朝日新聞
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朝日新聞(あさひしんぶん, Asahi Shimbun)は朝日新聞社が編集・発行する新聞の1つであり、朝日新聞社のメイン新聞である。発行部数は朝刊で約805万部、夕刊で約350万部(2008年4月日本ABC協会調査)で、読売新聞に次ぐ業界2位。
目次 |
[編集] 沿革
朝日新聞社に関する沿革は朝日新聞社#沿革を参照のこと。
- 1879年1月25日 - 大阪で創刊。
- 1888年7月10日 - 東京の『めさまし新聞』を買収し『東京朝日新聞』を創刊。
- 1889年 - 大阪本社発行の新聞を『大阪朝日新聞』と改題。
- 1904年1月5日 - 大阪朝日新聞に「天声人語」掲載開始。
- 1915年 - 大阪朝日新聞が夕刊の発行を開始。
- 1918年8月25日 - 白虹事件の発端となる記事を掲載。
- 1935年2月 - 西部本社で発行開始。
- 同年11月 - 名古屋本社で発行開始。
- 1940年9月1日 - 大阪朝日新聞と東京朝日新聞が題号を『朝日新聞』に統一。
- 1957年10月1日 - 「親さがし運動」記事で第1回日本新聞協会賞を受賞。
- 1959年6月 - 北海道支社で発行開始。
- 1965年1月1日 - 日本の新聞で初の500万部突破。
- 同年1月20日 - 大阪本社版の紙齢が3万号を達成。
- 1976年2月5日 - 「ロッキード事件」の第一報をスク-プ。
- 1980年4月23日 - 東京本社の移転に伴い、紙面製作がコンピュータによる新聞製作システム「ネルソン」へ移行。
- 1986年1月1日 - ロンドンで国際衛星版を発行開始。その後、ニューヨークなど世界6カ所で発行。
- 1988年6月 - 大阪本社を最後に、鉛活字による新聞製作の歴史に幕。全本社の新聞製作が「ネルソン」に完全移行。
- 同年6月18日 - 「リクルート事件」の第一報をスクープ。
- 1991年2月12日 - 紙面を1段12字にして活字を拡大。
- 1992年8月22日 - 金丸信自民党副総裁に東京佐川急便から5億円の違法献金があったこと(東京佐川急便事件)をスクープし、日本新聞協会賞を受賞。
- 同年12月16日 - 大阪本社版の紙齢が4万号を達成。
- 1999年10月15日 - 和歌山毒物カレー事件報道で日本新聞協会賞を受賞。
- 2001年4月1日 - 紙面を1段11字にして活字を拡大。
- 2002年3月 - 46年間続いた日曜版を廃止、4月6日より新たに土曜版「be」を発刊する。
- 2005年4月3日 - 実質的な日曜版の復活となる「be on Sunday」創刊。土曜日は「be on Saturday」に改題。
- 2006年1月 - 朝日新聞創刊127周年を記念した「ジャーナリスト宣言。」というキャッチコピーのもと、ANN系列外でも大々的に宣伝する。
- 2007年2月 - 読売新聞Webサイトの記事盗用発覚(後述)により、「ジャーナリスト宣言。」キャンペーンを自粛する。
- 2007年4月1日 - 紙面を大幅刷新。朝刊の1面題字左側に天気マークが記載される[1]。
- 2008年4月1日 - 紙面の文字を拡大し、レイアウトを15段組11字から12段組13字に変更。
- 同年10月 - 新紙面「GLOBE」(グローブ)が誕生。
[編集] 紙面・論調
- 一般的に、左派言論の代表紙と評価されている。
- 日付欄は「2009年(平成21年)1月1日木曜日」のように、西暦、月日が太字で元号と曜日が普通の字で表記されている。この表記法は2001年から採用されており、それ以前は普通の字体だった。
- 中国共産党の機関誌人民日報は特約海外新聞の一つであり[2]、複数回に渡り社説・コラムで中華人民共和国擁護の姿勢を示すなど、親中的な立場を取る[3]。中国人民解放軍によるチベット侵攻以後のチベット人に対する迫害についても、度々容認的論説を発表した[4][5](これらに関する批判は後述)。近年はチベット独立運動の活動家や中国民主化運動を肯定的に取り上げ、ウイグル問題でも中国当局の対応を厳しく断じるなど[6]、中国に対して批判的な記事も存在する[7][8]。これについて、対中報道姿勢の変化の指摘もある[3][9]。
- 言論の自由などの侵害の恐れが指摘される人権擁護法案については、全国紙でほぼ唯一容認的な意見を複数回表明している[10]。
- 在日外国人の内、在日韓国・朝鮮人の氏名表記にあたっては、他紙が本名を掲載している場合であっても、原則として通名(日本名)での表記を行っている[11][12][13]
- 科学欄ではかなり踏み込んだ専門的な記事もあり、文化欄や読書欄などで紙面の充実を図っていることが特徴的である[要出典]。
- 漫画家の小林よしのりとは対立関係にあり、彼の作品である「戦争論」等を巡り、社説で数回に渡って批判した。朝日新聞が社説において個人を複数回批判したのは、政治的立場の人物以外では小林のみである。
[編集] 読者層
大阪商業大学JGSS研究センターや日本経済新聞社の調査によれば、全国紙の中で読者世帯の平均世帯収入や高学歴の割合、ホワイトカラーの割合が日本経済新聞の次に高いとされ、また保守的思想を持つ読者の割合が全国紙の中で最も少ないとしている[2][3]。
また、ビデオリサーチが毎年実施する「全国新聞総合調査」の2009年度調査(第8回)によると、三大都市圏における到達率が全国5紙の中で最も高く、世帯収入1500万円以上の世帯や大卒・院卒の間でのシェアは最も高いとされ、朝日新聞社広告局ではこの結果をPRに使用している[14]。
[編集] 歴史
歴史的に見れば、朝日新聞の論調はその時々の時勢に応じて変化し、一定ではなかった。
- 創刊期には、参議伊藤博文らが参議大隈重信を政府から追放した明治14年政変の翌年以降、政府と三井銀行から極秘裡に経営資金援助を受ける御用新聞として経営基盤を固めた。その間に東京の『めさまし新聞』を買収して『東京朝日新聞』を創刊し、東京進出を果たした。さらに日露戦争前には主戦論を展開し、日露講和にも反対した。
- 大正デモクラシー期には憲政擁護運動の一角を担い、桂太郎内閣を批判した。寺内正毅内閣期には同内閣だけでなく、鈴木商店を米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃して米騒動を煽り、鈴木商店は焼き討ちにあった。しかし、当時の鈴木商店が米を買い占めていた事実は無かった[15][16]。これに関連して、寺内内閣を批判した記事に書かれていた「白虹日を貫けり」という字句が新聞紙法の「朝憲紊乱」に当たるとして当局に発禁を迫られ、記者は有罪となり社を追われた(白虹事件)。事件後、朝日新聞は「不偏不党」「評論の穏健妥当」などを内容とする綱領を発表した。これ以降、政府を批判する記事は減少していった。
- 1930年代後半から、朝日新聞は近衛文麿首相の戦時政府(近衛新体制運動)を熱心に支持し、朝日新聞の編集長であった緒方竹虎の下で厳しく資本主義を批判した。笠信太郎、佐々弘雄、さらに有名なスパイであったリヒャルト・ゾルゲの情報提供者だった尾崎秀実といった朝日新聞の有力な論説委員は、近衛政治のシンクタンクであった昭和研究会の中心メンバーであった。
- 緒方は頭山満によって1881年に結成された玄洋社の主要なメンバーの一人である。玄洋社は組織犯罪の大物や極右の政治信条を持つ者からなる超国家主義者の団体であった。後にA級戦犯として絞首刑となった広田弘毅も、玄洋社の主要メンバーの一人で緒方の親友だった。広田は頭山の葬儀委員長、緒方は副委員長であった。
- 朝日新聞社に入社する前は大原社会問題研究所のマルクス主義経済学者だった笠信太郎は、その著書『日本経済の再編成』(1939年)の中で中央政府による計画経済を主張した。超国家主義の政治家である佐々友房の息子である佐々弘雄は近衛を支持するため、元大蔵大臣の井上準之助、三井財閥の総帥團琢磨男爵及び犬養毅首相を暗殺した皇道派と呼ばれる極右の将軍やテロリストたちと手を組んだ。1944年、彼等は日本軍内部で皇道派と対立していた統制派のメンバーだった東条英機首相の暗殺を企てている。
- 太平洋戦争中は他紙と同様、戦争翼賛報道を行う。しかし終戦後、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん」(1945年11月7日)を発表し、戦時の報道姿勢への反省を表明した。しかし、朝日新聞の戦前の軍国主義、日中戦争推進の論調の裏で、表面的には軍部に迎合していることを装い、日本の敗戦革命による東アジアの共産化の推進を意図する勢力がその中心にいた[要出典](ゾルゲ事件で元朝日新聞記者の尾崎秀実らとともに、東京本社政治経済部長の田中慎次郎、同部員磯野清が検挙。近衛上奏文、砕氷船理論参照)。したがって、朝日新聞のこのような転向宣言は、戦前の二面性の全体について「転向」を行い、「共産化」のために国民を犠牲にした過去を反省し、本来の意味での民主化を指向したものとは取り得ないのではないかという疑問が呈されている[要出典]。そのような経緯から、2006年12月9日の社説「開戦65年 狂気が国を滅ぼした」内での「無謀な戦いを止められなかった無力を思うと」といった、自らが戦争を賛美・先導していた立場であり、さらに、その中心には戦争を利用しようとしていた勢力がいたにもかかわらず、あたかも反戦派であったかのような論調は、現在まで続く朝日新聞の体質問題として広く批判を浴びることとなった[要出典]。
- 戦後の一時期までの朝日新聞は、政官財のトップエリートを含むの高学歴層に支持される傾向にあった[18]。戦後、こういった層に濃厚に見られた社会の「進歩」への憧れ、あるいはこれを刺激する商品作りを進めたことが、朝日新聞の「進歩的」な論調の背景にあるとともに、反面としてそのステレオタイプな「進歩」についての捉え方が、カンボジアのポル・ポト政権の本質を見誤らせたり、中国共産党のチベット侵略などの行為や、北朝鮮の政権への批判を遅らせたともされる[要出典]。
- 2004年のイラク日本人人質事件において、契約記者が武装勢力に拉致されるという出来事が起こったが、朝日新聞社広報室はいち早く「イラク入りは本社の要請ではない」と発表。当該記者の自己責任を強調した。ただし、自己責任とは本来「我が社の責任ではない」という意味であって、それ以上の責任の追求は意味しない。しかし、他紙ほどではないが山形浩生の「自由には必ず責任伴う」(2004年4月15日号)など、「自己責任」のフレーズで被害者を批判する記事も見られた[要出典]。
[編集] 注目を集めた報道
- 1959年7月14日号にて、熊本大学医学部の水俣奇病総合研究班が水俣病の原因が有機水銀中毒であることを確認したと、7月21日に予定されていた医学部水俣病研究会報告に先駆けてスクープ。先にこの情報をキャッチしていたらしい状況証拠のある熊本日日新聞は、地元との利害関係に縛られて自由に動けなかったと推測されており、これより2日遅れの報道となる。この時点まで新日本窒素肥料水俣工場首脳部は、工場付属病院から熊本大学に出向している研究生から水銀説が確認されつつあるとの情報を得ていたものの黙殺しており、この報道で急遽水銀説否定のための資料集めを開始している。
- 1988年6月18日、朝日新聞が『川崎市助役へ一億円利益供与疑惑』をスクープ報道。これがきっかけとなり、リクルートにより関連会社リクルート・コスモス(現コスモスイニシア)未公開株が、中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄などの大物政治家に対し、店頭公開前に譲渡されていたことが相次いで発覚するなど、日本政治史を揺るがす一大スキャンダルとなった。
詳細は「リクルート事件」を参照
- 2007年4月より、夕刊において、日中戦争・太平洋戦争における自社を含めたマスメディアの戦争責任を問い直す「新聞と戦争」を一年にわたって連載。優れたジャーナリズム活動や作品に対して日本ジャーナリスト会議から贈られる「JCJ賞」の大賞を受賞した。
- 2007年9月24日に掲載した安倍総理に関する記事をきっかけに、安倍総理に対する批判報道が事実だけにとどまらずあまりにも行き過ぎであるとして批判され、インターネット上で「アサヒる」という言葉が朝日新聞による捏造報道の呼称として、やがて朝日新聞への批判やパロディ化の一形態として使用されるようになる。この言葉は現代用語の基礎知識2008年版に採用された。
[編集] 疑義が持たれた報道、スキャンダル
- 1923年9月、大阪朝日新聞が関東大震災時に『不逞鮮人の一派は随所に蜂起せんとするの模樣あり、中には爆彈を持って市内を密行し、又石油鑵を持ち運び混雜に紛れて大建築物に放火せんとするの模樣あり』と報道。
- 1960年2月26日、他紙と同様に、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業を推奨する記事を掲載。当時は北朝鮮の実情について不明瞭であり、急成長する北朝鮮と軍事独裁で貧困の激しい韓国という、現在とは異なるイメージがあった。
詳細は「在日朝鮮人の帰還事業#日本のマスコミ」を参照
- 1975年4月19日の夕刊2面において、クメール・ルージュのプノンペン制圧における武力開放のわりには、流血の跡がほとんど見られなかったと述べ、「敵を遇するうえで、きわめてアジア的な優しさにあふれているようにみえる」という内容を掲載した。しかし、実際にはポル・ポト派はプノンペン入城後、すぐに民衆を農村に強制移住させ、逆らう者は容赦なく殺害している。
- 1989年4月20日付の夕刊において、沖縄の自然環境保全地域指定海域にある世界一の大きさを誇るアザミサンゴ[19]に傷が付けられていることを取り上げ、その象徴として「K・Y」というイニシャルが刻まれた珊瑚の写真と共にモラル低下を嘆く記事を掲載する。しかし、疑問に思った地元ダイバーたちの調査の結果、記者自身によって無傷の状態であったサンゴに傷が付けられたという事実が判明し、記事内容の捏造が発覚[20][21]。当時の社長が引責辞任に追い込まれる事態へと発展した。こうして、朝日新聞はリクルート事件という一大スクープを放ったにもかかわらず、その年の新聞協会賞受賞を逃すことになる。
詳細は「朝日新聞珊瑚記事捏造事件」を参照
- 1991年から翌年にかけて「従軍慰安婦」問題の連載キャンペーンを展開。吉田清治著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』にある「昭和18年(1943年)に軍の命令で韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にした」という体験談を、4回にわたり報道した。この「体験談」は現代史家・秦郁彦の調査により嘘であることが判明した(『正論』1992年6月号)。その後、朝日新聞は「済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」とし、報道内容が正確でなかったことを事実上認めた[22]。さらに、吉田清治本人も脚色の事実を認めたにもかかわらず(『諸君!』1998年11月号 秦郁彦)、朝日新聞は謝罪・訂正を行わなかった。また、1991年8月11日付けの朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊として戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じた(記者は植村隆)。この朝鮮人慰安婦の「女子挺身隊として戦場に連行され」たという話にも、「当時、女子挺身隊という制度自体が無いばかりか彼女は親により公娼として売られたことを語っており、全くの捏造である」との反対意見が出されたが[23]、朝日新聞は反応を示していない。
- 2002年6月、FIFAワールドカップに関連して、「日本代表での最後の W 杯。 国の名誉という鎧を着せられた試合は楽しめない。 中田英寿選手が周囲に語る」との記事を掲載し、中田選手が否定して抗議したにもかかわらず謝罪しなかった。4ヵ月後、中田選手が再び日本代表になったときも、「記事内容と異なる結果になったことをお詫びします」と謝罪しつつ、あくまで報道自体は正しかったと主張した。
- 2002年4月20日の朝刊に掲載された有事法制に関する FAQ の中で、「ミサイルが飛んできたら?」という問いに対して「武力攻撃事態ということになるだろうけど、1発だけなら、誤射かもしれない」と回答した。
- 2005年1月12日、自民党の安倍晋三・中川昭一両議員から2001年1月30日放送のNHK番組の編集について、NHK上層部に圧力があったのではないかとする報道を行った。同年7月に、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載した。翌8月には社内関係者が番組改変の証拠とされる録音テープを魚住昭にリークし、講談社の月刊誌『現代』に記事を書かせた。9月30日、朝日新聞がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関「『NHK報道』委員会」が「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない」(『NHK報道』委員会の見解より引用)という見解を出す。これを受けて朝日新聞は取材の不十分さを認めた。一方で記事の訂正や、謝罪は無かった。委員会の見解でも、朝日新聞は検証が十分ではないと指摘されている。番組改変の記事を執筆した記者は激しい批判を受け、2006年に異動になった。
詳細は「NHK番組改変問題」を参照
- 2005年8月21日の朝刊にて、亀井静香と田中康夫が長野県内で会談を行なったという記事が掲載された。この記事は、取材を伴わない虚像のメモを元に作成されたもので、実際は東京都内で会談が行なわれていた。この事件などをきっかけとして、朝日新聞社の体制改革が行なわれた。
詳細は「朝日新聞の新党日本に関する捏造事件」を参照
- 皇室典範改正問題について、2006年2月2日の社説で女系天皇に反対を表明した寛仁親王に発言を控えるよう忠告するが、昭和天皇の靖国に関する発言(いわゆる富田メモ)が報じられた後の同年7月21日の社説において「重く受け止めたい」とし、皇族の発言の政治利用についてオポチュニズムが見受けられる。
- 2007年1月6日の夕刊で「スポーツ総合誌 苦境」という記事が掲載された。この記事はスポーツ総合誌を「冬の時代に入った」と批評する内容であったが、"Number"(文藝春秋社)に関して事実と反する部分が存在した。
- 2007年2月1日、1月30日の夕刊で掲載された富山県のかんもち作りに関する記事で、朝日新聞東京本社編集局の駐在員が、読売新聞のインターネット版に27日に掲載された「寒風で育つかんもち」という記事を盗用していたことが判明。問題の駐在員は「読売新聞のホームページの記事を参考にしながら自分の原稿を書き直した」と述べ、朝日新聞社は同日午後に読売新聞社に謝罪した。後に他の2件の記事も同じく読売新聞のホームページ記事から引用されていることが分かり、記事を書いた記者を解雇するとともに、「ジャーナリスト宣言。」キャンペーンを自粛した。
- 2008年6月18日付夕刊のコラム「素粒子」において、同月17日に死刑執行を指示した鳩山邦夫法務大臣に対し、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と表現した。これに対して鳩山法相は強く抗議し[24]、読者からも「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」など1800件あまりの抗議文が朝日新聞社に送られた。同紙に特に強い批判を続けたのが全国犯罪被害者の会であり、同会の三度に渡る公開質問状に対し、最後まで紙面での謝罪こそ無かったものの、コラムの表現が不適切であったことは口頭で認めている[25][26]。
- 2009年4月25日、朝日新聞は2009年1月11日に掲載した記事について、事実でない部分があったとして、09年4月25日付の紙面で「おわび」を掲載し、同社のウェブサイトなどに掲載されている記事の一部を削除した。記事の内容は、奈良県川上村の元森林組合長が「選挙区は民主、比例は共産」と、共産党への「選挙協力」を主導しているという内容である。元森林組合長から「記事に書かれているようなことは言っていない。共産党を支持しているかのような誤解を受けた」と人権救済の申し立てがあり、同社の「報道と人権委員会」は24日、「記述の一部は事実として認めることができなかった」とする見解を出した[27][28][29][30]。
- 2009年5月26日朝刊の6面に掲載された「核兵器をめぐる現状」という記事の「NPT(核不拡散条約)で認められた核保有5大国」とした地図で、米国、ロシア、英国、フランス、中国が赤で色付けされているが、加えて台湾も赤で色分けした。これに対し、台北駐日経済文化代表処の朱文清広報部長は不快感を表明[31][32]。これを受け、朝日新聞は6月5日に紙面上に「おことわり」を掲載した。「おことわり」の内容は「台湾は核保有国ではない」というもので、中国領土か否かに関しての記述や訂正は無かった。この件に関する電話問い合わせの様子がネット上にアップされ、その対応の杜撰さが話題になった[33][34][35]。
- 2009年7月6日、夕刊一面トップに「トイレで1人食事をする『便所飯』が若者の間に広がっている」とする記事を掲載。その根拠として、いくつかの大学のトイレに「便所飯」を禁止する張り紙があるとした。しかし大学側によると、それは公式掲示ではないとしており、いたずらの可能性もある。また、「広がっている」という根拠が乏しいと指摘された。「便所飯」という言葉は寂しい学生生活を表す言葉として2ちゃんねるで広まったネット上の隠語とも言われ、ネット上では「朝日新聞がネットに釣られた」「一面に書くような記事か」などと話題になった[36][37]。
[編集] 批判
- 主に朝日新聞の特定の記者への批判がなされている。
- 朝日新聞の社会主義陣営(特に中国)に対する親和的な報道姿勢が批判の対象になることが多い[38]。
詳細は「朝日新聞の中国報道問題」を参照
- 2005年、朝日新聞が社説に「拉致は国交正常化の障害」と記述。これについて、拉致被害者家族の横田滋夫妻は「私たちは『障害』だというのか」と怒りを露わにし、親の代からの朝日新聞購読を打ち切った[要出典]。
- 2008年10月3日、山口県光市の母子殺害事件に対する橋下徹大阪府知事のタレント弁護士時代のテレビ発言について「橋下TV発言、弁護士資格を返上しては」との社説を掲載。これについて橋下は同月19日の兵庫県伊丹市の陸上自衛隊伊丹駐屯地で開かれた「中部方面隊創隊48周年記念行事」の祝辞の中で、「人の悪口ばっかり言ってるような朝日新聞のような大人が増えると日本はダメになります」と批判し[39]、翌20日には「朝日新聞は事実誤認があったら廃業するのか。(朝日新聞は)無くなったほうが世の中のためになる」「全く愚かな言論機関。すぐさま廃業した方が良い。権力の悪口を言っていれば良いと思っているのではないか」と批判した[40]。後日、橋下知事は先の発言の真意について「命がけで頑張っている自衛隊に敬意を表さないといけない場で、その対極にいる愚かな朝日を批判するのが最適だと思った」と説明。テレビでの発言を元に弁護士資格の返上を提案した社説については「朝日はからかい半分で、事実誤認もあり今すぐ廃業すべきだ」と述べた[40]。
[編集] 題字とその地紋
- 朝日新聞の題字は、唐の書家である欧陽詢の『宗聖観記』の中の筆跡から作字したもので、1879年の創刊から使われている。題字の「新」の中の「木」の部分は「未」となっている。これは古い字体であり、この文字が書かれた当時は誤字ではなかった。また、その「新」の字が『宗聖観記』の中に無かったことから、「親」の偏と「柝」の旁から点を取り除いたものを組み合わせて「新」を作字した[41]。
- 題字の地紋は、東日本(静岡県以東)と西日本(愛知県以西)で異なっている。東京本社と北海道支社の地紋は、1888年に「東京朝日新聞」として東京に進出した頃から使用している「サクラ」。「朝日ににほふ山桜花」の古歌の意味を表わしている。大阪本社と西部本社、名古屋本社の地紋は「浪速の葦(なにわのあし)」で、大阪で生まれた新聞であることを表わしている。なお、社旗も東日本と西日本で異なっており、東日本は朝の字が左端に位置して旭光が右に向かっているのに対し、西日本はその逆となっている。これは、それぞれ朝日が東日本と西日本を照らしているという意味からきている。
[編集] 文字表記
- 1950年代から、当用漢字表外の漢字の表記について、朝日新聞社が独自に簡略化した通称朝日文字と呼ばれる字体が使用されていた。しかし、2007年1月15日に約900の漢字について康熙字典体に基づく字体に改められ、紙面から姿を消した。
[編集] 広告
- かつては大学教員や学校教師が愛読して周囲にも購読を勧めていたケースもあり、学生の読者も多かった。「天声人語」などのコラムが入試問題に採用されることも多く、受験勉強の一環として購読を勧められていた時期もある。そのためか、現在も就職情報などの広告が他紙に比べて多い。
[編集] キャッチコピー
- ジャーナリスト宣言。(2006年〜2007年)
- 明日への一頁(ページ)に、つながっている。(2008年〜現在)
[編集] 関連著名人
朝日新聞社#関係者・出身者を参照のこと。
[編集] 提携通信社・新聞
朝日新聞社#契約通信社および朝日新聞社#特約海外新聞を参照のこと。
[編集] 番組表
1972年7月までは、番組表は東京本社と大阪本社の朝刊で中面に掲載(最終面は地方版)されていたが、最近では新聞休刊日を除き最終面に掲載。
1992年4月より、日本の新聞社として初めてGコード番組表の掲載を開始した。
- 当初は、東京版では夕刊の番組表を本編から切り離して別冊「Gセクション」として掲載。1面に在京キー局の翌日の放送開始から終了時(24時間放送の局は翌日基点時間~翌々日の基点時間)の番組表、最終面には当日夕方17時から放送終了時(または翌日基点時)の番組表をフルサイズで掲載。その他中面にはエンターテインメント関連の記事や、関東地方の独立UHF放送局、衛星放送、ラジオの番組表が掲載されていた。
- 大阪など他地区では夕刊にジャンル別のGコード番組表を掲載。夕刊のない地域では土曜日に1週間のジャンル別番組表を載せた。
- その後、他の新聞にも掲載するようになり、朝日新聞東京版夕刊の別冊記事は廃止され、夕刊・朝刊とも原則として最終面(休刊日は2日分を中面)にGコード番組表が載るようになった。
テレビ欄の掲載の特徴として、関東地方・近畿2府4県と、系列放送局のない地域(山梨県・富山県・鳥取県・島根県・徳島県・高知県・佐賀県)、及び加盟局がありながらもクロスネットである福井県・宮崎県を除いて、テレビ朝日系列(ANN)を日本放送協会の地上波の2チャンネルの次に載せている(関東・近畿はチャンネルの順、その他は開局順)。また、NHK教育テレビジョンのデジタル別編成番組については、別欄とせず、その日の深夜放送の番組の下(番組表の末尾)に載せている。
2009年3月30日付からは、関東地方のテレビ欄がテレビ放送開始以来長年続いたアナログチャンネル番号の若い順から地上デジタル放送のリモコン番号の若い順に再編され[43]、中面に掲載されていたBSデジタル放送の番組表が最終面での掲載に変更になった[44]。名古屋本社版では、およそ20年ぶりにテレビ愛知の番組表が在名他社より縮小され、ぎふチャン(岐阜放送)や三重テレビのサイズに近づいた[45]。またラジオ欄の局名表記は2009年3月30日付から、東京本社版・名古屋本社版・北海道支社版では、長年掲載されていた周波数の表記が省略され、局名と問い合わせ電話番号のみの表記になった。
番組表は朝日新聞グループの日刊スポーツ新聞社の関連会社である日刊編集センターから配信されたものを掲載している。ただし、BSデジタル放送の番組表は「朝日マリオン」からの配信である。
[編集] 4コマ漫画
[編集] 朝刊
- ブロンディ - Murat Bernard "Chic" Young作 - 1949年1月1日~1951年5月15日
- サザエさん - 長谷川町子作 - 1951年5月16日~1974年2月21日
- フジ三太郎 - サトウサンペイ作 - 1979年1月1日~1991年9月30日
- となりのやまだ君 - いしいひさいち作 - 1991年10月10日~1996年12月31日
- ののちゃん - いしいひさいち作 - 1997年1月1日~連載中
[編集] 夕刊
- サザエさん - 長谷川町子作 - 1949年12月1日~1951年5月15日
- クリちゃん - 根本進作 - 1951年10月1日~1965年3月31日
- フジ三太郎 - サトウサンペイ作 - 1965年4月1日~1978年12月28日
- ペエスケ - 園山俊二作 - 1979年1月4日~1992年6月27日
- サミット学園 - 山井教雄作 - 1993年6月1日~1996年3月30日
- Mr.ボォ - 砂川しげひさ作 - 1996年4月1日~2000年4月2日
- ワガハイ - 砂川しげひさ作 - 2000年4月3日~2002年3月30日
- 地球防衛家のヒトビト - しりあがり寿作 - 2002年4月1日~連載中
[編集] ネット事業
- asahi.com
- 朝日新聞スポーツ記者の表話・裏話(旧称スポーツポッドコーナー:ポッドキャスティング番組)
- ウェブ朝日新聞(2007年6月30日をもって休止)
[編集] ニュース番組
[編集] 参考文献
- 古森義久+井沢元彦+稲垣武(共著)『朝日新聞の大研究』(扶桑社)
- 稲垣武『朝日新聞血風録』(文春文庫)
- 片岡正巳『朝日新聞の「戦後」責任』(展転社)
- 小林よしのり+井沢元彦(共著)『朝日新聞の正義』(小学館)
- 読売新聞論説委員会編『読売VS朝日 21世紀・社説対決』『読売VS朝日 社説対決・北朝鮮問題』『読売VS朝日 社説対決・50年』(中公新書ラクレ)
- 城山三郎『鼠 鈴木商店焼打ち事件』(文春文庫)
- 安田将三+石橋孝太郎(共著)『朝日新聞の戦争責任』(太田出版)
- 田辺敏雄『朝日に貶められた現代史』(全貌社)
[編集] 脚註
- ^ 大阪本社版は1面インデックス下側に記載。
- ^ 「当社が提携する媒体には、以下のようなものがあります。(中略)人民日報、新華社(以上中国)」[1]
- ^ a b やはり朝日新聞の中国報道は変わっていた
- ^ 「進まぬ土地改革 革命まだ序幕の段階」(朝日新聞1953年6月2日)
- ^ 岩田温 『チベット大虐殺と朝日新聞 朝日新聞はチベット問題をいかに報道してきたか』 オークラ出版 ISBN 978-4-7755-1250-0
- ^ 2009年7月8日朝刊社説:ウイグル騒乱―弾圧しても安定はない
- ^ 朝日新聞 2008年9月11日朝刊国際面 「厳戒北京で自由叫ぶ チベット民主化支援の活動家」
- ^ 不定期連載『在日華人』などに詳しい。
- ^ “媚中報道”を止めた朝日新聞の気になる最近の報道
- ^ 朝日新聞 2005年7月28日朝刊社説 「法案の最大の問題は、人権委員会の独立性とメディア規制である。広範な支持を得て法案を成立させるために、政府はこの修正をためらってはいけない。」
- ^ この件について辛坊治郎は、日本テレビ『ズームイン!!SUPER』(2008年9月10日)のコーナーにて「在日朝鮮人が犯罪を起こした時に通名で報道する朝日はおかしい」と批判した。
- ^ 通名報道の一例として、北朝鮮のミサイル発射で必要な発射台となるタンクローリーの不正輸出事件がある。この事件で容疑者の本名と国籍を伏せて報道したのは全国紙の中で朝日新聞のみである。
- ^ 本名での事件報道が無いわけではない(例:強殺未遂容疑、37歳逮捕 大阪タクシー襲撃 朝日新聞 2009年5月27日 閲覧)。
- ^ 朝日新聞はどんなメディア?
- ^ この事件を再調査した城山三郎は、焼き討ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「風評被害」であり、事件は鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立てている。
- ^ 情報紙『有鄰』No.385 P1
- ^ 一例として、上海事変中に敵陣に突入爆破した日本兵士を肉弾三勇士と称して勇者とし、歌を作成して礼賛した。
- ^ 『漱石と三人の読者』講談社現代新書 2004年10月刊
- ^ 太平洋資源開発研究所ホームページ内アザミサンゴ発見
- ^ 太平洋資源開発研究所ホームページ内アザミサンゴ KY事件
- ^ 朝日新聞社「落書き、ねつ造でした」 朝日新聞朝刊 1面 朝日新聞社 1989年5月20日
- ^ 1997年3月31日 朝日新聞朝刊
- ^ 『諸君!』1996年12月「慰安婦『身の上話』を徹底検証する」秦郁彦著
- ^ 具体的には、「人の命を絶つという極刑を実施するのだから、心境は穏やかではない。しかし、どんなにつらくても社会正義のためにやらざるを得ない。宮崎勤死刑囚らにも人権も人格もある。司法の慎重な判断、法律の規定があり、苦しんだ揚げ句に執行した。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だ。私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」と述べ、朝日新聞を批判した。
- ^ http://www.navs.jp/2008_8_4.html
- ^ 2008年6月22日 毎日新聞
- ^ 元森林組合長は、「恣意的な記事によって、私の信条を誤解され、名誉と信用を傷つけられました。許されることではないと思います。朝日新聞社は反省すべきであり、責任の所在・取り方を明らかにするよう求めます」と語っている。
- ^ 「共産党員増加の記事誤り 朝日新聞おわび」 - 2009年4月25日 産経新聞
- ^ 朝日新聞「共産党員増加めぐる記事」でおわび、記述削除 - 2009年4月25日 J-CAST
- ^ 記事の一部に問題、朝日新聞社に対応求める - 2009年4月25日 朝日新聞
- ^ 日本李登輝友の会の柚原正敬常務理事は「あの地図は、日本の立場とも台湾の立場とも違う。中国の『台湾は中国の一部』という言い分が反映された地図ではないのか。これまで朝日新聞については中国寄りの報道姿勢が指摘されてきたが、その現れかもしれない」と分析している。
- ^ 朝日新聞“仰天掲載”…台湾を「核保有国」に分類 ZAKZAK 2009年6月3日
- ^ 【トレビアン動画】朝日が台湾を「核保有国」に分類した件で紙面で「おことわり」掲載! 購読者が電話攻撃!
- ^ 朝日新聞に電話してみました1/2
- ^ 朝日新聞に電話してみました2/2
- ^ 2009年7月10日夕刊フジzakzak 朝日新聞が釣られた?1面トップで「便所飯」報道!
- ^ 2009年7月7日 J-CASTニュース/07/07044847.html 1人で食べる姿見られたくない 若者の「便所飯」あるのか?
- ^ ただし、ベルリンの壁崩壊、ソ連の民主化以前の、1980年代ごろ迄の朝日新聞を批判した書籍によれば、朝日新聞の報道姿勢は「親ソ連的の反面、同じ共産主義国の中国に対しては批判的であり、二重基準を取っている」とされていた。
- ^ 「朝日は人の悪口ばかり」橋下知事、本紙社説を批判 - ashai.com 2008年10月20日3時2分
- ^ a b 「朝日新聞無くなった方が世のため 橋下大阪府知事が批判 10月21日/NIKKEI NET - 日経WOMAN
- ^ 大修館書店「漢字Q&A(その4)(Q0161)」
- ^ 出版社関連では聖教新聞社、潮出版社、第三文明社など。
- ^ 2009年3月29日付まで日本テレビ→TBSテレビ→フジテレビ→テレビ朝日→テレビ東京の順番だったのが、日本テレビ→テレビ朝日→TBSテレビ→テレビ東京→フジテレビという順番に再編。日刊スポーツ、日本経済新聞も朝日新聞と同様、地上デジタルのリモコン番号順に再編されている。
- ^ WOWOW、スター・チャンネル、BSイレブン、TwellVは従来通り中面に掲載。
- ^ テレビ愛知の番組欄は、夕刊では従来通りフルサイズ掲載。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- asahi.com:朝日新聞の速報ニュースサイト - 朝日新聞による公式ニュースサイト
- 朝日新聞アスパラクラブ - 愛読者のクラブ
- 新s(あらたにす) - 日経・朝日・読売ニュースサイト
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