魚住昭

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魚住 昭(うおずみ あきら、1951年 - )はフリージャーナリストノンフィクション作家

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[編集] 人物

熊本県生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、一橋大学法学部に入学。大学では卒業論文を提出せずに1年間留年し、読書パチンコをして日々を過ごす生活をしていた。

もう1年留年しようと考えていたところ、1975年1月ころに大学の掲示板で共同通信社の臨時記者募集の知らせをみつけた。大学の1年上の先輩から、共同通信は働かなくても給料をくれるいい会社だと聞いており、優秀な学生は既に内定先を得ていた時期の臨時募集だったため競争率も低いと考え応募。2月に採用試験に合格。同年一橋大学法学部を卒業し、共同通信社に入社。卒業論文は卒業後に提出した[1]

立川支局で新人記者を務めたのち、岡山支局で3年間、大阪支社社会部で6年間、東京本社社会部で10年間、司法記者として東京地検特捜部リクルート事件などを取材。しかし80年代後半ら共同通信社の社風が変わり経営効率重視となり、風通しが悪くなるとともに仕事量が増えた。権力におもねるようになった会社上層部に記事がつぶされることが何度もあり、その後馬鹿らしくなり、たまっていた年次有給休暇を使い、テニスクラブやパチンコに通い会社には週に1、2度顔を出すだけの状態となった。

1993年ころから自分の興味の持てるテーマを選んで仕事に復帰。1994年に共同通信・戦後50年企画として、人員、取材費、テーマのいっさいを任されたため、瀬島龍三をテーマに70回の長期連載を行う。

1996年5月に、年功序列により京都支局デスクに異動。しかしこの頃、単行本化を進めていた瀬島龍三の記事について、上層部から記事の渡邉恒雄に関する部分を削除するように求められたのに反発。また京都支局では、東京本社や大阪支社の方針と何度も対立を繰り返す。結局、自分で取材をして記事を書きたいとの思いが強くなり、1996年8月に退社。東京に戻り、フリーライターとなり、渡邉恒雄の評伝取材を開始[2]

同年、共同通信の社会部のチームで書いた『沈黙のファイル -「瀬島龍三」とは何だったのか- 』で日本推理作家協会賞受賞。

1999年から『月刊現代』で渡邉恒雄の評伝の連載を開始。

2004年、『野中広務 差別と権力』で講談社ノンフィクション賞受賞。

2006年より、佐藤優宮崎学らとメディア勉強会「フォーラム神保町」を運営。

2010年1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理大谷昭宏岡田基志木村三浩郷原信郎、佐藤優、鈴木宗男田原総一朗平野貞夫、宮崎学らとともに参加した[3][4]

[編集] 経歴

[編集] 著作

[編集] 単著

  • 『特捜検察』(岩波書店、1997年9月)
  • 『特捜検察の闇』(文藝春秋、2001年5月)
  • 『特捜検察の闇』(文春文庫、2003年5月)
  • 渡邉恒雄メディアと権力』(講談社、2003年8月)のち同文庫
  • 野中広務差別と権力』(講談社、2004年6月)
  • 『国家とメディア 事件の真相に迫る』(筑摩書房、2006年12月)
  • 『官僚とメディア』(角川書店、2007年4月)
  • 『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』(講談社、2007年10月)

[編集] 共著

[編集] 関連項目

[編集] 注釈

  1. ^ 魚住昭『官僚とメディア』
  2. ^ 魚住昭『官僚とメディア』
  3. ^ フォーラム神保町=「『新選組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」~1.18緊急シンポジウム開催~=
  4. ^ 青木理・魚住昭・大谷昭宏岡田基志木村三浩郷原信郎佐藤優鈴木宗男田原総一朗平野貞夫宮崎学. File:01 国民不在の権力ゲーム. Infoseek 内憂外患編集部. http://opinion.infoseek.co.jp/article/721 1月27日..閲覧。. 

[編集] 外部リンク

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