南日本放送

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南日本放送
基本情報
英名 Minaminihon Broadcasting Co.,Ltd.
略称 MBC
本社 〒890-8570
鹿児島県鹿児島市高麗町5-25
公式サイト http://www.mbc.co.jp
ラジオ
放送対象地域 鹿児島県
系列 JRNNRN
愛称 MBCラジオ
呼出符号 JOCF
開局日 1953年10月10日
親局 / 出力 鹿児島 1107kHz /  D20kW
主な中継局
テレビ
放送対象地域 鹿児島県
ニュース系列 JNN
番組供給系列 TBSネットワーク
愛称 MBCテレビ
呼出符号 JOCF-DTV
呼出名称 テレビジョン放送
みなみにほんほうそう
(デジタル)テレビジョン
ラジオ放送
みなみにほんほうそう
開局日 1959年4月1日
リモコンキーID 1
親局 鹿児島 40ch
アナログ親局 鹿児島 1ch
ガイドチャンネル 1ch
主な中継局
  • 阿久根 25ch
  • 鹿屋 43ch
  • 枕崎 20ch
  • 蒲生 41ch
  • 大口 25ch
  • 串木野 19ch
  • 種子島 25ch
  • 頴娃 16ch
  • 名瀬 16ch
  • 中之島 40ch
  • 頴娃 16ch
  • 志布志 20ch
主なアナログ中継局
特記事項:
アナログテレビ放送は2011年7月24日終了時点のデータ
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株式会社 南日本放送
Minaminihon Broadcasting Co.,Ltd.
Minaminihon Broadcasting Co Ltd.jpg
南日本放送
種類 株式会社
略称 MBC
本社所在地 日本の旗 日本
〒890-8570
鹿児島県鹿児島市高麗町5-25
設立 1953年5月23日
業種 情報・通信業
事業内容 放送法に基づくテレビ・ラジオ放送事業
代表者 中村 耕治(代表取締役社長)
資本金 2億円
主要株主 鹿児島県
エムビーシー畠中文化基金
岩崎産業株式会社
鹿児島市
鹿児島信用金庫
株式会社南日本銀行
主要子会社 MBC開発株式会社
宇検養殖株式会社
株式会社MBCサンステージ
ライコー株式会社
外部リンク http://www.mbc.co.jp/
特記事項:設立当初の商号は「株式会社ラジオ南日本」。
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株式会社南日本放送(みなみにほんほうそう)は、鹿児島県放送対象地域とするテレビラジオ兼営放送局。テレビはJNN系列の単独ネットで、ラジオはJRN系列とNRN系列のクロスネット。略称はMBC(エム・ビー・スィー[1])。

目次

[編集] 概要

1953年10月10日に鹿児島県初の民間放送局として開局。1959年4月に(アナログ)テレビ放送を開始し、2006年12月には地上デジタル放送を開始した。社屋(演奏所、MBC放送会館)は鹿児島市高麗町甲突川右岸に位置しており、1993年の8.6水害の際には水没の危機に瀕している。

主な自社制作番組としてラジオでは1953年の開局から続く『城山スズメ』、テレビでは1976年10月から続く平日18時台(日本標準時、以下同様)の報道番組(現在は『MBCニューズナウ』)や1984年10月から続く情報番組どーんと鹿児島』などがある。

鹿児島県の地方紙、南日本新聞社(こちらの社名の読み方は「みなみにっぽん」)が同率5位の大株主で、1953年の開局時からアナログテレビ放送の開始までは同紙の社屋(鹿児島市易居町、当時)を間借りするかたちで演奏所があった。ただし、南日本新聞との資本関係は鹿児島テレビ放送(KTS)ほど強くなく、毎日新聞ともテレビ開局時から関係を持つ。鹿児島放送(KKB)については『MBC50年の軌跡』において「兄弟会社」と表現しており[2]、同局の開局時には喜田治男(『MBC6時こちら報道』初代キャスター)などの社員が出向しているほか、地上デジタル放送の親局NHK鹿児島放送局とともに使用するなどの関係がみられる。

略称が同じMBCという理由で韓国文化放送系列局、全州文化放送と姉妹交流を結んでいる。

キャッチコピーは『ふるさとたっぷり MBC』。放送局全体のマスコットキャラクターは設定されていないが、過去にはラジオカー『ポニー』の擬人化キャラクター、および2008年の「ウミガメプロジェクト」におけるウミガメのキャラクターがそれぞれ設定されている。

[編集] 送信所

デジタル放送の送信所(紫原)
JNN系列のリモコンキーID地図

親局(送信所)のチャンネル周波数)はラジオが1107kHz、テレビが40ch(デジタル、リモコンキーID:1ch)。リモコンキーIDはJNN系列では北海道放送東北放送と同じ。

テレビ送信所は鹿児島市紫原(むらさきばる)のKKBの施設からNHK鹿児島放送局とともに送信しており、MBCのFPU基地局も1980年代より紫原に置かれている。アナログ放送は城山からVHF帯の1chで送信していたが、デジタル放送はUHF帯で送信されるため、既存UHF局(KTS・KKB・KYT)が送信所を設けていた紫原へ移転するかたちとなった。城山送信所からはエフエム鹿児島の電波(79.8MHz)も送信されていたが、こちらも2011年8月1日に紫原にあるKKBの施設へ移転した[3]。城山送信所は2011年9月以降撤去される[4]

[編集] 主なテレビ中継局

地上デジタル放送において「大規模」「重要」とされているものを記載する[5]。地上デジタル放送における開局順に並べた。

アナログ・デジタルの列はチャンネルを表記。所在地は自治体単位、離島については島名も付記している。中継局名からは中継局記事へリンクしている。

中継局名 アナログ デジタル 所在地 特記事項
鹿屋 6 43 鹿屋市 県内初のテレビ中継局
阿久根 10 25 さつま町・出水市 開局時は紫尾山中継局
枕崎 6 20 枕崎市
蒲生 50 20 姶良市
串木野 62 16 いちき串木野市
大口 11 25 湧水町 開局時は栗野中継局
南種子 59 16 南種子町(種子島)
頴娃 10 16 南九州市
名瀬 1 16 奄美市(奄美大島)
中之島 44 40 十島村
志布志 61 20 志布志市
財部 40 曽於市 デジタル新局
瀬戸内 12 21 瀬戸内町(奄美大島)
末吉 62 20 曽於市 MBC初のUHF局
徳之島 60 16 徳之島町
知名 1 21 知名町(沖永良部島)
種子島 60 25 西之表市

[編集] ラジオ

隼人ラジオ送信所(鹿児島本局)

現在は薩摩地方に3か所、奄美市に1か所中継局が設置されている。かつて(1962-2003年)は鹿屋中継局(1062kHz、100W)が存在した。

鹿児島本局は開局当初、鹿児島市吉野町にあったが、1986年に霧島市隼人町に移転した。

鹿児島本局
阿久根局
  • 周波数:1107kHz(1989年までは1557KHz)
  • 空中線電力:1kW

開局当初はコールサイン:JOCLを保有。現在は千葉テレビ放送がJOCL-(D)TVとして使用している。

川内局
  • 周波数:1107kHz(1990年代前半までは801KHz)
  • 空中線電力:100W
大口局
  • 周波数:1107kHz
  • 空中線電力:1kW
名瀬局
  • 周波数:1449kHz
  • 空中線電力:300W

県本土の周波数は北陸放送(MRO、石川県金沢市)や韓国の文化放送系列局、浦項文化放送(浦項MBC、浦項市)と同じ1107kHz。しかも送信アンテナを南西諸島に向けている。このため、通常は夜間でも近隣諸国の混信が激しいため本州での受信は相当厳しく、県内でも中継局のない地域を中心に混信する。ただし、夜間で冬場などで気象条件の良い時は、ループアンテナを駆使すれば西日本~関東地方等でも受信が可能であり、殆どの放送局が休止する月曜日の早朝の場合は、それ以遠の地域でも受信可能なようである。

昼間は熊本県南部・宮崎県南部・沖縄県の一部等でも受信可能。宮崎県の南部山沿い地域では鮮明に聴取可能である。また熊本市周辺、天草市長崎県、福岡県南部でも長距離トラックドライバーや特定の番組目当てリスナーが聴取しているようである。これらの地域の一般リスナーから生放送中にはがきやメールが届くこともあり、出演者を驚かせることもしばしばである。

昼間の受信で最長距離の記録は、ラジオ無線関係の雑誌『ラジオマニア 2008』(三才ブックス)での屋外受信の実験企画で2008年春に和歌山県すさみ町で成功している。同地では宮崎放送など昼間から九州のAMラジオ放送がカーラジオで微かに聴こえるとの噂がありチャレンジした結果、確認出来たようだ。

なお上記の無線送信の放送以外に、2010年度より奄美大島のFMうけんで一部の時間にサイマル放送[6]沖永良部島与論島ではNTT西日本と国や県が中心になって進めていた光ファイバーによる高速インターネット回線を使った有線放送により、昼夜問わず鮮明な放送が楽しめるようになった[7]。これらの地域で名瀬中継局から送信されている無線放送を普及型のラジオで受信した場合には、昼は出力不足(出力は1kWで送信しているNHKの3分の1以下)、夜間は同波による激しい混信のため聴取に堪えないような状態であった(鹿児島本局の電波が届いている可能性はある)。

2011年10月3日からはradikoを通じて実用化試験配信を実施している。おおすみFMネットワークあまみエフエム(前者は独自、後者はSimulRadio)とは異なり、エリア判定が鹿児島県と見做される環境下でのみで聴取できる[8]。無線放送ではAMステレオ放送を実施していないが、radikoにおいては一部の番組・CMがステレオ音声で配信される。

[編集] 支社・支局

[編集] 資本構成

  • 主要株主:鹿児島県・エムビーシー畠中文化基金・岩崎産業・鹿児島市・鹿児島信用金庫・南日本銀行 他
  • 主要取引銀行:鹿児島銀行・南日本銀行 他
  • 関連事業:MBC学園MBC開発MBC不動産 他

[編集] 海外提携放送局

[編集] 沿革

[編集] 開局まで

第二次世界大戦後日本でも民間放送局が相次いで開局したが、開局の形態としては「地元新聞社のラジオ事業進出」または「地元自治体の共同出資」が多かった。鹿児島県の場合は当時の南日本新聞社社長畠中季隆が「3kWで鹿児島県全域と宮崎・熊本県の南部、南西諸島全域をカバーするラジオ局」の設立構想を打ち出した。当初は鹿児島県知事は「ラジオ局はNHKで十分」とし、鹿児島銀行の頭取も「鹿児島では商業放送は成り立たない」と否定的であったが、1952年12月12日に南日本新聞紙面上で設立構想を掲載してからは、鹿児島県全体で協力体制が出来上がり、最終的には(当時日本復帰前の大島郡を除く)県内全市町村が出資した。

1952年12月10日に南日本新聞本社3階に創立事務所を設置。1953年1月31日に発起人総会が開かれ、送信所が鹿児島市吉野町に、演奏所は南日本新聞本社3階に第3スタジオまで設置することが報告された。2月11日に郵政省にラジオ局の開設申請を提出し、6月13日にラジオ南日本の創立総会が開催された。このときまでに略称がMBCと決定され、英称は現在と同じ"Minaminihon Broadcasting Co.,Ltd."であった。

送信所の出力は当時500Wまたは1kWが主流であり、3kWでの開局構想は異例のものであった。郵政省は異例の高出力と金沢の放送局(現在の北陸放送)との混信問題を懸念し、「アンテナ2基による指向性アンテナ」を条件に3kWでの送信を認められた。指向性アンテナは当時日本唯一のもので、指向性は南西諸島に向けられた。MBCは宮崎にも中継局を設置する予定であったが、こちらはラジオ宮崎(現在の宮崎放送)の設立をもって阻止された(詳細は宮崎放送#沿革を参照)。

創立総会の時点では開局日は1953年11月1日の予定であったが、番組改編期に合わせる営業上の都合から、同年10月10日に前倒しされた。このため電波監理局の検査合格(本免許交付)と同時に開局しなければならなかった(実際は本放送開始2日前に免許交付)。なお、実際に本免許交付と同日に開局した事例はかのやコミュニティ放送きもつきコミュニティ放送(2006年8月4日)がある。

1953年10月10日に開局。同日には現在も続く番組『城山スズメ』『希望のリボン』『歌のない歌謡曲』が開始されている。ニュースは共同通信社と南日本新聞社からの提供であった。10月20日にMBCタレントの源流となるMBC放送劇団(南日本放送劇団)を創立。11月3日にはMBC開局祭が鹿児島市中央公民館で開催され、社歌となる「ラジオ南日本の歌」(現在は南日本放送の歌に改称)が発表された。「ラジオ南日本の歌」はテレビで現在も一日の放送開始・終了時にインストゥルメンタルとして流されている。

[編集] アナログテレビ放送開始

アナログ放送の城山送信所。1959年-2011年まで使用。

開局した1953年は東京でテレビ放送が開始された年でもあった。MBCがテレビ開局準備局を設けたのは1956年1月のことであり、1957年10月22日に仮免許が交付された。テレビの送信所は1958年6月から1959年1月にかけて城山に、演奏所は1958年11月から翌年1月にかけて鹿児島市高麗町に建設された。演奏所は4期に分けて建設され(MBCニューズナウなどで使用される第1スタジオは第1期、ラジオ兼用の第2スタジオは第2期)、最終的には1960年に完成した。1階は甲突川の氾濫対策で高床設計であり、これが1993年の8.6水害で水没の危機に瀕した社屋を救うこととなる。

1959年4月1日の午前8時45分にテストパターンを流して(アナログ)テレビ放送を開始。同年8月[9]にはJNNに加盟した(TBSとは1967年10月13日に編成・報道・営業の3協定を締結している)が、MBCは「ニュースはJNN、番組はフリーネット」の姿勢であった。番組編成はKTS・KKB・KYTが開局する(1969年4月・1982年10月・1994年4月)毎に大幅に変更され[10]、現在では番組もおおむねTBS系列のネットとなっている。

1961年10月に「ラ・テ兼営となった実態に即すため」として、社名をラジオ南日本から南日本放送へ変更した。

[編集] 報道体制の強化・中継局の整備・KKBとの関係

1961年7月3日にローカルニュース番組の制作を開始。ラジオでも1967年10月からニュースの自主編集が開始された。1976年10月には夕方の30分ワイド番組『MBC6時こちら報道』が開始された(現在はMBCニューズナウとして放送)。取材拠点は1968年の鹿屋を始めに、1970年代にかけて県本土の各所と奄美大島に設置された。

テレビ中継局の整備は1960年の鹿屋中継局に始まる。ただし、鹿屋中継局は「宮崎放送の鰐塚山送信所からのスピルオーバーによる視聴者流出」への対策の意が強く、他の主要中継局は1963年から順次設置されていった。離島の中継局は1970年代に整備された。奄美大島へは1977年に放送を開始し、与論島にも1980年3月に中継局が設置された。同時に難視聴地域を対象とした微小局・ミニサテライト局の設置も進められた。

1982年のKKB開局の際には社員出向や中継局の共同使用などの協力を実施。MBCとKKBの関係はさながら「兄弟会社」のようなものであった。現在もMBCはKKBに出資しており、関係は現在でも続いている。[2]

[編集] 8.6水害・日本の放送局初の気象予報業務許可

1993年8月6日の「8.6水害」では鹿児島市が甚大な被害を受けた。MBCの社屋も水没の危機に瀕し、社内に残ったスタッフ・社員関係者一丸となって土嚢を積みバケツモップによる必死の排水作業を続けかろうじてテレビマスター室の防衛に成功したが、所有するラジオカー「ポニー号」3台が水没その他社用車の大多数を水没させた。テレビ中継車及び衛星中継車 ステージカーは、伊集院町(現在の日置市)でのゴルフ大会収録に出動していたため水没を免れた。

この日は細川内閣成立に関する報道特番がJNNでは編成されていたが、MBCではMBCニューズナウの終了後引き続いて8.6水害に関する報道を随時挿入し、21時台のドラマイエローカード』を途中打ち切り後は翌朝まで報道を続けた。この報道姿勢は高く評価され『20世紀放送史』(日本放送協会・編、2001年)にも掲載されるほどであったが、MBCとしては「自ら気象情報を提供することはできたのか?」という課題が残された。これに対する答えが1995年の気象予報業務許可であった。各番組でMBC独自の予報を提供し、1998年からはフィラーとして天気予報を放送している。

[編集] 2001年以降

2002年からは現在のキャッチフレーズ「ふるさとたっぷりMBC」を使用(テレビのみ2004・2005年は「かごしまlife」)。同時期に開局50周年を迎えたことから、過去のドキュメンタリー番組を『アーカイブス50』として放送した。

2006年12月に地上デジタル放送とワンセグの本放送を開始。2008年の開局55周年記念事業「MBCウミガメプロジェクト」においてはウミガメ(男の子と女の子)のマスコットキャラクター「ユウ(遊海)」「ミウ(美海)」が設定された。名前は一般公募により選定された。

[編集] 年表

  • 1953年6月13日 - ラジオ南日本の創立総会を開催。
  • 1953年6月23日 - 「株式会社ラジオ南日本」会社設立。当時の局舎は南日本新聞の社屋を間借りする形でおかれた。
  • 1953年8月1日 - ラジオ予備免許交付。
  • 1953年8月20日 - 鹿児島市吉野のラジオ送信所が着工。
  • 1953年10月1日 - ラジオの試験放送開始。この時点では鹿児島市易居町(南日本新聞社社屋内)の演奏所が完成しておらず、吉野送信所から放送を行っていた。
  • 1953年10月8日 - ラジオ本免許交付 (760kc,3kW)
  • 1953年10月10日 - 午前5時30分に全国26番目にラジオ放送開始。現在も続く番組『城山スズメ』も開始。
  • 1953年10月20日 - MBCタレントの源流となる『南日本放送劇団』を創立。
  • 1953年11月1日 - 本来の開局予定日。鹿児島市易居町からの放送を開始。
  • 1953年11月3日 - 鹿児島市中央公民館で「ラジオ南日本の歌」を発表。
  • 1956年10月1日 - 鹿児島市吉野のラジオ送信所の出力を5kWに増力。
  • 1957年7月4日 - テレビ放送の送信所を鹿児島市の城山に決定。
  • 1957年10月22日 - テレビ放送の予備免許を取得。
  • 1957年12月29日 - 現社屋のある鹿児島市高麗町にテレビ放送の演奏所をおくことを決定。
  • 1958年4月10日 - MBC初のラジオ中継局である阿久根送信所 (JOCL) が開局。
  • 1958年6月16日 - テレビ放送の城山送信所の起工式。
  • 1958年11月1日 - テレビ演奏所の起工式。
  • 1959年2月23日 - テレビ放送の送信所・演奏所の火入れ式。
  • 1959年3月1日 - テレビ放送の試験放送開始。
  • 1959年4月1日 - アナログテレビ放送開始。午前8時45分にテストパターンを流す。
  • 1959年8月17日 - TBSをキーステーションとするテレビネットワーク、JNN (Japan News Network) に加盟。
  • 1960年3月7日 - テレビ放送の昼間の放送を開始。
  • 1960年4月14日 - MBC放送会館(現社屋)の起工式。
  • 1960年11月10日 - MBC初のテレビ中継局となる鹿屋中継局が開局[11]
  • 1961年3月26日 - MBC放送会館の落成。
  • 1961年10月1日 - 社名を「株式会社南日本放送」に変更。
  • 1962年3月25日 - 労組が賃上げで無期限ストライキを実施。3月28日に解決。
  • 1962年10月1日 - 吉野ラジオ送信所の周波数を760kHzから1110kHzに変更。
  • 1962年11月1日 - テレビ放送の午前の放送を開始。
  • 1963年12月1日 - テレビ放送の紫尾山中継局[12]が開局。
  • 1964年10月1日 - テレビ放送の枕崎中継局が開局。
  • 1965年5月2日(社史では4月20日) - TBSラジオをキーステーションとしたラジオネットワーク、JRN (Japan Radio Network) が発足、加盟。
  • 1966年7月7日 - カラー放送を開始。当初は1週間で2時間程度のみであり、年数をかけてカラー化を進めた。
  • 1968年10月 - ニッポン放送文化放送をキーステーションとしたラジオネットワーク、NRN(全国ラジオネットワーク)に加盟。
  • 1976年10月4日 - 鹿児島県の民放局として初めてのニュースワイド番組『MBC6時こちら報道』を開始。
  • 1977年1月28日 - 奄美大島での放送開始(放送技術の向上と奄美群島振興開発事業の非公共事業として国が整備を支援したことにより名瀬中継局完成)。
  • 1978年11月23日 - 吉野送信所の周波数を1110kHzから1107kHzに変更(9kHzステップの移行に伴うもの)。
  • 1981年4月1日 - 吉野送信所の送信出力を5kWから20kW[13]に増力。
  • 1982年4月1日 - 音声多重放送を開始(当初は奄美群島地区は除く)。
  • 1983年10月15日 - コーポレートアイデンティティ (CI) を実施。ロゴが現行のものに更新。
  • 1986年10月1日 - ラジオ放送の送信所を鹿児島市吉野から隼人町(現・霧島市)に移転。
  • 1987年10月 - ラジオ放送で『MBC50ニュース』を開始。
  • 1989年3月4日 - ラジオ放送の阿久根中継局の周波数を1557kHzから1107kHzに、送信出力を100Wから1kWに変更。
  • 1989年10月27日 - クリアビジョンを開始。
  • 1990年2月18日 - 衆院選で鹿児島テレビ・鹿児島放送とともに誤当確[14]。『MBC6時こちら報道』が同年4月に『MBCニューズナウ』へ衣替えした一因となる。
  • 1993年8月6日 - 平成5年8月豪雨(8.6水害)により甲突川が氾濫、MBC放送会館が水没の危機に瀕した。テレビ・ラジオ双方で終夜放送を実施。
  • 1995年5月18日 - 放送局としては初めての気象予報業務許可を得る。
  • 1998年4月 - フィラーとしてお天気情報を流すことによりテレビの終夜放送を開始(日曜日も実施)。ラジオも同様に日曜深夜を含めた終夜放送を開始(現在は日曜深夜=月曜未明は2時45分‐4時に休止枠がある)。
  • 2003年3月31日 - ラジオ放送の鹿屋中継局を廃止。
  • 2006年8月1日 - 地上デジタル放送に対応したマスターへ更新。
  • 2006年10月2日 - 地上デジタル放送の試験放送開始(11月4日まで)。
  • 2006年11月5日 - 地上デジタル放送のサービス(サイマル)放送開始。
  • 2006年12月1日 - 地上デジタル放送とワンセグの本放送を開始。
  • 2007年10月1日 - MBC初の地上デジタル放送の中継局となる鹿屋・枕崎・阿久根・蒲生中継局が開局。
  • 2008年8月1日 - 地上デジタル放送の名瀬中継局(奄美大島)が開局。
  • 2010年5月21日 - Ustreamを使いラジオ生放送中のスタジオの模様をライブ動画で配信するサービスが一部の番組でスタートする[15]
  • 2011年7月24日 - アナログテレビ放送終了。
  • 2011年10月3日 - MBCラジオがradikoを用いたインターネット配信(実用化試験配信)を開始[8]

[編集] テレビネットワークの移り変わり

  • 1959年4月1日 - テレビ放送開始。日本テレビ・ラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)・フジテレビ・日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)とネットを組む。
  • 1959年8月 - ニュースネットワークのJNNに加盟。以降TBS主体編成のフリーネットとした。
  • 1967年6月 - 民間放送教育協会に加盟。
  • 1969年4月1日 - 鹿児島テレビ開局。同局と日本テレビ・フジテレビ・NETテレビの番組を共有する事となった。
  • 1975年3月31日 - JNNの準キー局腸捻転解消により朝日放送から毎日放送に変更。関西発全国ネット番組を鹿児島テレビと交換。
  • 1982年10月1日 - 鹿児島放送の開局により民教協制作分を除いたテレビ朝日の番組が姿を消す。日本テレビ・フジテレビの番組が鹿児島テレビとの共有から編成にあふれた分のみネット放送に格下げとなる(これにより2割ほどが鹿児島テレビへ移行)。これまでMBCでネットされていなかったTBS制作の生番組『モーニングジャンボ奥さま8時半です』や『3時にあいましょう』が新たにネット開始。
  • 1994年4月1日 - 鹿児島読売テレビ開局。最後まで残っていた日本テレビの番組(『MBCサスペンス劇場』・『全日本プロレス中継』)が鹿児島読売テレビへ、フジテレビの番組(『サザエさん』)が鹿児島テレビへ移行されて姿を消す。
  • 1995年3月31日 - 『健康増進時代』が終了。これにより日本テレビのネット関係が完全に途絶える。

[編集] 社史・記念誌

  • 南日本放送十年史(南日本放送・編) 1963年10月10日発行、301ページ。
  • MBC十五年の歩み(南日本放送・編) 1968年6月23日発行、52ページ。
  • MBC二十年の歩み(南日本放送・編) 1973年9月30日発行、64ページ。
  • 生き生き25年 南日本放送のあゆみ(南日本放送25周年記念出版委員会・企画)1978年10月10日発行、143ページ。
  • 未来を拓く MBC35年のあゆみ(南日本放送35周年記念出版委員会・企画) 1988年10月発行、177ページ。
  • MBC50年の軌跡(南日本放送・編) 2004年発行、277ページ。

[編集] スタジオ・関連設備等

[編集] 本社

本社は3つの建物に分かれており、此処では説明上「本館」「北別館」「南別館」とする。なお、特に本館は竣工から半世紀近くが経過しており、時折改修工事は行っているものの、老朽化が問題視されている。鹿児島ではKTSも開局した1969年から現在の社屋を使用し続けている(但し2005-2006年に改修工事を実施)。                                                                       

  • 第1スタジオ-テレビ制作用のスタジオ。現在の放送会館の本館竣工時(1961年)から使用されており、半世紀近くに渡ってMBCの歴史を見守ってきた。現在は「MBCニューズナウ」「ズバッと!鹿児島」「TEGE2」等、定時ニュース以外の殆どの番組が此処で制作されている。また、選挙や記念特番も基本的に此処から(生)放送される。
  • ニューススタジオ:南別館(1980年代後半に竣工)にあるスタジオで、報道センター内に設置されている。「MBCニューズナウ」も2006年11月30日まではこのスタジオから生放送されていた。現在も「かごしま24」や「MBCニュース」、気象情報は此処から放送されている。
  • 第2スタジオ-ラジオ制作用のスタジオで、「スマイリー園田のLive Alive」等の公開生放送の他、大人数での音声収録などに使用されている。本館にあり、こちらも1961年から使用されている。
  • 展望スタジオ-「城山スズメ」、「えっちゃんのたんぽぽ倶楽部」、「田辺令吉の発車オーライ!」、「ズバッ@RADIO〜青だよ!たくちゃん!〜」等の生番組の放送を行っているラジオスタジオ。本館2Fにあり、近年になって設備が改装された。2010年からはUSTREAMを使用したネット上の生放送も一部番組で行われている。
  • この他、MBCには2-3のラジオスタジオが存在し、テレビのナレーション録音・ラジオ番組収録に使われている。     
  • MBCホール-北別館7F(最上階)に設置された、中規模なホール。主にMBCユースオーケストラや、年末の県民第九の練習会場等として使用されている。
  • 社員食堂「すずめ」-多くの社員が利用している。MBCの番組・HPでは何故か存在に触れられる事はあまりないが、UMK首藤真吾が休暇で同期生の古山かおりを尋ねた際、UMKのHP上で公開された(UMK首藤真吾アナウンサー日記より)。
  • 玄関ロビー-地上デジタル放送開始に合わせ、2006年頃に改装された。一時期はスタジオ改装等の事情で、各番組の生放送・収録にも使われていた。なお、平成5年8月豪雨では甲突川の氾濫で冠水し、その様子がMBCのカメラを通して全国へ伝えられた。

[編集] 本社以外

  • 鹿屋支社・奄美支局には中継用の簡易スタジオがある。また、南日本新聞編集局にも中継用のデスクが置かれている。
    • 奄美地方にはラジオ名瀬中継局が存在し、同局にコールサインは割り当てられていないものの災害発生時など独自放送を行うことがある[16]。この場合は基本的に鹿児島本社のスタジオから放送が行われている模様。
  • MBCメディアホール-本社近くの「MBC開発ビル」4Fにあるホール。各種イベントに使用されているが、近年は此処でラジオ特番の生放送・収録を行う事も多い。

[編集] 主なテレビ番組

過去の番組
JNN系列局制作番組のネット

※全国ネットの番組は除く。

系列外の番組

放送時間がないものは、かつての番組(※は継続中のもの)。

テレビ東京(TX)系列
毎年鹿児島県立鴨池野球場で行われていたロッテ巨人のオープン戦の中継を当時の東京12チャンネルとMBCが共同制作(TX主管製作)で生中継(TXは録画再放映も)されていた。
民教協加盟局共同制作番組
その他
過去に放送されていた日本テレビ系の番組
過去に放送されていたフジテレビ系の番組
過去に放送されていたテレビ朝日系の番組
仮面ライダー仮面ライダーV3仮面ライダーX
海賊王子魔法使いサリー(第1シリーズ)
KKB開局まで放送されていたテレビ朝日系の番組
大忠臣蔵荒野の素浪人破れ傘刀舟悪人狩り破れ奉行江戸の鷹 御用部屋犯科帖破れ新九郎半七捕物帳江戸の牙鬼平犯科帳萬屋錦之介主演版)/柳生あばれ旅文吾捕物帳
KYT開局まで放送されていた日本テレビ系の番組
  • 火曜サスペンス劇場(1992年4月2日~1992年9月24日は木曜サスペンス劇場、1992年10月2日~1994年3月25日はMBCサスペンス劇場のタイトルで深夜番組として時差ネット)
  • 全日本プロレス中継(放送日が土曜日に移った際にKTSに移動。その後、1992年4月5日~1994年3月27日は、再びMBCで日曜深夜(月曜未明)に放送)
KYT開局まで放送されていたフジテレビ系の番組
  • サザエさん(1992年9月のフジテレビ系番販放送枠廃止後も、この番組のみ、スポンサーからの要請により、1992年10月4日~1994年3月27日は引き続き放送。鹿児島讀賣テレビの開局に伴い、1994年4月3日からKTSに移行。それまでは『FNSの日』内包時のみKTSで放送)
TBS系の遅れネット

[編集] 主なラジオ番組

  • かつては前5時開始~翌朝3時(日曜深夜=月曜未明だけ2時)終了の22時間(同21時間)放送だったり、日曜深夜を含めた完全24時間放送だった時代もあったが、現在は毎週日曜の深夜=月曜2時45分~4時のみに休止する時間があるが、他は終日放送(月曜日のみ4時開始、他は5時基点)である。

[編集] 自主制作番組

[編集] ネット番組

[編集] TBSラジオ制作
[編集] 文化放送制作
[編集] ニッポン放送制作
[編集] その他

そのほかの自主制作番組やネット番組は番組表を参照。

[編集] 鹿児島県内他民放ラジオ局と同時編成

2007年2月12日の15時から55分間、MBCラジオ・県域FM局のエフエム鹿児島 (μFM) ・コミュニティFM局の鹿児島シティエフエム(フレンズFM)と「鹿児島の民放ラジオ3局」として初めて合同で番組を編成した。2008年、2009年も同時期に実施。

タイトルは「3WAVEパワーステーション ラジオだぜ! 男3人トークバトル」。MBCラジオからは野口たくおが、μFMからはDJ POCKYが、フレンズFMからは柳田弘志が出演[17]。スタジオはμFMを使用し、メールアドレスのドメイン名もμFMのものだったが、公式サイトはMBCのサーバーに置かれてあった。12日の放送時には各パーソナリティが自己の担当する番組の企画を持ち込み(野口は「城山スズメ」、DJ POCKYは"MUSIC POWER STATION feel the μzic DA!!"、柳田は「いいよね本舗」)、各放送局のジングル(フレンズFMのみ「いいよね本舗」のジングル)もそれぞれ放送された。また、これに先駆けて2月5日から9日までの12:12 - 12:17に情報番組を3局同時に放送した。

なお、MBCラジオとフレンズFMは2003年8月6日にNHKラジオ第1放送(鹿児島局)と同時編成を行ったことがある。また、NHKは公共放送であり、鹿児島県に残り3つある(当時)コミュニティFM局(FMかのや、FMきもつき、FM志布志)はNPO団体(非営利団体)であるため、民放ではない。

[編集] MBCパーソナリティ

独自にポイント気象予報を出す認可を受けており、MBCのアナウンサー・ニュースキャスター・気象予報士・タレント・ポニーメイツは「MBCパーソナリティ」と総称されている。

[編集] アナウンサー

  • 岡田祐介のブログによれば、2011年2月までアナウンサーは全員「ラジオ制作部」所属となっていた。

これは組織再編によるものと考えられるが、2011年3月には「アナウンス部」が復活している(業務内容は変わらず)。

男性
女性


[編集] 元アナウンサー

他局へ移籍
退社または異動
男性
女性

[編集] ニュースキャスター

当局の社員ではあるが、アナウンス部に所属していながら、アナウンサーとは別に振り分けられている。

  • 藤原一彦(1976年)
    • アナウンサー出身
  • 山縣由美子(1981年~1989年、1997年より復帰)
    • 80年代に勤務していた時は、アナウンサーと兼務だった。
    • 「"やねだん"~人口300人、ボーナスが出る集落~」の制作とナレーションをしていたことでも知られており、のちにこの番組は数々のドキュメンタリー番組の大賞を受賞することになる。英語版、DVDもあり。関連ページ
      • 現在でもやねだん関係の取材には必ず携わっており、韓国にもやねだんと関係があるホテルがあるためか、実際に行ったことがある。
  • 竹内梢(2006年入社。2011年よりキャスター)

[編集] 元ニュースキャスター

他局へ移籍
  • 喜田治男(KKB開局とともに移籍、KYT開局の際も移籍。KTS以外の民放の在鹿局全局に移籍している。 1973年4月から9月にJNNニュースデスク司会担当のため一時期TBS報道部出向)
  • 竹村志麻(→テレビ高知、アナウンサーとして、親の介護のためにふるさとの高知県に帰郷)
  • 執行真希(2005年入社、2008-2011年キャスター/報道部出身)
異動
退社
  • 横山欣司(退職後もMBCの番組に出演している)
    • アナウンサー出身で、MBC学園アナウンス教室の講師もしている。
  • 陶山賢治(退職後もMBCの番組に出演している)
    • 読売新聞の記者を経て、一時期当局に在籍していた。
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[編集] 気象予報士

ウェザーキャスターとして活躍
ウェザーキャスター以外の分野で活躍
  • 住吉大輔(現在はラジオ制作部長と兼任)
    ほかには田辺令吉もおり、気象予報士としての出演は、ラジオのみとなる。

[編集] MBCタレント

社員ではないパーソナリティのことを放送局としては珍しく愛称があり、MBCタレントと呼んでいる(一部は県内他局の番組に出演している場合もある)。当該項目では出演している番組、CMを紹介。

男性
女性
ゲストタレント
  • DJ EIJI(福岡ローカルタレント)
    • 本来の名前は「EIJI」で、当局のみ「DJ EIJI」を使う。
  • 桂竹丸(落語家・タレント)
  • 日高正人(シンガーソングライター)
  • 宮井紀行(シンガーソングライター)
  • Zin
    ゲストタレントは現在、男性のみだが、過去に女性もいた。

[編集] 元MBCタレント

  • 瀬川洋一郎(MBCタレントの草分け的存在であったが、1960年代から2005年に亡くなるまで活動した。)
  • ダミアン・ヒル(2004年~2009年3月までで、並行してKYTの「県ナビ」のナビゲーターも担当されていたが、同時に降板。母国(ニュージーランド)に帰国したと思われる。)
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[編集] ポニーメイツ

詳しくは「ポニー (ラジオカー)#ポニーメイツ一覧」を参照'

[編集] その他

  • MBCラジオのラジオカーの愛称は「ポニー
  • 上述のとおりFNN系列のKTSがクロスネット局(FNN、NNNとANN)であった時代、同局でネットしきれないフジテレビなどの番組を購入して放送していた。その中で『サザエさん』(1994年4月3日にKTSへ番組移動)や『ライオンのいただきます』(1987年10月5日にKTSへ番組移動)、それに『キテレツ大百科』(1988年10月にKTSへ番組移動)などを時差ネットしていた事が有名。
  • ラジオでは1992年にエフエム鹿児島(μFM)が開局するまで一部のTOKYO FMの番組を放送していた。
  • フィラーとしてお天気情報を流しており、行楽や運動会シーズンに重宝されている。また、KTS・KKBも現在ほぼ連日天気フィラーを流している。KYTは日テレNEWS24をフィラーとして流しており、設備点検による休止を除くと県内全民放局で終夜放送が実施されている。以前は、カラーバーか砂嵐だったが、台風が来そうなときには予報図を出して情報を提供していた。
  • 2007年2月現在の時刻出しは、番組中ではカスタムフォントとして表示。朝のみCM中は通常フォント(その他の系列局では「青森テレビ」の黒色版と同じフォント)が見られる。
  • みのもんたの朝ズバッ!」は、MBCでは前番組の「ウォッチ!」からの流れで5時55分からの飛び乗りスタートだったが、2006年11月からは5時30分からのフルネットとなった。しかし、2007年4月2日からは再び5時55分からの飛び乗りネットに戻った。
  • 南日本放送開局50周年(2003年)記念として吉俣良 作曲、熊木杏里作詞・唄で愛唱歌「きみ!」(CDは非売品)がつくられた。2008年度のウミガメキャンペーンのラジオCMなどや終夜放送のBGMなどでもよく使われる。なお吉俣氏の弟は同局と契約している放送タレントである。
  • 1960年代の一時期、丸屋(のちの三越鹿児島店、現在のマルヤガーデンズ)にあった電車通り側のショーウインド内にラジオのサテライトスタジオが設けられたことがあった。これは当時九州初の試みだったとのことである(生き生き25年 南日本放送のあゆみ 昭和53年版より)。この流れがあって2007年秋まで、丸屋⇒鹿児島三越⇒三越一社提供の冠番組が放送されていた。また1980年代から1990年代にかけて午前10時前に一時期「鹿児島三越の開店時間です」との時報CMを流すこともあった。
  • 鹿児島県で販売される新聞のうち、産経新聞九州・山口特別版のラジオは九州・山口県8県共通内容の「広域版」となっているため、スペースの都合上載せていない。

[編集] 放送開始・終了

局名告知(オープニング・クロージング)のこと。

[編集] ラジオ

放送開始・終了時ともに同一曲を使用しているが、それぞれ独自の編曲が施されている(なお、終了時のバージョンは、1980年代後半にはテレビのクロージングでも使用されていた)。

[編集] デジタルテレビ放送

放送開始・終了時ともにほぼ共通のもので、デジタル放送開始当初より使用されている。映像は県内各地の春夏秋冬が収められており、最後に2枚の静止画で挨拶する。

1枚目開始・終了共通:コールサイン「JOCF-DTV MBC」表示

2枚目開始「おはようございます。きょうもMBCの番組でお楽しみください。」

2枚目終了「これでMBCの放送を終わります。」

アナログと違って社名は表示しない。 BGMは社歌のインストゥルメンタル(器楽曲)となっている。

アナログのものから新たに作り直されており、アナウンサーによるコールサイン読み上げがないことなどの細部に及ぶ変更点がある。ちなみに2006年11月5日のサービス放送開始時は、2枚の静止画で挨拶するのみであった。

クロージングは天気予報を内包しており、1分間の放送のほとんどを占める実態的にはこちらが本編とも言える。このことから一番組として扱われ、電子番組表(EPG)では「天気予報放送終了前」と表記される。

  • 2011年(アナログも同様)、クロージング直前にドリーミュージック所属アーティストのPV(ミュージック・ビデオ)がフルで放送されていた時期が複数存在する。EPG上は「天気予報放送終了前」として扱われているが、1990~2000年代のものとは異なり天気予報・クロージングは別に放送されていた。いわゆる広告の一種と考えられるが、レコード会社・アーティストのサイト等への掲載はされていない。
  • また、終了から開始までの休止時間が短い場合はクロージング(および天気予報)が省略され、最終番組からオープニングまで番宣CMやフィラーで埋められることとなる。

[編集] アナログテレビ放送

ともに2011年の停波までの数年間に変化はみられなかった。県内他局とは異なり、親局の周波数・出力の案内が特に行われていなかったのが特徴。

放送開始(オープニング)

1997年頃からは「錦江湾の朝日をバックに県内各地の著名な風景が流れ、やがて桜島の航空写真に切り替わっていく」映像に、BGMとして社歌を編曲したものが使用されていた(デジタルとは異なる)。コールサインの音声は上野知子アナウンサー。 1990年代前半までは地球が出てきて、日本→鹿児島にズームインし、鶴が出てくる。その後桜島が出てきて、一旦終了、最後にアナウンサーがコールサイン告知で終了。BGMは社歌。

「きょうも一日、MBCテレビとともにお過ごしください」という独特なフレーズが代々使われていた(デジタルでは「今日もMBCの番組でお楽しみください」の表示のみ)。昭和末期には日替わりでの挨拶がなされていた時期も存在する。

放送終了(クロージング)

鹿児島県内の季節の風景をハイビジョン撮影したものを映像とし、全中継所表示も行っていた。最終版は2006年8月から約5年間使用された。デジタルと同様、1980年代後半ごろより長らく天気予報が内包されていたが、翌日の放送開始までの間隔が狭い場合は天気予報が消滅することがあった。

オープニング同様、「あすもまたMBCテレビとともにどうぞ」という文言が一時期存在していたものの、こちらは1990年代の時点で(より一般的に使われる)「あすもMBCの番組でお楽しみください」といったものに変更されている。

  • 1991年~2001年3月までは鹿児島市交通局路面電車を映していた(映像は数か月毎に差し替え)。また、2003年頃まではミュージック・ビデオにテロップを載せたものであった。2004年3月のみこの形式に戻されたことがある。
地上アナログ放送完全終了(2011年7月24日午後11時)

ブルーバックに「JOCF-TV MBC TELEVISION」と書かれた静止画が1枚表示され、簡素なナレーション(アナログ視聴への感謝、移行の呼びかけ、コールサイン読み上げ)が流れて終了した。

[編集] 鹿児島県の放送局

[編集] 脚注

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  1. ^ 「エム・ビー・シー」ではなく「エム・ビー・スィー」が正しい発音とされている。(2006年9月14日放送のmixxより)
  2. ^ a b いわゆる「1局2波」の概念に近い。しかし、琉球放送琉球朝日放送のような社屋共有や人材の相互派遣・出向と言った形とはやや趣が異なる
  3. ^ 鹿児島本局の移転について エフエム鹿児島、2011年7月1日。
  4. ^ 『南日本新聞』2011年9月2日、25面。
  5. ^ 地上デジタルテレビ放送中継局ロードマップ(最終更新2011.1.21) - 総務省。
  6. ^ 毎日、午前11時と午後4時の生放送を中継している。他の時間にも一部の番組を時差または過日放送をしている。
  7. ^ 同時に琉球放送、ラジオ沖縄もこの回線を通じて楽しめるようになった。
  8. ^ a b 10月3日(月)PCサイトをリニューアル、新たに4地区/7局が参加 (PDF) radiko公式ウェブサイト、2011年9月15日。翌16日の南日本新聞紙面にも掲載。
  9. ^ 『MBC50年の軌跡』では1959年8月17日とされている。
  10. ^ 1982年10月期は36%が新番組(『南日本新聞』1982年9月28日朝刊14頁)で、1994年4月は全日で16.9%、ゴールデンタイムで40%の改編率(『南日本新聞』1994年4月3日朝刊12頁)であった。この他にも1975年には大阪の朝日放送 (ABC)と毎日放送 (MBS) のネットチェンジ(腸捻転)でいくらかの番組をKTSと交換している。
  11. ^ 同年10月に宮崎放送(当時はラジオ宮崎テレビ)がテレビ放送を開始したことに対する開局(宮崎放送は当時大隅半島全域をカバーエリアとしていた)。
  12. ^ 他局及び現在の呼称は「阿久根中継局」。
  13. ^ MBC側は100kWの増力を求めていたが20kWに落ち着く。100kWの場合、民放局においては関東広域圏の3局のみで、NHKを含めても九州では2番目の高出力であった。20kWの場合も政令指定都市を抱えない県の民放局では唯一である。
  14. ^ 『テレビ宮崎の20年』(テレビ宮崎、1991年5月)の年表による。
  15. ^ 2010年5月時点では「precious music 金曜日」の生放送のみ実施、ちなみに2010年5月21日はライブ動画のみで無音での配信だったが、翌週の2010年5月28日より音楽やCM部分を除く音声とライブ動画の同時配信となった。
  16. ^ 例としては平成23年台風第2号発生時、夜間を中心に定時的に臨時ニュースを挿入している
  17. ^ この3人は2006年12月から3局合同の飲酒運転撲滅キャンペーンCMに出演していた。

[編集] 参考文献

  • 『MBC50年の軌跡』 南日本放送、2004年。

[編集] 外部リンク

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