近藤洋介 (政治家)

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日本の旗衆議院議員 近藤 洋介
生年月日 1965年5月19日(49歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ワシントンD.C.
出身校 慶應義塾大学法学部
学位・資格 法学士
前職 日本経済新聞社記者
所属委員会 内閣委員会(理事)
経済産業委員会
地方創生に関する特別委員会
世襲 3世
祖父・野原正勝
父・近藤鉄雄
選出選挙区 比例東北ブロック→)
山形2区→)
比例東北ブロック
当選回数 5回
所属党派 民主党野田グループ
党役職 山形県総支部連合会代表
会館部屋番号 衆議院第2議員会館819号室
ウェブサイト 近藤洋介 オフィシャルウェブサイト
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近藤 洋介(こんどう ようすけ、1965年5月19日 ‐ )は、日本政治家民主党所属の衆議院議員(5期)、民主党山形県連代表。経済産業副大臣野田第3次改造内閣)、経済産業大臣政務官鳩山由紀夫内閣菅内閣)を務めた。

父は労働大臣経済企画庁長官衆議院議員を務めた近藤鉄雄。母方の祖父は労働大臣衆議院議員を務めた野原正勝

来歴[編集]

国際通貨基金に出向していた大蔵官僚の父・近藤鉄雄の、アメリカ合衆国ワシントンD.C.赴任中に同地で生まれる。山形県立山形東高等学校慶應義塾大学法学部卒業。大学卒業後、日本経済新聞社に入社。編集局産業部や経済部に所属し、日本銀行通商産業省運輸省農林水産省建設省国土庁等を担当。日本経済新聞社には11年間勤務し、1999年に退社した[1]

2000年第42回衆議院議員総選挙山形2区から無所属で出馬したが、自由民主党遠藤武彦に敗れ、落選した。なお、1996年第41回衆議院議員総選挙では自民党公認で出馬した父・近藤鉄雄が、当時は無所属であった遠藤に敗れている。2003年第43回2005年第44回衆議院議員総選挙には民主党公認で出馬し、いずれも遠藤に山形2区で敗れたが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活。2006年、当選2回ながら民主党次の内閣において、ネクスト経済産業大臣に起用される。2009年第45回衆議院議員総選挙では、引退した遠藤に代わり出馬した自民党の新人を破り、初めて山形2区で当選した。選挙後、鳩山由紀夫内閣経済産業大臣政務官に任命され、菅内閣まで務める。2011年9月、民主党国民運動委員長に就任。

2012年10月、野田第3次改造内閣経済産業副大臣に任命された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、野田佳彦首相が推進する環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加を訴え、山形2区から立候補。TPP反対を掲げる自民党新人の鈴木憲和に敗れたが、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、4選[2]2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、TPP論議よりも安倍晋三政権下での米価下落や農政改革への批判を掲げて山形2区から出馬。再び自民党の鈴木憲和に敗北したが前回よりも票差を縮め、比例東北ブロックで復活し、5選。

2015年1月に行われた民主党代表選挙では、元代表岡田克也の推薦人に名を連ね[3]、岡田が当選した。岡田の代表就任に伴い、役員室長に抜擢された。

政策・主張[編集]

不祥事[編集]

2014年10月、近藤が代表を務める政治団体の政治資金収支報告書に、パーティーの支出約55万円が記載されていなかったことが明らかになった[6]。2010年12月に都内で政治資金パーティーを行った際に発生し、翌年1月に支払った会場費約55万円の支出を政治資金収支報告書に記載していなかった[6]のに対し、収入約700万円は記載されており[6]、近藤は日本テレビの取材に対し、「単純な事務的ミス」と釈明した[6]。なお近藤はこの問題が発覚した当時、経済産業大臣だった小渕優子の不透明な政治資金の問題を厳しく追及し、「知らなかったでは済まされない」などと批判していた[6]

所属団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 『日米貿易摩擦ミクロの深層』 日本経済新聞社、1989年10月。ISBN 9784532089139
  • 『官僚 - 軋む巨大権力』 日本経済新聞社、1994年7月。ISBN 9784532143084

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
柳澤光美牧野聖修
日本の旗 経済産業副大臣
松宮勲と共同

2012年
次代:
赤羽一嘉菅原一秀
先代:
谷合正明松村祥史
日本の旗 経済産業大臣政務官
高橋千秋と共同

2009年 - 2010年
次代:
田嶋要中山義活