Wikipedia:言葉を濁さない

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言葉を濁すとは、ここでは意見を匿名の情報源(ソース)に基づくものとすることによって、文章に偏見を持ち込んでしまうことを指しています。言葉を濁すことにより、意見の出所が信頼できるものかどうかを読者の判断に委ねることなく、文章を権威づけることができます。もしもある文章が言葉を濁さずには成り立たないのであれば、その文章は中立的な観点に欠けているおそれがあります。このような場合には、意見の出所を見つけるか、またはその意見を削除するべきです。

記述内容の裏付けを欠いた曖昧な表現は、実際には中立的な観点をもたらしません。それは単に噂をひろめるだけか、個人的な見解をほのめかすだけです。ある意見を匿名の情報源によるものとするよりも、その意見を述べている主体の名前や姿をはっきりさせることが望ましいやり方です。また、以上のような中立的な観点とは別に、言葉を濁すことによって、記述内容が希薄なものとなったり、記述内容が複雑で難解なものとなって読者に混乱を招いたりするおそれもありますので注意が必要です。

曖昧な言い方の典型例[編集]

中立的な観点から記述内容の裏付けが曖昧である場合に問題となる表現には次のようなものがあります。これらについては検証可能性に基づき信頼できる情報源によって出典を明らかにし、後述の曖昧な言い方の改善例で示されているように意見の持ち主の明示や意見の具体的な事実への置き換えによって改善が図られることが望まれます。

  • 「……と言っている」「……と言われている」「……であると言われている」「……と言う人もいる」「……との言い方もされている」
  • 「……は……であると広く考えられている」「……は……であると広く見なされている」
  • 「……と信じられている」「……であると信じている人もいる」
  • 「……という声・話もある」
  • 「……という可能性もある」
  • 「……という指摘・批判もある」
  • 「……と見る向きもある」
  • 「……で知られている」
  • 「……と思われる」
  • 「……ようである」
  • 「なぜか……である」
  • 「言わずと知れた……である」
  • 「(主流の・多くの)専門家・評論家・学者・科学者・研究者・歴史家は……と論じている」
  • 「伝えられるところでは……」
  • 「……という印象を持たれてしまった」

曖昧な言い方の改善例[編集]

意見の持ち主を明示する[編集]

以下の一文は、とある曖昧な書き方です。

偽作ではないかとされるモーツァルトの「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲」には、真作であると強く主張する声もある。

次の一文は、曖昧さという点では同じです。

モーツァルトの「オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲」の偽作説に懐疑的な人々は、この曲がモーツァルトの真作であるとの説を支持している。

こういうことを言う人は誰もが、「その定義から」もともと懐疑的なのです。これは、循環論法です。著者は、その意見の情報源を探し以下のように加えるべきです。

たとえば、著名な音楽学者であるフリードリヒ・ブルーメは、「作品のどの部分にも明瞭にモーツァルトの手が認められる」とし、偽作説を「早まった疑問だ」と牽制している。

上記のように情報源を加えることにより、読者が自分自身で情報源の信頼性を検討できるようになります。

意見を具体的な事実に置き換える[編集]

また、大言壮語を含む文章は、しばしば曖昧な言い方を使って書き換えられます。例えば、

ニューヨーク・ヤンキースは、大リーグを代表する強豪チームである。

という文章は、

ニューヨーク・ヤンキースは、大リーグを代表する強豪チームとされている。

という文章で置き換えられがちです。確かに、ヤンキースのファンやヤンキースに対して高い評価を下す野球専門家が多いのは事実でしょう。しかし、そういった人々の証言を集めずとも、大言壮語を取り除き、次のように記述すれば充分なのです。

ニューヨーク・ヤンキースは、ワールドシリーズを27回制覇している。これはヤンキースに次ぐセントルイス・カージナルスの11回を大きく引き離すものである。

具体的で事実に基づく情報を記述することによって、個人的な意見を述べずに済むことになります。ただし、明確な意見の表明を含まない記事であっても依然として偏ったものでありうること、例えばどの情報を示すのかという選択自体において偏っているかもしれないことにも注意してください。

関連項目[編集]

テンプレート[編集]