栃木県

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とちぎけん
栃木県
20100727 Nikko Tosho-gu Yomeimon 5889.jpg
栃木県旗
栃木県旗
日本の旗 日本
地方 関東地方
団体コード 09000-0
ISO 3166-2:JP JP-9
面積 6,408.28km²
総人口 1,985,239
推計人口、2014年2月1日)
人口密度 310人/km²
隣接都道府県 埼玉県茨城県群馬県福島県
県の木 トチノキ
県の花 ヤシオツツジ
県の鳥 オオルリ
他のシンボル 県の獣:ニホンカモシカ
県民の歌:県民の歌
県民の日:6月15日
栃木県庁
知事 福田富一
所在地 320-8501
栃木県宇都宮市塙田1丁目1番20号
北緯36度33分55.6秒東経139度53分0.7秒
栃木県庁
外部リンク 栃木県公式ページ
栃木県の位置
栃木県庁の位置
栃木県庁
― 市 / ― 町
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栃木県(とちぎけん)は、日本都道府県の一つで、関東地方北部に位置する。県庁所在地宇都宮市。県内には日光国立公園が立地し、日光那須などの観光地・リゾート地を有する。

目次

概要[編集]

関東地方北部に位置し、境界部に海岸線を有しない内陸県である。県内の地域区分は概ね宇都宮市鹿沼市下野市真岡市さくら市日光市を中心とした県央、小山市栃木市佐野市足利市など国道50号沿線の県南、大田原市那須塩原市を中心とする県北に分類される。県名は、明治6年(1873年6月15日に宇都宮県と栃木県が併合した後も引き続き県庁が置かれた「栃木」に由来する(なお6月15日は、栃木県民の日となっている)。県庁はその後「宇都宮」に移されたが、県名はそのままとされた。

地勢は北西部から北部、東部にかけて足尾山地下野山地奥羽山脈八溝山地などの山岳地帯が連なり、これらの山岳地帯から流れ出る渡良瀬川鬼怒川那珂川等が形成する沖積平野洪積台地である関東平野那須野が原などが広がる。人口は県央の宇都宮市に県全体の4分の1に当たる50万人が集中し、小山市、足利市、栃木市、佐野市、那須塩原市、鹿沼市が10万人以上の都市となっている。

産業は農業、工業、商業、観光業が盛んである。農業は平野部が米や麦の産地、高原部が酪農地、畜産地となっているほか、いちごかんぴょうなどの特産物も栽培されている。工業は東北自動車道と国道50号を軸とする地域に北関東工業地域が広がっており、太平洋戦争で軍需産業が集積した宇都宮では機械工業や金属工業、食品・飲料工業が発達している。ほか、真岡市、上三川町芳賀町などでは自動車関連産業(日産自動車系、本田技研工業系)が、また県南では繊維工業が盛んとなっている。商業は県都宇都宮市における小売業が発達し、ほか工業地域では卸売業も盛んである。観光業は北西部の日光鬼怒川や北部の那須塩原で盛んで、鬼怒川温泉日光湯元温泉那須温泉郷塩原温泉郷などの温泉、東照宮輪王寺などの世界遺産中禅寺湖戦場ヶ原那須岳那須高原など豊かな自然を観光資源とし、浅草新宿などからの直通特急新幹線高速道路でのアクセスが容易な首都圏を代表するリゾート地となっている。これらの地域は日本初の国立公園である日光国立公園の指定地域内にあり、自然保護などの施策も執られている。

地理・地域[編集]

関東地方の北部に位置し、面積は6,408.28 km²で全国第20位(関東最大の県)、東西約84 km・南北約98 km。県庁所在地の宇都宮市は、東京から約100 km、JR東北新幹線で約50分強の位置にあり、中核市の指定を受けている。

地形的には東部の八溝山地、北部から西部にかけての那須連山・下野山地高原山・日光連山・帝釈山地)・足尾山地の山岳地帯と、県中央部の那珂川鬼怒川渡良瀬川の沿岸平野部の3地域に大別される。

東部の八溝山地は標高600 - 1,000 m阿武隈高地に続く比較的なだらかな山地が連なる。

北部から西部にかけての山岳地帯は日光国立公園尾瀬国立公園帝釈山田代山湿原周辺)に指定されており、日光鬼怒川川治塩原那須などの観光地がある。北部には奥羽山脈那須火山帯)に連なる那須連山・高原男体日光白根山などの諸火山がある。日光連山他の険しい山岳地帯は、標高2,000 m以上の山脈が関東の北限を形成し、瀑布や湖沼が点在している。また、諸河川の源にもなっており、鬼怒川は中央部を、渡良瀬川は群馬県との県境を流れ利根川に合流し、那珂川は八溝地域から東折し茨城県に入り、ともに太平洋に注いでいる。南部・東部は、そのほとんどが関東平野の一端で、首都圏の一角として市街化が進んでいる。

また、四方に海を有さない内陸県であり、なおかつ県域の南部は広大な関東平野を他県と共有しているため、県南部を中心に県境を超えて深い交流を持つ自治体も多く存在する。例としては小山市と茨城県結城市真岡市(旧二宮町域)と茨城県筑西市(旧下館市域)、足利市と群馬県太田市などである。この地域では、文化や地域生活において繋がりが深く、中学校や高等学校の越境通学も日常的に行われる。また、境界線が入り組んでいるため、個人の敷地内に県境が引かれている例も多い。(例:リビングが栃木県で台所が群馬県)このような特異な事例は全国的に見ても稀で、栃木県に特に多く、特有な事象となっている。

また、埼玉県との隣接に関しては、渡良瀬遊水地により飛び地状態になっている栃木市藤岡町下宮地区に接している。なお、この地区は栃木県、埼玉県、群馬県の3県境が交差する地点が畑の中に存在し、看板が設置されている。山間部や河川上で3県が交差する地点はあるが、平地にあるのは珍しい。

地形[編集]

関東平野。奥に男体山と日光連山。
手前鬼怒川。奥に羽黒山男体山

中南部地域は関東平野の中北部に立地し、南端部には渡良瀬川思川利根川、また田川鬼怒川のそれぞれ合流点があり、茨城県、群馬県、埼玉県と境界を接している。一方、県北西部地域は奥羽山脈の南端部に位置し、山岳地域となっており、北東部は低山地で那珂川が縦断して開析が進んだ八溝山地とともに茨城県境を形成しているが、北西部は関東地方屈指の山岳地帯であり、標高2,000メートル以上の山並みが続き群馬県および福島県との境界を形成している。特に日光連山は標高2,300メートル以上の峻険な独立峰を複数有し、空気の澄んだ日には関東南部からも遠望できる。この日光連山と八溝山地の北部接点付近に立地する那須岳は関東の最北端であり、福島県との境を成す。

平野
台地・丘陵
山地
高原・湿原

自然公園[編集]

気候[編集]

気候太平洋側気候を呈し、山間部では冬季の降雪、また平地部では同じく冬季の乾燥と夏季のを特徴とする。全県で夏季多雨多湿、冬季少雨乾燥を呈し、年間降水量は山間部で多く奥日光では2,000mmを超すが、平地部では少なく県南部では1,200mm程度である。

  • 栃木県は地理的に日本太平洋側に位置し、その気候は全県下で太平洋側気候の特徴を呈する。県内各地の気象庁気象統計を見ると、県内全域が内陸部に位置することから内陸性気候(日較差大、年較差大)、また山岳部については山岳気候(冷涼)、より日本海に近い山間部では日本海側気候(冬に積雪)の特性を呈する地区もあるが、何れの地域も日本の太平洋側地域の共通の特徴である、夏多雨多湿、冬少雨乾燥(太平洋側気候)の特性が強く、周囲の山岳によって年間通して降水量が少なく低湿である中央高地式気候の特性は見られない。
  • 栃木県の冬は、冬型の気圧配置が強まると「二荒おろし」や「男体おろし」や北東部では「那須おろし」などと呼ばれる非常に冷たく乾燥した強風、からっ風が吹き少雨低湿となる。このため冬は晴天となる日が多く、年間のうち日照時間が最も長い季節となっている。冬の晴天日には放射冷却の影響を強く受け、日の出前後に氷点下となり、温暖な県中南部の平地でも-5度を下回ることもある。一方、日中は晴れれば5 - 10度まで、暖かい日は平野部では15度程度まで上がることもあるなど、日較差が非常に大きい。
  • 夏は、太平洋高気圧が吹き出す高温多湿な南風の影響を強く受け、全県下で高温多湿となる。この南風が山地部で積乱雲雷雲)を発生させるため栃木県はが多い地域となっており、宇都宮では平均年間雷日数24.0日のうち夏季(5、6、7、8、9月)の雷日数が20日を越え、関東地方内では突出して多く[1]雷都と呼ばれる所以となっている。
  • 以下の表は栃木県下の気象庁観測点の統計値である。これによると、県内全体が共通して夏季多雨、冬季少雨となっており、ケッペンの気候区分の基準に外挿すると、土呂部と奥日光が亜寒帯冬季少雨気候、五十里と那須が西岸海洋性気候、黒磯、大田原、今市(日光)、塩谷、鹿沼が温帯夏雨気候、ほかは温暖湿潤気候に類される。
栃木県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
北西部山岳部 北部 中部 東部 南部
土呂部 奥日光 五十里 那須 黒磯 大田原 今市
(日光)
塩谷 鹿沼 宇都宮 真岡 烏山 小山 佐野
平均
気温
()
最暖月 19.8
(8月)
18.5
(8月)
21.7
(8月)
20.8
(8月)
23.2
(8月)
24.0
(8月)
22.9
(8月)
23.9
(8月)
24.2
(8月)
25.3
(8月)
24.9
(8月)
24.3
(8月)
25.5
(8月)
25.4
(8月)
最寒月 -4.1
(1月)
-4.2
(2月)
-1.9
(1月)
-1.8
(2月)
0.6
(1月)
1.5
(1月)
0.4
(1月)
0.8
(1月)
1.2
(1月)
2.1
(1月)
1.3
(1月)
1.7
(1月)
2.4
(1月)
2.7
(1月)
降水量
(mm)
最多月 272.4
(8月)
393.9
(8月)
258.9
(9月)
324.5
(8月)
244.5
(8月)
239.5
(8月)
305.3
(8月)
274.0
(8月)
242.6
(9月)
234.5
(9月)
202.8
(9月)
215.0
(9月)
190.6
(9月)
189.6
(9月)
最少月 45.0
(12月)
36.0
(12月)
39.9
(12月)
41.0
(12月)
24.0
(12月)
22.6
(12月)
24.5
(12月)
22.2
(12月)
22.5
(12月)
25.5
(12月)
25.5
(12月)
25.4
(12月)
22.9
(12月)
19.1
(12月)

各地域別の特徴[編集]

  • 北西部山岳部・奥日光 ・・・亜寒帯冬季少雨気候に属し、夏季は冷涼、冬季は寒さが厳しい。標高1000mを超える地域では厳冬期には零下20度以下まで下がることもあり、特に標高1400mを超える戦場ヶ原では零下30度前後を記録したこともある関東地方の寒極であり[2]、北海道内陸並みの気候である。標高1291mに測候所が置かれている中禅寺湖畔は湖効果により、朝晩の冷え込みは幾分和らぐが、日中はほとんどが氷点下の真冬日となる。奥日光は年間降水量が2000mmと多く、大半が夏季である。
  • 北部平野部・那須高原 ・・・那須高原などの北部山地部は西岸海洋性気候に属し、冬季は曇りや雪の日も多いため、特に那須アメダスのような傾斜部では放射冷却は幾分緩和され、標高の割には比較的冷え込みが緩い日も多い。しかし、日較差は小さく、日中の気温は低いために真冬日になることも多い。夏季は冷涼で避暑地となる。一方、北部平野部では冷気もたまりやすく、冷える時は零下10度を下回る寒さとなる。黒磯や大田原では21世紀に入っても零下10度以下まで下がることがある。しかしながら、季節風の影響で曇りの日も多いため、東部のような冷え込みは長くは続かないことも多い。夏季は平野部でも冷涼で熱帯夜になることはほとんど無く、過ごしやすい。
  • 県東地域・芳賀郡那須郡南部 ・・・真岡市那須烏山市など鬼怒川以東に属する茨城県県境に近い地域が該当する。県内平野部としては、最も冬の冷え込みが厳しい地域で、1月の平均最低気温は真岡で零下5℃に達する。那須烏山でも観測が開始された2010年から3年連続で1月の平均最低気温が零下6℃以下となっており、季節風が弱く、放射冷却が起こりやすいことから関東平野部では最も冷え込む場所である。ほぼ毎年極値は零下10度以下を記録する。一方夏季も日中は気温が上がるものの朝晩は涼しく、比較的過ごしやすい。
  • 県央地域 ・・・宇都宮市など県内の中央平野部が該当する。宇都宮ではヒートアイランド現象の影響が顕著であり、年間を通して最低気温が急上昇しており、特に1月の平均最低気温は零下2.7℃と県内で最も高く、1961~1990年旧旧平年値の零下4.5度から大幅に上昇した。8月の平均最低気温も22.7度と県内では最も高く、熱帯夜の数も最も多い。しかし、それ以外の地域では、東部ほどではないが冷え込みが厳しく、1月の平均最低気温は塩谷で零下4.6℃、今市で零下4.2℃、鹿沼では零下3.9℃などとなっており、宇都宮を除き、21世紀に入っても零下10度前後まで下がっている。夏季は日中は真夏日も多く暑くなるものの、朝晩は涼しいことが多い。

地域圏[編集]

以下の10の広域市町村圏がある(県央・県北・県南3地域区分参考資料)。

県央
県北
県南

以下の14市5郡12町がある。町はすべて「まち」と読む。県内に村は無い。ただし、合併前は“村”がありその時はすべて「むら」と読んでいた。

都市圏[編集]

都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷

1980年 1990年 1995年 2000年
宇都宮 都市圏
54 7545人
宇都宮 都市圏
80 0459人
宇都宮 都市圏
85 9178人
宇都宮 都市圏
88 8005人
鹿沼 都市圏
9 5999人
今市 都市圏
5 0423人
日光 都市圏
2 3885人
小山 都市圏
19 0194人
小山 都市圏
20 9818人
小山 都市圏
23 9249人
小山 都市圏
24 5698人
足利 都市圏
16 5753人
足利 都市圏
16 7615人
足利 都市圏
16 5588人
足利 都市圏
16 3066人
佐野 都市圏
14 2411人
佐野 都市圏
14 7663人
佐野 都市圏
14 7842人
佐野 都市圏
14 5194人
栃木 都市圏
12 9963人
栃木 都市圏
13 4946人
栃木 都市圏
13 4676人
栃木 都市圏
13 3058人
大田原 都市圏
10 0083人
大田原 都市圏
11 1945人
大田原 都市圏
11 6708人
大田原 都市圏
12 2127人
真岡 都市圏
9 2065人
真岡 都市圏
10 3541人
真岡 都市圏
10 5897人
真岡 都市圏
10 7175人
黒磯 都市圏
7 3363人
黒磯 都市圏
7 9014人
黒磯 都市圏
8 3023人
黒磯 都市圏
8 5713人
矢板 都市圏
3 5585人
矢板 都市圏
3 6650人
矢板 都市圏
3 6444人
  • 他の都市雇用圏に包含された都市雇用圏は灰色、都市雇用圏が成立していない場合は灰色かつ「-」で示す。
  • 交通の変遷
    • 1982年(昭和57年) - 東北新幹線 大宮 - 盛岡駅間開業。
    • 1985年(昭和60年) - 東北新幹線 大宮 - 上野駅間開業。
    • 1991年(平成3年) - 東北新幹線 上野 - 東京駅間開業。
  • 東北新幹線那須塩原駅は、大田原と黒磯との中間に位置する。
  • 東京都市圏に含まれる栃木県内の自治体:野木町
  • 栃木県内の都市圏に含まれる他県の自治体:茨城県結城市小山都市圏

その他の地域区分例[編集]

  • 県北、県南の2大区分-参議院選などの地区割り
  • 県北、県央、県南の3大区分
  • 県北、県東、県西、県央、県南の5大区分
  • 塩那地区、安足地区、宇河地区などの分類(主に音楽、スポーツ競技など学校関連イベントの地区割りに用いられる)
  • 那須ナンバー(ご当地ナンバー)、宇都宮ナンバー、とちぎナンバー

平成の大合併[編集]

1965年~2005年

歴史[編集]

歴史的には古墳時代毛野川(けぬのかわ)(現在の鬼怒川)流域一帯には「毛野国」が成立し、これを上下に分かって「下毛野国(しもつけぬのくに)」「下野国(しもつけのくに)」が成立し、唐名では「野州(やしゅう)」と称する。現在でも「下野(しもつけ)」の呼称が広く使われている。

先史時代[編集]

  • 1965年(昭和40年)から五次にわたって調査された星野遺跡芹沢長介によって約3万年以上前の前期旧石器時代原人段階の遺跡であると主張された。旧石器時代の遺跡であることは認められたが、原人段階まで溯るかどうかについては長い論争があり、決着をみていない[3]
日本最古と推定される黒曜石採掘坑遺跡がある高原山
  • 県北部にある活火山高原山を構成する一峰である剣ヶ峰が原産の黒曜石を使用した石器矢板市より200km以上離れた静岡県三島市長野県信濃町の遺跡で発見され研究が進められている。産出時期は古いものでは石器の特長より今から約3万5千年前の後期旧石器時代と考えられており、その採掘坑遺跡(高原山黒曜石原産地遺跡群)は日本最古のものと推定されている。氷河期の寒冷な時期に人が近付き難い当時の関東北部の森林限界を400mも超える標高1,500m近い高地[4]で採掘されたことや、従来の石器時代の概念を覆すような活動・交易範囲の広さ、遺跡発掘により効率的な作業を行っていたこと等が分かってきて注目が集まっている。またこの新しい発見により日本人の起源、人類の進化をたどる手掛かりになると言う研究者の発言も報道もされている[5][6][7]。最新の研究では南関東を中心に高原山産の黒曜石製石器が広範囲に流通していたことが分かってきている。
    • 矢板市教育委員会は平成20年度調査で、1万2千年~1万5千年前に製作されたと推定できる国内最大級の尖頭器とその採掘坑跡を発見したと発表した。また同時に平成19年度の調査で発掘した黒曜石採掘坑跡は1万9千年前のものと推定していたが、放射性炭素年代測定により8千5百年~9千年前の縄文時代早期のものと修正を行った。[8][9][10]
    • 高原山黒曜石原産地遺跡群発見・発掘がもたらすもの
  • 約2万年前の後期旧石器時代のものと思われる磯山遺跡が発見されている。この遺跡は真岡市の南東約3キロの所にある磯山と呼ばれる小さな独立丘陵の南西麓に立地している。1962年(昭和37年)~翌年に掛けてと1968年(昭和43年)の二度にわたり発掘調査されている。デイサイト製の石核剥片とともにナイフ形石器などが発見されている[11]
  • 古墳時代 - 古代、毛野川(けぬのかわ=現在の鬼怒川、鬼怒川は当時下野国 - 下総国と流れ現在の土浦市南方で香取海銚子で太平洋に繋がる内海)に注ぐ大河であったが、江戸時代利根川東遷事業より後は利根川に注ぐ川へと変更された)流域一帯には毛野国が成立しており、ヤマト王権において毛野国は筑紫出雲吉備などと並び強大な発言力を有していたと言われる[12]
  • 県内各地には縄文時代からの考古遺跡が多数認められており、古代には毛人が住む地域であったと解されるのが一般的であるが、その後、第10代天皇で真の意味でのヤマト王権の初代開祖とも言われる崇神天皇の第一皇子、豊城入彦命が父の命でこの地に入って毛野国を建国し、その後毛野国の有力豪族となった毛野氏の祖となり、ヤマト王権において有力豪族の一角をなした[12]。毛野国は奈良時代には上毛野(上野)国下毛野(下野)国に分国されたと言われるが、毛野川は上野国を流れておらず、上野国を流れるのは利根川(古来は東京湾に注いでいたが利根川東遷事業の後は銚子で太平洋に注ぐ川へと変更された)であることに鑑みると、この説も定かではない。
那須地方で盛んに作られた前方後方墳の一例。「日本で一番美しい古墳」[13] と言われている下侍塚古墳

古代[編集]

  • 下毛野国と那須国は7世紀後半に統一されて下野国となり、現在の栃木県の県域が形作られた。
    • 「国府は都賀郡にあり」(『和名類聚抄』)とあり、発掘の結果、国府の政庁は宮目神社(栃木市田村町)周辺で発見され、約90メートル四方の範囲を塀によって区画され、南門を入ると正面に前殿が、その両脇に東・西脇殿が確認された。政庁は8世紀前半から10世紀前葉まで4回建て替えられ存続した。
    • 下野国は9郡(70郷)で足利郡(6郷)、安蘇郡(4郷)、梁田郡(3郷)、都賀郡(11郷)、河内郡(11郷)、芳賀郡(14郷)、那須郡(12郷)、寒川郡(3郷)、塩谷郡(6郷)に分かれていた。
    • 郡の役所である郡衙は、那須郡(小川町那須官衙跡)・芳賀郡(真岡市堂法田遺跡)・河内郡(上三川町多功遺跡)・寒川郡(小山市千駄塚浅間遺跡)・足利郡(足利市国府遺跡)の5遺跡発見されている。内容が判明している那須郡衙跡は、那珂川と箒川の合流地点に近い小川町梅曽に位置する。郡衙の範囲は南北に200メートル、東西400メートルで、その中を溝で西・中央・東の3ブロックに分けている。西ブロックは幅4メートル、深さ1メートルの大溝によって囲われた1辺約200メートルの不正方形で、倉庫と考えられる総柱式の掘立建物が多数見つかっている。中央・東ブロックは宅地になっている。中央ブロックからは礎石立ちの倉庫と考えられる建物2棟発見されている。[14]
  • 先述のとおり、宇都宮二荒山神社は宇都宮大明神と呼ばれ、古来からその武徳が尊ばれてきた。藤原北家魚名流藤原秀郷(俵藤太、田原藤太)卿は、平将門の乱の折、その追討を命じられたが苦戦、当神社に参じて授かった霊剣をもって将門を制したと言われる。また藤原北家長家流那須与一宗高治承・寿永の乱(源平合戦)における屋島の戦いで「南無八幡大菩薩、日光権現、宇都宮、那須湯前大明神」と唱え、見事平家船上の扇の的を射落としたと言われる[15]。また、伝説として元寇の際には社殿から鏑矢が西へ飛び去ったという言い伝えがある。この他、源頼義義家(八幡太郎)父子は前九年の役の前に参拝し、奥州安倍氏を掃討したといい[16]、また源頼朝奥州藤原氏平定に際して参拝した[17]徳川家康は当神社に神領1,500石という広大な土地寄進を行ったとされる[18]
大谷川にかかる神橋
  • 日光開山の祖と知られる勝道上人は、下野薬師寺で5年間修行した後に男体山を目指し、766年に四本龍寺を建立したと言われる。782年には3度目の試みで山頂に達し、その後神宮寺(現在の中禅寺)を建立し、日光1200年の原点を築いた。一説に「日光」という地名は空海が二荒(ふたら=補陀落:ポタラカ)を音読した「にこう」に佳字を当てたのが起源といわれるが、当時の記紀類は全て「二荒」で記録上の「日光」の初見は鎌倉時代後期であり、この時期と下野国内に千手観音や日光菩薩像が多く造立された時期が一致している(大谷磨崖仏佐貫石仏)。

中世[編集]

  • 結城氏は小山氏の庶流であり、主家・小山氏が鎌倉府によって討伐されると小山氏を継いだ。小山氏・結城氏は室町時代には室町幕府に抵抗して鎌倉を追われた古河公方に組して下野守護に再任された。結城政朝は非凡な将かつ野心家で宇都宮成綱の姉を妻として迎え、成綱と強固な同盟関係を築いた。成綱の古河公方擁立の際には政朝も加担している。成綱が没すると宇都宮氏との関係が悪化し、宇都宮領を侵攻し旧領を取り戻した。小山氏の後継者争いに介入し、子の小山高朝を送り込むことに成功している。結城政勝は結城氏の版図を最大まで拡大しており、「結城氏新法度」を制定している。結城晴朝足利氏の力が弱まると関東に台頭してきた後北条氏方に就くが、主家・小山氏は後北条氏に追討されてしまう。豊臣秀吉によって後北条氏が討たれると結城氏が旧小山氏領を支配したが、江戸時代になると間もなく福井へ転封され、氏姓も松平氏に改めてこの地を去った。
  • 代々宇都宮氏の重臣を務め、また宇都宮氏と姻戚関係にもあった清両党益子氏および芳賀氏は宇都宮宗家がこの地を去った後もこの地に留まり、宇都宮氏が築いた文化を伝承したと言われる。なお、益子西明寺には宇都宮氏墓所があり、現在も守られている。また宇都宮貞綱が亡母の供養に鋳造した鉄製塔婆を保存する清巌寺清原氏(清党)芳賀氏が建立したものである。
  • 藤原足利氏藤原秀郷の後裔と言われ、足利荘に本拠を置き、同族の小山氏と争った。小山氏とともに「一国之両虎」と称された。足利忠綱は『吾妻鏡』に「末代無双の勇士」と記されるほどの武将であり、以仁王の挙兵で大功を挙げたが、勧賞撤回騒動がきっかけで家中が分裂。その隙を突かれ、源頼朝に滅ぼされた。

近世[編集]

日光東照宮陽明門

近世には豊臣政権による仕置が行われ、壬生氏、小山氏ら中世以来の氏族は領地を没収されるが、宇都宮氏や大関・大田原両氏の那須衆は豊臣政権に臣従し旧領を安堵されたほか、鎌倉公方の名跡を継ぐ喜連川氏や成田氏などが領地を得た。天正18年(1590年)には徳川家康が関東に移封され、下野は豊臣系大名と徳川領国の接点に位置する。なお、豊臣政権下での1597年(慶長2年)には宇都宮氏が改易されている。

豊臣秀吉没後の豊臣政権では五大老の家康と五大老の上杉景勝、五奉行の石田三成が対立し、慶長5年5月に家康は景勝討伐のため会津出兵を行う。三成は家康の出兵中に上方において挙兵し、家康は小山において上片へ引き返し、関ヶ原の戦いにおいて三成方を撃破する。家康が江戸徳川幕府を開くと、中世以来の有力豪族は相次いで下野から姿を消し、県域は幕府直轄領旗本領に細分化され、徳川家の譜代大名旗本が支配するようになった。

江戸時代の幕藩体制においては宇都宮藩壬生藩烏山藩黒羽藩大田原藩佐野藩足利藩吹上藩高徳藩喜連川藩の諸藩が成立し、福原家の佐久山陣屋、芦野家の芦野陣屋、那須家の福原陣屋、大田原家の森田陣屋など交代寄合の陣屋による領内統治が行われた。

下野国は江戸から奥州へ向かう結節点に位置し、金星には日光道中奥州街道、壬生通りなど街道や脇往還、が整備され、小山宿や今市宿などの宿駅も整備された。また、利根川水系の渡良瀬川や思川、鬼怒川などの河川交通網も整備され、河岸が設置され舟運が行われた。

日光(日光市)は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする華麗な建物が作られ、特別に保護・崇敬された。

近世期には日光山麓をはじめ各地で新田開発・用水開削が進むが、それに伴い秣場を巡る争論や水論も発生した。

江戸時代後期に入ると、今の栃木県域は、地域社会の著しい疲弊・荒廃と、急激な人口減少に見舞われることになる。人口推計[20]によれば、江戸中期の享保6年(1721年)から、江戸後期の天保5年(1834年)までの約1世紀の間に、下野国の総人口は、約56万人から、61.1%の約32万人[21]まで減少し、1世紀で約4割の人口減少という、事実上の人口崩壊状態となっている。同時期、日本の総人口は、度重なる飢饉にも関わらず、約10%の伸び(110.3%)[22]を見せており、とりわけ飢饉が深刻であったとされる、東北太平洋側の陸奥国でも、1.5割弱の人口減少(86.1%)に抑えている[23]ことから考えても、江戸後期における、下野国の際立った荒廃ぶりが伺える[24]

このような状態の中で、二宮尊徳は農村のたて直しを図るため、桜町(現在の真岡市二宮町)の旗本領の復興につとめ、以後各地で報徳仕法と呼ばれる改革事業を実施した。

近・現代[編集]

栃木県庁 旧本庁舎(宇都宮市)
  • 1873年(明治6年)6月15日に宇都宮県と栃木県が合併して今日の栃木県が成立、県庁が栃木町に置かれた。3年後の1876年(明治9年)には上野国内3郡が熊谷県の北半部(上野国内)と合併して群馬県の一部となり、ほぼ現在と同じ県域となった。1884年(明治17年)、栃木県という呼称のまま、県庁が宇都宮町に移された。

表記[編集]

明治時代には「栃木」の表記に揺れがあった。「栃」は中国クヌギ(櫟)を意味する漢字」(lì)を簡略化したと考えられ、「櫔木」の表記もあった。また、1871年年の廃藩置県の後は「橡木」の表記が使われる例[25]もあったが、「杤木」の表記が主であった[26][27]。旁の「万」は、下側を「力」とつくる例[28]もあった。1881年(明治14年)ごろより、「栃木」の表記が見られるが、旁は「櫔」に従って「厂」の中に「万」が主である[29]。「厂」の中の「万」の部分は下側を「力」とつくる例[30]や「丂」とつくる例[31]もあった。「厂」の1画目を右から書く字形が生まれたのは昭和中期以降である。なお、中国語の文書で「櫪」や「枥」を使う例もみられるが、主に飼い葉桶を意味する字であり、誤りである。

人口[編集]

栃木県の都市は、主に北部山岳地域から流れ出る鬼怒川、那珂川、渡良瀬川等の諸河川が太平洋に向かう流路帯の沖積平野河岸段丘部に発達している。県域のほぼ中央に位置する県都宇都宮市は、北西部の山地部と中南部の平野部から成り、市街地はこの山地部と平野部の境界部に形成されている。 このほか、渡良瀬川田川那珂川思川などの河川中流域には、それぞれ足利市下野市真岡市那須烏山市鹿沼市栃木市小山市といった中規模都市が発達している。

Demography09000.svg
栃木県と全国の年齢別人口分布(2005年) 栃木県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 栃木県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
栃木県(に該当する地域)の人口の推移
1970年 1,580,021人
1975年 1,698,003人
1980年 1,792,201人
1985年 1,866,066人
1990年 1,935,168人
1995年 1,984,390人
2000年 2,004,817人
2005年 2,016,631人
2010年 2,007,014人
総務省統計局 国勢調査より
栃木県の市の人口、人口密度、可住地人口密度 (2005年)
順位 人口 人口密度 可住地人口密度
1位 宇都宮市 502396人 (宇都宮市) 1,205人/km² 足利市 1,633人/km²
2位 小山市 160150人 小山市 933人/km² (宇都宮市) 1,513人/km²
3位 足利市 159756人 足利市 898人/km² 栃木市 1,060人/km²
4位 佐野市 123926人 下野市 792人/km² 小山市 969人/km²
5位 那須塩原市 115032人 栃木市 674人/km² 佐野市 898人/km²
6位 鹿沼市 104148人 真岡市 539人/km² (下野市) 827人/km²
7位 日光市 94291人 佐野市 348人/km² (鹿沼市) 701人/km²
  • 宇都宮市は、宇都宮市、河内町、上河内町の合計。
  • 鹿沼市は、鹿沼市、粟野町の合計。
  • 日光市は、今市市、日光市、足尾町、藤原町、栗山村の合計。
  • 下野市は、石橋町、国分寺町、南河内町の合計。

政治・行政[編集]

国政[編集]

衆議院小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。

県政[編集]

歴代公選知事[編集]

  • 小平重吉(2期、1947年4月12日 - 1955年2月4日)
  • 小川喜一(1期、1955年2月5日 - 1959年2月4日)
  • 横川信夫(4期、1959年2月5日 - 1974年12月7日)
  • 船田譲(3期、1974年12月8日 - 1984年12月7日)
  • 渡辺文雄(4期、1984年12月9日 - 2000年12月8日)
  • 福田昭夫(1期、2000年12月9日 - 2004年12月8日)
  • 福田富一(3期、2004年12月9日 - 現職)

財政[編集]

平成19年度[編集]

  • 財政力指数 0.63
    • Iグループ(財政力指数0.5以上)17自治体中7位

平成18年度[編集]

  • 財政力指数 0.58
    • Iグループ(財政力指数0.5以上)16自治体中8位

平成17年度[編集]

  • 財政力指数 0.53
    • Iグループ(財政力指数0.5以上)10自治体中9位

平成16年度[編集]

  • 財政力指数 0.49
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中1位

国際友好提携・交流関係[編集]

経済・産業[編集]

2008年(平成20年)度の県民総生産は7兆9901億円である[32]。国のGDPと比較しても、過半数の国よりも大きな規模を有している。主要産業は、県都宇都宮市のほか上三川町小山市大田原市真岡市栃木市足利市鹿沼市矢板市などに代表される内陸型近代工業で、これらは北関東工業地域の一部を形成している。ほか、農業も盛んであり、県北から流出する河川の豊かな水を利用した産業地帯で、米作が盛んなほか飲料工業も発達している。那須塩原市や大田原市、宇都宮市は国内有数の米産地となっているほか、那須塩原市では酪農も盛んであり、国内生乳生産量は北海道に次いで高い。ほか、真岡市や鹿沼市などを中心にいちごの栽培が盛んであり、壬生町や鹿沼市のかんぴょうとともに県の特産品となっている。商業は宇都宮市で盛んで、県内年間商品販売額の約半分が宇都宮市で占められており、県内第一の商業都市となっている。観光産業も盛んで、日光市や那須塩原市、足利市の歴史・自然遺産(日光の社寺足尾銅山跡、足利学校跡、中禅寺湖華厳滝鬼怒川温泉那須岳那須高原塩原温泉など)、宇都宮市の餃子カクテルジャズ茂木町ツインリンクもてぎ、栃木市の蔵の街なども観光資源となっている。 県庁所在地の宇都宮市は全国屈指の米産地であるほか、県の年間製品販売額の約半分を占め、工業生産額も県内市町村最大となっており、県内最大の農商工業都市となっている。

第一次産業[編集]

農林業[編集]

ちなみに、かんぴょうは栃木県が99%を生産し、残りは茨城県が生産している。

水産業[編集]

農業産出額[編集]

2008年発表統計データによる
県内上位20市町の農業産出額(出典
1 那須塩原市 277億円
2 大田原市 268億円
3 宇都宮市 208億円
4 那須町 144億円
5 小山市 142億円
6 鹿沼市 132億円
7 日光市 130億円
8 那須烏山市 116億円
9 さくら市 116億円
10 二宮町 113億円
11 真岡市 112億円
12 芳賀町 86億円
13 下野市 86億円
14 高根沢町 71億円
15 佐野市 68億円
16 栃木市 62億円
17 足利市 60億円
18 上三川町 57億円
19 壬生町 56億円
20 市貝町 56億円

第二次産業[編集]

工業[編集]

鉱業[編集]

製造品出荷額等[編集]

2010年発表統計データによる県内上位20市町の
2008年度の製造品出荷額(出典)、主な進出企業
1 宇都宮市 1兆6949億円 松下電器産業キヤノン富士重工業住友ベークライト中外製薬久光製薬日本たばこ産業デュポンカルソニック・ハリソンマニー株式会社
2 上三川町 9295億円 日産自動車
3 小山市 7796億円 コマツ富士通
4 大田原市 7599億円 東芝富士通ニコン
5 真岡市 6657億円 本田技研工業神戸製鋼所パナソニック電工住宅設備
6 大平町 4190億円 日立アプライアンスいすゞ
7 足利市 4180億円 タツミ
8 鹿沼市 4126億円 関西ペイント東芝ライテックJSPナカニシ
9 矢板市 4061億円 シャープ
10 那須塩原市 3879億円 ブリヂストン
11 佐野市 3857億円
12 日光市 3502億円
13 栃木市 2583億円
14 下野市 2079億円
15 さくら市 2001億円
16 芳賀町 1833億円 本田技術研究所
17 野木町 1134億円
18 壬生町 996億円
19 市貝町 847億円
20 高根沢町 687億円

第三次産業[編集]

商業[編集]

観光[編集]

商業年間商品販売額[編集]

2010年発表統計データによる
県内の上位20市町の2006年度の商業年間商品販売額出典
1 宇都宮市 2兆8359億円
2 小山市 5296億円
3 足利市 3452億円
4 佐野市 2836億円
5 那須塩原市 2093億円
6 鹿沼市 2042億円
7 栃木市 1817億円
8 真岡市 1360億円
9 大田原市 1293億円
10 日光市 1206億円
11 下野市 814億円
12 壬生町 676億円
13 上三川町 671億円
14 さくら市 638億円
15 矢板市 487億円
16 大平町 451億円
17 芳賀町 436億円
18 高根沢町 313億円
19 岩舟町 304億円
20 那須町 288億円

主な大型商業施設[編集]

栃木県の企業[編集]

栃木県に本社のある主な企業[編集]

栃木県に進出した主な企業[編集]

生活・交通[編集]

警察[編集]

交通[編集]

各種交通機関が集中通過する矢板市郊外の塩那丘陵東北自動車道東北新幹線宇都宮線国道4号が狭い範囲に集中する
五十里湖(海尻付近)空撮画像
中央部は湯西川に掛かる野岩鉄道会津鬼怒川線鉄橋と国道121号

県内のほぼ中心を南北に東京東北地方を結ぶJR東北新幹線、JR宇都宮線東北本線)、東北自動車道国道4号が南北に走る。 また宇都宮を中心にして放射線状に県内各地へと路線が伸びている。宇都宮を基準にして各方向への主要路線は次の通り。

このほかに東西を結ぶ路線は、県南部では茨城県群馬県両県間を結ぶ北関東自動車道やJR両毛線、JR水戸線国道50号など。県北部では、国道400号などがある。 南北方向には、県東部では国道294号など。県西部には東京から直通する鉄道路線の東武日光線東武鬼怒川線野岩鉄道会津鬼怒川線が走る。

栃木県内に空港は存在しない。最寄りの空港は成田国際空港(千葉県成田市)・東京国際空港(東京都)など。

高速国道[編集]

一般国道[編集]

主要県道・一般県道[編集]

鉄道路線[編集]

主な路線バス[編集]

医療・福祉[編集]

災害拠点病院
保育所

教育[編集]

大学・短期大学

国立大学法人

私立

高等専門学校
専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園

マスメディア[編集]

新聞[編集]

テレビ局[編集]

放送区域は関東広域圏に属する。栃木県域放送とちぎテレビNHK宇都宮放送局のほかに、NHK放送センター教育テレビ)と在京キー局5局(日本テレビテレビ朝日TBSテレビ東京フジテレビ)が県内全域で映る。また、とちぎテレビのみならずNHK・キー局ともに県内各地に中継局を置いている。関東広域圏の中で在京キー局5局の中継局の数は栃木県が最も多くなっている(今後の開局予定分を含めて47か所設置。ほかの関東広域圏の都県は20~30か所程度設置)。

ラジオ局[編集]

※在京AM3局(TBSラジオ文化放送ニッポン放送)もほぼ全域で昼夜通して良好に受信可能。

1994年(平成6年)、栃木市の栃木コミュニティ放送に免許が交付されたことがあるが(JOZZ3AA-FM:FM蔵の街)、免許を取り下げたため、現在までに開局したコミュニティ放送局はない。

文化・スポーツ[編集]

方言[編集]

食文化[編集]

しもつかれ
郷土料理
食品・加工食品・料理

伝統工芸[編集]

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

伝統芸能[編集]

民謡

スポーツ[編集]

ゆるきゃら・ご当地キャラ[編集]

ゆるきゃらご当地キャラ

観光[編集]

華厳の滝

世界遺産[編集]

国宝(建造物)[編集]

  • 日光東照宮(日光市) - 本殿・石の間及び拝殿、正面及び背面唐門、東西透塀、陽明門、東西回廊
  • 輪王寺(日光市) - 大猷院霊廟本殿・相の間及び拝殿
  • 鑁阿寺(足利市) - 本堂

国宝(美術工芸品)[編集]

  • 太刀 銘国宗(日光東照宮)
  • 太刀 銘助真(日光東照宮)
  • 大太刀 銘備州長船倫光貞治五年二月日(日光二荒山神社)
  • 小太刀 銘来国俊・黒漆蛭巻太刀拵(日光二荒山神社)
  • 大般涅槃経(輪王寺)
  • 那須国造碑(大田原市・笠石神社)
  • 宋刊本文選金沢文庫本)(以下、足利市所蔵・足利学校遺蹟図書館保管)
  • 宋版周易注疏
  • 宋版尚書正義
  • 宋版礼記正義

重要無形民俗文化財(国指定)[編集]

国の重要文化財など[編集]

県指定文化財[編集]

自然・公園[編集]

歴史[編集]

博物館・美術館[編集]

温泉地[編集]

果実狩り[編集]

テーマパーク・遊園地[編集]

栃木県を舞台とした作品[編集]

小説
推理小説
  • 伊豆七滝に消えた女(西村京太郎):日光市
  • 日光鬼怒川殺人ルート(西村京太郎):日光市
  • 新婚旅行殺人事件(西村京太郎):宇都宮市・宇都宮駅
  • 日光殺人事件(内田康夫):日光市
楽曲
テレビドラマ
漫画・アニメ
ゲーム

栃木県出身の人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 関東地方各地の雷日数と夏季の雷日数は、東京約11日のうち夏季約9日、横浜約12日のうち夏季約8日、群馬県前橋年間19.0日のうち夏季約18日、埼玉県熊谷年間19.3日のうち夏季約17日、茨城県水戸年間16.0日のうち夏季約13日となっており、いずれの地点でも夏季の雷日数が多くなっている。
  2. ^ 戦場ヶ原の気象
  3. ^ 橋本澄朗「栃木のあけぼの」 阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 11-12ページ
  4. ^ 季刊・東北学2008年第15号『高原山黒曜石原産地遺跡の発掘』P27-45より、国武貞克著
  5. ^ 高原山黒曜石原産地遺跡群詳細(矢板市ホームページより)
  6. ^ 2007年04月14日Asahi.comニュース
  7. ^ 2008年2月23日産経ニュース
  8. ^ 2009年2月27日産経ニュース
  9. ^ 2009年2月とちぎテレビニュース
  10. ^ とちぎテレビ動画ニュース
  11. ^ 橋本澄朗「栃木のあけぼの」阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 14ページ
  12. ^ a b 武光誠 『県民性の日本地図』 文藝春秋〈文春新書〉、2001年、p.78。ISBN 4-16-660166-0
  13. ^ 森浩一著『古墳の発掘』中公新書(65)(中央公論社 1965年(昭和40年)4月発行) 35ページの「私はこれまで天皇陵をも含めて多くの古墳を見てきたが、そのなかでいちばん美しい古墳を一つえらべといわれたら即座に下侍塚と答えよう。」を指しているのか。
  14. ^ 橋本澄朗「古代の下野」阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 6-57ページ
  15. ^ 平家物語による。
  16. ^ 社伝による。
  17. ^ 鎌倉府政庁の公式記録である吾妻鏡による。
  18. ^ 塙静夫著「とちぎの社寺散歩」(下野新聞社発行)ISBN 4-88286-210-7
  19. ^ 武光誠 『県民性の日本地図』 文藝春秋〈文春新書〉、2001年、p.79-80。ISBN 4-16-660166-0
  20. ^ 以下の各人口推計は、「日本歴史大事典 4」(小学館 2001年)による。
  21. ^ 下野国は、正確には560,020人から342,260人
  22. ^ 同じく、総人口は24,534,195人から27,063,910人
  23. ^ 陸奥国は、1,962,839人から1,690,509人
  24. ^ 同様に、隣の常陸国も人口減少が著しく、江戸後期においては、北関東が特に疲弊した地域であったことが分かる
  25. ^ 阪部教宜 編、『橡木縣地誌略』、1877年、栃木町、集英堂 [1]
  26. ^ 土屋栄五郎 編、『府縣管轄便覽』、1872年、土屋栄五郎 [2]
  27. ^ 杤木縣、『杤木縣一覽概表』、1874年、栃木町、杤木縣 [3]
  28. ^ 杤木縣、『杤木縣治一覽表』、1876年、栃木町、杤木縣 [4]
  29. ^ 栃木県、『栃木縣治提要』、1881年、宇都宮町 [5]
  30. ^ 栃木縣會、『明治廿五年度 通常縣會日誌』、1892年、宇都宮町 [6]
  31. ^ 舟橋一也 編、『両毛文庫 栃木通巻 栃木縣誌』、目次、1904年、両毛文庫本部 [7]
  32. ^ 栃木県の県民経済計算
  33. ^ 栃木県水産試験場
  34. ^ 栃木県水産試験場:とちぎの水産業

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

行政
観光
先代:
壬生県吹上県佐野県
足利県日光県下野国
館林県上野国
宇都宮県
行政区の変遷
1871年 -
次代:
-----
群馬県(上野国)