Wikipedia:井戸端
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カテゴリ " 井戸端の話題/2012年/1月/下旬 " はありません
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[編集] 外部リンクの掲載
外部リンクの掲載ですが、私のノートや件の利用者ページでも話題がありましたが、個人サイトの外部リンクへの掲載の是非について少し触れましたが、私は個人サイトは公式なものではなくしかも検証可能性に抵触しているものもあるので掲載しないほうが望ましいと思いますが、これについて皆さんの意見を聞かせてほしく思いますのでよろしくお願いします。ジャスト宣言 2011年12月22日 (木) 17:06 (UTC)
- ここでは一般論だけに絞り、個別の話は個別記事のノートに書きます。
- 個人サイトであっても、項目の理解にとって有効であれば外部リンクへの掲載は可能であり、むしろあった方が良いでしょう。一般的には外部サイトの文章には著作権があるので、それを著作権違反とならないように記事に書こうとするよりも詳細については外部リンクを参照させる方が良いと考えます。
- 検証可能性については、外部リンクの掲載とは別の話でしょう。ただし、個人サイトであってもそれがはっきりとわかるように書かれていれば通常検証可能性に反しないはずです。--アルビレオ 2011年12月22日 (木) 21:36 (UTC)
- 個人的な印象として、分野にもよるのかもしれませんが、WP:EL#掲載すべきでない外部リンクの「2.検証不可能な記述によって読者に誤解を与えるようなサイト。」に当てはまらない個人サイトを見た記憶がほとんどありません。なので、ほとんどの個人サイトは掲載するべきではないと考えています。--Haifun999 2011年12月23日 (金) 03:12 (UTC)
私は、むしろ外部リンクの定期的な巡回を望む。リンク切れの外部リンクは散見されるし、全外部リンクをチェックしたら相当量の外部リンクが無駄なものになるであろう。ということで、外部リンクの掲載をした場合は、定期的なリンクチェックを要望する。0null0 2011年12月23日 (金) 05:46 (UTC)
- 既にWikipedia:外部リンクの選び方で答えが示されている問題だと思うのですが。
- 上記ルールに則れば、個人サイトで有る事だけを理由に除去するのはNGだと思います。また、明らかに上記ルールで禁止されたリンク以外の場合、仮に掲載すべきでは無い物で有ったとしてもルールでは原則的に排除されるべきでは無いと明言してます。
- つまり簡潔に言えば、ルールでは確実にOKな物とNGな物が明示されていて、それ以外のグレーな部分(掲載すべきでは無い物を含む)は排除では無く、検討せよ・・と言う事だと思いますので、不適切だと感じた人は、事前にノートで議論を起こすべきだろうと思いますし、その反応を様子見した後に問題なければ排除すれば良いのでは?と思います。
- ただ、確かに中立性や検証可能性を満たさない個人サイトへのリンクが多いとは私も感じていますが、でもこの辺も結局人や記事のジャンルによって許容度が変化する性質の物だとも思いますので、最低でもノートで排除予告し一定期間を経て排除するのが望ましいかと思います。
- --Toshi999 2011年12月23日 (金) 07:50 (UTC) 追記:--Toshi999 2011年12月23日 (金) 07:56 (UTC)
時と場合によりけりだと思います。例えば「個人サイトは公式なものではなくしかも検証可能性に抵触しているものもあるので掲載しないほうが望ましい」「ほとんどの個人サイトは掲載するべきではない」というなら逆に企業・団体・法人のサイトは全てウィキペディアの記事に掲載しても良い、ということになりますが、当然この考えは大間違いです。記事を補足する訳でもないのに企業のサイトを外部リンクに貼る等の行為は明らかにウィキペディアで禁止されてる広告・宣伝行為そのものです。逆に検証可能性を満たす個人サイトとしては星合重男氏が開設した日本の企業博物館があります(最も星合氏は企業博物館の研究者なので、厳密に言えば「個人サイト」ではなく「学者・研究者の公式サイト」と言えなくもないですが、サイトのタイトルが「星合重男公式ウェブサイト」等ではないので、ここでは個人サイトとして扱います)。以前私が議論を起こしたWikipedia:井戸端/subj/日本の地方区分についての疑問に関してインターネット上のベージを検索した際にこのサイトを発見した時最初は「個人サイトか?」と思いましたが、星合氏は国立歴史民俗博物館情報資料研究部に勤務されているプロの研究者であり、個人サイトではありながら「検証不可能な記述によって読者に誤解を与えるようなサイト」に該当しないといえます。何はともあれ、このサイトのおかげで「関東・東京地方」が「九州・沖縄地方」と同じ位使われる表現であることが検証できたことにおいても、「日本の企業博物館」が中立性や検証可能性を満たしたサイトであるといえるのではないでしょうか。--Green Rain 2011年12月25日 (日) 09:34 (UTC)
- 歴史民俗博物館に勤務する研究者のサイトが地方区分の呼称の出典になる、という主張は全く理解できません。- NEON 2011年12月26日 (月) 11:40 (UTC)
- Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源における「例外」として認められるかどうかだね。大抵はより上位のソースからが望ましいけれども、まったく理解できないということはない。--Afaz 2011年12月26日 (月) 12:36 (UTC)
- 私もNEONさんと同意見で、歴史民俗博物館に勤務する研究者が企業博物館を紹介した個人サイトで関東・東京地方という区分を使ったからといって、それによって一般的に関東・東京地方が九州・沖縄地方と同じぐらい使われる表現であることが検証できるという論理展開は全く理解できません。企業博物館に関する記事に、星合重男氏のサイトを外部リンクとして記載するかどうかなら議論の余地はあるかと思いますが。それはさておき、私もノート:塚原卜伝#外部リンクについてで議論中ですが、一般にその記事に関する分野において客観的に一定の評価を得ている学者や研究者などのもので、かつ内容も検証可能性や中立性などを満たしていない限りは、個人サイトの掲載は不可だと思うのですが。--立花左近 2011年12月26日 (月) 13:57 (UTC)
- 個別の議論は個別の記事のノートやプロジェクトなどでするべきであり、ここでは全体に関する話をするべきでしょう。
- 外部リンクとして記載するかどうかは、あくまでその記事にとってその外部リンクが役にたつかどうかで決めるべきです。立花左近さんが触れられたような学術分野の記事においては個人サイトを掲載する場合のハードルはかなり高いでしょうが、趣味の分野ではアーティストの作品一覧などをファンの方が自分のサイトに公開していることがよくあり。個人のサイトだからと言って外部リンクを削除すると、明らかにその記事の対象であるアーティストの理解の妨げになることがあります。--アルビレオ 2011年12月28日 (水) 22:22 (UTC)
- 私もNEONさんと同意見で、歴史民俗博物館に勤務する研究者が企業博物館を紹介した個人サイトで関東・東京地方という区分を使ったからといって、それによって一般的に関東・東京地方が九州・沖縄地方と同じぐらい使われる表現であることが検証できるという論理展開は全く理解できません。企業博物館に関する記事に、星合重男氏のサイトを外部リンクとして記載するかどうかなら議論の余地はあるかと思いますが。それはさておき、私もノート:塚原卜伝#外部リンクについてで議論中ですが、一般にその記事に関する分野において客観的に一定の評価を得ている学者や研究者などのもので、かつ内容も検証可能性や中立性などを満たしていない限りは、個人サイトの掲載は不可だと思うのですが。--立花左近 2011年12月26日 (月) 13:57 (UTC)
- Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源における「例外」として認められるかどうかだね。大抵はより上位のソースからが望ましいけれども、まったく理解できないということはない。--Afaz 2011年12月26日 (月) 12:36 (UTC)
皆さんコメントありがとうございます。いろいろと意見があるみたいですけど、外部リンクの掲載の可否についてはケース・バイ・ケースで判断したほうがいいってことなのですね・・・。大阪弁で外部リンクをばっさり切って掲載した人には大変申し訳ないことをしたな、と思い、反省します。コメント、本当にありがとうございました。ぜひ今後の参考にしたいと思います。ジャスト宣言 2012年1月11日 (水) 20:42 (UTC)
[編集] 氾濫防止フラグ(flood flag)の導入についてのお伺い
管理者の権限の追加についてのご意見を賜りたいと思いますのでお願いします。 管理者権限グループに属するものは権限(「他の利用者を編集からブロック」(block)、「ページの削除」(delete)、「ページの一括削除」(nuke)など)を行使する時にその機能の仕様上または、管理行為の必要上RCを埋め尽くしてしまう場合があります。今まで何度かIRCやウィキメールでLTAのブロック逃れアカウントの大量ブロックを行ったときなどにRCを埋め尽くしてしまうなどのクレームをいただいたことがあります。また管理者には同一利用者が作成したページを一括して削除する「ページの一括削除」(nuke)といった操作があり、その場合でも対象ページ数によっては同様のことが発生したりします。こういったことを防ぐためにMediawikiの機能としてflood_flag(氾濫防止フラグ)といったものがあり、metaを含めて複数のwikiで導入されています。
この機能を簡単に基本的な説明をすると
- 管理者権限グループに属するものが自分に対してのみflood_flagを付与・除去できる。
- flood_flagがセットされている状態で行った編集は、RC上ではBOTによる編集として認識される。
この導入メリットは、#ja.wikipediaなどを除き、特別:最近の更新やその他のツールなどではbotによる更新を表示しないに設定することにより、その表示を一時的に行わなくすることができます。
【参考】過去の関連する議論には告知タグ貼付等のBotフラグなしアカウントによる作業時間改善について、大量削除とBotフラグ付与についてなどがあります。
こういった機能についてどう思われるのかご意見ください。--Vigorous action (Talk/History) 2011年12月28日 (水) 08:25 (UTC)
- 導入に賛成します。一時的にBotになることでどうにかできないか考えてみたのですが、それはWikipedia:Botの想定しているBotではないですし、特別ページから拡張機能で操作を実行した際にBotの速度制限を守ることができないので、Botになるというのはちょっと違うようです。--Ohgi 2012年1月2日 (月) 21:02 (UTC)
- 過去に何度も上がった案件であり、導入を検討する余地はあるものと考えます。新しい利用者グループの件みたいな感じで過去に何度か挙がった問題を解決するための無難な選択肢ではないでしょうか。
- 注意すべき点があるとすれば使用基準だと思います。使用目的の誤解を起こすような説明が原因で安易に使われると、他の利用者が対処記録を見落しやすくなるため好ましくありませんので。--Marine-Bluetalk✿contribs✿mail 2012年1月6日 (金) 14:27 (UTC)
[編集] 寄付に関する提案。
私は、利用者、受益者として寄付をする意志はありますが、以下の問題をかかえています。
1.英語が不得意で、寄付の方法が分からない。 2.クレジットカードを持っていない。
同じような境遇の人は多いと思います。
そこで、
1.日本語による、詳しい説明をすること。 2.日本国内の銀行に、寄付用の口座を設ける事。
語学が得意でない人でも、簡単に寄付できる環境を整備してください。——以上の署名の無いコメントは、Tanakaitigo(ノート・履歴)さんが 2011-12-28T12:22:53Z に投稿したものです(Akanijiによる付記)。
- 受益者として「現金を寄付」する意思はあるけれども「労働を寄付」する意思は無い、ということでしょうかね。それでは「俺は客だぞ金払うって言ってんだろ、お前等が手取り足取り懇切丁寧に俺の為に労働しろ」と我侭放題に迷惑掛けているのと変わりありません。寄付の意思があることはとても有難いことですが、迷惑とワンセットならそれは有難迷惑と言うものです。
- 寄付する分の現金の一部で英語が得手な人を雇って(友人やそこらの学生なら安く手伝ってくれるでしょう)和訳でもさせたら如何でしょうか。また送金先が海外の口座であっても日本国内の銀行の窓口で無料で相談出来ると思います。何なら知人に「現金で払うから代わりにクレジットカードで払ってくれ」と頼めば済む話です、良いことではありませんが。
- そうして得た知識をウェブページにでも載せれば、こんな井戸端で幼稚な我侭を言っているよりも、沢山居る(と貴方が考えている)同じような境遇の人達が助かるのではないでしょうかね。ついでに其処に広告でも貼って貴方が大儲けしているのを見れば、Wikimedia財団だって反省して日本語の詳しい説明を書いたり、日本国内の銀行に寄付用の口座を設けたりするかも知れませんよ。
- どうせだから話題を膨らませ刺激的なタイトルを付けて出版するとかすれば、大ヒットして話題になり、日本からの寄付が急増するかも知れませんね。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2011年12月29日 (木) 01:24 (UTC)
- このページの右側のボックスの部分と「Donate by bank transfer」のボタンからリンクされる一連のページ)が翻訳されればよいのだと思いますが、翻訳作業の手順がよく分かりません。ちなみに、「日本国内の銀行に寄付用の口座」は既に存在するようです。--Dwy 2011年12月29日 (木) 03:43 (UTC)
- ものは試しということで、1000円ばかり寄付してみました。以下の手順で寄付できるようです。
- このページの右側のボックスの"Donation amount: ¥(JPY)"のところで寄付したい金額をクリックして選択(あるいはOtherを選択して、隣の欄に任意の金額を入力)。それから、その下の"Donate by bank transfer"をクリック
- 次のページで、以下の項目を入力して、"Continue"をクリック。
-
- First Name(=名)
- Last Name(=姓)
- Street(住所の後半部分、○○町○丁目…)
- City(住所の前半部分、○○県○○市くらいまで(分け方は適当良いと思います))
- Postal Code(郵便番号)
- Email Address(メールアドレス)
- (Japanのところはそのまま。日本国内で寄付金を集めるからには当然日本語が分かるはずと信じて、姓名、住所は日本語入力しました)
- 次に出てくるページにグローバルコレクトジャパンという会社の銀行口座が表示されるので、銀行名(Bank name)、支店名(Country specific informationの欄に表示されている)、口座種別・口座番号(Bank account number)、口座名義(Account holder)をメモ。振込時には"Payment reference"(支払リファレンス番号)を記載してくださいということなので、これもメモ。
- (というか、ページの内容を全部コピペしました。ちなみに、下の方にFinishというボタンがありますが、これを押してしまうとメモすべき内容が消えてしまいますので、全部メモし終わってからクリックしてください)
- (銀行に行ってorオンラインバンキングで)メモった口座に指定した金額を振り込み。振込人名義のところに、自分の氏名と一緒にPayment referenceの番号を記載。
- 自分でやってみた感じでは、多分これで寄付できそうな様子です。(あいにく銀行がお休み中で振込実行は1月4日になるので、完璧に実証済みというわけではありません)
- グローバルコレクトというのは米国の大手オンライン決済サービス会社のようですが、どのくらい信用できる会社なのか、私には分かりません。
- とりあえず、ご参考まで。--Dwy 2011年12月31日 (土) 08:37 (UTC)
- ものは試しということで、1000円ばかり寄付してみました。以下の手順で寄付できるようです。
- Tanakaitigoさんが認識なさっているか判断できませんが、「提案」という体裁を装った「要求」になってしまっています。このようなケースでは「英語はよくわからず、クレジットカードも持っていないが寄付するにはどうしたらよいだろうか?」と質問をした上で、回答が出揃ってから「他の利用者も困らないようにこの回答をどこかに掲載できないだろうか?」という提案をなさったらよろしいかと思います。--Adequate 2011年12月29日 (木) 04:25 (UTC)
- クレジットカード会社のライフカードが発行しているバーチャルカードで「Vプリカ」というのがありますよ。会員登録が必要ですが、コンビニや銀行で前払いで希望する金額分を購入すると、メールで番号が送られてくるので購入金額の範囲内でVISAブランドのクレジットカードと同様に利用できます。宣伝になると嫌なのでリンクは張りませんが、Yahoo!なりGoogleなりで「Vプリカ」で検索してみて下さい。--Szk7788 2011年12月29日 (木) 10:52 (UTC)
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- 価値観としてクレジットカードを持たない人も、世間には存在することは忘れないでください。そのうえで、落ち着いて話し合ってください。 --ねこぱんだ 2011年12月31日 (土) 22:02 (UTC)
こんにちは。この辺りの事情に詳しいわけではないのですが、上でDwyさんが書かれていた内容を見て、少しチェックしてみたら、日本語のページはあるようですね。以下のリンクから適当な金額を入れて「銀行振り込みで寄付」というボタンを押したところ、次の画面も日本語でした。[1]
参考になれば幸いです。
(長いアドレスの中にuselang=en と英語を使うことを指示しているような部分があったので、そこをuselang=jaと書き換えたら日本語画面になりました。) Tomos 2012年1月1日 (日) 06:46 (UTC)
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- せっかく日本語のインターフェースがあるのなら、サイドバーからのリンクはそのページに貼ってやる方が良いような気がします。多分MediaWiki:Sitesupport-urlを修正すればよいのだと思いますが、一般の編集者では触れないようですね。--Dwy 2012年1月4日 (水) 12:04 (UTC)
[編集] Google翻訳者ツールキットについて
英語版などの他言語版記事翻訳に関して皆様のご意見を賜りたいと思います。Wikipedia:翻訳のガイドライン#翻訳記事に関する一般的注意事項にあります通り通常翻訳に際し一部の翻訳ソフトを除き機械翻訳は使用しないことになっています。しかしノート:Google Translation Toolkitをご覧いただければわかりますが、Google Translation Toolkit(Google翻訳者ツールキット)を使用する方法があり、ウィキメディア側でも紹介されているそうです。その記事「Google Translation Toolkit」も作成者がそれを使って翻訳したとのことです。しかし作成された方は削除になっても構わないとノートで仰っています。ですが、他の方が同じ方法で翻訳して物議をかもす可能性があると私は考え、このツールを使用することへの是非を皆様にお聞きしたいのです。ノートにあります通りWikipedia:執筆・翻訳者の広場、Wikipedia‐ノート:翻訳のガイドラインで書くべきことなのは分かっていますが、あえて井戸端に書くことを判断しました。場違いと思われる方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。よろしくお願いいたします。--122.132.186.157 2011年12月31日 (土) 08:52 (UTC)
- こんにちは。自動翻訳の類は、結果を商業利用してはいけない、といった制約がかかっていることが多いような印象があります。そういう文章はウィキペディアでは受け入れられないということになると思います。
- Google Translation Toolkitの場合はどうでしょうか? ざっと見たところ、(1)Google Translator Toolkit Additional Terms と(2)Google Terms of Serviceの2つに従う必要がありそうです。翻訳結果の商業利用を禁止するような規定は見当たりませんでした。ただ、以下のように気になった点があります。
- アップロードしたコンテンツについては、Googleに一定の許諾を与えなければならない、とあります。(2)の方の"11. Content license from you"にある規定です。
- どこかのサービスにコンテンツをアップロードをする際に求められる許諾としてはよくあるもの、という感じがしますが、履歴保存とか、ライセンス・ノーティスの表示といった義務をGoogleが負うことにならない許諾になっているところがポイントだと思います。これは、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス 3.0とかGFDLの範囲で与えられる規約を超えています。
- そこで、英語版なら英語版の記事をGoogleにアップロードしてこういう許諾を与えるということが、ライセンス違反にあたる、という可能性がありそうに思いました。
- あるいは、英語版の記事など「原文」にあたるものをアップロードすることがない(サービスがどういう設計になっているのか、細かいところは僕もよくわからないのですが)としても、訳文を改訂しながら保存していくと、その訳稿について、やはりGoogleに対して上記のような許諾を与えなければならないことになると思いました。
- そうだとすると、アップロードをした人は、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンス 3.0の7.a.にある規定によって、許諾が自動的に打ち切られてしまうことになりそうです。(この規定によると、ライセンスに対するどんな違反でも、許諾の自動的な打ち切りにつながるようです。)
- 同じく、GFDLについても、9条の規定により、許諾が打ち切られます。すべてのライセンス違反をやめるような形で修復できれば一時的に許諾が得られることになる、と同9条にはありますが、Googleにアップロードしたコンテンツを削除したところでGoogleに与えた許諾を取り消すことはできないようです。(上記の(2)の規約11条にperpetual, irrevocableな許諾だとあるので恒久的で取り消し不可なのだと解釈しました。)
- 以上を考えると、技術的には可能だとしても、法律的には、翻訳した文章を投稿することはできなさそうです。投稿しようにも、既に翻訳をした人はその文章を翻訳する許諾とか、投稿する許諾とかを失っているように思いました。
- ただ、GFDLについても、クリエイティブ・コモンズについても、ライセンスに違反する形で作成されたものであっても、第3者はライセンスに従う限りは問題なく使い続けることができる、という規定があります。(GDFLは9条の一番最後のパラグラフ、クリエイティブ・コモンズは7(a)の第2文)そこで、既にウィキペディアに投稿されたものについては、他の人が編集したり加工することは問題ないかも(削除する必要はないかも)、ということも思いました。
- もしかするとどこか間違っているかも知れませんが、ざっと見て考えたのは以上のようなことです。短く言い換えると、「翻訳の結果を商業利用してはいけない、というような縛りはかかっていないようだけれども、翻訳ツールを使おうとするとどうしてもライセンス違反をしてしまうことになるので、翻訳や日本語版への投稿はできないことになる」というようなことになりそうな感じがしました。
- 残念なお返事になってすみません。
- Tomos 2012年1月1日 (日) 10:24 (UTC)
- Tomosさんのご回答を拝見して少し疑問に感じる点がありましたので、教えていただければと幸いです。なお、本サブページを作成されたIPさんとは別の者です。
- Google翻訳とGoogle翻訳者ツールキットでは何が異なるのでしょうか。また、Googleドキュメント上で翻訳作業を行うことも問題でしょうか。今回のご意見はGoogle利用規約を根拠とされているため、Google翻訳者ツールキットだけでなく、Googleが提供しているその他サービスにも適用できてしまいます。Google翻訳者ツールキットで行うべき基本的な作業は、Googleドキュメント上でGoogle翻訳を参考にマニュアルで翻訳を行うという作業と変わりはないと思います。wikipediaを利用する際に、Google翻訳を使用されている方は多数いらっしゃるでしょう。これまでのところ自動作成された訳文をそのまま投稿することが問題とされてきました。しかしGoogleに原文を送信した時点でライセンスに抵触しうるのでしたら、Google翻訳の訳文を翻訳の参考に用いることも困難となりますし、他言語版閲覧にGoogle翻訳を使用することも困難になります。
- --49.243.245.22 2012年1月4日 (水) 16:43 (UTC)
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- こんにちは。ご質問を受けて、またあれこれ考えてみました。結論から書いてみます。
- Google 翻訳者ツールキットについては、もう一度考えてみて、このツールを使って他の人とウィキペディアのページを共同で翻訳するのは、GFDLに照らすとライセンス違反、CC-BY-SA 3.0に照らすと違法な行為ではある気がしますが、ライセンス違反ではないようだ、という風に考えるようになりました。やっぱり推奨はできないかな、と思いますが、そう考える理由は前回とちょっと違っています。
- Google ドキュメントへのアップロードについても同じようなことが言えそうです。
- Google 翻訳を使うことは、どう考えてよいか迷いました。僕の法律的な知識の不足による部分もあるし、このサービスについての知識不足によるところもあります。そのあたりが実際どうなっているかによって合法であったり、違法であったりするのだろうと思います。
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- 以下、まずは翻訳者ツールキットについて考えたこと(主に、訂正したい点)を書いてみます。Google翻訳者ツールキットを使ってウィキペディアのページをGoogleのサーバーにアップロードする際にGoogleに対していろいろ許諾を与えなければならないらしい点が気になるところです。(これは前回と同じ着眼点です。)
- これがどういう理由でGFDL違反になるのかどうか、もう一度考えました。GFDLの条件をすべて満たす形で(履歴の保存とか、そのほかもろもろをきちんと行って)アップロードすることができるか、というところがまずひとつ気になるところです。(新しい論点)
- Googleアカウントを登録してログインしてみると、ローカルファイルのアップロードと、URLの指定と両方の選択肢があるようですから、ウィキペディアのページを一旦手元のPCに保存して、履歴やそのほかもろもろの要求をきちんと満たす形にした上でアップロードする、という形でこの問題は克服できるかも知れません。
- そういう形で問題の克服が仮に可能だとしても、前に書いたように、Googleに許諾を与えられるかというと、翻訳者ツールキットを使う人は執筆者(権利者)ではないので、無理だと思いました。この、自分が与えることのできない許諾をGoogleに与えることは、9条の2文目にいろいろ列挙されている禁止行為内の、ライセンスの規定に反したサブライセンシングをすることに該当すると思いました。(前回考えたことの補強のような、若干の修正のような論点)
- CC-BY-SAはどうでしょうか? CC-BY-SA 3.0 Unportedは、そもそもクレジットの付与などの条件は、公に上演したり公衆に配布したりする場合には満たさなければならないですが、そうでない場合には満たす必要はないようです。この点で、GFDLのようなややこしさはないかも知れない、と思いました。
- ただ、自分が与えることができない許諾をGoogleに与えなければならない、という点はやはり問題だと思います。ただ、このような行為を行うことが、CC-BY-SAライセンスの何に違反することになるのかは、ちょっとよくわかりませんでした。そこで、もしかするとライセンスの規定には違反しないかも知れない、という可能性に思い至りました。ライセンスで禁止されている行為ではない、ということは、アップロードする行為や、アップロードしたファイルを自分で、または他の特定少数の人と共同で翻訳・改訂していくような行為は、ライセンス上は問題ないかも知れません。ただ、法律的にはやはり違法な行為だろうと思うので、このツールの使用をウィキペディアとして推奨するべきなのかどうかは疑問が残るように思いました。(これは前回の意見の訂正になります。)
- 以上を総合すると、翻訳者ツールキットは、GFDL違反、CCライセンスには違反しないが、ライセンス上可能な範囲を超えた許諾をGoogleに与えることを求められるのでやっぱり合法には使えない、ということになるのではないか、と考えました。
- 他に気になる点として、Googleは利用規約を事前の通知なく変更できるようで、かつ、変更があった後にサービスを利用するとそれによって規約を受け入れたことになるという風にあります。これも利用規約の類にはよくある規定だと思いますが、仮に上に書いたようなことが間違っていて、実はGoogle翻訳者ツールキットを使うことに現時点では何も問題がないとしても、将来的にはどうなるかわからない部分が残るので、利用する前に各種規約をチェックして、ライセンス違反なり、違法な行為なりを起こしてしまうことがないかどうかを確認する必要がある、ということになりそうです。
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- 次にGoogle ドキュメントについて考えてみました。これもアップロードが必然的にともなうサービスなので、同じように考えました。
- Googleドキュメントの利用規約は、やはりGoogleに対する許諾を与えるように求めていますが、許諾の範囲が限定されています。「このサービスをあなたに提供する目的に限って」(あれこれの許諾をGoogleに与えろ)、というような限定がついています。Googleドキュメントのサービスを隅々まで知っているわけではありませんが、例えばアップロードした文書を公開するという設定にしなければ公開されない、というように、Googleがアップロードした文書をどう扱うかについてはかなり利用者側でコントロールできそうにも思えます。
- そこで、GFDLやCC-BY-SAに照らして与えることができないような許諾をGoogleに与える、というようなことは避けられるかも知れません。
- 以上から、ちょっと意外ですが、Googleドキュメントの方がライセンスにも法律にも違反せずにウィキペディアの記事の翻訳作業ができる可能性がありそうに思いました。
- 最後に、Googleの自動翻訳を、閲覧に使う場合について考えました。これは、上に書いたようによくわかりませんでした。
- 理由はいくつかあるのですが、追加の規約があってよさそうなのに存在していない、というのがひとつの理由です。
- このサービスでは何かがアップロードされるようなことが起こっているのか、というのがわかりません。でも、Googleの利用規約を見ると、"submit, post or display"という風に書かれていて、アップロードするようなことがなくても、翻訳対象として表示させただけでGoogleにあれこれの許諾(例えば翻訳結果を公表する許諾)を与えることになっているように見えます。そんな無茶苦茶な要求をしているのも変だから何か追加の規約があるけど見つからないのか、それとも他のサービスも含めていろいろなものを念頭において作成されている規約なので翻訳サービスにはうまく対応していないまま放置されているのか、いずれでもない別の事情があるのか、など考えましたがよくわかりませんでした。
- 仮にいろいろな規約を与えることを求められるとすると、翻訳にかけることでGFDLに関してはライセンス違反になると思います。理由は、上に書いたようなサブライセンス禁止規定があるためです。CC-BY-SAについては、ライセンス違反とは言えないかも知れませんが、やはり他人のコンテンツについて自分が与えることができないはずの許諾をGoogleに与えてしまっているので、違法行為になっているのではないか、という感じがします。
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- ちなみに、他の翻訳サービスだったらどうか、というのを考えてみました。
- ずっと前にこの手の議論の対象にした記憶があったのでエキサイトの自動翻訳の利用規約を見たところでは、翻訳対象にする文章について許諾をエキサイトに与えることを求めるような条文はないようでした。
- そして、著作権法上は、日本では私的な使用のために他人の著作物を複製したり翻訳したりすることは30条と43条で無許可でやっても著作権侵害にならないとされています。こういう著作権の例外や制限をする規定について、CC-BY-SAライセンスは第2条で触れていて、そういう形で著作権法上認められている利用をライセンスによって制限することはこのライセンスの意図ではない、というようなことが書いてあります。
- これらをあわせて考えると、閲覧のために自動翻訳を使うこと自体は、日本法が適用される文脈ではCCライセンスに違反しないし、著作権侵害にもならないのでは、という感じがしました。(米国法とか他の国の法律が適用される場面ではどうなのか、とか、どういう場合にどの国の法律が適用されうるのか、などはちょっとよくわからないのですが。。米国であればフェアユースで済む場合が多そうな感じもします。。)
- 以上から、場合わけをして考えるとどうしても長くなってしまいますが、
- 翻訳の共同作業みたいなものであればGoogleドキュメントを使うのがいいのでは
- 閲覧なら、日本の著作権法が適用される場面では、Googleのように翻訳対象の文書に関する許諾を求められないものを探して使うと大丈夫なのでは
- と思いました。2つのライセンスの規定と、サービス規約と、サービスの内容とか機能を考え合わせるのが難しくて、まだ間違いなどがあるかも知れないですがとりあえず考えたことは以上です。ご参考になれば幸いです。Tomos 2012年1月8日 (日) 17:40 (UTC)
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- (補足)
- すみません。もうひとつ自信がない点を思い出したので補足させて下さい。
- 自動翻訳を使う際に、エキサイト翻訳など、翻訳対象にする文書について許諾を与えなくてもいいものは、個人的な閲覧に使ってもいいのではないか、という考えを上に書きました。
- その根拠になる日本の著作権法上の規定には、例外があります。これをどう考えたものか、ちょっとよくわからないところがあります。
- 他人の著作物の無断翻訳はNG,というのが著作権法の一般原則
- 私的な使用(閲覧はここに含まれると思います)目的なら、無断翻訳もOK、というのが43条
- 43条は、30条でOKとされる複製行為を、翻訳行為におきかえてもOKにします、というような規定の仕方をしています。
- 30条では、私的な使用の目的なら、複製はOK,と書いてある
- ただし30条にも例外があり、「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合」は私的な使用の目的であっても複製はNG、とあります。つまり自分の所有するコピー機を使うとか、手でコピーするとか、そういう複製はOKだけど、コンビニのコピー機みたいなものを使ってはならない、としています。
- 著作権法の附則5条の2で、さらにそれに対する例外を設けています。「専ら文書又は図画の複製」のために提供されているものは自動複製機器とみなさないそうです。だから、文書用のコピー機を使ってコピーするのはOK、ということになります。
- (つまり原則に対する例外(30条)、その例外に対する例外(30条1項1)、更にそれに対する例外(附則5条2)、という構造になっています。そして30条1項で複製が可能なら翻訳も可能だ、43条が規定しています。)
- 以上を踏まえると、自動翻訳を使うことはOKなのでしょうか? NGなのでしょうか?
- 30条でOKとされている複製行為なら、翻訳行為におきかえてもOKのようなので、私的目的ならOKでしょうか。
- 30条1項1では「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器」による複製はNGとしているから、「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動翻訳機器」とでも呼ぶべきウェブ上の自動翻訳サービスもNGでしょうか? その場合は、附則5条の1も適用して「専ら文書又は図画の翻訳」であれば自動翻訳機器とはみなさない、と考えてOKになるのでしょうか?
- 法のねらいなどを田村善之『著作権法概説』(有斐閣 僕の手元にあるのは第2版)のp.200-201, 著作権情報センターのこの件に関するQ&Aなども見てみたのですが、どうもよくわかりませんでした。自動複製機器に関する規定は自動翻訳機器みたいなものにまでは及ばないか、逆に及ぶとしたら「専ら文書又は図画の翻訳」のための機器を使うこともOKになるだろう、と何となく予想してはみたのですが、間違っているかも知れないとも思います。Tomos 2012年1月9日 (月) 11:42 (UTC)
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(インデント戻します)
気になる話題で、他のコメントがないので、Wikibreak中ですが、コメントだけいたします。自分がもう少しアクティブに動けるなら各種提案など動くのですが、ちょっと難しそうなので、コメントだけで申し訳ありません。
結論から言えば、Tomosさんの意見と同じく、Google翻訳者ツールキットをWikipediaで利用することはNGと考えます。Tomosさんのコメントと重なりますが、要点を整理してみました。
- 翻訳エンジンが要求する権利と原文に許可された権利
今回問題となっているのは、翻訳エンジン(サイト)が要求する権利が、CC3.0やGFDLが許可する権利を超えているのではないかと言う点です。実際に要求する権利を見てみると、Tomosさんが考察しているように、Googleは著作権主張はしないものの、再生、翻案、修正、翻訳、公開、公衆実演、公衆展示、および配布などの無条件のライセンスを要求しており、これらはGFDL/CC3.0などのライセンス条件を満たすものではありません。そのため、Google翻訳者ツールキットの利用だけでなく、Google翻訳自体の利用も問題になると思います。
ただ、これはGoogle側の立場から考えれば、Google翻訳者ツールキットが、過去の翻訳結果をデータベース化して翻訳精度を向上させるというものであることから、Googleに法的問題を発生させないためには必要であり、他の翻訳サイトと条件が異なるのはそれが原因ではないかと推測しています。
- 翻訳文の権利とWikipediaでの利用
その一方で、Googleで翻訳された文章(翻訳後の文章)の権利に関しての縛りは、それほど厳しいものではありません。そのため、翻訳文自体をWikipediaで利用することは問題がない様に感じます。 となると、問題は、現在Wikipediaにある「Google翻訳者ツールキットを用いて翻訳した文章」をどう扱うか、規約などの変更を行うかなどになります。前述の考察が間違えていたら問題はありませんが、もしあっている(=ライセンス上問題の)場合、なんらかの対応をしなくてはいけません。従来、履歴の継承違反などでは、追記or削除などで対処してきました。しかし、今回の場合、少し難しいように感じます。問題の翻訳文をライセンス違反だからと削除することは簡単です。しかし、履歴の継承違反などと異なり、ライセンス違反を行った証拠が、本人の主張だけと言う点であり、黙っておけば問題にならないものを、発言したから問題にするというのも疑問に感じます。そして、翻訳サイトに許されたライセンス以上のものを提供したと言う内容ですから、文章の削除によりライセンス違反を解消できるわけでもなく、対処が難しい問題です(良い案がありません)。
今後、翻訳エンジンの発達により、他サイトでも同様の問題が発生する可能性があります。将来的にはガイドライン等に「翻訳サイトを利用する場合、要求している権利に注意してください。GFDL/CC3.0で許可された範囲を超える権利を要求している場合に、Wikipediaの翻訳を行うとライセンス違反となります。」の様な一文を追加して、後は利用者の良識に任せるのが落としどころかもしれません。
でも、これって翻訳以外の画像処理や音声処理でも同様の問題が発生する可能性がありそうな気もするので、考慮しておいた方が良いと思います。
- 著作権法との関係
著作権法43条には翻訳に対して30条の1項の規定を利用できると記載があります。Tomosさんは「自動複製機器」を「自動翻訳機器」に適用してよいのかと疑問を提示されていますが、これは当てはまらないと考えたほうが良いと思います。その理由として、43条に「自動複製機器」を「自動翻訳機器」に読み替える旨の記載がないためです。当然といえば当然なのですが、法律の改正時に自動翻訳が議論の俎上に上ることがなかったのではないでしょうか?(ところで、これって日本の著作権法が適用されるのでしょうか、Wikipedia、Googleとも米国で、利用者が日本人(の可能性が高い)の状況ですので、米国の著作権法が適用されるかもしれません)
-- Daisydaisy 2012年1月16日 (月) 11:13 (UTC)
こんにちは。まとめてくださってありがとうございます。また、結論がほぼ同じようで、ちょっと安心しました。
2点目の、削除などが必要かどうかですが、次のように考えることができるのではないでしょうか。
- GFDLもCC-BY-SAも、ライセンス違反をした者に対しては以後その作品を利用してはならない、としつつ、第3者がライセンスの要求事項を満たす限りではその違反行為を通じて生み出された作品(複製であれ、翻訳などの形で加工されたものであれ)を利用することはOKとしています。
- そこで、翻訳をした人は翻訳をする行為とか、翻訳したものをウィキペディアに投稿する行為については、ウィキペディアとしては当然推奨できない(他人の著作権を侵害する行為を推奨できない、という意味で)としても、いったん投稿されたものをほかの人が編集したり、閲覧できる状態にしておくことは、ライセンス上も法律上も問題がないのではない、と言えるのではないかと思いました。
- 所有者が「撮影禁止」としている古い芸術作品を無断撮影することは違法ですが、無断撮影された写真をさらに第三者が利用することについては、所有者の権利は及ばない、とした判決があります。(著作権情報センターに解説があります。[2])そのひとつの帰結として、ウィキペディアにそういう写真が投稿されても、ほかの人が削除する義務まではない、ということになると思います。無断撮影を奨励したり、無断撮影したものを投稿するように呼びかけることはできないと思いますが、既に投稿されてしまったものを見つけたら、それは削除しなくてもいい。翻訳者ツールキットを使ったものについてもそういうことが言えるのかも知れないと思いました。
もうひとつ、また考え直した点があります。だんだん細かい議論に入って、わかりづらくなっている気がするのですが、翻訳ツールキットを使った場合のCC-BY-SA違反に関して、以下のように考えることはできるかも、と思いました。ウィキペディアとしては、投稿されたものを削除する必要はないかも知れないが、ツールキットの利用を推奨するべきではないだろう、という結論には変更はありません。
- 翻訳者ツールキットを使う上では、利用者は、CC-BY-SAのライセンスによって可能になっている以上の許諾をGoogleに与える必要がある。そこで、翻訳者ツールキットの利用は、著作権侵害か、何かそれに類する権利侵害になる。(前回と同じ)
- ただ、これはCC-BY-SAのライセンス違反にはあたらない。GFDLには違反することになる。(前回と同じ。)
- 翻訳者ツールキットを使って作成した訳文は、従って、違法に作成した訳文だけれども、CC-BY-SAライセンスに反して作成した訳文ではない。(今回考えたこと)
- これはたとえば、僕がある著作者のプライバシーを侵害したからといって、その人がCC-BY-SAライセンスで提供している作品を僕が使えなくなるわけではない、というのと同じようなことではないか。違法行為をはたらいたとしてもそれでライセンスが終了するわけではない。
- そこで、訳文をウィキペディアに投稿して、公開する行為も、ライセンスの諸条件を守っているなら、特に権利侵害になることはない。その後の編集なども可能。(今回考えたこと)
今後の対応ですが、一番最初に質問をしている方の書いている内容から、財団とGoogleの間で何かやりとりがあって、ウィキペディアのページを翻訳するために特にアレンジがされた(インターフェースが設けられた、とか)というような経緯があるのかも知れません。そうすると、財団の誰かにこの件をお知らせして、Googleに利用規約を変えてもらうことができれば、将来的には問題の解決ができるのではないか、と思いました。(既に利用されてしまった分についてはどうにもできないかなと思いますが。)
まあ、僕がメールしたところで注意を払ってくれるものかどうかまではよくわかりませんが、直接Googleへ持っていくよりは望みがあるのではないでしょうか。もしうまく行かなければ、英語版なり、メーリングリストで注意を喚起して、そこででた結論も同じになったよ、という風に持っていくのがいいかも知れません。
何か進展があったらまたご報告します。Tomos 2012年1月21日 (土) 16:57 (UTC)
[編集] 市政施行に伴う改名および記事の修正。
2012年1月4日付で愛知県愛知郡長久手町は愛知県長久手市になります。
現在の記事では「予定」となっていますが、昨年11月30日に官報告示があったことで市政施行は法的に確定しています。これに伴い、本記事およびCategory:長久手町の中にある記事(現在37本)についてCategory:長久手市に移動させると共に、記事内容の修正が必要になります。長久手町へリンクしている記事も350件ほどあるようで、これらについても同様です。
・・・こ~ゆ~のに、botって使えないんですかね?--KAMUI 2012年1月2日 (月) 11:41 (UTC)
- 基本的に[[長久手町]]→[[長久手市]]、カテゴリについても[[Category:長久手町]]→[[Category:長久手市]]という感じでほぼ単純に置き換えるだけですのでボット向けの作業と考えられます。このような作業に関してはWikipedia:Bot作業依頼へリンク、カテゴリをどのように変更するか、1月4日に記事の改名が行われたのと同時に作業行って欲しいとの旨を依頼していただければ、その時に作業できるボット運用者が作業を行うことになると思います。但し、ボット作業でこの作業をする場合は長久手町のままにしないといけない部分も一律に長久手市に変えてしまう可能性があるので後での確認が必須になるでしょう。--Sakoppi (会話・投稿記録) 2012年1月2日 (月) 12:12 (UTC)--Sakoppi (会話・投稿記録) 2012年1月2日 (月) 12:17 (UTC)(追記)</nowiki>
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- botが使えるということなので依頼を出しました。ただ、住所関係は大字小字が絡むのでチェックが必要になりそうです。--KAMUI 2012年1月2日 (月) 13:20 (UTC)
[編集] 要約欄への記入忘れ・誤記入に対する第三者による補遺は可能ですか
英語版から翻訳された記事に、要約欄への記入忘れと誤記入を見つけたため、編集された方にWikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入忘れ・誤記入へのリンクをお示しして補遺をお願いしておりますが、昨日の今日だからでしょうけれども、ご協力いただけないまま編集が続いている状況です。具体的には、
- ルーン (槍) - 編集者が立項。初版において版指定がないため会話ページでお願いしたところ、第6版(差分)で補遺がされ、続く第7版(差分)で翻訳が追加されたが、要約欄で指定された版が翻訳元に存在しない。
- ルー (神) - 既存記事に編集者が英語版から翻訳文を追加。 この版(差分)で指定した版も翻訳元には存在しない。さらに次の版(差分)において、存在しない版を指定した他に、翻訳文と共に翻訳元に含まれない文章(英語詩)を同時に加筆している。
1週間ほどお待ちして対応していただけないようでしたら当方が補遺を代行しようと考えておりますが、次の2点が気がかりですので、ご意見をいただけませんでしょうか。
- 翻訳元となった版をタイムスタンプから推定した第三者が要約欄への補遺を行なえば、記事を初版から残したり、特定版削除を避けたりできますでしょうか。
- 翻訳文(節全体ではなく節の一部。Aとします)と同時に翻訳元にはない文章と英語詩(Bとします)が加筆された場合、1つの要約欄に「Aと、B」とまとめて記載してもよいでしょうか(編集者自身の記載がそうなっております)。
なお、Wikipedia‐ノート:翻訳のガイドライン/過去ログ1#要約欄への記入忘れの第三者からの救済には目を通しております。よろしくお願いいたします。--Æskja 2012年1月3日 (火) 12:00 (UTC)
- 版指定削除は必要です(本人が追補したとしても)。特定版削除では本文を削除すると編集者名が不可視化されるため、本人でなければ支障が出るのですが、版指定削除の場合は差分はとれなくなりますが、編集者の名前は残るので、他者が追記していても大丈夫でしょう。AとBはまとめてでも大丈夫です。AまたはBが他言語版を含む他の記事あるいはCC-BY-SA/GFDL文書でなければ、要約欄に書く義務はありません。なお、当該利用者は会話ページへの誘導のためのブロックをしました。--Ks aka 98 2012年1月3日 (火) 12:49 (UTC)
[編集] 翻訳時に履歴継承のための要約欄記述のリンク先が誤っている場合
問題の翻訳記事というのは水素スペクトル系列のことなのですが、初版の要約欄には「es:Hydrogen spectral series(18:21, 3 December 2011)を翻訳」(リンク先も原文ママ)と書かれていまして[3]、"es"というスペイン語版へのリンクが記入されています。ところがリンク先のスペイン語版には"Hydrogen spectral series"という項目は存在しませんで、この項目は明らかに英語版en:Hydrogen spectral seriesからの翻訳です。文章構成もスペイン語版のes:Espectro del hidrógenoには似ても似つかず、英語版に酷似しています。とは言っても、"Hydrogen spectral series"という項目名の表記が英語表記であることは誰の目にも明らかですし、初版を投稿されたIP利用者の方が"en"と"es"を書き間違えただけの瑣末な問題と言えば、それまでのことなのですが、こういう場合履歴継承上の問題は発生しないのでしょうか?--Henares 2012年1月3日 (火) 13:29 (UTC)修正。--Henares 2012年1月3日 (火) 13:34 (UTC)
- こんばんは。履歴継承の根幹をなすリンクの誤りは致命的で履歴継承上問題があるため、補遺の上で版指定削除が必要なケースだと思います。--Penn Station 2012年1月3日 (火) 13:41 (UTC)
- Penn Stationさん。ありがとうございます。やはり履歴継承上問題がありますよね。Wikipedia:削除依頼/水素スペクトル系列を提出しました。--Henares 2012年1月4日 (水) 11:54 (UTC)
[編集] 体重表記はいかがなものか?
項目内における体重表記については止めるべきもしくは明確に時期を特定できる資料を明示できない限りするべきではないと思われる。身長と比べて体重は変化しやすく、目安としての資料にすらならないからである。スポーツ系、もしくは体格をキャラとしている方の公称は別として、変化するものについては表記を慎むべきであると考える。0null0 2012年1月4日 (水) 06:53 (UTC)
- こういう資料があってもラシャード・ルイスのinfoboxにあるような体重は、測定時期がわからない以上、除去するべきだ、ということでしょうか?--Akaniji 2012年1月4日 (水) 08:15 (UTC)
スポーツ系、もしくは体格をキャラとする方の公称は別としてと、あえて書いているのですが。0null0 2012年1月4日 (水) 08:36 (UTC)
- あ、すいません。--Akaniji 2012年1月5日 (木) 11:44 (UTC)
- 体重が書かれた情報源があれば、体重がそれなりに重要な要素となる立場・職業であると考えられますし、情報源があるのなら記述から時期が特定できなくとも刊行時期から推察できるものもあるでしょうから、出典の明記とそのスタイルを案内することを優先し、特に記述内容から排除する方向には向かわないでもよいと思います。タレントや政治家などで体型が「キャラ」を決定づけているが、その特長を示すような表現が見つけにくいこともあると思います。変化が小さければ、無理に書き換える必要はないでしょうけれど、変化が大きい場合は、それを書くべき場合もあるでしょうし。--Ks aka 98 2012年1月4日 (水) 18:39 (UTC)
設題の主旨がよく分からないのですが、記事の性質によりますので、スポーツ系、もしくは体格をキャラとしている方の公称は別としてケースバイケースだと考えますので、該当記事の性質により読者の知的関心にあわせケースバイケースで対処されるのが宜しいかと。--大和屋敷 2012年1月4日 (水) 19:55 (UTC)
なんでしょうかね。アイドルか何かの話なんでしょうか。だとするとファンが行き過ぎた記述をすることもありそうな分野ですし、少々気になるところではあります。--世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月5日 (木) 07:52 (UTC)
コメント ちょっとどういう分野か想定しにくいけど、一週間程度で体重が何キロか変わるなんてーのはよくある話だし、スポーツ選手だとか(プロボクサーなどのウェイトなんか)や体重がその人物にとって特筆すべき要素(たとえばギャル曽根の「大食いキャラなのに体重は至ってフツー」みたいなのとか)になってるとかいうのでもなければ、あまり書く意味は無い気がする。ましてそれが成長期のタレントのある時期の…なんていったら、WP:DATEDとは関係ないけど「すぐ古くなる記述」な気がしないでもないし、そのメンテナンスのためだけに躍起になるのもどーかしていると感じる次第。まあその人となりを表す上で文章中「○○は×歳当時体重が▲kgあったが役作りのために■kgの減量をしている」なんて書くのはアリかもしれないけど、ただある時点の公式サイトに体重が記載されてたとかいう薄弱な理由だけで任意の時点の体重を安易に載せるのは、やめろとはいえないまでも無駄な記述(WP:TRIVIA)な気がする…--夜飛(話/歴) 2012年1月5日 (木) 12:11 (UTC)
コメント 個人によって判断の分かれる「体格をキャラとする」などを判断基準に入れるのは不適切と考えますが、少なくともWikipedia:検証可能性が守られる必要性はあると考えます。「変化するものについては記述を慎む」という方向よりは積極的に公表資料・計測時期を補強していくのが適切だと考えます。補強していくうちに、時期や出典の記述されていない体重表記について不自然にとられるようになり、いずれ時期や出典の記述されていない体重表記は淘汰されていくのではないでしょうか。--Himetv 2012年1月5日 (木) 15:47 (UTC)
コメント 力士の場合、身長と体重は力士紹介の文献に必ず載るので、それを出典とすれば、Wikipedia:検証可能性はクリアできるのですが、それがいつの時点での身長・体重なのかはわからないことが多いので、その辺の配慮を必要とします。 --ねこぱんだ 2012年1月6日 (金) 01:10 (UTC)
コメント人の体重は確かに変動し続けるものですが、著名人の公的なプロフィールにおける体重が頻繁に変更されることは考えにくいです。結局のところ検証可能性が満たせて、過剰でないかどうかが問われることになるでしょう。出典がいつのものか明記されていれば、どの時点の情報であるかが判断でき、その点では問題にはならないと考えます。--有足魚 2012年1月6日 (金) 12:11 (UTC)
コメント計測日時がわからない場合、発表日時を書き添えることで少なくともその時点で有効な数値だったことがくみ取れるのではないかと考えますが、いかがでしょうか。--Himetv 2012年1月6日 (金) 13:13 (UTC)
コメント 基本的に賛成です。ただ体重別階級を採用している競技の場合は、体重が重要な要素なので、ルールの解釈違いによる削除が起こらない様に文章に配慮が必要に思います。それと、出典時期に関しては、書籍の出版日で代えて良いことにする(書籍内にいつのデータか記述無い場合)。スポーツ選手からタレントに転身したときなど、体重が重要な要素である時期とそうでない時期が両方ある場合は、工夫が必要に思います。--Taisyo 2012年1月8日 (日) 00:42 (UTC)
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コメント それとTemplate:ActorActressなどの人物系テンプレートの項目に「出典元」の引数を追加して、どの出典を元にしたかわかりやすくした方が良いと思います。体重に限らず。--Taisyo 2012年1月11日 (水) 22:52 (UTC)
[編集] イタリアのコムーネにおける人口表記は適切か?
イタリアのコムーネの各項目では、人口が定義部分で時期が特定されずに表記されているが、百科事典として適当だろうか?0null0 2012年1月4日 (水) 18:23 (UTC)
- イタリアのコムーネだけの問題かどうかはわかりませんから、一般に自治体などの人口ほか変動のありそうな数値についてと考えると、最善ではないとしても、いちおうの目安にはなると思いますから除去はしなくていいんじゃないでしょか。自治体情報がまとまった情報源もあると思うので、探して、bot作業というのが好ましいと思います。--Ks aka 98 2012年1月4日 (水) 18:31 (UTC)
設題の主旨がよくわからないのですが、コムーネの記事では時期が特定されており問題ないんじゃないでしょうか。各コムーネについての記事で時期が特定されていない記事があれば、[要出典]タグを塗布しノートで提起するなりされれば宜しいかと。--大和屋敷 2012年1月4日 (水) 19:53 (UTC)
時期が特定(テンプレート)でということでならばと港区で定義部分に人口を試しに書いてみたら案の定、変化に対しての修正が理由として削除されている。現在のコムーネは既述内容が少ないから、数年前の情報であろうとも定義部分に変化するような情報があろうとも許されているのだろうが、本来ならこのようなことはやるべきではないと、私は考える。0null0 2012年1月9日 (月) 15:42 (UTC)
[編集] 特筆性を理由とした記載拒否について
現在、Wikipedia:特筆性というガイドラインがあります。本来、その意図するところは主題にあまり関連のない記載の肥大化を抑止しようというものだと考えます。しかし、実際においてはこの「特筆性」を理由に記載そのものを実質的に拒否するような論陣が議論において度々みられ、相応の出典があるにも関わらず記載が妨げられるケースも散見されます。何等かの理由により記載を好ましくないと思う側からすれば、ほぼ、どのような状況にあっても「特筆性がない」という魔法の言葉によってWP:VやWP:NPOVをキャンセルし記載を拒否できてしまうということです。本来、方針であるWP:VやWP:NPOVはガイドラインに優先するにも関わらず、このような状況が現出している状況について改善が必要であると考えるのですが、みなさんのお考えをお聞かせいただけないでしょうか。--Truesight 2012年1月7日 (土) 12:16 (UTC)
- 逆です。Wikipedia:特筆性は記事自体(主題)の特筆性に向けられたものであって、その内容・要素の特筆性についてではありません。氏のような誤解はよく見られますが、「記事内容の特筆性」の節に「特筆性のガイドラインは、ウィキペディアにおいて、その話題が単独の記事として項目を立てるのに十分な特筆性があるかどうか、というものを示します。 このガイドラインで述べている、記事として書くことができるかという意味での「特筆性」は、その記事の内容については直接には関係しません。」とはっきり書かれています。
- くわえて三大方針の既定は、その既定を守れば何をしても許されるというわけではありません。いくら出典があろうとゴシップ的などで事典的で無い記述は抑制されるでしょう。あくまで三大方針は必要条件であって、十分条件ではない。そういった勘違いがあるからこそ、むしろこのWikipedia:特筆性というガイドラインが作られたのではないかなと私は考えます。
- ただし、「特筆性」という魔法の言葉が横行していることには否定しません。「○○だから特筆性がない」とちゃんと理由を述べる必要性があるでしょう。--EULE 2012年1月7日 (土) 12:45 (UTC)
- (追記)Wikipedia:特筆性は記事自体について述べられた物なので、氏が問題視されている、これを理由に「記載そのものを実質的に拒否するような論陣」を張る人についてもガイドラインの認識を誤っていると言えるでしょう。--EULE 2012年1月7日 (土) 12:51 (UTC)
- この件は私も以前にSergei氏と私の会話ページで議論を交わした事が有ります。私の認識はEULEさんと同じで、混乱を避ける為に記事中の記述に於ける特筆性を特記性と言ってます。そして特筆性はページそのものの単独立項を出来るかどうかの基準だと認識してます。そうすると、現在特記性に関する基準を示すルールは無いと思っていますが、私とSergei氏の共通認識としては特筆性のルールに準じた判断です。私とSergei氏との認識違いはその準じる度合いで、Sergei氏は特筆性のルールを特記性にも全面的に用いるべきだとし、私は、特筆性のルールで明確に「このルールは特記性の為のものではない」と述べられているのだから、参考程度に準ずるべきとし、基本は検証可能性のルールなど一般ルールや世間での認知度など広く考慮して考えれば良いと主張しています。
- 確かに特記性の是非を議論すべきシーンで特筆性のルールを全根拠に議論する人は私もちょっと困ってますので、何かしらの改善が必要なのかも知れませんね。
- --Toshi999 2012年1月7日 (土) 13:25 (UTC)
- 特筆性の文書が第一義的に求めるものは、些細な事柄で単独項目を作らない、ということです。Wikipedia:特筆性#記事内容の特筆性も参照ください。記述において、書かないということを含めて適切な分量を示唆するのは、中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?の「公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべき」という記述やWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません、Wikipedia:存命人物の伝記#私人・非著名人の「編集者は抑制して、それらの人々の知名度に釣り合う情報だけを記事に含めるようにすべきです。どちらとも決めにくい場合の経験則は、「害にならないことだけをせよ」です」あたり。何等かの理由により記載を好ましくないと思う側が、「特筆性がない」を理由に記述を除去しようとしたとしても、第三者的で信頼性があり影響力のある情報源を複数示すことで、その主題についての勢力が大きいことを示すことができます。そこにかかる労力や時間を書く側が受け持つのは、ウィキペディアではしょうがないこと。書くべき内容であれば、ほぼ、どのような状況にあっても、その記述を残すことができるでしょう。ただし、その記事の主題から離れた事柄であったり、得られる情報源が一時的な話題であったことを示す程度のものであるならば、記事全体の中では、ある程度の割合を越える記述は好ましくありません。記事全体が中立的であるという状態を保ちながら、加筆することが期待されます。--Ks aka 98 2012年1月7日 (土) 15:06 (UTC)
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- みなさんコメントありがとうございます。まず特筆性は第一義的には単独項目立項に関するものであることについては理解しております。この点予め説明できていなかった点については失礼致しました。ただしそれは第一義的なものであり、内容についても準じて適用されるということはToshi999さん、Ks aka 98さんが述べられている通りだと思います(逆にいえばWikipedia:特筆性は矛盾した文言を内包していると思われるのですが・・・)。さて、Ks aka 98さんの仰ることは尤もだと思います。ただ、Ks aka 98さんはあまりにも性善説に立ち過ぎています。実際は、必ずしも「書くべき内容であれば、ほぼ、どのような状況にあっても、その記述を残すことができるでしょう。」なんてことにはなりません。実際、それなりの幾つかの出典を示してもそれは「特筆性がない」という魔法の言葉によって退けられるケースが散見されるのです。そして、「そこにかかる労力や時間を書く側が受け持つのは、ウィキペディアではしょうがないこと。」と仰せですが、粘り強く議論を継続していくと今度はいつまでも納得しないのご登場とあいなる訳です。Wikipediaの記述には出典が義務付けられていますが、特筆性が無いと主張するには出典などの客観的な基準は要求されません。執筆者の恣意的な観点に左右されるのです。つまり、仮にきちんとした出典があったとしてもそれに反対する恣意的な観点を共有する参加者が複数いれば、記載拒否が可能なのが現状なのです。換言すれば、この(現状の)Wikipedia:特筆性いうルールはWikipediaを出典に反し恣意的に記述したい者達にとって格好の温床となっているということです。--Truesight 2012年1月7日 (土) 16:54 (UTC)
- んーと、記述に対して「特筆性がない」という意見に対する反論を「Wikipedia:特筆性」を根拠にしたら、それでは反論になっていないわけです。単独記事とできるかどうかということについて、「Wikipedia:特筆性」に基づく特筆性がないという意見への反論なら、第三者的な情報源で有意に扱われていれば、多くの場合それで足りる。
- ところが、記事の中での記述の有無とか、量とか、扱い・表現ということなら、そういう単純な基準はないし、多くの記事を対象として基準を作るのは好ましくない波及効果を生みかねません(プロジェクト単位で考えることはできると思う)。査読付きジャーナルのような情報源が得られるものでなければ、情報源の信頼性などについての議論も必要でしょう。つまり、対話の中で、それは、どちらかというと中立的観点の問題であったり、存命人物の伝記の問題だと捉えなおす必要がある。
- そこで、中立的観点などを参照し、議論参加を促すためのコメント依頼を出したりしながら、情報源を示すのと同時に、どういうふうに書けばいいかということについて対話を行なうことになります。記載に反対する参加者が複数いると言うことは、その反対の立場をとる観点が「恣意的」かどうかを問い直す必要もあるでしょう。ある事柄を載せたい、ということではなく、記事の発展を考えるなら、現在Trusightさんが望んでいるのよりも少ない量で触れる程度で収めるというところで合意が得られるかもしれませんし、記事全体について必要と思われる事柄を書き加えることができれば、その事柄について触れる必要性も認識されるようになるかもしれません。人物や企業記事なら、その本来の仕事との関係が深いということを示すとか、対立説があるなら、その説が少数説であっても認知されていたり、文脈によっては扱うべき正当性や影響力があったりということを示すとか。自分は書くことが妥当であることが他の多くの利用者にとって理解されるもので、粘り強く議論を継続していると思うなら、相手も同様にいつまでも納得していないのですから、利用者に対するコメント依頼、ブロック依頼を出すということになります。--Ks aka 98 2012年1月7日 (土) 18:19 (UTC)
- みなさんコメントありがとうございます。まず特筆性は第一義的には単独項目立項に関するものであることについては理解しております。この点予め説明できていなかった点については失礼致しました。ただしそれは第一義的なものであり、内容についても準じて適用されるということはToshi999さん、Ks aka 98さんが述べられている通りだと思います(逆にいえばWikipedia:特筆性は矛盾した文言を内包していると思われるのですが・・・)。さて、Ks aka 98さんの仰ることは尤もだと思います。ただ、Ks aka 98さんはあまりにも性善説に立ち過ぎています。実際は、必ずしも「書くべき内容であれば、ほぼ、どのような状況にあっても、その記述を残すことができるでしょう。」なんてことにはなりません。実際、それなりの幾つかの出典を示してもそれは「特筆性がない」という魔法の言葉によって退けられるケースが散見されるのです。そして、「そこにかかる労力や時間を書く側が受け持つのは、ウィキペディアではしょうがないこと。」と仰せですが、粘り強く議論を継続していくと今度はいつまでも納得しないのご登場とあいなる訳です。Wikipediaの記述には出典が義務付けられていますが、特筆性が無いと主張するには出典などの客観的な基準は要求されません。執筆者の恣意的な観点に左右されるのです。つまり、仮にきちんとした出典があったとしてもそれに反対する恣意的な観点を共有する参加者が複数いれば、記載拒否が可能なのが現状なのです。換言すれば、この(現状の)Wikipedia:特筆性いうルールはWikipediaを出典に反し恣意的に記述したい者達にとって格好の温床となっているということです。--Truesight 2012年1月7日 (土) 16:54 (UTC)
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- Ks aka 98さん、本当にいちいちご尤もな見解なのです。わたしも実際を知らなければ、Ks aka 98さんのご意見の通りであると思うに違いありません。しかし、甘いのです。特筆性を理由に分量云々で議論に臨まれるのであれば、それは良心的な方です。実際は、特筆性がないから記述は一言も容認しない、を主張するものも多々おり、それらについていちいちコメント依頼やブロック依頼を提出するのは効率的とは思えません。また、相手側との依頼の応酬による泥仕合になってしまうようにも思います。それにみなさんが関心がある記事であれば十分な告知のもと幅広い参加者も得られるでしょうが、そうでない場合はそのような善意の第三者の参画もおぼつきません。マイナーな記事群は、幅広い参加者抜きで閉鎖的に運営されているという現実を考慮すべきです。そういった閉鎖的な記事群での多数派は普遍的な多数派とは別物です。
- 問題の根本はやはりルールの不整備じゃないでしょうか。なんとか他のルールのようにもう少し明確な基準を導入できないものでしょうか。わたしが思うに、この特筆性ルールは(その本来の意図には賛同できるけれど、)Wikipediaにおける一大欠陥ルールであると思います。--Truesight 2012年1月7日 (土) 19:16 (UTC)
- 記事内の記述の必要性について(単独記事の立項基準ではなく)一元的なルールを導入することには強く反対します。Ks aka 98さんがおっしゃっているように、好ましくない波及効果が懸念されます。すでに指摘されている中立的観点やBLPの問題だけでなく、記事の構成や他の記事との分担などを総合的に考慮しなければなりませんから、個々に議論して合意を形成するべきです。もちろん労力と時間のかかることですが、それは協同作業によって百科事典を構築しようというウィキペディアの理念のために必要なコストであると思います。--Trca 2012年1月7日 (土) 21:47 (UTC)
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- Truesightさんが懸念したり求めたりしているものの詳細がいまいち掴み切れていないので、ちょっと回りくどい言い方になるかも知れませんが、まず、特筆性と言うルールは、他のルールの「まとめ」的な存在だと思っていまして、その主な主旨はざっくり簡単に言ってしまえば「しっかりした出典に基づいた記述で構成してね」だと思います。つまり、私の言う所の特記性とは、先にも述べた通り他の様々なルールに照らし合わせて臨機応変に与えられるものだと思っていますし、そうで有るならば、大抵の場合は有意な出典が付与されると思います。そして特記性を持った記述(ピース)の集合体が即ち特筆性を兼ね備えている事になるはずだと思うのですよね。ですので、私的には、各記述が3大ルールを踏襲してさえいれば、特筆性なんてルールはむしろいらないと思っています。要は、そんな特記性に関して特筆性を持ち出す人を排除したいと言う旨だと思いましたので、特記性に関するルールを新設するのでは無く、特筆性のルール上に「特記性」と言う言葉を明確に示し、その上でページ全体でのNPOVバランスを示す現状の説明に加えて、特記性は他のルールを踏襲する旨を明記するか、又は特筆性のルールは特記性では無いとはっきり分かる文言だけ入れて、いっその事特記性の説明は削除してしまえば良いのでは無いかと思います。現状では特筆性のルール上に特記性の説明が中途半端に入ってしまっており、更にタームも同じだから、これを同一視してしまって特記性の議論に特筆性を持ち出す人が出て来るのだと思います。 --Toshi999 2012年1月7日 (土) 23:53 (UTC)
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- 「性善説に立ち過ぎている」あるいは「甘い」、と抽象論ゆえに水掛け論になっているので少し実例を持って聞きたいのですが、坂の上の雲 (テレビドラマ)の記述についても、特筆性という魔法の言葉が横行しているという判断でしょうか?--EULE 2012年1月8日 (日) 02:38 (UTC)
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- Trcaさん、POV、BLPなどはその当該ルールに従って審議されるべきものではないですか。特筆性をそのような状況にあてはめて審議するのは誤った手法だと考えます。記事分担やその他云々があるのであれば、その旨意見表明し議論に望めばいいのです。そのような状況で特筆性という文言を使用するのは適切ではないと思います。いみじくもTrcaさんが仰せのように特筆性は種々の状況で用いられる便利な言葉、魔法の言葉と化してしまっている、その状況をなんとかしようというのがわたしの意見です。POV、BLP、またその他の明確な理由であれば建設的な議論の余地があるのですが、特筆性がない、といわれてしまえばどうにも水掛け論に終始する不毛な議論展開としかなりません。なぜならば、特筆性がWikipediaにおいては客観性を要しない特殊なルールであるからです。
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- Toshi999さん、大凡、わたしのいいたいことはToshi999さんのご理解の通りです。昨晩、Wikipedia‐ノート:特筆性や、その過去ログなどを流し読みしていたのですが、どうも現状の日本語版のWikipediaのルールは英語版のそれとも乖離したもののようです。英語版では特筆性は明確に記事立項に特化したルールとして定められており、記事内容については関知しない、他のPOV、BLP、Vなどのルールを参照せよとなっており、特記性に関する記述はハナから存在しないのです。Toshi999さんの見解はWikipedia英語版のそれと等しいものだと思われ、その見解にわたしも賛同するものです。
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- 「いみじくもTrcaさんが仰せのように特筆性は種々の状況で用いられる便利な言葉、魔法の言葉と化してしまっている」そんなことを申した記憶はありません。さて、Wikipedia:特筆性#記事内容の特筆性では、立項基準としての特筆性Aと、ここで問題になっている特筆性Bが、同じ語が用いられるものの別の概念であることがはっきりと書かれています。特筆性Aについて議論するのは簡単です。特定の条件を満たす情報源を示せばおしまい。これは単純明快で客観的なルールです。
- すでに書いたように、特筆性Bはもう本質的に難しいものです。文献があるかどうかは誰にでもわかることですが、ある情報が記事主題を説明するうえで重要かどうかを判断するには、それなりの知識が必要です。先ほどはそこまで踏み込みませんでしたが、これはPOV等のルールだけに還元できるものではなく、総合的な判断を必要とするものです。ある批判意見をフィギュアスケートの採点法に書くべきかを判断するには、信頼できる情報源の有無に加えて、その批判が採点法をめぐる議論全体のなかでどの程度影響力を持つのか、フィギュアの現状や歴史を説明するために必要なものなのかを判断しなければなりません。
- 私が血縁選択説を改訂したときには、いろいろな研究を紹介しました。血縁選択説に関する研究は当然もっとたくさんあって、網羅することは不可能です。そこで私は、教科書や総説で言及されている事例を中心に、私なりに取捨選択して記事を構成しました。そのための客観的で単純なルールを示せと言われても不可能です。シロビタイハチクイよりもフロリダカケスの研究のほうが重要だと思う人や、利他的分散は節を立てるほど重要でないと思う人、ヒトへの言及はもっと短くてよいと思う人もいるでしょう。このような取捨選択はPOVやVなどの明快なルールだけでどうにかなるものではありません(参考にはなりますが)。
- ですから、特筆性Bに関する議論が大変なのは当たり前のことなのです。特筆性と呼ばないとか、特記性と呼びかえるとか、言葉の問題で簡単になることではありません。どんな言葉に言い換えたところで、単純な客観的ルールに還元できるものでない以上、議論は手間のかかるものになるでしょう。--Trca 2012年1月8日 (日) 06:12 (UTC)
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(インデント戻し)先立つ発言でTrcaさんは、「中立的やBLPの問題だけでなく~」と発言されています。本節は特筆性に関する議論です。特筆性ルールの改訂に話が及んだとき、Trcaさんが上記の根拠を述べ反対を表明されたということは裏を返せば特筆性という言葉は種々の状況で便利に使われている魔法の言葉であるということになりませんか。意図する意図しないに関わらず、Trcaさん自身がそのように解釈している証左ではないかと存じます。わたしがここで述べていることはPOVなどに照らし分量を勘案しようという善意の利用者だけでなく、恣意的な記述削除を目指す利用者や、公平ではない、真摯とはいえない記述に落ち着けようと画策する利用者もまた存在しているということです。前者の善意の利用者の利益を守りつつ、後者の利用者の行為を抑制するにはどうしたらいいだろうか、ということです。またわたしは議論の手間を惜しんでいるのでもありません。粘り強く議論することによって改善が施されるのであれば、迂遠であろうとも全体的に正しい方向に進むプロセスは機能しているともいえ、消極的ではありますが受容します。しかし、上にも書いているように、そのような粘り強い議論を行えば、そのような議論を行っているのが少数であれば少数であるほど、いつまでも納得しないという第二の呪文によって苛まわれる訳です。これでは正しい方向に進むプロセスは担保されません。具体例にはあまり踏むこみたくはありませんが、たとえば、フィギュアスケートの採点法では、現状のフィギュアスケートの採点法がソルトレークシティオリンピックにて発覚した不正を糺すべく公正を期すべく導入されたという華々しい説明があります。これは一方の観点です。しかし、同時にフィギュア界の著名人が現状でも問題ありと発言しているし、米ダートマスの准教授は未刊行であるけれども、経済学の統計手法を用いた分析ではルール改訂後も不正は僅かづつ逐次的に増加しているとの論文を大学のWebサイトで公開しています。これはニューズウィークにも引用され記事ともなりましたし他の論文にもリファレンスとして紹介されているものです。ところが、フィギュアスケートの採点法ではこれを特筆性がないとし記述を拒む勢力が大勢であり、長い議論を経ても一言も記述できない状況となっているのです(フィギュアスケートの採点法では特筆性以外にもさまざまな手法を駆使して記述を妨げる試みが行われているので単純に特筆性問題に帰着できませんが)。--Truesight 2012年1月8日 (日) 08:11 (UTC)
- お望みならば特筆性という言葉を言い換えて特記性なり記載基準なり、好きなように呼べばかまいませんが、それで問題が解決するとは思いません。どんな言葉を使おうと、記載内容の取捨選択が総合的な判断を必要としていて、単純なルールに還元できない以上、話は同じです。再び私が関わった例を挙げると、腕足動物を改訂したとき、箒虫動物をこのグループに含めるというコーエンの意見についてはごく簡単に触れるにとどめ、コーエンが拡張した腕足動物の定義や、それに基づく分類体系を詳述することはしませんでした。コーエンの論文はロンドン王立協会の発行する、権威ある学術誌に掲載された査読付き論文で、数十本の論文に引用されています。WP:VやWP:RSに照らせばまったく問題なし。それにも関わらずこの見解を大きく取り上げなかったのは、無脊椎動物学の教科書やデータベース等でこの体系を採用しているものが見当たらなかったこと、他の研究ではこの見解に矛盾する結果を出しているものもいくつかあること、箒虫動物を含めた広義腕足動物の生物学的特徴を一般的に概説するのが困難であること、箒虫動物や触手冠動物など他の記事でも触れられることなどを総合的に判断し、少なくとも現時点では、それ以上の紙幅を割くほど「特筆」すべき説ではないと考えたからです。このような判断をするうえでの指針として、Wikipedia:特筆性#記事内容の特筆性にそれほど致命的な欠陥があるとは思いません。
- ノート:フィギュアスケートの採点法では、Dwyさんやsergeiさんらによる文献の内容や信頼性の検討が穏当かつ建設的に行われており、Truesightさんが強調するほどに問題のある状況とは感じられません。--Trca 2012年1月8日 (日) 10:09 (UTC)
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- たとえば、Trcaさんの上記の例でいえば、コーエンの学説が一切述べられていないとするのであれば、わたしにその知見があれば書き足すことでしょう。何もコーエン学説が全てというような書き方はしません、こういう説もあるよというレベルで紹介します。わたしが目指そうとしているのはそういった行為を妨害する恣意的な観点での編集姿勢の排除です。
- こう書くとTrcaさんはコーエンの学説が述べられていなくともそれはそれで構わないとこう仰るかもしれませんが、わたしの意見は、百科事典としては主な観点は網羅すべきであり、取捨選択を行うのは閲覧者という考えですのでVやPOV、RSを覆してまで記載削除を行おうと言う姿勢は許容できません。そしてVやPOVを覆す姿勢というのは基本的にWikipediaの理念からしても許容されるべきものではないはずです。
- 自然分野の学術記事であれば各々が特定の学説に入れ込み、感情的な編集姿勢が入り込むことは少ないとは思いますが、例にあげたフィギュアスケートの採点法ではどうもそうではないらしく、1年前からニューズウィークをタブロイドであるとか、ニューズウィークの記事は誤訳であるとか、論文には現行の採点法の評価の記載がないという虚偽だとかを申し立てて、記述の削除が行われているのです。これは記述を何が何でも削除しようと考える人物が存在するという証左です(Dwy氏やsergei氏は最近、1、2回発言している程度ですので、少なくとも現時点でフィギュアスケートの採点法においては、ここで述べている「人物」に該当しません)。そしてそのような記事はWikipediaでは山のようにあるのです。こうした人々はさまざまな理由をつけて記載の削除を試みます。フィギュアスケートの採点法のノートを良く読むとそこにはそうした滑稽とも映る種々の試みの残滓がみてとれるはずです。そうしてそれらが論破されたときに最後にこれらの人々が援用するルールがあります。特筆性です。わたしが問題にしているのはそういった意味での特筆性であり、Trcaさんが述べている一般的な意味での特筆性ではありません。このことはこれまで再々述べています。--Truesight 2012年1月8日 (日) 12:50 (UTC)
- 逆方向から意地悪な見方をすると、Truesight氏がある記述を何が何でも残そうとし、そのために特筆性に関するルールに手を加えようとしている、と解釈する事も出来なくはない。本当にそうしようとしてるわけではまさかないだろうけど、自分側の意見が当然に妥当だという認識のように見える。提案の是非や個別事案について口を挟むつもりはないけど、議論の姿勢としては自分の意見も第三者的に扱えた方が良いのでないかな。杞憂ならスレ汚し失礼--124.26.234.115 2012年1月8日 (日) 14:40 (UTC)
- 私が関わったもので言えば進化では、現在広く認められている理論とその周辺の説明に的を絞っていて、極端にマイナーな異説(ウイルス進化論、構造主義進化論、分子駆動理論、重力進化論、今西進化論、空飛ぶスパゲッティモンスター説その他もろもろ)には一顧だにしておりません。Truesightさんは、これらをすべて無条件に進化の記事に盛り込むべきだとお考えでしょうか。もしそんなことをすれば、記事は散漫で冗長な、読みにくいものになってしまうでしょう。
- 一部の利用者がルールを間違った文脈で持ち出すからといって、安易にルールを変えようとするべきではありません。自分が関わっているいくつかの議論に片を付けたいがために、多くの記事に悪影響を及ぼしかねないルール変更を提案するのは慎むようお願いします。明らかな虚偽を述べる利用者がいるのが本当ならば、Truesightさんご自身で丁寧に文献に当たり、根拠を示したうえでコメント依頼やブロック依頼を提出すれば、速やかに合意がなされ、いつまでも納得せずに虚偽を繰り返す利用者はブロックされることとなるでしょう。--Trca 2012年1月8日 (日) 14:58 (UTC)
- 124.26.234.115さん、いやいや、ご助言ありがとうございます。ちょっとここでの話題に馴染まない具体例に踏み込みすぎた部分がありました。
- Trcaさん、そう極端な話を持ってこられても困ります。わたしが論じているのはそういった極端な例でなくとも特筆性を理由に記載拒否がみられるということです。それとそういうことをやる利用者は「確信犯」なのですから正論は通じにくいのです。たとえば、ブロックされても別アカウントで現れたり、IPで現れたりしては別人を騙り、延々と反論を示し続けたりするのです。そりゃ、理想的にはそういった参加者は即ブロックされるのでしょうが、実際はそうもうまくいくもんでもありません。--Truesight 2012年1月8日 (日) 15:17 (UTC)
- 私が言いたいのは、検証可能性を満たす事柄をすべて記載することは不可能なので、WP:Vのような明快なルール以外に何らかの取捨選択をする必要が絶対にあるということです。その取捨選択の基準を特筆性と呼ぼうと呼ぶまいと、そのことは同じです。ですから、たとえ特筆性という用語がまったく存在しなくても、「××は些細な事柄であり、この記事に記載するほどの重要性はない」と主張することは可能です。WP:NOTあたりを持ち出すこともできるでしょう。ウィキペディアが不特定多数による共同プロジェクトという理念を持つ以上、悪意を持った利用者の存在は避けられないことです。明確な悪意を持って確信的にやれば、ほとんどどんなルールだって悪用できます。悪質利用者への対処は、本来の記事作成のためのルールを曲げることではなく、悪質利用者を速やかに排除する努力をすることによって行うべきことです。--Trca 2012年1月8日 (日) 15:51 (UTC)
- しかし、Wikipediaの記事には最終版がないのと同様、どのようなルールであれ、改善の余地はあるはずです。中でも、現状の特筆性は最も悪用されるルールであると思っている訳です。わたしはその観点で述べています。Trcaさんがそうした改善を考慮せず現状ルールで努力しようという考えであることは理解しました。--Truesight 2012年1月8日 (日) 16:14 (UTC)
- Truesightさんのご意見には2点において反対します。第1に、記事執筆のための指針であるWP:N#記事内容の特筆性を、悪意を持った利用者への対処のために曲げることには賛成できません。よりよい記事執筆に繋がるなら特筆性ガイドラインの改訂も検討するべきですし、逆に悪質利用者に対処するための方針類(WP:VANDやWP:ILLEGIT等)を改善してより速やかに対応できるようにすることも検討に値します。しかし、百科事典作成を目的とするプロジェクトで、記事執筆の指針を悪質利用者対処のために曲げるのは、プロジェクトの本分を見失いかねない行為ではないかと危惧します。第2に、Truesightさんのおっしゃるほどに悪意を持った利用者であれば、WP:Nが使えなくなれば他の方針類を持ち出すだけではないかと考えます。先ほども書きましたが、WP:NOTを引き合いに出してほぼ同様の論陣を張ることもそれほど難しくないでしょう。Truesightさんご自身、フィギュアの記事では特筆性以外もさまざまな手法が駆使されているとおっしゃっていますね。まとめて言えば、有効性に疑問のある悪質利用者対策のために、記事執筆のための指針を曲げることには賛成できないということです。--Trca 2012年1月8日 (日) 17:59 (UTC)
- 方針をいじろうという提案であればTrcaさんのご意見は納得できます。方針は完成度が高く、悪用されることもありません(と思います)。しかし、ガイドラインは異なります。今までもガイドラインは改訂されているし、今後も恐らく改定され続けていく性格のものです。これは指針を枉げ続けているわけではありません。そもそも特筆性は未だ草案です。草案であるからには草案である理由がある訳です。確かにWP:NOTも詭弁的な意見で時折見ることはあります。しかし、現状最も幅を利かせているのは特筆性です。わたしは次の点から特筆性の改善を提案しています。
- 特筆性は他ルールに比べ基準が明確でなく、恣意的な援用を許す可能性がある。
- 実際に特筆性を援用した詭弁ともとれる論陣が散見される。
- 恐らく、Nを改訂すればNOTに移行するというTrcaさんの懸念は正しいものでしょう。しかしそれはガイドラインの整備を遅らせる理由にはならないのではないかと思います。--Truesight 2012年1月9日 (月) 04:47 (UTC)
- 方針をいじろうという提案であればTrcaさんのご意見は納得できます。方針は完成度が高く、悪用されることもありません(と思います)。しかし、ガイドラインは異なります。今までもガイドラインは改訂されているし、今後も恐らく改定され続けていく性格のものです。これは指針を枉げ続けているわけではありません。そもそも特筆性は未だ草案です。草案であるからには草案である理由がある訳です。確かにWP:NOTも詭弁的な意見で時折見ることはあります。しかし、現状最も幅を利かせているのは特筆性です。わたしは次の点から特筆性の改善を提案しています。
- Truesightさんのご意見には2点において反対します。第1に、記事執筆のための指針であるWP:N#記事内容の特筆性を、悪意を持った利用者への対処のために曲げることには賛成できません。よりよい記事執筆に繋がるなら特筆性ガイドラインの改訂も検討するべきですし、逆に悪質利用者に対処するための方針類(WP:VANDやWP:ILLEGIT等)を改善してより速やかに対応できるようにすることも検討に値します。しかし、百科事典作成を目的とするプロジェクトで、記事執筆の指針を悪質利用者対処のために曲げるのは、プロジェクトの本分を見失いかねない行為ではないかと危惧します。第2に、Truesightさんのおっしゃるほどに悪意を持った利用者であれば、WP:Nが使えなくなれば他の方針類を持ち出すだけではないかと考えます。先ほども書きましたが、WP:NOTを引き合いに出してほぼ同様の論陣を張ることもそれほど難しくないでしょう。Truesightさんご自身、フィギュアの記事では特筆性以外もさまざまな手法が駆使されているとおっしゃっていますね。まとめて言えば、有効性に疑問のある悪質利用者対策のために、記事執筆のための指針を曲げることには賛成できないということです。--Trca 2012年1月8日 (日) 17:59 (UTC)
- しかし、Wikipediaの記事には最終版がないのと同様、どのようなルールであれ、改善の余地はあるはずです。中でも、現状の特筆性は最も悪用されるルールであると思っている訳です。わたしはその観点で述べています。Trcaさんがそうした改善を考慮せず現状ルールで努力しようという考えであることは理解しました。--Truesight 2012年1月8日 (日) 16:14 (UTC)
- 私が言いたいのは、検証可能性を満たす事柄をすべて記載することは不可能なので、WP:Vのような明快なルール以外に何らかの取捨選択をする必要が絶対にあるということです。その取捨選択の基準を特筆性と呼ぼうと呼ぶまいと、そのことは同じです。ですから、たとえ特筆性という用語がまったく存在しなくても、「××は些細な事柄であり、この記事に記載するほどの重要性はない」と主張することは可能です。WP:NOTあたりを持ち出すこともできるでしょう。ウィキペディアが不特定多数による共同プロジェクトという理念を持つ以上、悪意を持った利用者の存在は避けられないことです。明確な悪意を持って確信的にやれば、ほとんどどんなルールだって悪用できます。悪質利用者への対処は、本来の記事作成のためのルールを曲げることではなく、悪質利用者を速やかに排除する努力をすることによって行うべきことです。--Trca 2012年1月8日 (日) 15:51 (UTC)
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- WP:N#記事内容の特筆性に関して、恣意性を排除するような基準を設けることは難しいし、またそうするべきではないと思います。これははじめに書いたことで、そろそろ議論が堂々巡りになってきました。これ以上の議論は、具体的な改定案が提案されてからにしましょう。--Trca 2012年1月9日 (月) 05:09 (UTC)
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- Trcaさんのご懸念は理解できます。ただ、わたしの意見は冒頭に書かせていただいたように特筆性ガイドライン(草案)が本来優先すべき方針WP:POV、WP:Vを駆逐している状況をなんとかしたいというものでこれに変わりはありません。現在は幅広いご意見を賜る目的でこのような発議をさせていただいた段階であり、近々、具体的な改定案の提案に踏み込む予定は、現時点、わたしとしては考えておりません。そういった意味においては主張は異なるとはいえ、ご意見をお寄せいただいたTrcaさんには感謝しております。ありがとうございました。--Truesight 2012年1月9日 (月) 05:35 (UTC)
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ウィキペディアのように対象が多岐にわたる場所においては、ルールは万能ではありません。現行の方針でもガイドラインでも記事ごとに解釈をしうる幅があるでしょう。今回のようにある特定の記事の問題を演繹的に展開し、ルールの不備について井戸端で話し合うよりも、最初からTruesightさんがさしあたって困っている「フィギュアスケートの採点法」という記事に対しての特筆性の扱い方に絞って、議論参加を求めたほうがよいと思います。今回のように特筆性という語句やガイドラインについて議論提起しますと、イメージする例がそれぞれ違ってくるので非常に漠然とした議論となります。現在の議論は特にそうした傾向が強いと感じました。具体例に踏み込むのを躊躇されていたようですが、まずルールがすべての記事に同じように必ず適用されなければならないとお考えにならないほうが良いと思います。当該ガイドラインが「Truesightさんがイメージしている記事の議論において」は、機能していない、あるいは欠陥があると感じていることを、当初から表明されたほうが有意義な議論になると思います。--海獺 2012年1月8日 (日) 16:32 (UTC)
- 示唆に富むご意見ありがとうございます。ただひとつ言いたいのは、わたしはフィギュアスケートの採点法のみを問題にしているのではありません。フィギュアスケートの採点法以前にも特筆性の恣意的運用についてはさんざん見てきています。そういった恣意的運用可用性の高いルールは整備されていない証左でもありますし、そういったものに対し改訂の要望を記しておくのもそれなりに意味のあることだろうと思い発議させていただいたものです。ただ、これまでご意見を交わさせていただいた限りにおいては海獺さんのご意見には首肯せざるを得ないものが多々あります。--Truesight 2012年1月9日 (月) 04:47 (UTC)
私は現在のWikipedia:特筆性の記述内容に再検討の余地はあると思います。ただし私のモチベーションはTruesight氏のそれとはおそらく180度真逆のものです。私は一昨年は日本航空123便墜落事故 、昨年は赤報隊事件の編集に首を突っ込みました。これらを通して感じるのは、現在問題なのはむしろ「出典がある」のみを拠り所に記事主題との関連性の薄い事項や別の記事に加筆すべき事項を何でもかんでも自分が贔屓とする記事本文中にぶち込みたいと志向する人々だということです。この人達は実にやる気満々で、自分の加筆の妥当性をツユほども疑わないどころか、ちょっと記述を整理しただけで、被害者の心情を踏みにじっていてけしからんとか、お前は犯人のシンパかとか、もうめちゃくちゃなことを言ってくるので頭が痛くなります。まさに「特筆性の恣意的運用」で「いつまでも納得しない」このような人たちと議論を継続できる人となると、やはりどうしても限られてしまうでしょう。
ウィキペディアにおける特筆性という言葉は直感的に理解し難いものがあり、非常に混乱を招いてきたと思います。現に、当節の議論はウィキペディアにおける特筆性について理解しているはずの人同士の議論であるはずなのに、話が今ひとつ噛み合わず、特記性だの特筆性Aだのと、新たに用語を定義し直すはめになっています。こうなる原因は、ここでも言及されているとおり、2つの異なる概念に対して同じ「特筆性」という言葉が使われていることと、記事立項における検討条件としての「特筆性」が、辞書に載っている特筆性とは少しニュアンスを異にしていることによると思います。両方の「特筆性」について、より誤解しづらく直感的に意味を捉えやすい別の用語がないか、検討してみる価値はあるように思います。そして、WP:Nにおける「記事内容の特筆性(=特記性、特筆性B)」の解説は、結局のところ「どれぐらい詳細に書く必要があるのか」をどう判断していけばいいのかという疑問に十分に答えられていないように思えます。「特筆性B」の判断が単純な客観的ルールで対応できるものでなく議論に手間をかけることは避けて通れないというtrcaさんの主張はわかるのですが、考え方の基本のようなものをかみくだいて説明したガイドライン的なものが整備されていれば各記事における議論ももう少し楽にならないかとも思います。--Kojidoi 2012年1月9日 (月) 05:36 (UTC)
- うーん。繰り返しになりますが、単独の項目として認められるかどうかの基準としてウィキペディアコミュニティで成文化している「Wikipedia:特筆性」と、記事内の記述をどうするかを考える上での一般的な「特筆性」の話は別であって、記事内の記述について、「Wikipedia:特筆性」を根拠にするとか、改訂するとかというのは、方向が違うんじゃないでしょか。Wikipedia:特筆性#記事内容の特筆性にある「各記述は、その重要性に従って適切な重みをかけて扱ってください。 どこまで詳細に説明するか、記述の量、その記述の目立ち方や同等の記述を書く場合の順番など、記述の重みが偏りがちな点については、その重みのかけ方に注意してください。」は、「中立的な観点」の話です。「ただ、百科事典の記事は、その主題に関する一般的な知識の概要であるということを心に留めておいてください。 可能な限り全ての詳細なものを完璧に説明するものではありません。」は、「何ではないか」の話です。
- Kojidoiさんの挙げている、「「出典がある」のみを拠り所に」の例は、検証可能性(の一部)の濫用じゃないですかね。検証可能性や独自研究は載せないなどの方針を広めるなかで、まずは情報源を示そうという形で助言とか批判がなされてきました。それは、秀逸な記事や良質な記事のレベルでもそうだし、削除依頼のようなところでもそう。初期には、「編集方針」にある「他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」いうところと、検証可能性の除去できるという記述の間で衝突があった。でも、情報源があったとしても、記事の主題との関わりや中立性や百科事典であることから、書くべきことと書くべきでないこと、表現に留意すべきこと、というのがあって、それらは「何ではないか」や「中立的な観点」、あるいは「存命人物の伝記」を参照する。記事内容の三大方針は、相互補完的な関係にある、というのは、そういうことだと思うわけです。
- なお、「特筆性」は呼称を含めいろいろもめてるんですが、基本的には古い英語版の翻訳にベースがあります。以前Wikipedia:特筆性/改善案「収録項目の基準」というかたちの文書を作ったことがあります(議論は長いですが[4]以下。これはnotabilityと名づけられた文書である英語版の方向性を、フランス語版だったかな?で用いられている収録項目の基準という文書名として示すために書き換えたもので、英語版との整合性については、先の場所に議論があります)。単独で存在が認められる基準としての文書なのであって、それを強調するような方針にしてしまうほうがいいだろう、と。単独記事の線引きとしても、分野ごとの特性や、分割によって「単独」では基準を満たせない記事を作ることの可否については、十分検討されていない。
- それと別に、記事中の記述として取り上げるかどうか、その量的な多寡は、「中立的観点」と「何ではないか」に基礎があり、法的なあるいは倫理的な観点から「存命人物の伝記」で制限が加えられる。特に中立的な観点は、文書としてわかりにくいというのはあるでしょうから、ガイドラインとして包括的な文書を作るとか、プロジェクトレベルで線引きをしていくというのは(難しいと思うけど)考えられると思います。--Ks aka 98 2012年1月9日 (月) 07:10 (UTC)
- 私の認識も概ねKs aka 98さんと同じなので、認識にかんする話は割愛させて頂いて、もうちょっと突っ込んだコメントをさせて頂きます。Kojidoiさんが指摘する辞書上の特筆性とWikipediaで言う特筆性の意味がちょっと違うと言うのはまさにその通りで、Notabilityの単語に振り返れば、むしろこれは「特筆性」と言うよりも「単独立項可能性」と言う事で、勝手に日本語を作るとすれば「立頁性」とでも言った方が適切だと思います。
- 現状の特筆性のルールでは、全体的には立頁性の説明になっており、その中の一部に特記性の説明として「このルールは特記性の為のルールでは無いが、時に特記性は重要度(つまり辞書で言う所の特筆性)と言う意味で特筆性と呼ばれます」的な説明が入ってしまっている。そしてそこでは確かに、一般的に言う所の特筆性に基づいて記述量を調整しろと言ってる様に見える。そして、TrcaさんやKojidoiさんは、ここを根拠に「なんでもかんでも書きたい人を排除したい」と言ってる様に見える。更に、なんとなく前後の立頁性説明の虎の威を借りたニュアンスも根拠に含めてる様にさえ見える。(特記性の説明だけでは記述を矮小化させる根拠にはなっても、排除する根拠に成りきれていませんから、排除を強弁するには虎の威を借りるしか手段は有りませんので)そうすると、Truesightさんからしてみれば「まさにそれが問題なんだよ!」と言う話になる。と言う方向に議論が流れている様に、少なくとも私には見えてます。(だから噛み合っていない)
- ぶっちゃけた話をすれば、私は論争の無い記述に関しては執筆者の裁量で記述を排除する分は一考に構わないと思っていますが、少なくとも論争が有る記述に関しては、出典基準を満たしている限り量的なNPOVバランスを考慮しつつ両論併記すべきで有ると思いますし、ルール上もそれを斡旋してるのでは無いかと思ってます。ピースとしての記述(つまり特記性)に関しては、何度も言うとおり、3大方針を踏襲し、必要に応じて他のルールを総合的に判断し、更に現状の特筆性の説明に有る重要度(辞書で言う所の特筆性)を加味してNPOVバランスを考えて記述する。それでいいんじゃないですかね?
- そして、そこにコンセンサスを得られるならば、現在の特筆性のルールの文言や特記性に関する説明の見直しなどは一向にTrcaさんやKojidoiさんに不都合を与えないとも思うのですが、どうでしょう? --Toshi999 2012年1月9日 (月) 17:23 (UTC)
- 追記:Kojidoiさんの言う所の関連性の低い記述をしたがる輩に付いては、これは明確な基準を示すのは事実上不可能だと思います。個人の温度差が激しくなりそうで、個人的には辞書で言う所の特筆性(つまり一般認知度や注目度)を基準に合意を目指せれば確かにスッキリ出来る気もしますが、現状のWikipediaのルール体系では例えばぐぐった検索結果とかで注目度を立証する事などは受け入れ難い所ですので逆に現状の特筆性内特記性説明を拠り所にしたいとなる。と言うのは非常に理解出来ます。が、現状のルール体系ではKs aka 98さんも仰ってますが、やはりWP:NOTやWP:NPOVなど総合的な判断で合意を目指すしか無いんじゃないかなと思います。(もしかするとプロジェクトによっては一定の基準を定められるケースも有るかも知れませんが) --Toshi999 2012年1月9日 (月) 18:14 (UTC)
- Toshi999さんのご意見が、少しでも論争があれば必ず少しは言及しなければならないということであれば、強く反対します。進化のような大きなテーマの記事を大混乱に陥れる可能性が非常に高いです。もちろんNPOVは大事ですし、記事は議論と合意に基づいて執筆されるべきです。議論の結果、少しは言及するべきだと合意されたなら、当然少しは言及するべきです。ですが、議論と合意の結果として、ある見解をまったく取り上げないという選択肢も残されているべきだと思うのです。ルールの変更が、「取り上げないという合意を形成する」ことの妨げになることを危惧します。
- これも私が関わった案件ですが、ノート:科学における不正行為では、ある文献の意見を取り上げるか否かで論争になりました。私は、文献自体は形式的にはWP:RS等を満たしているものの、試論的な性格が強いことを著者自身が認めている意見を取り上げるべきか疑問であることを理由に記載に反対しました。議論はかなりこじれたものの、最終的には言及しないことで一応の合意に達し、この文献について現在の記事ではまったく触れていません。Toshi999さんの提案されるようなルールができることで、「論争があるのだから少しは書かなければいけない」となってしまうのが心配です。
- (追記)これを書いている途中で、ちょうどToshi999さんの追記が投稿されました。記事内容の取捨選択が総合的な判断しかないというのは私がはじめから繰り返していることで、完全に同意します。だからこそ、論争があれば必ず記述しなければならないというような、一元的な基準を設けるべきではないと主張しているのです。--Trca 2012年1月9日 (月) 19:13 (UTC)
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- 一つ私の言葉足らずで誤解を招いてる気がしましたので補足致しますと、追記以前の私のコメは「関連性が担保されている前提」です。そして追記は「関連性が有る無しに関して」です。前者について、論争を無視して記述の排除を推進するのは、明らかに、WP:NPOVに反する行動に思えます。と、ここでまたぶっちゃけた話なのですが、この辺もケースバイケースだとは思うのですよね。例えば科学分野で、有る非常識な参加者が「これは論争が有るんだ!」と主張して、常識的にどう考えても似非科学だろう?みたいな主張を両論併記しろなんて主張は当然却下されるべきだろうと思いますし、そういう場合はコメント依頼などで科学に明るい議論参加者を集めれば、当然、非常識な参加者が浮き彫りとなり、コメント依頼やブロック依頼などへ持っていける。また、似非科学では無く、ちゃんとした科学であり、更に信頼出来る情報源も担保出来ているのだけれども、余りにも主流派からかけ離れた突飛な新説などに関して、仮に論争が起きた時にスムーズに「これいらないよね」と合意が取れるなら、それはそれでいいとも思います。しかし、合意が難しく議論が紛糾する位なら、それはやはりWP:NPOVに則って両論併記をデフォルトと考えるべきだと思います。そしてその様なやり取りは、現状の特筆性の文言の見直しや特記性の説明の見直しによって影響を受けるべきものでは無く、WP:NPOVの話であるとKs aka 98さんも言ってる様に見えますし私もそう思ってます。--Toshi999 2012年1月9日 (月) 21:32 (UTC)
- もしToshi999さんのおっしゃりたいことが、「論争があり、合意が得られていない場合に記述の除去を強行してはならない」というだけのことであれば、それはWP:NでもWP:NPOVでもなく、WP:DR等の問題です。論争中の編集強行が推奨されないのは当然で、それだけのことを言うために現行方針を変える必要はありません。もしさらに踏み込んで「合意が形成できずに論争が続いていても、記述の追加を強行してよい」「論争が紛糾した場合に、除去支持の意見を主張し続けてはいけない」というルールの制定を意図しているのであれば、強く反対します。それ以外の意図であれば、たたき台でもよいので、そろそろ具体的な変更案を提示していただかないと、建設的な議論が難しい段階に入っていると感じます。--Trca 2012年1月9日 (月) 22:58 (UTC)
- やや傍論のような気もしますが。「(執筆者間で)論争があり、合意が得られていない場合」に何をするべきかと言うと、合意を目指して対話をするべきであって、「記述の除去を強行してはならない」と同時に、「記述の復帰を強行してはならない」です。どちらの編集を行なうにしても、保護ないし双方のブロックに導かれます。
- 「常識的にどう考えても似非科学だろう?みたいな主張」であっても、一定の影響力があれば、排除するべきではないですよ。説の存在だけではなく、それが取り上げられている情報源を示し、疑似科学だということがわかるように、配分を考えて書く。説の存在しか示すことができないのならば、ある見解をまったく取り上げないという選択肢は当然含まれるでしょう。--Ks aka 98 2012年1月10日 (火) 04:02 (UTC)
- もしToshi999さんのおっしゃりたいことが、「論争があり、合意が得られていない場合に記述の除去を強行してはならない」というだけのことであれば、それはWP:NでもWP:NPOVでもなく、WP:DR等の問題です。論争中の編集強行が推奨されないのは当然で、それだけのことを言うために現行方針を変える必要はありません。もしさらに踏み込んで「合意が形成できずに論争が続いていても、記述の追加を強行してよい」「論争が紛糾した場合に、除去支持の意見を主張し続けてはいけない」というルールの制定を意図しているのであれば、強く反対します。それ以外の意図であれば、たたき台でもよいので、そろそろ具体的な変更案を提示していただかないと、建設的な議論が難しい段階に入っていると感じます。--Trca 2012年1月9日 (月) 22:58 (UTC)
- 一つ私の言葉足らずで誤解を招いてる気がしましたので補足致しますと、追記以前の私のコメは「関連性が担保されている前提」です。そして追記は「関連性が有る無しに関して」です。前者について、論争を無視して記述の排除を推進するのは、明らかに、WP:NPOVに反する行動に思えます。と、ここでまたぶっちゃけた話なのですが、この辺もケースバイケースだとは思うのですよね。例えば科学分野で、有る非常識な参加者が「これは論争が有るんだ!」と主張して、常識的にどう考えても似非科学だろう?みたいな主張を両論併記しろなんて主張は当然却下されるべきだろうと思いますし、そういう場合はコメント依頼などで科学に明るい議論参加者を集めれば、当然、非常識な参加者が浮き彫りとなり、コメント依頼やブロック依頼などへ持っていける。また、似非科学では無く、ちゃんとした科学であり、更に信頼出来る情報源も担保出来ているのだけれども、余りにも主流派からかけ離れた突飛な新説などに関して、仮に論争が起きた時にスムーズに「これいらないよね」と合意が取れるなら、それはそれでいいとも思います。しかし、合意が難しく議論が紛糾する位なら、それはやはりWP:NPOVに則って両論併記をデフォルトと考えるべきだと思います。そしてその様なやり取りは、現状の特筆性の文言の見直しや特記性の説明の見直しによって影響を受けるべきものでは無く、WP:NPOVの話であるとKs aka 98さんも言ってる様に見えますし私もそう思ってます。--Toshi999 2012年1月9日 (月) 21:32 (UTC)
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- いまいち話が噛み合いませんね。論争中の強行編集はどの様な場合でもダメだと言うのはデフォルトだと思っておりますので、そこは議論に含めていません。
- また、「「論争が紛糾した場合に、除去支持の意見を主張し続けてはいけない」というルールの制定を意図しているのであれば」に関してまして、意図も何も既にWP:NPOVで制定されているのでは?と申してるつもりですし、一義的には両論併記すべきだと書かれていると思います。(だから両論併記有りきをデフォルトで考えるべきだと申し上げました。) もちろん何事にも例外は有りますし、それ以前に合意至上主義である事を鑑みれば、記述の除去の提案を妨げる物では無い事は先の「ぶっちゃけ」で例に挙げた通りです。(但し、この例自体もKs aka 98さんご指摘の通り、例外は常に有り得ます。) そしてこれらの話は全てWP:NPOVの話で有って、特筆性とは関係ないはずだと申し上げているのですが、いかがでしょうか。そしてTrcaさんに限らず、やはり現状のWP:N#NCONTENTの説明はWP:NPOVやWP:NOT等の話とWP:Nを混同させやすい説明になっているのだと言う事の証左なのでしょう。
- --Toshi999 2012年1月11日 (水) 03:50 (UTC)
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◆たった三日でこれだけの分量ですか。連休は怖いですねぇ。今更になって意見を書いても良いものか否か悩むところではありますが………
- >このような状況が現出している状況について改善が必要であると考えるのですが
- もしもその「改善」というのが「ルールやガイドラインの新設や改定」を意味しているのであれば、不要である(むしろ害になる)と考えます。現行の多岐に渉るルールの一部を取り沙汰すことで他のルールに関してルール違反を犯す者に対抗する為の新しいルールを設けることは、「ルールの一部を取り沙汰すことで他のルールに関してルール違反を犯す」ことをより容易に(=事態の悪化を助長)するからです。ルールを悪用する者に対して、さらなる悪用手段を与える意義を見出せません。
- >方針であるWP:VやWP:NPOVはガイドラインに優先するにも関わらず
- この場合の「優先」とは「特筆可能性があっても、検証可能性や中立的観点に反する記述は許されない」という意味であり、「検証可能性や中立的観点に反しないならば、特筆可能性の無い記述が許される」ではありません。ついでに言うと、この(立項基準ではない)場合に於ける特筆可能性とは要するにWP:5の最初の柱に由来するものであり、優先順位としては他の柱であるWP:VやWP:NPOVに等しいものと考えます。
- >特筆性が無い~~客観的な基準は要求されません~~恣意的な観点に左右される
- 百科事典に相応しい記述であることの客観的な基準が存在するのであれば、特筆性の有無に関する客観的な基準を設けることが出来るでしょう。立項基準に限ってではあるがそれに挑戦し相応に認められているのがWP:Nではありますが、それでさえ各分野別に分かれ異なる基準が設けられるに至っている状況下に於いて、一般的汎用的に特筆性の有無に関する客観的な基準を設けることが可能であるとは到底考えられません。
- その通り、全ては恣意的な観点に左右されるのです。だからこそ中立的な観点を構築する為に対話を行うことが重要なのです。相手が対話拒否を行っていることは問題でしょう。ですがだからと言って、こちらも対話せずに解決を可能とする方法を模索しようとするのであれば、それは同じ穴の狢と言うものです。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月10日 (火) 01:33 (UTC)
コメント 別の場所で、しばしばTruesightさんやToshi999さんとお会いしたことのある者です。どのような場所でお会いしたかと思い出しますと、たとえば、“平清盛 (NHK大河ドラマ)”や“キム・テヒ”などだったと記憶しています。前者は、当時まだ放映されてもいなかった大河ドラマの記事内に、政治団体の人の批判的主張を掲載しろというものでした。後者は、特に政治的志向があるとも思えない若手女優の経歴中に、実態不明で本人の関わりもはっきりしない領土キャンペーン記事を大々的に書けというものでした。先ほど拝見したところ、“坂の上の雲 (テレビドラマ)”は、平清盛と類似の構図でしょうか。これらから、論争になりがちな傾向を推定すると、①芸能人・スポーツ・マスコミを主題とする記事を対象に、②政治的主張や政治的行動を大きめの扱いで記述することを要求する執筆者と、それに何らかの抵抗を示す執筆者がいるということです。そこでしばしばキーワードとして「特筆性」が使われたということであって、本来の意味での「特筆性」が俎上に上がっているのではないと思います。その点を素通りして「特筆性」一般の話として考えると、論点を見失います。個別の議論で陥りがちなパターンを挙げておきますと、このようなものです。
- 番組○○に対して、△△さんが、「××」と批判している。出典があるから掲載させろ -- という意見
- これに対して、「それには特筆性がない」 -- と抵抗する意見
- △△さんの意見を掲載すると中立性が損なわれる -- と抵抗する意見
- ならば△△さんの意見と反対の意見を両論併記すればいいじゃないか -- という意見
- 出典の信頼性に疑問がある -- と抵抗する意見
- 芸能情報の出典の基準は他の記事よりゆるくていいじゃないか -- という意見
- 内容が芸能活動ではないのでそれはおかしいし、信頼性の異なる出典を合成するのは不適切 -- と更に抵抗する意見
- 芸能情報の出典の基準は他の記事よりゆるくていいじゃないか -- という意見
- 主義主張系の出典は適切ではないのでは? -- と抵抗する意見
- そういう主張があるという事実を示すべき -- という意見
--これを延々と繰り返していくと誰もが疲弊するわけです。特に、もともと政治的主張にあまり関心がなくて、芸能人やドラマ等にのみ関心のあった執筆者は、そうした状況が続くと嫌気がさしてきます。中には、我慢できなくて、やや粗暴な振舞に出て無期限ブロックの憂目を見た人もいます。私自身の意見としましては、『①芸能人・スポーツ・マスコミを主題とする記事を対象に、②政治的主張や政治的行動を大きめの扱いで記述すること』は、(その芸能活動やスポーツの本質に不可分に関わる問題であればまた別ですが)百科事典であろうとするWikipediaに寄生して政治的主張を行うことであり、目的外利用の一種ではないかと思います。百科事典の編集方針内部の問題である「特筆性」とはレベルの異なる議題です。目的外利用を推進しようとしたところ「特筆性」を楯に抵抗されて邪魔されたから、「特筆性」を言わせないようにしてくれ、というのが議論の発端なら、それはとんでもないことです。--すたすた坊主 2012年1月10日 (火) 03:48 (UTC) --すたすた坊主 2012年1月10日 (火) 03:50 (UTC)(typo)
- こんな暴言が許されるのでしょうか。--Truesight 2012年1月10日 (火) 12:09 (UTC)
- 傍から見ている限りでは、Truesight氏の発言の方が「敏感に過ぎる」ように思えます。すたすた坊主氏の記述には主語が欠けている所為もあり、私は「個人攻撃をしたいのか一般論なのか傾向分析なのかよくわからんな」と思いながら読み進めました。そのまま「政治的主張だ」と(内容的に飛躍して)結論付けているのを見て「思い込みの激しそうな人だな、話半分四半分半値八掛け二割引で聞いておいて関わらないようにしておかないと後で面倒な目に遭わされるに相違無い」と判断しました。それに対してTruesight氏は「(恐らくはTruesight氏に対する)暴言」だと判断したわけですが、傍から見ている者は「すたすた坊主氏の記述に欠けていた内容」を推測する為にTruesight氏がどう反応したかも判断材料のひとつにするものです。そして私はTruesight氏が「この人何言ってるの?」と反応しなかったのを見て「すたすた坊主氏の記述内容にはそれなりの妥当性があったのだろう」と判断するに至りました。それはTruesight氏の望むところではなかったはずです。
- またTruesight氏は確かに「こんな暴言が許されるのでしょうか」と思ったのかも知れませんが、それをそのままそれだけを書くのもどうかと思います。悪名高き2ちゃんねるでさえ、書き込む前の注意事項に「頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。」とあり、その頭のおかしな人の判定基準の一つとして自分の感情だけ書く人を挙げています。2ちゃんねるでは「放置してあげてください」で済む話ですが、対話を旨とし中立的な観点を目指すWikipediaでは放置するわけにはいきません。だから「なにかと面倒なこと」が起こり、今此処でこうしているように井戸端に持ち込むに至ってしまったのではないでしょうか。その要因の一つにはもしかしたら、Truesight氏の対応の拙さがあったのかも知れません。相手にも非はあるのかも知れませんが、相手に非がある事実はTruesight氏に非が無いことを示していません。私自身は、井戸端に持ち込んで議論を始めているあたりで既に「対応の拙さ」を発揮しているのだと判断しています。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月11日 (水) 03:23 (UTC)
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- まぁ、私は過去にすたすた坊主氏と井戸端で周りを省みない議論を起こして皆様に迷惑を掛けた過去が有りますから、すたすた坊主氏による議題から外れたコメントには直接的に返信を付けるつもりは有りませんが、氏のコメントが一般論としてならば、議論参加者を名指ししたり該当議論箇所を示さなくても十分に語れる内容で有るにも関わらず、敢えて私とTruesight氏を名指しし、該当議論箇所を示した上での話ですから、これはもう一般論では無く個人攻撃である事は明白だと思いまして、であるならば、コメント依頼で話すべき内容であって、やはり議題から外れた目的外利用だと思うのですが、しかしながら、すたすた坊主氏は既に幾つもの私やTruesight氏に対するコメント依頼を出しており、そこでご自身の意見に沿うコメントを貰えないからと、この様な場でも印象操作的な話を持ち出すのだろうと思いますれば、私としましてはスルーかなと思っておりますが、しかしながら、事実に沿わず根拠もまるで示せていない誹謗中傷とも思える印象操作はこれが初めてでは無く、あっちこっちで展開されております故、万が一、その言を信じる人が出てきたり、または「ルールをどうすべきか」と言う議題から外れて「この利用者の参加姿勢はどうなの?」と論点をずらされる議論参加者が出ないとも言い切れません事を考えれば、非常に迷惑な話で有りますから、Truesight氏の様に、該当の印象操作箇所に対して一言程度はまぁ、有っても宜しいのでは無いかと言う気も致します。ご自身の望むコメントを得られるまで印象操作を繰り返す姿勢はWP:POINT違反で有ると他所で既に指摘済みなのですが、ご理解頂けない様で非常に残念です。尚、このコメントはすたすた坊主氏への返信では有りませんから、氏におかれましては、このコメントに返信しないで頂きたいなと申し添えます。私もすたすた坊主氏のコメントに付いてはこれ以上言及致しませんので。--Toshi999 2012年1月11日 (水) 09:36 (UTC) 追記:書き忘れていましたが、私のこのコメントはいつでも第3者によってノート移動して頂いて構いません。--Toshi999 2012年1月11日 (水) 09:39 (UTC)
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- 私はすでにこの話題の中で出てきているフィギュアスケートの採点法のページでTruesightさんにあらぬ疑いをかけられており、第三者的コメントとは言いがたいかもしれませんが一言。Truesightさんの行動は、自分の意に沿う意見を記載し宣伝したいものの、その出典が現在のWikipediaの(Toshi999さんの言葉を借りれば)特記性のデファクトスタンダードには適わず、今のままでは記載は難しいため、ルールそのものを変えろと要求しているように見えます。
- 余談ですが、そもそも当該ページでTruesightさんがいうような問題が発生しているようには感じませんし、私の感覚からすれば「なぜAなのか?」と聞かれて「Aだから」と答えるようなやり取りを延々くり返して相手の疲弊を待つTruesightさんのほうがちょっとどうかと思います。またTruesightさんはブロックからそこそこ時間がたっている状態でいまさら、LTA:Kuloleなる記事を用い、Kuloleさんと同じISPと地域であることが疑われるなどと称し、(私含む)神奈川DION利用者の言論を一切封殺しようとするかのような行動を取っています。--210.230.133.183 2012年1月11日 (水) 16:08 (UTC)
- LTA:Kuloleについてのご意見はそちらへどうぞ。--Truesight 2012年1月12日 (木) 03:37 (UTC)
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さて、いまひとつ発議の主張についての誤解がみられると思うので述べておきます。今回、発議に至った理由は、多くの記事、議論においてNPOVの侵害が特筆性を理由としてみられるのではないかということです。これは、わたし自身の編集方針が包摂主義であり、主題に対する賛否両論いずれもVを満たす限りNPOVに配慮しおこなわれるべきであるとの考えからでたものです。POVやBLPなどを理由に、NPOVに配慮した分量での記述にとどめよ、という意見であれば、それは理解できるものであり、考慮すべきものです。しかし、ここで問題としているのはそういったことではありません。問題は、V、NPOVを満たした記載について、特筆性を利用した記載拒否がみられるということなのです。記載拒否というのは字義どおり一言の記載をも認めないということです。また、NPOV、BLPなどを担保するために特筆性のこういったグレーゾーンを維持すべきであるという論がみられますが、NPOVやBLPなどを担保するためのルールはNPOVやBLPです。特筆性ではありません。 英語版では記事中の内容の特筆性(特記性)についてはNPOV、BLPなどを参照せよ、とされており、特筆性ルールの中では扱っておりません。--Truesight 2012年1月12日 (木) 03:37 (UTC)
- それは特筆性があることを相手にも理解出来るように説明し対話することで解決すべき問題であり、ルールを設けるべき問題ではないと考えます。もしも「どうあってもルールを設けなきゃヤだ!」とおっしゃるのであれば、ルールの概案ぐらいは提示して戴かないことにはどうにもならないと思うのですが。今までどうにもならなかった問題なのですから。ちょうど先日、この井戸端で「提案」という体裁を装った「要求」という表現を見掛けましたが、現状のTruesight氏がまさにそれなのではないかと。
- >NPOVの侵害が特筆性を理由としてみられる
- 見られるでしょうね。そのようなルールの一部を取り沙汰すことで他のルールに関してルール違反を犯す者の抗弁の機会を増やし議論を混乱させ利便性を与える意義が見出せません。
- >問題は、V、NPOVを満たした記載について、特筆性を利用した記載拒否がみられるということなのです
- みられるでしょうね。ですが問題は、V、NPOVを満たしていれば何を記載してもいいわけではないことかも知れません。その記述に特筆性があることを説明してもなお、相手が聞く耳を持たないのであれば、Truesight氏の説明に如何なる不備があるのかをコメント依頼なり此処井戸端なりで質問し、改善して改めて説明するべきなのではないでしょうか。それでもなお相手が「ルールの一部を取り沙汰すことで他のルールに関してルール違反を犯す」つもりであるのであれば、さらに先のステップへと進むことになると思います。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月12日 (木) 04:45 (UTC)
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- なるほど。ただですね、わたしはルールの改善を求めているのであって、それはやり方次第だと思います。改訂にはCray-Gさんが仰るようにリスクが付きまとうとは思いますが、リスクを恐れ、ノーリスク、ノーリターンに甘んじるのでは物事は進みません。具体的に、このようにすれば良いという確定的な文案は持っていません。基本的には、ここはその前段階的にあたり、Cray-Gさん含め、皆さんにご意見をお寄せいただいている場だと考えております。
- ただ、上にも書きましたように、ルールをプラスするのではなくマイナスすることでも改善は見られると思います。具体的には英語版にあるように特筆性ルールでは特記性については規定しないということです。恐らく、Cray-Gさんを含め、否定的なご意見を持つ方が一番おそれられているのは、有害な条文を付け加えリスクを助長する結果になるということだと思いますが、いってみれば、今がその状態にあるのではないかと。英語版のように特筆性では特記性を述べないことで悪用(誤用)も減らせるんではないかと。また具体例というと、全面的な賛成ではなく、細かいところの精査もできてませんが、Ks aka 98さんが挙げておられるWikipedia:特筆性/改善案「収録項目の基準」は英語版のエッセンスを取り入れた案であり現状よりも良いように思えます。--Truesight 2012年1月12日 (木) 05:28 (UTC)
- 《具体的には英語版にあるように特筆性ルールでは特記性については規定しないということです》ですが、現状の「Wikipedia:特筆性」でも同様になっていますよ。--iwaim 2012年1月12日 (木) 05:42 (UTC)
- まぁそうなんですけど、要はWikipedia:特筆性#記事内容の特筆性をWikipedia:特筆性/改善案「収録項目の基準」#記事の内容についてのようにした方が良いのではないかということです。英語版の特筆性[5]もあわせて読んでみて貰えると現状の特筆性ルールのニュアンスが少し違うというのがお分かりになるかと思います。--Truesight 2012年1月12日 (木) 06:01 (UTC)
- >わたしはルールの改善を求めているのであって
- はい、それはわかっています。「俺にはどう改善すればいいのか考える気は無いが俺が書いた内容が消されることを俺が止められない現状は問題であるのでお前等が考えて改善しろ」と言っているわけですよね。
- >それはやり方次第だと思います
- そりゃ何だってやり方次第です。世の中に「やり方次第」ではないものの方が少ないでしょう。それを、その「やり方」が何かは知りません、ではあまりにも無意味な指摘ではないでしょうかね。
- >リスクを恐れ、ノーリスク、ノーリターンに甘んじるのでは物事は進みません
- 俺は知らんからお前等考えれ、とネダるだけでは物事は進みません。実際、開始から此処まで(Truesight氏が単にルール改変を望んでいるだけだということが判明した以外には)何も進んでいません。
- せめて、Truesight氏の論敵がどのような反論(論理構造)により抵抗しているのか、どのような理由でそれに抵抗仕切れないのか、を纏めるぐらいしてみては如何でしょうか。
- >ここはその前段階的にあたり
- 「前段階」にすら至っていないように見えます。全体的に
- 問題の発見
- 問題の分析
- 原因の仮定
- 原因の追究/検討
- 改善策の出案/検討
- 改善策の採択
- 改善策の実行
- と言った流れになると思いますが、私の見るところだと現在は2.をすっ飛ばして3.で意見が分かれている状況です。意見の一つはTruesight氏の「特筆性が無いと主張するには出典などの客観的な基準は要求されないことが原因である」であり、他方はKs aka 98氏の言葉を借りると「中立的観点などを参照し、議論参加を促すためのコメント依頼を出したりしながら、情報源を示すのと同時に、どういうふうに書けばいいかということについて対話を行なうことが不充分であることが原因である」です。
- 然るにTruesight氏の目的はルール改変であり、その為には前者でなければなりません。が、「他の人(例えば私)」には特に目的らしい目的は無く、単に(その他の多くの問題と同様に本件も)後者が原因なのだろうと何となく思っているだけです。Truesight氏は目的の為に「他の人(例えば私)」を説得し理解を得なければならないわけですが、残念ながら2.に於ける分析が成されていないので、説得力のある論拠を挙げることが出来ていません。なので「他の人」からは理解を得られず、故に協力的な態度を得ることが出来ず、それどころか「他の人(の一人である私)」から子供のわがまま呼ばわりまでされているのです。
- >ルールをプラスするのではなくマイナスすることでも改善は見られると思います
- 改善の可能性は常にあります、何をしてもしなくても。その当然の現実を単に指摘するような無意味なことをする前に、そう思う根拠を「他人が理解出来るように」説明する必要があるのではないでしょうか。客観的である必要も厳密である必要も修辞的である必要も長文である必要もありません、相手に理解出来ればいいのです。それが対話です。
- 案を出せと言うのも、その案を出した背景にその「根拠」があるからです。その「根拠」に基づいて案が出されるからです。例えTruesight氏にその「根拠」を説明することが出来なくても、案を見ればTruesight氏の「根拠」が推測出来るからです。その推測の分だけ話が進むのです。なのに説明もしない案も出さないまま目的(ルール改変)だけはしっかりと持っていてそれにそぐわない意見には「皆さんにご意見をお寄せいただいている場だと考えております(キリッ/それはやり方次第だと思います(キリキリキリッ」とか言うものだから、私みたいな口の悪い輩から「だっておwwww(バンバン」と言われてしまっているのです。
- ルール改変結構なことです。ですが対話不足を棚に上げて論敵を意見封殺する為のルール改変ならば認めることは出来ません。そうではないことを「他人が理解出来るように」説明して下さい。その程度のことすら此処で出来ていないのに、議論の場ではちゃんと「他人が理解出来るように」説明出来ている対話は充分である論敵を意見封殺する為のルール改変ではないと主張だけは一丁前にされても、信じることが出来ません。
- 本件は数多くのウィキペディアンの多大な努力を要してなお解決がされていない重大な問題です。改善は誰もが望むところです。その為にルール改変が必要なら反対する者はこの場には居ません。問題は、それが「本当に必らず要るのか?」という疑問をTruesight氏が取り払ってくれないことです。或いは「他の方法で改善が可能であり『必らず』ではないにせよ、より効率が高く他の重大な問題が付随しない方法である」ことを示すことでも説得は可能でしょう。誰もが改善を望んでいるのですから。なのにTruesight氏はそれすら「やり方次第だと思います」とか「ノーリスク、ノーリターンに甘んじるのでは物事は進みません」などと言ってそれすら示そうとしません。
- 私には、Truesight氏がルール改変にこだわることが不自然に見えます。その不自然さは私の理解不足に拠り「対話不足を棚に上げて論敵を意見封殺することが目的だからなのではないか」という疑念を呼んでいます。理解させて下さい、対話によって。この場の誰もがそう望んでいるに相違無いと私は信じています。
- 蛇足になりますが、
- >要は~~のようにした方が良いのではないかということです
- そういうことなら井戸端で騒がずにそちらでどうぞ。真面目に書く前に気付けなかった己が注意力の無さを呪うばかりです。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月12日 (木) 13:58 (UTC)
- 《具体的には英語版にあるように特筆性ルールでは特記性については規定しないということです》ですが、現状の「Wikipedia:特筆性」でも同様になっていますよ。--iwaim 2012年1月12日 (木) 05:42 (UTC)
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- まぁCray-Gさんが絡んできたときから嫌な予感がしてたのですが案の定といったところですね。もう少しなんとかならないもんですかね、そのように悪意に捉えられ一方的に詰られるような提案をした覚えはないのですが、これでは議論を継続する意欲がなくなってしまいます。大体、意気揚々とはりきっておられるのは結構ですが、もう少し読み手のことを考えてコンパクトにお願いしますよ。ところどころ散見される個人攻撃も相俟って全部読む気にはなれません。--Truesight 2012年1月12日 (木) 16:07 (UTC)
- 追記)まぁでも何にしろ率直な意見が寄せられるのは喜ばしいことです。意欲が復活すれば、そのうち上の見解についても分析してみようと思っています。--Truesight 2012年1月12日 (木) 16:19 (UTC)
- 追記2)もう少し言えば、わたしはこの場でCray-Gさんのフローにおける1、(及び付随する2.3.4)あたりを主として論じているつもりです。5以上はそれらの議論の後で十分です。いきなり5以上を求められてもそれは無茶というものです。--Truesight 2012年1月12日 (木) 17:58 (UTC)
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[編集] ウィキペディアの日記念編集祭
こんにちは、Akanijiです。本年もよろしくお願いします。さて、今週末1/15はウィキペディアの日です。これを記念して世界各地で集会が行われます (meta:Wikipedia Day) 。東京でも編集祭(Edit-a-thon[6][7])を開催できないかなと思案しているのですが[8]、開催した場合にご参加いただける方はいらっしゃるでしょうか。日程としては来週末1/21 (土) 午後を考えていて、会場は山手線圏内を探索中でいくつか目星は付けています[9]。こういう祭にしたらいいよといった提案もお聞かせいただければ幸いです。--Akaniji 2012年1月9日 (月) 00:14 (UTC)
- 会場手配の都合、日程を翌週の1月28日13時~16時に変更しました。会場は千代田図書館第2研修室です。関西の出典をつけよう大会と同日ですので、こちらも出典をつけよう大会の東京会場とします。参加頂ける方はWikipedia:出典をつけよう大会/出典をつけよう大会in東京で参加表明をお願いします。定員は9名で、超過は不可能です。あらかじめご了承下さい。--Akaniji 2012年1月9日 (月) 15:02 (UTC)
[編集] 映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。
以前同じ内容を提案しましたが、再度皆様方の中立なご意見をお聞かせ頂きたいと思います。非常に難しい問題かと思いますが、どうか宜しくご協力下さいませ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E8%81%AF%E5%90%88%E8%89%A6%E9%9A%8A%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%95%B7%E5%AE%98_%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD#Wikied.E6.B0.8F.E3.81.AE.E7.B7.A8.E9.9B.86.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6 上記で論争が展開されています。この件で問題になっている点を要約しますと。
- 映画の内容と反響、評価を記述したページにおいて、原作とは関係のない資料・個人的な知識に基づいて記述したり指摘することの是非。
- 映画の内容と反響を紹介するページにおいては、識者が公のメディア(新聞・雑誌・ネット)によって意見や感想を発表した内容のみを記述するべきであり、それ以外の個人的な指摘や説明は『独自研究』にあたらないのか?
- 映画と言う作品において、たとえ史実の内容を元にしているとしても多少史実と異なる描写があったとして、それは編集上の理由や、脚本家があえて説明を省いたりする可能性が高く、それに関していちいち史実を持ち出して指摘するのは意味をなさないのではないか?(独自研究羅列・知識のひけらかし合戦になる可能性を非常に危惧しています)
の3点に集約されると思います(細かい論点については、上記リンクの論議を参考にして下さい)
もちろん従来のウィキルールの内容で対応出来るとは思います。ですか今回、他の皆様のご意見を参考に、一定のルール作りの必要性を感じました。こちらの皆様のご意見を参考に、映画の表現描写に関しての記述に一定のルールを提唱したいと思います。どうかご協力宜しくお願いします--男梅 2012年1月11日 (水) 02:05 (UTC)
- 映画評的な雑誌や、評論家の言、或いは歴史研究家のそれでもよいので、典拠を引っ張ってくるのが筋でしょう。今回の件でしたら、具体的には「設定ミスの可能性が高い」などは典型的と言えます(完全に憶測または感想です)。もちろん、独自研究でない、権威ある指摘の紹介ならば、史実との差異の紹介自体は有益または議論の価値のあるところでしょう。この辺りは史実や実在の人物を元にしたアニメ、マンガ、小説、映画、全てについてやはりありがちな独自研究なのでしょうね(完全オリジナル作品の記事についても、独自研究による解説は多く見られるのですが)。明文化するのであれば、プロジェクトごとなどではなく一括してWikipedia:独自研究は載せないに、史実または歴史上の人物を題材とした創作作品について、史実と異なる箇所を編集者が独自に指摘するなどとでもしておくのでしょう。明文化により混乱が少なくなることは明らかですし、この混乱はコミュニティに重い負担となっていますが、細かすぎてきりがないと見られる方も多いでしょう。ただし、史実または歴史上の人物を題材とした創作作品は非常に多く、ありふれた記事でもあり、細かいと見なすものでもない気がしますが。--Hman 2012年1月11日 (水) 03:11 (UTC)
- ◆議論全部を読む気は全く無いのですが。
- 反響や評価に於いても(と言うか「反響や評価にこそ」)二次資料である出典が必要でしょう。一次資料に基づいて書くことは出来ません。
- 同じく二次資料が無いものは書けないでしょう。
- これは「多少」の持つ曖昧さと「特筆性」の持つ曖昧さとが競合するところだと思います。男梅氏は「多少=特筆性無し」の意味で書いているのでしょうが、特筆性の有無は二次資料の多寡で判断する建前ですから、それに特筆性があるか否かを内容からウィキペディアンが判断するべきではありません。そもそもその「史実」とやらが正しいということ前提自体からして出典無しに書くのが難しいというのに、それとの相違を出典無しに書けるはずがないでしょう。
- ルール化の必要性が感じられません。必要なのは、せいぜいがところ「あらかじめお読み下さい」程度の文章なのではないでしょうか。ルール化するには客観的な基準を必要とします。そしてルールを増やせば増やすほど抜け道が増えるものであり、その抜け道を利用しようとする者を誘惑するものです。
- 世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月11日 (水) 04:14 (UTC)
聯合艦隊司令長官 山本五十六のノートにも似たようなことを書きましたが、ご存知のように、今般、ドラマや映画における歴史考証、時代考証の貧弱さ、また、恣意的な歴史「改ざん」が目につきます。そうしたことからも、出典のある有意義な情報は、脚注として加えていいと思いますよ。何が有意義な情報に該当し何がそれに該当しないのかは、主観的なお話になってしまうかもしれませんが。。。いずれにしても、評価を抜きにして、かつ端的に、史実ではこうだよって、書いていただければ、読者の一人としても助かります。また、作品自体を直接扱った本からの引用だけが認められるというのは絶対条件ではないと思います。なぜなら、そのような本は、かなり有名な作品に関するものを除けば、宣伝目的のハンドブック的なもの以外に見つけることは困難であるからです。原作本&識者が発表したものであれば、脚注でなく本文中で紹介していいと思います。Takabeg 2012年1月11日 (水) 04:21 (UTC)
皆様方に理解して頂けるように、私の意見を整理しますと
- 映画の内容を表記するページに於いては、映画の内容や評価・反響を記述することを主たる内容にするべきである。
- 映画という限られた尺の中で、一般の人々に内容を理解して貰うために、あえて難しい表現や説明を省き、解りやすく脚本や表現を史実と違う形に変えることはよくあることである。
- 映画の表現や描写、小道具・所作に対し、史実を持ち出して記述することは全く意味を成さない上に、支離滅裂な知識披露合戦に繋がるキリがない行為である。但し、識者や専門家の意見や批評等が公のメディア(出版物・TV・ネット)で公開されており、それが証明されること、または広く流布されている場合はこの限りでは無い。
- 出展を明記して記述していたとしても、本作品とは全く関係のない書物からの引用による個人的な考え・知識を主な拠り所とした『作品に対する粗探し・突っこみ』は、記述の内容を複雑化してしまう事にしかならない。(こういった内容は映画の内容を説明するを目的とするページに記述する必要性は無い)。
と言う形になります。Hman 様のWikipedia:独自研究は載せないに、『史実または歴史上の人物を題材とした創作作品について、史実と異なる箇所を編集者が独自に指摘するなどとでもしておく』というご指摘はとても簡潔にまとめられていて、現状では1番良い対応法ではないかと感じました。--男梅 2012年1月11日 (水) 04:51 (UTC)
(1) 史実を扱った映像作品について、節度を持って、作品内容と史実との違いを、Wikipedia:検証可能性を満たす形で記載するのは、作品の種類によっては特に問題ないと考えます。
ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六でも述べましたが、例えば、NHK『大河ドラマ』のように、明らかに「フィクションの映像化」である場合は、史実との相違点を細かに記述するのは無意味である場合が多いでしょう。こうした作品については、例えば
「長篠の合戦のシーンでは、鉄砲の三段撃ちが行われた描写が為されていたが、現在では、これは史実ではないとする意見が多い(田中一郎「長篠合戦の真実」10頁)、鈴木次郎「長篠合戦」20頁」
程度に止めるべきです。これは、過去の戦争映画「男たちの大和」「連合艦隊」「二百三高地」などについても同様でしょう。これらは「娯楽戦争映画」であり、主人公が架空人物と明示されている点において共通しています。
一方、史実を忠実に映像化する意図で製作されたと判断できる材料がある作品、例えば、この提案の発端になった聯合艦隊司令長官 山本五十六は、副題が「太平洋戦争70年目の真実」であり(これは、原作である半藤一利の著作の副題をそのままつけただけだ、という男梅さんの指摘がありましたが)、パンフレットを開いた頁に「日米開戦70年、今明かされる衝撃の歴史超大作」「70年の歴史の渦に溶けて行ったこの国の真実を、鮮やかに蘇らせる」とあります。
ただし、2時間ほどの映画に仕上げる以上、全てを史実に忠実にするのは無理であり、そのことはパンフレット掲載の長谷川康夫氏(脚本)のインタビューで言及されております。
私は、映像化のために史実から「若干」離れるのは致し方ないと考えますが、その部分を検証可能性を満たす形で摘示することが「独自研究」に当たるとは考えません。映画を理解する上で、史実に忠実に描写した部分と、そうでない部分を判別することはプラスになると考えます。
今後、仮に阿川弘之氏の海軍三部作「米内光政」「山本五十六」「井上成美」などが映像化されるとすれば、同様に「映画作りのために止むを得ない部分を除いて、史実を忠実に映像化したもの」になるでしょう。
なお、Hmanさんが指摘なさる『設定ミスの可能性が高い』などは、Pooh456が書いたものですが、こういった記述は確かに「独自研究」「私見」として排除されても仕方なく、ご指摘の通りですので、そのような点を改訂しました。--Pooh456 2012年1月11日 (水) 05:21 (UTC)
- Wikipedia:独自研究は載せないには、「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。」(強調は原文のまま)と冒頭で明記されています。歴史的な出来事を舞台にした作品に対して、その表現が史実と異なることを指摘するためには、その指摘自体が検証可能な資料の中にある必要があるでしょう。その作品について言及していない資料を用いて、作中の表現について何らかの記述を行うことは、ウィキペディアの編集者による考察(すなわち独自研究)の余地を生み出してしまうからです。--有足魚 2012年1月11日 (水) 08:17 (UTC)
- 私自身が明確な回答を持っていないので少々回りくどい話になるかも知れませんが、上で有足魚さんが提示しているルールを基に考えて見ますと、まず、映画と言ってもフィクションなのかノンフィクションなのかで分けて考える必要が有ると思います。しかし、映画で完全なノンフィクション作品と言うのは余り見かけませんので、大抵の場合はフィクションですよね。
- とすると、例えば「宇宙戦艦ヤマト」は「戦艦大和」を題材にした未来フィクションですが、仮にヤマトの設定が過去にタイムスリップして第二次世界大戦に存在していたら・・なんて話の「宇宙戦艦ヤマト過去編」なる作品が存在していたら・・と考えますと、主題は「宇宙戦艦ヤマト過去編」と言う作品そのものであり、その作品が用いているモチーフが「戦艦大和」だったり「第二次世界大戦」だったりする訳ですから、常識的に考えてもルール的に考えても、歴史文献による史実を記事に加えるのは「主題に直接的」では無く「モチーフに対して間接的」なのでナンセンスであると思えます。なにせその性能差から歴史に於ける展開そのものが大きく変わった作品になる事は容易に想像出来るからです。
- しかし、作品が限りなくノンフィクションに近いので有れば、それは史実と異なる箇所を端的に「信頼出来る情報源」に基づいて書き加えるのは確かに有意義だとも思いますが、どんなにノンフィクションに近くてもジャンル的にフィクション作品の域を出ないとなれば、それはプロジェクトに対する例外ルールとして合意されるべきものなのかな・・と今の所感じております。
- --Toshi999 2012年1月11日 (水) 08:47 (UTC)
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- 便宜上、話を「戦争映画」に限定します。Toshi999さんが言われるように、また「聯合艦隊司令長官 山本五十六」のパンフレットで長谷川康夫氏(脚本)が述べているように、映画で「完全なノンフィクション」というのは普通はありません。あったとすれば、それは「ドキュメンタリー」というジャンルになります。そのような映画が製作されて商業的に上映されることは稀です。
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- 「ドキュメンタリー」のことは考えずに「フィクションの戦争映画」と「ノンフィクションの戦争映画」を区分するには「主人公が架空人物か否か」で考えると、すんなり分けられるように思います。
- 思いつく作品を挙げますと、
- 主人公が架空人物、もしくは実名ではないのでフィクション映画。「潜水艦イ-57降伏せず」「男たちの大和」「連合艦隊」「二百三高地」「プライベート・ライアン」「プラトーン」「キスカ」「八甲田山死の彷徨」「眼下の敵」「ビスマルク号を撃沈せよ」など。
- 主人公が実在人物なのでノンフィクション映画。「聯合艦隊司令長官 山本五十六」「ワルキューレ」「パットン大戦車軍団」「砂漠の鬼将軍」「坂の上の雲(NHK)」など。--Pooh456 2012年1月11日 (水) 10:07 (UTC)
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- 個人的には登場人物によってフィクションかノンフィクションかを判断すると言う基準は到底受け入れ難い物を感じますが、そこは各記事のノートやプロジェクトのノートで合意を取って頂ければ宜しいかと思います。ここで作品を列挙されても議題から外れた方向に進みそうです。--Toshi999 2012年1月11日 (水) 10:24 (UTC)
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- 「主人公が実在人物ならノンフィクション映画、架空人物ならフィクション映画」という切り分けをする、というのは、Pooh456が今日思いついたことですから、Toshi999さんが「受け入れ難い物を感じる」と仰るのも当然と思います。ただ、各々の作品をご覧になっていれば、前記の分類基準で、意外と納得できる結果になると思われませんか?なお、ここで、過去の戦争映画の個々の内容について論じ始める意図はございませんのでご安心下さい。
- ところで、提案者の男梅さんが懸念なさり、実際に「男たちの大和」や「連合艦隊」の記事を荒廃させたという「支離滅裂な知識披露合戦」を抑止する方法として、私が試案として示した「『フィクション戦争映画(仮名称)』については規制を厳しくし、史実との比較記載は(原則として)許容しない」に加えて「ノンフィクション戦争映画についても、史実との比較記載は『脚注』においてのみ行う」とする(現在の、記事「聯合艦隊司令長官 山本五十六」の状態です)はどうでしょう。
- 「史実との比較記載」を脚注においてのみ行うのであれば、脚注は「読みたくなければ、読まなければ済む」ので、本文の「可読性」を損ないません。
- 今回の男梅さんのご提案の発端である、記事「聯合艦隊司令長官 山本五十六」ですが、いずれBDやDVDが出れば、「ストーリー(ネタバレ注意)」が書き込まれるでしょう。その場合、この作品は、例えばミッドウェー海戦の場面でかなり史実を端折っていますので、私としては「映画ではこうだったが、史実はこうである」を比較記載したい所です。その場合、「本文はあくまでも映画のストーリーのみ、史実との比較記載は脚注の形式のみ許容し、検証可能性を満たし、独自研究でないものに限る」という縛りがあれば、程良い所で止まりやすいと考えます。--Pooh456 2012年1月11日 (水) 10:54 (UTC)
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- まず、Hmanさんと有足魚さんの意見に賛成です。フィクションであろうとノンフィクションであろうと、ウィキペディアでは編集者が独自に史実との違いを検討して出した結論を記述するべきではありません。違いを検討し、評価するのは歴史家や評論家の仕事であり、私たちはその仕事が信頼できる情報源において発表された場合に限って、その情報源を出典として記事を執筆することができます。
- さて、それを前提として。事実との相違が重要かどうかと、フィクションかどうか、主人公が実在人物かどうかは無関係です。事実に取材したフィクション作品中に事実と異なる描写がある場合、製作者の特別な意図や、演出上の工夫が込められていることがあります。そのことが製作者の発言や作品の評論等で指摘されていれば、作品解説のために本文で言及するに値するかもしれません。逆にノンフィクションでも、尺の都合で些細な脚色が行われただけであれば、詳しく解説するほどの重要性はないかもしれません。--Trca 2012年1月11日 (水) 11:44 (UTC)
ええと。史実を扱った映画の場合、あるテーマに関心のある読者によっては、史実と映画の描かれ方の違いは有用な情報となる場合があります。 たとえば、つい最近私はT.E.ロレンスのことを調べていました。ロレンス自身やロレンス神話の形成に関する研究や書籍というのは結構な数がありまして、映画『アラビアのロレンス』にしても事実をどのように歪ませてロレンス神話の形成に貢献したのかという興味の対象にはなります。要するにオリエンタリズムという観点から、事実の歪ませ方についての情報は大変に有用なのです。この映画では、1.実在人物の名前で登場する役、2.モデルとなる実在人物がいるが名前を替えている役、3.モデルとなる複数の実在人物を一つの人物に集約させた役、4.モデルとなる実在人物が希薄な役、などが入り乱れているのですが、あれこれ調べていく過程では英語版のにあるFictional charactersとNonfictional charactersの項目は大変に参考になりました(出典を示していないのは問題ですが。ちなみに日本語版のキャスト欄の欄外記述はあまり役に立ちませんでした)。
ただ、この映画で事実との違いを逐一上げていくとなると膨大な項目を挙げることになります。この映画はロレンス研究者によっては「すべて嘘」と言い切れる程ですし、そもそも原作にあたるロレンスの自著である『知恵の七柱』の信憑性自体が研究者によっては議論の俎上にあります。ロレンスは書簡などで、矛盾することや曖昧な仄めかしをかなり書き残しているので、議論は簡単に収束しません。この点では、かなりの分量を割いている英語版のHistorical accuracyも十分な文献をサーベイして記述しているとは言い難い状態にあります。おそらく、一般的な読者にとっては、それほど細かく書かれる必要はなくて文献を示した上で、主たる相違点を幾つか説明しておくぐらいが丁度よいのでしょう。(「一般的な読者」像を巡って議論の余地は残りますが。)
と、ここまでは「映画で史実を持ち出して記述しても良い」と思われる事例の話でした。
今回の発端になった論争はレベルが異なるように思えます。つまり、相当のマニアの方々が「事実との相違をあげつらうこと」、言葉が悪ければ言い換えて「事実との相違を細かく考察すること」自体を目的にしておられ、そのために映像情報からの推測や考察によって引き出された情報(軍隊組織内の階級とか)なども動員しながら記述しているだけです。で、すでに指摘されていることでしょうけれど、時代考証や設定考証が弱い創作物など、この手の指摘はいくらでもできます。そして、そういう指摘を並べても百科事典として益する記述になるとも思えません。考証が弱いことが、作品の問題になっていることが十分に信頼できる文献で確認できるなら、代表的な例を幾つか例示して「、、、、など、歴史考証が貧弱であることが問題になった[51]」ぐらいのことは書けるかも知れませんが、そういう二次資料が無いのであれば記述は諦めていただくしかありません。
ロレンスはその実像を巡って、膨大な研究書が書かれた人物ですから、その伝記映画と一般には考えられている『アラビアのロレンス』について事実との相違を記述することには、それ相応の正当性はありますし、オリエンタリズムの典型例として主題化できますし、文献も示すことはできます。しかし今回、持ち込まれた『聯合艦隊、、、』の牧野某少尉の描写が整合的でないことや、設定自体に不整合が見られることについて記述することに、百科事典としての正当性はどれだけあるのか、私には疑問です。それらの不整合を書きならべることで、提示されうるテーマはあるのでしょうか?あるのであれば、二次資料で示していただきたいと思います。--おーた 2012年1月11日 (水) 13:09 (UTC)
- 厳密にルール適用すればアウトかもしれませんが、今回問題となっている箇所は非常に興味深く読めました。ですので、削除はもったいないというのが正直なところ。できれば、当該ノートで融和的に合意形成を行って欲しいものです。ただ「思われる」「設定ミスの可能性が高い」という書き方は明確に独自研究です。たとえば、「劇中では少尉となっているが、史実においては・・・配属される際は必ず中尉以上であった[出典]。」とすれば先方の理解も得られやすいのではないかと。--Truesight 2012年1月12日 (木) 06:51 (UTC)
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- Truesightさんへ。記事 聯合艦隊司令長官 山本五十六 の、作品内容と史実を比較した部分(脚注の形式)ですが、ご指摘の「ただ『思われる』『設定ミスの可能性が高い』という書き方は明確に独自研究です」のような部分は除去して、Truesightさんの提案なさるような書き方に改訂済みです。ご確認下さい。--Pooh456 2012年1月12日 (木) 10:34 (UTC)
- Truesightさんは「今回問題となっている箇所は非常に興味深く読めました」と、おっしゃいますが、圧倒的多数の一般の読者はああいう記述は鬱陶しいだけであって、興味など持ちません。たとえ少数でも百科事典に記述するに値するならば記述されるべきですが、今回の問題となっている部分が百科事典への記述に値するという主張は、何によって担保されるのでしょうか?Truesightさんの主観による担保では、納得出来ない人が少なからず居るという現実は直視ください。そしてWP:N#NCONTENTにある「百科事典の記事は、その主題に関する一般的な知識の概要である」という一文を是非、御考慮ください。私が例に持ち出した『アラビアのロレンス』ならば、史実との差異に関する話題はオリエンタリズムの実例として主題化(記事としては副主題化?)することができます。しかし、今回問題となっている箇所はどのような主題化が出来るのでしょうか?ごく一部の物好きの趣味ではないことをコミュニティ内で説得するのであれば、それを主題化している研究書を示せば良いのです。二次資料を示せというのはそういうことなのであって、執筆者の推論を補強する資料を示せればよいと考えるのは的外れであることをご理解ください。今回問題になっている箇所について言えば、「この映画作品の時代考証や場面考証が不十分で不整合を起こしていること」自体を主題としている資料はあるのか?と問われているのです。そうした資料が示されていない以上、ああいうトリビア情報の記載に対する反発は今後もあり続けます。私もまた、記載に反対いたします。--おーた 2012年1月12日 (木) 14:50 (UTC)
議論の中で問題点がある程度絞られてきたような気がいたします。。提案者として、私はHman 氏。有足魚氏Trca氏のご意見に概ね賛成です。一方、出展が確かな記述で、しかも本文の補足説明として有益と思われる文章を、あえてそれを残すことで作品の意味が深く理解出来る可能性のある記述を、全て一律『独自研究』として削除してしまうのも、記述を育てるという意味では問題があると感じました。今後のルール原案制作のために、もう暫く皆様方のお知恵をお貸し下さい。--男梅 2012年1月12日 (木) 12:50 (UTC)
- 世の中には2ちゃんねる情報を信じてしまう人がいます。私の親も、健康食品のCMにコロリと騙されます。私は他のコミュニティにも色々と参加していますが、ウィキペディアを過度に信用している方も多い印象で、まあ、信じる方が悪いと言い放つこともできないでもないですが、ウィキペディアとしてはどちらかと言えば、信頼性の確保にウェイトを置くべきではないかな、と思っています。適切とも言い切れない記述を除去しないならしないで、「要出典」「要検証」「独自研究」「中立性に難ありとの指摘有り」などと、各種タグで読者に誤りである可能性がある点、強く注意を促すべきでしょう。最悪なのは、怪しい情報が何の注意もなく、しれっと正しい情報の隣に記されている事です。男梅さんの懸念は、多くの執筆者が常に抱いているジレンマと思います。異論反論が寄せられた際には一旦無難な形にし、文献の調査を待って地道かつ確実に、協力しあいながら信頼性のある記述を積み重ねていけば良いのでしょう。反面、身も蓋もない言い方をすれば、他の執筆者が黙認している内は、あくまで方針を理解した上でその精神を大きく逸脱しない程度に、多少筆が走ってしまうことも許容されるかもしれません。--Hman 2012年1月12日 (木) 13:40 (UTC)
- 聯合艦隊司令長官 山本五十六を読んだ限りの意見です。従ってこの問題を敷衍的に捉え改善を促す議論には必ずしも馴染まないものであるかもしれないことをまず断っておきます。
- 私見では、ノンフィクション性の高い創作物について史実との違いを付記するのは有用であると考えます。該記事はサブタイトルが「太平洋戦争70年目の真実」となっていたり、概要説には「山本五十六元帥の実像を映画化した戦争映画。」とノンフィクション性をアピールするものとなっていますので史実との違いを記載することは閲覧者の利益に適うものであると考えます。但し、そうであっても映画内容の説明を主とすべきであり、本文中に映画内容と同列に記述するのは、外部識者の出典なしには憚られるものであり、また必要最小限にとどめるべきであるとも思います。該記事において、問題箇所は脚注部分に凝縮されていると思いますが、1~5のいずれも興味深い内容のものです(但し、4.については映画との関連性が不明。山本五十六に書けばいいのではないかと)。また、記述箇所も脚注にあることで映画内容の説明を主とすべきという観点もクリアされているものと思います。必要最小限であるかどうかという観点ではやや筆が走りすぎのようにも思いますが、わたしとしては許容できる範囲です。
- 強いてルールからこの問題を捉えると確かどっかに
WP:Vあたりに、あきらかな事実の記述には出典は不要、というのがあったと思います。出典に照らし、映画と史実との違いがあきらかであるのであれば、その事実のみを執筆者の主観を交えず淡々と最小限記述する分にはセーフなんじゃないですかね。 - わたしとしてはこの論争の双方に誠実さを感じます。それ故、双方には平和的、融和的な議論により妥協点を探して欲しいと思います。--Truesight 2012年1月12日 (木) 15:42 (UTC)修正--Truesight 2012年1月12日 (木) 15:49 (UTC)
- Wikipedia:独自研究は載せないですね。事実と言うよりは、自明、常識。もう誰が見ても。アップルパイとも言われます。どの程度まで無出典で良いのかは常に難しい問題ですから、少しでも迷ったら出典を付けるなり、要出典として協力を求めるなりすべきでしょう。他人からツッコまれたらできるだけ出典か要出典を付けましょう。私は一般論で申し上げますが、こう言った場合セーフかアウトかで言うなら必ずしもアウトとは言えませんが、選択に主観が入る虞があります。基本的には二次資料に基づくべきで、分別有る大人であれば誰が見てもこれが重大な問題だと見なせるものであれば問題は無いかもしれません。まあ、実はこの辺りは、恐らくやってみるしかありません。果敢かつ大胆な編集も、時には必要であることは確かです。しかしながら一次資料を直接評価すると言う変化球を出してきている以上、有意な異論が、それも複数見られる様でしたら、無理筋と諦めるところでしょう。あくまで一般論ですが。個々の執筆者にある程度の裁量があることは改めて言うまでもありませんが、それが発揮できるのは方針の精神とコミュニティの大意に矛盾しない範囲内でのことではありませんか。--Hman 2012年1月12日 (木) 16:11 (UTC)
- 全体的に傾聴に値するご意見で卓見だと思います。わたしとしては主題にたいする論評とみなされない範囲で史実との違いを脚注などで淡々と記すのは、お言葉を借りれば、方針の精神に逆らわない執筆者の裁量が許される場面ではないかと考えますが、後はコミュニティの判断を待つしかないでしょうね。--Truesight 2012年1月12日 (木) 16:49 (UTC)
- Wikipedia:独自研究は載せないですね。事実と言うよりは、自明、常識。もう誰が見ても。アップルパイとも言われます。どの程度まで無出典で良いのかは常に難しい問題ですから、少しでも迷ったら出典を付けるなり、要出典として協力を求めるなりすべきでしょう。他人からツッコまれたらできるだけ出典か要出典を付けましょう。私は一般論で申し上げますが、こう言った場合セーフかアウトかで言うなら必ずしもアウトとは言えませんが、選択に主観が入る虞があります。基本的には二次資料に基づくべきで、分別有る大人であれば誰が見てもこれが重大な問題だと見なせるものであれば問題は無いかもしれません。まあ、実はこの辺りは、恐らくやってみるしかありません。果敢かつ大胆な編集も、時には必要であることは確かです。しかしながら一次資料を直接評価すると言う変化球を出してきている以上、有意な異論が、それも複数見られる様でしたら、無理筋と諦めるところでしょう。あくまで一般論ですが。個々の執筆者にある程度の裁量があることは改めて言うまでもありませんが、それが発揮できるのは方針の精神とコミュニティの大意に矛盾しない範囲内でのことではありませんか。--Hman 2012年1月12日 (木) 16:11 (UTC)
(だいたい皆さんもおっしゃってますが)私は単純に、史実との差異についての表記は「原則としてフィクションならばいらない。ノンフィクションならば信頼できる情報源で指摘されているならあってもよい。」と考えています。--Adequate 2012年1月13日 (金) 05:06 (UTC)
- 映画ではないのですが、坂の上の雲#評価にあるような、フィクションでないとしながら史実との相違が反響を呼んだケースなどなら、それを出典つきで書くのは問題ないと思います(実際にはこの記事は出典が不十分なので、それを付ける必要があります)。一方、明らかにフィクションでも、江〜姫たちの戦国〜#作品内容と反響にあるような、史実と違い過ぎて批判されたことが出典で明らかにできるケースなどならば、それを書くのは構わないのではないでしょうか(この記事も、出典が信頼できる情報源なのかと言うと、ちょっと問題ではあります。適当な実例が見つからず、申し訳ありません)。しかし、フィクション、ノンフィクションを問わず、信頼できる情報源たる二次資料が指摘ないし問題視していない史実との差異を、わざわざ書く必要はないような気がします。--立花左近 2012年1月13日 (金) 06:20 (UTC)少し追記--立花左近 2012年1月13日 (金) 06:30 (UTC)
- 映画は文芸作品であり、いかに史実に忠実に描こうとしていようとも、ノンフィクションを謳っていようとも学術研究ではありえず、フィクションという前提が必要です。Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)というスタイルマニュアルがありますので、そちらが参考になると思います。現実世界の観点でフィクションを論じるのは文芸評論としては「ありがちな罠」で、ほとんどの場合Wikipedia読者にとって不用か無用のおせっかいなものです。八甲田山死の彷徨八甲田山 (映画)などの記事は参考になると思います。文芸作品はすべてフィクションというのは原則です。--大和屋敷 2012年1月13日 (金) 08:15 (UTC)
(インデント戻します)方向性が見えてきた様な気がします。
- 史実または歴史上の人物を題材とした創作作品について、史実と異なる箇所を編集者が独自に指摘することは控えるべき。
- 映画という作品は、フィクション・ノンフィクションに関わらず、あくまでも二次創作・文芸作品であるということを念頭に置かなければならない。
- 時代考証や設定考証が弱い創作物などに対し、指摘を並べても百科事典として益する記述になるとも思えない(大多数の読者にとって、トリビア的な記述は迷惑である)。
- フィクション・ノンフィクションに関わらず、相違が指摘されたものであるならば、出展付きで説明するのは問題がないと思われる。
- 主題にたいする論評とみなされない範囲で史実との違いを脚注等で記すのは、方針の精神に逆らわない執筆者の裁量が許されるのではないか?
(切り貼りばかりで済みませんが)こういった所でしょうか?そうなりますと、上記で私が提唱した意見に結論が近づいてきたような気がします。そろそろ意見をまとめて行きたいと思いますが、ルールの草案作りについて、皆様方のご意見はいかがでしょうか?--男梅 2012年1月13日 (金) 11:37 (UTC)
- 男梅さんのご提案に賛成します。
私見を追加させて頂きますと、1) 「主題にたいする論評とみなされない範囲で史実との違いを脚注等で記すのは、方針の精神に逆らわない執筆者の裁量が許されるのではないか?」は、ノンフィクションについて許容する。2) その作品が、フィクションか、ノンフィクションは、「主人公と主要登場人物が実在人物ならノンフィクション、主人公が架空人物・仮名人物であればフィクション」でだいたい切り分けられると思われます。うまく切り分けられない場合は、各作品のノートで議論すれば良いでしょう。
- 上記の部分は、考えが足りなかったようなので取り消します。
- 他の方もご意見よろしくお願いします。
- --Pooh456 2012年1月13日 (金) 13:47 (UTC) / 修正 --Pooh456 2012年1月13日 (金) 16:27 (UTC)
- (一旦のまとめに入っているのに発言するのは忍びないけど)特筆性に関する話題は、程度はどうであれ「何でその記述が必要か」というごくごく単純な話でしかないと考えています。そして、今回の場合、作品理解には何の影響も与えないが、考証の甘さを指摘するのに必要だという。
- 自明ではなく、広く知られているわけでもない外的な観点(≠情報)を執筆者が独自に設定するというのは独自研究以外の何物でも無いでしょう。これは単純な話で、1つ1つのデータ(例)が出典の付いた間違いのない情報であろうと、そこから何を読み取って、どう結論付けるかは、主観の領域でしかないからです。もうちょっとカッコ良く言うと帰納法においては前提が真だからといって結論も真になるとは限らない、ということです。
- 例えば今回の「考証の甘さを指摘する」という外的な観点でいうなら、時代考証について高い評価を受けた『七人の侍』についても「戦国時代の農民は戦いの仕方を心得ていた」「刀のぶつかり合いではあまり音はしない」などという史実(事実)をもって「『七人の侍』は考証の甘いの作品である」と結論付けることができてしまう。
- 例えば牧野某という架空の人物の階級が史実に照らせば中尉ではないとおかしいとして、それが考証の甘さをわざわざ指摘するのに値する事例になるかどうかは決めることができない。仮に10の事例を挙げていても、それがそれを結論付ける妥当な個数なのかはわからない。考証の甘さは執筆者であるPooh456氏が保障してくれるとして、Pooh456氏の正しさは誰(何)が保障してくれるのか?それが問題です。--EULE 2012年1月13日 (金) 15:24 (UTC)
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- EULEさんの仰りたいことが今ひとつピンと来ないので、外したコメントになるかもしれませんが、その点はお許し下さい。
- 『聯合艦隊司令長官 山本五十六』について言いますと、私が主に書いた「脚注」は、
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- 映画では、堀悌吉について『元・海軍中将。山本と海軍兵学校同期だが、5年前に海軍を辞めている』と説明されるだけ。「堀は、山本と海兵同期で、その海兵32期のクラスヘッドであり、山本が最も信頼し敬愛していた友人であった。山本より1年早い1933年(昭和8年)に中将に進級したが、条約派を海軍から追放した大角人事で1934年(昭和9年)12月に予備役編入された。(出典:阿川『山本五十六』」「堀は、海軍から「山本五十六の親戚代表」と処遇され、山本・堀と海兵同期生である海軍大臣の嶋田繁太郎大将に海軍省に呼ばれ、嶋田から山本の戦死を告げられた。(出典:同)」という情報を注記することで、背広姿の堀がしょっちゅう出てくること、映画で堀が山本宅を訪ねて山本の戦死を公式発表の前に山本の妻子に知らせた、などの理由が分かる。
- 山本が、トラック島の旗艦の長官室で、姉の嘉寿子から送られて来た手紙を読み、送られて来た干し柿を頬張るシーンが、「嘉寿子が、長岡の菓子を山本宅によく送っていた。山本は長岡の食べ物が大好きだった(出典:山本義正『父-山本義正』」史実をベースにしていることが分る。
- 映画で牧野幸一が少尉で赤城に赴任している。史実では、海軍の士官搭乗員養成システムから、中尉以上でないと実戦部隊に赴任することはない(出典:『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』)。映画で、牧野少尉が搭乗員室で部下の下士官兵搭乗員と食事をしている。史実では、中尉・少尉・少尉候補生はガンルームで食事をした(出典:『帝国海軍士官入門』)。架空人物である牧野少尉についての設定が甘く、ありえない描写が存在することが分る。
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- など、作品理解に影響を与えると思いますが?なお、Pooh456が書いた脚注の正確性は、Wikipediaの三大方針に沿い、出典の明記によって保証されます。--Pooh456 2012年1月13日 (金) 16:08 (UTC)・修正 --Pooh456 2012年1月13日 (金) 16:20 (UTC)
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- 違うかもしれませんが、簡単に言ってしまうと、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成になってしまうので、あるいは、Wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなに抵触する恐れがあるので、上記のような書き方はあまり良くないんじゃないでしょうか。--立花左近 2012年1月13日 (金) 16:33 (UTC)
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- すみません。読み直したらいくつかの要素が混ざってわかりにくくなっているので1つ1つ言い直して、今回の問題に特化させます。
- まず第一に考証面に関して1つ1つ例示する目的は何なのか。作品理解に益すると考えているのか、Takabeg氏が言ったように昨今の考証軽視を鑑みた結果なのか。まずはそこをはっきりさせる。それで今までの経緯から、Pooh456氏はその記述が作品理解に益すると考えている(そのような理由によって特筆性があると判断している)、ということでよろしいのですね?
- それを踏まえて、それが本当に作品の理解に益しているのか考える。堀の場合、氏の説明通りなら確かに作品理解に益しているかもしれません。知っているのと知らないので大きく変わってくると推測できますし(もっとも、堀悌吉というページがあるのにここで出典をつけてまでわざわざ詳しく説明する必要は理解できませんが)。他方で、残り2つは全然回答になってない。干し柿を頬張るシーンが史実に基づいていると知ったことによって、どう作品の理解が変わるんですか?牧野少尉の設定が甘いことで何か作品の完成度を壊すことになっているのですか?そこを説明できますか?
- じゃなくて、もしTakabeg氏が挙げたような動機であるなら、それは歯牙にもかけないレベルの話だと思います。それはつまり、独自の観点に基づいて論評を行っているということで、いくら個々の事例を出典付きであげようとも無意味である。あるいは一々考証の違いや一致点を挙げること自体が目的だというなら、それもまた場違いである。なぜなら事典ほか、映画論評や批評で意味もなく、一々考証の違いや一致点をあげつらうことは無いからです。--EULE 2012年1月13日 (金) 17:52 (UTC)
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(インデント戻します)論議の方向は出尽くしたと考えますので、再度論点に対して提唱する必要な無くなってきています。そろそろルール作りの段階に入りませんか?
- まず、Hman 氏の文章が簡潔で解りやすいと考えますので、『史実または歴史上の人物を題材とした創作作品について、史実と異なる箇所を編集者が独自に指摘することは控える』というのを大原則とする。
- EULE氏の文章から、『時代考証や設定考証が弱いと思われる映画・ドラマ等の創作物などに対し、広く知られているわけでもない外的な観点や情報を、執筆者が独自に解説する行為は、独自研究』に抵触する行為である』とする。
- 例外として、時代考証や設定考証の差違について、著名人、有名人が新聞・書籍・雑誌等の公の媒体上で指摘されたものであるならば、出展付きで説明する記述を書き加えるのは認める。
という草案でいかがでしょうか?--男梅 2012年1月13日 (金) 23:12 (UTC)
- 男梅さんのご提案のうち、後の2項は、
- EULE氏の文章から、『時代考証や設定考証が弱いと思われる映画・ドラマ等の創作物などに対し、広く知られているわけでもない外的な観点や情報を、執筆者が本文で独自に解説する行為は、独自研究』に抵触する行為である』ので不可とする。
- 例外として、時代考証や設定考証の差違について、著名人、有名人が新聞・書籍・雑誌等の公の媒体上で指摘したものであるならば、出展付きで説明する記述を本文に書き加えるのを許容する。
- とされては如何でしょうか。
- その上で、もう1項
- 主題にたいする論評とみなされない範囲で、関連する史実(史実ではAであった。出典。)、史実との異同(創作物ではBと描写されていた)などを、脚注で記すのは、執筆者の裁量として許容する。
- とするのは如何でしょうか。計4項となります。--Pooh456 2012年1月13日 (金) 23:34 (UTC)
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- >主題にたいする論評とみなされない範囲で、関連する史実(史実ではAであった。出典。)、史実との異同(創作物ではBと描写されていた)などを、脚注で記すのは、執筆者の裁量として許容する。
- 「主題にたいする論評とみなされない範囲」など、現実にはあり得ません。
- 「関連する史実」と「史実との異動」を並べて記すことは特定の観点を推進するような発表済みの情報の合成です。また、信頼できる情報源の中に全く記載がない事柄をわざわざWikipediaで取り上げることは、Wikipediaが超少数派の指摘を裏書きする結果になりますから、中立的な観点にも反します。さらに、そういう世間で全く注目されていないトリビアを興味本位で収集することは、百科事典としてのWikipediaの役目ではありません。--Dwy 2012年1月14日 (土) 00:25 (UTC)
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- 実例で示しますと「映画で、牧野は少尉で赤城に着任した」(事実A)「帝国海軍の士官搭乗員養成制度では、海兵卒の兵科将校が実戦部隊に赴任する時は必ず中尉以上になっていた、出典」(事実B)を並べるのが、何故「特定の観点を推進するような発表済みの情報の合成」なのですか?そもそも、情報が合成されておりません。
- 『また、信頼できる情報源の中に全く記載がない事柄をわざわざWikipediaで取り上げることは、Wikipediaが超少数派の指摘を裏書きする結果になりますから、中立的な観点にも反します。』
- 「事実Aは、映画の描写」「事実Bは、出典のある事実」なのですから、「信頼できる情報源の中に全く記載がない事柄」とは言えないでしょう。
- 『さらに、そういう世間で全く注目されていないトリビアを興味本位で収集することは、百科事典としてのWikipediaの役目ではありません。』
- 本文での記載ではなく脚注での記載なのですから、そこまで神経質になる必要はないのでは?映画の記事に、映画の理解を助けるための情報を「脚注として」記載することを「世間で全く注目されていないトリビアを興味本位で収集すること」と決めつけるのは乱暴ではないですか?--Pooh456 2012年1月14日 (土) 00:53 (UTC)
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- あまり個別の事例をここで論ずるのは適当でないと思いますが、まず大原則として、Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかに、「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません」とあります。つまり、意見や解釈、論証についても既に発表されていなければならず、そうでないのに勝手に書いてはならないんですね。で、「映画で、牧野は少尉で赤城に着任した」というのは映画そのものを一次資料とした情報。「帝国海軍の士官搭乗員養成制度では、海兵卒の兵科将校が実戦部隊に赴任する時は必ず中尉以上になっていた」は別の二次資料からもってきた情報で、その異なる情報によって「架空人物である牧野少尉についての設定が甘く、ありえない描写が存在することが分る」としてしまうと、これはやはり情報の合成で、未だ発表されてはいない論証による、未だ発表されていない解釈や意見だと思います。私の意見としては、既に述べた通りで史実との差異が信頼できる情報源で指摘ないし論評されていない限りは書かないというものですが、仮に脚注で許容とするとしても映画の主題からはずれた瑣末な部分について書くのは控えるべきだと思います。この映画でいえば山本五十六の言動とか、真珠湾攻撃の経緯などの描写に史実と違った部分があるなら、それを書くことが「映画の理解を助ける情報」になるとは思いますが、架空人物牧野幸一の設定となると、それがおかしいと指摘するのは、言葉使いはともかくトリビアと見なされてもしかたないような気がします。--立花左近 2012年1月14日 (土) 02:17 (UTC)
- ◆もしかしたら過去の井戸端の話題が、Pooh456氏が理解する助けになるかも知れません。--世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月14日 (土) 04:32 (UTC)
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- 「主題にたいする論評とみなされない範囲で、関連する史実(史実ではAであった。出典。)、史実との異同(創作物ではBと描写されていた)などを、脚注で記すのは、執筆者の裁量として許容する。」については不適切な記述でしょう。何も史実との差異に違った話ではなく、方針運用全般的な話になります。的確な編注がどうしても必要な時はその時の編集者各位の支持または黙認のもとに記されるのでしょうし、その他様々なところで、運用上の問題として、多少のぶれは編集者各位の支持または黙認のもとに許容されています。しかるにこの様な事をわざわざ明記してしまっては「ガイドライン(または方針)に許容するとあるんだから記述しておく権利がある!」・・・と、些末で無意味で論評ギリギリのものがそこいら中の記事で大量に・・・という危険性が高いと考えます。例外は例外なんです。他の方針・ガイドラインも、そこまではフォローしていませんし、する必要も無いでしょう。いくらなんでも収拾が付かなくなるんじゃないかと。--Hman 2012年1月14日 (土) 02:46 (UTC)
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- 「しかるにこの様な事をわざわざ明記してしまっては「ガイドライン(または方針)に許容するとあるんだから記述しておく権利がある!」・・・と、些末で無意味で論評ギリギリのものがそこいら中の記事で大量に・・・という危険性が高いと考えます。例外は例外なんです。他の方針・ガイドラインも、そこまではフォローしていませんし、する必要も無いでしょう。いくらなんでも収拾が付かなくなるんじゃないかと。--Hman 2012年1月14日 (土) 02:46 (UTC)」
- というご意見には同意します。--Pooh456 2012年1月14日 (土) 03:04 (UTC) / 修正 --Pooh456 2012年1月14日 (土) 04:08 (UTC)
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- もはや考証が云々というレベルの話ではないと思います。論述、レポート、論文、どんな文章でもいいですが、まったく主題と関係なく、意味もない何らかの事例を上げる、なんてのはありえないんです。というか作文の授業レベルのお話です。事例を挙げるということは、何らかの目的(結論)に結びたいから挙げるんです。そうせず、ただ挙げた情報が孤立するなら、それは無意味なものでしかない。これは箇条書きを避けるべきだという話に近いです。
- ある意味で「ミスの可能性が高い」と結んでいた時の方がマシです。これはつまり、考証の甘さを指摘するという目的(結論)のために事例を挙げたのですから。もちろん、これは明らかな独自研究だから許されないのだけれども、文章の質、論理展開という面から見るなら現状は不完全で無意味なことこの上ない。
- 注釈なら許されるなんてこともないです。注釈の内容も、その必要性があってされるのであって、瑣末なことを書くために注釈があるわけではない。実際、サブカル分野では注釈を使ってどうでもいい瑣末なことを書いていくってのがしばしば見られる。--EULE 2012年1月14日 (土) 02:50 (UTC)
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- 大意において各人が述べられていることに同意します。特に他記事に及ぼすリスクという観点からは同意せざるを得ないものがあります。--Truesight 2012年1月14日 (土) 05:00 (UTC)
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(インデント戻します) 再度草案を訂正致します。Pooh456氏が書き加えられた草案の『例外として、時代考証や設定考証の差違について、著名人、有名人が新聞・書籍・雑誌等の公の媒体上で指摘したものであるならば、出展付きで説明する記述を本文に書き加えるのを許容する。』という部分に於いては、皆様方の反対意見が多いようですので外すということに致します、概ねPooh456氏の草案修正された部分を使用させて頂き、
史実または歴史上の人物を題材・舞台とした『映画・ドラマ』等の創作物の内容を解説するウィキペディアのページにおいて
- 時代考証や設定考証が弱いと思われる部分に対し、編集者が広く流布・認知されていない外的な観点や情報を、本文内で独自に解説・指摘する行為は、『独自研究』に抵触する行為であるので記述不可とする。
- 例外として、時代考証や設定考証の差違について、専門家・著名人が新聞・書籍・雑誌、インターネット等の公の媒体上で指摘し、内容の出典が担保される場合、出典付きで説明する記述を本文に書き加える事は許容する。
という形に修正致しました。これでいかがでしょうか?ご意見宜しくお願いいたします。--男梅 2012年1月14日 (土) 11:46 (UTC)
- 修正案をまとめて頂き有難うございました。
- Pooh456の提案で、皆様方の反対が多くボツになったのは「主題にたいする論評とみなされない範囲で、関連する史実(史実ではAであった。出典。)、史実との異同(創作物ではBと描写されていた)などを、脚注で記すのは、執筆者の裁量として許容する。」ですね。これをボツにすることについては、他の方のご意見に理がありますので同意いたします。
- なお、男梅さんは「出展」と書いておられますが、「出典」が正しいかと思いますのでご修正下さい。
- 男梅さんの修正案に賛同いたします。--Pooh456 2012年1月14日 (土) 12:53 (UTC)
- ご指摘いただいた誤字を修正しました。--男梅 2012年1月14日 (土) 13:17 (UTC)
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- 細かい点でコメントしたいところはありますが、そろそろ井戸端でする話ではなくなってきていると思います。これをどこに書くのかを提示して頂き、細かい議論はそちらのノートで行うようにしませんか。--アルビレオ 2012年1月14日 (土) 21:46 (UTC)
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- アルビレオ氏、現在の討論は、もう一つ上へのたたき台。即ちウィキのルール草案への提案から、ルールとしての成立に至るまでの第2段階です。こちらの井戸端上で本草案に対し、賛成か反対か、あるいは修正するべき箇所があれば意見を頂きたいという傾向で話を進めております。細かいところでのコメントに関しては、草案としてページを立ち上げた際にお願いします。
- Pooh456氏、賛成の意見ありがとうございます。もう暫く皆様の賛成・反対のご意見をお聞きした上で、ウィキルール草案提案のページを立ち上げ、最終的に結論付けたいと考えています。ただ私、『新規ページを立ち上げた事のないへたれ編集者』でして、その際にはPooh456氏を初め、こちらのページで論議参加頂いた皆様方のご協力・ご指導お願いしたいと考えております。その際には宜しくお願いいたします。--男梅 2012年1月15日 (日) 00:13 (UTC)
- 記述足らずの部分があるかもしれませんので…。もちろん当井戸端での議論終結を持って「合意形成がなされた」と判断するという事も出来ますが、今回の議論に関しては今まで非常にグレーゾーンや各ページのローカルページで対応していた部分があり、今回まで議論・草案作りがなされた事は過去になかったでしょう。草案提案ページを立ち上げるまでとはいかなくとも、合意形成のページを立ち上げ、大多数・不特定多数の編集者(ウィキペティアン)に参考にして頂きたい。その為に成文形成を行い参考にして頂きたい…。というのが議論提案者の1人としての希望です。--男梅 2012年1月15日 (日) 00:40 (UTC)
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- Wikipedia:方針とガイドライン#採用手順 に手続きが規定されているようです。これを見ますと、アルビレオさんが指摘なさるように、今すぐにやるべきかは別問題として、「井戸端」で議論している状態から、「草案」を作成して、そのノートでの議論に移行しないといけないようですね。
- 私なりに、これを読んだ所では、
- Wikipedia:史実または歴史上の人物を扱う『映画・ドラマ』等の記事のガイドライン(仮題)などといった「Wikipedia:***」という名称の「記事」を新規作成する。これが「ガイドラインの草案」である。
- その草案に「Proposed」タグを貼り付ける。すると、「Category:草案」 に登録されるようです。
- このように、議論の対象となる草案 Wikipedia:史実または歴史上の人物を扱う『映画・ドラマ』等の記事のガイドライン(仮題)、議論の場所となる Wikipedia‐ノート:史実または歴史上の人物を扱う『映画・ドラマ』等の記事のガイドライン(仮題)を用意した上で、Wikipedia:方針とガイドライン#提案 にあるように「典型的には{{コメント依頼}}テンプレートを使いつつ Wikipedia:コメント依頼 を利用したり」 「Wikipedia:ウィキプロジェクト プロジェクト関連文書/リスト に掲載したり」 するなどして、コミュニティに対して議論に参加するよう呼びかけます。という方法で、コミュニティに公示する。
- Wikipedia‐ノート:史実または歴史上の人物を扱う『映画・ドラマ』等の記事のガイドライン(仮題)において議論し、「コミュニティ全体からの高いレベルの合意」を形成する。
- となるようです。どなたか、ガイドラインの作成に携わった経験のある方はおられませんか?--Pooh456 2012年1月15日 (日) 01:53 (UTC)
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- それほどのことをする必要も無いような気がしますが。今回、問題になったような議論が繰り返されることを懸念して何らかの対処をしておきたいという場合、色々な手だては考えられますが、
- この井戸端に、結論をまとめておき、いつでも参照出来るようにしておく
- 既存の方針文書やガイドラインの会話ページに議論の場を移して(たとえば、Wikipedia:独自研究は載せないでしょうか?)、そこで合意事項を結論として出しておく
- 既存の方針文書やガイドラインの会話ページに議論の場を移して、方針なりガイドライン文書の改訂作業を行う
- まったく新しいガイドラインを作るべく作業をする
- 対処方法はもっとあるかもしれませんが、とりあえず。上から下に向かって作業の難易度は上がりますが、効力は格段に上がります。んで、Pooh456さんの提案は一番難易度の高いものに挑もうということであることは認識ください。もっと簡単な方法でいいんじゃないかと思いますけどね。コミュニティには、細かい規則をたくさん作ることへの抵抗があることも御認識ください。今回の件にしても、既存の方針やガイドラインをきちんと認識していれば、対処は明らかだった筈だと考えている方々も少なからずいらっしゃるということも。--おーた 2012年1月15日 (日) 02:38 (UTC)
コメント 井戸端の議論には拘束性が全く無く、何よりも、特に新規の利用者さんにとって探しにくいため(我々でも難儀しますよ!)、他の方策を取りたい所です。新規ガイドラインまたは方針の追加については、これ以上草案を増やしてどうするのだろうと言う感があります。Wikipedia:独自研究は載せないが肥大化する、方針の更新は避けたい、等のご意見もあるのでしょうが、独自研究の例として「何が除外されるか」に本件1項目を追加するのがやはりよいのではないかと考えています。先日も申し上げましたが、本件はつまるところ「史実・伝記・事件・ノンフィクション等を題材とした創作作品において、事実と作品との差異を編集者が独自にあげつらうことは独自研究だ」という話であり(映画・ドラマ等映像作品に限った話ではないと思います)、適用対象はかなり広汎なものです(改めて書いてみて、なんでこんなことをわざわざ書いておかないといけないんだと少し思ってしまったことも事実ですが、将来的にも続くであろう混乱を防ぐためにはやむを得ない感があります)。実際の文書の改訂が紛糾して難しいのであれば、次善の案としてはWikipedia‐ノート:独自研究は載せないでの合意および纏めでしょうか。井戸端よりは探しやすい感があります。--Hman 2012年1月15日 (日) 08:33 (UTC)
- ウィキペディアのルールは基本的に慣習であって、各種ガイドラインはそれを成文化してあるに過ぎず、井戸端の議論に拘束性はないと断じるのはいかがなものかと思います。それはさておいても初心者に不親切というのは妥当なので、おーた氏やHman氏が挙げられるように既存のガイドラインに情報を付加する、その場合、それはDwy氏が挙げた英語版にある国連の例などがわかりやすかったと思います。--EULE 2012年1月15日 (日) 09:37 (UTC)
- それほどのことをする必要も無いような気がしますが。今回、問題になったような議論が繰り返されることを懸念して何らかの対処をしておきたいという場合、色々な手だては考えられますが、
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(インデント戻します)早速のご助言ありがとうございました。。Hman氏が、非常に問題点を指摘された文章を記述されていますので、そちらを借用させて頂きまして、草案をこのように変更します。
史実・伝記・事件・ノンフィクション等を題材とした創作作品の内容を解説するウィキペディアのページにおいて
- 時代考証や設定考証が弱いと思われる部分に対し、編集者が広く流布・認知されていない外的な観点や情報を、本文内で独自に解説・指摘する行為は、『独自研究』に抵触する行為であるので記述不可とする。
- 例外として、時代考証や設定考証の差違について、専門家・著名人が新聞・書籍・雑誌、インターネット等の公の媒体上で指摘し、内容の出典が担保される場合、出典付きで説明する記述を本文に書き加える事は許容する。
と記述を変更します。またEULE氏のご助言を参考として、提案者としては今回の議論をWikipedia‐ノート:独自研究は載せないのノートページに議論の場を移し、上記草案の内容の合意形成・本文に記述を書き加える事を最終目標としたいと思います。提案者の1人であるPooh456氏を初めとして、様々な皆様のご助言・ご提案・ご指導には感謝致します。引き続きWikipedia‐ノート:独自研究は載せないのノートページ上にての論議参加を宜しくお願い致します。
先述致しましたが、今回の問題点に関し、各ページローカルルールや現行成文ルールの解釈によって対応され、『裁量』に任されてきた問題点を、活発に意見交換をなされ『草案成立』までに至った事は、ウィキ日本語版では過去なかった事だと思われます。 再度討論に参加頂いた皆様方に深く感謝致します--男梅 2012年1月16日 (月) 02:12 (UTC)
んー。少し焦り過ぎてませんかね。でも、続きはWikipedia:独自研究は載せないのノートに書きましょう。
ただ、井戸端での議論を終える前に、少し書いておきたいのです。今回の議論はたいへんに実りが大きかったとは思いますが、この事例と似たような話は、私のさほど豊富でもないWikipedia体験の中でも、ゴロゴロあります。書き出せば、、、
- 史実を基にしたり、歴史上の事物をモデルに用いた作品を解説する記事において、作品中の描写と史実との差異について細かく列挙すること(今回の事例)
- リメイクが行われたり、小説から映画化されるなどの異なるジャンルの作品に移し替えられた際の新旧作品の異同について細かく列挙すること(登場人物の差し替え、性格の変更、新しいエピソードの付加、台詞の変化など)
- 制作時の細かいエピソードを列挙すること(映画のパンフレットや雑誌に載っているような、「こぼれ話」の類)
- 作品中に描かれた事物についての細かな考察を列挙すること(台詞上では左利きの人物が、画面上では右利きに描かれていることを指摘するなど)
などです。募れば、似たような事例はもっと出てくると思いますが、今はその方向に進むつもりはありません。これらの編集が問題になるときの議論は、大体似たようなもので「出典があるからいいだろう」「二次資料を出せ」「作品を観れば分かるじゃないか」「トリビア過ぎる」みたいなことを言い合うというのがお定まりのパターンでした。おそらく、この種の編集に走るメンタリティは大体似たようなものなのでしょう。執筆者御自身の知るいろんな知識やデータを少しでも盛り込もうと一生懸命になるあまり、記事の主題がどこかに飛んでしまって記述が細かくなり、執筆した記事を守りたい一心で「このルールに従っているのに、なぜその別のルールで否定するんだ」みたいな議論に持ち込もうとなさるのです。
今回は、最初の事例に限定することが効を奏したのかある程度の合意には辿り着いていますが、私が例に挙げた二番目以降の話も問題が上がるたびに、似たような議論になるんだろうか、その度に方針文書やらガイドラインを弄り続ける話になるんだろうかと思うと頭が重いのです。映画やTVドラマなどの執筆に関わるガイドラインなどで、こうしたWikipedia:独自研究は載せないなどの既存の方針文書や草案を引用しながら「こうい う記述は、「テーマに沿った概要」を記述することにならず、過度に一次資料に頼り、知らず知らず情報の合成による独自研究になりやすく、しばしばやっかいな紛争を起こしてしまいます。信頼のおける二次資料に、そのこと自体が書かれていない限りは記載を控えましょう」というような文章を、書いておくのが理想かなあとは思うのですが、、、--おーた 2012年1月16日 (月) 12:56 (UTC)
[編集] Pages Without En.wiki Interwiki
Hi,at first excuse me that i wrote in english!
I collected some data in User:Reza1615/Pages-Without-En-Interwiki that shows in this wiki some articls has URL link to en.wiki but they don't have interwiki link to en! this problem may be cause with one of these scenarios
- bots couldn't add en.wiki link (interwiki conflict).
- user who translated forgot to add en interwiki link.
- users used wikipedia as sourse and it is not correct.
please help to solve these pages problems.if you want contact me please write in fa:user:reza1615, yoursReza1615 2012年1月11日 (水) 20:14 (UTC)
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- I started wikiproject in fa.wiki also I want to continue it in en.wiki please you start the same wikiproject to solving interwiki problems. they are some confilits such as
- onesided interwiki (a->b b->none) cases (1- interwiki to part of article in other wiki (Ok) 2-interwiki Article to Disambiguation (Not Ok) 3-two pages linked to one page (Not Ok) 3-bot confilicts (Not Ok))
- w shap interwiki! (a->b b->c) cases (1- articles must merge (Not Ok) 2-in one wiki articles are redirected (Ok))'
- articles that have Url but they don't have interwiki (like User:Reza1615/Pages-Without-En-Interwiki) cases (1-fair use links(ok) 2-bad citation becuse wikipedia is not sientifice Source (Not Ok) 3-missed interwiki (Not Ok) 4-Bot interwiki confilicts(Not Ok) )
- I started wikiproject in fa.wiki also I want to continue it in en.wiki please you start the same wikiproject to solving interwiki problems. they are some confilits such as
-
-
we can solve all of them in wikipedi:interwiki confilicts wikiproject also may be it is intersting for you
| wiki | total article | to fa.wiki | to en.wiki |
|---|---|---|---|
| fa-> | 166٬449 | 137٬622 | |
| en-> | 3٬805٬130 | 145٬562 | |
| fr-> | 1٬164٬247 | 82٬227 | 843٬550 |
| de-> | 1٬318٬209 | 79٬443 | 748٬177 |
| tr-> | 176٬116 | 51٬500 | 156٬804 |
| ar-> | 151٬073 | 54٬501 | 137٬516 |
| pl-> | 841٬447 | 78٬117 | 596٬455 |
| it-> | 861٬653 | 85٬265 | 642٬702 |
| es-> | 840٬222 | 73٬709 | 638٬329 |
| ja-> | 774٬399 | 67٬731 | 403٬727 |
| zh-> | 381٬459 | 61٬267 | 267٬115 |
this chart collected 3 month ago so its data are not new but it shows in fa.wiki more that 8000 articles are onesided (some of them are correct) so in my opinion we have to solved these interwiki general problems in wikiprojectReza1615 2012年1月12日 (木) 10:37 (UTC)
[編集] 「Wikipedia:憶測は書かない」の内容とページの作成の是非について意見募集
目蒲東急之介です。さて当方は憶測は書かないと言うガイドラインの試作を行っております。現在ある程度の内容まで作成しましたが、あとどう言った内容の記述が必要であるのかやページの作成の是非に関してこの井戸端のサブページでご意見とご反論を募りたいと思いますのでよろしくお願いします。--目蒲東急之介 2012年1月12日 (木) 17:01 (UTC)
- 憶測記述の多いジャンルですがアニメやゲーム・漫画記事、特に登場人物のモデルに関する記述を結構見かけます。--多摩に暇人 2012年1月12日 (木) 17:22 (UTC)
- コメントありがとうございます。上記の記述で思い出しましたが、アニメやドラマのあらすじと言うかストーリーや役柄の説明でどうしても「らしい」「そうだ」と言う記述が必要になる部分については当方は例外的に削除しておりません。これは原作者等の著作者人格権の尊重の観点及び過剰表現・大言壮語を行わないとストーリーや役柄等の説明が成り立たないことによるものです。またもう一つですが当方は犯罪・事件記事に於ける警察などが発表した目撃者情報及び捜査関係者の推測の記述の場合も例外的に「(?)」や「某」、「~らしい」などの表現も例外的に削除していません。理由はこれらの記事で警察発表による目撃者や関係者の推測の記述まで削除を行った場合は事件の説明が成り立たない事や警察発表/報道発表を尊重する必要性からこの部分の削除を行っておりません。
- これに関しては例外的に記述しても良いのかも知れませんがこの件のご意見もお願いします。--目蒲東急之介 2012年1月12日 (木) 17:31 (UTC)
- 拝見した草案には《これらの表現は「例え出典があり検証可能性を満たしていても」記述することはできません。》とありますが、ちょっと違和感があります。これらの表現が「出典があり検証可能性を満たしている」なら、「『…ではないか』との推測がある[出典1]」のような記述は可能なはずです。
- 「憶測記述の多い記事」という節ですが、ただジャンルを列挙するだけならあまり意味無いように思います。ジャンルによらず憶測を含む記事はあるわけですから。しかし、たとえばスポーツ記事に特有の「行なってはならない記述」があるとすれば、それらの補足説明はあってもいいのかもしれません。
- >原作者等の著作者人格権の尊重の観点及び過剰表現・大言壮語を行わないとストーリーや役柄等の説明が成り立たない
- 意味がわかりません。原作者が自分の作品の「ストーリーや役柄等の説明」をするのに「らしい」「そうだ」を使うなどというシチュエーションがありうるのですか? はっきりいわずに何らかの仄めかしを試みている場合ということでしょうか。それなら当該発言を「引用」という形で書けばいいわけで、「例外的」措置ということにはならないのでは? --Kojidoi 2012年1月12日 (木) 19:22 (UTC)
- コメントありがとうございます。下段につきましては以前見たアニメ記事かドラマ記事か忘れましたが記事内のあらすじやストーリーの説明に「~らしい」「~そうだ」とあったので「ここまで消すともしかしたらストーリーや役柄等の説明が成り立たなくなるのではないか?」と思い、そう書きました(私はアニメやドラマには基本的に興味が無いのでストーリー等の説明方法は解りませんが恐らく指摘があるように「はっきりいわずに何らかの仄めかしを試みている」ものなのかも知れません。この説明の仕方はネタバレ防止の為のものなのかどうかは不明ですが)。
- 中段に「たとえばスポーツ記事に特有の「行なってはならない記述」があるとすれば、それらの補足説明はあってもいいのかも~」とあったので皆様にお尋ねしますがどの様な説明方法が良いでしょうか?ご意見をお待ちしております。--目蒲東急之介 2012年1月12日 (木) 19:31 (UTC)
- 試作品ページ自体を拝見した限りでは、Wikipedia:言葉を濁さないへの追記の方が向いていると思いますが、独立したガイドライン(方針?)とする理由をお聞かせ頂けますか? --ろう(Law soma) D C 2012年1月13日 (金) 01:11 (UTC)
- コメントありがとうございます。これは以前からガイドラインにすべきと考えていましたが、特に人気芸能人記事等一部の分野の記事で百科事典的ではない記述の終わりに「~らしい」と言う検証しにくいかできない表現が相当に多く、またやはり人気芸能人記事等に於いて出典のある記述であっても「~らしい」と言う記述が(特にファンサイト等で書く様なもの)で目立っていた事もあり、それを防止する為に検討したものです。単にこれだけの理由ですが。尚Wikipedia:避けたい言葉及びWikipedia:言葉を濁さないに提案して追記する方法でも良いと思います。--目蒲東急之介 2012年1月13日 (金) 15:49 (UTC)
- ろう(Law soma)さんと同じく、独立のガイドラインにする必要性に疑問を感じます。それから、特定の文章表現を取り上げて制限するようなルールを作ることで、安易な機械的置き換え・除去を促しかねないと危惧します。現在の知見が不確実で、出典にも推測として書かれている場合には、ウィキペディアの記事にも推測的な表現を使うのが適している場合があるかもしれません。最悪の場合、それを機械的に断定口調に置き換えるような利用者が現れた場合、大量の不正確な記事が生み出されてしまうおそれがあります。
- なお、もし記事の分野別に避けるべき記述を定めることを目指すのであれば、プロジェクトで議論してローカルルールとするほうがよいと思います。--Trca 2012年1月13日 (金) 12:15 (UTC)
- コメントありがとうございます。Trca様の仰られる通り参考文献や出典にも極稀なケースではありますが「出典にも推測として書かれている場合」事例はあります。当方も正確には覚えておりませんが、随分昔に書籍物の記事で(その書籍物は何かの歴史的人物の特集記事だったかと思うがこれは当方がWikipediaを始める随分昔の事でありはっきりと覚えていないのでこれ以上書きようがありませんが)「~の幼少期に通っていた学校は~学校と言う説がある」や「~の家族の人数は~だそうだとのことである」(この文章も正確には覚えていないがこう言う感じであったと思う)と言う記述を見た事はあります。このように参考文献や出典に憶測的記述で書かれている場合には、断定的記述でないことを明確にする為に「この出典に書かれている文章は推測的記述である」と言う断り書きを入れて挿入しても良いかも知れないですね。
- 「避けるべき記述をプロジェクトのローカルルールで議論して制定する事」は検討時点より全く想定すらしておりませんでしたが、分野によって避けるべき憶測記述の抑制や防止の必要があれば行っても良いのではないかと考えます。ただし現時点では当方より各プロジェクトへの提案は行う事はしませんがそれも良い案でしょうね。--目蒲東急之介 2012年1月13日 (金) 15:49 (UTC)
- 学術分野では、新しい知見を盛り込もうとすれば、どうしても仮説的・推測的な内容を含むことになります。参考文献に推測的な記述があることは「極稀なケース」どころかありふれたことで、そのような場合にいちいち断り書きをつければ煩雑になることが容易に予想されます。私はいまある無脊椎動物に関する記事を準備しているのですが、見つかったのが比較的最近で、しかも調査困難な環境に生息しているグループなので、断言できることはわずかしかありません。もし目蒲東急之介さんご提案のような断り書きを導入すれば、少なくとも10か所程度に同じ文面の断り書きを入れることになり、可読性を著しく損なうでしょう。文章表現が推測的であろうと断定的であろうと出典に基づかなくてはならない。情報源において断言されていないことを断言してはいけないし、明言されていることを濁してはいけない。それだけのことではありませんか。
- 多くの記事で執筆者の推測を反映した推測表現が使われているのはおそらく事実で、そのことが問題である点には同意します。執筆者の憶測であると疑われる表現は、{{要出典}}タグなどを用いて対処していくしかないことでしょう。もちろん手間がかかるのは事実ですが、安易なガイドライン作成によって一挙に解決しようとすることで、さらなる悪化を招くことを危惧します。--Trca 2012年1月14日 (土) 11:06 (UTC)
- 多忙により返答が遅れた事をお詫びします。私は顛末と言うか百科事典に不必要な例えばファンサイト的な記述については要出典等を貼らずとも即座に削除しても良いと考えておりますが、参考文献や出典にて仮説/推測/憶測的記述がある場合は問題はないと思いますね(但しその部分にそれを記述している出典の提示が必要になりますが)。
- ガイドラインの作成については一旦取り下げとします。これは参考文献や出典にて仮説/推測/憶測的記述がある場合は掲載も止むを得ない場合があると言う事を今回の議論で了解した事によるものです。但し百科事典に不必要な執筆者の憶測表現については「Wikipedia:言葉を濁さない」でいずれは行う事になると思います。議に参加して頂いた皆様に深く御礼を申し上げます。--目蒲東急之介 2012年1月28日 (土) 14:44 (UTC)
[編集] ノート:特命担当大臣
ノート:特命担当大臣にて質問いたしました。GeogieさんとNOBUさんによる一見いたずらにしか見えない編集について質問したところ、まったく意味がわからない回答がされたので困惑しております。僕が間違っているかもしれないと思い、こちらに書いてしまいました。どなたか助けてください。--こころ 坊ちゃん シャレですよ 2012年1月12日 (木) 23:31 (UTC)
- ウィキペディアの方針・ガイドライン解釈や立ち振る舞い等一般論につきましてはこちらでよろしいのですが、井戸端を見ていらっしゃらない方も多いので、また、お話自体は当該ノートで行われるべきものですので、こう言った際にはWikipedia:コメント依頼をご利用頂き議論参加者を募る方が、理に適っていると思います。なおGeogieさんとNOBUさんはキャリアも長い優秀な利用者であり、愉快犯であるとは信じられないお話です。Wikipedia:安易に荒らしと呼ばない、Wikipedia:礼儀を忘れないについて、ご配慮下さい。--Hman 2012年1月12日 (木) 23:45 (UTC)
- ◆あちらのノートにも書きましたが、こころ 坊ちゃん シャレですよさんは他人の行為をイタズラ呼ばわりする前にご自分に過失がなかったかを顧みられることをお勧めします。--ろう(Law soma) D C 2012年1月13日 (金) 02:10 (UTC)
[編集] テレビ番組(テレビアニメ・テレビドラマも含む。)の個別の記事における視聴率の記載について
プロジェクト‐ノート:放送番組#テレビ番組(テレビアニメ・テレビドラマも含む。)の個別の記事における視聴率の記載について にて、以前と状況が変わったこともあり、新たに発議させていただきました。最近になり、テレビ番組の記事への視聴率の記載に関連して、荒らしによる数字の改竄がある(現在進行中)ことおよび記事から当該記載の削除を求める事案が出てきました。この件に関し、皆様から広く意見を求めたいと思います。よろしくお願いいたします。特に法律に詳しい方々の意見を是非伺いたいと思います。--Don-hide 2012年1月14日 (土) 23:08 (UTC) 追記しました。--Don-hide 2012年1月15日 (日) 15:46 (UTC)
[編集] 著作のリンク先が通常の項目名というのは適切か?
著作などに見られるリンクが、著作の項目ではなく、著作に関する用語の項目へリンクしているのは、本来の著作に対してのリンクとは使用方法が間違っているのではないだろうか。0null0 2012年1月15日 (日) 07:04 (UTC)
- たとえば芥川龍之介の『鼻』が「鼻 (芥川龍之介)」ではなく「鼻」にリンクされている、という状態? せっかくリンク先として相応しい項目があるのであれば、そちらにリンクした方が良いでしょうし、著作についての記事が無いからと用語にリンクしてしまうと、記事の読み手が困惑するかも。--Bellcricket 2012年1月15日 (日) 07:38 (UTC)
そうです。適切なリンク先が存在しないために、書名と同音の項目にリンクされていることが、いかがなものかということです。本来ならば、書名の項目が作られるべきなのですが、それ以前に書名と同じ項目にリンクが張られると、書名から全部リンクしなおしになるし、書名のリンクなんて、そもそもウィキペディア利用者は要求しているんだろうか?という疑問はあります。例えば「ラテン帝国衰亡史」という著述があったとして、リンクに「ラテン帝国」にリンクしても、それは著作とは関係性が低いので、リンクする必然性が非常に低いわけです。これをあえてリンクするというのは、私からするとリンクの過剰使用(あえて言うなら過剰リンク)と言わざるを得ません。少なくとも著作についてのリンクは、控えるべきだと考えています。0null0 2012年1月15日 (日) 08:22 (UTC)誤解訂正0null0 2012年1月15日 (日) 08:24 (UTC)
- 6回リンクのマーフィー法則[10]が崩れはしないかと言うとってもくだらない事を真面目に心配している私です。--Toshi999 2012年1月15日 (日) 08:38 (UTC)
- えーっと、悪戯コメントだと勘違いされてしまったかも知れないと言う懸念を少し感じましたので補足しておきます。以前、出典提示した記事を読んだ時に私もちょっと遊んで見て面白いなと楽しめました。それは有る面、主題に無関係な内部リンクが有ると言う事象は何も著作に限らずWikipedia全体で普遍的に行われているから有り得る事だと、私は認識しています。また、私の場合は、その様な一見、無関係な内部リンクを辿る事で、ランダム閲覧に近いと言うか準関連項目閲覧と言うか、その様な感じで色々な記事を辿る中で興味が湧いた記事をまた読むと言う楽しみ方も有りましたので、まぁ、消極的ながらちょっと否定的な部分も有るな・・と、そんな微妙な否定レベルが端的に分かる様に書いたつもりでした。--Toshi999 2012年1月15日 (日) 09:49 (UTC)
ここで問題なのは、著名な著作が項目として存在しないことが第一義(ここ重要)であり、逆にいうならば、百科事典としてふさわしくない部分に項目名関連でリンクするのはいかがなものかというのもあります。確かに、関連性があるということでリンクをはり、そこから派生していくという、ザッピング的なことについての知的拡散は否定しませんが、それは本来の用途とは異なると私は考えます。著作にリンクするならば、その著作に関する既述をすることが必要ではないでしょうか。0null0 2012年1月15日 (日) 10:38 (UTC)誤記修正0null0 2012年1月15日 (日) 10:40 (UTC)
- 問題は著作名に限ったことではなく、同表記の異義語一般の問題だと思います。同表記の異義語が複数あって、そのうち一部しか記事がないときの対処ということになります。仮に「ほにゃらら」という一般的な語と、「ほにゃらら」という題名の著作があって、記事は前者のものしかない場合を考えましょう。もし、著作のほうに特筆性が期待できず、単独項目ができる見込みがなければ、内部リンクにしないのが最善かもしれません。一方、立項される見込みがある場合には、記事ができた場合を見越して[[ほにゃらら (書籍)]]のような赤リンクにしておくのがよいかと思います。ただし、後者の場合に、[[ほにゃらら (著者名)]]等、異なる記事名で立項されてしまうと少し面倒ですが。
- ここで[[ほにゃらら]]にリンクするのは一般的には不適切でしょう。著作についての情報を求めた読者に、求めるものと異なる情報を提示することになってしまうからです。誤ったリンクが面白く感じられることもないとは言いませんが、情報を提示するという百科事典本来の目的を損なってまで追求しなければならないものではありません。
- 余談ですが、「6回リンク」のゲームは、個々のリンクは関連があるものを繋いでいるのに、最終的に関連があるとは思えない項目が繋がるから面白いのだと思います。--Trca 2012年1月15日 (日) 16:46 (UTC)
- いまいちピンと来ないので確認ですが、0null0さんが仰ってる事は、例えば赤川次郎で示されてる著書マリオネットの罠が、マリオネットの罠になっていたり、現在著書のスタブも無いと思われる「十字路」が「十字路」になっていたら、そりゃあかんだろ。と言う意味ですか?もしそうなら、私的には微妙~な感じで否定も肯定も出来ないです。いや、やや0null0さんの意見に肯定よりかも知れません。 --Toshi999 2012年1月16日 (月) 04:33 (UTC)
[編集] 出典について
先日、1年ぶりにページを作成しまして、参考文献(出典)に関する節がない記事の作成という形のタグが最初に張られました。気になりまして、過去のログで[11]の内容を調べましたが、書籍ではなくゲームであるため公式ホームページでしかほとんどない状況です。出典明記というタグをどうすれば外せるようになるのでしょうか。ちなみに最近新規で作成したページは、ド田舎ちゃんねる5 〜こちら鈴音学園放送部〜になります。--SLASH-LEO 2012年1月15日 (日) 21:53 (UTC)
コメント タグのうち、出典については、公式ホームページに由来した情報を「Template:Cite web」で、もしゲーム本編に由来した情報があるなら「Template:Cite video game」で出典を示せばいいのではないかと思います。使い方は、それぞれのテンプレートのページから、ツールボックスで「リンク元」を辿った時に表示される記事群(のうち「参照読み込み」と書かれているもの)が参考になるかと。そのような対処によって自身で出典充分だと感じたら、タグ貼付者に聞くか、(聞かずとも)除去でいいのではないかと思います。タグ除去が不適切だと考える人が現れたら編集合戦を行わずノートで話し合う、ということだけ気をつければ、出典付与してのタグ除去なら何ら問題ないと思いますよ。--NISYAN 2012年1月15日 (日) 22:13 (UTC)
コメント まず、「Template:Cite web」や「Template:Cite video game」は義務ではありません。現在、出典の記述漏れを防ぐ程度の意味しか無く、各出典を串刺しにする様な機能が無いからです。使わなくても確実にかけるのでしたらテンプレートは使わなくても良いです。反面、本文中に『<ref>出典</ref>』でつけていくことが重要です。どのページを見て書いたか本文中に反映させたら良いと思います。--Taisyo 2012年1月15日 (日) 22:54 (UTC)
コメント 義務でないことは承知でしたが、SLASH-LEOさん向けのコメントからは漏れていましたね。ご指摘ありがとうございます。まあ当該記事をウォッチリストには入れたので、出典提示に不足している情報があれば、その補完くらいは私も手伝うつもりです。--NISYAN 2012年1月15日 (日) 23:03 (UTC)
コメント いわゆるエロゲーについては実は普通の売れないゲームより文献が手に入りやすい場合があります。さすがに原画集などが出るのは一部でしょうが、ブックオフなどに案外「美少女ゲーム攻略王その34」的な物が有ったりしますので、気長にかかられるとよろしいでしょう(まあ、情報が攻略情報に偏っていて、資料として使いづらい事も非常に多いのですが)。記事冒頭での出典の明記表記は、例えばほとんどの場所が「要出典」でいちいち「要出典」を付けていては著しく可読性を損なう時等に用いられます。って言うかいっこも無いじゃん!・・・みたいな時に。ですから要出典相当箇所が3つなり、5つなり、に減少した時が除去のし時なのでしょう。少なくとも「資料が無くてこれ以上出典が付けられないから要出典は外す」は間違いで、「資料が無くてこれ以上出典がつけられない記述は要出典として他者の協力を仰ぐか、除去する」と、してください。出典が示せないことは原則としてウィキペディアには書けません。もし出典が無いぞと他の方に消されたら、頑張って出典を確保してから、復帰して頂きたく存じます。Cite webはtitle,url,publisherまたはauthor,accessdateだけ入れておけば十分ですが、あくまで任意です(後での整理がもの凄く楽なのでお勧めではありますが)。<ref>[url.html そのページのタイトル]</ref>で、十分に出典明記の義務は果たしています。その際は十把一絡げにトップにリンクするのではなく、例えばstory.html、例えばcharacter.htmlなど、その情報が示されている箇所を具体的に指定して下さい。--Hman 2012年1月16日 (月) 02:35 (UTC)
- みなさま、アドバイスをありがとうございます。現状、公式ページでしか書かれていない内容などを引用部分などを脚注という形で追加させていただきました。また、紛らわしく思う内容なども削除してみました。まだ、足りないと思われる内容があると思いますが、なるべく調べていきたいと思います。よろしくお願いいたします。--SLASH-LEO 2012年1月16日 (月) 10:46 (UTC)
コメント出典提示に協力しようという方がいらっしゃる中で非常に言いにくいのですが、出典が「公式ホームページでしかほとんどない」という状況であれば、Wikipedia:特筆性の基準から言って、本来は記事の新規作成をすべきでなかったということになると思います。おっしゃるような状況であれば、「公式ホームページの宣伝用の情報」+「執筆者が直接ゲームをプレイして得た情報」だけで記事が成り立っていることになります。そのような材料で記事を書こうとしても、「単なる宣伝」あるいは「個人的なレビュー」以上のものにはなりません。Wikipdeiaが目指すような、中立的で信頼できる「百科事典」の記事を書くのは無理だと思います。- お書きになった記事は結構よくかけているし、ゲームをやる人には非常に有益な情報だと思いますが、Wikipediaの記事としては要求される基準を満たしていないと思います。Wikipedia:特筆性で言うような「対象とは無関係な信頼できる情報源」が相当量見つけてこない限り、最終的には削除されるべきものだと思います。
- ついでに言うと、こういうゲームの解説は、Wikipediaで要求される「検証可能性」や「独自研究の禁止」等の縛りを離れて、攻略・解説サイト等、別のところでお書きになる方が、より良い形に発展する可能性が高いのではないかとも思います。--Dwy 2012年1月16日 (月) 14:54 (UTC)
コメント 公式HPを確認したところ、BugBug・コミック真激・コンプティーク・PUSH!!・パソコンパラダイス・PCエンジェルneoへ雑誌掲載された旨が紹介されており、これらの雑誌記事はWikipedia:検証可能性を満たしうると考えますが、いかがでしょうか。--Himetv 2012年1月16日 (月) 19:37 (UTC)
- 検証可能性は満たすでしょうね。後はちゃんと百科事典としての記事が書けるだけの資料となっているのかという点でしょうか。(平たく言えば「特筆性」を証明できるか、かな)--iwaim 2012年1月17日 (火) 02:06 (UTC)
[編集] Language support group for Japanese
The Wikimedia Foundation has brought together a new team of developers who are dedicated to language support. This team is to support all the languages and consequently it is not realistic to expect that the team members can provide proper support for your language. It is for this reason that we are looking for volunteers who will make up a language support team.
This language support team will be asked to provide us with information about their language. Such information may need to be provided either to us or on a website that we will indicate to you. Another activity will be to test software that will likely have an effect on the running of the MediaWiki software. We are looking for people who clearly identify their ability. Formal knowledge is definitely appreciated.
As much of the activity will be concentrated on translatewiki.net, it will be a plus when team members know how to localise at translatewiki.net.
Thanks, Gmeijssen 2012年1月17日 (火) 13:09 (UTC)
[編集] SOPA, PIPA?
英語版ウィキペディアにSOPAとPIPAに抗議してブラックアウトする、みたいなお知らせが出てますが、何のことかわかりません。どなたか教えてください。--草刈り機 2012年1月17日 (火) 13:18 (UTC)
情報 ITproに記事が出ていましたので、ご参考まで:Wikipediaが1月18日にサービスを停止、SOPAへの抗議行動 --Penn Station 2012年1月17日 (火) 13:34 (UTC)
- (コメント)アメリカ議会で現在審議中のオンライン海賊行為防止法案(SOPA)に反対するために、24時間停止するという話です。SOPAは「著作権を侵害するコンテンツを掲載しているサイトに対して、一方的にアクセス遮断などの対応を可能とする」もので、この法案が通ると「著作権侵害を申し立てるだけで、ISPに対してウェブサイトのDNSブロッキングを含めて命令できる」ため、インターネット上からそのウェブサイトを抹消することが可能になるというシロモノです。--KAMUI 2012年1月17日 (火) 13:38 (UTC)
- よくわかりました。ありがとうございました。--草刈り機 2012年1月17日 (火) 13:40 (UTC)
- (コメント)アメリカ議会で現在審議中のオンライン海賊行為防止法案(SOPA)に反対するために、24時間停止するという話です。SOPAは「著作権を侵害するコンテンツを掲載しているサイトに対して、一方的にアクセス遮断などの対応を可能とする」もので、この法案が通ると「著作権侵害を申し立てるだけで、ISPに対してウェブサイトのDNSブロッキングを含めて命令できる」ため、インターネット上からそのウェブサイトを抹消することが可能になるというシロモノです。--KAMUI 2012年1月17日 (火) 13:38 (UTC)
- ドイツ語版は英語版に協調して、↓のようなバナーを掲載するようです。ウィキメディア・コモンズもバナー表示を検討中です(commons:MediaWiki:Sitenotice)。
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- (de:Wikipedia:Initiative gegen den SOPAより翻訳)--Akaniji 2012年1月17日 (火) 14:27 (UTC)--一部修正Akaniji 2012年1月17日 (火) 22:03 (UTC)
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- 考えてみれば現在に至るまでStop Online Piracy Act(SOPA)もPROTECT IP Act(PIPA)(こちらは上院の同種法案)も翻訳されてないってのが・・・これって「アメリカ政府やアメリカの裁判所がインターネット上のコンテンツに対して(基本的に反論を認めず)検閲をやれる」って法案なんですけどねぇ。--KAMUI 2012年1月17日 (火) 21:00 (UTC)
- PIPAは冒頭部のみですが訳出してあります(そこで満足してしまいました)。user:akaniji/知的財産保護法 (2011年)。ご参考までに。--Akaniji 2012年1月17日 (火) 22:03 (UTC)
- 考えてみれば現在に至るまでStop Online Piracy Act(SOPA)もPROTECT IP Act(PIPA)(こちらは上院の同種法案)も翻訳されてないってのが・・・これって「アメリカ政府やアメリカの裁判所がインターネット上のコンテンツに対して(基本的に反論を認めず)検閲をやれる」って法案なんですけどねぇ。--KAMUI 2012年1月17日 (火) 21:00 (UTC)
- 日本語版でも抗議のためにサービスを停止する可能性はありますか?--Wiki-Endows 2012年1月18日 (水) 09:05 (UTC)
- 日本では既にISPによるDNSブロッキングが実施されちゃってるんだし今さらって気がしますがね。--122.21.247.186 2012年1月18日 (水) 10:54 (UTC)
- 現時点で停止する可能性はないと思いますが、itやenのケースみたいに有無を言わさぬ表現規制となる法案が出てくれば停止することもありうるのではないでしょうか。もちろん、井戸端などで議論されることになるでしょうが。--Marine-Bluetalk✿contribs✿mail 2012年1月18日 (水) 12:49 (UTC)
- あくまで停止するしないを決定するのはコミュニティであって財団側からの働きかけなどはないですから、そのような状況になった時に利用者みんなで決めることでしょう。--Vigorous action (Talk/History) 2012年1月18日 (水) 12:54 (UTC)
[編集] 排除されるべき宣伝的要素
Wikipediaは広告活動の場ではない、という前提から発売前の商品(例えば数か月先にリリースされる音源、公開が予定されている映画)は記載すべきではないと当方は考えています。 宣伝目的でないなら、商品情報の記載を急ぐ理由はないはずです。
しかし、稀に「ルールにそのような明記はない」として記載を急ぐ人もいます。そこで、どの程度の「宣伝的要素」は排除されるべきなのか、ご意見いただきたくお願いします。--Wikied 2012年1月18日 (水) 11:26 (UTC)
- まあ各所でなされている特筆性関連の話題と同じですが、発売前というだけで、判断するのではなく、その商品なり出来事なりについての二次情報が得られているかどうかで判断するのがよいと思います。
- プレスリリースや公式サイトの記述のみで記事を作成することはしない。既に存在している記事中で、適切な情報源と更新がなくとも古くならないような適切な表現で簡潔に加筆するなら、プレスリリースの類が情報源でもいいんじゃないでしょうか。
- でも、んー、たとえば、これまで存在が知られていなかったビートルズの未発表アルバムが発掘されて半年後に出るとか、トヨタが2000GTを現代の技術でもう一度作り直すと宣言したとか、そういうような場合だと、発売前の騒動とか(それなりに合理的な)予想とかというのは、百科事典の記述に含まれるようなことだと思うし、結果として発売されなくとも、記事として存在しててもいいと思うんですね。そして、そういう場合なら、第三者的に、プレスリリース以上のことが新聞や雑誌で扱われているだろう、と。それは「発売前の商品情報の記載」というだけのものではなくなっている。もちろん、これは重大なことなのだから記事を作るべきと、ウィキペディアの編集者が主張するだけではだめ。--Ks aka 98 2012年1月18日 (水) 11:56 (UTC)
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- Wikied氏のこの提案は、ノート:鬼束ちひろ#Wikied氏の編集について を背景にしていると思われます。そこでPooh456が発言した内容と重なりますが、
- Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありません に「5.広告活動 企業や製品に関する記事は客観的かつ偏見なく書かれています。記事の内容は第三者により検証可能でなければならないので、ごく小規模な個人商店や地元企業の記事は通常受け入れられないでしょう。」と示されております。
- そもそも、ガイドラインWikipedia:特筆性により、Wikipediaからは、「ごく小規模な個人商店や地元企業」、あるいは「自称タレント」などについての記事は、Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事 で「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」として Wikipedia:削除依頼 を出され、削除されるのが通常です。
- よって、Wikipediaでガイドライン 特筆性 を満たすとされ削除依頼が出されない記事、例えば記事 鬼束ちひろ が、「5.広告活動 企業や製品に関する記事は客観的かつ偏見なく書かれています。記事の内容は第三者により検証可能でなければならないので、ごく小規模な個人商店や地元企業の記事は通常受け入れられないでしょう。」の対象でないのは自明です。
- 仮に、Wikipediaが「商業的な要素は全て排する」という方針を有しており、例えば、「記事 鬼束ちひろ で許容されるのは、経歴や公式サイトへのリンクなどのみ。鬼束ちひろに係る商品についての記述は、宣伝であるので全て排する」となっているのなら、発売前・発売済に係わらず「商品についての記述」は全て排除されるべきです。発売前の商品についての記述は宣伝であり、発売後の商品(発売中の商品)についての記述は宣伝でない、などという考え方はおかしいと考えます。実際は、Wikipediaは「商業的な要素は全て排する」とはなっていず、商品についての記述が許容されております。
- そもそも、Wikipedia:特筆性 を満たし、Wikipediaに立項される主体にとって、「記事の中で(発売前の)商品について言及すること」の(発売前の)宣伝効果がどれほど重要でしょうか?限りなくゼロに近いと思われます。「ごく小規模な個人商店や地元企業」や「自称タレント」であれば、Wikipediaに(発売前の)商品について記述することの宣伝効果は有意に存在するでしょうが、前述のように、「ごく小規模な個人商店や地元企業」や「自称タレント」の記事はWikipediaから排除されますので、そのような検討は不要です。
- 以上のことから、Wikipedia:特筆性 を満たす記事において、「発売後(発売中)の商品」について言及することが問題ないのなら、同様に、「発売前の商品」について記述することも問題とするに足りないと考えます。
- 表現を変えますと、Wikipedia:特筆性 を満たす記事において、「発売後(発売中)の商品」と「発売前の商品」を分けて考える理由はないと考えます。--Pooh456 2012年1月18日 (水) 12:01 (UTC)
- Wikied氏のこの提案は、ノート:鬼束ちひろ#Wikied氏の編集について を背景にしていると思われます。そこでPooh456が発言した内容と重なりますが、
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- Ks aka 98氏の考え方ですと、「発売後(発売中)の商品」についても、二次情報がない限り、Wikipediaに「記載」できない、となりませんか?そうでないとすれば、「発売前の商品」と「発売後(発売中)の商品」は何が違うのですか?
- なお、この井戸端の話題を立ち上げたWikied氏は「記載」と書いており、実際、この井戸端の話題の元になったと思われる ノート:鬼束ちひろ#Wikied氏の編集について は、「記事 鬼束ちひろ に、発売前の商品の『記載』をすること」を巡るものです。
- Ks aka 98氏は、Wikipedia:特筆性 によって判断される「記事の作成/存続の是非」を論じておられるように見えますが?なお、「NHKの大河ドラマについては、製作発表の段階で広く新聞等で報道され、二次情報が存在するので、2013年放映予定の 八重の桜 は、製作発表がなされた2011年6月の段階で Wikipedia:特筆性 を満たし、立項可能である(現に立項されている)]といった判断は問題ないと考えます。--Pooh456 2012年1月18日 (水) 12:36 (UTC) / 修正 --Pooh456 2012年1月18日 (水) 13:07 (UTC)
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- まず、つい先日、Wikipedia:井戸端/subj/特筆性を理由とした記載拒否についてでもありましたが、Wikipedia:特筆性は記事自体の特筆性を言っているのであって内容についてではありません。もし、記事を新規に作るという話であれば関係しますが、今回(鬼束ちひろ)はそうではなさそうなので持ち出すべきでは無いでしょう。
- それで、すでに主題が特筆性を持っている上で、既に記述されている情報(データ)と同じ趣旨の確実性の高い予定を書くのは別に宣伝行為にあたりませんし、ウィキペディア上でも概ね許容されている範囲にあると思います。もし、これが煽り文句のあるものだったりすれば宣伝的に該当すると思いますが、それを説明する上で最小限の内容であるなら問題ないと思います。
- ただ、もし独立記事として新規に作成する場合であれば、たとえそれが特筆性のある主題から生じたものであっても、Wikipedia:特筆性が指摘するように二次資料の裏づけが必要です。--EULE 2012年1月18日 (水) 12:41 (UTC)
- Wikiedさんの最初の書き込みでは、井戸端で問いかける元となった記事は案内されていませんし、それについての意見を求めているのでもないですから、ぼくは一般論として述べています。新しく記事を作るのは、「記事への記載」ではないですが、「ウィキペディアへの記載」ではあると思いますけれども。そして後者ではなく前者でしかないというふうには、ぼくには読み取れませんでした。「Wikipedia:特筆性」に従うという前提なら、単独記事にはできないけど、記事内で触れることはできます。2段落目では、「既に存在している記事中で、適切な情報源と更新がなくとも古くならないような適切な表現で簡潔に加筆するなら、プレスリリースの類が情報源でもいいんじゃないでしょうか。」と書いています。また、発売情報だけではなく、それが話題になっているとか、こういうことが期待されているということが書かれることもあるでしょうから、そういう場合には、第三者的な情報源が必要になってくるでしょう。独立記事だけではなく、これは三大方針が求めているものだと思いますけれども。
- 鬼束ちひろの記事で論点となっている編集について、「Wikipedia:特筆性」から削除する必要は無い。僕の考えは、まあ書くかどうかはどっちでもいいです。書いたところで除去しなければならないとも思わないし、発売前の商品の情報が百科事典として重要だとは思いませんから、書かなくてもいいです。編集者の間で、あるいはプロジェクトなどで決めればいい。鬼束ちひろでの問題に限定するなら、ノートで話し合えばよいと思います。
- ただ、宣伝的要素の排除のためという理由でのコメントアウトは好ましくない、とは思います。大言壮語の類であれば、コメントアウトや除去するのがよいと思います。アフィリエイトサイトへの誘導とか、そういうのが「宣伝的要素」だと思うんですね。取るに足らない情報を書き込むというのも、ある種の「宣伝的要素」ではあるけれど、発売前の作品については、取るに足らないかどうかの評価をした上で、判断しないといけないので、「要素」を判断の根拠とするべきではない。「どの程度の「宣伝的要素」は排除されるべきなのか」という問いかけに対して、「要素」で判断しない、と、こたえました。
- この種の議論でいつも思うのですけれど、[12]を見ると、「予定」としてリストアップしているだけで、これはすぐに古くなる表現なので、改めたほうがよいのではないか、ということです。たとえば、「12月25日にFLMEのHPで2月15日にDVDを発売することを明らかにした。」ならば、情報としては古くなるかもしれないけれど、表現は古くなりません。そういう表現として記事中に書かれているなら、それでいいのではないでしょうか。そういう表現ができないのなら、無理に書くこともないと思います。--Ks aka 98 2012年1月18日 (水) 14:07 (UTC)
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- Ks aka 98さん、詳しいご説明を有難うございました。--Pooh456 2012年1月18日 (水) 14:43 (UTC)
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- (編集競合したのですがそのまま)ご意見いただきありがとうございました。参考になりました。--Wikied 2012年1月20日 (金) 15:53 (UTC)
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もしWikid氏の主張(発売前の商品は記載すべきではない)が今後の編集上のルールになるようであれば、Pooh456氏が例を挙げている2013年の大河ドラマ「八重の桜」にしてもページごと削除してくてはならない理屈になりますね。NHKは国営放送と言ってもより多くの視聴世帯から課金する事で成り立っている団体なわけですから、放送前の情報をwikipediaに掲載し世間に告知すること=Wikid氏の主張する「宣伝的要素」と同義になるでしょう。
それとWikied氏は議題を提起する際に『稀に「ルールにそのような明記はない」として記載を急ぐ人もいます。』とおっしゃっていますが、わざわざ「稀」などと言う言葉を付けて持論を強調するのは控えて頂きたい。仮に事実であったとしても、傍から見ると自身の対立意見が少数派(マイノリティ)であるような印象操作を行っているように見えます。--Saishusengen 2012年1月20日 (金) 15:50 (UTC)
少し流れと違う事ですけど宣伝的要素で気になったので。ゲーム雑誌、代表例ではファミ通ですが付き合いのある企業やスポンサーの影響を強く受ける商業雑誌です。当然、ゲームレビューで付く殿堂入りや点数などと言った物であっても中立性が疑わしくゲームタイトルの項目で「ファミ通で殿堂入りをした」「○○点」「プラチナをもらった」などを記載するのは中立性に欠ける上にファミ通の宣伝にも繋がっていると思います。特定雑誌をウィキが後押し宣伝しているとも取られ一商業誌のレビューが基準にされる状態は好ましくないかと
- それは中立性に良く見られる誤謬です(FAQ 「偏った意見を削除して良いか」参照)。ウィキペディアの中立性とは、情報源に中立性を求めるものではありません。少なくとも単に事実としてある観点を紹介することは中立性には反しません。ましてファミ通は、批判はあれど有力な媒体であって、それを載せることは特筆性とも合致します。というか、ファミ通への批判はファミ通の記事にも書かれている割と有名な話であって、だからこそ「ファミ通で殿堂入りをした」という記述でも、わかってる人はその辺りの事情を割りさいて読んでるわけです。じゃあ、わからない人もいる、って話になるんですが、それは読む側のメディアリテラシーの範疇であって、「ウィキペディアの内容を丸々信じんなよ」と同等の話です。
- いくつかのゲーム雑誌の評価をあえて無視して(あるいは目立たせずに)ファミ通のレビューのみを大きく取り上げるとか、あるいは、「本作は高い評価を受けた<ref>ファミ通○○号<ref>」という形なら中立性に問題があると思います。そして、出来る限り、ファミ通以外のゲーム雑誌のレビューも平行に載せるのが望ましいのは言うまでもありません。--EULE 2012年1月29日 (日) 17:10 (UTC)
[編集] 同じ題であるが、邦文版と英文版に大いに乖離がある場合
別の外国語での話も同様かもしれませんが、小生が外の言語を理解しませんので、邦文と英文の場合とします。同じ題であるが、かなり乖離がある場合がありますが、近づける努力が必要でしょうか。一つの理由は画像の問題もありますが、如何皆さんお考えでしょうか。それとも、まったく別の物であるから、いいやという考えでしょうか。つまらないものに悩んでいます。--Ichiro Kikuchi 2012年1月19日 (木) 06:38 (UTC)
コメント 無理に揃える必要はないと思いますが、他言語版にある節が日本語版ではごっそり抜けている、あるいは日本語版がスタブだけど他言語版では立派な記事になっている場合は、翻訳で日本語版に持ち込むこともできます(もちろん、日本語版から他言語に訳してもかまいません)。ただし、日本語版でプライバシー問題となってしまう場合など、同じ内容を書けない場合もたまに存在します。--Jkr2255 2012年1月19日 (木) 06:50 (UTC)
- 小生が関係したのを申し上げると宝暦治水事件を英訳しましたが、写真が全部異なるので印象は相当異なります。--Ichiro Kikuchi 2012年1月19日 (木) 11:52 (UTC)
- (コメント)そもそも「どの言語版」でも内容の違いはあります。というか、結局のところ記事対象に対する興味・理解度が各国・各言語利用者で違うのですからコレはしようがない。試しにドナウ川とかチェックしてみましたが、英語版とドイツ語版でもこれだけ違います。しかし日本語版は立項から8年経ってるのに出典皆無じゃねーか・・・。--KAMUI 2012年1月19日 (木) 11:56 (UTC)
- 皆さんの意見がわかって安心しました。有難うございました。--Ichiro Kikuchi 2012年1月19日 (木) 22:16 (UTC)KAMUIさん ムラージュ有難うございました。
- (コメント)そもそも「どの言語版」でも内容の違いはあります。というか、結局のところ記事対象に対する興味・理解度が各国・各言語利用者で違うのですからコレはしようがない。試しにドナウ川とかチェックしてみましたが、英語版とドイツ語版でもこれだけ違います。しかし日本語版は立項から8年経ってるのに出典皆無じゃねーか・・・。--KAMUI 2012年1月19日 (木) 11:56 (UTC)
- 小生が関係したのを申し上げると宝暦治水事件を英訳しましたが、写真が全部異なるので印象は相当異なります。--Ichiro Kikuchi 2012年1月19日 (木) 11:52 (UTC)
[編集] アメリカでのURAAに関する対処について
SOPA騒動も続く中ですが、別なアメリカ法に関する話題です。
ちょうどコモンズを見ていたら上にバナーが出ていて気づいたのですが、commons:Commons:Deletion requests/All files copyrighted in the US under the URAAとして、一気に大量のファイルが削除される恐れが出てきたようです(日本語版にも影響することは十分に考えられます)。
(読み間違いもあるかもしれませんが)事情を自分なりに整理します。著作権の保護期間における相互主義#アメリカ合衆国の状況にあるように、アメリカでは著作権保護の相互主義が適用されず、1996年元日時点で著作物の本国でパブリックドメインとなっていなかったものは、アメリカ合衆国ではアメリカの保護期間(著作者の死後70年、団体名義では発表から95年)が適用されるというURAAの規定が、裁判を通じて確認されたということです。
つまり、現在(2012年時点)だと、1946年以降に死亡した著作者の(あるいは同年以降に団体名義などで発表された)日本が本国となる著作物(1996年時点で著作権切れとなっている、写真などを除く)には、アメリカ法上著作権が適用されてしまう、という結論に達します。少し挿入--Jkr2255 2012年1月20日 (金) 02:58 (UTC)
あまりに影響が大きいので、コモンズでも議論が進行中ですが、日本語版のサーバもアメリカにある以上、影響は避けがたいと考えられます。--Jkr2255 2012年1月20日 (金) 02:55 (UTC)
- コモンズの議論を見ていて、個人的に考えられることはすべて考えられている様でした。現在、既に行われているWikipedia:屋外美術を被写体とする写真の利用方針と同様に日本語版などのローカルに上げて回避出来る可能性があること。コモンズ自体のサーバーを他の国に移転する方法。国ごとにローカルコモンズを配置する方法(日本語版コモンズの設置可能性もある)など考慮されているようです。
- 以前、ウィキメディア関連のサーバーが韓国にあったらしい話を聞いたことがあるのですが、その時に韓国法を意識したことはありませんでした。現在、日本語版の文章も米国法はあまり考慮することはないですし、基本は日本法で考えております。もしサーバーの位置の問題だったら、日本語版の画像も削除になる可能性があります。
- とはいえ、実際にどの様な画像が影響受けるのかわかりにくいです。具体的な例があればわかりやすいと思いますが。--Taisyo 2012年1月21日 (土) 01:12 (UTC)
[編集] 試合結果に出典が必要でしょうか
最近いろんな記事で出典をつけろつけろといわれます。A選手がB選手に勝った。○○大会で優勝した。XX五輪で金メダルを獲得したという記載にも出典をつけなければいけないのでしょうか。試合結果は単純な事実であり、誰が書いても同じになるものです。ニュースサイトを出典にしているものもありますが、数か月でリンク切れになることが多く、多くの記事でリンクが切れてます。世界選手権などの公式サイトは大会が終了して時間が経てば消滅します。すでに消滅している北京五輪の公式サイトのリンクが100件以上で使われています[13]。これらのリンクは消すべきでしょうか。インターネット・アーカイブに修正するべきでしょうか。全豪オープンみたいに毎年行われる大会は1年たてば翌年の内容に変わってしまい、違ってしまいます。すぐにリンク切れになるのに試合結果にも出典をつけなければいけないものでしょうか。--Rain night 2012年1月20日 (金) 08:29 (UTC)
- 当然に出典が必要です。その結果が出鱈目でない事をどうやって確かめるんですか。公式サイトのリンクが切れたら何処にも載っていないような些細な試合の結果は、そもそも百科事典に書く必要がありません。- NEON 2012年1月20日 (金) 08:38 (UTC)
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- A選手がB選手に勝った。○○大会で優勝した。XX五輪で金メダルを獲得したという記載にも出典をつけなければなりません。リンク切れの問題があるので出典は紙文献が望ましいのはもちろんですが、検証容易性という観点からは可能なら紙文献とネットからの併用が好ましいと思っています。なんにしてもどんな記述であれ出典をつけるのは当たり前で、それを当たり前と思えないならばwikipedia:検証可能性をきちんと読み直したほうが良いでしょう。「試合結果は単純な事実であり」どんなことでも実際は単純な事実ですよ。NEONさんと同意見ですが、一つのサイトがリンク切れになったら検証のしようが無いような事柄ならば些細なことということです--ぱたごん 2012年1月20日 (金) 10:13 (UTC)
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コメント 「Wikipedia:井戸端/subj/リンク切れは削除してよいのでしょうか?」で書いたことの繰り返しですが、コンピュータ分野における情報には、公式サイト以外に情報が存在しないものがそこそこあります。例えば「Packet Storm」のサイトの役割の詳細や歴史などの情報は書籍をあたってもなかなか見つけられません。(明の)セキュリティ系書籍で「攻撃試験用ツールをここから入手しましょう」とか、(暗の)セキュリティ系書籍で「攻撃ツールの入手に便利なダウンロードサイト」とかの形で取り上げられていることは何度も見ていますが。なので、サイトの役割の詳細や歴史については、今のところ公式サイトの情報(公式サイトのaboutページ)に頼っています。しかし、公式サイトという≪一つのサイトがリンク切れになったら検証のしようが無いような事柄≫である、サイトの役割の詳細や歴史の情報は果たして記事主題に対する≪些細なこと≫なのかというと、ちょっと違うように感じています。「脆弱性情報データベース」の各データベースの情報についても、特徴(NVDのCVSSによる危険度採点など)は他サイトで紹介されていることもありますが、詳細(歴史など)については公式サイト以外の場所ではなかなか得られないのではないかと感じています。コンピュータ分野、とりわけ電子情報を主題とした情報など、分野によっては≪一つのサイトがリンク切れになったら検証のしようが無いような事柄ならば些細なこと≫と単純に言いにくい側面があるように思いますし、「Wikipedia:井戸端/subj/リンク切れは削除してよいのでしょうか?」に寄せられた意見にもあるように、単純に1か0で切り分けられるようなものでもなさそうに思います。--NISYAN 2012年1月21日 (土) 01:49 (UTC)
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- まず、既に言われているように出典があるのが望ましい。リンクについては切れていたとしても閲覧日時を付記しておくことで、ただちに無効ということにはらない。
- それで、それが一般紙に載るくらいのものであれば各新聞社が発行している縮冊版で確認できます。これはまず普通の図書館であれば朝日や読売ならあると思います。--EULE 2012年1月20日 (金) 11:04 (UTC)
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五輪のメダルを獲っているということはオリンピックメダリスト一覧や種目別競技記事から確認できます。大会の優勝者や決勝結果は大会記事から確認できます。それでも選手の記事の試合結果ひとつひとつに脚注がいるのでしょうか。脚注を詳しくつけてもリンクが切れれば無意味なリンクにしかならないと思います。現在ほとんどの選手で付いていません。
例としてサマンサ・ストーサーという選手がいます。彼女は2011年全米オープン女子シングルスの優勝者です。試合結果については外部リンクしているWTAやITFの選手プロフィールと英語版から確認しています。彼女が2011年全米の優勝者であるということはリンクしているこのドロー表があり、テニスに詳しくない人でもわかります。このドロー表は英語版からそのまま導入し、英語版の出典の公式サイトはリンク切れする(すでに切れている)のでWTAから出典としてドロー表のリンクをつけてます。リンクしているドロー表の記事から誰に勝った、負けた、スコアやどこまで進出したかがわかります。試合結果の検証は直接脚注をつけなくても、こちらの記事で確認できるものなのです。リンクしている記事が出典です。
プレイスタイルや私生活など(彼女はレズビアンといわれているが正式なカミングアウトがないので記載すべきでない)を書く場合はは出典が必要だと思っています。この記事は現在出典や参考文献の節はありません。外部リンクの節を出典に換えるべきなのでしょうか。--Rain night 2012年1月25日 (水) 08:45 (UTC)
- 別に脚注形式以外が禁止されておるわけでもなかろうし、そのリンクしているとやら言う英語版や大会記事にも当然出典はあろう? ならばどんな形であれ、問題の記事でもその出典を明示すれば良い話ではないかえ。同じ出典を複数の記事で使うてはならぬわけでもなし、リンク先の記述が変わらぬ保証とてなし、ならば同じ記事内で出典明示までするのを厭う理由もあるまいて。己の手間を惜しんで基本の基本を蔑ろにするでないよ。--116.80.88.215 2012年1月25日 (水) 15:13 (UTC)
[編集] 1人のソックパペット
特定のユーザ達が、Wikipediaにおいて荒らし行為を行っております。 荒らしの内容は次の通りで、工作員と呼んで差し支えない行為です。
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- 被曝等の放射線関連の記事に稲恭宏の出演したTVのリンクを貼る。
- 稲恭宏と反対の学説を唱える学者小出裕章などの記事には、根拠のない中傷の記述を書く。
- 福島第一原発事故による放射性物質の拡散などでは、データを改竄する。
「放射線は安全。福島は問題ない。稲氏の主張は正しい」というイデオロギーを持ち、恣意的な編集を行っている事は明確です。
以下に、問題のユーザ達を列挙します。 ログインユーザは全てソックパペットやブロック破りとして無期限ブロック中です。 少なくとも上8人は、共通のクセがあるので同一人物だと思われます。 もし、これらが全員同一人物であり、IPユーザと一致するのであれば、IPを広域ブロックする事を提案致します。
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- 利用者:Orange Red(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Cpncspnr(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:WhiteTiger2(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Landseaairdragon(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Brtam(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:SpringFieldAF1(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:クラリスセレブリティス(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Reconstruction of the World(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Dogcat21(ノート / 履歴 / ログ):#利用者:Planquiet(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Alisonson(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Ratedose(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:げじげじ(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Inakiti(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:YuuP(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Rohisuya(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:Easteast(ノート / 履歴 / ログ)
- 利用者:OrangeLM(ノート / 履歴 / ログ)
- IP:124.255.1.61(ノート / 履歴 / ログ / Whois) - Dream Train Internet、以下同じ
- IP:124.255.2.80(ノート / 履歴 / ログ / Whois)
- IP:124.255.6.190(ノート / 履歴 / ログ / Whois)
- IP:124.255.7.23(ノート / 履歴 / ログ / Whois)
- IP:124.255.7.111(ノート / 履歴 / ログ / Whois)
- IP:124.255.7.185(ノート / 履歴 / ログ / Whois)
- IP:124.255.7.227(ノート / 履歴 / ログ / Whois)
- IP:124.255.8.175(ノート / 履歴 / ログ / Whois)
- IP:124.255.8.217(ノート / 履歴 / ログ / Whois)
- IP:124.255.9.232(ノート / 履歴 / ログ / Whois)
ここで質問なのですが、私は何をすべきなのでしょうか? チェックユーザ依頼?それともコメント依頼? どなたか御教授頂けれるよう御願い致します。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 10:29 (UTC)
えっと、まずはソックパペットやブロック破りの問題と、福島原発で癌や白血病が増えているかどうかということは切り分けないといけません。wikipediaにおいてソックパペットやブロック破りはいけません。これは論を待つ必要はありません。しかし、はっきり言って福島原発で癌や白血病が増えるなどという事実は(2012.01.21現在)ありません。三流紙や、わけ分からないブログ、危機を煽り立てることで自著の売り上げが上がるライターのみが煽り立てていることです。福島原発で癌や白血病が増えるとしてもこれから2012年以降のことです。今現在癌や白血病が増えているなどと言うデータはありません(あるのは三流紙や、わけ分からないブログ、危機を煽り立てることで自著の売り上げが上がるライターのみが言ってることです)JapaneseAさんがなすべきことは理科の勉強ではないでしょうか--ぱたごん 2012年1月20日 (金) 10:55 (UTC)
- 失礼極まりない言い方ですね。別に私は、福島原発で癌や白血病が増えるなどと一言も申し上げておりません。あなたこそ国語の勉強が必要ですね。誤解がないように申し上げますが、イデオロギーが「放射線安全」だから悪いなどとも言っておりません。逆に放射線は危険だからという考えで、あちこちのデータを改竄して、あちこちに反原発派の学者の出演TVのリンクを貼れば、同様に問題だと考えます。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 11:04 (UTC)
「放射性物質が人体に安全かどうか」という議論や、「○○には○○の勉強が足りないんじゃないか」となじるようなことは、ウィキペディアでやることではありませんので。
上の件については、Wikipedia:進行中の荒らし行為に書いておくのがいいんじゃないでしょうか。書いたあと、さらに1か月以上続くようなら、Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期傘下に移行させてください。チェックユーザー依頼は、未ブロックのアカウントを対処してもらうというような目的がなければいらないと思います。該当のIPアドレス帯域(124.255.0.0/20でしょうか)の広域ブロックを依頼するという手もあるかもしれませんね。--Ohgi 2012年1月20日 (金) 11:25 (UTC)
- Ohgi様、御回答ありがとうございます。検討してみます。私も売り言葉に買い言葉でした。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 11:30 (UTC)
wikipediaは百科事典を作るプロジェクトです。どんな事柄であれきちんとした勉強をする気の無い人は参加するべきではありません。--ぱたごん 2012年1月20日 (金) 11:34 (UTC)
コメントまずはソックパペットやブロック破りの問題と、福島原発で癌や白血病が増えているかどうかということは切り分けないといけません、というのは、そのとおりですね。
そして、ここではソックパペット/ブロック破りのことが論点です。まず、ソックパペット/ブロック破りかどうかというところで、編集傾向から、冷静に判断することが期待されます。
そして、挙げられているアカウント群へのブロックは、ブロック逃れが理由です。「被曝等の放射線関連の記事に稲恭宏の出演したTVのリンクを貼る。」「稲恭宏と反対の学説を唱える学者小出裕章などの記事には、根拠のない中傷の記述を書く。」「福島第一原発事故による放射性物質の拡散などでは、データを改竄する。」とされているものは、荒らしではないように思います。リンクが記事の主題に対して関連性が低いものや、他の出典に比べて重要さや信頼性に欠けるのであれば、それを複数の記事に貼り付けることは避けるべきでしょうけれど、そのような了解をノートで合意というかたちで得るのが好ましいです。小出氏への記述が、中傷なのか、批判的な評価なのかについては、丁寧に判断してください。データを修正することが、修正なのか改竄なのかというのも、明らかに改竄でないことが、誰でも確認できる、信頼できる情報源によって示されなければ、「改竄」と断定するべきではないです。WP:V、WP:NOR、WP:NPOV、WP:BLPなどを案内し、それでもなお理解せず、編集を強行するのでなければ、これらの理由でブロックするのは適切ではないです。安易に荒らしと呼ぶことは、対応を難しくさせることもあります。
ブロック逃れへの対応については、Ohgiさんの説明がわかりやすいと思います。広域ブロックが必要と考えられる場合は、ブロック依頼へ。--Ks aka 98 2012年1月20日 (金) 12:40 (UTC)
- Ks aka 98様、御意見ありがとうございます。利用者:Easteast(ノート / 履歴 / ログ)などはスパマーが理由でブロックされています。他のユーザはパペットが理由ですが同様のスパム行為も行っております、そこでこれらの行為を荒らしと表現しました(この表現が不適切であると言われればその通りかもしれませんが)。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 13:17 (UTC)
皆様に広く意見を伺いたいのですが、ぱたごん氏のようにしつこく中傷を続けるユーザに対して私はどう対処すれば宜しいのでしょうか?--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 11:53 (UTC)
- ぱたごんさんは、普段はなにも非がない人を非難するような言動をされる方ではないですので、なにか理由があってこのようなことをおっしゃっているのではないかと思います。とりあえず会話ページで問い合わせてみました。--Ohgi 2012年1月20日 (金) 12:04 (UTC)
- 御手数かけます。私はこの人と議論もましてや編集合戦もした事はないのですが、なぜ仇のように扱われるのか本当に不思議です。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 12:08 (UTC)
- 上でのぱたごんさんのコメントが中傷にあたるかどうかはともかく、礼儀正しく、相手にその発言が中傷にあたるものだということを伝え、いずれかまたは双方が納得いかないようなら広くコメント依頼を出すのがよいでしょう。この場で継続する話題ではないと思います。--Ks aka 98 2012年1月20日 (金) 12:40 (UTC)
- 仰る通りです。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 13:17 (UTC)
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- 井戸端で行う議論ではなく、稲博士のノートあるいは、利用者(群)へのコメント依頼あるいは、Wikipedia:チェックユーザー依頼で行うべきもののように思います。--Tiyoringo 2012年1月20日 (金) 12:22 (UTC)
- Tiyoringo様、御意見感謝致します。私の聞きたかった答えそのものです。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 13:17 (UTC)
- 井戸端で行う議論ではなく、稲博士のノートあるいは、利用者(群)へのコメント依頼あるいは、Wikipedia:チェックユーザー依頼で行うべきもののように思います。--Tiyoringo 2012年1月20日 (金) 12:22 (UTC)
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- JapaneseAさん、こんばんは。Ashtrayです。別場所でお名前が挙がっていて驚き、ここに辿り着いた次第です。
- まぁ、何かちょっとした「ボタンの掛け違い」かな、と思います。
- なにぶん原発問題という最もナイーヴな分野で、そこに「工作員」という単語が飛び出し、しかもユーザー名がずらずら並べ立てられていたので、何か誤解が生じたのでしょう。
- 私なんかは、例のあの件で、稲氏のノートの事はよく存じておりますので、色眼鏡を通さず上記のJapaneseAさんのコメントを読むことができるのですが。--Ashtray 2012年1月20日 (金) 12:56 (UTC)
- Ashtray様、ありがとうございます。私も余計な事は書かずに質問だけを書くべきでした。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 13:17 (UTC)
福島原発や被曝を論ずるに(それがどこであれ、どんな形であれ、誰であれ)理科の勉強が必要なことはJapaneseA氏や私のみに限らずすべての人に言えることです。JapaneseA氏のそもそもの主張であるソックパペット氏の『「放射線は安全。福島は問題ない。稲氏の主張は正しい」というイデオロギーを持ち、恣意的な編集を行っている事は明確です。』というJapaneseA氏の言い方が否定的文言であるのは明白でしょう。工作員などという言い方ですでに偏見が入っていることも明白でしょう。中立的立場なら「工作員」などと言う訳がないでしょう--ぱたごん 2012年1月20日 (金) 13:04 (UTC)
- 最初からそのように書いて下されば私も理路整然と反論できたのですが...。さて、私の書き方が誤解を招くような書き方だった事は認めます。私が言いたかったのは「問題とされる行動を工作員のように行っている」です。これが逆に稲氏を極端に貶したり、福島を過剰に危険だと言っても、放射線を過剰に危険だと言っても、行動が同じなら、やはり問題としました。決して私と意見が違うからでも、イデオロギーに基づいて編集したからでも、問題としたのではありません。これ以上の議論は私かあなたの会話ページで行いましょう。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 13:17 (UTC)
私の書き方が大変に悪かったようですが、私がこの場で聞きたかったのは「今後パペットが現れる事が予想されるので、どのように対処すべきか」です。それに対し、皆様より利用者(群)へのコメント依頼、チェックユーザー依頼、広域ブロック依頼など様々な御意見を頂きました。参考にして検討致します。これにて質問をクローズさせて頂きます。各位様には御礼申し上げます。ありがとうございました。--JapaneseA 2012年1月20日 (金) 13:17 (UTC)
[編集] 記事:ネットスラングの存続性について。
私は、ネットスラングの記事が独自研究や偏見が多く含まれていると思います。 なので、不特定多数の人間が閲覧するwikipediaで、こういう記事があるのはいかがなものかと思います。 このような記事があると、wikipediaの信頼性が大幅に下がるものと思われます。--讃岐人 2012年1月21日 (土) 00:57 (UTC)
- 削除依頼の提出をご検討ください。ご指摘の内容であれば削除の方針「ケース E: 百科事典的でない記事」の「独自の研究結果の発表」「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」に該当する可能性があります。コミュニティによる審議の結果、削除という結論となれば、管理者により記事が削除されます(逆に審議結果によっては削除されない場合もあります)。依頼の提出方法はWikipedia:削除依頼#依頼の基本手順をご覧ください。以上よろしくお願い致します。--Penn Station 2012年1月21日 (土) 01:43 (UTC)
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- では、削除依頼をしようと思います。アドバイスありがとうございました。--讃岐人 2012年1月21日 (土) 01:50 (UTC)
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- なお初めて依頼提出される場合は、他の事例を見て参考にしてみてください(Wikipedia:削除依頼#今週・先週から参照できます)。また、もし記事の一部分だけに問題がある場合は、記事全体の削除ではなく、その部分を編集で取り除き問題のない部分は残す方が適切ですので、状況によりご判断ください。--Penn Station 2012年1月21日 (土) 02:07 (UTC)
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コメント 既に削除依頼や編集除去への誘導があるので、個別の話としては削除依頼あるいは記事のノートでとしますが、単純にネットスラングと言っても性質の異なるものがいろいろあると思います。削除依頼提出の痕跡が見える「インターネットスラング」およびその単独記事群に当たる「Category:インターネットスラング」の各用語、「Category:2ちゃんねる用語」の各用語、「ジャーゴンファイル」およびその収録用語(ビットバケツなど)、「Leet」「クサチュー語」、など。それから、ネットとネット以外で何が違うのかという話もあるでしょう。一覧系記事で言えば「隠語」「業界用語」に記載されている用語、単独記事で言えば「ゴト」「マグロ (鉄道事故)」などの用語、記事内で言及されているケースで言えば「サクラ (おとり)」(「これが転じて」のくだり)など。ネットスラングという大きな単位ではなく、個別にどうあるべきかを見ていく必要があるように思います。--NISYAN 2012年1月21日 (土) 02:34 (UTC) リンク修正 --NISYAN 2012年1月21日 (土) 10:17 (UTC)
[編集] 削除済みの記事からの履歴継承について
版指定削除が実行できるようになり、他言語版からの翻訳の際の不備などがかなりリカバリー出来るようになり、嬉しく思っています。さて、今回はまた違ったケースでの履歴継承についての質問なのですが、過去に削除された記事が、そのままコピペで他の編集者により再投稿された場合、その履歴は継承できるのでしょうか。例えば、削除された記事の加筆に参加した主だったアカウント名を要約欄に記載して編集し、それ以前の版を版指定削除するということで、執筆者の情報を保全し、それを持って履歴継承の不備を補遺することができるのかどうか、ということなのですが。。。具体的にはWikipedia:削除依頼/福田麻貴20120118のようなケースです。--アイザール (管) 2012年1月21日 (土) 15:04 (UTC)
- 審議の結果存続となるのを前提とします。つまり、記事は残すべきだというコミュニティの合意が得られた、と。それなら、復帰するのが確実です。削除版の履歴の様子にもよりますが、やろうと思えばできるとしても、無理は生じますし、その無理はライセンス上は好ましくない結果につながるかもしれない。機能的に復帰ができるのならば、復帰を避ける理由はない、ですよね(削除時に権利侵害の懸念があるようなことは考えられますが、それなら、復帰の後に再審議して権利侵害のある版を版指定削除)。
- 審議のほうでの誤解も避けるために念のため書いておくと、今削除すべきかどうか考えているのは、履歴の問題ではなく、単独記事として存在させるかどうか、記述を別の記事と統合すべきであり、履歴を残す必要があるという意味で存続させるべきかどうか、のはずです。履歴の問題を解決できるということは、コミュニティは記事は残すべきと考えるが履歴上削除しなければならないという事態を生じさせないけれど、存続の理由にはならない。--Ks aka 98 2012年1月21日 (土) 15:41 (UTC)
- ありがとうございます。私も、例示した案件については、まず特筆性についての問題を解決すべきだと考えます。削除済み記事からの履歴継承については、一般論として考えておきたかったという側面が大きいです。しひとつの解決策として、過去に削除された記事を復帰するというのが正道である、というご意見、よく理解できました。ありがとうございます。--アイザール 2012年1月21日 (土) 15:50 (UTC)
- 一般化させると、まあ、削除された記事の復帰に際しては、履歴を継承する必要があるのか、記事を作り直すほうがよいのではないか、ということもでてくることが考えられます。一定の量や、特に存命人物では記述に情報源が付されているかというところで、復帰ではなく、再作成が期待されるとか。--Ks aka 98 2012年1月22日 (日) 22:02 (UTC)
- ありがとうございます。私も、例示した案件については、まず特筆性についての問題を解決すべきだと考えます。削除済み記事からの履歴継承については、一般論として考えておきたかったという側面が大きいです。しひとつの解決策として、過去に削除された記事を復帰するというのが正道である、というご意見、よく理解できました。ありがとうございます。--アイザール 2012年1月21日 (土) 15:50 (UTC)
[編集] 新たに人物記事を立ち上げたいのですが、その人名に複数の読み方がある場合、どの読み方を採用すればよいでしょうか?
Rienziと申します。
スイスの絵本作家、「Alois Carigiet」についての記事を立ち上げたいと考えております。日本では、絵本『ウルスリのすず』『フルリーナと山の鳥』『マウルスとマドライナ』などの作品が岩波書店から刊行されています。また、サンモリッツオリンピック (1948年)のポスターを描いたことでも知られています。1966年にハンス・クリスチャン・アンデルセン賞を受賞していますので、特筆性の点では問題ないと考えています。
しかし、この人物の名前は、わかっている限りで3通りの読み方があるようなのです。
一つ目は、70年代、日本に初めて紹介されたときに、絵本作品がフランス語版からの翻訳だった関係で採用された、フランス語読みの「アロワ・カリジェ」というもの、もう一つは、近年、岩波書店が絵本を再刊した際に採用したドイツ語読みの「アロイス・カリジェ」、そして、三つ目は、カリジェゆかりの地を訪問したある方が、現地での発音を確認したところ判明したものとしてブログで紹介している、ロマンシュ語読みの「アルイス・カリジェット」です。(そのブログへのリンクは、スパムフィルターがかかってしまうので貼れません)
カリジェの出身地はロマンシュ語圏であり、カリジェ本人もロマンシュ語話者であったそうです。そういう観点からは「アルイス・カリジェット」が適切だと思いますが、その読み方にする理由の検証が困難(根拠が弱い)です。何しろ、信頼できる情報源が個人ブログのみ、では・・・。
仮に「アルイス・カリジェット」が記事名として不適切であるばあいは、ドイツ語読みか、フランス語読みか、のどちらかになります。(いずれも、岩波書店が採用している読み方です)
日本で人口に膾炙している読み方は、フランス語読みの「アロワ・カリジェ」です。しかし、前述の通り、この読み方はカリジェの出身地や母語などを考慮していません。
記事名における、「読み方」をめぐって、時々論争が起きているのを目にします。新規に記事を立ち上げる前に、どの読み方がウィキペディアの記事としてふさわしいかを確認させていただきたく、ここで話題提起をさせていただきました。
皆様のご意見をお待ちしております。よろしくお願いいたします。--Rienzi 2012年1月22日 (日) 00:42 (UTC)
- 記事名の基準についてWikipedia:記事名の付け方に『認知度が高い』があります。(万能ではありませんが)認知度の高さを測る方法の一つにグーグル検索のヒット件数もあります(絶対の指針ではありません)。その中では『アルイス・カリジェット』のヒット件数が一桁代でした。ただ、候補にない『アロイス・カリジェット』は一定数ありました。後の候補『アロワ・カリジェ』『アロイス・カリジェ』については、ヒット数もそれなりにありました。一つの候補が極端に飛び抜けていないです。個人的には、近年日本で出版された執筆者名で一番使われているのを採用してはと思いますが。近年出版書籍でも名称ブレはありますでしょうか?--Taisyo 2012年1月22日 (日) 01:07 (UTC)
- ドイツ語、フランス語、どちらでもかまわないと思います。英語版の記事をざっくりと読みましたが、チューリッヒで活躍して、1945年に最初に出版した本がドイツ語ですから、ドイツ語を採用するのも問題ないですし、日本に紹介されたときには、フランス語版の本から日本語訳されているわけなので、フランス語名の記事でも問題ないかと。採用しなかったほうもリダイレクト処理して、該当記事に誘導すれば親切でしょう。--Tantal 2012年1月22日 (日) 01:09 (UTC)
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- スイスの絵本作家、「Alois Carigiet」の絵本は、現在、日本では、岩波書店からだけ翻訳出版されているのでしょうか?既に言及されているように、現在、岩波書店では『アロイス・カリジェ』表記を採用しているようです (岩波ブックサーチャー検索結果)。
- 他の出版社から、「アロワ・カリジェ」表記などで絵本が翻訳出版されているとややこしいですが、その事実は現時点では存在しない、という理解でよろしいでしょうか?
- 「2012年現在、日本で、岩波書店が翻訳出版している書籍に採用されている『アロイス・カリジェ』表記を記事の名称とする。
- 岩波書店がかつて採用していた「アロワ・カリジェ」表記は、記事『アロイス・カリジェ』にリダイレクトする。
- 記事『アロイス・カリジェ』の中で、作者名の表記が複数存在すること(かつては岩波書店が「アロワ・カリジェ」を採用していた)に言及する。三大方針を満たす出典があれば、「70年代、岩波書店が日本に初めて Alois Carigiet の作品を紹介したときに、フランス語版からの翻訳だった関係で、フランス語読みが採用された」ことに言及する。
- 「作者の出身地はスイス国内のロマンシュ語圏であり、作者本人もロマンシュ語話者であったので、厳密には『アルイス・カリジェット』が正しい」という件は、三大方針を満たす出典が見当たらないようですので、現時点では記事『アロイス・カリジェ』の中で言及しない。
- でよろしいかと思います。--Pooh456 2012年1月22日 (日) 01:57 (UTC)
- 「Alois Carigiet」はドイツ語版では[kariˈdʑɛt]という発音記号が書かれていて、ロマンシュ語圏出身ということで「カリジェット」を採用しているようです。ノートページに発音についての議論もあります。出典付の説得ができるかはともかく、おそらくこのロマンシュ読みが一番正しいのだろうと思います。個人的には「より正しい」表記にすべきだと思いますが、井戸端に質問されている時点で「無駄な争いを避けたい」という意図だと思うので、であるのならば他の方のおっしゃるようにドイツ読みを記事名とされればよいのではないでしょうか。 U.S.S.Momotaro 2012年1月22日 (日) 11:43 (UTC)
- 検証可能性のみを重視するならば、ドイツ語読みとフランス語読みのどちらを選択しても「中立的な観点」に抵触しうるというジレンマが生じます。多少の「解釈の合成」に目をつぶってもよいのであれば、なんらかのロマンス語の入門書等を典拠として原語発音を記事名として差し支えないと私は思います。類似の議論にノート:ナインチェ・プラウスがあります。これは長い議論の末「ミッフィー」と「うさこちゃん」との折衷案としてオランダ語のカタカナ音写を記事名とするという合意に至っています。--Damena 2012年1月22日 (日) 16:49 (UTC)
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- Wikipedia:中立的な観点 は「偏向した記事を書くな」という趣旨であり、記事の「内容」について主に関係することと考えます。
- 本議論については、Taisyo氏が指摘するように、ガイドライン Wikipedia:記事名の付け方 が存在し、「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」と示されているのですから、これに従うのが筋です。Wikipedia:中立的な観点 を持ち出して、Wikipedia:記事名の付け方 に反する結果を招くのは本末転倒です。--Pooh456 2012年1月23日 (月) 07:20 (UTC)
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インデント戻します。Rienziです。たくさんの方から建設的なご意見をいただけて、大変嬉しく思っております。皆様、ありがとうございます。さて、細かい記事内容はともかく、今回話題となっている「記事名」については、Pooh456さんのおっしゃるように、「日本語話者の大多数にとって、もっとも曖昧でなく、もっとも理解しやすいもの」であることが必要だとすれば、伝統的には「アロワ・カリジェ」というフランス語読みであったにせよ、少なくとも現時点においては、(グーグル検索結果数も含めて)ドイツ語読みの「アロイス・カリジェ」が多数派であるということから、「アロイス・カリジェ」で記事を立てるのが適切かと思います。
しかし、ここで一点確認させていただきたいのですが、記事名そのものが、Wikipedia:記事名の付け方 に沿ったものであっても、その発音の選択(何語で発音するか)によっては、Carigietがロマンシュ語圏出身のスイス人という立場を考慮すると、場合によっては著しく中立性を欠くものになる可能性があります。こうした場合、「独自研究は載せない」「中立的な観点」よりも「記事名の付け方」が優先される、という解釈で、問題ないのでしょうか。(Carigietがフランス語圏、ドイツ語圏どちらかの出身であれば、問題はまったく発生しないのですが・・・)
なぜ、「記事名の付け方」が、「中立性」などのガイドラインよりも優先するかどうかを確認させていただくかといいますと、「記事名の付け方」ガイドラインに沿ったものであったとしても、(故人ではありますが)結果的にCarigietの出自に沿わない記事名になることは、百科事典の記事名として適切かどうか、今ひとつ自信が持てないのです。さらにもう一点申し上げれば、「アロイス・カリジェ」表記が最適だとは思うのですが、この読み方自体が、岩波書店の「独自解釈」である可能性があるのです。「アロイス」はドイツ語読み、「カリジェ」はフランス語読み、と、姓名の発音に整合性がまったくないのです。(厳密なドイツ語読みをカタカナ転写した場合、アロイス・カリジェットがより実際の発音に近いと思います)この点、記事立ち上げ後に、岩波書店方式の読み方が問題にされる可能性はあるでしょうか?
こういう場は不慣れなもので、うまくコメントできずすみません。もう一度まとめ直しますと、「アロイス・カリジェ表記にした場合、発音言語の選択については中立性が損なわれるが、記事名の付け方についてのガイドラインには違反していないため問題ないと見てよいか」「アロイス・カリジェ表記はドイツ語とフランス語が混在しており整合性がないが、岩波書店やアマゾンなどのお墨付きがあたえられている以上、このまま採用しても問題ないか」この二点について、改めて皆様のご意見・コメントなどをいただければと思っております。(わたくし、過去に、ある教育思想に関して、記事名、記事内容双方において壮絶な論争を経験しており、同じ轍を踏みたくない、との思いから、記事名の段階から慎重にやらせていただきたいと思っております)--Rienzi 2012年1月23日 (月) 13:26 (UTC)
- Rienziさんのまとめについて、いくつかコメントを述べさせて頂きます。
- (1) 記事名そのものが、Wikipedia:記事名の付け方 に沿ったものであっても、その発音の選択(何語で発音するか)によっては、Carigietがロマンシュ語圏出身のスイス人という立場を考慮すると、場合によっては著しく中立性を欠くものになる可能性があります。こうした場合、「独自研究は載せない」「中立的な観点」よりも「記事名の付け方」が優先される、という解釈で、問題ないのでしょうか。
- 私見ですが、Wikipediaの三大原則である Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性 は、法律の世界の「一般法」であり、「記事名の付け方」は、同じく法律の世界の「特別法」であると考えます。一般法・特別法 をご覧頂ければ分りますが、特別法と一般法との関係は、特別法が優先することとなっています。「記事名の判断」については、Wikipedia:記事名の付け方 という「特別法」に専ら従えば良い、と考えてはどうでしょう。
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- (2)「アロイス・カリジェ」表記が最適だとは思うのですが、この読み方自体が、岩波書店の「独自解釈」である可能性があるのです。「アロイス」はドイツ語読み、「カリジェ」はフランス語読み、と、姓名の発音に整合性がまったくないのです。(厳密なドイツ語読みをカタカナ転写した場合、アロイス・カリジェットがより実際の発音に近いと思います)この点、記事立ち上げ後に、岩波書店方式の読み方が問題にされる可能性はあるでしょうか?
- これは、Wikipediaにおいては「問題にするべきではない」と考えます。
- 何故かというと、
- A) 「アロイス・カリジェ」表記が、現時点で、Wikipedia:記事名の付け方 に最も沿っているのは明白である(この前提が崩れると、また変ってきますが)。
- B) 「アロイス・カリジェ」表記は、岩波書店という Wikipedia:独自研究は載せない が示す「評判の良い報道メディア」で採用されている。Wikipedia:独自研究は載せないで「ピューリッツァー賞クラスのジャーナリズムやノーベル賞ものの研究でさえも、それがウィキペディアで最初に発表されることになるのであれば、掲載を拒否せざるを得ないのです。もしあなたがウィキペディアという知の集大成に加えるべきだと考える情報をお持ちでしたら、まずそれを査読制度のある雑誌か評判の良い報道メディアで発表し、その後中立的な観点の流儀にのっとり、あなたの業績を証拠として示すのが最良の道です」と示されているように、Wikipediaでは「内容が正しいこと」以上に「出典が確かであること」が重視されています。「岩波書店のお墨付きが与えられている」以上、「岩波書店のお墨付きが間違っている可能性」を考慮する必要はなく、また「考慮するべきではない」と考えます。
- C) Wikipedia:独自研究は載せないに抵触しない日本語の文献で、Alois Carigietについて言及されており、「アロイス・カリジェ」以外で表記されている可能性はあるでしょう。その場合も、(A)によって、記事名は『アロイス・カリジェ』とし、記事の中で「『アルイス・カリジェット』表記(鈴木一郎『欧州の児童文学』 第一書房、2012年、100-110頁)、『アロワ・カリジェ』表記(田中次郎『スイス文学夜話』 第二書店、1965年、10頁)も確認できる」などと記すのが妥当でしょう。正しい姓の発音が「ローズヴェルト」であったことが比較的良く知られているFranklin D. Roosevelt(en)が、日本語版Wikipediaでは フランクリン・ルーズベルト で立項されていること、現代の日本で、本当は正しい筈の「ローズヴェルト」表記を見ることが稀であることが参考になるでしょう。--Pooh456 2012年1月23日 (月) 15:25 (UTC)
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- 「Wikipedia:中立的な観点」を持ち出して、「Wikipedia:記事名の付け方」 に反する結果を招くのなら、それは本末転倒ではなく、「Wikipedia:記事名の付け方」か、記事名を選ぶプロセスのどこかに齟齬があるか、記事名の付け方で特例的に中立的な観点をオーバーライドしようという事情を見逃しているか、ではないかと思います。また、「記事名の付け方」が、「中立性」などのガイドラインよりも優先するわけではないです。
- まず、検証可能性からは、「アロイス・カリジェ」または「アロワ・カリジェ」以外は難しい。「アルイス・カリジェット」は、外形的には、もっとも信頼性に乏しいものになってしまいます。
- 岩波書店(あるいは翻訳者)の解釈は、外形的に判断する限りでは一定の信頼を持つべき、ひとつの解釈であって、独自研究ではありません。姓名の発音に整合性がまったくないことが問題とされたとしても、ウィキペディアの方針では、間違いであったとしても、そうするしかない。問題とするなら、それは岩波の問題であって、ウィキペディアの問題ではないわけです。これに対して、ウィキペディアの編集者に過ぎないRienzi さんの「アルイス・カリジェット」が好ましいというののほうが、独自研究になります。:::「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」(独自研究は載せない)と考えるなら、ロマンシュ語読みを用いることはありえますが、少なくとも1)カリジェの出身地はロマンシュ語圏であり、2)カリジェ本人もロマンシュ語話者であることの情報源と、3)ロマンシュ語読みとして他のカナ転写が考えにくいということを示す必要はあると思います。
- ウィキペディアの中立的な観点は、(誰かにとっての)政治的中立さや文化的中立さを指すのではなく、世の中にあるがままに書くことを求めるものです。カナ転写の状況は、「アロイス・カリジェ」>「アロワ・カリジェ」>「アルイス・カリジェット」なので、ウィキペディアの中立的な観点からは、アロイス・カリジェになります。
- 記事名を選ぶ上では、一般に通用している表現を採用するというのは、ひとつの方便です。記事名が常に正確でなければならないわけでもない。ピカソのフルネームを項目に使っていない百科事典はお話にならないというものでもない。多くの人が、アロイス・カリジェで検索するなら、それで記事にたどり着くのも、落としどころです。
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- と、書いたところで、ブログというのをちょっと読んでみた。記事名で表記のことを説明するならば、
- という感じになりそうです(実際にはインラインでこのリンク方法は避けるべきですが)。個人ブログとはいえ、リンク先にあるような経歴であれば、記事中で取り上げてもいいと思いますがいかがでしょう。このように、一般的な表記を記事名としつつ、本文で、Rienzi さんが懸念されるような、言語や文化の面から好ましくない表記だけが紹介されるということを避け、現地の発音を重視する人(旅行者のような)や、「ロマンシュ語圏出身のスイス人という立場を考慮すると、場合によっては著しく中立性を欠く」と考える人にも、適切な情報を提供することがでるのではないでしょうか。--Ks aka 98 2012年1月23日 (月) 16:19 (UTC)
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インデント戻します。Rienziです。Pooh456さん、Ks aka 98さん、コメントいただきありがとうございます。児童文学関連の文献や人名事典などもあたってみたいとは思いますが、Ks aka 98さんが示してくださったような、記事名はもっとも知られており、岩波のお墨付きのある「アロイス・カリジェ」とし、「アロワ・カリジェ表記→岩波の古い版を根拠」「アルイス・カリジェット→鈴木光子氏の報告を根拠」とする形で、近日中に記事を立ち上げたいと思います。ここまで、コメントをくださった全ての方に、深く感謝申し上げます。なお、今回こちらで話題提起をさせていただいて、皆様からのコメントを拝見しながら思ったことは、「スイス人の人名」もしくは「複数公用語がある国の人名」については、明確なガイドラインが必要ではないかということです。記事名のつけ方に関しては、ハンガリー語圏、アラビア語圏の出身者については細かく規定されています。スイス人の場合、言語・文化圏が複雑にからむデリケートな問題であることから、やはり、明確なガイドライン作成が必要と考えます。これについては、井戸端で別途話題提起をさせていただくのがよいでしょうか?それとも、「記事名の付け方」のノートページ(あるいは、私のユーザーページから派生した作業用ページ)の方が話題提起の場所としては適切でしょうか?--Rienzi 2012年1月24日 (火) 03:18 (UTC)
- Rienziさんへ。とりあえず、記事『アロイス・カリジェ』の新規作成と充実にエネルギーを注がれては如何でしょう?
- 新しいガイドラインの作成は大変ですよ。私は、最近、Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。 に関わって、「新しいガイドラインを作成できないか」という話になったのですが、具体的な議論 Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない#『映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非』ルール作りの合意形成にご協力下さい に移行してからは停滞しております。--Pooh456 2012年1月25日 (水) 04:05 (UTC)
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- Pooh456さん、コメントいただきありがとうございます。そうですね。まずは「アロイス・カリジェ」の記事立ち上げに集中したいと思います。ガイドライン作成は、やっぱり大変ですか・・・。まずは、百科事典の記事としてふさわしい内容を盛り込めるよう、検証可能性が保証された情報をうまくまとめたいと思います。--Rienzi 2012年1月25日 (水) 08:27 (UTC)
[編集] 「現状維持に理由は要らない」は正しいのか?
(可読性向上のため、先に投稿された#「承認された利用者」についての再議論節より上に投稿させて頂きます。ご了承下さい)
各所にお知らせしているのでご存じの方も多いかと思いますが、Wikipedia‐ノート:ネタバレにおいて、乱用・誤用が目立つネタバレ系テンプレートを一旦全て剥がし、テンプレートが必要な記事があれば貼り直してもらうことで対処しようという提案をしています。該当する記事数は約1万5千、全記事のおよそ2%です。このことは決定事項なのですが、後から異論が出たため議論に移行しているので、現時点では事実上作業は停止しております。
① 「『現状を変えるべき』という意見の否定には、理由は要らない」として、現状を変えることに反対するという意見がありました。「現状を変えるべき」という意見は、過去何度も「廃止提案」という形で出ており、ある程度の理解が得られた物も存在しており、無下に否定することはできないと思います。一般論として「現状維持に理由は要らない」という意見は正しいのでしょうか。私は「現状維持に問題ありという指摘がある中で現状維持したいのであれば、現状維持で良いという根拠を示すべき」だと思うのですが。(「出典を出すのは書きたい人」というルールと混同?)
② また、「『乱用・誤用が目立つ』という根拠が無い」という指摘もあったのですが、この根拠は過去の議論を見れば分かることだと思います。過去の議論を全て追えとは言いませんが、それにしたって議論に参加する上で押えておくべきポイントというのは存在するはず。そういったものを全然確認しない状況での「反対」は、真っ当な反対意見として扱うべきなのかという点も疑問に思います。自分が理解できないということをもって反対とするのは誤りなのではないか、と。
③ なお私は、「お互いが揚げ足取りに終始するのは無意味だから、色々な意見があることを認めた上で、その中で最善策を提案すべき」と考えて、既知の案の中では最善であろう「一旦全剥がし」を提案しました(議論の経た今でも「既知の案の中では最善」だと思われます)。これは何度も明確に述べているのですが、なかなかご理解いただけないようで困っております。自分ではよく分からないので質問したいと思いますが、このような考え方による提案は間違っているでしょうか? 私は、「変えるべき」という意見も「そのままで良い」という意見もどちらも存在し一定の理解を得られていることは事実であり、そうであればきちんと両方の意見を聞いた上で折衷案を模索するべきだと考えているのですが。
井戸端に持ち込むべき話なのか迷いましたが、議論とは無関係に一般論としてどうなのかを聞いてみたかったのでこちらへ伺いました。ノートでのあの水掛け論には参加したくないが、井戸端で一般論なら答えても良いぞという方もいらっしゃるかもしれないとも思います。宜しくお願いします。--Starchild1884 2012年1月22日 (日) 21:32 (UTC)
コメント 「『現状を変えるべき』という意見の否定には、理由は要らない」という発言はありませんので、こちら元の発言を載せておきます。
- 「現状を変えないこと」に理由は要りません。
- 「『現状を変えるべき」という提案に必要なのは「変えるべき理由」ですが、反対に必要なのは「変えるべき理由の否定」であって「変えないべき理由」ではありません。「変えないべき理由」を用いて「変えるべき理由の否定」を行うことはありますが両者はイコールではなく、「変えないべき理由」以外で「変えるべき理由の否定」が行われることも多々あります。
- 1つ目の発言については誤解が生じても仕方ない部分はありますが、2つ目の発言があれば「『現状を変えるべき』という意見の否定には、理由は要らない」などということを意味していないことは容易にご理解頂けると思います。
- なお現状は「問題があるからA案で解決しなければならない」という提案に対して「本当に問題があるのか? あるのであればその問題とはどのようなものなのか?」ということを確認している段階です。この段階で「問題が何であるか」を理解するための説明を求めても応じて頂けなければ「現状を変えるべき理由」が共有できず、「A案に反対するなら何か対案を出せ」や「問題を解決しなくていい理由を示せ」といわれましてもそもそもできるわけがありません。--マクガイア 2012年1月23日 (月) 11:11 (UTC)
- 議論をひと通り見てきましたが、主に議論に加わっている3名について、あまりにも議論(物事の進め方といったほうが良いかも)に対するスタンスが違いすぎて、決まるものも決まらない様に見えます。(誰が良いとか悪いとかという話ではありません)114.145.136.235 2012年1月24日 (火) 23:32 (UTC)
[編集] 「承認された利用者」についての再議論
「承認された利用者」、"lowprotect"、"highprotect" について、議論以来放置されているので、ここで再議論を行います。議論は#本議論で行ってください。--蝦夷(EZO) from 涿県 2012年1月22日 (日) 06:07 (UTC)
- Wikipedia:井戸端/subj/半保護に可変設定機能を追加することについて
- Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/半保護に可変設定機能を追加することについて
- Wikipedia:井戸端/subj/半保護に可変設定機能を追加することについて/案まとめ1
[編集] 本議論
m
[編集] 藤崎八旛宮秋季例大祭の英訳はBoshita Festivalでいいか
藤崎八旛宮秋季例大祭の英訳をBoshita Festivalとしましたが、これでいいでしょうか。わだかまりがある人もおられると思いますが。英語版で討論すべきかもしれませんが、日本の事なので。--Ichiro Kikuchi 2012年1月26日 (木) 13:34 (UTC)
- 定訳はないのですね? 私ならFujisaki-hachimangu grand festivalかFujisaki-hachimangu autumn festivalとします。藤崎八旛宮秋季例大祭の記事の記述を読む限りでは「ボシタ祭り」はそもそも正式な名称ではないようですが。
- なお、井戸端よりはWikipedia:執筆・翻訳者の広場の方が適切かと思います。--アルビレオ 2012年1月26日 (木) 14:14 (UTC)
- 有難うございました。検討いたします。--Ichiro Kikuchi 2012年1月26日 (木) 20:08 (UTC)
- 英語版で記事の項目名を決める時の基準は「(信頼できる情報源で用いられている)最も一般的な英語の名前」でして[17]、「正式名称」であるかどうかは関係ないことになっています[18]。もう一つの基準「読者にとって曖昧でなく、理解しやすい名前」という意味で(藤崎八幡宮って、あちこちにありそうですから)、私なら、Fujisaki-hachimangu grand festivalやFujisaki-hachimangu autumn festivalより、Boshita Festivalの方を選ぶと思います。--Dwy 2012年1月28日 (土) 00:35 (UTC)
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- (順序前後しますがつながりからここに書きます)前回の私の訳は、藤崎八幡宮の英語版記事en:Fujisaki-hachimanguがすでに存在していたこともあります。確かにこの英語版記事が無ければいきなりFujisaki-hachimanguを出すのは良くないかもしれませんが、すでに存在する記事名を使わないのは却って読者にわかりにくくなると思います。なお、やはり日本語の記事の記述でも「ボシタ祭り」が一般的とは読めませんでした。--アルビレオ 2012年1月28日 (土) 11:21 (UTC)
- アルビレオさん、こんばんは。熊本の人はボシタ祭りといいますが、正式な文献にはオフレコのような感じです。なお、Boshita Festivalとした文献もありましたが、(これが初出というわけではない)、記録しませんでした。--Ichiro Kikuchi 2012年1月28日 (土) 11:50 (UTC)
- (順序前後しますがつながりからここに書きます)前回の私の訳は、藤崎八幡宮の英語版記事en:Fujisaki-hachimanguがすでに存在していたこともあります。確かにこの英語版記事が無ければいきなりFujisaki-hachimanguを出すのは良くないかもしれませんが、すでに存在する記事名を使わないのは却って読者にわかりにくくなると思います。なお、やはり日本語の記事の記述でも「ボシタ祭り」が一般的とは読めませんでした。--アルビレオ 2012年1月28日 (土) 11:21 (UTC)
- 皆さんご議論ありがとうございます。似たような問題ですが不知火 (妖怪)を英訳しましたが、原因が判っているので、Shiranui (Optical phenomenon)としましたら当然繋がりません。いろいろ検討したら不知火には繋がりました。妖怪の方がおかしいのですが、皆様いかがでしょうか。--Ichiro Kikuchi 2012年1月28日 (土) 01:28 (UTC)
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- 英語版で記事の項目名を決める時の基準は「(信頼できる情報源で用いられている)最も一般的な英語の名前」でして[17]、「正式名称」であるかどうかは関係ないことになっています[18]。もう一つの基準「読者にとって曖昧でなく、理解しやすい名前」という意味で(藤崎八幡宮って、あちこちにありそうですから)、私なら、Fujisaki-hachimangu grand festivalやFujisaki-hachimangu autumn festivalより、Boshita Festivalの方を選ぶと思います。--Dwy 2012年1月28日 (土) 00:35 (UTC)
- 熊本市のサイトでも「ボシタ祭り」なる用語は使用しておらず[19]。The Great Festival of Fujisaki Hachimangu Shrine を使用しています。--hyolee2/H.L.LEE 2012年1月28日 (土) 11:57 (UTC)
- 有難うございました。検討いたします。--Ichiro Kikuchi 2012年1月26日 (木) 20:08 (UTC)
- 熊本市のサイト云々は別に気にするところではないと思いますが、結局は英語圏での知名度……たとえば、英語圏での日本文化の本や旅行ガイドあたりが最優先でしょう。Boshitaは(それがどちらの立場にとってどう、とは一概に言えませんが)、特にはっきりした根拠がなければ、避けるべき不適切な呼称だと思います。あと、『熊本の人はボシタ祭りといいます』とのことですが、どちらかといえば、現在ではそれほど一般的という訳でもない……知らない人は多分いないけれど、でも通常使うことはあまりない「稀に耳にする程度の俗称」に過ぎないような気がします。--氷鷺 2012年1月28日 (土) 12:34 (UTC)
- Ichiro Kikuchiさんがごらんになったものと重なるかもしれませんが、ガヴァン・マコーマックが書いたものの中に、known as “Boshita-sai,” [20]とあるのを見つけたので、一応お知らせしておきます。その名称の由来についても(probablyとは書かれていますが)Ichiro Kikuchiさんが記事に書かれたものと同じ解釈をしているようです。--Ak from the villa 2012年1月28日 (土) 13:05 (UTC)
- (追記)ウェブ全体を検索するとBoshita-saiやBoshita-matsuriよりもBoshita Festivalのほうが多く見られるようですが、日本人以外が書いた文献ではもしかすると -matsuriなどのほうが多いかもしれません[21]。マコーマックの論文や他の文献などで、「ボシタ祭り」の呼称が持ち出されている前後の文脈や全体のトーンを見ると、やはり「滅ぼした」に由来する(かもしれない)呼称を国際的な呼称とするには抵抗があるために、Festivalとせずに-saiや-matsuriのまま日本人が使用した(している)名称として持ち出しているのかもしれないなと思います。(もちろん、祭の呼称を-saiや-matsuriとすることは他にもよくあることではあるのですが。)これなどを見ると、「紙の文献であれば」注釈なしの使用は避けたほうが無難な呼称かもしれませんね。ウィキペディアではどうするのがよいかは、よくわかりませんが。--Ak from the villa 2012年1月28日 (土) 14:20 (UTC)
- 文献有難うございました。ガヴァン・マコーマックさんの文献は知りませんでした。主に南京事件を論じておられて、偏見とまではいきませんが、一方的な印象があります。熊本の人は以前も、現在も、滅ぼしたでないと主張していいと思いますし、お囃子は中止したので、Boshita Festival が判りやすいと思います。外国人はそのような印象はないと思いますが、あちらで討論が必要でしょうか。--Ichiro Kikuchi 2012年1月28日 (土) 14:31 (UTC)
- 作成から2か月を経て、特に記事名が問題視されている様子もないので、今このタイミングで討論する必要はなさそうに思います。いざ討論を始めようとしても人が集まらないときは集まらないですし。備えだけしておけばいいんじゃないかと個人的には思います。マコーマックの論文はタイトルのインパクトも強いので、ソースとしては使いにくいですね。Boshita Festivalでいいか、という議題については先に書いたようによくわかりませんが、もしも自分が作成する立場だったら、せっかく作った記事が万一いたずらに荒れてしまったら悲しいし面倒でもあるので、Fujisaki-hachimangu... のほうをタイトルにして、ボシタのほうはalso known asとかで逃げちゃってたと思います。いずれにしても英語版のほうで人が集まってあれこれ意見を聞ける状態になってから対処するのでもよいのではないでしょうか。--Ak from the villa 2012年1月28日 (土) 15:08 (UTC)
- (追記)たびたびすみません。議題から若干それてしまいますが、今、英語版のほうの記事を読んでみてひとつだけ気になったことがありました。"we should understand that we destroyed Korea" のような時の we は、they, Japanese などにしないと違和感があります。誰を指示しているのか曖昧なので。それだけです。失礼しました。--Ak from the villa 2012年1月28日 (土) 15:32 (UTC)
- Ak from the villaさん、ご指摘有難うございました。訂正いたします。記事名が気になったのは、書いた時でなくて、1月14日以降で、邦文版も英文版もその時から大幅に訂正していますし、また、上の警告を気にしていたわけです。--Ichiro Kikuchi 2012年1月28日 (土) 22:43 (UTC)
- 文献有難うございました。ガヴァン・マコーマックさんの文献は知りませんでした。主に南京事件を論じておられて、偏見とまではいきませんが、一方的な印象があります。熊本の人は以前も、現在も、滅ぼしたでないと主張していいと思いますし、お囃子は中止したので、Boshita Festival が判りやすいと思います。外国人はそのような印象はないと思いますが、あちらで討論が必要でしょうか。--Ichiro Kikuchi 2012年1月28日 (土) 14:31 (UTC)
コメント ノート:藤崎八旛宮秋季例大祭#英訳はBoshita Festivalでいいかを作成して、ここの議論を紹介しました。一般論としての記事の英訳はどうするべきかについてはここで議論を続けてよいでしょうが、特定の記事についての議論は個別のノートページでしましょう。--アルビレオ 2012年1月28日 (土) 23:09 (UTC)