ニッポン放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ニッポン放送
Nippon Broadcasting System, Incorporated
種別 AMラジオ放送
放送対象地域 関東広域圏東京都茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県神奈川県
系列 NRN
略称 LF
愛称 ニッポン放送
コールサイン JOLF
開局日 1954年7月15日
本社 〒100-8439
東京都千代田区有楽町一丁目9番3号 糖業会館・ニッポン放送ビル
北緯35度40分30.69秒
東経139度45分38.33秒
座標: 北緯35度40分30.69秒 東経139度45分38.33秒
演奏所 本社と同じ
親局 / 出力 東京千葉県木更津送信所) 1242kHz / 100kW
公式サイト http://www.jolf.co.jp/
特記事項:
テンプレートを表示
株式会社ニッポン放送
Nippon Broadcasting System, Incorporated
ニッポン放送 有楽町本社.jpg
本社(2007年撮影)
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 LF
本社所在地 日本の旗 日本
郵便番号:100-8439
東京都千代田区有楽町一丁目9番3号 糖業会館・ニッポン放送ビル
設立 2006年平成18年)4月1日
(新設分割のため)
業種 情報・通信業
事業内容 放送法に基づく一般放送事業(AMラジオ放送)ほか
代表者 代表取締役会長重村一
代表取締役社長村山創太郎
資本金 4億8000万円
売上高 188億3,741万円
2012年3月期)
従業員数 155名
(2012年7月1日現在)
主要株主 株式会社フジ・メディア・ホールディングス:100%
関係する人物 植村甲午郎
鹿内信隆
外部リンク http://www.jolf.co.jp/
特記事項:
  • 設立日に株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送、現在はフジ・メディア・ホールディングスに吸収合併)より放送免許を継承
  • 会社分割(フジテレビの完全子会社となる手続)により、現在の法人を設立した。旧法人設立は1954年4月13日。
  • 編成局長:檜原麻希[1]
テンプレートを表示

株式会社ニッポン放送(ニッポンほうそう、Nippon Broadcasting System, Incorporated)は、関東広域圏放送対象地域として中波放送AM放送)をする特定地上基幹放送事業者である。 略称・呼称はコールサインからLF、旧法人設立から1967年昭和42年)9月30日までの略称はNBS[2]。 なお、本記事では1954年(昭和29年)4月13日から2006年平成18年)3月31日までの旧会社(フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)に吸収合併)および2006年(平成18年)4月1日に分割新設された現行会社について述べる。

2013年10月からのキャッチフレーズは『NEXT STAGE with U』(ネクスト・ステージ・ウィズ・ユー)で、開局60周年記念のキャンペーンを兼ねている。

概要[編集]

東京地区で1950年代初頭に開局した民放のラジオ東京(現・TBSラジオ)・文化放送に続き、1954年に財界を中心とした約200社の出資で開局[3]。当時の役員は財界人で構成され、会長には稲垣平太郎日本貿易会会長)、社長には植村甲午郎経済団体連合会副会長)、専務には鹿内信隆日本経営者団体連盟専務理事)が就任した。このような後押しがあったため、当時としては珍しく開局2年目で経常収支が黒字となった[4]

産経新聞夕刊フジサンケイスポーツなどを発行する産業経済新聞社(産経新聞社)やフジテレビとともにフジサンケイグループを構成する中核企業である。文化放送と長く提携関係にあり、文化放送とともにラジオネットワークNRN」のキー局を務めている。

社章社旗は、フジサンケイグループ各社で使用している統一シンボルマークである「目玉マーク」を使用(開局から目玉マーク制定前は、ニッポンの"N"とコールサインの“LF”を電波型にデフォルメしたマークを使用していた。)。

もともとフジテレビの親会社的な存在であったが、2005年(平成17年)1月17日よりフジテレビによる子会社化を目的に株式公開買い付け(TOB)が実施される。同時期にインターネット関連会社ライブドアが、経営権奪取を目的として大量のニッポン放送株式を取得したが、同社との間で4月18日和解が成立し、9月1日にフジテレビの完全子会社になった。この件は様々な問題提起を残した。詳しくはニッポン放送の経営権問題を参照のこと。

オールナイトニッポン」のキーステーションとして全国的には知られているが、リスナーからはしばしば葉書やお便りで「ニッポン放送」を漢字で「日本放送」と誤記されるため、「ニッポンはカタカナでお願いします!」と言った後で、ニッポン放送の郵便番号を述べて葉書を募集する手順が通例である[5]。その理由として、日本テレビや日本テレビ系の中波ラジオ局ラジオ日本(JORF)NHKの国際放送「ラジオ日本」と混同されることが挙げられる[6]。今でも、「ラジオビバリー昼ズ」の清水ミチコは「ニッポンはカタカナでお願いします!」と呼びかけ、山本剛士ミュージックスクランブルネットワーク探偵団での宛先読みの際に時折「カタカナでニッポン、漢字で放送」と呼びかけている。

本社・演奏所は、1997年(平成9年)3月24日2004年(平成16年)9月5日の期間は、本社として使用していたビルの建て替えに伴い、東京都港区台場FCGビル(通称フジテレビ本社ビル)にあった。

原則として5:00起点の24時間放送(日曜深夜3:00〜月曜早朝5:00は休止)[7]

レコード・CDの所有枚数は約22万枚。これはNHK浜松支局(所有枚数34万枚)に次いで多く、民放では最多の枚数を誇る。

かつての大株主がNECであったことから送信機器は、開局当初から代々NEC製を使用している。ラジオマスターは、かつてNEC製を使用していたが、後に東芝製を使用するようになった。

社員の給与はラジオ単営局の中では高い方であった[8]

設立に財界が関与したこともあり、長らく労働組合が存在しないラジオ局であったが[9]、ライブドアによる買収問題が契機となり、2005年3月に労使の話し合いの場になっていた「いちご会」と呼ばれる30代以下の若手社員の有志組織が母体となって労組結成の準備を始め[10]、同年9月12日までに労働組合が結成された[11]

時報[編集]

時報音は開局以来鳩時計を模した特徴的なものを使用している[12]。ちなみに開局と同時に放送されたラジオドラマ「ポッポちゃん」と言うタイトルもこの時報をヒントにして名づけられた。

1992年(平成4年)3月15日よりAMステレオに対応したものに変更された。

「ピ・ポ、ピ・ポ、ピ・ポ、ポーン」と、鳩が鳴いているような音になっている。音階はイ長調で「ソ・ミ、ソ・ミ、ソ・ミ、(上の)ド」となる。 予報音の「ピ」は660Hz、「ポ」は550Hz、正報音の「ポーン」が880Hzであり、この三つの音でイの長三和音を構成する。

AMステレオの受信環境下では、予報音の「ピ」では左チャンネルの、「ポ」では右のチャンネルの音量が大きくなっている。正報音の「ポーン」は左右均等に流れる。

サイマル放送を行っているradikoでは時報音が放送されず、別のBGMが流れる。

ニッポン放送ローカルの自社制作番組の場合、ワイド番組内で時報を流す際には正時の「ポーン」と番組ジングルの間がクロスフェード状態(時報が鳴り終わる前にジングルが流れ出す)となる。全国ネットの場合[13]は飛び乗りの関係上、また番組と番組の区切りではそのようなことはない。

1980年代末から1990年代初めごろまで、月-金の25:00(「オールナイトニッポン」の番組スタート時刻)の時報スポンサーを川鉄商事(現・JFE商事)が務めており、その時だけ正規の時報音ではなく、そのメロディを楽曲化したものを流していた。

送信所[編集]

木更津送信所[編集]

ニッポン放送 木更津送信所(2008年8月撮影)
  • 所在地 千葉県木更津市椿318番地
  • 送信アンテナ 120m支線式トラス鉄柱 サブ60m支線式トラス鉄柱 (施工電気興業
  • 送信機(1994年春まで) BN-7252V(NEC) MB-136C(NEC)いずれも終段真空管蒸発冷却式
  • 現送信機(1994年3月本格運用)MBT-9050A 50kWデジタル振幅変調方式(全固体化)(NEC)×2台で100KW、設置工事NEC、鹿島建設  MBT9100A(NEC)
    民間の大電力中波局の完全固体化としては文化放送の方が1年早かった(1993年3月運用)。但し文化放送はPWM(Pulse Width Modulation パルス帯域変調)方式であり、デジタル振幅変調方式はニッポン放送が初めてである。PWM変調方式に比べ高電力変調増幅器が不要のため効率が良く消費電力と発熱が少ない、変調時の歪みが少なく高品質の電波を発射可能、使用部品も少なくメンテナンスも楽など利点が多い。
  • STL 送受信装置(日立国際電気)出力10W、1.8mグリッドパラボラアンテナ。バックアップ回線としてKDDI(開設時はTTNet)の光ファイバーとコーデック(英国APT社)を使用。
  • 制限増幅器/プリエンファシス VOLUMAX-4300(CBS Laboratories) OPTIMOD-AM9100B(orban) OPTIMOD-AM9400(orban;導入予定) Audioaxyz ED-BLC2(NEC;2009年春頃導入)
  • AMステレオエキサイタ AX-10(ブロードキャスト・エレクトロニクス
  • 送信局舎 鉄筋コンクリート 送信機室は2台のエアコン(総合10万kcal)で常時25度に保たれている
  • 非常時用発電機 350kVA(三菱電機三菱重工業
備考

1971年(昭和46年)、100kW増力に伴い東京都足立区から千葉県木更津市に移転。足立送信所では1310kcで50kWであったが、ここで増力すると強電界の影響を受ける世帯が多く、さらに世田谷多摩神奈川方面の難聴取地域の対策にもならないため聴取率に響くことなどから木更津への移転を決めた。

このプロジェクトは、高橋琢二の元に行われた。 周波数は当初1310kcの予定であったが、FEN(現:AFN)810kcとのビート混信の懸念から、郵政省(当時)から1240kcに変更するよう指示があった。 1240kcへの変更には、「モスクワ放送(1251kc・1000kW)を妨害するため」などの諸説があるが、大電力局のため、国際調整で割当可能な周波数は1240kcしかなかったというのが実情であろう[要出典]。 1978年(昭和53年)に 国際電気通信連合の取り決めで中波放送の周波数は10kHz間隔から9kHz間隔に変更され、現在の1242kHzになった。

木更津送信所からの電波は、ニッポン放送の放送エリア西端である静岡県東部・中部でも比較的良好に受信可能である(特徴の項も参照)。また木更津送信所から直線距離で100km程度の場所では、非常に受信状態が良くなることが、雑誌「ラジオパラダイス」での実験により確認されている。なお日中でも受信可能な限界は、西は名古屋市知多半島辺りから和歌山県、大阪でも受信可能地区あり。 ただし、他の関東広域圏を放送対象地域とする中波放送は、NHK等を含め埼玉県内から送信であるのに対し、送信所の位置関係から、北関東でも聴取困難な地域がある他、東京都島嶼部も送信所から遠方となる南方へ行くほど聴取困難、都内においても新宿駅を過ぎた辺りからの中央線沿線や、練馬区以西の一部を中心に、新宿新都心超高層ビル群の影響で他局よりも受信感度が落ちる地域がある。

受信エリア外で比較的良好に受信可能な地域は、秋田県大潟村山形県山形市付近などが確認されている。電波の電離層による反射具合が大きい冬場の場合、四国東部、特に徳島県の海沿いでは10:00~15:00を除いた時間で聴取可能。またグアムでは、夜間に受信状態さえ良ければ、RFラジオ日本と共に聴取可能であった。早朝は大韓民国(韓国)の一部でも受信可能。 夜間では、電波の電離層による反射具合が大きいためほぼ全国的に聴取可能で、ニッポン放送だけで放送されている番組を聴取する人が多い。地元局東北放送の周波数が近い宮城県がその好例である(※ちなみに、東北放送 仙台親局は1260kHzである。)近畿広域圏では和歌山放送四国放送と混信する可能性がある。また、長崎県青森県ではそれぞれの地元局(長崎放送青森放送)親局が1233kHz、石川県ではNHK金沢第1放送の親局が1224kHzと周波数が近接しているため受信や混信が厳しい地域もある。なお西日本の一部地域では同一周波数の韓国MBC原州文化放送と混信する地域もある。

敷地内に、大規模太陽光発電所(メガソーラー)を導入する予定である。2013年1月に着工を開始し同8月の稼働を予定。 導入するメガソーラーは三菱電機の太陽電池モジュール(250W×7634枚)と、東芝三菱電機産業システム製のパワーコンディショナーによって構成され、発電能力は約1908メガW、推定年間発電量は約2102メガWhとなる予定[14]

足立予備送信所[編集]

足立送信所は非常用に残されており、木更津送信所のトラブル時に出力1kWで送信される。毎年4月~6月ごろに、定期検査のデータ採取のため、月曜未明の放送休止中に試験電波を流して電界強度測定を実施している。なお、試験電波を受信して受信報告書を送ると「足立予備送信所1kW 受信確認」の印鑑が押されたベリカードが送られる。

1986年(昭和61年)9月、ナイター中継中に電力会社側での地絡事故により木更津送信所が停止、急遽被害を受けていない足立予備送信所から送信された。また2006年(平成18年)8月14日には木更津送信所付近で停電があり、その際もこの送信所から送信された。

2012年9月8日2時すぎ、「AKB48のオールナイトニッポン」を放送中、送信所不具合で関東地方向けの音量が極端に低下する放送事故を起こした。

新聞番組表[編集]

  • フジサンケイグループの一員ということで、産経新聞東京本社版(関東向け=朝刊のみ)のラジオ番組表では、番組タイトル部分をゴシック体で表記している。グループ会社であるフジテレビの番組欄は、黄色く網かけされている(休刊日前に2日分掲載するときなど、ときどき網かけしないこともある。また、テレビ欄にフジテレビの番宣広告が掲載された場合は当該番組のみ網かけされる)。なお、同じフジサンケイグループでも文化放送については、ラジオ番組表で特別な扱いを受けることはなく、休刊日のおしらせの時にグループ企業として紹介されるにとどまっている。
  • また、多くの地方新聞では夜間~早朝に電波が全国で届きやすいことも配慮し朝刊のラジオ番組欄に文化放送TBSラジオとともに深夜~翌朝の番組のみ掲載することが多いが、鳥取県の地方新聞である日本海新聞では関東のラジオ局で唯一当局を取り上げ、それを早朝からの全日分掲載しているが現地では通常昼間は電波は届かない。

沿革[編集]

1950年代 - 1990年代[編集]

本社(1961年ごろ)。当時はフジテレビの本社所在地でもあった
  • 1953年(昭和28年)12月23日 - 日本放送株式会社として予備免許取得。
  • 1954年(昭和29年)
    • 1月21日 - 日本放送株式会社を「株式会社ニッポン放送」に改称。
    • 4月23日 - 設立総会を経て正式に「株式会社ニッポン放送」設立。
    • 7月7日 - 本免許取得。
    • 7月14日 - 6:30から、開局記念番組を放送。様々なイベント、ライブの模様を放送
    • 7月15日午前5時 - 全国36番目、東京で3番目の本放送開始(ラジオ東京(KRT。現・TBSラジオ)、日本文化放送協会(NCB。現・文化放送)に続く3番目)。周波数1310kc、出力50kW、略称NBS。最初の番組は「お早うさん」[15]。アナウンサーは檜山信彦、ディレクターは糸居五郎、一番最初にかかった曲はムソルグスキー作曲「禿山の一夜」。
  • 1955年(昭和30年) - ポニーキャニオンの前身となる関連会社 株式会社ニッポン放送事業社を設立。その後、1966年(昭和41年)10月1日に株式会社ニッポン放送サービスへと発展。
  • 1957年(昭和32年)11月 - 東京地区のテレビ免許割り当てで、文化放送と共同でフジテレビジョン(以下フジテレビ)を設立。
  • 1958年(昭和33年) - 文化放送と共同でステレオ実験放送を実施。
  • 1959年(昭和34年)3月
    • 株式会社深夜放送(後に催事企画及び保険代理店の株式会社フジサンケイエージェンシーとなる)を設立。
    • 24時間放送開始。
  • 1962年(昭和37年)11月3日 - 国内初のサテライトスタジオを新宿小田急百貨店店内に開設。
  • 1965年(昭和40年)5月3日 - 文化放送と共同で全国民放ラジオ31社を結ぶ全国ラジオネットワーク(NRN)を発足。
  • 1967年(昭和42年)10月1日 - 深夜放送の長寿番組『オールナイトニッポン』が放送開始。また、この頃略称を「LF」に変更。(NBSの略称は、現在長野放送が使用)
  • 1971年(昭和46年)
    • 6月 - 増力のため東京都足立区から千葉県木更津市椿へ送信所を移転。
    • 11月1日 - 周波数を1240kcに変更、出力100kWに増力。
      この周波数変更前後(10月29日の朝8時半から11月2日正午まで)、出力100kW拡大にちなんで「100時間マラソンラジオ」と題した特別番組を開催。
      周波数変更直前から新周波数(1240kc)では鐘の音を鳴らしながら「このシグナルは1240kc・100kW、ニッポン放送木更津送信所から送信しています。周波数をおあわせ下さい」という試験電波のアナウンス・音源が放送された。そして午前3時の時報と同時に「ニッポン放送です。ニッポン放送はただいまから周波数1240kc、出力100kWで放送します」というアナウンスが行われ、「第2の開局」と称して周波数変更と出力拡大が行われた。この当時のアナウンスは高岡尞一郎によるものである。
  • 1973年(昭和48年) - 『銀座音楽祭』開始(フジテレビ共催。歌手の新人賞の一つ)。
  • 1975年(昭和50年) - 視覚障害者のために音響装置付信号機その他を贈るべく、毎年12月24日から翌日12月25日にかけて24時間放送しているチャリティー番組『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』を開始。
  • 1977年(昭和52年)10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始10周年。
  • 1978年(昭和53年)
  • 1981年(昭和56年)12月 - 大型多目的公開スタジオ「ラジオハウス銀河」(第1スタジオを改装)完成。
  • 1982年(昭和57年)2月16日 - プリエンファシスを導入。
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、ロゴ・マークを現在の「目玉マーク」に変更。
  • 1987年(昭和62年)10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始20周年。
  • 1991年(平成3年)10月 - 『オールナイトニッポン』25年目突入を記念して、中島みゆきタモリビートたけし笑福亭鶴光の各オールナイトニッポンが、一夜限りの復活放送特別番組を放送した。
  • 1992年(平成4年)
  • 1994年(平成6年)3月 - 国産初の全固体化大電力デジタル振幅変調方式の送信機(日本電気製 MBT-9050A)を導入。
  • 1996年(平成8年)12月2日 - 東京証券取引所第二部に株式を上場。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月24日 - 本社ビルが老朽化し建て替えるため、本社等を有楽町の糖業会館ビルからFCGビル東京都港区台場、通称フジテレビ本社ビル)に移転。本社・スタジオ・主調整室はFCGビルのメディアタワーの22階~24階に設けられていた。
    • 10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始30周年。放送開始30周年を記念して、翌年3月までの間、過去のパーソナリティが登場する特別番組「オールナイトニッポンDX」を放送。
  • 1998年(平成10年)
    • インターネット公式サイトを、フジサンケイグループのサイト内に開設。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月29日 - LF+Rがスタート。
    • 6月1日 - オールナイトニッポンのパーソナリティとして有名だった亀渕昭信が代表取締役社長に就任。現場からの叩き上げで社長になった非常に珍しい例。
    • 10月4日 - 公式サイトを現在のURL(1242.com, allnightnippon.com, jolf.co.jp, jolf.net)に移転。10月より一部番組でメール投稿の受付を開始。

2000年代[編集]

  • 2000年(平成12年)
  • 2001年(平成13年)
  • 2003年
  • 2004年
  • 2005年
    • 1月17日 - フジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)がニッポン放送発行済み株式の公開買付 (TOB) を発表(これにより両社の資本関係が逆転し、フジテレビの子会社になる予定だった)。
    • 2月8日 - インターネット関係会社ライブドア(現:LDH)が子会社のライブドア・パートナーズと合わせて株式の35%を取得、ライブドアグループが筆頭株主となる。
    • 2月10日 - フジテレビがニッポン放送株式TOBでの株式保有比率目標を「50%超」から「25%超」に引き下げ、買い付けの期限を3月2日まで延長すると発表。
    • 2月23日 - フジテレビに対し4720万株分の新株予約権を割り当てると発表。
    • 2月25日 - ライブドアがフジテレビを対象とした新株予約権発行を不服として東京地裁に発行差し止めの仮処分申請。
    • 3月8日 - フジテレビによるニッポン放送株式TOBが成立、同社発行済み株式総数(3280万株)の36.47%を取得したと発表。
    • 3月11日 - ライブドアの差止請求が認められ上記の新株予約権発行は無効に。ニッポン放送は東京高裁に対して即日抗告。
    • 3月23日 - 上記の新株予約権発行差し止めの仮処分を不服としたニッポン放送の東京高裁に対する抗告が棄却された。同社は新株予約権発行を断念。
    • 3月24日 - ニッポン放送はソフトバンク・インベストメント (SBI) に対して、ニッポン放送が現在所有するフジテレビ株を5年間の期限付きで貸し与えた。
    • 3月27日 - 1955年以来、50年間続いた長寿番組『新日鉄コンサート』が終了。
    • 4月18日 - ライブドアとフジテレビが和解、ライブドアグループが所有するニッポン放送株式全てをフジテレビに譲渡すると発表。フジテレビによる完全子会社化に目途が立つ。
    • 4月22日 - ライブドアが「ニッポン放送株式をフジテレビと“共同保有している”」とした「大量保有報告書」を関東財務局に提出。
    • 5月23日 - フジテレビがライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を「LFホールディングス」(2006年4月に存在した「ニッポン放送ホールディングス」とは別の会社で、2005年7月12日にフジテレビと合併)に変更、フジテレビ保有のニッポン放送株式が合わせて68.87%となる。フジテレビによるニッポン放送の子会社化を円滑に進めるため、産業活力再生特別措置法の適用認定を申請。
    • 5月24日 - ニッポン放送株式を東京証券取引所が監理ポストに割り当てる。
    • 5月25日 - ニッポン放送が自社株式のTOBを開始。
    • 6月10日 - 総務省が産業活力再生特別措置法の適用を認定。
    • 6月16日 - ニッポン放送による自社株式のTOBが完了。ライブドアが保有する株式の大半を含む964万株を取得。これに伴いライブドアは主要株主から外れる。
    • 6月22日 - フジテレビの深夜ドラマ枠『ディビジョン1』で、ニッポン放送(主にオールナイトニッポンの制作現場)を舞台としたドラマ『1242kHz こちらニッポン放送』放送開始(全4回)。22日深夜(23日未明)放送の『松浦亜弥のオールナイトニッポン』で松浦がこのドラマの模様を解説。
    • 6月24日 - 磯原裕専務が社長に就任、亀渕昭信社長は退任し相談役に。
    • 6月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の整理ポストに移行。
    • 6月30日 - SBIに貸し出されていたフジテレビ株式がニッポン放送に返却される。これによりニッポン放送がフジテレビの筆頭株主に復活。
    • 7月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の上場廃止。
    • 9月1日 - フジテレビとの間で株式交換を実施、フジテレビによるニッポン放送の完全子会社化完了。
    • 10月3日 - 「ニッポン放送Podcasting STATION」を開設、ポッドキャスティングによるインターネットラジオ配信を開始。
    • 12月25日 - フジテレビ系列にて「松任谷由実のオールナイトニッポンTV」が放送。
  • 2006年
    • 1月19日 - 総務省がニッポン放送のラジオ事業部門の会社分割に伴う免許承継を認可。
    • 3月31日 - BSフジの超短波放送チャンネル撤退にともない、「LFX488」の放送が終了。
    • 4月1日(休日につき、登記は4月3日に実施)
      (旧)ニッポン放送保有の資産をフジテレビに吸収させるため会社分割を実施、社名を「株式会社ニッポン放送ホールディングス」に商号変更すると共に、中波放送局免許及び中波ラジオ放送事業を(新)「株式会社ニッポン放送」に承継。ロゴマークも新会社がそのまま承継。
      「ニッポン放送ホールディングス」をフジテレビが吸収合併。
      アナウンサーを含む47人(全社員の約2割)を除いたすべての社員が(新)「ニッポン放送」に転籍(事実上ニッポン放送に残留)、47人はニッポン放送ホールディングスのフジテレビへの合併によりフジテレビの社員になった(事実上のフジテレビへの転籍)。
      これにより、フジテレビは(旧)ニッポン放送が保有していたフジテレビ株式(20.80%)とニッポン放送子会社(ポニーキャニオンなど)株式を取得し、ニッポン放送保有のフジテレビ株式がなくなるとともに、ニッポン放送子会社がフジテレビの直接子会社となりフジテレビが事業持株会社化した。
      LFXBBを、地上デジタル音声実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーションLFX mudigiとしてリニューアル。
    • 9月30日 - 4月の会社再編でフジテレビの社員になっていた元ニッポン放送アナウンサー全てが番組から降板、もしくは番組終了。
    • 10月1日 - 地上デジタルラジオ実用化試験放送のチャンネルが、9501チャンネル(愛称mudigi)に移動し、1セグメント放送のみに変更。
  • 2007年
    • 3月中旬 - Suono Dolce専用サイト開設(suono.jp)。
    • 4月2日 - LFX mudigiを地上デジタルラジオ実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーションSuono Dolceとしてリニューアル。地上デジタルラジオのチャンネル名をD-JOLFに変更し、サブチャンネルのJOLF+を創設。
    • 10月1日 - 深夜放送『オールナイトニッポン』放送開始40周年。

2010年代[編集]

  • 2011年
    • 1月1日 - CS放送専門チャンネルゴルフネットワーク「ジャンボ尾崎世界ゴルフ殿堂入り記念特番 新世紀ゴルフ伝説 ジャンボ尾崎と若武者の挑戦」(1月2日夜放送分)の50分編集版特別番組「新世紀ゴルフ伝説 ジャンボと若武者の挑戦」[23]がLFをキー局にNRN系列で放送(LFでは同日19:00 - 19:50に放送)。パーソナリティは師岡正雄
    • 3月11日 - 『上柳昌彦 ごごばん!』放送中の午後2時46分、東日本大震災東北地方太平洋沖地震)発生。「災害特別放送」に移行[24]、終日震災関連の情報を提供。
      • 地震発生時から18:00まで、番組担当の上柳昌彦が地震注意を呼びかける中、14:47に23区でも震度5強を記録(断層の連続破壊により、S波は1分にわたって続いたことになる)。地震の第一報(最大震度・津波情報)を宮崎裕子が伝え、程なく森田耕次報道部長(当時。現:解説委員)に変わり上柳と担当。このあとも14日5:00まで断続的にアナウンサー・報道部デスク持ち回りで実施。また土曜日は『とくモリ!』の徳光和夫・石川みゆきや『ラジオサーキット』の小倉智昭が出演するなど、通常番組ではあるが内容を大幅変更して放送されたケースも存在する(この場合も徳光・石川・小倉はフリーアナウンサーではあるが、情報キャスターの役割でニッポン放送のアナウンサーと報道部デスクが必ず付いた)。また13日5:00までは時報、音楽、CMをすべてカットして報道に専念(その後もCMカットは続くが時報と一部音楽のみ13日5:00の時報で解禁)。これ以降も18日までは番組ジングルなどは基本的にカットされた。
      • J-WAVEの主導により他の在京5局と共に、史上初の「ラジオ災害情報交差点」、またニッポン放送独自のネットワークによる「首都圏学校安否情報」「首都圏お勤め先安否情報」発動。
      • 当日19:00から2時間など、一部時間帯は大阪・朝日放送(ABC)へも同時ネットされた。なお、全国ネット対応枠(ex.オールナイトニッポンの枠)は首都圏ローカル情報枠とネット局向け枠の二重制作の上で後者を裏送りした。この裏送り分は大阪ではラジオ大阪が主にネットしていたため、大阪地区では二重制作分を両方聴取することが可能であった。
      • この影響で『テレフォン人生相談』は聴取率調査週間のみの放送(それ以外の日は裏送り)となった。[25]
      • これ以降、各アナウンサー持ち回りで担当する「防災ひとくちメモ」をスポット枠で流している。その他、防災への取り組みはニッポン放送 防災システムに掲載されている。
      • 同時に夏場は「暑さ対策ワンポイント」をスポット枠で流す。こちらは飯田アナウンサーと新保アナウンサーのものが流れる。
    • 3月29日 - この日行われた「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!SAMURAI BLUE(日本代表) vs Jリーグ選抜 TEAM AS ONE」(19:00 - 21:50)の生中継を19:20以降、宮城県コミュニティFMである仙台シティエフエム RADIO3仙台市青葉区)とエフエムたいはく(仙台市太白区)へ向けてネットされた。また、在阪NRN加盟局がいずれも放送しなかったため、独立局のラジオ関西へもネットされた。実況は煙山光紀アナウンサー。
    • 3月31日 - 地上デジタル音声放送実用化試験放送終了に伴い、95チャンネル「D-JOLF」、9501チャンネル「Suono Dolce」・9502チャンネル「ニッポン放送DIGITAL」閉局。
    • 4月9日 - 午後1時から24時間、福山雅治をメインパーソナリティに「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン スペシャル 『I'm with U キミと、24時間ラジオ』」を生放送。ミュージックソンの特別版は今回が初。また、今回は普段と異なり、深夜早朝に問わず全国の放送局が任意の時間に番組をネットできる体制をとり、企画ネットで放送されない地域でもニッポン放送の番組が入中される。
    • 6月22日 - 8月31日にかけて自主的にライトダウンの呼びかけを行う「昼も。夜も。節電ライトダウン2011」に参加。
    • 8月1日

設備[編集]

ニッポン放送 有楽町本社 正面玄関付近(2006年撮影)
  • 糖業会館・ニッポン放送本社ビル
    建て替え前の「糖業会館ビル」は太平洋戦争前に建てられた建物で、ニッポン放送開局に伴い増築をして入居していた[29]。所有者は社団法人糖業協会だったが、建て替えを機に合築し共同所有となった。
    地下4・3階、地上2・3階は、糖業協会が使用。地下1階はテナント「ニユートーキヨー 綴 TSUZURI」が使用[30]
    • 地下2階
    • 地下1階 - (ニユートーキヨー 綴 TSUZURI)
    • 1階 - 受付・車庫
    • 2・3階 - (糖業協会)
    • 4階 - 生放送フロア。第2スタジオと第3スタジオを交互で使用している。
      • マスター(東芝 社会インフラシステム社製)
      • 報道部
      • テレフォンセンター
      • 第2スタジオ - 生放送用スタジオ。スタジオの窓からはザ・ペニンシュラ東京日比谷公園が見える。
      • 第3スタジオ - 生放送用スタジオ。スタジオの窓からDNタワー21が見える。また、再移転後しばらくは通称レトロスタジオとして、昭和30年代をイメージした家具や雑貨が置かれていたが、2006年に撤去された。
    • 5階
      • アナウンスルームなど
    • 6階 - 準放送フロア
      • 第4、5、7スタジオ - 主に録音番組の収録に使用。
      • 第6スタジオ - NRN専用スタジオ。番組収録に使用。
      • 編集室
    • 7・8階 - 事務・管理部門
    • 9階
      • スタジオX - インターネットラジオ・デジタルラジオSuono Dolce専用スタジオ。かつてBSデジタルラジオ LFX488専用スタジオとして設置・使用されていた。

サテライトスタジオ[編集]

ニッポン放送は1960年代前半、当時テレビに押され気味だったラジオの媒体価値を高めるべく、ラジオがより身近な存在である事をアピール。局舎以外に公開スタジオを設置する事となり、これをサテライトスタジオ(通称・サテスタ)と呼んだ。このサテスタ作戦は成功し、文化放送は追従したが、TBSラジオは街頭中継に力を入れた(=ラジオカーの増強)こともあり追従はしなかった。

現在ではニッポン放送も含め、同様の施策はAM局よりはむしろFM局の方が力を入れている(例:TOKYO FMのスペイン坂スタジオ)が、全国各局で採用されている。

過去に設置されたニッポン放送のサテライトスタジオ所在地
  • 新宿小田急百貨店2階。現在は三菱東京UFJ銀行の一部 1962年-?)
  • 新宿(伊勢丹内)
  • 雷門サテライトスタジオ(浅草 常盤堂本店1階 現在は店舗の一部)
  • 秋葉原シントクエコー1階。跡地は建物の守衛室に流用されている 1970年以降 - 1993年以前)
  • 池袋西武百貨店2階。現在は百貨店のディスプレイ)
  • 銀座三愛ドリームセンター内)
  • 西銀座サテライトスタジオ(西銀座デパート1階 現在は隣接していた宝くじチャンスセンターが増床 サテライトスタジオのさきがけ)
  • 有楽町Radio Town(有楽町 読売会館2階南側(ビックカメラ有楽町店内) 現在はビックカメラ有楽町店の一部 2001年6月-2004年3月)

中継車[編集]

旧ラジオカー(車種:トヨタ・ランドクルーザー80)
旧ウェザーカー(車種:トヨタ・エスティマ

1959年(昭和34年)に日本のラジオ局で初めての交通情報番組「ハイウエーニュース」を放送開始し、1960年頃に主要13交差点の混雑状況を報じる「交通ニュース」も放送開始。その後アメリカのラジオ局にならい「ニッポン放送ヘリ情報」と題してヘリコプターから交通情報や報道を行っていたが、日本道路交通情報センターが設置されたためヘリコプターを廃止。その後1970年(昭和45年)3月2日に街角からのリポート・報道中継を目的として、中波民放ラジオ局としては初めてラジオカーを導入。その後、各局が追随した。当初は2台(セダン型の車両を使用 愛称:ニッポン1号・ニッポン2号 塗装は、緑と白の塗り分け)で、JAFのロードサービス隊員が乗車していた。

なお現在の車両には、車体正面と側面にニッポン放送のロゴとフジサンケイグループの目玉マークが描かれている。

ラジオカー[編集]

FMカー[編集]

  • ハイエース
  • キャラバン
    • ラジオカーの電波が受信基地に届かない場合に、ラジオカーの電波を受信基地まで2段中継するために使われる。他の車に比べ出力の大きい送信機を搭載。
    • 2011年現在、トヨタ・ハイエース日産・キャラバンを使用[33]

その他[編集]


車両は4年ごとに更新される。ラジオカーの最大出力は50W。中継は、霞が関ビルディング筑波山双子山に設置された基地局に送られ、そこから専用回線を使って本社に送られる。 ナンバープレートは希望番号制度により、基本的に「1242」となっている。

ID[編集]

  • 開局当時から、民間放送では唯一、君が代が演奏されている。1998年(平成10年)3月までは毎日の放送開始=24時間放送に移行後は1日の基点時間に毎日演奏されていたが、同年4月以後は月曜日と土曜日の早朝の開始(基点)時間に演奏されるのみとなり、火 - 金曜日と日曜日の早朝のジャンクションは、フランク・ミルズの「街角のカフェ(from a sidewalk cafe)」の演奏と共にアナウンスが行われていた。
    • 2013年10月現在、基本的にIDの放送は日曜の早朝と月曜の早朝のみとなった。
【日曜の早朝】 4:28頃に『オールナイトニッポンR』のCM枠内で「今週の推薦曲」を流し、4:29.20から山本剛士アナウンサーの声で流している。4:29.40から4:30.00まではCM枠を再びフェードインさせてつないでいる。なお、起点である5:00のところは以前は前番組から1分間のステブレを挟んだが、現在は時報を挟んだステブレレスである。
【月曜の早朝】 以下の通り、試験放送後に那須恵理子アナウンサーによるコールサインチェック、緊急警報放送試験信号の発信、5:00の時報となって、平日朝一番の番組へつなぐ。ただし、『中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ』または終夜特別編成(主に『中村こずえのサウンドピクチャースペシャル』)になる場合はコールサインチャック・緊急警報放送試験信号は放送されない。放送開始アナウンスにおいては「お聴きの放送は皆さまのニッポン放送です。」を挿入している。
【火曜〜土曜の早朝】 5:00が起点であるが、『オールナイトニッポン0(ZERO)』後にチェックはせず、時報まではCMとジングルを流すのみ。なお、朝一番の番組が『小倉淳の早起きGoodDay!』だった時代は、4:29.47から那須アナ「JOLF こちらはニッポン放送」という多く流されているパターンのものを挿入していた[34]。また、かつて土曜の起点が4:30だった時代にも特に流されることはなく、『オールナイトニッポンR』からはステブレレスで『ラジオアーカイブ 発掘!ラジオ天国』へとつないでいた(ラ・テ欄上は前日深夜扱いだったが、ニッポン放送の編成上では土曜起点の番組)。
  • かつて、「ニッポン放送行進曲」(作曲:古関裕而)なる曲が毎日放送されており、現在も入社式で使用されている[35]
  • 終了時は増山さやかアナウンサーのアナウンス後、クロード・チアリ演奏によるジョニー・ピアソンの「朝もやの渚(Sleepy Shores)」が流れる[36]。ただし、最近はアナウンス後にすぐ停波するパターンも多い。放送終了アナウンスは時期により異なり、「午前5時放送開始」をアナウンスするものは増山アナウンサーだが、「午前4時30分放送開始」をアナウンスするものは増田みのりアナウンサーであった。
  • 1980~1990年代には、「朝もやの渚(Sleepy Shores)」の後にも、朝の局名告知で使用されるフランク・ミルズの「街角のカフェ(from a sidewalk cafe)」が、続いて1分15秒ほど流れていた。
  • 一日中放送内でCM明けにコールサインが放送され、また1時間ごとに、IDコールが行われる(無線局運用規則第138条第2項の毎時最低1回の局名告知義務に基づくもの)。広告入りの物もある。
  • 月曜日の早朝はメンテナンスが行われるが、4:45から試験放送が行われる(2007年9月から2010年6月までは、小倉淳の早起きGoodDay!(4:30開始)が放送されていた為、4:15からであった[37])。その際流れるのはエンヤの「Amarantine」「It's In The Rain」「Long Long Journey」の順に流される(2008年度(平成20年度)~[38])。そのあとコールサインチェック、君が代の演奏、緊急警報放送システムの試験信号放送が行われ、通常放送がスタートする。なお、この緊急警報放送システムの試験信号放送は、自動的に信号で動作することが出来るラジオの電源をOFFにする信号であるため、ラジオの周波数を1242に合わせてあって、この信号を仮に受信したとしても急に電源が入る心配はない。ただ、対応ラジオで聞いていた場合には電源が切れる。
    • 緊急警報システムの試験信号放送は以前は日曜深夜の放送休止のアナウンスが入る前に行なわれていた。
  • 1999年(平成11年)7月から2001年3月にかけて、学研が終了時の枠を買い取り、突如終了時にノイズが入り(終わったかのように思わせて)、雑誌ムーの宣伝とオカルト怪談のラジオドラマを放送していた。当時のタイムテーブルには「日曜の夜に何かがおこる」とあった。当然ではあるがそのあとに本当のクロージングは放送している。
    • 内容としては、通常のクロージングのように「JOLF JOLF お聴きの放送は皆さまのニッポン放送です」(ただし担当は別人)と入れたのちに「朝もや」を流すが唐突にホラー音楽が流れ、先程のコメントに不気味なエフェクトをかけて怪談のラジオドラマを流していた。
  • 90年代後半、月曜の放送開始前に正規扱いでない生番組が放送されたことがあった。この番組の終了後オープニングとなっていた。
  • ニッポン放送で流される局名告知の短いIDは後述のキャッチフレーズを使用したジングルと、アナウンサーが読み上げるものが存在する。2013年4月現在は以下の通りで、那須・山本・新保・飯田各アナウンサーによるものが流される。
    • JOLF, お聴きの放送はニッポン放送、周波数は1242kHzです。
    • お聴きの放送はAM1242、ニッポン放送です。

番組[編集]

アナウンサー[編集]

アナウンサーの所属は、生活情報・音楽・バラエティなどが中心の制作部と、スポーツ専門のスポーツ部に分かれていたが、2011年6月に編成局アナウンサー室に集約された[39]が、2012年7月1日付の組織変更により「編成局制作部アナウンサールーム」となった。なおニュース専門の報道部はアナウンサーではなく、報道部デスクと呼ばれる。所属は報道部で記者という扱いのためプロフィールも公開されていない。また契約アナウンサーは、報道部の宿直勤務を中心に局アナ業務のフォローを担っている。

なお、各番組に出演する際に、「ニッポン放送の○○です。」と言う。

  • 情報・バラエティ担当男性アナウンサー
    • くり万太郎(くりまんたろう 本名:高橋良一、1974年入社、嘱託)
    • 上柳昌彦(うえやなぎまさひこ 1981年入社、チーフ)
    • 山本剛士(やまもとたけし 1990年ころRFラジオ日本より移籍、チーフ)
    • 垣花正(かきはなただし 1994年入社、アナウンス室副部長)
    • 吉田尚記(よしだひさのり 1999年入社、主任)
    • 飯田浩司(いいだこうじ 2004年入社)
  • 情報・バラエティ担当女性アナウンサー
  • スポーツ担当アナウンサー
    • 栗村智(くりむらさとる 1977年入社、2006年4月にフジテレビに転籍するが、同年7月に復帰、嘱託)
    • 師岡正雄(もろおかまさお 1993年九州朝日放送より移籍、チーフ)
    • 松本秀夫(まつもとひでお 1985年入社、チーフ)
    • 煙山光紀(けむやまみつのり ラジオたんぱ〈現:ラジオNIKKEI〉→1994年テレビ北海道より移籍、アナウンス室副部長)
    • 山内宏明(やまのうちひろあき 1992年ころ入社、主任)
    • 洗川雄司(あらいかわゆうじ 2000年入社、主任)

※清水はスポーツ部所属、桜林は報道部所属、武田は月曜日の当直となり深夜の交通情報などを担当する。当直勤務は他にOBの斉藤安弘や現役アナウンサーの上柳、山本、吉田も行う。

支局アナウンサー[編集]

すべてフリーアナウンサー。交通情報(昼・夕方 2010年3月より各県警からの交通情報を休止)や、地域情報番組「ハロー埼玉」(2008年度から休止)・「ハロー千葉」・「ハロー神奈川」を担当。なお東京都内の交通情報は日本道路交通情報センター[40]が担当。[41]

  • 東日本支局(通称 埼玉支局)
    • 酒井美穂(月・火 ?-2010年3月)
    • 久米ちえ(漢字表記不詳 水-金 ?-2010年3月)
  • 千葉支局
    • はやしまりい(月・火 ?-2010年3月)- 2009年以降は交通情報のみの担当となる
    • 屋木綾伊子(水-金 ?-2010年3月) - 2009年以降は交通情報のみの担当となる
    • 廣田みゆき(現:ひろたみゆ紀、2009年1月-2010年3月) - 「ハロー千葉」のみ担当
    • 松井華織(2009年1月-? 「ハロー千葉」のみ担当)
    • 平塚アミ(2010年3月-2011年12月)
    • おだりょうこ(漢字表記不詳 2010年11月-2011年12月)
  • 神奈川支局

※かつては静岡支局も存在していたが、営業拠点であり地域情報や交通情報の枠はなく、1990年代に神奈川支局に統合された。

ディレクター・プロデューサー[編集]

晴れ晴れキャスターズ[編集]

1994年(平成6年)10月-2006年(平成18年)9月まで放送されていたTOYOTA 飛び出せ街かど天気予報のウェザーキャスター。

過去の在籍者[編集]

フジテレビに転籍したアナウンサー[編集]

2006年(平成18年)4月にニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送)が親会社のフジテレビジョンに吸収されたため、11人のアナウンサーがフジテレビに転籍した(なお7月に栗村がニッポン放送に戻った)。これらのアナウンサーは転籍後半年はテレビ・ラジオ双方に出演していたが、9月いっぱいで契約が切れたため、番組自体が終了したり、担当している番組から降板した。10月以降これらの穴埋めはニッポン放送のアナウンサーやタレントが行っている(ただし小野のみテレビだけでなく、2007年10月から2009年3月までニッポン放送のスポーツ中継で実況を担当していた。この場合、ニッポン放送の番組担当時は出向扱いとなっていた)。

その他[編集]

胡口・宮田・山田透は退社した現在も『ニッポン放送ショウアップナイター』内ではニッポン放送アナウンサー扱いとなる。また、石川・斉藤・荘口・高嶋・波多江も現在ニッポン放送を中心に活動している。

LF+R[編集]

オーディエンス・セグメンテーション[編集]

オーディエンス・セグメンテーション」(Audience Segmentation)は、ニッポン放送が提唱したラジオ番組編成理論。時間帯によって主たる聴取者を選択し、その聴取者層に合わせて番組を編成する(例:朝・夕方―通勤者、昼―自営業者、車両で外回りする人、夜―若者 これは大まかな分け方で、実際には更に細分化している)。

元々は1960年代前半に広告業界でテレビへの大規模なシフトが起き、ラジオ広告費が大きく減少したことに対応して抜本的な編成方針の見直しを迫られたことから導入したものである(ラジオ離れ#1960年代も参照)。厳密な市場調査を重ね、1964年(昭和39年)4月編成より導入した当初は各方面から無謀ととらえられたが、ニッポン放送の成功により文化放送も追従。MBSラジオなど全国各局もこれを取り入れた。TBSラジオは当初これに対抗してあらゆる層の聴取者を対象とした総合番組(「オーナー」等)を制作・編成する方針を打ち出したものの、結局は導入した。

この理論は長らく民放中波ラジオ編成の基本とされてきたが、近年では聴取者の高年齢化や若年層のラジオ離れが作用し、理論が当てはまらなくなりつつある。

特徴[編集]

  • 送信所の位置関係から、TBSと文化放送は北関東の企業・自治体のCMが多い(文化放送は埼玉県を更に重視、TBSは群馬県関係のCMが目立つ)のに対し、ニッポン放送は、在京ラジオ局では神奈川県千葉県等南関東の企業・自治体のCMが多く放送されている。
  • 送信所の項で書かれているように、静岡県東部、静岡県中部では他の在京局よりもクリアに受信できる。東名高速道路日本坂トンネル静岡市焼津市の境)以東の全トンネルでは、在京民放AMラジオ(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)が受信できるようになっているが、国道150号新日本坂トンネル大井川以東の国道1号静岡県道29号梅ケ島温泉昭和線国道362号国道473号静岡県道・山梨県道10号富士川身延線 、および静岡県道64号島田川根線 の各トンネルでは、在京民放局で唯一ニッポン放送が受信可能となっている。つまり、同県中部地区でラジオ再送信を行っているトンネルすべてにおいて、ニッポン放送が受信できる。ニッポン放送が企画する書籍が首都圏以外に静岡県のコンビニでも販売されるのは、このような理由からである。ちなみに送信所からの直線距離を比較すると、同局を再送信しているトンネルの北限である関越トンネルまでと、静岡県大井川流域までは、ほぼ同じ距離となる。
  • 17時頃より関西、その他各地でも受信可能である。特に冬場は15時頃から受信可能である。
  • ニッポン放送のアナウンサーはプロ野球や競馬の観衆を表現するときに、伝統的に「お客様」という表現をしている。この表現は、アナウンサーがフジテレビに転籍したりフリー転向後も概ね踏襲しており、ニッポン放送出身アナウンサーの特徴となっている。
  • ニッポン放送では電話番号やファックス番号の『0』は『ゼロ』と読むよう指導されている。対してライバル局のTBSラジオでは『れい』と読むように指導されている。」という。これは両局でパーソナリティの経験がある伊集院光が「伊集院光 日曜日の秘密基地」(TBSラジオ)内で語っている。ただし、局内で統一されているわけではなく、「秘密基地」のリスナーであることを公言している上柳昌彦アナウンサーはこれを意識してか「0」を「れい」と読んでいる。
    • アナウンサーによっても読み方はまちまちである。また、FAX番号は「れい」と読み上げても、その他の場合は「ゼロ」と読み上げる場合もあるなど完全統一されているわけではないようである。
    • なおニッポン放送の郵便番号「100-8439」の読み方は「いちまるまるのはちよんさんきゅう」で統一している(局内では基本的にこの読みとなっているが、外部からのパーソナリティは違う読みをすることもある[43])。ちなみに、旧有楽町社屋時代の郵便番号は5桁の「100-87」であったが、ほとんどの番組では「ひゃくのはちじゅうなな」と読んでおり、まれに「いちまるまるのはちなな」と読む番組もあった。
  • 他の放送局に比べて、流行りのものをいち早く番組に取り入れたり、話題の人物を番組に起用する姿勢が見受けられる。時代の流れに敏感ともいえるが、それに対する揶揄として「いいときだけのニッポン放送」という言葉がある。ニッポン放送番組一覧も参照。
  • 2009年からは『週刊フジテレビラジオ』、『私の正論』を放送するなどフジサンケイグループの一員の強調ぶりが目立つ。また、月曜朝のニュースではフジテレビ『新報道2001』からの音声を引用することが多い。またその場合も「フジテレビの『新報道2001』で…」とニュース原稿を読み上げるが、その他の番組(ex.テレビ朝日サンデー・フロントライン』など)の場合は「民放の番組で」という原稿となっている。
    • そのこともあり、報道スタンスは産経新聞同様保守寄りである。同じNRNでグループにいるとはいえ文化放送はリベラル色が目立つ。

その他のメディア[編集]

以下はニッポン放送が編成・発行する、中波放送以外のマスメディア。

  • 地上デジタルラジオ

歴代キャッチコピー[編集]

※カッコ内はイメージキャラクター等に起用されたタレント

  • 1974 - 1975年 「ハッピーラジオ」 (74年:研ナオコ、75年:林寛子
  • 1976年 「ハッピーラジオ・健康作り」 (秋野暢子
  • 1977年 「フレッシュラジオ」 (木之内みどり松本ちえこ岡田奈々
  • 1978年 「フレッシュラジオ・笑顔でファイト」 (荒木由美子
  • 1979 - 1980年 「笑顔がきこえる」 (79年:能瀬慶子
  • 1981 - 1982年 「いまラジオ時代」
  • 1983年 「ボクハキミノココロノナカニイル」
  • 1984年 「いますぐ逢いたい」 (THE ALFEE
  • 1985年 「また、おまえか!」(チェッカーズ
  • 1986年 「もお!たーいへん!」 (とんねるず
  • 1987年 「まかせてチョンマゲ!夢工場」(デーモン小暮閣下南野陽子
  • 1988年 「トンデモはねてる!」 (光GENJI
  • 1989年 「かぼちゃ計画 もも計画」(B21スペシャル、ジングル歌唱:久保田利伸
  • 1990年 「オモスルドロイカ!?」
  • 1991年 「みんなのラジオ - ごはんとおふろとニッポン放送 - 」
  • 1992年 「そこまでいうか! そこまでやるか!」
  • 1993年 「あっけら、感動(CAN DO)。」[44]
  • 1994年 「みんなでやんちゃ ラジオはおもちゃ おちゃめでニッコリ!」
  • 1995年 「未来(みら)くるラジオ」 (トータルプロデューサー:テリー伊藤
  • 1996年 「笑ってチョーナイ!」
  • 1997年 「青春花吹雪!」(テリー伊藤)
  • 1998年 「がんばれ!ニッポン放送」
  • 1999年 「ゆずとだんごとニッポン放送」(ゆず
  • 2000年 「ビビッと!夢見る」(コブクロ
  • 2001年 - 2002年 なし
  • 2003年 「あなたがいるから」(矢口真里
  • 2004年 「メジャーなラジオ」(松井秀喜
  • 2005年 なし
  • 2006年 「だったらラジオ!」 (4月~6月:オリエンタルラジオ/7月~12月:いきものがかり
  • 2007年 「ニッポン放送があるじゃないか!」[45]
  • 2008年 「ビビッとくる!」[46][47]
  • 2009年 「55&GOES ON」(開局55周年、糸居五郎のフレーズから)
  • 2010年上半期 「情報タップリ!! オモシロ万博」(AKB48 ~6月27日)
  • 2010年下半期 「声出していこー。」(高嶋ひでたけ上柳昌彦徳光和夫・テリー伊藤・柳原加奈子  6月28日~)
  • 2011年上半期 「ひとつになろう!ニッポン」(4月 - 9月)[48]
  • 2011年下半期 「みんな、つながる。 今、聴かなくちゃ。」(10月 - 3月)
  • 2012年度 「有楽町からスマイル♪ どんなときもニッポン放送」(※メイン広告は剛力彩芽)
  • 2013年度上半期 「-Something's gonna start!- 何かが始まる! ニッポン放送」(※メイン広告はシシド・カフカ)
  • 2013年度下半期 「NEXT STAGE with U」

TBSラジオの「聞けば、見えてくる。」、文化放送の「QRソング」といったステーションソングは導入実績がない。

ニッポン放送 THEラジオパーク in 日比谷[編集]

関連企業[編集]

  • フジ・メディア・ホールディングス(フジサンケイグループの持株会社。現在の完全親会社。)
  • ニッポン放送グループ
    • 株式会社ニッポン放送プロジェクト - ラジオリビング運営、フジサンケイグループを対象としたリース事業
    • 株式会社フジサンケイエージェンシー - フジサンケイグループ従業員を対象とした各種保険の仲介
    • 株式会社サウンドマン - 多くの番組にディレクター・ミキサーを派遣 かつてはポニーキャニオングループ傘下
    • 株式会社エル・ファクトリー - ラジオ番組制作会社、フリーアナウンサー・タレント・放送作家のマネジメント 本社はニッポン放送本社ビル内にある
  • 株式会社トーンコネクト - アドリブとニッポン放送の共同出資によるスマートフォンアプリ開発会社。

ニッポン放送の子会社だった企業[編集]

  • 株式会社フジパシフィック音楽出版 - 1966年、パシフィック音楽出版として設立、1985年フジ音楽出版と合併。
  • 株式会社ポニーキャニオン - 1966年設立のポニー(設立時ニッポン放送サービス)と1970年設立のキャニオンレコードが1987年合併。
  • 株式会社ディノス (現:ディノス・セシール) - 1971年設立(1973年にフジサンケイリビングサービスに社名変更)。1991年に設立された同名の新会社(2004年ディノスに再度社名変更)に事業承継されるまでニッポン放送の子会社だった。
  • 株式会社ビッグショット - フジサンケイグループ内の広告代理店再編に伴い、フジサンケイアドワーク・ティーコムコーポレーション・富士アドシステムと合併し、株式会社クオラスとなり、フジテレビグループに移動。
  • 株式会社彫刻の森 - 箱根 彫刻の森美術館内のテナント・フジテレビ本社内のアンテナショップ運営。2006年株式会社フジランドに合併。
  • 株式会社一口坂スタジオ - スタジオレンタル、音響・映像制作。2012年1月12日付けで営業を終了し、3月7日に特別精算を開始、消滅。

関連放送事業者[編集]

資本関係のある放送事業者[編集]

※ニッポン放送が出資している主な放送事業者は以下の通り。なお、記載の数字は発行済株式総数に対する出資比率、放送局名が太字のものは筆頭株主であることを表す(いずれも2010年3月31日時点[50])。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ “松任谷由実:「ラジオが大好き」 ニッポン放送でスペシャルウィーク編成局長に就任”. まんたんウェブ. (2012年2月12日). http://mantan-web.jp/2012/02/12/20120211dog00m200014000c.html 2012年2月15日閲覧。 
  2. ^ この略称は後に長野放送が使用するようになった。
  3. ^ 当時の日本を代表する企業・金融機関と、中京・関西地区を地盤とする企業が出資。
  4. ^ 境政郎[[]]『テレビショッピング事始め』扶桑社、2008年、第1部 フジサンケイグループの形成とリビング路線 「ニッポン放送の生い立ち」。ISBN 978-4-594-05565-3
  5. ^ ただし、創立時の社名は日本放送表記である。
  6. ^ フィクションではあるが、ニッポン放送を舞台とした田原俊彦主演のドラマ「ラジオびんびん物語」で、主人公が接待のため予約した船宿が誤って日本テレビに確認電話を入れ、いたずら予約と勘違いしてキャンセルしてしまったエピソードがある。
  7. ^ 日によって起点終点を繰り上げることもあり、2013年3月現在は「モバラジ研究会」「サウンドピクチャー」を休止して深夜1:30から休止することが多い。2010年6月21日までは4:30が起点であった。また特別編成となった2011年8月1日 - 26日までは4:30起点
  8. ^ 清水克彦『ラジオ記者、走る』新潮新書、p31。
  9. ^ 花輪如一『ラジオの教科書』データハウスより。
  10. ^ ニッポン放送、労組結成へ・ライブドア対抗鮮明に(2005/3/16 日本経済新聞 朝刊)
  11. ^ ニッポン放送に労働組合が誕生・雇用維持に備え(2005/9/13 日本経済新聞 朝刊)
  12. ^ 同じ時報を秋田放送ラジオも使用している(スポンサーがつく場合は普通の時報である)
  13. ^ ただし、全国ネットだった「オールナイトニッポンエバーグリーン」では28:00の時報時はクロスフェードに近い感じになっていた。
  14. ^ ニッポン放送が太陽光発電導入 木更津、来年8月稼働へ - SankeiBiz 2012年10月22日付
  15. ^ 歳時記的な話題と音楽をお送りする生放送
  16. ^ 参考:国内中波局周波数変更 ニッポン放送 JOLF 1242kHz - YouTube
  17. ^ 『民放ラジオ局13社、3月から番組ネット配信』 - 読売新聞 2010年2月13日
  18. ^ 『在京・在阪の民放13局が3月からネット配信解禁へ』 - CNET Japan 2010年2月15日
  19. ^ オールナイトニッポンシリーズも含む。
  20. ^ アルコールを取り扱うテーマだったため、一部の番組は対象外。3月4日の『AKB48のオールナイトニッポン』では出演したメンバー全員が成人に達していた。
  21. ^ 新会社radikoを12月1日に設立、IPサイマルラジオ放送が本格始動 - 朝日新聞 2010年11月25日
  22. ^ 株式会社radikoが12月1日発足、区域の拡大や新局の参加を2011年春までに - NIKKEI BP 2010年11月25日
  23. ^ 遼、勇、峻がジャンボ尾崎とガチンコ勝負! - ALBA.Net2010年12月21日
  24. ^ 東京や首都圏で震度5強以上の地震が発生し、大きな被害が起きた場合に移行する。「ラジオ災害情報交差点」「首都圏学校安否情報」「首都圏お勤め先安否情報」を含めて情報を発信するもの(2011年9月1日「あなたとハッピー!」より)
  25. ^ 2012年1月9日から再開
  26. ^ “ユーミン、ラジオ編成局長「盛り上げたい」”. サンケイスポーツ: pp. 1-2. (2012年2月10日). http://www.sanspo.com/geino/news/120210/gnj1202100505011-n1.htm 
  27. ^ ニッポン放送、FM「同時放送」検討 聞きにくさ改善図る
  28. ^ “豪華8人集結!徳光司会で夢の歌謡ステージ”. サンケイスポーツ: pp. 20. (2013年6月27日). http://www.sanspo.com/geino/news/20130627/oth13062705040015-n1.html 
  29. ^ 『なつかしラジオ大全』 三才ブックス、2012年。ISBN 978-4-86199-482-1
  30. ^ 旧 糖業会館ビル時代から入居。
  31. ^ 同番組のスポンサーが、日産自動車であったため
  32. ^ ニッポン放送日曜午前三宅裕司の朝ワイド番組が、2011年に「三宅裕司のサンデーヒットパラダイス」にリニューアルした際、日産がスポンサーから降りたため
  33. ^ a b c d e ニッポン放送 技術局放送技術部 仁井田雅俊「ニッポン放送の中継車」、『放送技術』第64巻(2011年4月号)、兼六館出版、2011年4月ISSN 0287-86582012年4月15日閲覧。
  34. ^ 時期にもよる。「ニッポン放送 55 & Goes on!」や「情報タップリ!! オモシロ万博」と歌うものであったり、スペシャルウィーク期間中は番組宣伝ミニスポットだったりした
  35. ^ 上柳昌彦 ごごばん!2012年8月15日、上柳アナウンサー談
  36. ^ 違いは、ピアソンの原曲はチアリのそれに比べテンポがやや速い。なお、クロード・チアリバージョンは「ベスト盤」がすでに廃盤となっているが、iTunesなどでのダウンロード購入は可能
  37. ^ 2011年8月の30分繰り上げ編成の時も同様に行われていた(22・29日を除く)。
  38. ^ 2007年度(平成19年度)まではエンヤの「Orinoco Flow」「Caribbean Blue」「Book of Days」「Anywhere Is」
  39. ^ 現在、スポーツ部はディレクターのみが所属している
  40. ^ 東京都内の情報は東京センター(警視庁交通管制センター内にあるため、呼びかけでは「警視庁」と呼ばれる)、「首都高速ルート情報」(旧「首都高速MEX-i情報」)は首都高速センター(呼びかけでは「首都高」と呼ばれる)、夜間・早朝・土 日曜日・祝日と東日本地域全体の情報は九段センター(呼びかけでは「九段センター」と呼ばれる)が担当
  41. ^ のってけ楽屋通信 12月15日(日) 「デレクターの木之本です。テーマは交通情報です。」
  42. ^ オールナイトニッポン初代パーソナリティーの高崎一郎氏死去 - スポニチアネックス 2013年8月16日閲覧
  43. ^ ex:『オールナイトニッポンR』パーソナリティのスフィア各メンバーは「いちれいれいのはちよんさんきゅう」と読む。また、『オールナイトニッポン月イチ』担当の中島みゆきは「いちぜろぜろのはちよんさんきゅう」と読む(加えて「サンキュー」とかけた独特の抑揚で読む)。
  44. ^ 「あっけらkan-no 菅野美穂」に似ているが、その番組は1995年から放送していたもの。
  45. ^ イメージキャラクターを設けず、ニッポン放送の各番組のパーソナリティがコールした。
  46. ^ 2000年のキャッチコピーにタイトルが似ているが、リメイクである。
  47. ^ 上柳が2008年3月21日のNHKラジオの特番の発言・ニッポン放送デジタルタイムテーブル2008年9月号より
  48. ^ フジテレビを中心とするFNSのキャッチコピーと同様のもの。
  49. ^ 設立時はニッポン放送・文化放送の出資により設立され、その後文化放送が出資比率を下げたため長らくニッポン放送の子会社であったが、資本関係のねじれの是正に伴い旧ニッポン放送を吸収合併して親会社となり、さらに旧フジテレビジョンの持株会社化に伴い新しくフジテレビジョンが設立された。このため現在のフジテレビジョンは兄弟会社になる。
  50. ^ 『日本民間放送年鑑2010』 - 日本民間放送連盟編

関連項目[編集]

元社長[編集]

参考文献[編集]

  • ニッポン放送編 『ラジオ・カタログJOLF』(サンケイ出版、1982年)

外部リンク[編集]