辛坊治郎

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辛坊 治郎(しんぼう じろう、1956年4月11日~)は、讀賣テレビ放送報道局局次長・報道局解説委員・元アナウンサー芦屋大学客員教授。

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[編集] 来歴

鳥取県米子市生まれ、埼玉県入間市育ち、出身高校は埼玉県立川越高等学校(但し本籍は父親の本籍である大阪府岸和田市としたので、プロフィールの出身地は本籍地となっている)。

東京大学法学部に落ちたため早稲田大学法学部へ進学、卒業。1979年4月読売テレビアナウンサーとして入社。『ズームイン!!朝!』の大阪キャスターを8年担当。スポーツコーナーで、森たけしと共に阪神タイガースの不振をぼやいた台詞「なんぎやなぁ」では、1987年新語・流行語大賞流行語部門の銀賞を受賞する。1989年には、森たけしと歌った阪神タイガース応援歌『負ける気せんね』が発売される。

1990年4月より夕方のローカルニュース『ニューススクランブル』のキャスターとして活躍する傍ら、1991年1月から1992年3月まで『ウェークアップ!』の司会を務め、1997年から報道局解説委員。

1998年7月から1999年7月にかけニューヨークベース大学客員研究員として留学、アメリカのメディア事情を研究する。帰国後は『報道特捜プロジェクト』のキャスターや、関西ローカルの『元気モンTV』『あさイチ!』ではコメンテーターなどを担当。役職的にも2000年に報道局情報番組部長に昇進した。前述の『ニューススクランブル』では開始当時同時間帯最下位だった視聴率を最終的にはトップにまで上げ、『元気モンTV』『あさイチ!』ではチーフプロデューサーも兼任しながら出演し、中元綾子アナ(当時)をメインキャスターに据えたことや、辛坊自身の「日本一よく分かるニュース解説」のコーナーが人気となり、同時間帯視聴率トップにするなど功績は大きかった。

2001年10月から日本テレビズームイン!!SUPER』開始に伴い、新聞ニュース解説(兼サブ司会)に起用されたことから、東京での単身赴任生活を始めた。2003年7月からはそれまで特番だった『たかじんのそこまで言って委員会』がレギュラー昇格となり、やしきたかじんとともに司会を担当、毎週金曜日午後に読売テレビ本社第2スタジオでの収録のため帰阪している。さらに2005年4月からは桂文珍に代わって同局の報道番組『ウェークアップ!』の後番組の『ウェークアップ!ぷらす』の司会を担当。その影響で『ズームイン!!SUPER』の月・火は多摩大学助教授の野田稔(現在は讀賣新聞編集委員の橋本五郎)になり、出演は水・木・金の出演に短縮となった。そのため、大阪にいることが多くなったことから現在東京滞在中はホテル暮らしの生活を送っている。金曜日収録のため東京から帰阪する際は時間の関係から飛行機で戻っている。

その他、メディア研究の経験などから、芦屋大学客員教授や関西学院大学非常勤講師(東京に単身赴任前まで)、読売テレビ寄講講義(俗にいう「冠講座」)として、同局の脇浜紀子アナなどと共に立命館大学客員講師を務め、臨時で母校の早稲田大学でも講師を務めた経験もある。また、レギュラー番組の合間に、メディアや報道の裏側を題材とした講演会を各地で行うなど、全国を飛び回っている。

2005年12月30日・20:00~22:54に放送の「オールスター Shall we ダンス?~有名人社交ダンス選手権~」でプロダンサーの青柳明子とペアを組み社交ダンスに挑戦したが、準決勝で敗退した。また、放送前から本番に向けての練習の模様は「ズームイン!!SUPER」の中でも紹介された。

[編集] 主な出演番組

[編集] 現在のレギュラー番組

[編集] 過去の担当番組

[編集] 主な作品

[編集] 書籍

[編集] 音楽

  • 負ける気せんね/ハイハイ敗
    レコードとカセットで発売、その後シングルCD(8cm)化。
    2003年、『大阪ソウルバラード番外編』VICL-61278 に収録される形で再販。

[編集] 外部リンク