小林節

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小林 節(こばやし せつ、1949年3月27日 - )は、東京都出身の日本憲法学者慶應義塾大学教授特認弁護士(期外)。

日本公法学会、日米法学会、国際憲法学会、比較憲法学会、全国憲法研究会、国際人権法学会等の学会に所属。

目次

[編集] 経歴

1949年3月27日、東京都新宿区生まれ。教師の家庭に生まれ育つ。父は新宿区の小学校の教員で、日教組の創設に参画。また、東京都教組の書記次長を長年つとめた活動家だった。

新宿区立淀橋第七小学校から新宿区立淀橋中学校を経て、東京都立新宿高等学校に入学。同校では学年430人中400番以下の成績で[1]、高校2年の時、授業をサボタージュして歌舞伎町を徘徊し、成人映画を観るために映画館に入ったところを婦人警官に補導されたこともある[2]。1年間の浪人生活を経て、1968年慶應義塾大学法学部に入学。大学時代は当時隆盛を極めていた学生運動に背を向け、睡眠1日2時間[3]の生活を4年間貫いて伊東乾のもとで猛勉強を重ね、金時計(首席)で卒業。

[編集] 人物

改憲論者として、サンデープロジェクト朝まで生テレビなど多数のテレビ番組に出演している。但し、イラク派兵の際の成り行きを見て「こんなインチキな手段で改正されてはいけない」との思いを強くしたのと、娘が成長するのを見て平和であることの意味を深く考えるようになったのをきっかけに、現段階での改憲には反対の立場を示すようになった[4]

また、イラク戦争を明確な侵略戦争だと認定し、今後、同様の事態に日本が巻き込まれるのを避ける為ならば、集団的自衛権行使を奨励していた自説の撤回も止むを得ないとの立場を取っている[5]

改憲論を主張する政治家の集会に参加した際に「愛国心を憲法に盛り込む事はいかがなものか」といった主旨の発言をしたところ、以後全く集会には呼ばれなくなった。そのため護憲派とともに改憲派の政治家もまた閉鎖的で議論をしないことに失望したという[6]

改憲の方向としては、封建復古主義ではなく、アメリカ型リバタリアニズムを志向しており、憲法改正手続きを定めた国民投票法の制定こそ賛成であるが、一部で復古主義色の強い新保守主義者との指摘があった当時の安倍晋三内閣が憲法改正に手を付けることは反対を表明している[7]

2008年11月、民間懸賞において「日本は侵略国家ではなかった」と論じた田母神俊雄(元・航空幕僚長)の論文に対して、「あまりにも稚拙な内容であり、(田母神俊雄は)発表の場にも細心の注意を払いつつ、学問的に語るべきである」といった主旨のコメントをしている[8]

司法試験合格者ではないが、法学博士課程が設置された大学院を有する大学の法学部法律学科の教授を5年以上務めた事で、弁護士法第5条により1998年に弁護士登録[9]

大学における講義中の学生の私語・携帯電話の使用・居眠りを禁止しており、学生を教室から追い出すこともある[10]。また、遅刻した学生は入室を許されない。抜き打ち試験を行うことがある[要出典]

政界にも人脈があり、特に自民党関係者と親密である[11]。自身の講義に現職の国会議員(平沢勝栄[12]福島瑞穂中山太郎等)をゲストとして招くこともある。

宗教団体の政治参加を一部容認しており、学会員ではないが創価学会公明党の機関誌への寄稿も50回以上にのぼる[13]池田大作から感謝の手紙が贈られた縁で、池田にてんぷらをご馳走してもらったことがある。小林によれば池田は「博識でチャーミングなおじさん」だったとのことである)。池田のことを、思いを込めて「池田大作博士」[14]と呼び、「男らしい」[15]「大好きだ」[15]と絶賛している。また、幸福実現党マニフェストにも期待を寄せている[16]

生まれつき左手の指がなく、義手のため手袋を常用している(この障害の原因は、薬物の副作用と推定されている[17])。この障害のため、幼い頃からいじめを受けて育った他、成人後、母方の祖母から面と向かって「あなたのような片輪の孫が生まれて、うちの家はひどい迷惑を蒙った」[18]と言われたこともある。また、喘息持病があり、大学では水を飲みながら講義を行う。好きな映画は『ゴッドファーザー[要出典]

在日朝鮮人を含む外国人の参政権に関しては、認めない立場をとっている[19]

戦後の日本人拉致事件北朝鮮による国家犯罪であり、明白に反日教育を行っている朝鮮学校に対してまで、わが国の高校授業料無償化を適用するのは違法性があると反対している[20]

[編集] 略歴

[編集] 学歴

[編集] 留学

[編集] 職歴

  • 1974 - 1979年 慶應義塾大学法学部助手
  • 1979 - 1983年 慶應義塾大学法学部専任講師
  • 1983 - 1989年 慶應義塾大学法学部助教授
  • 1989年 - 慶應義塾大学法学部教授(憲法・英米法担当)

他に、人事院・公務員研修所(1999年 - )等各講師及びバーナビー・カレッジ学長特別顧問(1992年 - )、財団法人日本船舶振興会日本財団)理事(1994年)、財団法人アジア刑政財団評議員(1996年 - )、読売新聞社ブレーン(1996年 - )、弁護士(1998年 - )、大阪日日新聞(2002年 - )・日本海新聞客員論説委員、日体桜華高等学校校長(2010年 - )等を兼務している。

また、山梨大学(1982年 - 1983年、1987 - 1990年)、日本大学(1983年 - 1991年)、駒澤大学(1984年 - 1985年)、国税庁・税務大学校(1986年 - 1988年)、国鉄・中央鉄道学園(1986年 - 1987年)、郵政省・電気通信研修所(1987 - 1990年)、東京文化短期大学(1988年 - 1989年)、防衛大学校(1993年 - 1996年)、北京大学(1995年)、消防庁・消防大学校(1996年)、郁文館学園中学校・高等学校郁文館国際高等学校校長などで勤めていた。

[編集] 著書・関連図書

[編集] 脚注

  1. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.53(第三文明社1998年
  2. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.43-44(第三文明社、1998年)
  3. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.66(第三文明社、1998年)
  4. ^ 「沈黙する憲法」(北海道新聞2009年4月30日号)
  5. ^ 「(新憲法の文面に)海外派兵をしないとかですね。(中略)そうすればアメリカが何と言おうが、御免なさい、うちは軍隊派遣できません、と言う事ができる。(中略)集団的自衛権の行使についてはしないと、書いちゃえばいいんですよ。(中略)イラク戦争で揺れちゃったんですよ。(中略)どう考えてもイラクは侵略戦争なんですからね。あんな物に付き合わなくていいという選択肢も僕はあっていいと思うんです。だけど政治的に付き合わない事ができない能力ならば、軍事的に付き合おうにも付き合えない形にしてしまえばいいというのが、今の私の立場です」(『朝まで生テレビ』2005年11月放送分より)
  6. ^ NHK『クローズアップ現代』2007年5月8日放送分
  7. ^週刊朝日』2007年6月8日号
  8. ^ 「田母神論文は、民族派の主張と同じであまりに稚拙だ。国家と軍事力に関する部分は、現職の空自トップが言っていい範囲を明らかに逸脱した政治的発言で、シビリアンコントロール(文民統制)の根幹を揺るがす。諸国に仕掛けられた戦争だったとしても、出て行って勝とうとしたのも事実で、負けた今となって「はめられた」と言っても仕方がない。現在の基準や戦争相手国の視点で見れば、日本がアジア諸国を侵略したのは間違いのない事実だ。世界史に関する“新説”を述べるのは自由だが、発表の場にも細心の注意を払い、学問的に語るべきだ」(『東京新聞』2008年11月1日朝刊)
  9. ^ 同様のシステムで1982年三ヶ月章、1983年加藤一郎、2004年菊田幸一
  10. ^ 「私語は授業妨害」学部長が掲示 モンスター大学生が増えた!
  11. ^ 「沈黙する憲法」(北海道新聞2009年4月30日号)
  12. ^ 平沢勝栄・小林節 『憲法、危篤!』(KKベストセラーズ、2002年10月)
  13. ^ 小林節 園田康博『憲法』、参考文献
  14. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.190(第三文明社、1998年)
  15. ^ a b 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.191(第三文明社、1998年)
  16. ^ 「一刀両断」(大阪日日新聞2009年6月2日号)
  17. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.8(第三文明社、1998年)
  18. ^ 久保治雄『大学教授になった不登校児』p.12(第三文明社、1998年)
  19. ^ 「一刀両断」(大阪日日新聞 2009年12月15日号)
  20. ^ 「一刀両断」(大阪日日新聞 2010年8月10日号)
  21. ^ 小林節 園田康博『憲法』190頁

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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