毎日放送

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株式会社毎日放送
Mainichi Broadcasting System, Inc.
Mainichi Broadcasting System logo.svg

Mainichi Broadcasting System.JPG
本社(M館[1])<1階部分リニューアル前>。壁面に取り付けられていた「MBS」の旧ロゴは現在取り外されている。
毎日放送 2013-12-10 03-11.jpg
本社新館(B館[1]

毎日放送 2014-02-21 07-23.jpg
本館(M館[1])と新館(B館[1]
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 MBS
本社所在地 日本の旗 日本
530-8304
大阪府大阪市北区茶屋町17番1号
設立 1950年昭和25年)12月27日
(新日本放送株式会社として設立)
業種 情報・通信業
事業内容 一般放送事業など
代表者 代表取締役社長 河内一友
資本金 40億7,249万円
発行済株式総数 2,634万9,800株
(2012年6月21日現在)
売上高 連結:631億6,522万4千円
単独:568億6,932万8千円
2012年3月期)
営業利益 連結:33億3,163万5千円
単独:24億6,299万3千円
(2012年3月期)
純利益 連結:21億9,081万4千円
単独:21億1,650万円
(2012年3月期)
純資産 連結:843億1,056万8千円
単独:827億2,595万1千円
(2012年3月期)
総資産 連結:1,009億1,976万5千円
単独:986億6,870万2千円
(2012年3月期)
従業員数 連結:870人 単独:618人
(2012年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 大株主の状況参照
主要子会社 (株)放送映画製作所 100%
(株)MBS企画 100%
(株)GAORA 43.1%
関係する人物 高橋信三
坂田勝郎
高木一見
斎藤守慶
山本雅弘
外部リンク http://www.mbs.co.jp/
特記事項:1958年6月1日に新日本放送株式会社から商号変更。
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株式会社毎日放送(まいにちほうそう、英称 : Mainichi Broadcasting System, Inc.、略称 : MBS)は、近畿広域圏放送対象地域とする特定地上基幹放送事業者である。

中波放送(AM放送)テレビジョン放送の兼営局(ラテ兼営局)で、 ラジオ放送はJRNおよびNRNとのクロスネット局、 テレビ放送はJNN系列の準キー局である。

ラジオ放送についてはMBSラジオを、テレビ放送についてはMBSテレビを参照。

本社および主な事業所[編集]

本社[編集]

本社の社屋では、1990年9月1日のグランドオープン以来、1階の大半を「アトリウム」(オープンスペース)としてテレビ・ラジオ番組の生中継・収録や各種イベントに利用。「MBSグッズショップ」(旧名称は「エムぞうの店」→「ネビュラ」)やタリーズコーヒーの支店も入居していた。2階では、オープン当初、「ギャラクシーホール」という名称でコンサートホールの機能を持たせていた。現在は、「ギャラクシースタジオ(2014年4月の本社グランドオープンと同時に「Cスタジオ」と名称変更)」として、テレビの生放送番組や公開収録・イベントに用いている。

2010年7月、本社北側に免震構造の地上15階地下1階の新館(完成に伴い「B館」と呼称[1])を建設することを発表。大阪市から「企業・大学等立地促進助成制度」を適用されたこと[3]を受けて、2011年4月に着工した後に、2013年9月4日に竣工した。

B館」は、MBSテレビのチャンネル番号(4)とMBSラジオの周波数(1179)にちなんで、2014年44日午前1179秒にグランドオープン[4][5]MBSラジオでは、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』(平日にレギュラー放送中の生ワイド番組『上泉雄一のええなぁ!』がベースの記念特別番組)の中でその瞬間を伝えた[6]

B館」には、中継基地、「MBSスタジオ in USJ」(後述)から機能を移転させたテレビ番組用の2つのスタジオ、オフィス、ヘリポート、高さ約36m(地上からの高さ約117m)の電波用鉄塔などを設置。従来からの本社屋(「B館」の竣工を機に「M館」と呼称[1])とは、2・12・13階に設けた渡り廊下で接続する。また、放送局の心臓部にあたる主調整室(マスター)を2015年春に「B館」に新設したマスターに更新する予定[7]

毎日放送では、「B館」の運用を開始する2014年4月4日から、特別番組の放送や視聴者も参加できる記念イベント(「1万人のテープカット」「チャリウッド2014」など)を開催。「M館」(本社屋)の1階では、タリーズコーヒーのスペースを移動させたうえで、跡地に「らいよんデイリーストア」(ヤマザキデイリーストアに「MBSグッズショップ」の機能を統合させたコンビニエンスストア)を開店した。また、「M館」のエントランス(「ギャラクシーホール」を運用していた時期に活用)および「アトリウム」を、「ちゃやまちプラザ」(放送上の通称は「ちゃプラステージ」)にリニューアル。旧エントランスを「ちゃやまちプラザ Live Space」、旧「アトリウム」を「ちゃやまちプラザ Lobby Space」として、番組の生中継・公開収録やイベントなどで定期的に活用する[8]。「ちゃやまちプラザ Live Space」については、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』から、番組での使用を開始した。

ちなみに、「M館」「B館」という呼称は、毎日放送の略称である「MBS」に由来している。ただし、「B館」の運用開始時点で、正式に「S館」という呼称を付けた施設・社屋は実在しない。

千里丘ミリカセンター[編集]

日本国内の支社・支局[編集]

毎日放送東京支社が入居する赤坂Bizタワー

日本国外の支局[編集]

現在は、ベルリンドイツ)と上海中国)に設置。いずれも、当社の活動拠点にとどまらず、JNNの国外支局(放送上の名義は「JNN~支局」)としても機能している。かつては、マニラフィリピン)にも支局(放送上の名義は「JNNマニラ支局」)を置いていた。

会社情報[編集]

  • 代表取締役社長は河内一友
  • 東京放送ホールディングス(TBSHD)、RKB毎日放送テレビ東京ホールディングス(TXHD)、FM802の大株主である。
    • RKB毎日放送とは繋がりが強く、ラジオ番組の共同制作や共同セールスを行ったり、テレビでは腸捻転時代も九州朝日放送の編成から外れた自社制作番組を販売またはスポンサードネットしていた他、健康保険組合を共同で設立するなど姉妹会社の様相を呈している。なお、アナログ親局やデジタル放送におけるリモコンキーIDも同じ「4」となっている。りそなホールディングスとも関係が親密である。
    • 在阪放送局中、同社と読売テレビ関西テレビの3社が各々の在京キー局(TBS、日テレフジ)の大株主となっている。なお、読売テレビと関西テレビは元来持ち合いの目的でキー局株を取得したものだが、毎日放送は事情が異なり、1977年(昭和52年)に経営が悪化した毎日新聞社から肩代わりする形で株式を取得したものである。
    • 在阪放送局中、同社と朝日放送、関西テレビの3社は各々の在京キー局(TBS、テレ朝、フジ)より開局が早い。これは、この3社とキー局3社とは設立当時それぞれがまったくの無関係だったことによる。ただし、ラジオ放送開始が日本でも最古参なのとは裏腹に、テレビ放送開始は在阪局の中でも4番目と遅く、放送開始日は現キー局のTBSより約4年、旧キー局のテレビ朝日(当時は日本教育テレビ(NETテレビ))と比べてもほぼ同時期だが1ヶ月遅れている。一方、読売テレビとテレビ大阪はそれぞれのキー局の意向で設立されたため、キー局よりも遅い開局となっている。
    • FM802には、ニッポン放送とともに主要株主として設立に携わっている。設立時にはニッポン放送から編成、毎日放送から営業の責任者が出向していた。また、イベントを共催することも多い。
  • これまで自社の大株主にはTBSHDが入っていなかったが、2005年(平成17年)10月以後に取得した模様。
    • 1977年(昭和52年)に経営危機で再建策がとられた毎日新聞社が株式を手放して以来、TBSHDとともに毎日新聞社とは一定の距離を保ってきたが、一連のマスコミ株式を巡る騒動を契機に、ネットワークの再団結を図る狙いがあるものと見られる。永年のライバル朝日放送も、現在では後からできた在京キー局・テレビ朝日による出資を受けるようになった。
    • また、これとは別にTBSHDが安定株主対策として、MBSや電通などに第三者割当増資を行った際の見返りとしてMBS株を取得し、持ち合いとなったとみられる。
  • 2007年(平成19年)1月30日、58億円の第三者割当増資(普通株式290万株)を実施。引受先は電通東レ、TBSHDなど既存株主のほかコクヨ大和ハウス工業など計15社。調達資金はスタジオや制作・事業機能の茶屋町本社付近への集約や、地上デジタル放送対応に充てる。新株の発行価格は2000円。結果、資本金は増資額の半分の29億円分増加し11億7200万円から40億7249万円となり、残る29億円は資本準備金に組入れ。
  • テレビのJNNでは「5社連盟」にも加盟する基幹局の一社であり、またTBSHDの大株主でもあることから、同系列での発言権・影響力はTBSと並び強いものとされる。
  • ラジオネットワークはJRN、NRN双方に加盟している。ラジオネットワークには基幹局・準キー局は厳密には存在しないが、JRNではTBSラジオMBSRKBが設立時から幹事社とされ、NRNではネットワークラインへの送出し可能な設備を持ち、基幹局に近い扱いを受けている。

株式等の状況[編集]

平成24年3月31日時点

  • 会社が発行する株式の総数…普通株式 60,000,000株
  • 発行済株式…普通株式 26,349,800株

大株主の状況[編集]

平成24年3月31日時点 括弧内は、持株比率を示す。所有株式数(千株)

  1. ソニー株式会社 (4.44) 1,172
  2. 株式会社りそな銀行 (4.42) 1,166
  3. 株式会社三菱東京UFJ銀行 (4.42) 1,166
  4. 株式会社三井住友銀行 (4.42) 1,166
  5. 株式会社東京放送ホールディングス (4.36) 1,150
  6. 日本電気株式会社 (3.56) 938
  7. 株式会社大林組 (3.19) 842
  8. 野村ホールディングス株式会社 (3.19) 840
  9. 日本生命保険相互会社 (2.94) 774
  10. 第一生命保険株式会社 (2.82) 744

上位10位以外の株主の状況[編集]

毎日放送が株式を保有している放送局[編集]

括弧内は、貸借対照表の価格を示す。

テレビ東京ホールディングスと広島ホームテレビの株式を所有しているのは、いわゆる「腸捻転」の名残である。

テレビユー福島については、2005年のマスメディア集中排除原則に基づく総務省の点検の結果、キー局のTBSが制限を超えて直接保有していた分の一部を引き取ったものである。なおMBS自体は各局に対する株式の保有比率が極めて低く、10%を超えて保有している局がFM802しかなかった[13]ため、行政指導を受けなかった。

上記にはないが、岡山放送フジテレビ系列=関西テレビも株保有)や瀬戸内海放送などかつて腸捻転時代にNETテレビ系列(現在のテレビ朝日ネットワーク)だったテレビ局にも資本関係が残っている。

沿革[編集]

  • 1950年(昭和25年)12月27日 - 「新日本放送株式会社」天神橋7丁目に設立。同地に仮スタジオと研修センターを置いた。後に阪急百貨店本店屋上に試験放送開始と同時に同地に業務機能を完全に移転。
  • 1951年(昭和26年)4月21日 - 予備免許交付。コールサイン:JOOR、周波数:1210kc。
  • 1951年(昭和26年)7月8日 - 日本の民間放送として初めて試験電波を発射。
  • 1951年(昭和26年)7月31日 - 本免許交付。
  • 1951年(昭和26年)8月15日 - サービス放送開始(8月31日まで実施)。
  • 1951年(昭和26年)9月1日 - ラジオ本放送開始(JOOR)。中部日本放送より半日遅れて正午に本放送開始。民放では日本で2番目。
  • 1951年(昭和26年)9月3日 - 現在も続く民放ラジオ最長寿番組歌のない歌謡曲』放送開始。
  • 1956年(昭和31年)12月1日 - 朝日放送朝日新聞社毎日新聞社と合弁で会社を設立し大阪テレビ放送を開局。
  • 1958年(昭和33年)6月1日 - 新日本放送の社名を「株式会社毎日放送」に改称。
  • 1959年(昭和34年)3月1日 - 地上アナログテレビジョン本放送開始(JOOR-TV)。東京・フジテレビ、福岡・九州朝日放送と同日開局。日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日)・フジテレビとネットワークを結ぶが、翌年NETに一本化された。
  • 1959年(昭和34年)3月6日 - 長寿紀行番組『真珠の小箱』放送開始。
  • 1959年(昭和34年)10月5日 - 長寿番組『皇室アルバム』放送開始。
  • 1960年(昭和35年) - 大阪府吹田市千里丘陵に2階建ての「千里丘スタジオ」完成。番組制作機能を移転。
  • 1963年(昭和38年)10月6日 - 全国ネットのクイズ番組アップダウンクイズ』放送開始。1985年(昭和60年)の放送終了まで22年間に亘って放送された看板番組であった。
  • 1964年(昭和39年) - TBSラジオRKB毎日放送と暫定ラジオネットワークを結成。翌年のJRN(Japan Radio Network)発足へと繋がる。
  • 1965年(昭和40年)5月2日 - TBSラジオをキーステーションとしたラジオネットワーク、JRNに加盟。
  • 1965年(昭和40年)5月3日 - 文化放送ニッポン放送をキーステーションとしたラジオネットワーク、NRN(National Radio Network)に加盟。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - テレビのカラー本放送開始。大阪地区では4番目。
  • 1967年(昭和42年)10月2日 - 深夜ラジオ番組『歌え!MBSヤングタウン』(現在のMBSヤングタウン)放送開始。
  • 1969年(昭和44年)7月3日 - 桂三枝(現・六代桂文枝)が司会のバラエティ番組『ヤングおー!おー!』放送開始。吉本興業の若手お笑い芸人の登竜門として、明石家さんま島田紳助らを輩出した。
  • 1969年(昭和44年)10月1日 - 東京12チャンネル(現在のテレビ東京)とマイクロネットを結び、NETテレビとのクロスネット局となる(〜1975年3月30日まで)。
  • 1970年(昭和45年)1月1日 - 同日、NETテレビをキーステーションとしたテレビニュースネットワーク、ANNに加盟。全国ニュースタイトルは、他の系列局に遅れて、4月より『ANNニュース』(スポットニュースは『MBSニュース ANN』)となる(それまでは従来通り『MBSニュース』だった)。
  • 1971年(昭和46年)12月31日 - この日を最後にNET(現在のテレビ朝日)の『23時ショー』のネットを打ち切り、金曜日分の制作からも撤退。地方からの問題提起として話題を撒く。
  • 1972年(昭和47年)10月9日 - ラジオの生ワイド番組『ごめんやす馬場章夫です』放送開始。
  • 1974年(昭和49年)4月8日 - ラジオの生ワイド番組『ありがとう浜村淳です』放送開始。
  • 1974年(昭和49年)- ラジオニュースの編集権が毎日新聞社から毎日放送に移管。ニュースタイトルを『毎日ニュース』に変更。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - テレビのキー局をNETからTBSに変更。テレビネットワークの“腸捻転”が解消される。朝日放送に代わって、5社連盟北海道放送、TBS、CBCテレビ、毎日放送、RKB毎日放送)、JNNにそれぞれ加盟、「東芝日曜劇場」の制作にも参加。また当日から近畿広域圏のJRNのニュースネットワーク担当局が朝日放送から毎日放送に移管した。
  • 1976年(昭和51年)1月5日 - 近畿広域圏では初のローカルワイドニュース『MBSナウ』放送開始。
  • 1977年(昭和52年)5月15日 - ラジオの周波数を1210KHzから1180KHzに変更。
  • 1978年(昭和53年)11月23日 - 国際電気通信連合(ITU)の取り決めにより、周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもってラジオの周波数を1180KHzから1179KHzに変更。
  • 1980年(昭和55年)4月 - 近畿広域圏初のローカル・ドキュメンタリー番組『映像80』放送開始(2011年現在、番組タイトルは『映像'11』)。
  • 1982年(昭和57年)2月11日 - 第1回『毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク』を実施。毎年初春の風物詩として毎年2月に開催。現在は、年およそ2回行われている。
  • 1982年(昭和57年)9月19日 - 『ヤングおー!おー!』放送終了。
  • 1983年(昭和58年)4月7日 - 全国ネットのクイズ番組『世界まるごとHOWマッチ』(東京支社制作、東京での収録)放送開始(大橋巨泉石坂浩二ビートたけし他出演)。『アップダウンクイズ』と共にMBSの看板クイズ番組であった。
  • 1984年(昭和59年)1月25日 - MBSアナウンサーが総出演のバラエティ番組『あどりぶランド』放送開始。放送局のアナウンサー総出演のバラエティ番組の先駈けとなった。
  • 1985年(昭和60年)10月6日 - 『アップダウンクイズ』放送終了。
  • 1986年(昭和61年)3月 - 『選抜高等学校野球大会』を国内テレビ初のサラウンド放送実施。
  • 1990年平成2年)4月5日 - 『世界まるごとHOWマッチ』放送終了。
  • 1990年(平成2年)7月 - 社名ロゴタイプを変更。前代ロゴを少し細く・丸帯びたようなものであった。但し、MBSのロゴは従来通り。新しいデザインによる社旗(三色旗)、社章(バッジ)[14]制定。
  • 1990年(平成2年)9月1日 - ラジオ開局40周年を機に大阪市北区茶屋町に15階建ての新本社・放送センター完成、同区堂島毎日大阪会館内)にあった登記上本店機能と吹田市の千里丘放送センターの機能の一部を移転・統合。9月1日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたって開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組を制作・放送。
  • 1992年(平成4年)3月15日 - 午前9時、ラジオのAMステレオ放送開始(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、ABCラジオと同時)。
  • 1995年(平成7年)1月17日 - 兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)が発生し、ニューススタジオにあったセットが倒壊。テレビ・ラジオとも、当日午前からすべてのCMをおよそ2日間中止し、その放送枠に安否情報や生活情報を挿入。CM再開後もミニ番組などを休止し同様の情報を1月28日まで連日放送。
    後に、震災当時のラジオ放送を活字にまとめた『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか 「被災していない人への情報はいらない!」と言い続けた報道者たち』(ISBN 4810422259)という本が出版されている。
  • 1998年(平成10年)3月18日 - 『あどりぶランド』放送終了。
  • 1999年(平成11年)9月 - 『MBSヤングタウン』平日放送終了(土・日は現在も継続)。 
  • 1999年(平成11年)10月11日 - MBSの看板番組となる夕方の情報生番組『ちちんぷいぷい』放送開始
  • 2000年(平成12年)9月29日 - 『MBSナウ』放送終了。同年10月2日より『VOICE』へとリニューアル。
  • 2001年(平成13年)3月31日 - ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内にMBSスタジオ in USJ完成。
  • 2003年(平成15年)9月26日 - 『ごめんやす馬場章夫です』放送終了。
  • 2003年(平成15年)10月7日 - なんばパークス内にラジオ局のサテライトスタジオとなるパークスラジオパラダイスをオープン。
  • 2003年(平成15年)12月1日 - 午前11時 地上デジタルテレビジョン放送開始(JOOR-DTV)。この際、社長・山本雅弘(当時、後に会長を歴任)の提案で、地域に根ざした放送局を目指す「スーパーリージョナルステーション」にすることを宣言。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - アナログ・デジタル統合マスター(NEC製)運用開始。
    • 現在発行しているベリカード(テレビ・ラジオ共通)は前述のアナログ・デジタル統合テレビマスターの全景写真(パノラマ撮影)がデザインされている[15]
  • 2004年(平成16年)3月27日 - 『真珠の小箱』放送終了。
  • 2004年(平成16年)7月 - 在阪放送局主体のイベントとしては初となるオーサカキングを大阪城公園一帯で開催、40万人を超える人出となる。好評につき、2008年(平成20年)まで開催された。
  • 2007年(平成19年)8月25日9月2日 - 2007年世界陸上選手権大阪大会をJNN・JRN系列で独占中継。制作協力として参加した。
  • 2008年(平成20年)2月6日 - 千里丘ミリカセンターがオープン。
  • 2008年(平成20年)2月12日 - 東京支社が赤坂Bizタワーに移転。
  • 2010年(平成22年)3月1日 - 未明の放送終了を以ってラジオのAMステレオ放送を終了。早朝4:30の放送開始よりモノラル放送に移行。
  • 2010年(平成22年)3月15日、ほかの在阪ラジオ5局と共同でインターネットでのサイマル放送「radiko」を試験的に開始(大阪府・京都府・兵庫県・奈良県。2010年12月1日からは滋賀県・和歌山県にも拡大)。「radiko」ではステレオ配信を実施している。
  • 2011年(平成23年)7月24日 - この日正午をもって地上アナログテレビ放送を終了(TBS制作『アッコにおまかせ!』の放送中に終了)。新聞・テレビ情報誌の表記が「毎日テレビ」「毎日ラジオ」から「MBSテレビ」「MBSラジオ」に変更される。
  • 2011年(平成23年)9月1日 - 開局60周年を迎えたことを機に、コーポレートアイデンティティを刷新。"MBS"及び"毎日放送"ロゴマークの変更、コーポレートカラーに黄緑色を制定する。(テレビ中継車の一部を黄緑色を基調としたデザインに変更。同時に4マーク及び1179マークも変更。社旗は黄緑地に白抜きで「MBS」の新ロゴ、その下に黒字で「Mainichi Broadcasting System,Inc.」と表記された物に変更。また社章(バッチ)は2011年度入社分までは従来の物を使用しているが、2012年度分から新デザインにて使用される。)テレビでのクレジット表示を毎日放送からMBSに統一。
  • 2013年(平成25年)10月1日 - 地球環境保護、電力供給不安の解消、社会への貢献を目的に、毎日放送高石ラジオ送信所大阪府高石市)の敷地内で「毎日放送高石太陽光発電所」の運営を開始。これを機に、在阪の放送局では初めて太陽光発電事業に乗り出した。なお、同発電所で生み出された電力は、20年間の予定で全量を関西電力に販売する。
2011年8月まで使用されたロゴ。現在も一部に限り継続使用され、ミリカセンター、ベリカード、デジタル放送のSTLパラボラ、子会社などは現在も使用。
  • 2014年(平成26年)4月4日 - 午前11時7分9秒に、本社「B館」がグランドオープン。このオープンを機に、「あらためまして、MBS」というキャッチフレーズを使用。

設立[編集]

第二次世界大戦終結から間もない1947年昭和22年)、GHQが「放送基本法」と「電波三法」(放送法電波法電波監理委員会設置法)の立法措置を指令し、1950年(昭和25年)6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民間放送会社16社に予備免許が下りた。そのうちの一つ、新日本放送株式会社しんにっぽんほうそう、略称 NJB英称 New Japan Broadcasting System,Inc.)は、関西政・財界の支援の下、毎日新聞社京阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)と日本電気(NEC)を中心に設立された。実際に創立の中心となったのは、毎日新聞社を依願退職した高橋信三であった。

高橋は民間放送の将来性と必要性を説き、毎日新聞時代に培った個人のコネクションをフルに利用して出資者や番組スポンサーを募集。設立途中で出遅れた朝日新聞社の机上案に過ぎなかった朝日放送との合併工作という横槍を頑として撥ね付け、現在でもその録音が残る朝日側との激しい公聴会のやりとりの末、漸く新日本放送の開局に漕ぎ着けた。

京阪神急行電鉄の資本が入っていた関係で、開局当初は系列企業であった阪急百貨店屋上に本社・スタジオを構えており、スタジオで行われる公開録音の観覧者のために、百貨店の休業日に関係なく利用できるエレベーターが設置されていたという[16]

民放初の試験電波発射[編集]

1951年(昭和26年)7月8日、22時00分 - 22時30分、日本の民間放送として初めて試験電波を発射。監理局の指示により「NJB」と「JOOR」というアナウンス、レコード音楽のみ。7月12日、26日にも実施。

1951年(昭和26年)8月15日、サービス放送開始。12時00分、14時00分、16時00分、18時00分、20時00分から各1時間放送。

試験放送は民間放送で最も早く開始したものの、本放送の開始は1951年(昭和26年)9月1日正午と中部日本放送(CBC)より5時間半遅れているため、CBCの方を日本初の民間放送として扱うことがある。

茶屋町に移転[編集]

1990年(平成2年)9月1日、大阪市北区茶屋町に15階建ての新社屋ビル(新本社・新放送センター)が完成。堂島にあった営業など本社機能と、千里丘放送センターにあった報道局などの部署、千里丘で制作されていたテレビ・ラジオ番組の一部を除いて茶屋町の新社屋に移転した[17]

新社屋ビルは、大阪市阪急電鉄が茶屋町地区の再開発計画の一環として、阪急百貨店の流通センターの跡地に建てられたもので、上部部分は「M」の文字を象った形をしている。

「毎日」をイメージした造型だと思われているが、当時この空域でNTTの電波が送信されていたため、建物の高さ制限があり、そのためでもあることが、テレビ番組『あどりぶランド』で紹介されたことがある。

また在阪テレビジョン放送局の中でも、にぎやかなところにある。本社前は、平日では通勤者の通り道にもなっている。

近隣には、梅田芸術劇場が入居する「ちゃやまちアプローズ」、阪急電鉄本社ビル、梅田ロフトNU chayamachiなどの業務・商業施設が立ち並び、阪急神戸宝塚京都各線の梅田駅 - 中津駅間およびJR京都線大阪駅 - 新大阪駅間を走行する列車の車内から新社屋ビルを目にすることが出来る。

9月1日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたって、開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組を制作・放送した。

2014年4月4日午前11時7分9秒に、本館の北側に2つのテレビスタジオを設けた新館が運用を開始したのに伴い、本館は「M館」、新館は「B館」の名称が付けられた。B館はUSJスタジオや千里丘にあった中継車車庫を集約した地上15階・地下1階の建物で、免震構造が施されている。M館1階のフロアはB館建築により大幅な改修工事が行われ、「ちゃやまちプラザ」の名称で一般にも利用できる施設を開設。その内、在阪放送局の社屋内では始めての試みとして、コンビニエンスストアデイリーヤマザキとMBSグッズショップが一体化した「らいよんデイリーストア」が出店。

施設一覧[編集]

茶屋町本社(M館・B館)[編集]

旧ギャラクシーホールエントランス(現在のM館1階:「ちゃやまちプラザ Live Space」に活用)
本社新館(B館[1]
テレビスタジオ(全てハイビジョン対応)
  1. ^ 2014年4月4日のB館グランドオープンを前に、同年2月3日放送分の『ちちんぷいぷい』から運用を開始した。
  2. ^ 当初「ギャラクシーホール」という名でホール兼用スタジオとして運用していたが、スタジオ需要の変化に伴い、ホール機能を封印しテレビスタジオに切り替えた。その際に名称も「ギャラクシースタジオ」と改めたが、2014年4月の本社グランドオープンに伴い、スタジオ名称を「Cスタジオ」と改めた(2014年4月7日放送分の「痛快!明石家電視台」冒頭でその旨の紹介あり)。
  3. ^ かつては、『ダウンタウンの素』や『宵待5』といった番組の生放送や、『ロケみつ ザ・ワールド』の収録に使われた。

新御堂筋に面する「B館」東側の窓には、A・B両スタジオのフロアを示す看板状の大型プレート(「A STUDIO」「STUDIO B」)が掲げられている。

ラジオスタジオ

いずれもM館に設置

生ワイド番組は基本的にαスタジオとβスタジオを交互に使用する。
MBSスタジオ in USJ(現在は閉鎖)
千里丘ミリカセンター
パークスラジオパラダイス(現在は閉鎖)
シアターBRAVA!
取材用ヘリコプター (JA04CH)

MBS Tokyo Biz Studio(東京支社)[編集]

東京都港区赤坂5丁目3番1号赤坂Bizタワー赤坂サカス内)

ラジオ・テレビ兼用、生放送対応

東京支社のスタジオはラジオ収録が主体でテレビ収録や生中継も可能な多目的スタジオとなっており、スタジオ設備のうちラジオ対応としては、茶屋町本社で受けサブを必要とせずに生放送を送り出せる[18]
またテレビ対応としては、茶屋町本社から制御可能な遠隔操作(リモコン)HDカメラが1台常設されているほか、スタジオサブに隣接してテレビ用のVTR機材などが配置されている[19]
ラジオスタジオは、近藤勝重(毎日新聞東京本社特任編集委員)がMBSラジオの生放送番組(主にラジオ報道部制作の生ワイド番組)へ出演するたびに、茶屋町の本社スタジオとの二元中継形式で使われている。

劇場[編集]

中継車[編集]

  • 多数の中継車を保有。そのほとんどは千里丘ミリカセンターに常駐している。そのためナンバープレートの地名表示は北摂・東大阪地域で登録される大阪ナンバーとなっている。
  • 近年はハイビジョン対応の小型中継車を導入。三菱ふそう・キャンター(2004年式)と、日野・デュトロハイブリッド(2005年式)を保有している。

ヘリコプター[編集]

過去に存在した施設[編集]

毎日放送千里丘放送センター
MBSスタジオ in USJ
MBSラジオサテライトスタジオ パークスラジオパラダイス

通称パラパラスタジオなんばパークス1F(生放送対応)

番組[編集]

局データ[編集]

マスコットキャラクター[編集]

在阪テレビ局各局はそれぞれ独自の名物マスコットキャラクターを輩出しているが(大阪市内の土産店でこれらのキャラクターグッズ類も売られているほど)、MBSも例外ではない。

エムぞう[編集]

初代マスコットキャラクター。MBS本社の形を模したキャラクターであり、番組関連商品を売る店の名前も「エムぞうの店」と呼ばれ「ネビュラ・エムぞうの店」を経て現在は「ネビュラ」。下記ぷいぷいさん登場以降も、MBS玄関でウルトラマンの立像などの陰に隠れつつ「エムぞうの店」の看板として活躍していたが、いつしか消えた。

ぷいぷいさん[編集]

ちちんぷいぷい』のイメージキャラクターだったが、一時局全体のマスコットキャラクターも兼ねていた。当時、同局のキャッチフレーズも「ちちんぷいぷいMBS」だった。社屋玄関にはぷいぷいさんのバルーン(初代)も設置された。仲間にひーさんわんわんくもくもとりさん[21]と、『せやねん!』のイメージキャラクターのせやねんちゃんちゃうやろちゃんがいる。

らいよんチャン[編集]

バルーン[編集]

社屋玄関にぷいぷいさんとらいよんチャンのバルーンも掲げられており『あん!』放送時には、あん!ちゃんのバルーンが掲げられていた。ぷいぷいさんのバルーンは、現在のもので2代目で初代に比べて、やや小ぶりになった。台風が近畿地方に接近・上陸し一定以上の強風になった際、防災上の観点から空気を抜いて「避難」することもある。なお、空気を抜き折り畳んだぷいぷいさんバルーンの大きさは軽トラックに積める程度である。また、らいよんチャンバルーンは初代は裸の姿だったが、2代目はTシャツ姿の物になった。

じゃがポテ仮面[編集]

毎週木曜日に放送されている『はれときどきうた』で登場するキャラクター。レトルトカレーDVDが発売されている。

待遇データ[編集]

  • 初任給 大卒266,400円(2013.4実績・住居手当込)
  • 諸手当 家族手当、通勤交通費など
  • 昇給・賞与 昇給・年1回 賞与・年2回
  • 勤務地 大阪・東京 他
  • 勤務時間 10:00 - 18:00 ※上記通常勤務のほか、職場により不定時間勤務、輪番勤務、介護勤務など。育児勤務者にはフレックス制導入。
  • 休日 完全週休2日制・国民の休日・年末年始(12月30日・31日、1月1日~3日)、年次有給休暇(10 - 23日)、特別休暇(結婚・出産等慶弔時)、リフレッシュ休暇 ほか
  • 福利厚生 診療所、カフェテリア、喫茶、バー、クラブ・同好会、提携フィットネスクラブあり
  • 諸制度 育児・介護休業制度、年金および住宅資金融資制度、健康保険組合あり、各種社会保険完備、財形貯蓄
  • 教育研修 内定者研修、新入社員研修、新入社員フォローアップ、若手社員フォローアップ面談、若手社員集合研修、中堅社員集合研修、管理職集合研修、海外研修、資格取得祝金制度

その他[編集]

  • 夜間における緊急事態発生に備え、局アナ1人と制作・技術・報道部門のスタッフ数人が局に毎日交替で泊まり込む宿直勤務制度を敷いている。
  • AERA』で社名入りの特集が組まれるほど、女性社員に対する福利厚生制度が充実している。[22]近年では、既婚の女性アナウンサーの大半が、産休・育児休暇を経て職場復帰を果たしている。[23]
  • テレビ・ラジオとも、天気予報を『お天気のお知らせ』と言う番組名で伝える。ラジオの場合は、コーナー名も同様。
  • 以下のJRAの重賞競走に対し、「毎日放送賞」を寄贈している。
  • 阪急電鉄梅田駅2階JR線連絡通路、阪神電鉄梅田駅地下1階東側出入り口、JR大阪駅御堂筋口に広告を出している。阪急梅田駅通路にはドラマの広告が、阪神梅田駅には野球中継の広告が出ている。JR大阪駅には駅改良工事によって設置された巻き取り式の広告枠に設置時から自社制作バラエティ番組やドラマ、らいよんチャンの広告を出していたが2008年10月で終了。かつては阪急中津駅にもあったが、現在は撤去されている。
  • 2004年(平成16年)から2008年(平成20年)まで夏のイベントとしてオーサカキングを主催していた。
  • 情報番組などに芸能リポーターらが登場することはほとんどないが、ディレクターが記者などとして、出演することなどがある。
    • 最近ではラジオで出演することがたまにある。
    • リポーターなどは出演しないが、独自の目線で独占インタビューなどを頻繁に『ちちんぷいぷい』内などで放送しており、タレント俳優などのこれまでとは違う一面を引き出しているためリポーターを出演させなくてもやっていけるということを証明している。
  • 2005年(平成17年)シーズン、阪神タイガースは前半戦首位を独走したものの、後半戦に入ると中日ドラゴンズの猛追を受け、ついに0.5ゲーム差まで迫られてしまった。このままでは逆転されてしまうということで、「阪神優勝してよん ドリームズカムつる〜」というイベントを実施した。これはタイガースの優勝をファンと、『ちちんぷいぷい』の角淳一、『せやねん!』のトミーズ、『っちゅ〜ねん!』(当時)の上泉雄一で後押ししようというキャンペーンで、MBS社屋内と阪神百貨店内に特別ブースが設けられた。その後阪神が優勝したので優勝特別番組で100万羽の折り鶴が舞った。「この企画が無かったら本当に逆転されていた」とトミーズ雅は語っている。その後、この折り鶴は甲子園球場近くの廣田神社で燃やされた。
    • 2007年(平成19年)シーズンも、9月18日から阪神の日本一を祈願して、阪神がナゴヤドームで行われたクライマックスシリーズ第1ステージで敗退した翌日の10月15日 まで「ドリームズカムつる〜2007」を『ちちんぷいぷい』と『せやねん!』の共同キャンペーンとして開催した。2007年(平成19年)シーズンでは、阪神タイガースの黄色に加え、金本知憲(外野手、背番号6)の活躍を祈って金色赤星憲広(外野手、背番号53)の活躍を祈って藤川球児(投手、背番号22)の活躍を祈って藤色桜井広大(外野手、背番号51)の活躍を祈って桜色の折り紙で鶴を折ることが出来た。それと同時に、MBS玄関前では『ちちんぷいぷい』のコーナー「今日のポン」が「目指せ!阪神ニッポンイチ」と題して行われた(ポンの時間: 平日は午後2時、午後2時50分ごろ、午後4時ごろ、午後5時ごろの4回、土・日・祝日は午後3時の1回)。終了後、その折り鶴は前と同じく廣田神社で奉納された。
    • 2008年(平成20年)シーズンには、8月26日から「MBSめざせ阪神優勝キャンペーン 笑虎 (タイガースマイル)2008」が行われた。内容は阪神タイガースがセントラル・リーグ優勝を決めた夜にMBSで放送される「優勝特番」で選手が最高の笑顔を見せるような"一品"をプレゼントするというもの。"一品"の情報を提供し、特番で紹介された場合、その視聴者には"一品"とともに、笑顔の選手の生写真をプレゼント。しかし阪神がセ・リーグ優勝を逃したため、この企画は幻となった。
  • 毎日放送の公式サイトがリニューアルした際にトップページに、「今週のMBSには、こんな人が出ます!」と題して1週間の内にローカル・全国ネット問わず、毎日放送で放送されるテレビ番組に出演するタレント・俳優・スポーツ解説者・アナウンサーがレギュラー・ゲスト問わず表記されている。MBS以外にもキー局TBSや他の系列局の番組に出演する者も含まれる。再放送の関係で故人も名を連ねることもある。人名の横には回数も併記されている。ほぼ全員載せているのは珍しい。ただし、自社制作・他系列問わずアニメ番組(土6枠やアニメシャワー枠など)に出演している声優の名前は表記されない。
  • トップページにある当日の番組表で、MBSで放映されるすべての番組を対象として「おもしろかった番組投票」を実施している。結果は翌日に発表される。
  • 公式サイトにあるアナウンサーのウェブページから、全員の顔が載ったものや、特定の人のみが載った壁紙が無料配信されている。
  • 設立当初から放送局の方針上、テレビでは長らく創価学会聖教新聞テレビCMを流していなかった。ただし、ラジオでは1990年代初期まで流し、一時中断後2009年(平成21年)から提供番組内のみ再開しているほか、創価大学や、国政選挙期間中に限り公明党も流している。テレビでは2010年(平成22年)9月から「キー局の名のもとに」との立場から、TBS発のアッコにおまかせのスポンサーネットで聖教新聞のCMが放送され、MBSもそのまま受けている(2011年9月末まで)。また、TBSやCBC制作の全国ネット番組で聖教新聞がスポンサーの場合もそのまま放送される。また、2012年4月から自社制作番組の番組スポンサー参加及びスポットCMへの出稿を段階的に受けて入れている。
  • テレビ番組に使用されるフォントは、『痛快!明石家電視台』や『ジャイケルマクソン』などを中心に視覚デザイン研究所のロゴGやロゴ丸を多く使用している。
  • 阪神・淡路大震災を経験した放送局として、ラジオのレギュラー番組(『ネットワーク1・17』『地震防災メモ』)や自社制作のラジオCMを通じて、普段から地震・防災関連の情報を積極的に提供している。
    • 東日本大震災の発生直後には、ラジオを中心に、独自の方針による報道特別番組や被災地の復興支援番組『ネットワーク3・11]]』を長時間にわたって放送した。また、「MBS災害復興基金」という名義で、自社専用の義援金口座を設置。2011年3月30日までは、本社やサービスエリア内の繁華街(大阪・梅田、神戸、京都)において、複数のアナウンサー・ラジオパーソナリティや同局と縁の深い芸能人・スポーツ関係者が交代で街頭に立って義援金への協力を呼び掛けていた[24]。同年6月には、ラジオの聴取率調査週間に合わせて設定される「MBSラジオ スペシャルウィーク」において、被災地の復興支援キャンペーンを実施している。

アナウンサー[編集]

 最初に記載した西暦年号は新日本放送・毎日放送への入社年

アナウンサー室長[編集]

  • 1978年 高垣伸博(2009年6月25日付で就任。テレビ制作出身者が室長に就いたのは初めて)

現職アナウンサー[編集]

元アナウンサー[編集]

◎:新日本放送の開局を機に第1期アナウンサーとして1951年に入社
○:アナウンサー室長・アナウンスセンター長を歴任
▲:在職中にスポーツアナウンサーとして活動[25]
■:TTB所属の契約アナウンサーとして在職
●:アナウンサーとして入社後にアナウンサー室(アナウンスセンター)以外の部署へ異動[26]

男性[編集]

  • 青木和雄(1968年:2005年に定年退職後、MBS専属パーソナリティを経てフリーアナウンサーに転身)
  • 青木克博(1957年)
  • 池口和雄●(1970年:後に報道局長や関連会社・GAORAの常勤監査役などを歴任。現在は堺市情報公開審査会会長)
  • 板倉俊彦▲(1968年:2006年の定年退職後に、社団法人デジタルラジオ推進協会大阪事務所事務局長へ就任)
  • 伊藤広▲(2006年:2008年から東京支社ラジオ営業部員)
  • 伊東正治▲●(1974年:アナウンサー時代の1989年4月から3年間、BBCの日本語放送へ出向した後にラジオ制作部へ異動。2011年の定年後も、嘱託契約でラジオ局にプロデューサーとして在籍。2013年3月からは、担当番組の『モーニングミックス』で土曜日 → 金曜日のパーソナリティを兼務)
  • 井上光央▲(1955年:1994年定年退職。現在は講演活動を中心に活動)
  • 今野秀隆●(1986年:異動後にテレビ制作局でプロデューサーなどを歴任)
  • 岩佐一穂(1952年)
  • 岩崎光平●(1958年:異動後にBBCの日本語放送へ出向)
  • 岩崎宏●(1964年:異動後は、毎日放送ニューヨーク支局・JNNマニラ支局の支局長を歴任したほか、「1万人の第九」や劇団四季の大阪公演などに参画。定年退職後は映画「0からの風」の上映実行委員長を務めるかたわら、同作品に出演)[27]
  • 宇多光雄●(1955年:報道局へ異動後に、毎日放送ニューヨーク支局へ赴任)
  • 海野春樹◎
  • 海野光雄●(1953年)
  • 宇野省也(1952年)
  • 梅沢二三男◎▲(1952年にMBSラジオ初の競馬中継である「日本ダービー中継」で実況を担当)
  • 江本三千年◎(1953年の日本テレビ開局を機に同局へ移籍)
  • 太田亀雄(1956年)
  • 太田兼三郎●(1960年)
  • 大月勇●(1996年:2010年からラジオ営業部員)
  • 大八木友之●▲(1997年:2009年から報道局ニュースセンター記者→デスクとして、MBSテレビ『VOICE』のメインキャスターを担当)
  • 緒方憲吾▲●(1969年:2007年に定年退職後は、フリーアナウンサーとして活動)
  • 春日貴▲(1970年:現在はミリカスポーツ振興社長)
  • 金指誠▲●(1982年:2000年に異動。現在はラジオ局制作部ディレクター)
  • 金子勝彦▲(1958年:1964年の東京12チャンネル開局を機に同局へ移籍。1994年定年退職後はフリーのスポーツアナウンサー)
  • 鎌田正明●(1980年:1985年に記者として報道局へ異動。2006年の退職を機に著述活動を展開)
  • 香西正重▲(1954年:NHKから移籍)
  • 河相誠一郎◎
  • 小池清▲○●(1954年:1993年の定年退職後にMBS企画代表取締役社長などを歴任。その後は2011年まで、フリーアナウンサーとしてMBSテレビ『ちちんぷいぷい』のナレーターを務めた。2012年に逝去)
  • 小林正史●(1953年:退職後は作詞家・大阪芸術大学芸術学部放送学科教授)
  • 小林昌彦(1959年)
  • 子守康範(1985年:1999年の退職直後に、映像制作会社のアンテリジャンを設立。現在は、同社の代表取締役社長を務めながら、フリーアナウンサーとしてMBSラジオ『子守康範 朝からてんコモリ!』でメインパーソナリティを担当)
  • 小山紀一●(1964年:異動後も『映像』などのドキュメンタリー番組でナレーターを担当)
  • 近藤光史●(1971年:1992年の退職後は、タヒチでの会社経営を経て、昭和プロダクション所属のフリーアナウンサーとしてMBSラジオ『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』などでメインパーソナリティを担当)
  • 斎藤市郎(1964年)
  • 斎藤努▲●○(1966年:異動後にテレビ制作専任局長などを歴任したが、アナウンサー室長として一時同室へ復帰。2000年の退職後は、羽衣国際大学産業社会学部教授・副学長を経て、2012年4月から名誉教授・株式会社ウィズ代表取締役社長)
  • 阪本時彦○(1965年:2002年の定年退職を機に、J:COM 吹田の営業部長へ転身)
  • 城野昭▲●(1973年:テレビ西日本から移籍。2004年の定年退職後も、2010年までGAORA専属のスポーツアナウンサーとして活動)
  • 繁村純孝◎(大阪テレビ放送第1期のアナウンサー8人の内の1人として出向した後に、毎日放送へ復帰)
  • 角淳一(1968年:2004年の定年退職後は、MBS専属パーソナリティを経てフリーアナウンサーに転身。『ちちんぷいぷい』初代パーソナリティで、現在はMBSラジオ『おとなの駄菓子屋』のパーソナリティ)
  • 杉本隆平◎▲(MBSラジオで野球中継の初代実況や『近鉄パールクイズ』の司会などを担当した後に、フリーアナウンサーへ転身)
  • 高井智彦●(1962年:アナウンサー時代にはMBSテレビ『大阪株式市況』のキャスターなどを務めたほか、『皇室アルバム』で放送開始から長年にわたってナレーターを担当)
  • 高木(佐々木)良三▲●(1954年:MBSテレビ・ラジオで競馬中継レギュラー放送の初代実況を担当)
  • 高梨欣也○(1958年:在職中に毎日放送ニューヨーク支局へ2年間赴任。1997年の定年後は、2年間の嘱託契約を経て、大阪芸術大学芸術学部放送学科の教授に就任)
  • 高村昭(1958年:在職中にNET系列全国ネットのテレビ番組『ランデブークイズ・ペアでハッスル』の司会を務めたほか、1982年10月から3年間BBCの日本語放送へ出向。定年退職後は、アナウンスアカデミー大阪や早稲田セミナー梅田校・京都校の講師に転身)
  • 多仁治(1952年)
  • 鶴本康彦●(1986年:後に記者として報道局へ異動を経て、現在はコンプライアンス担当[28]
  • 長井展光●(1983年:1987年に記者として報道局へ異動。現在はメディア開発局専任部長)
  • 中谷常善●(1952年)
  • 中西安●(1955年:後にラジオ局や報道局へ異動。MBSラジオ『MBSイブニングレーダー』でニュースキャスターを担当)
  • 二木正之●(1957年)
  • 野村啓司○(1971年:2008年の定年退職後は、専属パーソナリティを経て、2013年10月からフリーアナウンサーへ転身。専属パーソナリティ時代から、MBSラジオで『ノムラでノムラだ♪ EXトラ!』のパーソナリティを担当)
  • 馬場雅夫(1956年:1958年のNETテレビ→テレビ朝日設立を機に同局へ移籍)
  • 蜂谷薫▲(1969年:2005年に定年退職。現在は競艇中継の実況を担当)
  • 平松邦夫▲●(1971年:異動後に毎日放送ニューヨーク支局長などを歴任したが、2007年大阪市長選挙への出馬を機に退職。同選挙で当選後に、2011年まで第18代大阪市長
  • 広瀬允昭●▲(1961年)
  • 藤本永治○(1954年:1993年定年退職)
  • 古瀬賢徳◎○(NHKから移籍。退職後に仏門へ入るとともに、「古瀬日宇」という名で妙満寺第302世貫首などを歴任)[29]
  • 本荘貫一◎
  • 前田治郎●(1960年:毎日放送ニューヨーク支局に赴任中の1963年に、日本初のテレビ衛星中継を通じてケネディ大統領暗殺事件をリポート)
  • 増田一樹●(1978年:1995年に異動したが、2003年から2008年までデスク専任で再びアナウンス室に在籍。現在はコンプライアンス室に勤務)
  • 松田武晴◎
  • 松井昭憲●(1970年:1992年に広報部へ異動したが、後にアナウンス室へ復帰。2006年の定年退職後も、2009年7月まで、MBSラジオの専属パーソナリティとして月 - 木曜日昼帯の『MBSニュース』のキャスターを担当)
  • 三澤肇●(1992年:2002年に報道局へ異動後、『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターとしてTBSへ出向。MBSへの復帰後は、報道局大阪府庁キャップを経て、2012年4月からJNNベルリン支局長)
  • 水谷勝海▲●(1966年:在職中に一時スポーツ局へ異動。2003年の定年退職を機に、GAORAのチーフアナウンサーとして実況に復帰した。現在は毎日文化センター梅田校講師)
  • 皆川資雄◎(新日本放送のラジオ本放送開始後最初のニュースを担当)
  • 宮川恭一●(1964年)
  • 三宅定雄▲(1961年:1986年の退職後も、一時フリーアナウンサーとしてプロ野球・競艇の実況を担当)
  • 三好俊行●(1973年:2009年に定年退職)
  • 森本宏(1954年)
  • 矢部貢(1952年)
  • 山本善一●(1964年)
  • 山根曻◎
  • 結城哲郎▲○●(1974年:スポーツアナウンサーとして2011年からGAORAへ出向中)
  • 吉岡喜久男◎
  • 吉弘七郎◎
  • 渡邊清◎

女性[編集]

  • 明石光子(1953年)
  • 阿部洋子(1965年:現姓・志風)
  • 新井洋子◎(現姓:紺野)
  • 安良淑(1955年)
  • 石黒静(1969年)
  • 石田敦子●(1990年:2003年から東京支社テレビ編成部員。現在は、東京支社制作・TBS系全国ネットのテレビ番組のプロデュースや編成に携わるかたわら、不定期でドキュメンタリー番組のナレーターを担当)
  • 石田美紀(1958年)
  • 市毛毬子■(1970年:MBSテレビ『アップダウンクイズ』の3代目出題者)
  • 伊藤かをる◎(現姓:佐伯)
  • 伊藤美代子(1966年)
  • 井上知津子(1962年)
  • 岩城潤子●(1988年:2000年に異動)
  • 小野陶子(2001年:2006年に退職)
  • 北澤咲弥花(1997年:2000年の退職後に医師へ転身)
  • 岡田美智子(1954年)
  • 岡本郁代(1952年)
  • 岡本純江●(1962年)
  • 川上小夜子(1968年)
  • 北島英子●(1958年)
  • 倉沢雅子■(1970年)
  • 河本俊美■(1980年:契約満了後はフリーアナウンサーとしてセイに所属。現在は契約扱いでFM802報道センターのアナウンサー)[30]
  • 小林優子(1961年:元フジテレビアナウンサー小林大輔夫人)
  • 小堀豊子●(1964年:2001年の定年退職後は、2012年3月まで大阪芸術大学芸術学部放送学科で教授を歴任)
  • 紺野馨代(1958年)
  • 斎藤裕美●(2008年:2013年7月からラジオ営業部に異動、異動後もMBSラジオのスポットCMの一部でアナウンスを担当)
  • 坂本登志子◎(新日本放送ラジオ本放送第一声のアナウンスを担当。1980年の定年退職後は、大阪芸術大学芸術学部放送学科の教授を歴任)
  • 坂元毬子(1956年)
  • 桜井良子
  • 佐々木美絵■(1971年:後に毎日放送の正社員として採用。斎藤努との結婚・退職後は、フリーアナウンサーとして昭和プロダクションに所属するとともに、斎藤に続いて2012年から羽衣国際大学の教授へ就任)
  • 佐藤昌子(1960年)
  • 佐藤良子■(1973年:MBSラジオ『MBSヤングタウン』で長年にわたって谷村新司ばんばひろふみのパートナーを担当。契約満了後の2013年4月から1年間は、『嘉門達夫のどんなんやねん!』に、アシスタントとして出演していた。日本テレビに在籍する同姓同名のアナウンサーとは別人)
  • 塩川美枝(1956年)
  • 塩田信子(1952年)
  • 鈴木佳代子(1966年)
  • 鈴木延枝(1958年)
  • 田井員子(1960年)
  • 高橋明子(1964年)
  • 田中美紀■(1971年)
  • 津田英子■(1970年)
  • 鶴見寿子(1962年)
  • 永井玲子(1968年)
  • 長田淑子(1957年:『アップダウンクイズ』の2代目出題者)
  • 中村摩耶子●(1956年)
  • 中村香奈●(1997年:毎日放送アナウンサーで唯一、在職中に気象予報士の資格を取得。2005年に異動)
  • 二木洋子(1957年)
  • 野沢秋子(1958年)
  • 服部光代■(1970年)
  • 平山真理■(1983年)
  • 古沢久美子■(1977年:テレビ熊本アナウンサーから転身。契約満了後はフリーアナウンサーとして活動するかたわら、アドバンス朗読教室で講師を担当)[31]
  • 三上智恵(1987年:1995年の琉球朝日放送開局を機に同局へ移籍。報道部でアナウンサーとディレクターを兼務した後、退社。現在は映画監督)
  • 宮川ヒロミ(退職後の1970年代後半からフリーアナウンサーとして、日本テレビ・読売テレビ『THEワイド』などのリポーターを担当)
  • 村上多美子(1959年)
  • 森口かすみ■(1983年:読売テレビアナウンサー牧野誠三との結婚を機に1986年退職)
  • 茂木栗子■(1983年:JNNマニラ支局へ特派員として出向していたMBS記者との結婚を機に1991年退職)
  • 八木早希(2000年:2011年4月から2014年3月までフリーアナウンサーとして三桂に所属)
  • 八島洋子(1984年:中部日本放送から移籍。『MBSヤングタウン』で共演したCHAGE and ASKA飛鳥涼との結婚を機に退職)
  • 柳原百代(1961年:現姓・水谷。娘は文化放送アナウンサーの水谷加奈
  • 山岸幸子(1959年)
  • 山添洋子
  • 吉竹史(2007年:2014年1月で退社した後に、セント・フォース所属のフリーアナウンサーへ転身) 
  • 吉田智子(1965年:2005年の定年退職後に個人事務所「吉田智子事務所」を設立。フリーアナウンサーとして朗読などで活動するかたわら、大阪芸術大学短期大学部広報学科の教授に就任)
  • 吉田彌生(1958年)

主な記者[編集]

アナウンサー出身の主な記者(経験者)は前述。ラジオ報道部からは、毎日放送の東京支社に、国会担当として記者を常時駐在させている。

現在[編集]

過去[編集]

  • 石田英司(1984年に入社後、営業部を経て報道局社会部で記者・デスクを歴任。現在はスペシャリスト制作局チーフプロデューサーとして、MBSテレビ『ちちんぷいぷい』などでニュース解説を担当)
  • 黒木奈々(2004年に入社してから、報道部で3年間記者を担当。2007年に退社後は、CMA所属のフリーアナウンサーとして、『TBSニュースバード』のキャスターなどを歴任した。セント・フォースへの移籍を経て、現在はNHK BS1ワールドWaveトゥナイト』にレギュラー出演)
  • 山田厚史(1971年に入社したが、同年に朝日新聞社へ移籍。政治・経済記者、外国通信員を経て、現在は編集委員と関連会社・朝日新聞出版AERA」シニアライター)
  • 米沢飛鳥(2000年に入社後、人事局労政部→報道局ニュースセンター記者・大阪府警クラブサブキャップを経て、2012年7月に報道局番組センターへ異動。現在は、ドキュメンタリー番組の『映像』シリーズでディレクターを担当)[32]

その他の著名社員[編集]

その他[編集]

ロゴ[編集]

MBSの現行ロゴ使用開始後、旧ロゴは徐々に使用を中止され、生駒送信所(テレビ)や一部中継局ではすでにロゴ変更作業が完了された。今後も子会社のロゴが変更され、旧ロゴは淘汰される見通しである(すでに社の封筒やベリカードなどではロゴの変更が行われた)。その一方で本社社屋(M館[1])の壁面にある旧ロゴはその後もしばらく残っていたが、2013年9月の新館(B館[1])の完成と同時に取り外された。新館には、MBSの現行ロゴが取り付けられている。会見等で使われるマイクも変更されている。

アニメ製作[編集]

TBSとの関係[編集]

毎日放送とTBSは同じ毎日新聞社系の企業で関係性が深く、ラジオにおいては開局当初からネットワークを組んでいる。テレビにおいても開局時からネットワークを組むつもりだったが、諸事情によって日本教育テレビ(NETテレビ、現:テレビ朝日)と組まざるを得なくなり、1975年(昭和50年)3月まではANN系列となっていた。1975年(昭和50年)3月31日に朝日放送との間でネットチェンジが行われ、以後はJNN系列となっている。

鎌田正明は『週刊現代』にて全国ネットレベルの特ダネがTBSに横取りされてしまったことを証言している。鎌田は地球温暖化の原因とされるフロンガスの問題にいち早く着目したものの、TBSに召し上げられてしまい、同局に抗議したものの、同局のデスクは「お前らは素材を上げていればいいんだよ!!」と言い放ったという[33]

江戸笑芸番組に対する扱い[編集]

毎日放送はテレビ放送開始以来、上方笑芸を大事にする姿勢に徹し、ローカル・西日本ブロックネット枠では数々の人気番組(『よしもと新喜劇』シリーズ」『素人名人会』『オールザッツ漫才』)を世に送り出している。その反面、「関西では江戸笑芸は受け入れられないだろう」との考えから江戸笑芸番組のオンエアを抑制する方針に徹している。その代表的な例として「大正テレビ寄席打ち切り事件」がある。

腸捻転時代の1963年(昭和38年)6月、NETが製作した江戸笑芸番組『大正テレビ寄席』がスタートした。MBSは番組スタートと同時にネットを開始したが、関東と比べて視聴率が芳しくなかった。これを知った高橋ら当時のMBS首脳陣は「やはり、我々の考えは正しかった」と判断。同年10月の改編で『テレビ寄席』が水曜12時台の30分枠から日曜正午の45分枠へ移動したのを契機にネットを打ち切った。この枠では既にあった『サモン日曜お笑い劇場・吉本新喜劇』がNETにもネットされていたが、スポンサーの大正製薬はそのままで企画ネット番組としてMBSのみ放送を継続、事実上差し替えた。結果視聴率が伸びネットチェンジまで日曜の正午 - 2時台の視聴率が安泰となるが、この事が放送界きっての江戸笑芸啓蒙主義者として知られる永六輔の逆鱗にふれた。

ただ、永は毎日放送とは直ちに絶縁とはならず、その後もMBS制作ながら江戸笑芸も一部扱っていたテレビ番組『芸能わらいえて 目で見る百年史』(当初の半年間はNETテレビへ、その後は東京12チャンネルへネット)や選抜高校野球中継の客席リポート等への出演を継続し、ラジオ番組にも出演していたが、その後関係を緩やかに縮小し、2011年9月3日(TBS・CBC。MBSは9月11日)放送のTBS・MBS・CBC開局60周年記念ラジオ番組『永六輔・つボイノリオ浜村淳の御三家ラジオ』(TBS主管の3社共同制作)までMBSが関与する番組への出演がなかった。

TBSラジオ制作の『永六輔の誰かとどこかで』の番組本編は、関西ではかつてラジオ大阪で放送されていたが、OBCが放送を打ち切った後のMBS・ABCへのネット引継ぎは、永の意向や自社制作番組などの編成の兼ね合いもあり実現しなかった。毎日放送ラジオでは現在まで「誰かとどこかで」の放送は行われておらず、スポンサーの桃屋のCMのみがネットされている。

23時ショー打ち切り事件[編集]

前述の大正テレビ寄席打ち切り事件から8年後の1971年(昭和46年)12月、MBSはやはりNETが制作した深夜の帯番組『23時ショー』のネット受けを突然打ち切ることを発表した。打ち切りの理由は、お色気関係の話題を興味本位でとらえていたこの番組の姿勢を当時の社長だった高橋信三が否定したためといわれた。

『23時ショー』は、政治問題などの硬派な話題も扱っており、特に金曜日はMBSが製作を担当して主に上方演芸を取り扱っていたが、高橋は、東京から発信される金曜日以外の放送内容に不適切な表現や未成年者に見せてはいけない過激すぎる、または不快感を与える箇所が多いとし、卑猥な映像をMBSにネットすることを嫌って、NETにネット受けを打ち切る通告をした。

この一件は「地方局のキー局に対する反乱」ととらえられ大いに話題となったが、そもそも打ち切りが可能だったのはこの番組が番販扱いだったため、ネットスポンサーが付いていなかったことによる(ちなみにMBS制作の最終放送日は1971年12月31日で内容は「桂小文枝独演会」だった)。

『23時ショー』は、関西地区では後に1972年(昭和47年)10月から、近畿放送テレビジョンサンテレビジョンへの番販でマイクロネットされ、実質的に再開されている。

このことは大阪テレビ放送(OTV)の時代に高橋の薫陶を受けた社員が多く在籍していたABCにも波及。ABCはTBSが製作した同種の番組『ナイトUP』のネットを取りやめ、番組自体が打ち切られる事態にまで発展した。

『23時ショー』は一部のANN系列局では、オイルショックによる深夜放送自粛の影響で中断した後、タイトルを変更して再開。その後番組名を元に戻して1979年(昭和54年)9月まで放送され、『ミッドナイトショー』『トゥナイト』に引き継がれた。しかし、引き続きこの時間はローカルセールス枠のため、ネットチェンジ後もABCはチェンジ直後に短期間放送した後で打ち切り、以後ネットされなかった。

それらも重なってMBSだけでなくABCもまたお色気路線の番組のネットを一部例外を除き断るようになっていった。ABCでは1980年代の中頃に『ナイトinナイト』を立ち上げるときも「エロ・グロはやらない。ハダカは一切出さない」という大原則を決め徹底するなど、現在でもその傾向がかなり強く残っている。

日本初の海外衛星中継[編集]

1963年(昭和38年)11月のジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件の模様を、アメリカ合衆国ニューヨークに当時駐在していた毎日放送社員で元同局アナウンサーの前田治郎(まえだ じろう)が克明に情報を伝えていた。

当初、日本初の海外衛星中継(宇宙中継)実験として、ケネディ大統領のスピーチを放送することになっていたが、その最中に遊説していたテキサス州ダラスでのパレード中に暗殺されたことを受けて、急遽前田がその状況を克明に放送。

前田は初めに「この日米間宇宙生中継という輝かしい試みに、悲しいニュースをお伝えしなければなりません」とあいさつし、民間放送社員の立場でありながら、その実況リポートがNHKの放送でもそのまま生中継される前代未聞のケースとなった(この件に関しては、MBSの開局50周年記念特別番組をはじめ、NHKの番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』や当時のキー局・テレビ朝日(事件当時はNETテレビ)の開局50周年記念特別番組『“ニュースの記憶”〜あの頃あの時あなたは…報道50年映像全史〜』に詳しい)。

その他の問題・不祥事[編集]

  • 江崎グリコ江崎勝久社長が誘拐された1984年(昭和59年)3月18日深夜、この事件に関する報道協定が成立する前に、MBSテレビで江崎社長の誘拐を伝えるニュースの第一報が報じられた。[要出典]
  • 2005年(平成17年)4月に放送された『VOICE』で、兵庫県宝塚市在住のたこ焼き屋台経営の女性が、暴力団関係者らと共に同市内の喫茶店に対して嫌がらせを繰り返し、喫茶店を廃業に追い込んだとの報道を行った。これに対し、女性が名誉を傷つけられたとして神戸地裁訴訟を起こし、同地裁2007年(平成19年)10月31日に原告の名誉を毀損したとして、40万円の支払いを毎日放送に命じた。大阪高裁での二審では隠し撮りという取材手法が問題とされたが、名誉棄損は認めず一審判決を変更して10万円に減額し、最終的に2009年(平成21年)2月13日最高裁は両者の上告を退け、二審の大阪高裁判決が確定した[34]
  • 2005年(平成17年)9月の同局の報道番組での、兵庫県南淡町談合疑惑に絡んだ報道で、同町が約2億8,000万円を支出した造成工事について、森紘一・元同町長のファミリー企業が予定価格通りに落札したなどとした報道を行った。これについて、森元町長が毎日放送と住民監査請求を行った市民団体を相手にそれぞれ1,000万円の支払いを求め、神戸地裁に訴訟を起こした。同地裁は2008年(平成20年)9月26日名誉棄損を認め、毎日放送に100万円の賠償を命じた。
  • 2006年(平成18年)11月4日に放送した「2006ミズノクラシック」中継では、宮里藍の成績を首位に立っていないにもかかわらず「首位に立った」と表示したため、12月8日総務省から厳重注意を受けた。
  • 2008年(平成20年)5月23日に放送されたMBS制作の全国ネットバラエティ番組『ランキンの楽園』で健康チェック「ティッシュ箱飛ばし」を紹介した際、この番組を視聴していた千葉県在住の60代女性が実践した際に怪我を負ったことが同年5月27日に明らかになった。同年5月30日には、同番組のエンディングでお詫びと視聴者に注意喚起を促すテロップをアナウンス付きで放送した。
  • 2008年に収録された同局の特別番組内で行われた「番組対抗駅伝」企画で、吉本総合芸能学院大阪校に当時在籍していた男性が同年7月25日に行われた同企画の野外リハーサルで走らされた際、熱中症を発症して高次脳機能障害が残った。当時、気温は35度以上あり、運動を原則中止すべき気象条件だったにもかかわらずリハーサルを実施したことで熱中症になったことが原因で障害が残ったとして、男性は毎日放送と吉本総合芸能学院を運営する『よしもとクリエイティブ・エージェンシー』を相手取り、2011年4月に訴訟を起こした。男性側は「速やかな病院搬送など適切な対応を怠った」などと主張している。毎日放送は2009年7月に、この男性に対して約177万円を支払っているという[35]
  • 2010年(平成22年)12月5日に、大阪府堺市内のグラウンドで『くらべるくらべらー』の収録が行われ、「Jリーグの選手と子ども100人が(サッカーの)試合をしたらどんなスコアになるのか」との企画で、セレッソ大阪の選手らや同球団傘下のサッカースクールに通う児童らが参加して行った。ところが、この収録中にセレッソ側のゴール前へ児童らが殺到し、うち小学校3年生の男子児童1人が転倒したうえ、この児童は他の児童に左腕を踏まれて左骨折で全治3か月の重傷を負った[36]
  • 2011年(平成23年)1月12日放送の『イチハチ』で、富裕な芸能人を紹介する特集『お坊ちゃまお嬢様芸能人No.1 決定戦』に出演していた日本人の女性タレントを、本人の事前申告を基に「アメリカニューヨークビル内の部屋に居住する資産家」と紹介したが、放送後には視聴者からの指摘をきっかけに、このビル内の物件を女性タレントが所有した事実がなかった疑いが浮上した。毎日放送では同年2月4日に事実確認が不十分だったことに対する謝罪と、放送後の現地調査を基に「事実と異なる内容を放送したと客観的に疑わざるを得ない」とする見解を記した文章を同番組の公式サイトなどで発表した[37]
  • 2011年(平成23年)6月26日に、複数の報道番組で平野区韓国人母娘殺害事件の被害者とは別人の写真を被害者として報じた。誤報事件を受け、毎日放送はチェック体制を強化すると発表した。
  • 2013年(平成25年)12月7日放送の『せやねん!』では、コーナー「今週の気になるお金」で「特殊詐欺・ダイヤモンド詐欺」を取り上げた。しかし、同コーナーで紹介した具体的な手口・実例・被害金額が、前々日(12月5日)に読売テレビの『かんさい情報ネット ten.』で放送されたばかりの独自取材特集「モクゲキ〜ダイヤモンド劇場型詐欺」の内容に酷似していることが、同局からの指摘で判明した。毎日放送で社内調査を進めたところ、『せやねん!』のスタッフが、読売テレビの公式サイトで配信されていた当該特集の動画の内容を同局に無断でナレーションの原稿などへ引用したことが判明した。このため、毎日放送では2013年12月26日付で「読売テレビや取材に協力された方に多大な迷惑をおかけしたことをお詫びします。放送人としてモラルを徹底させるとともに、チェック体制を見直したい」という謝罪コメントを広報部から発表する[38]とともに、『せやねん!』の公式サイトに謝罪文を掲載した[39]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i MBS:本社北側に新館 - 毎日jp(大阪夕刊、2013年9月4日付、同年12月6日閲覧) ※インターネット・アーカイブ
  2. ^ MBSタイガースライブ』(ラジオ番組)、『ちちんぷいぷい』など
  3. ^ (株)毎日放送本社新館を助成対象として決定しました(大阪市経済戦略局企業立地部企業立地課2011年4月11日付プレスリリース)
  4. ^ MBS:本社北側に新館インターネットアーカイブ) - 毎日新聞・2013年9月4日付掲載記事
  5. ^ ほなね君(毎日放送) - 公式Facebookアカウント(2013年2月12日エントリー)
  6. ^ MBSテレビでは、TBSテレビからの同時ネットで『ひるおび!』を放送していた。
  7. ^ 放送技術67巻8月号  新マスター稼働後はワンセグ2サービスやHD+SDマルチ編成が可能になる。
  8. ^ 2014年4月4日。MBS本社1階に「ちゃやまちプラザ」がオープンします。
  9. ^ 在京キー局の本社周辺に在阪準キー局が東京支社を構えているのは、MBSと日本テレビ系列の読売テレビの2局のみである。読売テレビの東京支社は以前汐留シティセンターに構えていたが2009年(平成21年)11月に汐留の日本テレビ本社などが入居する「日テレタワー」に移転し、在阪準キー局の東京支社で唯一読売テレビが、在京キー局の本社ビルに入居する形となった。
  10. ^ プレスリリースについて - 京都府(2012年8月25日閲覧)
  11. ^ 神戸市地域防災計画 防災データベース 地震対策編 応急対応計画第2章.情報収集・伝達・広報計画応急資料2-4-1 報道機関一覧表
  12. ^ 徳島県の記者クラブに加盟している報道機関が知りたい。(Q & A) - 徳島県庁コールセンター すだちくんコール(徳島県、2010年3月31日更新、2012年8月25日閲覧)
  13. ^ TBSHDで3.2%、TXHDでは2.5%、比較的割合の高いBS-TBSでも8.5%にすぎない。
  14. ^ それまでの社章は、同心円を三つ重ねて縦に電波を、横に“MBS(NJB)”をレイアウトしたものが使われていた。
  15. ^ 受信報告書はテレビ・ラジオとも視聴者センターで受け付け
  16. ^ 澤田隆治「上方芸能笑いの放送史」、『NHK人間大学』1994年10月 - 12月期、日本放送出版協会、1994年、90頁。
  17. ^ ラジオ番組の一部は、梅田の阪急グランドビル内にあったサテライトスタジオ「ラジオポートMBS」で制作、『すてきな出逢い いい朝8時』などのテレビ番組制作は千里丘に残る
  18. ^ 生放送番組では、CMを任意の時間に送り出すため、副調整室に「CM送出装置」(CMを送出するための機材で、主調整室に設置されている)をスタートさせるためのリモコンスイッチが必要となるほか、主調整室や社内各所と連絡を取り合うための装置が必要となる。外部設置のサテライトスタジオには、諸事情からそれらが置かれることが少なく、本社内にそれらサテライトスタジオからの音声(テレビの場合は映像も)を受けるための所謂「受けサブ」が必要となる。こういった事情から通常、CM送出などは「受けサブ」が代行する。テレビの場合はテロップなどの送出も受けサブが代行する場合がある。
    「受けサブ」を開くということは、そのサブにも技術要員やディレクター、タイムキーパーなどのスタッフが必要となるため、人件費や技術費などがさらに必要となる。しかし東京支社スタジオは支社内という「常設環境」であることから、本社側の省力化も念頭に置き、東京支社スタジオも「本社内」と同等の環境が用意された。しかしテレビでの使用に際しては本社に受けサブが必要となる。
  19. ^ 雑誌「放送技術」2008年5月号より
  20. ^ 阪急航空株式会社からの報道取材部門の譲受について 朝日航洋 2009年4月1日
  21. ^ 「くもくもとりさん」は2006年4月から登場
  22. ^ 毎日放送はママアナがいっぱい(『AERA』2007年4月5日臨時増刊号「カラダ AERA」)を参照。
  23. ^ 2012年4月時点の現役アナウンサーでは、高井美紀・古川圭子・武川智美・松井愛・西村麻子・松川浩子・上田悦子が該当。
  24. ^ 2011年9月にも、平成23年台風12号で和歌山県・奈良県の南部に甚大な被害が出たことを受けて、「MBS災害復興基金」の下に同様の活動を展開している。
  25. ^ MBSラジオ『サンデー競馬中継 みんなの競馬』MBS競馬ヒストリーなどを参照
  26. ^ 毎日放送編・著『まるのまんな あどりぶランド』(シンコーミュージック、1987年)に掲載の「開局以来のアナウンサー名鑑」などを参照
  27. ^ 「西宮流」Who's Who 「0からの風」上映実行委員長 岩崎宏さん
  28. ^ 2013年3月6・13日放送『カンニング竹山のゼニウスの夜』出演時に紹介。
  29. ^ 古瀬日宇氏死去 宗総本山妙満寺第302世貫首共同通信2003年9月5日付配信記事)
  30. ^ 株式会社セイ 河本俊美
  31. ^ アドバンス朗読教室講師 フリーアナウンサー・古沢久美子
  32. ^ 毎日放送社員紹介 報道局番組センター・米沢飛鳥
  33. ^ 鎌田正明「テレビよ、誇りはあるか」、『週刊現代』第51巻第35号、講談社、2009年9月、 pp. 152-153、2009年9月18日閲覧。
  34. ^ 名誉棄損めぐり毎日放送の賠償確定 MSN産経ニュース
  35. ^ 番組リハで脳障害に…毎日放送と吉本子会社提訴 読売新聞 2011年6月1日
  36. ^ MBS:バラエティー番組収録中、小3男児が骨折
  37. ^ 「お嬢様の部屋」はウソ?毎日放送にやらせ疑惑 読売新聞 2011年1月27日
  38. ^ MBS謝罪 「せやねん!」が読売テレビの取材内容を無断引用(「産経ニュースwest2013年12月26日付記事)
  39. ^ 当番組における他社放送内容の無断引用について|おしらせ|せやねん!

関連会社[編集]

連結子会社[編集]

持分法適用関連会社[編集]

  • スポーツニッポン開発(スポーツニッポンカントリー倶楽部)
  • 千代田ビデオ

その他非連結子会社・関連会社[編集]

友好会社・系列放送局[編集]

系列外放送局[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度42分30.32秒 東経135度29分59.54秒