小林節
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小林 節(こばやし せつ、1949年3月27日 - )は、日本の憲法学者・慶應義塾大学教授、弁護士。東京都新宿区出身。
日本公法学会、日米法学会、国際憲法学会、比較憲法学会、全国憲法研究会、国際人権法学会等の学会に所属。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 学歴
- 1967年 都立新宿高校卒業
- 1972年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業(次席で学事表彰)
- 1974年 慶應義塾大学法学研究科修士課程修了
- 1977年 慶應義塾大学法学研究科博士課程単位取得
- 1989年 法学博士(慶應義塾大学)(学位論文「政治問題の法理」)
- 2002年 名誉博士(オトゥゴンテンゲル大学)
[編集] 留学
- 1977~79年 ハーバード・ロー・スクール客員研究員、及びミシガン大学ロー・スクール研究員
- 1996~97年 ハーバード大学ケネディスクール研究員
- 1997年 ブリティッシュコロンビア大学ファカルティ・オブ・ロー客員研究員
[編集] 職歴
他に、非常勤として、山梨大学(1982~83年、1987~90年)、日本大学(1983~91年)、駒沢大学(1984~85年)、国税庁・税務大学校(1986~88年)、国鉄・中央鉄道学園(1986~87年)、郵政省・電気通信研修所(1987~90年)、東京文化短期大学(1988~89年)、防衛大学校(1993~96年)、北京大学(1995年)、消防庁・消防大学校(1996年)、人事院・公務員研修所(1999年~)等各講師及びバーナビー・カレッジ学長特別顧問(1992年~)、財団法人日本船舶振興会(日本財団)理事(1994年)、財団法人アジア刑政財団評議員(1996年~)、読売新聞社ブレーン(1996年~)、弁護士(1998年~)、大阪日日新聞(2002年~)・日本海新聞客員論説委員等を兼務。
また、元郁文館学園中学校・高等学校・郁文館国際高等学校校長。
[編集] 人物
2008年11月、民間懸賞において「日本は侵略国家ではなかった」と論じた田母神俊雄前航空幕僚長の論文に関して、東京新聞の取材(2008年11月1日 朝刊)に「田母神論文は、民族派の主張と同じであまりに稚拙だ。国家と軍事力に関する部分は、現職の空自トップが言っていい範囲を明らかに逸脱した政治的発言で、シビリアンコントロール(文民統制)の根幹を揺るがす。諸国に仕掛けられた戦争だったとしても、出て行って勝とうとしたのも事実で、負けた今となって「はめられた」と言っても仕方がない。現在の基準や戦争相手国の視点で見れば、日本がアジア諸国を侵略したのは間違いのない事実だ。世界史に関する“新説”を述べるのは自由だが、発表の場にも細心の注意を払い、学問的に語るべきだ。」とコメントしている。
改憲論者として、サンデープロジェクト、朝まで生テレビなど多数のテレビ番組に出演している。但し、イラク派兵の際の成り行きを見て「こんなインチキな手段で改正されてはいけない」との思いを強くしたのと、娘が成長するのを見て平和であることの意味を深く考えるようになったのをきっかけに、現段階での改憲には反対の立場を示すようになった[要出典]。イラク戦争は明確な侵略戦争だと認定し、今後、同様の事態に日本が巻き込まれるのを避ける為ならば、集団的自衛権行使を奨励していた自説の撤回も止むを得ないとの立場を取っている。
「(新憲法の文面に)海外派兵をしないとかですね。(中略)そうすればアメリカが何と言おうが、御免なさい、うちは軍隊派遣出来ません、と言う事が出来る。(中略)集団的自衛権の行使についてはしないと、書いちゃえばいいんですよ。(中略)イラク戦争で揺れちゃったんですよ。(中略)どう考えてもイラクは侵略戦争なんですからね。あんな物に付き合わなくていいと言う選択肢も僕は有っていいと思うんです。だけど政治的に付き合わない事が出来ない能力ならば、軍事的に付き合おうにも付き合えない形にしてしまえばいいと言うのが、今の私の立場です」[1]。
また、改憲論を主張する政治家の集会に参加した際に「愛国心を憲法に盛り込む事はいかがなものか」とする主旨の発言をしたところ、以後全く集会には呼ばれなくなったという。そのため護憲派とともに改憲派の政治家もまた閉鎖的で議論をしないことに失望したという[2]。
改憲の方向としては、封建的復古主義ではなく、アメリカ型リバタリアニズムを志向している。そのためか、憲法改正手続きを定めた国民投票法の制定こそ賛成であるが、一部で復古主義色の強い新保守主義者との指摘があった当時の安倍晋三内閣が憲法改正に手を付けることは反対を表明している[3]。
在日を含む外国人の参政権に関しては、認めない立場をとっている。
高校時代はいじめに遭い、不登校だったという。しかし代返をさせていたため、記録としてはほぼ皆勤に近いものになっている[要出典]。
郁文館学園中学校・高等学校・郁文館国際高等学校校長時代、問題を起こした生徒への処分が重過ぎると保護者に訴えられそうになったことがある[要出典]。この問題と同時期に急病という理由で校長を辞任。また、教員達との間に溝が少なからずあったようである[要出典]。
左手が義手のため手袋を常用。また、喘息の持病があり、大学では水を飲みながら授業を行う。
司法試験合格者ではないが、法学博士課程設置された大学院有する大学の法学部法律学科の教授を5年以上務めた事で、弁護士法第5条により1998年に弁護士登録[4]。
慶應義塾大学の学生間での通称は「コバセツ」。大学における自身の講義では、私語や携帯メール、居眠りは禁止、時には学生を教室から追い出すなど非常に厳しい[5]。そのため、小林の授業は学生の態度が良いことで有名である。また、遅刻した学生は入室を許されない。授業内容は学生の興味をそそるものであり、とりわけ法律用語に関しては英単語が多用される。小林とティーチングアシスタントのやり取りで、学生達のうけをとることもしばしばある[要出典]。
以前、自身に関するウィキペディアの書き込みに激怒し、慶應大学の自身の講義の際に、ウィキペディアに書き込みをした人物に対する批判をした。その後、小林の反感を買うような書き込みは激減した|2009年3月。
政界に精通しており、特に自民党関係者と親密である[要出典]。自身の講義に現職の国会議員(平沢勝栄[6]、福島瑞穂[7]中山太郎、饗庭直道など)をゲストとして招くこともある。
一方で、宗教団体の政治参加を容認しており、創価学会や公明党の機関誌への寄稿も非常に多い。また、幸福実現党のマニフェストに好意的である。なぜなら、幸福実現党の饗庭直道が小林ゼミの門下生であり、小林の主張を踏襲しているからである。
憲法観は正反対であるが、親しい仲である伊藤真を高く評価しており、最近は毎年自身の授業にゲストとして招いている。
[編集] 著書・関連図書
- 『国家権力の反乱 - 新貸金業法は闇金を利するだけではないか』(日新報道、2008/3、ISBN 978-4817406590)
- 『憲法』(南窓社、小林の授業のレジュメ、基本書ではない、2004/7、ISBN 978-4816502606)
- 『対論!戦争、軍隊、この国の行方 九条改憲・国民投票を考える』(小林節・伊藤真・渡辺治・畑山敏夫・今井一共著、青木書店、2004/4、ISBN 978-4250204098)
- 『憲法、危篤!』(小林節・平沢勝栄共著、ベストセラーズ、2002/10、ISBN 978-4584187050)
- 『そろそろ憲法を変えてみようか』(小林節・渡部昇一共著、致知出版社、2001/1、ISBN 978-4884745950)
- 『憲法と政治』(潮出版社、1999/4、ISBN 978-4267015311)
- 『宗教は政治参加の権利を持つ - 憲法二十条の正しい読み方』(潮出版社、1996/3、ISBN 978-4267014017)
- 『特別講義 憲法』(法学書院、受験新報の連載を纏めたもの、1992/3、ISBN 978-4587522100)
- 『憲法守って国滅ぶ』(ベストセラーズ、1992/2、ISBN 978-4584007891)
- 『政治問題の法理』(日本評論社、1988/12、ISBN 978-4535577640)
- 『大学教授になった不登校児 -「傷心キッズ」に贈る応援歌』(久保治雄著、第三文明社、小林の高校・大学・大学院時代に詳しい伝記、1998/10、ISBN 978-4476032222)
[編集] 脚注
- ^ 『朝まで生テレビ』2005年11月放送分
- ^ NHK『クローズアップ現代』2007年5月8日放送分
- ^ 『週刊朝日』2007年6月8日号
- ^ 同様のシステムで1982年三ヶ月章、1983年加藤一郎、2004年菊田幸一
- ^ 「私語は授業妨害」学部長が掲示 モンスター大学生が増えた!
- ^ 平沢勝栄・小林節 『憲法、危篤!』(KKベストセラーズ、2002年10月)
- ^ 福島みずほのどきどき日記(2005年11月9日)

