福島県

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ふくしまけん
福島県
Ja-fukushima-ohuchijuku-7.jpg
福島県旗
福島県旗
日本の旗 日本
地方 東北地方
団体コード 07000-9
ISO 3166-2:JP JP-07
面積 13,782.76km²
総人口 1,936,630
推計人口、2014年10月1日)
人口密度 141人/km²
隣接都道府県 宮城県山形県茨城県栃木県群馬県新潟県
県の木 ケヤキ
県の花 ネモトシャクナゲ
県の鳥 キビタキ
県の歌
県民の日
福島県県民の歌
8月21日
福島県庁
知事 内堀雅雄
所在地 960-8670
福島県福島市杉妻町2番16号
北緯37度45分1秒東経140度28分3.9秒
福島県庁
外部リンク 福島県庁
福島県の位置

福島県行政区画図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキポータル 日本の都道府県/福島県
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福島県(ふくしまけん)は、日本都道府県のひとつ。東北地方の南部に位置する。県庁所在地福島市太平洋に面し奥羽山脈の東西にまたがって存在する。

面積北海道岩手県に次ぐ第3位。都道府県別の人口は第18位。人口密度は第39位である。

概要[編集]

地形気候交通歴史などの面から、太平洋と阿武隈高地に挟まれた「浜通り」、阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれた「中通り」、奥羽山脈と越後山脈に挟まれた「会津」の3地域に分けられる。現在の福島県は、1876年8月21日磐前県(いわさきけん。浜通り)と福島県(1876年以前)(中通り)と若松県(会津)の3県の合併によって成立した。県名の福島は、当時県庁所在地だった福島町から採ったものである。「福島」の名は福島城として使われたのが最初とされている。[1]

県の広域行政単位は、これらをさらに細分している。方言単位は、上記3区分の他に、3区分横断的な南北分類もされる(関東方言の影響が県南部で見られるため)。

人口の大きな自治体は、人口順に郡山市いわき市福島市となっているが、3市とも30万人前後である。商業統計では郡山市・福島市・いわき市の順、都市圏人口では郡山都市圏福島都市圏いわき都市圏の順である。3市はそれぞれの分野に特化し、行政機能が集中し果物の生産が盛んな福島市、商業・内陸工業地帯となっている郡山市、広大な面積を持ち沿岸工業・観光に特化するいわき市となっている。また会津地方の中心都市で史跡が多く存在する歴史都市会津若松市も県の重要な拠点となっている。

地理・地域[編集]

東北地方の南部に位置し、面積は 13,782.75km² で、北海道岩手県に次ぐ全国第3位である。県庁所在地の福島市は、東京から約270km、JR東北新幹線で約90分の位置にある。

東部の阿武隈高地、中央部を南北に縦断する奥羽山脈、北部から西部に連なる飯豊連峰越後山脈の山岳地帯と、それらにより区切られ県中央部を南から北へ流れる阿武隈川地溝帯に連なる盆地群から構成される中通り地方、県東部浜通り地方の沿岸平野部、西部の会津盆地を中心とした会津の3地域に大別される。

地形[編集]

磐梯高原空撮画像。他に吾妻小富士猪苗代湖
左から順に尾瀬沼燧ケ岳尾瀬ヶ原。手前の谷は三条ノ滝から奥只見湖に繋がる只見川最上流部
平地
山地


高原




自然湖沼


人造湖


湿原



気候[編集]

福島県は東西に広く、さらに海岸や山地の地形装飾を受け、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差は大きい。

福島県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
浜通り 阿武隈高地 中通り
相馬 浪江 広野 いわき市
小名浜
いわき市
山田
いわき市
上遠野
飯舘 田村市
船引
川内 小野町
小野新町
白河 二本松 塙町
東白川
福島市
(松木町)
福島市
茂庭
福島市
鷲倉
郡山
平均
気温
(°C)
最暖月 23.7
(8月)
23.6
(8月)
23.4
(8月)
23.9
(8月)
23.9
(8月)
22.0
(8月)
22.6
(8月)
22.1
(8月)
22.7
(8月)
23.3
(8月)
23.9
(8月)
23.6
(8月)
25.2
(8月)
23.2
(8月)
18.1
(8月)
24.2
(8月) 
最寒月 1.8
(1月)
2.0
(1月)
2.8
(1,2月)
3.6
(2月)
2.1
(1月)
−1.4
(1月)
−0.8
(1月)
−0.8
(1月)
−1.0
(1月)
0.2
(1月)
0.4
(1月)
−0.2
(1月)
1.4
(1月)
−6.6
(2月)
0.7
(1月) 
降水量
(mm)
最多月 238.8
(9月)
256.6
(9月)
247.5
(9月)
205.8
(9月)
205.1
(9月)
211.9
(9月)
170.3
(9月)
218.0
(9月)
193.1
(9月)
228.2
(8月)
182.7
(9月)
219.2
(9月)
169.2
(9月)
197.0
(9月)
348.6
(8月)
178.6
(7月)
最少月 22.1
(12月)
30.5
(12月)
35.2
(12月)
35.0
(12月)
32.8
(12月)
24.7
(2月)
27.8
(1月)
32.0
(12月)
25.2
(1月)
25.0
(12月)
23.6
(12月)
29.3
(12月)
32.5
(12月)
27.0
(12月) 
平年値
(月単位)
中通り 会津
伊達市
梁川
玉川 石川 北塩原村
桧原
猪苗代 喜多方 若松 西会津 天栄村
湯本
金山 只見 南会津町
南郷
南会津町
田島
檜枝岐
平均
気温
(°C)
最暖月 24.6
(8月)
23.6
(8月)
20.2
(8月)
22.3
(8月)
24.2
(8月)
24.8
(8月)
23.9
(8月)
21.2
(8月)
23.0
(8月)
22.6
(8月)
22.2
(8月)
20.1
(8月)
最寒月 1.0
(1月)
0.0
(1月)
−4.5
(2月)
−2.4
(1,2月)
−1.2
(1月)
−0.7
(1月)
−0.7
(1月)
−2.2
(1月)
−1.6
(1月)
−2.6
(1月)
−2.7
(1月)
−3.9
(2月) 
降水量
(mm)
最多月 159.7
(9月)
195.1
(9月)
234.5
(7月)
193.1
(7月)
200.9
(7月)
160.1
(9月)
208.6
(8月)
245.2
(9月)
303.4
(1月)
194.8
(7月)
185.0
(7月)
174.8
(7月)
最少月 29.3
(12月)
30.0
(12月)
114.7
(4月)
64.3
(2月)
81.0
(4月)
63.4
(4月)
87.5
(4月)
65.7
(12月)
110.0
(4月)
63.7
(4月)
61.0
(3月)
79.2
(4月)

自然公園[編集]

地域圏[編集]

福島県の地域区分図

福島県は東西に長い形状をしているが、2つの山地によって浜通り中通り会津の3つの地域に分かれており、天気予報でもこの呼称が使われている。東から順に、太平洋阿武隈高地に挟まれている浜通り、阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれている中通り、そして奥羽山脈と越後山脈に挟まれている会津となっている。

地形的に山地で隔てられているために、山越えした地域同士の交流は浅く、気候や文化にも差があり、3地域での同一県として帰属意識は低い。また南北においても城下町として栄えた会津若松を中心とする北会津地方(喜多方、猪苗代)と南会津地方、幕府領の城下町(後の福島藩)として栄えた福島市含む県北地方と県中地方と県南地方。福島県沿岸北部の相馬と沿岸南部のいわき市など、福島県は他県に比較すると一つの県としての統一感に乏しい傾向にある。

以下、人口は2014年10月1日現在の推計人口(福島県の総人口は1,936,630人)。

  • 中通り 1,153,938人
  • 浜通り 504,636人
  • 会津 278,056人

県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の本宮市・安達郡(約3.9万人)が県中に、相双の双葉郡(約6.6万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。

以下の13市13郡31町15村がある。福島県では、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。東北6県の中で唯一、「ちょう」と読む町が存在しない。

中通り[編集]

  • 由来 - 中通りという名称は中山道に由来する。現在の中山道は、徳川幕府江戸を中心として引き直した路線で、京都から加納関ヶ原合戦前の岐阜)、塩尻高崎を経て江戸(戊辰戦争後の東京)に至る路線である。古代の中山道は「東山道」といい、奈良(後に京都)を始点として、岐阜、塩尻、高崎、宇都宮に至り、宇都宮以北が現在の国道4号沿いに北上する東山道(律令制下の道国制の行政区)の主要街道だった。「中山道」という呼称自体が「東山道」の別称である。この縦貫道は中世には奥大道(おくのだいどう)とも呼ばれた。この縦貫道の名称から、福島県中通り地方は古代から中山道(中仙道)と呼ばれ、中世には仙道(せんどう)とも呼ばれた。なお、高崎から東京に至る関ヶ原合戦後の中山道は、元々は「東山道武蔵路」と呼ばれる東山道(中山道)の支路である。武蔵国はもともと東山道の1国であったが、771年(宝亀2年)に東海道に移管された。
  • 気候 - 那須火山帯山麓は豪雪地帯日本海側気候、それ以外の地域は太平洋側気候に属する。北部の福島盆地は典型的な内陸性盆地型気候で、夏は非常に高温になる。南部は那須高原に連なる高原地帯となるとので、北部に比べると低温傾向がある。そのため、中通りでは桜前線が北部から南部に南下して移動する。降雪はあるが、通常は 数cm - 15cm 程度で、30cm も積もれば大雪といわれる。生活面では降雪よりも夜間の路面凍結が深刻である。
  • 文化 - 古来より奥州の玄関口として、街道筋として重要な役割を担った。高度成長期以後は東北新幹線東北自動車道も整備されており、東京まで新幹線で1 - 2時間、自動車で2 - 3時間ということもあり、東京との結び付きも強めている。
  • 中心地 - 北部に県庁所在地の福島市、中部に地理的中間地である郡山市、そして南部に白河市の、3極が定立している。
県北地方振興局管内 476,519人

福島広域行政圏

安達広域行政圏

県中地方振興局管内 532,037人

郡山広域行政圏

県南地方振興局管内 145,382人

白河広域行政圏

浜通り[編集]

  • 由来 - 浜通りという名称は陸前浜街道に由来がある。陸前浜街道は、戊辰戦争前には単に「浜街道」や「海道」とも呼ばれた道で、鎌倉以北(関ヶ原合戦後は江戸以北)の東海道に当たる沿岸路線で、現在の国道6号とほぼ一致する沿岸の街道である。奈良時代や平安時代の東海道は、鎌倉以西のみならず、鎌倉以北も含まれており、奈良(後に京都)を始点として、現在の名古屋浜松東京(戊辰戦争前の江戸)、水戸を経由して多賀城に至る路線であった。
  • 気候 - 太平洋側気候に属する。東北地方としては非常に温暖で、夏は涼しく、冬は乾燥してもほとんど降らない。東北地方の他の地域よりも関東地方の沿岸部に近い、穏やかな気候である。
  • 文化 - 関東地方東部(茨城県千葉県)との結びつきが強い。元々は海道で常陸国下総国と繋がっていた上に、岩城氏が常陸府中(戊辰戦争後の石岡)に源流を持つ常陸平氏の氏族であることや、相馬氏鎌倉時代初期に下総国相馬郡(現在の茨城県取手から千葉県松戸にかけての地域)から入植したこともあり、茨城県や千葉県に根源を持つ神社仏閣やお祭りなどが少なくない。現在でも、茨城県や千葉県を中心に展開するチェーン店や製造業が福島県浜通りに店鋪や工場を出す、あるいは浜通りに本社を持つチェーン店や製造業が茨城県に店鋪や工場を出すなどの現象がしばしば見られる。
  • 中心地 - 夜ノ森以南(旧岩城氏領)はいわき市平地区が中心地だが、夜ノ森以北(旧相馬氏領)は相馬市中村地区南相馬市原町区に中心が分散している。
相双地方振興局管内 178,467人

相馬広域行政圏

双葉広域行政圏

いわき地方振興局管内 326,169人

会津[編集]

  • 由来 - 記紀の記述には、崇神天皇(すじんてんのう)が北陸道に遣わした大彦命(おおひこのみこと)と東海道に遣わした建沼河別命(たけぬかわわけのみこと)が、日本海側と太平洋側から遠征して出会ったのが相津(あいづ)だったという記述があり、この相津が後に会津と表記されるようになった説が有力である。他に会津盆地でいくつかの川が合流するために舟運の拠点として会津と呼ばれるようになった、あるいは日本海側と太平洋側の物産を運ぶ隊商が会津盆地で取引をすために会津と呼ばれるようになった、など諸説ある。
  • 気候 - 日本海側気候に属する。新潟県と多くの県境を接しており、全国有数の豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)である。
  • 文化 - 会津藩に由来する文化が色濃く投影されている。また現在の武術武道界に多大な影響を与えた近代最強の武術家とたたえられる大東流合気柔術武田惣角(たけだそうかく)の出身地(会津坂下町)としても名高い。現在でも会津若松を中心に剣道をはじめとする現代武道や各種の古武術が非常に盛んで、県立高校でも体育の授業に薙刀術があるなどの特色がある。ナショナルジオグラフィック、ヒストリーチャンネル、ディスカバリーチャンネル等の海外のドキュメンタリー製作でも、武士道や侍文化に関するドキュメンタリーではしばしば会津を例として取り上げる。
  • 中心地 - 北部(北会津)は会津若松市が中心地、南部(南会津)では南会津町の旧田島町が中心地となっている。
会津地方振興局管内 250,378人

喜多方広域行政圏

会津若松広域行政圏

南会津地方振興局管内 27,678人

南会津広域行政圏

都市圏[編集]

都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷

1980年 1990年 1995年 2000年 2005年
いわき 都市圏
34 7408人
郡山 都市圏
49 3891人
郡山 都市圏
52 1116人
郡山 都市圏
53 7493人
郡山 都市圏
54 8310人
福島 都市圏
34 3063人
福島 都市圏
40 4636人
福島 都市圏
41 0964人
福島 都市圏
41 2353人
福島 都市圏
47 0961人
郡山 都市圏
34 1004人
いわき 都市圏
36 1286人
いわき 都市圏
36 6207人
いわき 都市圏
36 5864人
いわき 都市圏
36 0025人
会津若松 都市圏
19 7672人
会津若松 都市圏
19 7213人
会津若松 都市圏
19 7316人
会津若松 都市圏
18 8686人
会津若松 都市圏
24 6056人
須賀川 都市圏
8 0990人
須賀川都市圏は郡山都市圏に包含
原町 都市圏
7 4296人
白河 都市圏
8 6678人
白河 都市圏
9 5084人
白河 都市圏
9 6786人
白河 都市圏
9 7136人
白河 都市圏
7 2914人
原町 都市圏
7 7162人
原町 都市圏
7 7860人
原町 都市圏
7 5020人
原町 都市圏
7 2837人
喜多方 都市圏
4 5780人
二本松 都市圏
6 6988人
二本松 都市圏
6 7268人
二本松 都市圏
6 6077人
二本松都市圏は
福島都市圏に包含
二本松 都市圏
4 5568人
喜多方 都市圏
6 0818人
喜多方 都市圏
6 3413人
喜多方 都市圏
5 9701人
喜多方都市圏は
会津若松都市圏に包含
  • 交通の変遷
    • 1982年(昭和57年) - 東北新幹線 大宮 - 盛岡駅間開業
    • 1985年(昭和60年) - 東北新幹線 大宮 - 上野駅間開業
    • 1991年(平成3年) - 東北新幹線 上野 - 東京駅間開業

歴史[編集]

先史[編集]

福島県を含む北関東・東北地方における人の足跡は、後期旧石器時代に始まる。県域における遺跡としては平林遺跡(桑折町)や会津若松湊の笹山原遺跡群がある。この遺跡から旧石器時代人が製作し使用したとみられる石器群が発見されている。年代は約2万2000年前の AT よりも下から出土していることから、後期旧石器時代前半に属する。少しくだって約1万5000年前の塩坪遺跡(喜多方市高郷町)から熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見された。

この時代はまだ土器がなく、焼石は食材を直接加熱するのに使用されたのであろう[3]

東北地方最大の前方後方墳・大安場古墳

縄文時代・弥生時代を経て古墳時代に入るが、福島県は大型の古墳が少ない東北地方にあって大安場古墳郡山市前方後方墳、全長約 83m)、会津大塚山古墳会津若松市前方後円墳、114m 、4世紀後半、東北最古級、割竹形木棺検出、三角縁神獣鏡出土)、亀ヶ森・鎮守森古墳会津坂下町、前方後円墳、127m)などの大型の古墳が集積する。

古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが窺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって中通りで盛んに古墳が作られた。中通り地方の前方後方墳は隣接する那須地方那須国造)で盛んに築造された前方後方墳の影響を受けたと考えられている。

古代[編集]

5世紀にはすでに北関東・東北の一部までがヤマト王権の影響下にあったと思われ、福島県域においても各国造が成立した。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界に当たる信夫国(福島盆地)などの国には防備の任もあった。

また、関東や近畿地方などから、盛んに開拓のための移民も行われている。その後、国は(こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。

701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は郡司になった。拡大した陸奥国から718年(養老2年)に石城国石背国が分置された。

現福島県域は石城国または石背国に属することとなり、陸奥国の領域ではなくなった。 分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体(陸奥・出羽)で戦う必要性起こってきたので、724年(神亀元年)までには石城国と石背国は再び陸奥国に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、会津郡耶麻郡を始め多くの郡に分割された。

  • 現在、福島県域は岩盤が固くて地震が少ないから「岩代国」と呼ぶ、という説があるが、これは「岩」という文字のイメージから生まれた俗説である。岩代国の由来は石背国にある。石背国の読み方は本来「いわせ」であったが、後に山背を「やましろ」と読むのに習って「いわしろ」とも読むようになったと思われる。明治旧国名では「いわしろ」の読みを採用し、「岩代」の文字を当てた。

平安時代には会津で恵日寺が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、藤原氏一族の信夫佐藤氏が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの石川氏、浜通りの岩城氏があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して石川郡に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、藤原清衡の養女を妻に迎えて石城郡に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。

国宝白水阿弥陀堂は平安時代末期1160年(永暦元年)に岩城則道の菩提を弔うために建立されたものである。

鎌倉開府から戦国時代まで[編集]

中世においては源頼朝が鎌倉に幕府を開府し東国において自立するが、頼朝は東北において奥州征伐により奥州藤原氏を滅ぼす。

県域においては信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で福島県内は伊達氏相馬氏二階堂氏蘆名氏畠山氏結城氏など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である白河結城氏が台頭し、白河結城氏を主力とする南朝方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など北朝方が盛り返し、白河結城氏など多くの諸氏は奥州管領鎌倉公方の支配を受けるようになる。

戦国時代に北関東・東北においては一国以上の領国を持つ戦国大名は少なく中小の地域勢力が分立する傾向をもっているが、伊達氏は伊達稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが天文の乱を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰は止むことはなく、隣接する常陸国佐竹氏や越後国上杉氏の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを圧倒した伊達氏の伊達政宗が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。

豊臣政権と徳川藩政時代[編集]

若松城(鶴ヶ城)
本丸お堀がきれいに残る棚倉城跡

豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には蒲生氏郷が入る。翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達政宗が岩出山に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。しかし子の蒲生秀行は会津から宇都宮に移され、代わって越後国上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして所領を奪われた岩出山の旧領主の木村吉清は、後に許されて蒲生氏郷に仕えて杉目城主となった。吉清は杉目を「福島」と改称し、今日の県名の由来となっている。

関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の蒲生忠郷が早世し伊予松山藩に移ることになる。次に1627年加藤嘉明が40万石で会津に入封するが、これも2代目加藤明成会津騒動を起こして領地を徳川幕府に返上した。そして、1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続くことになる。

一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏米沢藩から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と浜通り夜ノ森以北(相馬氏領)を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。尚この間白河藩は一時徳川譜代となり、寛政の改革を主導した松平定信など中央の名門家から城主が入り文人政治が行われた。

江戸時代会津若松日光街道を結んだ重要な交通路会津西街道(下野街道)の宿場大内宿が当時の街並みのまま重要伝統的建造物群保存地区として残され往時を偲ばせる。

幕末から福島県成立まで[編集]

諸外国の接近によって、幕府の政治が停滞。その中で尊王攘夷開国といった主導で日本を立て直そうとする各藩の武士たちが京都に押し寄せた。白河藩主阿部正外は江戸老中として諸外国との折衝にあたり、神戸港を開港したことで攘夷派の公家などの反感を買い老中を罷免され、白河藩は棚倉へと移封され藩主不在のまま幕末を迎えることとなった。当代の会津藩主松平容保京都守護職となり、京都の治安維持を担った。そして禁門の変では、孝明天皇を奪取しようとした長州藩勢から御所を守り抜いた。

しかし、新たに政治を担いたいと幕府を廃しようと目論む薩長同盟薩摩藩長州藩)との衝突が、大政奉還後の鳥羽・伏見の戦いから生じ、朝廷側を血守したにも関わらず朝敵に落とされてしまい、相争うが徳川幕府側は幾度も敗北を重ねた結果、戦禍が東北にまで伸びてしまった。圧倒的な西洋戦法を有する薩長の軍勢に、会津藩士は元より、奥羽越列藩同盟磐城平藩中村藩などでも各藩の勢力や民衆は徹底して反撃を繰り返したが、降伏してしまった。

江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城二本松藩棚倉藩中村藩三春藩磐城平藩福島藩泉藩湯長谷藩下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に徳川幕府直轄地となった白河城仙台藩の支城谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。

明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。

1869年(明治2年)7月20日、福島藩が重原藩に移封され幕府領となっていた伊達郡信夫郡を管轄するために福島県(第1次)が設置され、安達郡二本松藩領37村、伊達郡の幕府領42村、盛岡藩領8村、棚倉藩領4村、館藩領2村、信夫郡の幕府領43村、重原藩領19村、足守藩領11村、新発田藩領8村、関宿藩領6村、二本松藩領4村、棚倉藩領2村、宇多郡の幕府領1村を管轄した。この第1次福島県は後述の二本松県に統合され、わずか2年で廃止されている。

1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、岩代国と磐城国からなる中通り地方が二本松県(二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま磐前県(いわさきけん)の3つの県として統合された。

1876年(明治9年)8月21日に、福島県(第1次)、若松県、磐前県が合併され、現在の福島県(第2次)が成立した。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの間に、あわただしく行われた(誤解されがちだが江戸時代には公式に「藩」という制度はなく、藩は版籍奉還によって明治2年に制定された制度である)。 尚、明治18年3月の県会において、県庁を県中央部の郡山市に移転する決議書が賛成37、反対16で可決され県令三島通庸より内務省に上申書が提出されたが翌年5月却下されている。

福島県成立後[編集]

人口[編集]

Demography07000.svg
福島県と全国の年齢別人口分布(2005年) 福島県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 福島県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
福島県(に相当する地域)の人口の推移
1970年 1,946,077人
1975年 1,970,616人
1980年 2,035,272人
1985年 2,080,304人
1990年 2,104,058人
1995年 2,133,592人
2000年 2,126,935人
2005年 2,091,319人
2010年 2,028,752人
総務省統計局 国勢調査より
福島県の市の人口、人口密度、可住地人口密度(2005年)
順位 人口 人口密度 可住地人口密度
1位 いわき市 354,492人 郡山市 447人/km² 福島市 1,079人/km²
2位 郡山市 338,834人 福島市 387人/km² いわき市 1,035人/km²
3位 福島市 297,357人 本宮市 356人/km² 郡山市 1,012人/km²
4位 会津若松市 131,389人 (会津若松市) 343人/km² (会津若松市) 887人/km²
5位 須賀川市 80,364人 須賀川市 288人/km² 伊達市 524人/km²

政治・行政[編集]

国政[編集]

衆議院小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。

県政[編集]

  • 知事:内堀雅雄(うちぼり まさお、1期目)
  • 前職の任期満了により、2014年(平成26年)10月26日投開票された。

歴代知事(公選後)[編集]

  1. 石原幹市郎(1947年4月12日 - 1949年11月30日)
  2. 大竹作摩(1950年1月28日 - 1957年7月25日)
  3. 佐藤善一郎(1957年8月25日 - 1964年3月23日)
  4. 木村守江(1964年5月16日 - 1976年8月11日 収賄容疑に問われ引責辞任)
  5. 松平勇雄(1976年9月19日 - 1988年9月18日)
  6. 佐藤栄佐久(1988年9月19日 - 2006年9月28日 親族による談合事件で引責辞任)
  7. 佐藤雄平(2006年11月12日 - 2014年11月11日)
  8. 内堀雅雄(2014年11月12日 - )

財政[編集]

平成19年度
  • 財政力指数 0.44
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中6位
平成18年度
  • 財政力指数 0.42
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)9自治体中5位
平成17年度
  • 財政力指数 0.39
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中3位
平成16年度
  • 財政力指数 0.38
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中2位

キャッチコピー[編集]

福島県は、1991年(平成3年)より県のイメージアップ事業で使用するため「うつくしま、ふくしま。」を使用している。これはコピーライターの眞木準の手により提示されたキャッチコピーである。眞木の説明によると、その由来は

古語の『うつくし』は日本の原風景を残した福島に似合っており、『しま』は県土の形がオーストラリア大陸に似ていることから考えた」[4]ものとされる。同年11月27日に福島県で採用が決定し、初年度だけでも2600万円をイメージアップ事業のために投入した。

キャッチコピーは当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあった[5]が、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)、2001年(平成13年)の3度の福島県デスティネーションキャンペーン (DC) のキャッチコピーにも用いられ、また、DC と同時期に開催された1995年(平成7年)のふくしま国体全国障害者スポーツ大会(うつくしまふくしま大会)や、2001年(平成13年)の「うつくしま未来博」などのイベント名との相乗効果により県内外から広く認知されるに至った。

県の観光事業に主に用いられてきたキャッチコピーであったが、うつくしま大橋うつくしま百名山に見られるように、福島県の美称として固有名詞に「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。

イメージキャラクター[編集]

元々は 1995年に開催された第50回ふくしま国体のマスコットであり、国体終了後に広告代理店より無償提供され、現在キビタンの版権は福島県のものになっている。

経済・産業[編集]

2008年(平成20年)度の県内総生産は7兆6669億円である[6]。世界の国の国内総生産 (GDP) と比較しても、世界70位以内にランクインしており、県単独で世界の過半数の国より大きな経済規模を有している。

第一次産業では水稲、福島市や伊達エリアのモモに代表される果物などの農産物、いわき市のカツオ、郡山市の養殖鯉(出荷量日本1位[1])などの水産物が主要産物である。

第二次産業では東京首都圏に隣接する至便性のため首都圏より県内に進出する企業も多く製造品出荷額では宮城県を抑え東北地方1位である。電子機器関連の工場の立地が多く、会津若松周辺では半導体、郡山周辺ではプリント基板関連、電子部品、福島市周辺では電子機器、いわき市周辺では電子機器、化学製品、自動車エンジン工場などの立地がある。最近では田村市において自動車電装部品関連企業の誘致にも成功している。(2008年(平成20年)現在)

第三次産業では県内における最大の都市圏は、中通り中部の郡山を中心とする郡山都市圏であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成し、郡山市は東北地方第2位の商業年間商品販売額を誇る。

中通り北部の一部や浜通り夜ノ森以北(旧相馬氏領)は、仙台への通勤・通学者が一定の割合で存在するほか、休日の買い物に高速バスや在来線などで仙台へ行く住民もいるため、仙台志向が見られる。(→東北地方の経済史南東北仙台経済圏仙台都市圏を参照のこと。)

逆に、南に進むにつれて関東志向が強くなっている。実際、中通りのほぼ全般や浜通り夜ノ森以南(旧岩城氏領)のいわき市は関東への通勤者が存在しており、また中通り南東部久慈川流域)は同じ久慈川流域の茨城県北西部大子常陸太田など)との交流が深い。その中でも、中通り南西部・中部が宇都宮志向で、中通り南東部と浜通り夜ノ森以南が水戸志向となっている。

これらとは対照的に、会津地方は観光中心経済だが、気候と水系が日本海側に属するため、交通面では新潟志向が見られ、観光面では日光塩原との交流もある。

関東広域圏のテレビ放送を直接受信できる地域があったり、首都圏三大都市圏を中心に展開している店鋪が東北では唯一本県に進出している例(アピタ(ユニー系列のショッピングセンター)、丸井2008年(平成20年)2月29日閉店)、デニーズなど)もあり、こういったことも本県の関東志向に影響していると考えられる。

第一次産業[編集]

農林水産省による統計では、2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額は福島県が2450億円となり、金額では全国7位である[7]。この内、米の948億円(全国5位)と野菜の546億円を含めた耕作物、つまり耕種の産出額は1931億円であり、肉用牛137億円や生乳97億円、豚100億円、鶏卵123億円を含む畜産は513億円となっており、これらが農業による主な産出額である。漁業に関しては2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額のうち、福島県は養殖での額が不明ながら海面漁業は160億円とされている[8]。また、2008年(平成20年)発表統計データによる青森県(2797億円)、岩手県(2541億円)に次いで東北第3位。県内では農業産出額が多い順に福島市(195億円、県内1位、東北12位)、郡山市(188億円、県内2位、東北14位)、伊達市(140億円、県内3位、東北20位)[9]

2008年発表統計データによる
県内上位20市町の農業産出額[9]
1 福島市 195億円
2 郡山市 188億円
3 伊達市 140億円
4 須賀川市 127億円
5 喜多方市 121億円
6 いわき市 112億円
7 田村市 104億円
8 会津若松市 104億円
9 南相馬市 100億円
10 相馬市 99億円
11 二本松市 95億円
12 白河市 91億円
13 会津美里町 62億円
14 矢吹町 50億円
15 会津坂下町 49億円
16 猪苗代町 37億円
17 飯舘村 37億円
18 平田村 36億円
19 浪江町 36億円
20 鏡石町 34億円

第二次産業[編集]

2008年(平成20年)発表統計データの製造品出荷額等によると、福島県は5兆5686億円となり東北1位。2位は宮城県(3兆5702億円)、3位は山形県(2兆8692億円)。県内では製造品出荷額等が多い順にいわき市(1兆0701億円、県内1位、東北1位)、郡山市(9667億円、県内2位、東北2位)、福島市(6608億円、県内3位、東北5位)は東北地方有数の工業都市。[9]

県内上位20市町の製造品出荷額[9]
(2008年発表。喜多方市以外[※ 1]
1 いわき市 1兆701億円
2 郡山市 9667億円
3 福島市 6608億円
4 会津若松市 2946億円
5 白河市 2743億円
6 伊達市 2544億円
7 本宮市 2269億円
8 須賀川市 1987億円
9 二本松市 1763億円
10 西郷村 1624億円
11 相馬市 1036億円
12 南相馬市 1014億円
13 棚倉町 958億円
14 喜多方市 (916億円)
15 泉崎村 794億円
16 田村市 766億円
17 矢吹町 587億円
18 玉川村 501億円
19 桑折町 476億円
20 三春町 455億円
21 鏡石町 452億円
伝統工芸
鉱業
  • 浜通り夜ノ森以南には、20世紀前半に常磐炭田と呼ばれる日本有数の炭鉱が存在した。
発電所

福島県は様々な形態の発電所が建設された電源地帯である。

  • 水力発電
    • 阿賀川源流域の一つである磐梯高原猪苗代湖の豊富な水とその落差を利用し、安積疏水日橋川では水力発電明治時代より行われ、この地域は日本の近代化に貢献してきた。
      • 猪苗代湖と安積疏水の落差を利用した沼上発電所は、日本で初めての高圧送電を利用した長距離送電が郡山市内まで行われ紡績・繊維産業の発展に貢献した。
      • 日橋川の総発電量は16万kw時に及び、その豊富な電力を利用したアルミ製品、金属工業などの近代工業の工場が古くから稼動している。
    • 1930年代に入り、只見川阿賀川は上流域から下流域までくまなくその水資源を有効活用した水力発電所が各所に設けられ日本を代表する電源地帯となった。

第三次産業[編集]

  • 2008年(平成20年)発表統計データによると、福島県の商業年間商品販売額は、4兆7,206億円となり宮城県(10兆2365億円)に次いで東北2位。県内では商業年間商品販売額が多い順に郡山市(1兆4,515億円、県内1位、東北2位)、福島市(9,150億円、県内2位、東北7位)、いわき市(8,153億円、県内3位、東北9位)[9]
2008年発表統計データによる
県内の上位20市町の商業年間商品販売額[9]
1 郡山市 1兆4515億円
2 福島市 9150億円
3 いわき市 8153億円
4 会津若松市 3432億円
5 須賀川市 1280億円
6 南相馬市 1239億円
7 白河市 1151億円
8 伊達市 792億円
9 本宮市 755億円
10 相馬市 749億円
11 二本松市 703億円
12 喜多方市 638億円
13 田村市 428億円
14 浪江町 311億円
15 西郷村 283億円
16 矢吹町 247億円
17 富岡町 243億円
18 南会津町 232億円
19 棚倉町 227億円
20 会津坂下町 224億円

主な大型商業施設[編集]

福島県の企業[編集]

福島市日東紡、福島キヤノン、NOKパナソニックなどの工場

福島県に本社のある主な企業[編集]

福島県に進出した主な企業[編集]

生活・交通[編集]

警察[編集]

交通[編集]

福島空港
白河市周辺。周囲は阿武隈川上流域にあたり国道4号東北自動車道東北本線東北新幹線が集中する。解説付き画像はこちら(2007年1月撮影)

空港[編集]

鉄道[編集]

新幹線
JR在来線
私鉄(民鉄)路線
第三セクター

バス路線[編集]

国鉄時代、福島県内が東京支社・水戸支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。

道路[編集]

高速道路
国道

県道[編集]

医療・福祉[編集]

災害拠点病院
保育所

教育[編集]

大学・短期大学
郡山市郊外を流れる阿武隈川畔に有る日大工学部キャンパス(左側)。日大東北高校も併設されている。

国立大学法人

県立

私立

高等専門学校
専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
学校教育以外の施設

マスメディア[編集]

新聞社[編集]

放送局[編集]

本社演奏所の立地として、福島市県庁所在地。政治的中心地)と、郡山市(商業的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、コミュニティFM以外の全放送局とも、放送対象地域は福島県(全域)となっている。

戦後の福島県域2大新聞社である福島民報毎日新聞系)と福島民友読売新聞系)の対立を反映した影響からか、県域対象の民放VHFテレビ局は全国の県で最後の開局、民放FM局も東北6県では最後の開局である。しかし、テレビ東京系列を除く民放テレビ局4局が出揃った時期は1983年(昭和58年)である[※ 2]。これは東北6県のなかでは宮城県に次いで2番目であり、比較的早い[※ 3]

その影響もあり、福島テレビ開局にあたっては県が主導的な役割を果たし、現在も株式の約半数を所有している。この比率はやはり県主導で開局した南隣りのとちぎテレビより高く、ネット上においては“福島県営テレビ”などと揶揄されることがある。

以下の通り、AMラジオ局はラジオ単営局であり、民放のラテ兼営局は存在しない[※ 4]

"テレビ局舎外観"
NHK福島放送局
(福島市) 
テレビユー福島 (TUF)
(福島市) 
福島テレビ (FTV)
(福島市) 
福島放送 (KFB)
(郡山市) 
福島中央テレビ (FCT)
(郡山市) 
福島都市圏に立地する放送局(全て福島市に所在)
郡山都市圏に立地する放送局
その他の都市に立地する放送局

相馬市の一部では放送対象地域外の宮城県の民間放送4局が[11]放送区域になっている。

福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより民放県域放送局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、山形県富山県山口県福岡県にも見られる。

地上デジタル放送のリモコンキーIDはTXN系と独立UHF局がない以外は関東広域圏と全て同じである(詳しくはリモコンキーIDの項を参照)。

文化・スポーツ[編集]

方言[編集]

食文化[編集]

郷土料理

会津の代表的な郷土料理としては、「こづゆ」「イカニンジン」「ニシンの山椒漬け」「鯉の旨煮」が挙げられる。

また、会津の山間部では蕎麦を工夫した料理がみられ、今でも味わうことができるものとして「はっとう(檜枝岐村)」「裁ち蕎麦(南会津)」「祝言蕎麦(猪苗代町)」などがある。

ご当地グルメ

伝統工芸[編集]

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

伝統芸能[編集]

農村歌舞伎
重要無形民俗文化財(指定年月日)
祭事

スポーツ[編集]

サッカー
バスケットボール
野球
アイスホッケー
駅伝大会

観光[編集]

国宝[編集]

建造物
彫刻
  • 勝常寺 - 木造薬師如来坐像及び両脇侍立像(3躯)
書跡典籍
  • 龍興寺 - 一字蓮台法華経 開結共(巻第六欠)9巻

重要伝統的建造物群保存地区[編集]

福島県を舞台とした作品[編集]

発表年順に記載

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

漫画・アニメ[編集]

福島県出身の人物[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 高郷村分データ不明により喜多方市が記載されていないため、福島県ホームページ (PDF) より概算値引用。
  2. ^ この年の12月4日にTUFが開局したことにより民放TVが4局出揃った。
  3. ^ 東北で3番目以降に民放TVが4局化された地域の出現は平成に入ってからとなり、1996年(平成8年)10月1日に岩手県が(岩手朝日テレビ開局により)、翌1997年(平成9年)4月1日に山形県が(さくらんぼテレビ開局により)民放TV4局化が実現した。
  4. ^ 当初は福島県民放第1号であるラジオ福島がラテ兼営局になることを目指して1957年(昭和32年)10月22日にTV予備免許と「JOWR-TV」というコールサインを取得したが、役員人選等の難航によりそれらは僅か半年で(翌1958年(昭和33年)4月1日をもって)失効。以後 RFC はAM単営局となって現在に至る。これにより福島県では1963年(昭和38年)4月1日に(民放TV第1局となる)FTV が開局するまでの間、民放TVが全く視聴不可の状態が他県より長く続いた。

出典[編集]

  1. ^ 福島県公式ホームページ 県名の由来
  2. ^ 福島県の農業用ダム
  3. ^ 工藤雅樹「福島のあけぼの」p.12(丸井佳寿子・工藤雅樹・伊藤喜良・吉村仁作『福島県の歴史』山川出版社 2003年2月)
  4. ^ 読売新聞』1991年11月28日 東京夕刊23面
  5. ^ 河北新報』1992年2月17日
  6. ^ 平成20(2008)年度 福島県県民経済計算の概要
  7. ^ 農林水産省大臣官房統計部 平成21年農林水産統計 全国農業地域別農業産出額”. 2011年11月28日閲覧。
  8. ^ 平成21年漁業生産額 (PDF) - 農林水産省
  9. ^ a b c d e f 総務省統計局 統計でみる市区町村のすがた 2008”. 2011年11月28日閲覧。
  10. ^ 勿来 - いわき間は福島県内、および、東北地方唯一の東京近郊区間である。
  11. ^ Dpa放送エリアのめやす(仙台局)
  12. ^ a b 堀田眞三 (2006年7月21日). “親父 - 撮影快調!”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. 2012年3月30日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
福島藩
岩代国内の幕府領
行政区の変遷
1869年 - 1871年
(第1次福島県)
次代:
二本松県
先代:
二本松藩
福島県(第1次)・白河県
磐前県若松県
行政区の変遷
1871年 -
(二本松県→第2次福島県)
次代:
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