわかるようにしておりますつもりです。常に。

さて皆様この件、一体どう致しましたものでございましょうか。オリジナル版を参照した、もしくはオリジナル版がしか存在していない時にも、常にオリジナル版と断っておくことを、jawp全体の共通認識とするべきなのでございましょうか。--Hman会話) 2015年4月14日 (火) 03:35 (UTC)

  • コメント 会話ページを拝見しましたが、相手方の要求はオリジナルと明記してほしいではなく、書誌情報を丁寧に書いてくださいということではないでしょうか。これを前提としてコメントします。さて、書誌情報が不十分であれば、後に検証する際にどの文献を参照すれば良いか判断できなくなります。後で新版が出版された時に、それが旧版を示していることが書いた本人以外わかりませんし、複数の版があることに容易に気づかないこともあり得ます。 --Yhiroyuki会話) 2015年4月14日 (火) 03:58 (UTC)
    • コメント 何れに致しましても、結局オリジナル(まあこの場合ジャンプコミックと)書く事には変わりは無いのですが・・・。そこまで求められるものでしたか。wikipediaの出典情報とは・・・。--Hman会話) 2015年4月14日 (火) 04:17 (UTC)
  • 同上ですが、オリジナルがどうのではなくて書誌情報をきっちり書くべきという要求に見えます。Loasa 氏のように自然科学の執筆者から見れば、ISBNや版数を省くことはあり得ないでしょう。現実問題として分野毎に甘えが許されるとしても、なかいま強WP:BLPなのですから、情報源の記述には最も神経質であるべきです。- NEON会話) 2015年4月14日 (火) 05:36 (UTC)
    • コメント 了解致しました。そういう事になりますと、ちょっと負担に耐えられませんので、パスもデタラメに変えてしまいアカウントを放棄したいと思います。お世話になりました。--Hman会話) 2015年4月14日 (火) 05:54 (UTC)
      • そこまで負担ですか?単に「オリジナルなのかどうかを書いて」というよりは、「発行日などを記述してください」という意味ですよね、これって。いつ、誰が書いたものかをはっきりさせるという意味ではコミックだろうがなんだろうが、参照した書誌情報として発行日やISBNを書くのは普通ではないでしょうか。甘えとかそういう問題じゃないと思いますが。--アルトクール(/) 2015年4月14日 (火) 06:03 (UTC)
  • コメント私も会話ページを拝見しました。
発端の件を見る限り、一般論というより、個別の事情による部分が大きいように思います。Loasaさんも、「特にマンガの場合で・なおかつ解説、あとがき、著者コメントの類」を出典にする場合には高い注意を払ってほしいとおっしゃっています。
今回は「マンガの」「著者コメント」に基づく「個人に関する情報」が案件になっています。私はそんなに詳しいわけではないですが、PCを利用して製作される最近のマンガは昔よりも改変が容易であり、版が変わる場合の修正は昔よりも頻繁にありそうです。件のマンガはそういう時代のものではなさそうですが。私は読んでいないので当てずっぽうになりますが、「著者コメント」というのは、おそらく巻末とか、欄外とか、表紙カバーとか、カバーを外した後の表紙部分とか、「ページ数」で参照しにくいような場所に書かれているのだろうと想像します。こうした部分を出典にする場合に、別の版で改変があることを想定し、検証する際の利便性を考慮して、版を明記したり、単に「著者コメント」とするだけでなく「表紙カバーの著者コメント」などと、より詳しい情報を書き留めておくことは、ベターでしょう。しかも、今回は対象の記述が、情報としては(おそらく)それほど流布していない・個人に関する情報に関わるものですので、こうした事情を考慮して、今回の個別的な案件でLoasaさんが「より詳しい情報」を求めたことは理解できます。
個別の事情に関して、別の見方をすると、たとえば『源氏物語』を出典に書いた場合、源氏物語を出版したものは無数にあるでしょう。しかし普通に本文を出典として使っているあいだは、<Aさんは「新潮社の最新の文庫版の源氏物語」を出典としたが、Bさんは戦前の角川のハードカバーの源氏物語を読んで検証した>というような場合でも、おそらく検証は成立するでしょう。この場合、ページ数なんかよりも、何の帖の何段目である、というようなことを出典情報に書いておいてもらえれば、検証しようとする人は助かるはずです。聖書なんかでは、ページ数よりも第何章第何節、というカタチのほうが話が早いでしょう。しかしたとえば、あとがきや、注釈とか解説を出典にしたのであれば、全く同じ出版物を使わなければ意味がありません。最新の自然科学の研究成果や現代情勢に関する記述の場合には、1ヶ月違っても重大な差異があるかもしれません。稀覯本なのか、マンガや文庫のように版を多く重ねることが当たり前なのかによっても違うでしょう。出典が、本文なのか、あとがきやまえがきなのかによっても、「版の違いによる差」が生じる可能性には違いがあるでしょう。
理屈の上では、版が違えば本文やページ数が変わる可能性はあり、書誌情報を詳細に書くことは理想的です。しかしまあ、絶対に必要で、書かないと問題行動か、といえば、そこまでではないと思います。「善意にとる」も援用することになりますが、少なくとも出典情報が、情報源を特定できる程度まで書かれていれば、基本的には誠実に書かれた情報だろうと考え、示されているはずの出典をあたっても見当たらない場合には、ふつうはノートや会話ページで問い合わせる、という形で解決していきますよね。こうした場合に、版の違いなどは当然想定されるでしょうし、検証する側だって、前後のページを確認してみたり、索引や目次で関係ありそうなところを探してみたりだってするはずです。問い合わせてみたら、使っている版が違ったとか、こっちは文庫版を見ていたとか、そういう事情が発覚するかもしれません。(例えば“出典は今週のジャンプ”ぐらいのレベルでいい加減にしか書かれていなければ、また判断は変わります。)
いずれにしろ、きちんと詳細が書かれていることがベターであることは当然ですけども、あくまでも、「より親切」なのであって、書かなければ不親切・不誠実・ルール違反とまではいかないと思います。「書誌情報をそこまで書かないと重大な問題行動だ」とまで糾弾しているわけではないですし、書誌情報を少し細かく書くことが重大な負担とまでは思いませんので、Hmanさんほどの方がアカウントを放棄する、というほどの大きな話であるようには感じませんが・・・。--柒月例祭会話) 2015年4月14日 (火) 06:54 (UTC)
脚注にこちょっと書くからそうなるんですよね。参考文献の項を立てて記述するなら、それは絶対になくてはならない情報になるはずです。参考文献に書名と巻名しかない、という状況を想像してもらえば、分かると思いますよ。つまりこうですね。--Keisotyo会話) 2015年4月14日 (火) 08:05 (UTC)
  • 「著者コメント」『わたるがぴゅん!』 6巻
  • コメント

Loasaさんが言われたのは「特にマンガの場合で・なおかつ解説、あとがき、著者コメントの類」を出典にする場合には高い注意を払ってほしいという個別の話であろうと思います。Hmanさんはそれを一般論で言われたのだろうと思われたのでしょうがそうではないとおもいます。源氏物語なら細かく指定しないとならないのは分かります。小説や漫画でもハードカバーと文庫ではページ数はもちろん、内容も少し変わっていたりもします。ですので各論としてもっと細かく書誌情報書くように言われることはあるでしょう。しかし、それは分野にもより、文献にもよるでしょう。私は明治の競馬や会社を中心にしています。明治の競馬や明治の会社の文献では復刻刊行ということはあっても、版を重ねて内容が変わる文献はほとんどありませんし、私などは「そんなん、版が書いてなければ初版に決まってるやろ!」と思います。明治の競馬や明治の会社の資料ではISBNなんてついてない本の方が多いです。日本中央競馬会『日本競馬史 第3巻』何ページをもっと詳しく書誌情報書かなきゃわからんだろと言われても困ります。『日本競馬史 第3巻』は発行年や発行元など書かなくても『日本競馬史 第3巻』だけで確実に文献を特定できます。『源氏物語』や『わたるがぴゅん!』と『日本競馬史 第3巻』を同じレベルで書誌情報を要求しても仕方ない。お互いに総論と各論を分けて述べないとこういう行き違いが生じるのではないでしょうか?--目黒の隠居会話) 2015年4月14日 (火) 11:08 (UTC)

将来同名の別書籍が刊行されたら特定できないでしょう。ISBN が無くても ASIN は付いており、もしくは発行年と発行元さえ書いておけば将来に渡って識別性が担保されるのに、何で書きたくないのですか。- NEON会話) 2015年4月14日 (火) 14:53 (UTC)
  • コメント 目黒の隠居さんが書いた記事(たとえば板橋競馬場)を見ていただければわかりますが、目黒の隠居さんは実際にはちゃんと発行年も発行元も参考文献節に明記してらっしゃいます。書きたくないという話ではなく、なんでもかんでも一律にISBNや発行年を書かないとルール違反だよ、というわけではなく、個別の事情にあわせて適切に対処しましょうよ、ということでしょう。
私も明治時代の文献や公文書を使うこともありますが、その時代の文献の中には、国立や都道府県立の図書館に収蔵されているようなレベルのものでも、発行年や発行元が「不詳」とされていたり、ページ番号がふられていない資料もあります。手書きの文書を紐で綴じたようなものもあります。もちろんほとんどの場合、ASINなんて無いですよ。『日本競馬史』は一般販売はされなかった稀覯本ですが、古書がかなり出回っており、アマゾンでも取り扱っているので、たしかにASINはあります。(実物の本のどこを見ても書いていないASINをわざわざアマゾンで探してまで書かないと困る、というのもそれはそれで求めすぎな感じもしますけどね。)しかし、同じように一般販売されなかったものの中には、2000年代の文献でもISBNもASINもないものはゴロゴロあります。それでも公立図書館や日本の古本屋なんかで検索すれば容易に見つかったりします。
ひどく極端な例を出しますが、北海道立図書館の所蔵資料で「書名/札幌競馬場資料 6」「各巻書名/昭和十二年七月迄新営費綴(二) 財産綴。」「[出版者不明]/[出版地不明]/[出版年不明]」となっているものに対して「出版年とISBNを書け、ASINを書かないとダメだ、将来同名の本が出たら困る」だなんてさすがに言わないでしょう。「札幌競馬場資料 6」で国会図書館で検索すれば、唯一この文書だけがヒットするのであればじゅうぶんでしょうし、なんとなれば道立図書館の「資料番号」でも書いておけばいいわけで。歴史系でよくある「○○家文書」みたいなやつなんて大抵そういうレベルです。(極端すぎてWikipedia:検証可能性#アクセシビリティの観点で問題がある、と言う話はまた別として。)
そういうレベルのものと、ジャンプコミックスのようなものを一緒くたにして一律で語られても困る、文献や情報源を特定するために明記する書誌情報は、対象の情報源の性質によって変わりうるものであり、なんでも一律に版やISBNを求められたり、それを書かないと特定できないだろとインネンをつけられても困る、ということでしょう。--柒月例祭会話) 2015年4月16日 (木) 01:06 (UTC)
別に困らないでしょう。古書なのでISBN等のコードはありません、xx図書館に拠れば発行年や発行元は不明、と返事するなり追記するなりすればいい。歴史的文書ならば、蔵書施設が詳細を特定できていないことも重要な書誌情報ではないですか。
一律に書誌情報を求めることは間違いではありません。求められた上で分野毎の事情・多様性を踏まえた情報をきっちり返すことが必要なのであり、求めに対して「違和感」「因縁だ」「なくてもわかる」という態度をとることが問題です。- NEON会話) 2015年4月16日 (木) 04:36 (UTC)
  • コメント

利用者:Loasa氏が仰る通り、漫画に於いてオリジナルと愛蔵版であとがきの内容が変化することはよくある事例であり、そこを考慮せず「ふつーはオリジナルを連想するんだろうから現在入手しやすいのは最新発刊物の愛蔵版でオリジナルのあとがきは読めないだろうけど頑張って全種類揃えりゃ事実であることが判るからいいだろう」という考え方は編集者側の甘えではないでしょうか。ただ、それはルールに則って強制的に過去から現在に至るまでの全編集内容を書き換えろという話ではないので、今後何か問題が発生しないようにISBN併記を心がければ(今後同様に分かりやすい云々の議論をすっ飛ばして間違いなく判る情報になるから面倒がなくて)良い、程度の話であるかと感じましたが。wikibrakeの道を選ぶのは残念なことですが、まぁ個人の自由ですしこれまでのWikipediaへの多大な貢献お疲れ様でした。--Nami-ja 会話 / 履歴 2015年4月14日 (火) 11:53 (UTC)

  • コメント 今回問題になってた部分は著者のコメントですよね?源氏物語に著者のコメントなんて付いてません。古い書籍にISBNがないのは当然ですけど、今の書籍なら付いてますし、付いてなくても「いつ発行のものを参考にした」は書くべきじゃないでしょうか。例で出された『日本競馬史 第3巻』を当たるときには、書名のほかにいつ発行された、どの出版社から出たもので、著者は誰?のような形で書誌を特定していくでしょう。「一つしかない、当たり前だ」は知っている人だけに通用することであって、分野の違う人が調べるときに「これだよ」と特定するのを容易にするのは『日本競馬史 第3巻 (1968年/日本中央競馬会・著)』ぐらいは書いてあげておくべきじゃないかなと思います。せめて発行年は欲しいですね。書籍だから発行日を書かなくてもいいというのはおかしい話で、新聞などを出典にしたときに『見出し xx新聞』とだけ書いたらダメなのと一緒と考えるべきだと思います。--アルトクール(/) 2015年4月14日 (火) 15:20 (UTC)
  • コメント Loasaです。コメントを下さっている方々は、おおむね私の考えるところを汲み取っていただいていると思います。上の方でコメントされておりますように、私のお願いは「書誌情報」をきっちりと書いていただきたい、ということが第一です。たしかにHmanさんがおっしゃる通り、書誌情報をきっちり書くことはなかなか大変な作業です。私も新記事を書くとき、あるいは加筆するときの時間や気力の3〜4割くらいは書誌情報の取得や整備に費しています。記事を書くこと自体はある意味で愉しい作業ですが、こっちはむしろ苦痛な作業です。それでも検証可能性の担保こそ、Wikipediaの価値の重要な部分と考えていますから、時間をかけてでもやってます。いくら信頼性のある出典を参照していても、書誌情報がいいかげんでは意味がありませんから。
また、厳密な事を言えば「源氏物語」のような古典を参照する場合でも、本来はきっちりした書誌情報が必要なのです。その理由はノート:ローマの建国神話で詳しく述べているのでご参照下さい。
それにしても、私の言いようも少々きつかったかもしれないと反省しておりますが、Hmanさんのように自他共にベテランと称する方がこの程度のことを言われた位で子供みたいに拗ねたような発言をされるというのは意外でした。検証可能性を理解していない困った人達に対してあれだけ親切丁寧に根気よく説明されていた方とは思えず、私もちょっととまどっています。--Loasa会話) 2015年4月14日 (火) 16:23 (UTC)
コメント Hman氏は昔からこういう方でしたよ。あまり気にする必要は無いかと存じます。--Starchild1884会話) 2015年4月15日 (水) 23:45 (UTC)

コメント 出典として記載すべき情報は、「Wikipedia:出典を明記する#記載すべき情報」に書かれています。「ISBNや版数や刷数の情報」を書く義務はありませんよ。よって、その情報を書けというならば、①相手の「御厚意」にすがり平身低頭してお願い申し上げるか、②「実際」に出典に当たってみて、提示された情報では参考部分が特定できない場合か、③先のガイドラインを修正して提示義務化するか。のどれかでしょう。--123.220.9.32 2015年4月16日 (木) 10:19 (UTC)

企業記事に提供番組は必要か[編集]

企業の記事に、少しでも広告を提供していた番組を延々と記述していく執筆者の方がしばしばいるようです。

当該企業が単独で提供している番組なら、その企業とある程度関連性があるかもしれませんが、単に1スポンサーとして広告を出していることが、企業の記事に必要とは考えにくいと思います。

そうした記述が不要であるということを何らかの形で注意喚起した方が良いように考えられますが、皆さんのご意見も頂きたく、こちらに書き込ませていただきました。

どうぞよろしくお願い申し上げます。--Tasetebills会話) 2015年4月14日 (火) 14:32 (UTC)

全体に対する注意喚起よりも、そのような執筆者には「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」あたりを読んでいただくよう案内するなど、個別に対話すればよい問題のように思われます。--朝彦会話) 2015年4月14日 (火) 15:11 (UTC)
早々のご意見ありがとうございます。編集方針を強引に決めつけてはいけないというご意見をもらうこともありますし、こうした書き込みをなさる方も数的には多いようなので、一度皆さんのご意見も集約して基本的な合意を得ておいた方が良いのかと考えて、こちらに提起しました。
確かに「情報を無差別に収集する場ではありません」そのものですね、本来は。--Tasetebills会話) 2015年4月14日 (火) 16:09 (UTC)

出典として挙げた文献の内容をノートページに引用するルールの是非[編集]

発端はノート:アスペルガー症候群#出典の虚偽、曲解についてとなります。当該ページでIPユーザさん(106ではじまる方です)により、出典として挙げられた文献内容をノートページに引用しておく、というローカルルールが提案されました。私は、方針上からもそこまでの負荷を執筆者にかけるのは問題があると思い、反対意見を述べました。ところが、私の議論姿勢がまずかったところもあり(IPユーザさんからの提案であったため、アカウント取得をお願いしたのですがそれがよくなかった)、議論が平行線となったため、コメント依頼に提出したのですが、Assemblykinematicsさんからのコメントがあったのみで合意形成に至っていません。

以下議論参加者の方の主張です。

  1. IPユーザさん(106ではじまるIP)の主張は以下の通り。
    • ローカルルールとして、これ以降記載される記述内容はすべて出典文献(紙情報(書籍など)・Webを問わず)に記載されている内容をノートページに引用することとする。
    • これまでの記載内容については上記は求めない。ただし、必要に応じて「未検証」のテンプレートを用いて議論を行う。
  2. 私の考え方は以下の通り。森藍亭さんもおそらく似たような考え方(もう少し上記提案に対して厳しい考え方)と思います。
    • 当該記事はセンシティブな問題を扱っており出典の確保を厳しくする必要はあるが、出典の検証は検証者が当該出典にあたることで確認すべきであり、上記ローカルルール制定には反対する。
    • ただし、方針などで何らかの基準を設けることには反対しない(要するに記事個別のローカルルールではなく方針を策定してほしい) → これは私のみの意見です。森藍亭さんは言及していません。
  3. Assemblykinematicsさんの意見(コメント依頼より参加、以下は主に「ノート:アスペルガー症候群#コメント依頼を受けてを参照。)
    • 本記事は医学記事であるため、Wikipedia:信頼できる情報源#自然科学、数学と医学の制約を受けるはず。
    • オンライン出典でも質の高いものがある(かえってオンラインの方が質の高い情報を入手できる可能性がある)。学会誌の解説や論文は電子ジャーナル機関リポジトリとして公開が進んでおり、信頼できる情報源はオンラインの方が集めやすいかもしれない。ただしオープンアクセスでない購読登録が必要な電子ジャーナルも多く、誰でも読める訳ではない。
    • オンライン限定とすると拒否反応が出ると思う。出かねないし、信頼できる情報源であれば、書籍とオンラインの出典の双方を併記してはどうか。
    ※下2点は当初提案で出典をオンラインのみに絞るという提案に対してものです(元々の提案は誰でも検証できるよう、オンライン出典に限定するというもので、議論の過程で上記の引用という提案が出てきました。)
  4. 113.32.212.167のIPユーザさん
    • 出典引用を記したとしても「虚偽の出典引用」を行った場合、出典をあたらずに看過出来ないのではないか。
    ※これに関しては106ではじまるIPユーザさんが「虚偽の出典引用」は困難であるため出典引用は効果があるとの回答をしています。

本来はコメント依頼(合意形成のためのコメント)とすべきかとは思いますが、一度依頼して参加者が少なかったことから井戸端で質問とさせていただきました。上記主張の正当性などについて当トピックでも、当該ノートページでも構いませんのでご意見をいただきたいと思います。——以上の署名の無いコメントは、Kubouノート履歴)さんが 2015年4月15日 (水) 04:15‎ (UTC) に投稿したものです(Kubou会話)による付記)。 (一部、削除線を入れてより正確な情報に置き換えた上、補足を入れました。加筆部は下線が付いた部分です。--Assemblykinematics会話) 2015年4月15日 (水) 08:27 (UTC)、2015年4月18日 (土) 07:23 (UTC))

コメント 要するに出典として用いられた部分をノートページに引用と言う形で残し、検証をしやすくさせようというローカルルールが提案されたということでいいでしょうか。それはおそらくと言うかダメです。何故ならノートページであってもウィキペディアのページそのものに自己参照を行なうことは避けるべきだからです。検証とは、引用文をみて問題ないと判断するのではなく、編集者あるいは確認したい利用者がその検証できる情報に当たり、その結果問題ないと判断するべきものです。検証可能かどうかについては、一般的な図書館に収蔵されているものや、大学図書館に収蔵されていることが確認できるなら、それをノートページに「案内しておく」のは良い考えです。オンラインだけ、オフラインだけという議論はそもそもナンセンスです。オンラインは個人ブログのようなものから会員制有料サイトまで様々ありますし、オフラインは公立図書館などのほかに、書店で買えるもの、専門的なことをしている人に配布されるものまでこちらも様々です。一律でどっちが良くてどっちが悪いと議論することは不毛ですから、上げられた情報元が検証可能性と信頼できる情報源の両者を満たすかを検討することが重要と考えられます。--アルトクール(/) 2015年4月15日 (水) 05:51 (UTC)
コメント 反対します.WP:NOTLINKに反しますね.--AyaTademaru会話) 2015年4月15日 (水) 06:05 (UTC)
コメント 既に反対意見があり、明確な問題点が指摘されています。お二方のおっしゃる通りと思います。そもそも、「ノートに引用しないと検証が難しい」だからノートに引用しろ、と言ったって、原典からノートへ正確に引用されているかどうか確認するには結局原典を当たらなければいけないわけで、発想として破綻しているんじゃないでしょうか。--柒月例祭会話) 2015年4月15日 (水) 06:18 (UTC)
コメント 記事が精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)が改定される前の状態(2013年)の記述になっています。第五版日本語訳(DSM-5 ISBN:978-4260019071、2014年)等を基に書き換えるべきでしょう。無論、ネットで無料で閲覧できる資料ではありません。あと、英語版Wikipediaからの翻訳も有効かもしれません。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録) 2015年4月15日 (水) 07:57 (UTC)--(追記)「アスペルガー症候群#アスペルガー症候群と犯罪」「ノート:広汎性発達障害#「疾患との関係性が思案された事件」について」にもざっと目を通しましたが、Wikipedia:検証可能性とは別問題として、(改定された)DSM-5を適用すればアスペルガー症候群とはならない例が頻発する可能性がありそうです(矢幡洋のツイート)。節「アスペルガー症候群と犯罪」については、虚偽の出典引用の問題では無いように思います。--ジャコウネズミ会話 | 投稿記録) 2015年4月15日 (水) 09:59 (UTC)
コメント 自分がノートページにコメントした際の追記が反映されていなかったため、削除線を入れた上で修正させていただきました。なお、ノートページへの引用については、引用の要件を満たすかどうかという点からも問題があると思います。主従関係を満たす範囲で必要最低限という条件について判断が分かれそうで、そうなると著作権侵害に基づく削除依頼の頻発も危惧されます。ローカルルールという形ではなく、編集に対して異議がとなえられた際に議論の過程の中で出典の引用を求められる、という場合であればあり得るのかもしれませんが…。--Assemblykinematics会話) 2015年4月15日 (水) 08:27 (UTC)
コメント ノートではしばしば「この部分が出典ではこう書かれているのに、こうなっているからダメでは?」のように、文章を引用して記述されることがあります。ただ、それは「記述が最適な状況にあるのか?」や「独自研究となっていないか?」を指摘するために使われているのであって、引用そのものを表側の補記の形でノートに記述しているわけではありません。表の文書の検証活動の上で妥当性を問うために使うのは議論となりますが、表の検証性の担保の為に予め記述して(多分提案されているローカルルールの意図するのは、表に「本文のこの部分はノートを参照」と誘導してしまうこと)おくのはノートの使い方の範囲外で、それやるぐらいなら表に注釈なりで補記を入れればよいのではないかと考えます。ノートは議論の場であってメモを残す場所ではないと考えます。--アルトクール(/) 2015年4月15日 (水) 08:54 (UTC)
コメント なんというか、発端のノートでの長い議論を拝見しましたけども、
  • (前提)「疑わしい記述があり、出典がウソっぽいと思うんだけど、容易に検証できない情報源が出典なので」
  • (提案)「出典は全部ノートで引用すべき」
これ、問題に対する対策の立て方が話広げ過ぎなんですよね。ノートの議論を見ましたが、抽象的な話からいきなり話をおもいっきり広げて、言い方が気に食わないとか、アカウントを取得しないとどうだとか、本論に全然関係ない話で延々やってるだけ。具体的にどの記述が疑わしく、どの出典が怪しいと思うのか、全然書かれていない。個別具体的に、この部分のこの記述が怪しいので、誰かこの出典を検証してもらえませんか、で済んだ話だし、うまく行っている案件はそうやっているはずです。--柒月例祭会話) 2015年4月15日 (水) 10:15 (UTC)
コメント 私の意見はおおむね Kubou 氏がまとめたとおりですので、追加・変更するところはありません。厳しく見えるのは、私が、IP利用者氏の最初の提案(出典をオンラインのみに限定する)について、方針「Wikipedia:検証可能性」及びガイドライン「Wikipedia:信頼できる情報源」とは相反するもので、もし採用するのであればそれは方針文書の改訂を伴う性質のものである、と考えているからでしょう。その後の「代案」も同様。どう見てもオンラインで入手・閲覧できる文献以外の文献(ネイチャー及び関連誌のように、一般にオンラインでは要約以外閲覧できない文献を含む)を出典として採用しようとする編集者に、過度の負担をかける(その分ハードルが高くなる)ものですから。--森藍亭会話) 2015年4月15日 (水) 10:33 (UTC)
コメント IP氏の提案は現行のWikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源を根底からひっくり返すものであり、たとえローカルルールとして制定されたとしても実効性は認められないでしょう。また、ノートに全文記載するという行為について考えると、引用の要件(特に必要最低限、主従関係、必然性の3つ)を満たすことも困難であると思われ著作権侵害となる恐れが極めて高く、ケースB-1による削除依頼の提出が避けられないと思われます。さらに、「ありもしない記述を捏造するというのは、なかなかできる事ではありませんから、出典の虚偽申告を防ぐ効果は大いにあります」とIP氏は仰っていますが、その気になれば記述の捏造程度は簡単に行えるものであり、全文転載による抑止効果はほとんど期待できないかと。--Claw of Slime (talk) 2015年4月15日 (水) 11:52 (UTC)

コメント 本件では過去の記述の問題点のみならず、将来の書き込みに対する危惧も大きなポイントと受け止めています。最近あったこちらの編集を見て改めて感じたのですが、アスペルガー症候群は知名度が高い割にその実体への理解が薄く、誤解や揶揄の対象になることが多いのではないかと考えています。そのため、問題を提起された方の視点は尊重されて欲しいと思いました。

なお、本記事の英語版である「Asperger syndrome」を見てみますと、出典はDOIPMIDを付した学術文献がほとんどを占めており、詳細が「History of Asperger syndrome」や「Diagnosis of Asperger syndrome」に分かれていたりと、洗練された印象を持ちます。また、適宜自閉症スペクトラム関連の記事へも誘導されており、ジャコウネズミ様が指摘されたDSM-5の改訂も踏まえられているように見受けられます。

これに対して、日本語版の出典を確認してみましたが、公的機関や学術団体が発する情報も見受けられるものの、学術的な論文はほぼ皆無のようです。なお、「自閉症スペクトラム」の英語版である「Autism spectrum」には、「Template:Medref」という医学系の文献を出典として求めるテンプレートが貼られています。残念ながら日本語版はまだないようですが、このようなテンプレートを貼ることができれば、不十分ながら一つの解決策になるような気がしました。

また、遠回しかもしれませんが、記事の内容をクオリティの高いものにすることが、問題のある編集への障壁になるような気もします。それには英語版を参考に医学的な内容と社会的な内容を分割して棲み分けておくのも効果的かと思いますし、さしあたってはジャコウネズミ様がおっしゃられるように英語版を翻訳してしまうのが早道かもしれません(自分には医学記事を翻訳する力量はありませんが…)。--Assemblykinematics会話) 2015年4月18日 (土) 00:46 (UTC)、2015年4月18日 (土) 07:23 (UTC)

履歴継承表示が「本文中」で行われている翻訳記事[編集]

Y.Sandaと申します。翻訳記事の履歴継承についてご指導いただきたく参りました。

ミネソタ州立大学ムーアヘッド校という英語版からの翻訳記事なのですが、初版における翻訳元指定が要約欄ではなく本文中で行われています。この手法自体は非推奨とはいえGFDL上の問題はないと思うのですが、翻訳元として指定している記事へのリンクの記述が誤っているため機能しておらず、初版からリンクによって翻訳元記事を参照することはできません(ただし、記述内容から翻訳元を想定・特定することはできます)。そこで次の疑問が浮かびました。

翻訳元へのリンクは、リンクとして正しく機能していなければ履歴不継承扱いになるか

Wikipedia:著作権#利用者の権利と義務ではリンクを行うことが必要とされており、またGFDL4-1-2-Jには「ネットワーク的所在地」の保存が義務付けられていますが、今回のように翻訳元の記事が特定できる場合であっても、リンクが正常に機能していなければ(もしくはアドレスが正しく記述されていなければ)履歴不継承となるのでしょうか?

本文中で翻訳元指定が行われた記事の、初版以降の扱い

当該記事の初版の履歴継承方法に問題はない、という前提で以下の疑問があります。
第2版で本文中の翻訳元指定の表示が一部除去されています。この版以降本文から翻訳元表示が欠け落ちることになりますが、こういった場合以降の編集は著作権上の問題は生じないのでしょうか?

井戸端の記事はいくつか確認したのですが(例:12)、今回のようなリンク欠損については触れられておらず自身で判断ができませんでした。こういったケースへの対処はどのようになされるべきものなのでしょうか? --Y.Sanda会話) 2015年4月15日 (水) 14:48 (UTC)

コメント 追記 リンクなし(ただし要約欄に記入あり)の例としてWikipedia:削除依頼/ベルンハルト・ジークフリート・アルビヌス(存続終了)を発見しました。本件においてもこの解釈は適用できるものでしょうか。 --Y.Sanda会話) 2015年4月15日 (水) 15:11 (UTC)
コメントWikipedia:削除依頼/ベルンハルト・ジークフリート・アルビヌス」の基準でいえば存続の判断も可能とは思いますが、「ミネソタ州立大学ムーアヘッド校」の履歴を拝見したところ、現在版までの7版の内容が
  1. 初版。英語版からの翻訳。(Tocharaさん)
  2. マークアップ微修正と翻訳者メモ除去。(ミラー海神さん)
  3. マークアップ微修正。(ミラー海神さん)
  4. {{wikify}}テンプレート掲示。(IPユーザーさん)
  5. 基礎情報記載用のinfobox掲載。OBなどのトリビア除去。(別のIPユーザーさん)
  6. 校名の日本語表記揺れへの短い言及。(Tocharaさん)
  7. 記事間リンクなどマークアップ編集。(Nyao148さん)
といった感じで、今までのところそれほど大きな内容の編集がなく、仮にそれらの編集差分が見られなくなったとしても大した不便は無いように思いますので、メリットとデメリットを天秤にかければ版指定削除という判断も十分に合理性はあると思います。
ただ、それよりも、もし可能であればまず初版の投稿者の方に、翻訳元への履歴を完備した形で投稿をやりなおして頂けるかどうか伺ってみるのも一案だと思います。加えて他の4名の編集者の方にも削除に同意頂けるようであれば、これまでの全版を一旦全削除して投稿し直すのが一番のぞましいかと思います。若干面倒かもしれないので絶対そうしてくれと安易に言えるものではないと思いますが、存続か削除かルールの限界を突き詰めて思い悩む手間が省けてそのほうが意外とお手軽にすんだりする可能性もありますので、まずはそういう手段はいかがでしょうか。--ディー・エム会話) 2015年4月18日 (土) 06:29 (UTC)
報告 事後措置ではありますが、いちおう念のため翻訳元記事への履歴補填を追加しました。[2]--ディー・エム会話) 2015年4月18日 (土) 09:56 (UTC)
報告 (その2) 「じゃあお前がやれよ」と言われかねなそうなので、私ならこうする的な対応を実際に書き込んでみました(「利用者‐会話:Tochara」・「ノート:ミネソタ州立大学ムーアヘッド校」)。この対応で良いのか悪いのか私自身もそんなに自信があるわけではないのですが、少なくとも相手の方の経験値等によってはこの説明内容では冗長すぎてむしろまずいと思いますので、そのあたりは結局のところ状況に応じて対応するしかないと思います。なお、前回ご報告のとおり、保険として履歴補填も行ったので版指定削除の必要性はほぼ無くなったと判断し、選択肢として言及しませんでした。--ディー・エム会話) 2015年4月19日 (日) 06:12 (UTC)
返信 (ディー・エムさん宛) 反応が遅れて失礼しました、そして一連の履歴補遺作業等、ありがとうございました。何から何まで結果的にお任せする形になってしまってすみません……。
ケーススタディーとして今回の件を今後に役立てたいと思っていたのですが、ディー・エムさんのお考えだと今回の件は(補遺もしていただき)リンクの機能云々は特に問題ではない、ということになりそうですね。履歴記入忘れ自体はさして珍しいことでもないので、今回のように可能な限り初版投稿者さんに再投稿をしていただけないか仰ぐ姿勢は大切にしようと思います。お忙しいところ、お時間を割いてくださりありがとうございます。 --Y.Sanda会話) 2015年4月20日 (月) 09:14 (UTC)

返信 (インデント戻します) ケーススタディ的な意味で今回のケースの可否について説明を補足しますと、私の理解では、

履歴補填前(4/18日より前)の記事の状態
  • 初版:本文中の翻訳元の記載と言語間リンク(記事左下の「他言語版」"English" のリンク)を併せて解釈することで、セーフよりの△
  • 2版目以降:「翻訳」の記載が無いため(とはいえ初版要約欄の本文序文の写しから翻訳記事と判断できるようにも思えなくはないので)アウトよりの△
履歴補填後(4/18日以降)の記事の状態
  • 初版以降(すべての版):履歴ページに元記事へのリンクと翻訳版であることの記載が加筆されているので、セーフよりの△(ただし事後に履歴を参照する利用者に対して分かりやすい記載方法とはいえないので積極的にどんどん推奨すべきものでもない)

というかんじです。ただし、たとえばWikipedia:削除依頼/ベルンハルト・ジークフリート・アルビヌスの審議をみても、結論は存続で満場一致ではあるものの、それぞれコメントの中身の解釈に微妙な相違が見られるように(私の理解では当該審議の中ではTondenhさんのコメントが参照している根拠も含めて最も正確)、そのあたりの認識が全ての編集者間で必ずしもきちんと共有できているわけではないのであまり突っ込んだ話をしにくい面があり、先のコメントでは意図的にぼやかしたというか詳細説明を避けました。しかしその前提が見えないと結論だけ言われても判断材料にはしにくいですよね、すみません。--ディー・エム会話) 2015年4月21日 (火) 04:32 (UTC)

返信 (ディー・エムさん宛) 難しい案件に明確な答えを求める形になってしまい、またそれにお答えをいただけて恐縮です。たびたびのご厚意に感謝いたします。
なるほど、初版時点での言語間を併せて解釈する、ということなのですね。2版目以降が限りなくアウトに近いというお答えもお寄せくださり、ありがとうございます。Wikipedia:翻訳のガイドラインで推奨されている手段ではないうえ、Wikipedia:削除依頼/ベルンハルト・ジークフリート・アルビヌスでの解釈も人によりばらつきがあるということなので、今回のような案件は「救済的に解釈できないことはないが、手段としては本来推奨はできない」ということは理解しておく必要がありそうですね。とすると、やはり望ましいのは今回ディー・エムさんがしてくださったような、必要最低限の履歴の補遺ですとか、一番よいのは問題のない形での再投稿の依頼、ということになってくるでしょうか。 --Y.Sanda会話) 2015年4月21日 (火) 09:43 (UTC)
私の経験談なのですが、以前、他記事からのコピーをする際に要約欄の記入をミスってしまって自分で即時削除を依頼をしたことがあります。それがルールや理屈として是か非かという以前に、もっと単純に、要約欄の些細な記入ミスが延々と履歴に残り続けるよりもできれば普通にきちんと書きなおさせて欲しいというのが当事者としての率直な感想でした。同じ経験をした多くの方がそうかもしれません。なので今回の件でもこのような対処方法を提案したのですが、とはいえ実際に当事者の方々や他の編集者がどういう判断をされるのかは分かりませんので、このやり方がいつも正解と言いきれるものでもないと思っています。ですので、今回の対処方法が必ずしもそのまま他の事例にもあてはめられるということではなく、そういう問題との向き合い方というか考え方の一例として眺めていただければ。抽象論ですみません。--ディー・エム会話) 2015年4月21日 (火) 16:37 (UTC)

道路記事における記事のあり方についての質問です[編集]

初心者的な質問で恐縮ですが(当方の活動経験は5年超です)、どうしても私個人の判断力では考え及ばないため皆様のお知恵をお借りしたくこの場にて質問させて頂きます。名古屋第二環状自動車道(以下「名二環」と呼称)の大治南インターチェンジの編集を行いましたところ[3]WP:NOTGUIDEおよび無出典を理由に執筆が取り消されました。では出典として地図は有効であるか否かを問うた所、「百科事典たるウィキペディアの本分はあくまでもインターチェンジ設置の社会的背景や経緯の説明であり、利用ガイドではありません」とのご回答を削除された方より頂戴致しました。当方、出典はもとよりこの「利用ガイドではありません」に引っ掛かりを覚えました。名二環(内回り)大治南ICの次は名古屋高速5号万場線東名阪自動車道で、それすなわち大治南IC出口が名二環にとっての最終出口となります(もっとも、大治南ICが最終出口という根拠を示せとのご要望に対し、では地図で大丈夫かと問い返した訳で、地図を出典として認めて良いなら提示する用意があります。ですがここでは出典よりもNOTGUIDEに焦点を当てて参ります)。この「最後の出口」たる事実を執筆することは「利用ガイド」としてWP:NOTGUIDEに抵触するのかという点です。例えば、横浜駅にて「横浜市の中心駅であり、JR・私鉄・地下鉄の各線が集まるターミナル駅である」「島式ホーム4面8線を有する地上駅で、のりばの番号は京急からの通し番号になっている」との案内文が載せられていますが、これらの事実はNOTGUIDEが当てはまるのか、ということです。駅を説明するにあたって、設置された社会的背景や経緯の説明を記述するだけでそれで充分か?ということでもあります。何も駅弁のメニューやホームのどこそこでたまにこんな催しが行われる、と記述することを承認せよと言っているわけではありません。駅の記述を「設置された社会的背景や経緯」だけの内容に絞れば、何とも味気ない内容になると考えます。「年度別一日平均乗車人員」も停車列車もNOTGUIDE故に載せてはいけないのでしょうか?これについての皆様の意見をお寄せいただければ幸いに存じます。--Oka21000会話) 2015年4月16日 (木) 12:54 (UTC)

  • コメント どこから何処へと通じるというのは、道路の本質に関わる重要事項だと思います。その道路を利用する理由も、独自研究や瑣末でなければ、あって問題ないと思います。そもそも、notgideは利用ガイド的に書いていけないということで、利用ガイドと同じことを書いていけないというわけではありません。--Yhiroyuki会話) 2015年4月16日 (木) 13:49 (UTC)
  • コメント差分を拝見しました。厳し目の意見かも知れませんが「名二環にとっての最終出口である」ことを書くうえでは、出典は地図だけでは足りないように思います。「厳しめ」というのはつまり、みちまんさんは高いレベルの水準を求めてらっしゃるということです。
高速道路というのは(普通の道路もですが)、全通する前から部分的に供用されるものであり、ある時点で地図上では○○ICまで供用されていることはわかっても、そこが「最終出口」という術語で言ってよいかは怪しいと思います。「飛鳥IC」まで延伸の計画があるなかで、その途中のここを「最終出口」と表現するのかどうか。堅い出典(つまり、国交省や自治体やNEXCOが出すような資料)が「最終出口」というような(平べったい)表現をするのかどうかもどうだろう、という感じもします。もうちょっと砕けた、新聞記事やガイドブックあたりだとそうした記述もあるかもしれません。
名古屋第二環状自動車道も読みましたが、(出典がないのでアレですが)もともと「東名阪」の途中のいちJCに過ぎなかったのが、2011年に再編があって路線の区分けや名称を変更して今に至る、というような経緯が書かれており、「大治南が最終」という観念がどこまで有効なんだろうという感じはします。
これには容易な回避方法があって、要は「最終」と書かなければいいんです。「大治南インターチェンジを過ぎると次は名古屋西ジャンクションを経て東名阪自動車道や名古屋高速5号万場線に入る」みたいな表現であれば、地図出典でも許容範囲かなあという気がします。
みちまんさんがおっしゃっているもう1つの点、つまり「そんなことは書くに値することか」についても、この方法ならば許容範囲かなあというふうに思います。たとえば、地図で確認できるからといって「大治南ICを過ぎると左へカーブする」とかいちいち書く必要があるのか、ということです。別の出典がそう書いているなら、それは書くに値するから書いているんだろう、と推定されるわけで、そういうものが何もない状態で単に地図からよみとれるだけの根拠で書くのはいかがなものか、ということです。「最終出口である」という表現からは、「ここで降りないともう一般道に出れないよ」というような趣旨と、「最初の、2番めの、3番目の、4番目の、最後の」というような趣旨とが読み取れます。後者の場合、じゃあ「大治北IC」に「最後から2番めの出口である」とか、「甚目寺南IC」に「最後から3番目のICである」とか、「甚目寺北IC」に「大治北ICから数えると2番めのICである」とか、地図から読み取れるからといっていちいち書くのか、ということになります。書きませんよね。ふつう。これも、もし書くのであれば、そう書いてある出典があれば・・・ということになります。前者の「ここで降りないと・・・」の意味の場合、まあ結局これも「そんなこと書くに値することなの?」ということになります。普通に走ってればそのまま引き続き高速道路を走っていくわけですし、高速道路の名前が変わったからなんなの?という感じがします。「当ICで降りないと、次はどこどこまで降りられない」というような記述は、「大治町役場に行くなら大治北ICで降りないと遠回りになる。」と書くのと近いレベルの記述であるようにも思います。「のぞみに乗って、名古屋で降りないと、次は京都まで止まらない」みたいな話でして。つまり、「それはそうなんだろうけど、それをいちいち書く必要あるの?」という疑問に対する答えは、それをわざわざ書いてある出典を持ってくることです。
これも回避方法はあって、「○○ICから先は路線が変わって○○自動車道になる」「○○ICから先は料金体系が異なる」というような記述であれば、記述の性格は変わるように思います。(しかしそんな情報はふつう地図からは読み取れません。)
最初に「厳しめの意見」と書きましたが、仮に大治南インターチェンジという記事がじゅうぶんなボリュームと豊富な話題のある立派な記事だったら、この程度の記述は見逃されるような許容範囲かもしれません。逆に緩い目にみれば、道路系の記事はたいがいこんなもんであり、もっと情報に乏しい記事もいっぱいありますので(愛知県道40号名古屋蟹江弥富線みたいな記事です)、誰の目にも止まらなければ放置されていただろうという程度の記述かなあという気もします。(実現が困難な)理想論だけ言うと、百科事典での道路の記事は、その道路の建設によって交通や経済がどう変わったとか、誰が計画に尽力したとか、どういう動機で計画された道路なのかとか、物流にどう貢献しているのかとか、そういうことが書いてあるのが理想型です。御幸道路(GA)や北越急行ほくほく線(FA)が交通系のマスターピースです。まあいきなりそこまで話を広げるのは持って行きすぎですが、目指すべき方向はこういうものだ、ということでしょう。御幸道路#地理にも、似たような記述がありますが、ちゃんと出典があります。(例「大鳥居をくぐると下り坂になる[48]」)この水準で書けば、堂々とできるでしょう。--柒月例祭会話) 2015年4月16日 (木) 15:02 (UTC)
  • コメント 大治南ICが名二環内回り最終出口であるから、次の蟹江ICなどの前に料金所があって料金区分が変わる(例えば首都高速4号の永福出入口のようなもの)があるなら、特筆するべき内容かもしれないと検討できますが、単に一つのICであるなら「この先、同一路線の降り口がない」ことは特別なことではないと考えることが出来ます。単純な疑問なんですが、大治南に限らず名二環のICのほとんどがハーフICに該当するんだと思うんですが、路線マップみると、同一方向への出入り口ではなく、西行入口/南行出口あるいは南行入口/西行出口タイプのハーフICじゃないんでしょうか?概要や名古屋第二環状自動車道#インターチェンジなどの説明では同一方向の出入口が設置されている路線と解釈できるのですが、私はこの路線を利用したことがないので「どうなの?」ということでお話させていただきました。--アルトクール(/) 2015年4月16日 (木) 15:26 (UTC)
  • コメントあまり議論に参加出来ないので単なる意見になってしまいますが、本件問題はどちらかと言うと特筆性の問題です。
出典として地図は有効であるか否か
一般論として
地図は「事実の複製」であるので二次資料ではありません。二次資料ではないので出典として不適切であると考えます。wikipediaは一般に百科事典と呼ばれる「三次資料」なので、wikipediaに於ける出典は(特殊な場合を除いて)二次資料でなければなりません。
本件問題に限って
上記の特殊な場合とは、「百科事典に記載すべきか否か以前に虚偽疑惑がある/閲覧者が誤認し易い」場合です。本件問題では「大治南ICは名二環の最終出口ではない」と反論をされているわけではありませんので、「大治南ICが名二環の最終出口である」証拠となる一次資料を提示する意味はありません。本件問題の争点はその記述の特筆性/有用性です。
実際、内容除去を行なったみちまん氏はその要約に「路線が異なるとか別料金だとかで掲載するならば特筆たる出典を要する」と書いています。特筆たる出典です。故に本件問題に於いては、地図は出典として有効ではありません
「最後の出口」たる事実を執筆することは「利用ガイド」としてWP:NOTGUIDEに抵触するのか
一般論として決定することは不可能です。特筆性の問題です。少なくとも「特筆性の無い」事実を執筆することは明にアウトです。WP:NOTGUIDEはこの「特筆性の無い事実」を執筆しないように促す為の数あるガイドラインの一つに過ぎませんので、如何なるガイドラインに抵触していなかろうとも「特筆性の無い事実」を執筆出来るようになるわけではありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年4月17日 (金) 05:02 (UTC)

Yhiroyukiさん、㭍月例祭さん、アルトクールさん、Maddestmagicianさん、貴重なお時間を割いて当方の質問にご回答頂き有難うございました。貴重なご意見を鑑みるに「特筆性」に焦点が絞られるものと解釈致しました。もう少しご意見を募ってみましても恐らくはこの点に収斂されるものと考えます。どうも私は問題の本質を見誤っていたようです。「最終出口」たる事実はさしたる意味を持たないということには流石に頭が回りませんでした。現に最終出口ではあるけれど、これは中間の山田東ICでも出口は出口で最終も中間もありませんからね。あと、「この水準で書けば、堂々とできるでしょう」とのご意見には大いに今後の執筆に対する勇気を頂きました。ただ、一朝一夕には完成された記事には到達できないでしょうから、今後暫くは画像の投稿に専念し、並行して出典資料の収集を行い、時機を見て執筆に取り掛かりたいと考えています。このたびは有難うございました。--Oka21000会話) 2015年4月17日 (金) 13:51 (UTC)

  • (コメント)私は「百科事典たるウィキペディアの本分はあくまでもインターチェンジ設置の社会的背景や経緯の説明であり」というのは、疑問というか本末転倒だと思います。知らない人が頑張って勉強をしなくてもいいように、知識を集めて解説し啓蒙するための本が百科事典で、その項目を説明するのに何が有用になってくるかはその項目によって変わるものと思います。ただ、次の出口は遠いからここで降りなければならないというような情報は、ある意味、社会的な背景の解説に繋がるものであるとも言えます。次の出口が遠い程、路線のネットワークの中で意識すべき要所になります。近ければ忘れててもさほど問題無い出口になります。どこらへんに置いたらいいかということを考えて設計されているはずで、その地域の背景があってこその道路ネットワークです。なので「東名阪自動車道蟹江IC、又は名古屋高速5号万場線烏森出口まで降りられない」という情報自体は悪くないですが、もう一歩進めて、それらの出口までの距離とか方向をきちんと書いていくというのもあると思います。他の地方の人が読んでも蟹江とか烏丸と言われても分からないですから。特記すべき事柄かどうかと無関係に、いろんな道路にそういった情報まで書いてあれば、この地方はこのくらいの距離でICが置かれるのが普通なのかとか、うちの地方より出入り口が密に配置されているようだとかいうことも判断できる記事になっていくのでは。--Sureturn会話) 2015年4月19日 (日) 04:31 (UTC)

英語版からの転記に伴う、ライセンス表示と出典リンクの「閲覧日」の更新についてお聞かせください[編集]

ランドウィックギニーズという記事のこの編集について、2点ご意見を頂きたく思います。

ただ、転記の内容は「表」「単なるデータの羅列」と言ってもよいものであり、著作性の有無が問われるような気もします。(示されている出典は1年毎のものであり、表組はウィキペディア独自のものなので、このスタイル自体に著作性がある、とみなすこともできるのかもしれません。)私には判断がつかないので、みなさんの見解、詳しい方の判断を依頼したく思います。
  • (2)持ち込まれたのは「表とその出典」なんですが、出典は1年づつ1つのURLになっています。英語版から持ち込むにあたって、英語版での「閲覧日」がそのままコピー&ペーストされており、おそらくコピー&ペーストを行った利用者は「2015年2月27日」に閲覧をしていないと思うのです。
理想的なのは今回の持ち込みにあたって、1件1件内容を確認したうえで、「2015年4月15日」(実際に確認した日)の日付に直すべきだったと思うのですが、このような持込みかたは許容できるものでしょうか。
実際問題としては、各リンクは現時点で有効であり、いまから1つ1つ確認して日付を修正すれば済む程度のことなんですが、マナーとしては芳しくないようにも思います。細かいことを言うと「held 16 March 2013」は「2013年3月16日開催」という意味ですから、持込みにあたってはそこもきちんと直すべきだったと考えます。--柒月例祭会話) 2015年4月18日 (土) 12:13 (UTC)
(1)完全なコピペでかつ一致する範囲がやや広い点が気になるところですが(すなわち、表現の自由度が高いので「ありふれた表現」のため一致したとは言えなくなってくる)、素材の選択・配列ともに創作性が無く、編集著作物には相当しないと判断します。各年ごとにその勝ち馬を中点の箇条書きで表すというのは、素材の選択・表現としての配列の仕方ともにごくありふれたものと思います。競走の名前変更で箇条書きが区切られている点や、†による注記内容、脚注出典の付与も同様なありふれた表現の範疇と考えます。言い換えると、英語版を知らない人がこの競走の勝ち馬をリストアップすることを仮定したとき、結局は同じような表現になる可能性が十分高い、ということだと思います。以上のような理由から著作物性は無いので削除は不要と私は思いますが、このような投稿を推奨しているわけではなく、10人中10人が著作物性無しと言えるレベルの表現でなければ、著作権侵害かどうか一々検証しなくて済むように履歴継承をしておくことを推奨します。
(2)Template:Cite web#翻訳においてのaccessdateの注意で関連する記述がありますのでご参考ください。少なくともオンライン(すぐに確認できる)のものならば翻訳途中に確認して閲覧日も更新するのが理想と私も思いますが、現在のところ、そのように推奨する方針・ガイドライン類は無かったと思います。--Yapparina会話) 2015年4月19日 (日) 03:03 (UTC)

削除を避けるにはどうしたら[編集]

ある女性の記事について質問したいです。

ある女性の記事が作成されたのですが、その記事の文章のなかに、具体的な大学名が挙げられ現在ある大学に在学中であるとの内容が書き込まれています。出典としてきちんと新聞記事を挙げていたのですが、ある方がその新聞記事をわざわざ調査してみたところ、その記事には大学に在学中などとはかかれていないと指摘されています。このばあい、わざわざ削除依頼を提出するほどのことなのでしょうか。また、仮に提出することに問題がなかったとして、いちいち削除が必要なのでしょうか。また、もしこのままでは削除せざるを得ないというなら、どのように改善すれば削除を回避できるか教授いただきたいと思います。たとえば、ある大学に在学中だと書かれている別の記事を探し当てれば、それを出典として差し替えてあげれば削除は回避できるのでしょうか。

こんなことで記事が全削除されるのはもったいないため、削除を回避する方法があればとおもっています。なおこの女性と女性が所属する事務所は、現在在学している大学名は公表していませんが、すでにファンの間では相当に広まっている情報だと思われます。いまのところ大学名が明記されている記事は見つかっていないのですが、すでにファンの間では公知である以上、記事が見つかるのは時間の問題だと思います。また、事務所や本人もいつかは大学名を公表するであろうと予想できます。—以上の署名の無いコメントは、180.43.9.14ノート)さんが 2015年4月18日 (土) 12:12 (UTC) に投稿したものです(コメントの最後に--~~~~と書くだけで自動的に署名できます。--Triglav会話) 2015年4月18日 (土) 13:40 (UTC)による付記)。

公表されていない情報であれば記載すべきではありませんし、ケースB-2で削除対象になります。その人物がどなたなのか存じませんが「いつか公表するであろう=公表されていない」です。記事自体については是非とも残すべきとお考えであれば、記事から当該情報を編集除去した上で、当該情報が記載されている版について「版指定削除」を削除依頼してください。もちろん、その人物が単独立項に値することが大前提ですけどね。--KAMUI会話) 2015年4月18日 (土) 13:33 (UTC)
◆えーと、具体的な出来事がわかっていないので不正確な内容になりますが、記事が丸ごと全部削除されるような危険な状態ではないと考えます。少なくとも「真偽不明な大学名が書いてあるので記事を全部削除します」ということは起こりません。心配であれば、その大学名が書かれている部分だけ除去すれば(問題のある部分が大学名だけであるならば)問題は無くなります。大学名以外にも「記事が丸ごと全部削除されるような問題」があるのなら別ですが。
記事が見つかるのは時間の問題
記事が見付かれば良い、というわけではありません。wikipediaは「事実」を書く為の場所でも「正しいこと」を書く為の場所でもありません。極端なことを言えば、出典特筆性があれば「事実でないこと」でも記載可能なのです。その場合には中立的な観点に沿って書かなければならないので容易ではありませんがね。
なお、存命中の人物に関して記載するなら、存命人物の伝記を書く際の注意点を読んでおくと、より良い執筆が出来ると思います。
最初から完璧な記事を書くことが出来るはずはありませんので、まずは大学名部分を除去するところから始めて、少しづつ貴方が愛する誰だかの記事をより良くしていくことに貢献していけば良いのではないでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年4月18日 (土) 13:46 (UTC)
コメント 「事実でないこと」については資料を採用しないように心がけていただきたいのですが(笑)。さて、基本的な考え方として「人は皆、プライベートは守られたいと願っているはずだ」と心得てください。芸能であれ、スポーツであれ、その活動が大学と密接に関係しているのであれば、既に本人か大学から発表されているはずです。発表がないということは、その勉学はウィキペディアへの記載理由となっている芸能スポーツ等の事象と関係がないと判断されているからでしょう。本人視点で考えれば、ご学友に迷惑を掛けたくないといったところでしょうか? 当然ながらご学友ならウィキペディア記載人物であることは承知しているわけですが、プライベートなので書くべきではありません。大学名が未公表なのは比較的めずらしいのかもしれませんが、この場合は未発表の小中学校名と同類だと考えるべきでしょう。--Triglav会話) 2015年4月18日 (土) 14:06 (UTC)
コメント 皆様からのご意見におおむね賛同なのですが、私からも補足でコメントさせていただければと思います。「ある大学に在学中であるとの内容が書き込まれています。出典としてきちんと新聞記事を挙げていたのですが、ある方がその新聞記事をわざわざ調査してみたところ、その記事には大学に在学中などとはかかれていないと指摘されています」とのことですが、そのような出典の挙げ方は問題があります。もしIP:180.43.9.14ノート / 履歴 / ログ / Whois IPv4IPv6さんがそのような記述をしたご本人なのでしたら、今後はご留意いただければと思います。ウィキペディアでは独自研究の記載を防ぐため、出典が重視されています。新聞記事に大学の情報が記載されていないにもかかわらず、あたかも新聞記事を出典として使用したかのように偽って大学の情報をを書き込んだとすれば、出典を偽装したといわれも仕方がない行為です。そのような行為は、検証可能性を低下させることに繋がりますので、ぜひ控えていただければと思います。過去にも、実際に参照した資料を隠すため、別の資料を出典元だと偽っていた方がいらっしゃいました。こんなことをされては、他者が検証することができなくなってしまいます。また、最近も偽の出典を挙げて大学名を記載した方がいらっしゃいました。その方は『朝日新聞』や『ViVi』を出典として大学名を記載していたのですが、検証しようにも2014年の『朝日新聞』なら縮刷版等でなんとかなりますが、2013年の『ViVi』なんて収蔵しているところが限られていて大変手間取りました。手間暇かけて双方を検証したところ、どちらも嘘だったことがわかったのですが、結果として検証者には徒労感だけが残るわけです……。このように、偽りの出典を挙げるような行為はウィキペディアにとって何のプラスにもなりませんし、特に存命中の人物の場合はより慎重な記述が求められますので、ぜひご留意いただければと思います。--Nnkrkrhhdi会話) 2015年4月18日 (土) 21:25 (UTC)
  • こちらの方ですね。話しが遠くなるので「ある女性」とするのはいいですが、記事への誘導を考えて下さい。これは記事の全削除ではなく、版削除を求めている話しです。削除が済んでも、見た目はなんら変更されません。過去の編集履歴の一部が見えなくなるということです。出典のうちの1点は検証していませんが、虚偽出典を指摘されている記述を加えたのは利用者:CHELSEA ROSEさんです。--ぱたごん会話) 2015年4月19日 (日) 03:21 (UTC)

どいつもこいつもB-2案件の削除対象をわざわざ拡散させてる馬鹿ばっかりである。何よりも最初の質問者が馬鹿すぎる。桜井玲香が削除になると勘違いしてる上に版指定削除も特定班削除も知らない。しかもB-2事項を拡散。早くWikipedia:削除依頼/桜井玲香2を対処すれば済む話だ。--177.55.253.68 2015年4月20日 (月) 13:49 (UTC)

こんなことで記事が全削除されるのはもったいないため、削除を回避する方法があればとおもっています井戸端に馬鹿初心者が出現するのは毎度の事だがここまで馬鹿な奴が居るとは。--177.55.253.68 2015年4月20日 (月) 13:51 (UTC)

質問者は具体的ページ名に言及していないのにどうして記事の特定に至ったんだろう? --Triglav会話) 2015年4月20日 (月) 14:43 (UTC)
蛇の道は蛇というものではないでしょうか、自分は2chのどこそこで見つけましたが。さておきCHELSEA ROSE氏の誤記載は十分に問題であり一定期間ブロックされてもやむなしです。ただ、氏に対しどの部分がどのように不適切であったかを本人には直接なんにも言わずに余所で名指しした上で『出典偽装』とか『虚偽出典』とか言うのはWP:CIV的にどーかと思います。あーいう物言いは『相手がやってしまった不適切なことに、あれやこれやと言いがかりをつけること』に近しいもので『今起きている争い、そしてその次の争いの解決を難しくするだけです』。--210.141.54.58 2015年4月20日 (月) 16:11 (UTC)
2ch経由で、このページしかご覧になられてない方々には、ここの進め方に間怠っこしさを感じてるんでしょうね。質問者さんは超初心者ですが問題のページ(ご指摘のページとは限らない)は伏せてあるじゃないですか。十分に賢いと思いますよ。これをきっかけに執筆などの活動を始めてくださると、こちらとしてもありがたいのですが、そうでなければ感想戦は2chでやるべきでしょう。--Triglav会話) 2015年4月20日 (月) 21:54 (UTC)