白河市

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しらかわし
白河市
Shirakawa Komine Castle 20100625-01.jpg
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
団体コード 07205-2
面積 305.30km²
総人口 62,780
推計人口、2014年6月1日)
人口密度 206人/km²
隣接自治体 西白河郡西郷村泉崎村中島村
東白川郡矢吹町棚倉町
石川郡石川町浅川町
岩瀬郡天栄村
栃木県那須郡那須町
市の木 アカマツ
市の花 ウメ
市の鳥 ホオジロ
白河市役所
所在地 961-8602
福島県白河市八幡小路7番地1
北緯37度7分34.7秒東経140度12分39.3秒
Shirakawa city hall.JPG
外部リンク 白河市役所 公式サイト (日本語)

白河市位置図

― 市 / ― 町・村

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東側より見る白河市街地 (2007年平成19年)1月撮影)
解説付き画像はこちら
北側より見る白河市街地 手前から阿武隈川、東北自動車道、東北新幹線、奥に南湖を望む(2006年平成18年)6月撮影)

白河市(しらかわし)は、福島県中通り南部の都市。かって奥州三関の一つ白河の関が置かれ、みちのくの玄関口として知られる。

地理[編集]

東京都区部より約190km北。東北新幹線で約90分の距離である。首都圏への新幹線通勤の利用者も一部ながらいる。仙台、東京といった大都市のほぼ中間点に位置する。

隣接している自治体[編集]

1975年(昭和50年)撮影の白河市中心部周辺の空中写真。
1975年撮影の10枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

統計データ[編集]

現在の市勢[編集]

  • 総人口 - 65,707人(2005年)
  • 世帯数 - 22,320世帯(2005年)
  • 年少(15歳未満)人口率 - 15.7%(2005年)
  • 高齢(65歳以上)人口率 - 20.9%(2005年)
  • 昼間人口 - 66,803人(2000年)
  • 労働力人口 - 34,983人(2000年)
  • 第1次産業就業者数 - 2,740人(2000年)
  • 第2次産業就業者数 - 13,648人(2000年)
  • 第3次産業就業者数 - 17,146人(2000年)
  • 農業産出額 - 9,540百万円(2004年)
  • 製造品出荷額等 - 281,310百万円(2004年)
  • 商業年間商品販売額 - 115,130百万円(2003年)
出典 
  1. 総務省統計局『統計で見る市区町村のすがた2007』2007年

人口[編集]

Demography07205.svg
白河市と全国の年齢別人口分布(2005年) 白河市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 白河市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
白河市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 58,896人
1975年 59,821人
1980年 60,253人
1985年 62,596人
1990年 63,839人
1995年 65,155人
2000年 66,048人
2005年 65,707人
2010年 64,710人
総務省統計局 国勢調査より

歴史[編集]

古代、白河は奥州の要として重要視され文献にも登場していた。それは陸奥国最大の面積を有していたこと、延喜式神名帳において建国の大祖神として奥州三ノ宮に挙げられていることからも要衝の地であったことが伺われる。 平安時代には能因法師が「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」と詠んでいる。能因法師以外にも「白河の関」を詠んだ歌は数多く、後年、松尾芭蕉おくのほそ道の中でそれらの歌や散文をもとにして、白河到着時の情景を詠っている。下記は「おくのほそ道」(岩波文庫)よりの引用である。

心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。「いかで都へ」と便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風ソウ(馬偏に躁の旁。騒と同字)の人心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。                  卯の花をかざしに関の晴着かな   曾良   

「おくのほそ道」では、有名な書き出しの部分にも「春立てる霞の空に白河の関越えんと…」とある。また、芭蕉に同行した河合曾良随行日記には、おくのほそ道本文よりも詳しい記述があり、そこに記されている街並みや、宗祇もどしの逸話にまつわる碑が今も市内に残る。同随行日記は上掲岩波文庫版「おくのほそ道」に所載されている。

江戸時代まで[編集]

古代には白河の関が置かれ広くその名は知られていた。江戸時代、城主松平定信が候補地を比定して、現在公園として整備されている辺りを関跡としたのが有力とされている。

中世期には、小山氏の流れをくむ結城氏白河結城氏)の所領となった。長く二つの結城家(白河氏と小峰氏)が比較的平和裏に所領を分割統治していたとされ、両家の居城が今も白川城搦目城)、白河城として市内に残っている。伊達氏をもしのぐ力を有していたとされるが、戦国時代には両結城家による抗争が起こり、さらには佐竹氏の攻撃を受けるなどして衰退した結果、会津諸氏の傘下に入る。

江戸時代最初期、丹羽氏によって城下町が整備された。それ以降は、譜代中藩(一時期親藩)で老中を輩出した名門白河藩城下町として栄えた。奥州街道五街道の一つ)起点の地でもあった。その後(榊原氏、諸松平氏本多氏阿部氏)と名門・有力大名が藩主として赴き、幕末には藩主阿部正外が江戸老中として諸外国との折衝役にあたる難局を担った。結局、阿部の神戸港開港の判断が攘夷派の反発を招くこととなり、棚倉藩へと移封され白河藩領は天領とされた。こうした藩不在という状況にも関わらず、戊辰戦争において白河の地は東西両軍にとって要衝の地と目されたため、一大激戦地になるという悲劇を生むこととなった。歴史遺産や市街の多くを消失したが、それまでの藩域は現在の岩瀬郡、須賀川市にまで及んでおり、県内では会津藩に次ぐ大藩であった。日本初の公園といわれる南湖公園の造営や日本最古の百科事典集古十種を編纂し寛政の改革を主導した松平定信は今日でも広く市民に親しまれている。定信は藩士の子弟のための藩校立教館と共に、庶民のための郷校 敷教舎も設置し、民衆に学問への道を開いた。

歌枕の聖地、洪水と称されるほど古来多くの和歌が都人などにも詠われ残されている。

明治時代以後[編集]

行政区域変遷[編集]

  • 変遷の年表
  • 市制・町村制以前の変遷表
  • 市制・町村制以後の変遷表

行政[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

海外
国内

行田市と桑名市は、江戸時代に忍藩(現行田市)、桑名藩との間で、阿部氏と諸松平氏移封があった縁から(文政6年(1823年)の三方領知替え)。戸田市は、旧大信村との姉妹関係を合併後も引き継いだもの。

経済[編集]

商業施設[編集]

製造業[編集]

主な工場

主な地元企業

主な農場・牧場

東京から新幹線で約90分、東北自動車道で約2時間強といった地の利や、夏涼しく冬は寒冷だが少雪といった気象環境、凝固岩を基盤とした強固な地盤等の好条件を生かして、ヤフー系のデータセンター(2012年操業開始予定)や三菱ガス化学の工場及び研究開発施設(2014年操業開始予定)の進出が近年相次いで決まっている。

学校[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

  • 白河市立白河中央中学校
  • 白河市立白河第二中学校
  • 白河市立東北中学校
  • 白河市立白河南中学校(旧南部中学校)
  • 白河市立五箇中学校
  • 白河市立表郷中学校
  • 白河市立東中学校
  • 白河市立大信中学校


小学校[編集]

  • 白河市立白河第一小学校
  • 白河市立白河第二小学校
  • 白河市立白河第三小学校
  • 白河市立白河第四小学校
  • 白河市立白河第五小学校
  • 白河市立小田川小学校
  • 白河市立五箇小学校
  • 白河市立関辺小学校
  • 白河市立みさか小学校
  • 白河市立表郷小学校
  • 白河市立釜子小学校
  • 白河市立小野田小学校
  • 白河市立大屋小学校
  • 白河市立信夫第一小学校
  • 白河市立信夫第二小学校


交通[編集]

空港[編集]

鉄道[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

名物・特産品[編集]

出身有名人[編集]

以下はゆかりの有名人

当市が舞台となった作品[編集]

小説[編集]

映画[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 7 福島県』、角川書店、1981年 ISBN 4040010701より
  2. ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より

外部リンク[編集]