辛坊治郎

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しんぼう じろう
辛坊 治郎
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 埼玉県
生年月日 1956年4月11日(58歳)
血液型 AB型
最終学歴 早稲田大学法学部卒業
勤務局 読売テレビ→フリー
職歴 読売テレビアナウンサー・報道局解説委員長など
活動期間 1980年 -
ジャンル 情報番組など
出演番組・活動
現在 朝生ワイド す・またん!
ウェークアップ!ぷらす
辛坊治郎ズーム そこまで言うか!
たかじんのそこまで言って委員会』など
過去 ズームイン!!朝!
ニューススクランブル
ウェークアップ!
元気モンTV
あさイチ!
ズームイン!!SUPER』など
備考
2004年より芦屋大学客員教授。2010年10月より大阪綜合研究所代表。

辛坊 治郎(しんぼう じろう、1956年昭和31年〉4月11日 - )は、日本ニュースキャスターシンクタンク経営者である。読売テレビ(YTV)アナウンサー→理事・報道局解説委員長(局長待遇)などを経て、株式会社大阪綜合研究所代表を務める。また、読売テレビ時代より芦屋大学客員教授も務める。読売テレビ時代には、情報番組のプロデューサーを務めた事もある。

住友ファイナンスエイシア社長を務めた辛坊正記は兄。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

男2人兄弟の二男として鳥取県米子市で生まれた[1][2]。7歳年上の兄(辛坊正記)がいる。しかし、鳥取での生活はわずか2ヶ月だったため全く記憶にないという[1]小学校入学前までは、自衛隊員だった父親の転勤に伴って全国を転々とし、物心がついたころから大学時代までは埼玉県入間市で過ごした[1][3]。なお、辛坊家のルーツは大阪府岸和田市にあり[1]、出身地を岸和田(大阪)としているプロフィールも見られる。[4]

入間市立豊岡中学校時代にテレビでメキシコ映画『ぼくの心はバイオリン』を見ていた時、停電になったためラスト15分が見えなくなり、放送していたTBSに結果を電話で聞いたところ、親切に教えてもらったことに感激し、将来は放送局で働こうと決めた。 フリーアナウンサー、ニュースキャスターの小宮悦子は同中学校の2年後輩にあたる。

埼玉県立川越高等学校では航空部と英語部に所属。東大文科1類進学を目指すも果たせず、1浪の後早稲田大学法学部に進学した。高校の同期には、ルポライターで作家の本橋信宏がいた。

大学3年時に司法試験を受けるが不合格。その後、夏休みを挟んだ3ヶ月間、西ヨーロッパモロッコトルコなどを旅した。4年次の就職活動で埼玉県庁の上級職試験に合格し、住友商事の内定も受けた。ある日、大学の就職部の掲示板でフジテレビのリポーター・司会者(アナウンサー)募集のチラシを見て、受けるだけで1000円もらえたことから受けたところ、受験者1300人の中から7次試験の最終面接3名まで残った。フジテレビの入社試験は担当希望の番組を訊かれた際に「リビング11(お昼の通販番組)を担当したい」と答えてしまい落ちたが、12月に大阪の読売テレビから突然電話があり[5]、「フジテレビの最終で落ちたそうだが良かったら弊社を受けてみないか」と誘われたため、読売テレビを受け合格。埼玉県の上級職・住友商事・読売テレビの3つ選択肢があったが、読売テレビに決めた。本人は、自身の講演会で「始業時間が朝10時と一番遅かったから」と冗談を飛ばしている。[6]

アナウンサー[編集]

大学卒業後の1980年(昭和55年)、YTVにアナウンサーとして入社。『ズームイン!!朝!』の大阪キャスターを8年担当。スポーツコーナーで、森たけしと共に阪神タイガースの不振をぼやいた台詞「なんぎやなぁ」では、1987年(昭和62年)新語・流行語大賞流行語部門の銀賞を受賞する。1989年(平成元年)には、森たけしと歌った阪神タイガース応援歌『負ける気せんね』をリリースした。

1985年8月、東京へ出張して『ズームイン!!朝!』にて夏季休暇で不在だった徳光和夫の代理キャスターを務めていた週の8月12日日本航空123便墜落事故が発生した為、日本テレビマイスタから日航機事故関連情報をお茶の間に伝えた。

1990年(平成2年)4月より夕方のローカルニュース『ニューススクランブル』のキャスターとして活躍する傍ら、1991年(平成3年)1月から1992年(平成4年)3月まで『ウェークアップ!』の司会を務めた。

1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災関連のニュースも担当した。当時YTVでは、2日間(48時間)にわたって震災の報道特番を行ったが辛坊は、48時間にわたりYTVのスタジオでキャスターを務めた。

解説委員[編集]

1997年(平成9年)から報道局解説委員となり、同年1997年(平成9年)7月から1998年(平成10年)7月までの1年間は、ペース大学研究員としてニューヨークに駐在、アメリカのメディア事情を研究した。

帰国後は報道部チーフプロデューサーへ就任し同職と並行する形で、『報道特捜プロジェクト』のキャスターや、関西ローカルの『元気モンTV』『あさイチ!』ではコメンテーターなどを担当。2000年(平成12年)には報道局情報番組部長に就任し、初の著書で前述のメディア事情をまとめた「TVメディアの興亡」を刊行。

『元気モンTV』『あさイチ!』ではチーフプロデューサーを兼任しながら出演し、中元綾子(当時)をメインキャスターに据えたことや、辛坊自身の「日本一よく分かるニュース解説」のコーナーが人気となり、同時間帯視聴率トップにするなどの実績をあげた。

2001年(平成13年)10月から日本テレビズームイン!!SUPER』開始に伴い、新聞ニュース解説(兼サブ司会)に起用されたことから、東京での単身赴任生活を始めた。2003年(平成15年)7月からはそれまで特番だった『たかじんのそこまで言って委員会』がレギュラー昇格となり、やしきたかじんとともに司会を担当、毎週(現在は隔週)金曜日午後にYTV本社第1スタジオでの収録のため帰阪していた。さらに2005年(平成17年)4月からは桂文珍に代わって同局の報道番組『ウェークアップ!』の後番組の『ウェークアップ!ぷらす』の司会を担当。その影響で『ズームイン!!SUPER』の月・火は当時多摩大学助教授の野田稔(後に読売新聞特別編集委員の橋本五郎)となり、出演は水・木・金の出演に短縮となり、2009年(平成21年)4月からYTV本社で『SUPER SURPRISE』(金曜日は「たかじんのそこまで言って委員会」もしくは「SUPER SURPRISE なるほドットJAPAN」の収録)に出演することになったため、ズームインは水・木出演(金曜日は日本テレビ解説委員の畑山篤に変更)とさらに短縮されたが、2010年(平成22年)3月26日の放送をもって降板した。ズームイン出演の後期は、大阪にいることが多くなったことから東京滞在中はホテル暮らしの生活を送っていた。本人の話では早朝からズームインで大阪に移動して夜7時から生番組(当時)で16時間以上勤務しているとコメントしていた。

その間、2004年(平成16年)より、芦屋大学客員教授を務める。

2009年(平成21年)10月1日付けで岩田公雄の後任としてYTV報道局解説委員長に昇格した[7]

2010年(平成22年)3月29日から、かつて『ズームイン!!朝!』や『あさイチ!』で共演した森と共に平日早朝のローカル情報番組『朝生ワイド す・またん!』のキャスターへ就任、8年半ぶりに読売テレビの早朝番組のメインキャスターとして復帰すると同時に、週6本の生放送に出演することになった。4月に実兄との共著「日本経済の真実―ある日、この国は破産します」を出版し、28万部のベストセラーとなった。

読売テレビを退職[編集]

2010年(平成22年)8月、翌月末をもってYTVを退職し、10月よりシンクタンクの研究員になる旨が報道され[8][9]、自身がキャスターを務める「朝生ワイド す・またん!」にて記事を取り上げ本人からも公表された。2010年(平成22年)9月30日をもって退職。退職後は自身が設立したシンクタンクである大阪綜合研究所へ移籍。退職後も番組出演を続けている。

ヨットで太平洋の横断[編集]

2013年6月、全盲のヨットマン岩本光弘をサポートする形で福島県小名浜港をスタートし8月にサンディエゴをゴール予定であった。ヨットは間寛平アースマラソンのときに使ったヨット・エオラス号を使用する。企画・発案はアースマラソンのサポートスタッフでもあった比企啓之[10][11]。6月21日にクジラと思われる生物と衝突して、ヨットが浸水し、同日7時45分に118番通報したその後10時間近く救難艇で漂流したのち[12]、同日18時14分に海上自衛隊US-2救難飛行艇に救助された[13]

人物[編集]

メディア研究の経験などから、芦屋大学客員教授や関西学院大学非常勤講師(東京に単身赴任前まで)、読売テレビ寄講講義(俗にいう「冠講座」)として、立命館大学客員講師を務め、臨時で母校の早稲田大学でも講師を務めた経験もある。また、レギュラー番組の合間に、メディアや報道の裏側を題材とした講演なども行っている。 2009年2月のG7(7カ国財務相・中央銀行総裁会議)後に放送された『たかじんのそこまで言って委員会』で、番組内で「お父さん(中川一郎)も自殺されてるし、ああいうこと(「朦朧」会見など)を何回も何回もTVで放送すると、本人は自殺の恐れがあるから、もうこの辺で止めといてやろうやないかという 話になるじゃないですか。とんでもない話だと思います。あんなものはね『自殺すればいい』(この部分は放送自粛音により放送されず)と思いますよ。あんだけ国際社会に恥かいてね、オメオメねぇオメオメ有権者の前にもういっぺん出るなと!もう二度と再びたぶん出られないと思う・・。出てきたら必ずあのVTR (「朦朧」会見など)を流されますからね。その意味では世の中にはやってはいけない事があるんだって。」とコメントし、中川昭一を痛烈に批判した。その他、先ごろマリンジャーナリスト会議から「2014年MJCマリン賞スポーツ/アドベンチャー部門」に岩本さんとともに選ばれている。以前の遭難後、海難救助のボランティア組織を応援するために青い羽根募金に協力している。NNN系列アナウンサーの最高賞であるNNSアナウンス賞の最優秀賞を受賞している。「そこまで言って委員会」で「消えた100歳問題」を予言して見事に的中させて年間表彰され、同じく「委員会」で、2013年秋の「名言大賞」に選ばれた。「す・またん」バンドでは新曲を出してヒットした。子供の頃に地元の歯科医師会の「良い歯のコンクール」で表彰された。などの話もある。

十二指腸癌闘病[編集]

2012年(平成24年)12月19日に大阪市内の病院で、十二指腸腫瘍(後に初期の十二指腸癌と判明)を摘出する手術を行った。病院には前日18日に入院したが、手術当日も「す・またん!」に病院から直行して通常とおり出演し、「私、病院からやってきました。今日(19日)手術なんだよ。テレビ出て解説してる場合じゃないだろ」と明るい調子で司会進行していた。手術は無事成功したが、大事を取ってその週のレギュラー番組への出演を見合わせ、翌週に完全復帰した。

関連情報[編集]

主な出演番組[編集]

現在のレギュラー番組[編集]

※…YTV時代からの出演番組。

フリー転身後の出演番組[編集]

YTV時代の出演番組[編集]

※…YTV退社後も出演。

2005年12月30日・20:00 - 22:54に放送された社交ダンスを扱ったバラエティ特番。プロダンサーの青柳明子とペアを組み挑戦したが、準決勝で敗退した。また、放送前から本番に向けての練習の模様は「ズームイン!!SUPER」の中でも紹介された。
  • 名探偵コナン(読売テレビ系列局で放送中)医師 役(※第698話)

CM[編集]

書籍[編集]

連載[編集]

  • 辛坊治郎の甘辛ジャーナル(『週刊朝日』2011年5月6・13日合併号より連載)
  • 辛坊治郎の「ニュース食い倒れ!」(『FLASH』2011年5月17日号より連載)
  • 辛坊治郎の「なんぎな帆走月報」(『[Kazi]』)

音楽[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d ニュースのウラ側: メディア論コーヒーブレイク8(辛坊の2006年10月26日付コラム)より、「関西のうどん定食」の章を参照。
  2. ^ 新連載スタート!誓います!尖閣諸島突撃リポート:辛坊治郎のこれでいいんかい!?:コラム:スポーツ報知大阪版(2010年10月12日付)より、著者略歴を参照。
  3. ^ 早稲田大学人物研究会のサイトに掲載された、2004年7月7日読売テレビ東京支社で行われた講演記録より、辛坊の4度目の発言を参照。
  4. ^ 『ズームイン!!SUPER』公式サイトや講演会インフォ(株式会社中広運営の講演会派遣サイト)では「大阪府岸和田市」、日本プランニングアート公式サイトでは「大阪府出身(鳥取県生まれ)」としている。
  5. ^ 当時はまだ個人情報保護法がなかったため、日本では企業間同士による応募書類の回し合いが普通に行われていた。
  6. ^ 週刊FLASH 2014年4月29日号でのコメント
  7. ^ 2009年9月27日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』で発表された。
  8. ^ 辛坊治郎さん、読売テレビを9月に退職へ読売新聞、2010年8月3日付、2010年8月3日閲覧)
  9. ^ 辛坊治郎氏、政界進出か…9月で読売テレビ退社へ(社会) ― スポニチ Sponichi Annex ニューススポーツニッポン、2010年8月3日付)
  10. ^ 辛坊治郎キャスター、がん転移の疑い「肺に影見つかった」(2013年3月16日閲覧)
  11. ^ 辛坊治郎さん「肺に影」もヨットで太平洋横断挑戦へ(2013年3月16日閲覧)
  12. ^ 辛坊治郎さんら救助 海水浸入、ヨット放棄し救命ボートに - スポーツニッポン 2013年6月21日
  13. ^ 辛坊さんらを救助、2人とも元気。- デイリースポーツ 2013年6月21日
  14. ^ たかじんのそこまで言って委員会の司会交代について - ytv「委員会」公式サイト

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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ヨット太平洋横断