徳光和夫

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とくみつ かずお
徳光 和夫
プロフィール
本名 徳光 和夫
愛称 徳さん、Mr.
毒光さん(毒舌な性格から)
出身地 日本の旗 日本 東京都目黒区
生年月日 1941年3月10日(73歳)
血液型 B型
最終学歴 立教大学社会学部
所属事務所 オフィス ラ・メール
職歴 日本テレビアナウンサー(アナウンス部課長)
活動期間 1963年 -
ジャンル 情報報道バラエティなど
配偶者 徳光早苗
家族 徳光正行(次男)
ミッツ・マングローブ(甥)
田野辺実鈴(正行の妻)
公式サイト 公式ホームページ
出演番組・活動
現在 徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』ほか
過去 アメリカ横断ウルトラクイズ
ズームイン!!朝!
NNNニュースプラス1
THE・サンデー
世界ウルルン滞在記』など
その他 24時間テレビ
日本ドッジボール協会顧問
ソニー・ミュージックアーティスツ顧問

徳光 和夫とくみつ かずお1941年3月10日〈戸籍上。実際は3月3日〉 - )は、日本フリーアナウンサータレント司会者日本ドッジボール協会顧問、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問、日本司会芸能協会顧問。オフィス ラ・メール所属。マネジメントはソニー・ミュージックアーティスツと業務提携。元日本テレビアナウンサー

概要[編集]

実際の表記は德光 和夫(徳が旧字体、初期の日テレ(一部の記事を除き、以下日テレと略す)『ズームイン!!朝!』のテロップでもこの表記)。愛称は徳さんプロ野球読売ジャイアンツの熱烈なファンで、「巨人親父」とも称される。公の場で感涙することが多く(特に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』)、「かなり涙もろい」キャラクターで知られる。

東京都目黒区出身。現在は神奈川県茅ヶ崎市在住。血液型B型。夫人は徳光早苗。1女2男あり。

来歴[編集]

父・徳光寿雄(德光壽雄)は映画監督でもあり日テレの役員を務め、1967年には当時赤字経営に苦しんでいた東京12チャンネル(現:テレビ東京)を立て直すべく設立された「科学テレビ協力委員会」の委員となった人物[1][2]。徳光の戸籍上の生年月日が実際の生年月日と異なるのは、厳格な父が「男児が3月3日、桃の節句の生まれでは格好が悪い」と1週間後で陸軍記念日の10日生まれにしたためだという[3]。徳光自身もフリー転向後『にっぽんの歌』などテレビ東京の番組に出演し、次男のタレント・徳光正行も『レディス4』の司会に起用され、親子3代に渡ってテレビ東京に関与することとなった。母は松屋 (百貨店)のデパートガールであった。JRA競馬騎手の福永洋一とは遠い親戚関係にある[4]。2歳下の妹がいたが、和夫が5歳の時に病気で亡くなっている[5]

戦時中は福島県田村郡三春町法蔵寺に疎開。元々は落語家志望であった[5]

趣味は野球観戦と駅伝観戦と音楽鑑賞と落語鑑賞。中学時代まではプロ野球は西鉄ライオンズ、特に大下弘のファンだった[6]が、私立海城高等学校在学中に、長嶋茂雄東京六大学野球新記録(当時)となる本塁打を放ち、嬉しさから小躍りしながら仲間と一緒にベースを回る姿を見て感化され「人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう」と決意[7]。長嶋がいた立教大学の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格した。合格した原因は「ヤマを張って集中的に勉強した日本書紀が、試験に丸々出題されていたから」ということを話している[5]。そしてその後、大学卒業後長嶋が入団した巨人のファンとなる。大学では、最初は「長嶋さんが居た神宮球場で過ごしたい」からという理由で応援団に入るが、ほとんどグラウンドに背を向けての活動だったため、試合を見られないことに不満を感じていたところ、放送研究会の部員がスタンドの最前列でテープレコーダーを持って取材などをしているのを見て、楽しそうと思い、放送研究会に転じる[5]。大学の同期に青尾幸加賀美幸子村田幸子土居まさる、後輩に関口宏古舘伊知郎久保田光彦、放送研究会の後輩にみのもんたがいる。大学4年の時、就職に悩んでいた時期に土居まさるに相談をし、「お前、アナウンサーになればいいじゃないか」とアドバイスを受けアナウンサーになることを決意する。

1963年に日テレ入社。同期入社に青尾幸、小林完吾がいる[8]。著書「企業内自由人のすすめ」によれば、日テレを受験した際、最終選考に残った2人が学生運動に関与していたことが判明し[9]、選考を辞退した影響で徳光が採用されたという。熱狂的な巨人ファンであったためプロ野球中継の担当にはなれず、プロレス中継[10]を中心に受け持った。ドラマ青春とはなんだ』にラグビー中継のアナウンサー役で出演したり、アニメルパン三世』第73話「花も嵐も泥棒レース」にて、自動車レースを中継するアナウンサー役(本人の役)で声優として出演したこともあった。1969年10月からの『NTV紅白歌のベストテン』の総合司会で人気を得る。1974年10月からの『新・底ぬけ脱線ゲーム』の司会を務め、1979年3月からの『ズームイン!!朝!』では総合司会を9年間担当、1988年4月からの『NNNニュースプラス1』のメインキャスターを務めた後、1989年に日テレを退社し、フリーとなる。

1990年以降は『クイズダービー』、『徳光のTVコロンブス徳光和夫の情報スピリッツ』、『THE・サンデーTHE・サンデー NEXT』、『夜も一生けんめい。→夜もヒッパレ一生けんめい』、『ウェディングベル』、『世界ウルルン滞在記世界ウルルン滞在記2008』、『速報!歌の大辞テン』、『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』、『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』など多くの番組で司会を担当し、結婚式葬式の司会でも活躍する。他に2005年2007年の国政選挙施行日のテレビ東京の選挙特別番組の総合司会を務めた。

『24時間テレビ』に毎年顔的存在として出演している。1978年の第1回から皆勤している唯一の人物である。ただし、1990年から1994年にかけては同時間帯に他局で生放送のレギュラー番組があり(『徳光のTVコロンブス』)、その時間帯は抜けていた。

2008年秋改編で、『THE・サンデー』、『オジサンズ11』、『世界ウルルン滞在記2008』が打ち切られたスポーツ紙の報道では、視聴率低下に加え、徳光の高額なギャラと制作費の削減が原因とされている。

2009年春改編では、『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』も終了に至り、同時に地上波での徳光が司会のレギュラー番組が『TheサンデーNEXT』のみとなった。ただ、同時期に放送開始した『おもいッきりDON!』にコメンテーターとして起用された(それから1年後の2010年春改編で番組が『DON!』にリニューアルされた後も継続出演)。また、同年の『24時間テレビ32』の放送日が第45回衆議院議員総選挙と重複し、徳光は『24時間テレビ』の出演を優先したため、テレビ東京の選挙特番から降板した。

2011年、古希を迎えた。同年春改編で、自身の地上波レギュラーとなっていた『TheサンデーNEXT』、『DON!』が終了。同時に徳光の地上波テレビでのレギュラー番組が消滅した。以後のレギュラー番組はBS番組やラジオ番組のみとなっている。同年の『24時間テレビ34』では総合司会を退き、チャリティーマラソンのランナーを務めた。史上最高齢ランナー(70歳・従来の最高齢は萩本欽一の66歳)となる。『24時間テレビ』の総合司会は羽鳥慎一が引き継いだ。2012年以降も出演しているが、総合司会ではなくスペシャルサポーターとして参加している。

  • チャリティーマラソンのスタート時に長嶋がサプライズゲスト兼スターターとして登場すると徳光は号泣したが、見事翌日の20:44(JST)にゴールした。エンディングで出演者から言葉が贈られる中、ステージ上で大の字で寝そべった。直後の『行列のできる法律相談所』緊急生放送島田紳助はこの模様に対し、「徳光さんの(事実上の)生前葬」「今日でテレビは引退のようなものだから、今後は楽しんでテレビに出てほしい」と述べた。 また、総距離は徳光に配慮し『行列』で63.2kmを走行したことを紳助より明かされた。

古希を越えてからも先述の通り、BS番組やラジオ番組のレギュラー番組やゲスト出演番組、特別番組AKB48選抜総選挙の司会、CM出演等精力的な活動を見せている。

エピソード[編集]

  • 『徳光のTVコロンブス』では、CMに入る前に「ここで、トイレタイムです」との決め台詞を用いた。これ以来、CMを風刺する語として「トイレタイム」が使われる。
  • 愛車は日産・シーマ(F50型)だが、本人は運転免許を持っていない。自動車教習所には通っていたが、指導員と口論をして運転免許取得を諦めた。
  • 大の箱根駅伝好きで、毎年沿道で応援をしている。大会前に独自に入手した選手のデータを手に実況を行うほどの熱の入れようで、今では復路8区の茅ヶ崎の名物になっている。この模様は自身が司会を務める『ザ・サンデー』の新年1回目の放送で毎年必ず放送されていた。なお、本人は「あくまでプライベートで応援しているものであり、撮影クルーは勝手に収録している」と語っている[11]
  • 親友の島田紳助が「スペシャルコメンテーター」を務めた日テレ『人生が変わる1分間の深イイ話』に出演した際、「自身の葬式の司会(生前の自身の声を録音したものを流す)を生涯最後の司会者としての仕事にしたい」との思いがあることを明かした。さらに、弔辞は紳助にやって貰うことで決めているという。
  • 紳助とは彼が紳助・竜介として『ズームイン!!朝!』にゲスト出演した際に初共演を果たしたが、番組内で紳助・竜助の漫才を観た徳光はそれに面白さを感じず、紳助に良い印象を持たなかった。しかし、後に紳助司会の日テレ『嗚呼!バラ色の珍生!!』にパネラーとして出演したのをきっかけに、紳助と親交を深めるようになった[12]
  • 徳光が結婚式で司会を務めた芸能人カップルは、何故か7割が後に離婚するジンクスがあるといわれている[13]。しかし2010年12月27日放送のテレビ朝日『中居正広の怪しい本の集まる図書館』でのインタビューにて、司会を務めた夫婦のうち実際に離婚したその離婚率のパーセンテージは番組中で「23%」(日本における平均は30%)と計算された[14]
  • 年金記録問題において、社会保険庁に支払い確認を行ったところ、「死亡扱い」を受けていたことが判明。「何故僕が殺されなければならなかったんだ?」と、職員に抗議したという。2007年6月14日発行のスポーツ新聞では、「徳光和夫 社会保険庁に殺される!」とのトップ記事が並んだ。
  • フジテレビアナウンサーの露木茂とは、アナウンサー同期且つ大学時代からの友人(徳光も同じタイミングでフジテレビの入社試験を受けたが不合格だった)。また、元TBSアナウンサーの鈴木史朗とは、局アナ時代からの友人であり、『オジサンズ11』で共演した。
  • 羽鳥慎一は日本テレビアナウンサー時代晩年期、フリー転身を考え悩んでいた際、徳光に相談を持ちかけた(宮根誠司にも相談をしている)。羽鳥から相談を受けた徳光は「(フリーに転身するならば)今までと同じ自然体でやったらいい」とアドバイスしたという。
  • 担当している番組が終了の際、「番組をお休みします」と言う(決して「終わり」「終了」とは言わない)。
  • 紳助が『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』での感涙シーン直後に、他番組[15]において負けたギャンブルの一報に接し豹変したエピソードを語り、「涙は仕事です」と発言したことがある[16]
  • 若手時代からプロレス中継を担当していた時期が長く、プロレス関係者との交友も深い。特にジャイアント馬場との友誼関係は深かった。上田馬之助とは上田の若手時代から親しかったこともあって、徳光は上田のことを「馬さん」とその生前には呼んでいた。また日本プロレス時代から実況経験があることからアントニオ猪木とも接点があり、徳光は、猪木のことを若手時代の愛称である「寛ちゃん」と呼ぶ[17]。スポーツ中継で、「全国一千万人の○○ファンの皆様、こんばんは」の名文句があるが、これを言ったのは徳光による「全国一千万人のプロレスファンの皆様こんばんは」が元祖だった。言ったことについては、「ファンはこれぐらい言っておかないと失礼にあたる」といった趣旨から。
  • 好きな食べ物はメロンパンおはぎ
  • 木下優樹菜美空ひばり矢沢永吉[18]のファンである。アナウンサーになった理由は、巨人戦の実況がしたい他に、ひばりの曲紹介がしたかったからと言うほどである[19]。また、木下とはMusic Lovers郷ひろみファンとして共演している[20]
  • スタジオジブリの作品では、『魔女の宅急便』が一番のお気に入り。
  • 他に、映画は『男はつらいよ』シリーズも好む[21]
  • 懐メロの名曲でもある津村謙の「上海帰りのリル」が大のお気に入りと公言している。
  • にかなり悩まされていた。息子の正行も「痔が自分たち息子にも遺伝した」と述べている[22]
  • 現在(2011年11月25日時点)、自身の母校である海城中・高等学校の同窓会組織である「海原会」の同窓会長を務めている。

巨人ファンとして[編集]

熱狂的な長嶋茂雄ファン且つ巨人ファンであり、芸能人野球ファンのはしりである。この「巨人ファン徳光」のキャラクターは、『ズームイン!!朝!』の人気コーナー「プロ野球イレコミ情報」で定着したものであるが、これにより徳光の巨人にかかわる言動が取り上げられる機会も少なくない。

  • 王貞治の現役時代最後の本塁打となった868号のバットを所有しており、テレビ東京『開運!なんでも鑑定団』に出品したことがある。
  • 1980年に、長嶋が巨人監督を解任された翌日(10月22日)『ズームイン!!朝!』で球団や川上哲治への抗議を行い日本テレビの親会社である読売新聞社が発行する讀賣新聞報知新聞の購読を「辞めます」と言った。番組は全国ネットだったため全国に放送された。この抗議は放送開始から26分に渡って行われた。また、その後全国的な読売新聞不買運動が起こったことは有名である[23][24]
  • 1986年に広島の優勝が決定した際、「巨人の優勝は日本シリーズの第1戦が始まるまで諦めない。だって広島の選手が乗った飛行機が墜落するかもしれないでしょ?」とヒートアップしたところ、発言の1ヶ月後から大規模な飛行機事故が数年に渡り多発。短慮な発言として問題となったことがある。
  • 1989年、広島を破り巨人が優勝した際、広島ファンの久米宏を『ニュースプラス1』(11月3日放送分)に生出演させたことがある。この時、久米は半ば強制的に「読売ジャイアンツ優勝、バンザイ!」と言わされた[25]
  • 徳光が長嶋と王の監督ON対決に湧いた2000年の日本シリーズ直前、王の愛弟子である藤井将雄が夭折しているが、「徳光が藤井の死によるダイエーの戦力減少を喜んだ」などと発言した内容が長期に渡り掲載されていたことがある。
  • 2007年刊行『巨人軍5000勝の記憶』では、巨人在籍経験者以外で唯一「メッセージ」が掲載されている[26]
  • 2013年11月26日に行われた「プロ野球コンベンション2013」で司会を務めたが巨人絡みの選手が出てくると、インタビュアーの質問を遮って、いきなりヨイショな質問やコメントを連発。NPB(日本野球機構)主催のイベントで、特定の球団に肩入れした人物が司会するだけでも批判があったが、そのひいき目がイベントにも露骨に出たことから、出席した球界関係者からは『なんで徳さんに司会やらせるの?』とクレームが殺到とした[27]

日本テレビアナウンサー時代[編集]

  • キューピー3分クッキングに出演していた際、調理している人の横で腕を組むシーンに対し視聴者から抗議の手紙が多数寄せられたことや料理の初心者であった徳光が「味噌汁は味噌に水を入れて作るんですね」などと的外れな発言を行なったことから上司から「向いていない」と言われわずか3ヶ月で降板となる[28]
  • 1964年から1978年までは、プロレス中継の実況アナウンサー、リポーターとして活躍していた。
  • プロレス中継と並行して、1970年代に入ってからはバラエティ・情報畑で活躍するようになった。
  • 当初はニュース読みの実習で「国家予算5円」と読んでしまったことから、ニュース枠からは外されていた。
  • 1980年にスタートした『NNSアナウンス大賞』の第1回最優秀賞受賞者である。
  • 1983年2月から1985年6月まで、日テレのキャッチフレーズ「おもしろまじめに4チャンネル」のイメージキャラクターを、小林完吾とともに務めた(徳光が「おもしろ」、小林が「まじめ」として)。このコンビで『笑っていいとも』の「テレフォンショッキング」に出演したこともある(1983年4月5日)。
  • 日テレ時代の後輩である福留功男とは、40年来の親友関係にあるが、『アメリカ横断ウルトラクイズ』での役回りから一時期テレビで「犬猿の仲」を演じていたことがあった。仕事以外では、福留が『ズームイン!!朝!』の司会に就任する際のインタビューで、徳光を「各局のリポートをきちんと受け止める名キャッチャーだった」と高く評価し、1991年に、福留がフリーになった理由のひとつが「先輩であり親友でもある徳光さんが退社してフリーになったこと」であった程、徳光とは仲が良い。徳光も「トメはアナデューサーだ」と福留の放送人としての才能を評価している[29]2007年10月15日から放送されていた『オジサンズ11』で、フリー転向後初めて福留とのレギュラー共演を果たしており、この番組では「犬猿の仲」は演じていない。なお、2人の後輩である羽鳥は徳光を「キャッチャータイプ」、福留を「ピッチャータイプ」と評し、羽鳥自身は「キャッチャータイプ」だという。
  • 『ズームイン!!朝!』から『NNNニュースプラス1』に担当番組が代わった頃から「俺はバラエティ番組・情報番組に慣れていたからニュースキャスターは合わない」と思うようになった[30]。加えてアナウンス部副部長昇進のオファーがあったが、徳光は数字の管理が苦手で「役職が付けば、今まで全くやったことが無い事務的な仕事もしなければいけなくなるだろうし、自分の管理も満足にできない人が、上に立って他人の管理をすることは出来ない。俺は事務職ではなく、現場で生きていきたい」と思ったことなどが日テレ退社・フリーへのきっかけとなった[31]。なお、徳光に『ニュースプラス1』キャスターとしての白羽の矢が立ったのは「『ニュースステーション』のおかげで、ニュースそのものが難解な言葉を多用するものから、わかりやすいものに変わっていったことに影響されたのではないだろうか」と話し、「『プラス1』の3年間は世界的にも激動の3年間で、人にものを伝える難しさというものを学んだ」とも話している[5]
  • 新人時代、都市対抗野球で「鞠が転々と転がりました」と実況したことが上層部の逆鱗に触れ、プロレス中継の担当に回された[30]

ギャンブル[編集]

大のギャンブル好きである。特にボートレースが大好きであり、選手の心理状況や家族構成まで調べるくらいに熱中している。日テレ時代に『ズームイン!!朝!』を担当していた時は、番組が終わるとほぼ毎日のようにBOAT RACE平和島に直行していたと言われている。「競馬は遊び、競艇は勝負」が口癖でもあるという[32]。アナウンサーを引退したらボートレース場予想屋をやりたいとも語っている。

  • 競馬では大穴狙いが多く、負けて当然と言った馬券の買い方をよくするという<[32]。ウインズ後楽園によく出没する。1997年2月17日には、船橋競馬場で当時の南関東公営競馬史上最高配当記録となる馬複(馬連)20万馬券を的中し、約800万円の払い戻しを受け、大々的に報じられた(この時はウインズ新橋の場外発売で馬券を購入)。その際、徳光の馬券予想コーナーを掲載していたスポーツ報知では「徳さん万馬券的中」と1面で報じたが、別のスポーツ新聞は徳光であることに気がつかず、「初老の男性が換金に来た」と報じた。
  • 競輪では自宅のある茅ヶ崎に程近い平塚競輪場を訪れる。2007年日本選手権競輪など、当地でのテレビ中継のゲストに呼ばれたこともある。
  • 公営競技以外にも麻雀も打つ(過去にはストレス解消法として、深夜まで及ぶことがあった[33])。
  • 2008年4月26日に、酔っ払い、ウインズ銀座で騒ぎを起こしたと、同年5月3日付の東京スポーツで報道された。馬券を買おうと自動発券機にマークシートと紙幣を投入したが、機械のトラブルで発券されず、出走5分前だったためか激昂し、係員を呼び付け「どうなってんの!」と大声で怒鳴り散らし、係員が「破れた紙幣が(機械に)詰まっています」と状況を説明すると、「破れたお金なんか入れてないよ!」と、詰め寄ったという。徳光は翌4日放送の『ザ・サンデー』で「100%事実です」と謝罪した。
  • 2009年4月に映画『グラン・トリノ』の特別試写会に招かれた際には、自らの理想の死に方として「『これを孫娘に渡してくれ……!』と言って万馬券を持って死ぬ、とかですね、あまりにも高価な万馬券ゆえにショック死をしてしまうとか。」と語っている[34]

入院生活[編集]

2001年6月に、急性心筋梗塞を患い緊急入院したが、同月末に現場復帰。息子の著書によれば、年齢不相応の不摂生が原因であるという。「健康に気を遣うということが、既に不健康である」というのが自身のモットーであったが、後にこの認識は改めざるを得なかった、とレギュラー番組で語っている。この経験により、2008年からはアステラス製薬が展開する、コレステロール適正管理キャンペーンに起用され、CMなどで日常での健康管理の重要性を呼びかけた。

なお、2001年の『24時間テレビ24』の司会は、最初と最後を除き、みのもんたが代行をした。

発病直前の生活について[33]

  • 週6本のレギュラー番組があり、休みがほとんどなかった。
  • ヘビースモーカーで、タバコを1日4箱(80本)吸っていた。
  • 魚の肝や魚卵、天ぷらなど脂っこいものが大好き。

なお、アステラス製薬のインターネットサイトのインタビューで、退院間近になり、徳光は担当医師に「これからタバコの数は減らします」と発言したが、担当医師が「このチーム(徳光の治療にあたっていた医師達)解散します」と発言したその時、徳光は「僕はそのチームによって助けられたんだな。この人達に対してもこれからタバコを吸ったら失礼だ」と思ったという。さらに医師からも、「今後タバコを1本でも吸ったら命の保障はありませんよ」と言われ、徳光は禁煙することになった。

親族[編集]

  • 遠くへ行きたい』の第2100回記念「僕のご先祖様は屯田兵」(2012年4月放送)では旅人として北海道を訪ね、その際には滝川市で長年の念願だった墓参を果たしている。しかし、NHKの番組ファミリーヒストリー(2013年1月21日放送)で、先祖は元々江差でニシン漁をし、その後現在のえりも町に移住した漁師であることが判明した。
  • ファミリーヒストリーによると、騎手・福永祐一の高祖父の妹と、徳光の祖父の兄が結婚しており、遠い姻戚関係にあるとのことである。また、ジャーナリスト・服部誠一は曽祖父である。

出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

現在[編集]

過去[編集]

日本テレビ

ニュース・情報番組

その他

テレビ朝日
朝日放送
TBS
TBSアナウンサーの安住紳一郎と共に司会を務めていた「徳光&安住の感動再会“逢いたい!”スペシャル」をレギュラー化。
  • スパモク!! ザ!芸能人ナイショのストーリー(秘)映像GP 司会 / 2010年5月27日
  • 地球SHOW学校 司会 / 2010年11月22日
BS-TBS
毎日放送
1995年4月から2008年9月までMBS・TBS系にて放送されていたウルルンシリーズの再放送および未公開名場面集を基本としたBS-TBSのオリジナル番組。
  • 「インスタントラーメン発明物語 安藤百福伝」司会 / 2010年3月5日
テレビ東京
テレビ大阪
フジテレビ
中京テレビ
NHK
  • 鶴瓶の家族に乾杯 福島県三春町の旅 (2009年10月19日・26日)
  • ファミリーヒストリー (2013年1月21日)

ラジオ番組[編集]

ニッポン放送
STVラジオ
NHK
アール・エフ・ラジオ日本
  • 徳光和夫のがんばれジャイアンツ
  • 徳光和夫のおじさんグラフィティ  
  • 徳光教授の巨人学講座(1998年度ナイターオフ、1999年度ナイターオフ)

インターネット番組[編集]

広告[編集]

出没!アド街ック天国のランキング紹介と同じように1人ずつ紹介していく、ナレーションは、アド街ック天国でもナレーションをしている武田広。徳光はナビゲーター。

音楽作品[編集]

映画[編集]

イベント[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ファミリーヒストリー 徳光和夫〜父は映画監督・驚きのルーツの数々〜』(NHK総合、2013年1月21日 [1]
  2. ^ 父が日テレ役員、本人が日テレアナ、息子も日テレの番組に出演しているため、親子3代に渡って日テレにも関与している。
  3. ^ 当時は軍国主義が強く唱えられた時代で、徳光の生まれた1941年に太平洋戦争が勃発した。
  4. ^ 徳光が初代司会者を務めた『ズームイン!!朝!』の初日最初のニュースは前日に起きた福永の落馬事故だった。徳光と福永の親戚関係は2013年1月21日放送のNHK総合テレビファミリーヒストリー』(徳光のルーツを辿った内容)で明らかになった([2])。
  5. ^ a b c d e 週刊現代 2013年11月16日 66-68ページ『私の地図』
  6. ^ 週刊ベースボール』、及び週刊朝日 2007年8月24日号『林真理子ゲストコレクション』(51ページ)で告白している。
  7. ^ 徳光正行・著『せんえつですが…徳光和夫の日常』(幻冬舎)『第4章・巨人愛』より。
  8. ^ 他局の同期ではNHK加賀美幸子広瀬久美子村田幸子名取将森本毅郎吉川精一フジテレビ岩佐徹露木茂能村庸一
  9. ^ 日テレはアメリカ中央情報局(CIA)の手先として、開局当初から学生運動や左翼運動を批判する立場を取っていた(詳細は中央情報局正力マイクロ波事件も参照のこと)。
  10. ^ 日テレはジャイアント馬場が率いる全日本プロレスの中継権を持ち、視聴率の高いゴールデンアワーで放映して、看板番組の一つとしていた。なお、彼が実況した試合は現在でもCSや過去の映像でも何故か放送されず封印されている。
  11. ^ 『せんえつですが…徳光和夫の日常』143-144ページ
  12. ^ 2011年8月21日放送『24時間テレビ』”. TVでた蔵 (2011年8月21日). 2014年9月12日閲覧。
  13. ^ 感動重視? 笑い重視? 自分の結婚式で司会をしてほしい芸能人ランキング”. マイナビウーマン (2014年8月30日). 2014年9月12日閲覧。
  14. ^ 2010年12月27日放送『中居正広の怪しい本の集まる図書館』”. TVでた蔵 (2010年12月27日). 2014年9月12日閲覧。
  15. ^ 2008年7月18日放送『一攫千金!日本ルー列島〜真夏のお台場番組祭り3時間スペシャル!〜新ドラマ&人気芸人が紳助にガチで挑戦するぞSP!!』(フジテレビ)のこと。
  16. ^ 徳光和夫に危惧される「燃え尽き症候群」”. 楽天WOMAN NEWS (2011年4月25日). 2014年9月12日閲覧。
  17. ^ 『ジャイアント馬場「甦る16文キック」第2巻』(小学館、2012年、ISBN 9784091042934)に収められた徳光のインタビューで確認できる
  18. ^ 『せんえつですが…徳光和夫の日常』126-128ページ
  19. ^ 『せんえつですが…徳光和夫の日常』124-125ページ
  20. ^ 2008年6月8日『Music Lovers』”. gooテレビ (2008年6月8日). 2014年9月13日閲覧。
  21. ^ 『せんえつですが…徳光和夫の日常』130-131ページ
  22. ^ 『せんえつですが…徳光和夫の日常』62-65ページ
  23. ^ ただし、長嶋から「もし、徳光さんがどんなことに巻き込まれても私が面倒を見る」と発言し、以来長嶋との交友が深まった
  24. ^ 『せんえつですが…徳光和夫の日常』101-102ページ
  25. ^ テレビ朝日『ニュースステーション』の公約による
  26. ^ 巨人軍5000勝の記憶読売新聞社ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。 p.8~9
  27. ^ コンベンション司会なのに"巨人偏愛"をゴリ押しする徳光和夫に、球界から大ブーイング!
  28. ^ 2013年10月20日放送『誰だって波瀾爆笑』(1/3)”. TVでた蔵 (2013年10月20日). 2014年9月13日閲覧。
  29. ^ 実際、1991年の『24時間テレビ14』、1993年の『ズームイン!!夜!』、1998年の『今世紀最後!!史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』、1999年の『11PM』特番で徳光と共演している。
  30. ^ a b 2013年10月20日放送『誰だって波瀾爆笑』(2/3)”. TVでた蔵 (2013年10月20日). 2014年9月13日閲覧。
  31. ^ 『せんえつですが…徳光和夫の日常』154-155ページ
  32. ^ a b 『せんえつですが…徳光和夫の日常』88-90ページ
  33. ^ a b 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』 2008年3月11日放送分より(公式サイト)。
  34. ^ 徳光和夫の理想の"最期"は「超高額万馬券を当ててショック死」 - マイコミジャーナル・2009年4月16日
  35. ^ 持病があっても入りやすい医療保険<もっとやさしいEVER>TV-CM「たま駅長」篇放映開始のお知らせ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]