スポーツニッポン

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株式会社スポーツニッポン新聞社
種類 株式会社
略称 スポニチ
本社所在地 〒135-8517
東京都江東区越中島二丁目1番30号
電話番号 03-3820-0700
設立 1960年昭和35年)8月10日
(株式会社スポーツニッポン新聞東京本社)
業種 情報・通信業
代表者 山本 進(代表取締役社長)
資本金 2億4,000万円
従業員数 890人(2009年1月1日現在)
決算期 3月31日
主要株主 (株)毎日新聞社 81.7%
外部リンク http://www.sponichi.co.jp/
  

スポーツニッポンスポニチ)は、株式会社スポーツニッポン新聞社の発行するスポーツ新聞である。同社は株式会社毎日新聞社の子会社。

目次

[編集] 概説

創刊当初は「スポーツ紙唯一の全国紙」をスローガンにしてスポーツ芸能情報を積極的に提供してきた。現在では定番となった1面記事見出しのカラー化(赤見出し)や、即売版(駅売店など)の専用紙面である風俗記事の連載、最終面をニュース記事のページにする「ダブル1面」を初めて採用した。1980年代の終わりから総合大衆紙を標榜し社会事件や政治報道などにも力を入れた。1995年にはオウム真理教による一連の事件報道などで、東京本社管内でスポーツ紙としては初めて実売100万部超を達成。1995年4月から3カ月間、これを維持した。

2004年には東京本社、大阪本社及び西部本社が合併し、全国を1社でカバーする単一法人となった。東京を存続会社とし、2007年4月から旧3社の人事・賃金など諸制度統一に向けた新制度がスタートさせた。また、合併を機にスケールメリットを追求しすべての取引制度を見直した結果、2005年度決算は減収ながらも史上最高益を記録した。なお、総売上げにおける3本社の比率は東京6、大阪3、西部1の割合となっている。

またこれに併せて、題字ロゴを全国で統一した。(会社が統合される前にも旧題字を全国統一で使用していたが、2002年ごろから大阪・名古屋以外は現在使用している新題字、大阪・名古屋は旧題字をそのまま使用していた)。2008年元日から大阪本社管内で1面題字に商品バーコードが掲載されるようになった。

発行所は東京本社、大阪本社、西部本社(福岡)。札幌では東京本社名義、名古屋と広島では大阪本社名義でそれぞれ発行し一部を地域独自版に差し替え。沖縄では、株式会社琉球新報社が「新報スポニチ」を発行している。

[編集] 沿革

[編集] 発行所とエリア

[編集] 直轄

本支社等 所在地 発行エリア
東京本社 東京都江東区越中島 関東甲信越、東北及び静岡の17都県
北海道総局 札幌市中央区北四条西6丁目1 毎日札幌会館 北海道
大阪本社 大阪市北区梅田3丁目4-5 毎日インテシオ 近畿、北陸、中京、山口以外の中国及び四国の20府県(島根県は東部)
名古屋総局 名古屋市中村区名駅4丁目7-1 ミッドランドスクエア[1]
西部本社 福岡市中央区天神1丁目16-1 毎日福岡会館[2] 九州、山口及び島根の9県(島根県は西部)

[編集] 委託

新報スポニチ
  • 委託先:株式会社琉球新報社
  • 発行所:那覇市天久
  • エリア:沖縄県

[編集] 紙面構成

  • テレビ番組欄公営競技面を除き、東京本社版と大阪本社版とに分かれる。
    • 西部本社は、中央競馬については地域の関係で大阪本社版を、一般のスポーツ記事・芸能記事などは東京本社版を、それぞれ使用する。
  • 中央競馬面の馬柱は東京本社版は縦組み、大阪本社版はスポーツ新聞では唯一横組みとなっている。
  • 『新報スポニチ』は、テレビ番組欄、公営競技面など他の都道府県で掲載される紙面内容の一部が省略されており、ページ数も少ない。
  • テレビ番組欄もほぼ幅広く1ページを使って広範囲の情報を掲載している。
  • 東京本社版では、アダルト面はスタンド売り用紙面で、宅配用はテレビ欄になるが、大阪・西部の2本社版はテレビ欄とアダルト面がそれぞれある。

[編集] 1部の価格

地域ごとに分かれていた3社の統一合併によって、発行地域による定価価格に差がある現状はいささか問題と言わざるを得ない。新聞は独占禁止法が禁じる再販価格維持制度の例外規定によって、小売定価の制定が認められている数少ない商品である。しかし原則は「全国一律の一物一価」。定価制定の理由である「遠隔地も都市部も同一価格で手に入れられるべき公共性」のためである。

従来は3社が法人としては異なっていたためそれぞれ定価を決められたが、現在は単一会社なので、本来は定価改定を行ってしかるべきであるにもかかわらず、行われてこなかった。大阪本社管内では以前1部売りで他紙と10円の価格差となっていて価格競争力が強いとされ、大阪では定価問題は微妙な問題であろうことは容易に想像された。しかし、その大阪管内も2009年10月1日から1部売りが130円に値上げされ、全国に足並みを揃えた。

なお、大阪管轄の中でも東海3県名古屋市で現地印刷。三重県伊賀熊野地区を除く)は当面の間120円に据え置く。これは、同地で圧倒的なシェアを有する名古屋中日スポーツが1部100円で売られていることへの対抗策である。西部管内の地元紙、西日本スポーツが、本紙や他紙と同じく130円であるのとは対照的である。

  • 東京本社(北海道支社)、大阪本社(東海3県を除く)、西部本社:130円
  • 東海版(大阪本社発行。伊賀・熊野地区を除く):120円(日刊スポーツも名古屋本社発行版は1部120円で販売)
  • 新報スポニチ:50円(琉球新報社発行のため問題とはならない)

[編集] 毎日新聞社との関係について

スポーツニッポンは毎日新聞の僚紙的位置付けとして創刊した。毎日グループ企業として位置付けられるのはこのためであり、現在東京本社以外の拠点は全て毎日新聞の地域本社・支社・本部等に置かれている。

戦後の混乱期、用紙難からGHQは既存新聞社の増紙を認めない一方、新興新聞社には出来る限り用紙を割り当てる政策を採った。既存新聞社はこの政策を逆手に取り、ダミー子会社を設立して新興紙を多く創刊した。毎日新聞系としては、「東京日日新聞」(東京)、「東海毎日新聞」(名古屋)、「新大阪」「新関西」(大阪)、「新九州」(門司)といった新聞があった。

一方で、毎日新聞大阪本社の有志がこの動きとは別にスポーツ振興を旗印としてスポーツ新聞の創刊を企画した。これがスポニチである。スポニチは毎日新聞社の後援はあったものの、上記毎日新聞のダミー子会社ではなく、比較的独自の発展を遂げた。

ダミー子会社の発行する新聞は、その後用紙規制緩和に伴う毎日本紙の増紙と夕刊発行復活で存在意義が無くなり、「東海毎日新聞」は廃刊(毎日の名古屋再進出に伴う事実上の本紙吸収)。「新大阪」は毎日から独立し、残る3紙は結局スポニチと合同する道を選んだ。

  • 「東京日日新聞」は戦前存在した同名紙の復活といった触れ込みだったが、殆ど娯楽本位の内容となっていただけにスポニチの東京進出と入れ替わるように休刊。社屋はスポニチ東京本社になった。
  • 「新九州」もスポニチ西部本社の発足と入れ替わるように休刊した。

[編集] スポニチ夕刊 (早版)

「新関西」はスポニチ大阪本社と経営統合を行い、「スポニチ夕刊・新関西」と改題。1970年代後半まで存続したが、経営難から休刊。この名残から、現在も大阪本社版のみ、夕刊「スポニチ早刷り号(旧・前夜速報版)」を発行している。

  • 翌日の第6版(地方都市向け)を早版(=夕刊)として発売。公営競技のレース結果を掲載。また、公営競技の前夜予想(主要全国発売レースと、近畿圏の全てのレースに対応)が行われ、「特捜班」の穴予想が人気を集めている。対象地域は大阪市京都市神戸市とその周辺地域の駅売店。
  • 過去には日刊スポーツサンケイスポーツも大阪本社管内のみでスポニチ同様、早版の夕刊を発行していたが、現在は夕刊発行を日刊スポーツ、サンスポとも中止している(スポニチ夕刊が発行される時間に、産経新聞九州地方東海3県の一部向けの早版の朝刊を製作・発行している)。
  • 関東地方では神戸新聞系のデイリースポーツが駅売店・コンビニ向けに夕刊を発行している。

[編集] その他

  • 江東区越中島にある東京本社社屋は、同じ毎日系の新聞印刷会社「東日印刷」との共同所有。同ビルには東日印刷に印刷を委託している株式会社東京スポーツ新聞社も本社を置いている。
  • 他のスポーツ紙と比較して紙が良質である。
  • プロ野球では全国規模で地域密着の表看板を打ち出している。そのため日本の特定球団を応援をせず、比較的東京本社は埼玉西武ライオンズ横浜ベイスターズ、大阪本社は阪神タイガース、広島版は広島東洋カープ、西部本社は福岡ソフトバンクホークス中心の記事が載る傾向が強い。
    • なお、毎日新聞社が毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)を保有していた頃は、オリオンズ色が強かった。このため、とりわけ大阪地区では販売に苦戦を強いられていたという。
  • 広島県に於いては、大阪本社管内ではあるが広島のスポーツニュース(広島東洋カープサンフレッチェ広島・高校野球など)を1面で大きく扱う場合がある。広島版は岡山県倉敷市にある毎日新聞中四国センターで印刷されている。
  • 東海3県愛知県岐阜県三重県)も大阪版の管轄だが、こちらは中日ドラゴンズに関する情報が少ない。名古屋版は名古屋市中区の毎日新聞名古屋センターで印刷されているが、公営競技・テレビ欄以外は大阪版とほぼ同じ内容の紙面で、名古屋で印刷されるスポーツ紙では唯一、阪神タイガースの情報が最も多く掲載されている。テレビ欄のみを「東海版」と定め、テレビ欄の欄外に名古屋総局の住所・電話番号を表記している。なお、三重県の伊賀東紀州地方は近畿版(京阪神)の販売エリアである。
    • 以前は大阪版発行対象地域全域で1面の題字の発行所クレジットに小さく名古屋総局の住所を掲載していた。
  • 欄外の題字の字体は、東京・西部本社版は左右寄りに「スポーツニッポン」として表記されている。大阪本社版は中央に東京・西部本社版とは別の字体で「スポーツニッポン」と表記。なお、大阪本社版の欄外題字は阪神タイガース関連の記事は「スポニチ虎MAX」、阪神以外の野球記事は「スポニチ野球MAX」、中央競馬面では「スポニチチャレンジKEIBA」、芸能・社会面は「スポニチエンタメ&NEWS」「スポニチエンタメWIDE」「スポニチNEWS」の表記に差し替えている。
  • 出版社日本スポーツ出版社日本スポーツ企画出版社と関係があるように誤解されやすいが、それらとの資本・人材関係は一切持っていない。
  • カナダのサイト『PressDisplay』にて紙面を閲覧することができる(有料)。ただし、一部の広告は掲載されない。

[編集] 疑義が持たれた報道

[編集] 競馬記事盗用(東京本社)

1996年10月から1997年3月にかけ、サンケイスポーツが発行している競馬専門紙競馬エイト』に掲載されている調教コメントの大部分をスポニチ東京本社版の競馬面で無断引用していた。サンスポ側がいつも記事が似通っていることに不審を抱きスポニチ側に調査を申し入れていた。その結果、サンスポ側が各調教師に確認したところスポニチ側からは取材を受けていないことが判明。スポニチ側も記事の無断引用を認め、サンスポ側に全面謝罪しスポニチの紙面で謝罪文を掲載した(この謝罪文はサンスポでも取り上げられていた)。これにより、一部役員が責任を取って辞任したほか、当時TBS系で放送されていた「ブロードキャスター」(2008年9月番組終了)で行われていた翌日のスポニチの紙面を紹介するコーナーも打ち切りとなり、同時に出演していた大隅潔記者も降板した。

(参考文献)『新版競馬歴史新聞』(競馬歴史新聞編集委員会編、日本文芸社、2004年)

[編集] 進藤晶子事件

2005年2月22日の朝刊一面で「進藤晶子松嶋菜々子の実兄と結婚」と報じた。その記事に追従して夕刊フジ等他のマスコミも一斉にこの話題を取り上げた。しかし、スポニチの報道直後に進藤サイドから「松嶋の実兄に会った事もない」と否定のコメントが出され、誤報であることが確定。スポニチはサイト上の記事を即座に削除し、後日訂正記事を掲載。この話題に乗っかった他のマスコミも、大慌てで記事の差し替えを余儀なくされた。

誤報のきっかけは、「松嶋の実兄が進藤に似た女性と歩いていた所を目撃されたから」という説が有力だが真相は不明。なお進藤は翌年、プロゴルファー深堀圭一郎と結婚している。ちなみに、松嶋の実兄と結婚したのは孫明日香(フリーアナウンサー)。孫は結婚出産を経た2008年に松嶋あすか名義で活動を再開している。

[編集] TMN終了

1994年4月21日TMN(当時:現TM NETWORK)のデビュー10周年であったこの日限りでのプロジェクト終了を、朝刊での紙面発表5日前にいち早くスクープした。TMNとはつながりの深いTBSとの関係があるだけに、どこから情報が漏れたか未だ不明である。

[編集] 野村叩き(大阪本社)

野村克也(現・東北楽天ゴールデンイーグルス監督)の阪神タイガース監督最終年の2001年に起こった。

南海ホークス時代の鶴岡一人(監督辞任後スポニチ専属評論家だった)との確執に端を発する。南海兼任監督時代の1977年、大阪・豊中市の自宅マンションに泥棒が入ったことで、当時愛人関係にあった沙知代夫人との同棲が発覚、大スクープとなる。さらに、同年9月、球団が監督解任を決定したことを一早くすっぱ抜いた。

大阪本社による野村批判は、年を追う毎に他紙と比較しても異常な出稿量となり、ついには自社の読者投稿欄や、阪神タイガース公式サイト掲示板の野村批判まで利用(当時かなり少数派だった野村批判の書き込みを「殺到」と表現)した記事内容と、過剰なまでの世論誘導を行ったことから、当時の阪神タイガース・野崎勝義球団社長が「事実に反する内容で遺憾である」とコメントし、2001年7月、阪神球団サイドよりスポーツニッポンの記者側へ取材禁止処置がとられる程に発展した。同年シーズンオフ、野村が監督を辞任したため沈静化。

ちなみに現在でもよく野村批判の引き合いに出される事象として「野村は今岡誠を干した」というものがあるが、2001年シーズン、今岡はレギュラー三塁手として起用されていた。過去野村は2000年に、今岡本人の不振と故障で二軍に落とした経緯があり、また「クリーンナップで起用したい」野村と「1番打者として起用されたい」今岡の考え方の違いなどもあったことから、確執が全くなかったとは言えないが、今岡は1999年には128試合、2001年にも123試合に出場しており、いわゆる「今岡を干した」という事実はない。

この「今岡を干した」という誤った報道は、大阪本社が捏造した代表的な「通説」となっている。実際今岡本人は2006年3月、阪神甲子園球場で行われた、阪神対楽天のオープン戦で、普通に元監督である野村に挨拶をしている。

一方野村は、楽天の監督就任後もこの「通説」を巧みにネタにして、スポーツ紙等に話題を提供している。「野村対今岡」は今や野村の貴重な阪神話のネタと化している。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 2003年から2007年まで毎日新聞中部本社等再開発工事により、同じ中村区名駅の三井ビル北館に暫定移転していた。
  2. ^ 2009年6月までは「福岡総局」で、西部本社は毎日西部会館(北九州市小倉北区紺屋町13-1)にあった。
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