さいたま市

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さいたまし
さいたま市
Saitama montage.jpg
さいたま市旗
さいたま市旗
2001年平成13年)10月25日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
団体コード 11100-7
面積 217.49km²
総人口 1,250,928
推計人口、2014年8月1日)
人口密度 5,750人/km²
隣接自治体 上尾市川口市朝霞市川越市
志木市戸田市蓮田市富士見市
蕨市春日部市越谷市白岡市
市の木 ケヤキ
市の花 サクラソウ
他のシンボル 市の花木:サクラ
市のマスコット:つなが竜「ヌゥ」
市の愛称:のびのびシティ さいたま市
市の歌:希望(ゆめ)のまち
(作詞:福原くにこ、作曲:タケカワユキヒデ
さいたま市役所
所在地 330-9588
埼玉県さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号
北緯35度51分41秒東経139度38分44秒
さいたま市役所
外部リンク さいたま市

さいたま市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

さいたま市行政区画図

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さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南部東寄りに位置するである。同県の県庁所在地であり、日本に20市ある政令指定都市の1つである。また、内陸県唯一の政令指定都市でもある。

2001年(平成13年)5月1日に、浦和市大宮市与野市の3市による新設合併により成立した。さらに、2005年(平成17年)4月1日には岩槻市を編入した。

2014年現在、約125万人の人口を抱えるさいたま市は、日本で9番目に人口が多い市となっている。

目次

地理[編集]

位置[編集]

さいたま市は、関東地方の中央部に位置する。埼玉県内においては南部東寄りに位置するが、県内で用いられる地域区分では、「中央地域」に区分されることが多い[注釈 1]日本の首都である東京の都心部からは北に約20-30 kmの距離にあり、県庁所在都市としては東京に最も近い。

さいたま市の市域は、東西19.6km、南北19.9kmにわたり、面積は217.49km²である[1]。日本の政令指定都市としては川崎市堺市に次いで3番目に狭い一方、埼玉県内の市町村としては秩父市に次いで2番目に広い。

地形[編集]

さいたま市周辺の地形

関東平野の中央部に位置するさいたま市には、山地丘陵といえる場所は存在せず、全域が台地及び低地からなる。全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜1.1m(桜区下大久保羽根倉)、最も高い地点でも海抜20.5m(岩槻区表慈恩寺西)である[2]。市の西境に荒川、東寄りに元荒川が、それぞれ北西から南東に流れており、これらの河川に近い市の西側、南側、東側の3方を低地で囲まれる。一方、市の北西側から南東に向かって、主に関東ローム層によって形成された大宮台地(北足立台地)が伸びており、市の中央部を貫いている。この台地の中にも鴻沼川芝川綾瀬川などの中小河川が流れている。このような中小河川に沿って谷底平野沖積平野等の低地が形成されているため、大宮台地はいくつかの「支台」に区切られている。これらの低地には、見沼鴻沼など、江戸時代に干拓される以前は沼地であった場所もある。

土地利用[編集]

さいたま市周辺における人口集中地区(DID)の推移(1960年~2010年)。1960年時点ですでに浦和・大宮・与野3市のDIDは一体化しており、他市町のDIDと接続したのはその後のことである。岩槻区のDIDは春日部市のDIDと連続するが、市内他区のDIDとは連続しない。

東京にほど近いさいたま市は、東京大都市圏における郊外住宅都市としての性質が強い。その一方で、1988年(昭和63年)に旧浦和市・大宮市が業務核都市に指定され、2000年(平成12年)にさいたま新都心が街開きをして各中央官庁の地方支分部局が東京より移転してくるなど、郊外における一大業務地としての性質も強まりつつある。

さいたま市の主要な商業・業務地は、浦和駅さいたま新都心駅大宮駅といった東北本線の主要駅周辺や、東武野田線岩槻駅周辺にあり、これらが中心市街地を形成している。これらの中心市街地は、いずれも大宮台地上に位置している。このうち商業・業務機能の集積の大きい大宮駅周辺地区と浦和駅周辺地区との間には約6kmの距離があり、その間は主に住宅地となっている。

現さいたま市域は、江戸時代にはほとんどが農地であったのが、1923年(大正12年)の関東大震災1940年代前半の太平洋戦争といった震災や戦災を契機として、東京などから大規模な人口流入が生じ、本格的に宅地化が進むようになった。このような宅地化は、まず中心市街地に近い台地上の鉄道駅付近、すなわち浦和駅から大宮駅にかけての東北本線沿線で先行した。浦和・与野・大宮の中心部は、このような地域において互いに近接していたことから、市街地の一体化は早期から進んでおり、1960年(昭和35年)国勢調査において初めて人口集中地区(DID)(人口密度が高いあるいは都市施設等が連続している地域)が定義された時点において、既にこの3市の中心部を含む人口集中地区は互いに連続していた。その一方で、この時点では浦和・与野・大宮の人口集中地区と、蕨市川口市上尾市といった他市町村の人口集中地区とは連続していなかった。

1960年代以降は、首都圏への大規模な人口流入の影響を受けて都市化がさらに急速に進んだ(スプロール現象)。東北本線・高崎線沿線においては、さいたま市の人口集中地区と他市や東京の人口集中地区とが連続するようになり、低地や鉄道駅から離れた場所にも宅地化が及ぶようになった。岩槻駅周辺の市街地も、周辺へと拡大した。

しかしながら、現在においてもなお、鉄道駅から離れた場所には農地が多く存在し、住宅地の中にも、小規模な農地が点在している。また、明治時代の度重なる洪水を契機に始められた治水対策として広大な河川敷が設けられている荒川周辺や、農地として保全された見沼田圃では、開発が厳しく制限されており、人口のほとんどいない地域も存在している。

さいたま市の人口集中地区は、岩槻区以外の9区においてはほぼ一体化しているのに対し、この9区と岩槻区の境界である綾瀬川両岸には農地が多く、ここで市街地が途切れており、岩槻区の人口集中地区と他区の人口集中地区とは連続していない。岩槻区の人口集中地区は、東側に位置する春日部市の人口集中地区に接している。

気候[編集]

さいたま市の気候は、ケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候 (Cfa) に属するが、本州の太平洋側に一般的にみられるように、夏季に比べて冬季の降水量が少ない。冬季の降水量の少なさと最低気温の低さは、東京(大手町)や横浜市千葉市といった近隣の沿岸部の諸都市と比べ、より顕著である。アメダスのさいたま観測点(桜区大字宿)における平年値(1981年~2010年の観測結果による)は、年平均気温は14.8℃、年間平均降水量は1346.0mmである。

さいたま市(1981年 - 2010年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 18.7
(65.7)
25.5
(77.9)
25.4
(77.7)
31.2
(88.2)
33.3
(91.9)
35.9
(96.6)
38.7
(101.7)
37.9
(100.2)
37.4
(99.3)
32.1
(89.8)
25.6
(78.1)
25.1
(77.2)
38.7
(101.7)
平均最高気温 °C (°F) 9.2
(48.6)
9.9
(49.8)
13.1
(55.6)
19.0
(66.2)
23.2
(73.8)
26.0
(78.8)
29.8
(85.6)
31.5
(88.7)
27.1
(80.8)
21.6
(70.9)
16.2
(61.2)
11.7
(53.1)
19.9
(67.8)
日平均気温 °C (°F) 3.6
(38.5)
4.4
(39.9)
7.8
(46)
13.4
(56.1)
18.0
(64.4)
21.5
(70.7)
25.1
(77.2)
26.6
(79.9)
22.7
(72.9)
16.9
(62.4)
11.0
(51.8)
5.9
(42.6)
14.8
(58.6)
平均最低気温 °C (°F) −1.5
(29.3)
−0.6
(30.9)
2.8
(37)
8.1
(46.6)
13.4
(56.1)
17.7
(63.9)
21.5
(70.7)
22.9
(73.2)
19.2
(66.6)
12.8
(55)
6.2
(43.2)
0.8
(33.4)
10.3
(50.5)
最低気温記録 °C (°F) −7.8
(18)
−8.7
(16.3)
−5
(23)
−2
(28)
4.8
(40.6)
11.5
(52.7)
14.7
(58.5)
17.1
(62.8)
9.5
(49.1)
3.6
(38.5)
−2.4
(27.7)
−6.7
(19.9)
−8.7
(16.3)
降水量 mm (inch) 37.4
(1.472)
43.1
(1.697)
90.9
(3.579)
102.3
(4.028)
117.3
(4.618)
142.4
(5.606)
148.1
(5.831)
176.3
(6.941)
201.8
(7.945)
164.9
(6.492)
75.7
(2.98)
41.1
(1.618)
1,346
(52.992)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 3.9 5.2 9.5 9.8 10.3 11.6 12.1 8.7 11.5 9.6 6.7 3.9 102.8
平均月間日照時間 193.3 179.9 177.8 185.7 174.7 128.2 145.5 173.0 128.1 137.0 154.5 182.9 1,960.9
出典 1: 気象庁
出典 2: 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)

人口[編集]

日本において第1回の国勢調査が行われた1920年(大正9年)以来、現さいたま市域の人口は、ほぼ一貫して増加してきた。1920年当時の人口が約12万3千人であったのに対して、2010年にはその10倍弱の約122万2千人である。特に日本の高度経済成長期における人口急増が著しく、1960年には約42万0千人であった現さいたま市域の人口は、1975年には約81万4千人となり、15年間で2倍近くに増加した。

現さいたま市域における人口の推移(1920年~2010年、国勢調査による)。
Demography11100.svg
さいたま市と全国の年齢別人口分布(2005年) さいたま市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― さいたま市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
さいたま市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 657,425人
1975年 813,712人
1980年 879,291人
1985年 922,757人
1990年 1,007,569人
1995年 1,078,545人
2000年 1,133,300人
2005年 1,176,314人
2010年 1,222,910人
総務省統計局 国勢調査より

市内に常住する通勤・通学者約75万2千人の23.8%にあたる17万9千人弱が東京特別区部に通勤・通学し(東京特別区部からさいたま市への通勤・通学者は1万8千人弱)、昼夜間人口比率も100%を下回る92.7%であるなど(いずれも2010年(平成22年)の国勢調査による)、さいたま市は東京に対するベッドタウンとしての性格が強い。その一方で、埼玉県内の他の市町村からさいたま市への通勤・通学者も16万8千人弱にのぼり(さいたま市から埼玉県内の他の市町村への通勤・通学者は9万7千人強)、昼夜間人口比率も1990年(平成2年)の89.8%から次第に上昇をみせるなど、さいたま市は周辺の地域から通勤・通学者を集める郊外核としての性質もあわせ持つ。

地区[編集]

合併前の旧4市[編集]

現在のさいたま市の市域は、新設合併前の時点で共に人口50万人弱であった浦和市大宮市、人口10万人弱であった与野市、編入合併前の時点で人口10万人強であった岩槻市の旧4市域からなる。 日本において、人口40万人以上の複数の市町村が合併した唯一の例である。

複数の人口20万人以上の市町村同士が合併した例
さいたま市 北九州市 静岡市
合併の期日 2001年5月1日 1963年2月10日 2003年4月1日
合併前の各市の人口 浦和市 488,181 八幡市 344,893 静岡市 469,102
大宮市 458,694 小倉市 305,423 清水市 234,644
与野市 84,416 門司市 155,116
戸畑市 110,271
若松市 106,910
合計 1,031,291 合計 1,022,613 合計 703,746
人口の出典資料 2001年5月1日推計人口 1962年10月1日推計人口 2003年3月1日推計人口
その後に編入された市町村 岩槻市 なし 蒲原町由比町

旧浦和市と旧大宮市は、東西方向に細長い市域、約50万人の人口、中央部に中山道宿場町を起源とする中心市街地があり東西に住宅地や農地が多いという市街配置、Jリーグに所属するプロサッカークラブの存在といった共通点がある。旧与野市は、この両市の間にあって両市の中心市街地の西側に近接する狭い市域を有する。旧浦和市中央部から旧大宮市中央部にかけては先行して都市化され、人口密度が高く、ホワイトカラー職の住民割合が高い地域が連なっており、旧与野市域はその一角をなしている。旧岩槻市は、南北方向に細長い市域、城下町を起源とする中心市街地があり南北に住宅地や農地が多いという市街配置、市制施行前に属した郡(旧岩槻市は南埼玉郡、他の3市は北足立郡)や大部分が岩槻藩領(他の3市は主に幕府領等)であった点などで、他の3市とは異なる。

なお、2001年の合併時には浦和と大宮の関係をアメリカ合衆国のワシントンとニューヨークになぞらえて、「新しい市は、『政治と教育の中心』浦和と『経済の中心』大宮が上手く並存した街にしたい」と言う意見が聞かれた。しかし実際には合併後にも旧浦和市域で積極的な商業開発がなされていたり、旧浦和市中心部以外でもさいたま新都心に国の行政機能の一部が移転されている。

旧浦和市

旧浦和市は埼玉県庁が置かれて以来、裁判所県警察、県指定金融機関でもある埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)の本店や各種政党、メディアの支局など県都としての機能が集積し、埼玉県の行政の中枢として発展した。また、明治時代に旧制浦和中学校(現・埼玉県立浦和高等学校)と浦和高等女学校(現・埼玉県立浦和第一女子高等学校)、大正時代に東京帝国大学への登竜門と言われた旧制浦和高校(現・埼玉大学)が設置されたことなどを背景に、浦和は「文教都市」と称されていた。関東大震災での被害が比較的小さかったことから大正時代以降、東京神奈川からの文化人の移住者が相次いだ旧浦和市は、瑛九高田誠など多くの画家の活動の舞台でもあり、「鎌倉文士浦和画家」といわれた。昭和時代からはサッカーの盛んな地としても知られるようになった。現さいたま市において最も東京に近い旧浦和市域は、高度成長期以降人口が急増し、さらに埼京線が開通した1985年頃からは、それまで長期間にわたり人口規模がきわめて近似していた旧大宮市との間に、人口面で差をつけるようになった。合併前の1990年代後半には、埼玉県内最大の人口を擁するに至り、合併後には旧浦和市域単独で人口が50万人を突破した。浦和区の世帯所得は年収1000万円以上が2割以上と首都圏でも比較的所得の高い世田谷区以上であり最高水準となっている。中心市街地に近接する浦和区岸町常盤別所沼公園周辺、高砂などは高級住宅街として知られる。また、旧浦和市の中心部に位置する浦和区は、埼玉県内の市区町村で最も25歳以上人口に占める大学卒・大学院卒者の割合が大きい。

旧大宮市

旧大宮市は熱心な鉄道駅の設置運動により、1885年(明治18年)3月に大宮駅が設置され、その後も鉄道施設の誘致により、1894年(明治27年)に大宮駅北側に日本鉄道大宮工場(現・JR東日本大宮総合車両センター)が建てられ、1894年(明治29年)頃に大宮機関区(現・大宮運転区)が設置された。だが、1903年(明治36年)9月に機関区は大宮駅南側(旧与野・浦和両市にもまたがる)へ移転した。1927年(昭和2年)8月には貨物操車場が機関区の南側に設置されるなど、「鉄道の街」と呼ばれるようになった。時代を下った1969年昭和44年)には大宮駅 - 東大宮駅間(現・土呂駅 - 東大宮駅間)に旅客車車両基地として東大宮操車場(現・大宮総合車両センター東大宮センター)も誕生している。戦後鉄道交通の結節点として多くの企業支店が置かれ、商業、業務機能が集積し、「県都」、「文教都市」浦和に対し、「商都」、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地として発展した。さらに、東北上越新幹線の開業以降、旧大宮市は昼間人口の増加により昼夜間人口比率が顕著に上昇した。駅周辺には未開発用地が多数あり、今後の開発が期待されている。

旧与野市

旧与野市は明治時代初期など浦和、大宮両宿場町よりも栄えていた時期もあり、当時は「大きな買い物は与野でする」とも言われた。その後、県都としての機能が集積した浦和と、交通の要衝として発展した大宮に挟まれた住宅街として発達するが、市内を通る国道17号沿いに、自動車整備・修理工場と、自動車ディーラーが多く建てられたため、「自動車の街」とも呼ばれるようになった。市域の狭さや市内のほぼ全域が鉄道駅至近に位置することもあり、市全域が人口集中地区に含まれ、人口密度は合併前の旧4市の中で最も高かった。近年も、さいたま新都心周辺でのマンション建設などに伴い大きく人口が伸びている。中心市街地は江戸時代に干拓が行われた鴻沼の西側の台地上にあるが、区役所をはじめ行政機関の多くは鴻沼のあった地域に所在する。

旧岩槻市

旧岩槻市はかつての城下町であり、江戸時代にはこの地域の中心的な町であった。埼玉県の県庁は当初城下町の岩槻に置かれる予定であったが、県庁舎に適した建物がなかったことなどから旧浦和県庁を使用することになり、現在に至る。東武野田線岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積しており、「人形のまち」として全国的に知られる。東京7号線埼玉高速鉄道)の延伸が計画(蓮田まで)されており、これはかつて存在した武州鉄道の計画線とほぼ同じルートである。

行政区[編集]

BYR color wheel.svg この項目ではを扱っています。
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さいたま市の区
合併前の旧4市域と現さいたま市の区域との比較

政令指定都市であるさいたま市には、10の行政区が設置されている。おおむね、市町村合併前の旧浦和市域に桜区浦和区南区緑区の4区が、旧大宮市域に西区北区大宮区見沼区の4区が、旧与野市域に中央区が、旧岩槻市域に岩槻区がある。ただし、わずかに旧浦和市内や大宮市内で中央区に編入された地区[注釈 2]や、旧浦和市内で大宮区に編入された地区[注釈 3]もある。

10区のうち、さいたま市の政令指定都市への移行(2003年(平成15年))に伴って設置された9区は、その数や区割り方法があらかじめ旧浦和市・大宮市・与野市の3市の合併協議書の合意事項に盛り込まれ、これが実際にほぼ踏襲される形で区域が設定された。この合意事項に盛り込まれた区割り方針は、

1.旧浦和市域および大宮市域をそれぞれH型に区切って4つの行政区に分轄すること
2.旧与野市域を基本とした範囲を1つの行政区とすること
3.さいたま新都心の区域のうちさいたまスーパーアリーナや広域合同庁舎などの立地する地区の中が複数区に分断されないよう配慮すること

などである[3]

一方で岩槻区の区域は、2005年に旧岩槻市がさいたま市に編入される際に、旧市域がそのまま岩槻区に移行する形で設定された。

さいたま市の10行政区には、それぞれ「区の色[4]」および「区の花[5]」が制定されている。

さいたま市の行政区
区名 団体コード 設置日 位置 面積 人口 世帯数 昼夜間人口比率 区の色 区の花
西区 11101-5 2003年4月1日 大宮市西部 29.14km2 84,731人 34,260世帯 86.14  あお アジサイ
北区 11102-3 旧大宮市北部 16.91km2 140,528人 60,965世帯 91.64  ふかみどり 菜の花
大宮区 11103-1 旧大宮市南部 12.75km2 109,681人 49,431世帯 138.70  オレンジ さくら
見沼区 11104-0 旧大宮市東部 30.63km2 158,354人 65,856世帯 80.82  そらいろ クマガイソウ
中央区 11105-8 与野市 8.39km2 96,526人 42,128世帯 98.42  バラ色 バラ
桜区 11106-6 浦和市西部 18.60km2 96,715人 42,352世帯 84.15  さくら色 サクラソウ
浦和区 11107-4 旧浦和市北部 11.51km2 145,320人 62,960世帯 102.38  あか ニチニチソウ
南区 11108-2 旧浦和市南部 13.89km2 175,794人 75,527世帯 75.49  レモン色 ヒマワリ
緑区 11109-1 旧浦和市東部 26.51km2 111,213人 43,396世帯 79.55  みどり サクラ
岩槻区 11110-4 2005年4月1日 岩槻市 49.16km2 111,095人 43,393世帯 101.60  やまぶき色 やまぶき

市域にかつて存在した市町村[編集]

現さいたま市域の昭和初期における町村

歴史[編集]

概史[編集]

さいたま市は、いわゆる平成の大合併の初期にあたる2001年(平成13年)5月1日に、浦和市大宮市与野市の3市による新設合併により成立した。また、2005年(平成17年)4月1日岩槻市を編入した。

現在では120万人以上の人口を抱える大都市であるさいたま市も、近世以前にはほとんどが農村地帯であり、市街は小規模で、かつ分散していた。現さいたま市域でもっとも早く市制施行したのは1934年(昭和9年)の旧浦和市であるが、これは日本の都道府県庁所在地として最も遅い市制施行である。

先史時代[編集]

現さいたま市域には、旧石器時代より人が居住しており、大宮台地の関東ローム層から大古里(おぶさと、緑区)遺跡、明花向(みょうばなむかい、南区)遺跡などの遺跡から、旧石器時代の出土品が発見されている[6]

縄文時代前期には、世界的な温暖化の進行により海面上昇が進み(縄文海進)、荒川や元荒川の下流域は海面下に没した(奥東京湾)。このため、内陸県である埼玉県栃木県でもこの時代の貝塚が発見されており、さいたま市内においても、当時の海岸線に近い大宮台地の縁辺部に大谷場貝塚(南区)、大戸貝塚(中央区)、中川貝塚(見沼区)等の貝塚が残されている。寒冷化の進んだ縄文時代の後期・晩期の遺跡は少なくなるものの、真福寺貝塚(岩槻区、国指定遺跡)、馬場小室山遺跡(緑区)、東北原遺跡(見沼区)などの遺跡がある[7]

弥生時代古墳時代に入ると、本格的な水稲耕作が行われるようになる中で、低地をのぞむ台地の縁辺部や、低地の自然堤防に多くの集落が形成されるようになった。古墳は、植水古墳群側ヶ谷戸古墳群(西区)、大久保古墳群土合古墳群(桜区)など古入間川沿いの台地縁辺部や低地に多く見られる[8]

古代[編集]

律令体制が整備されると、現さいたま市のうち岩槻区は埼玉郡に、それ以外の9区は足立郡に含まれるようになった。和名類聚抄には足立郡に7つの郷が所載されており、そのうち堀津(ほっつ)、殖田(うえた)、郡家(ぐうけ)、発度(はっと)、大里(おおさと)の5郷を現さいたま市域内に比定する説があるが、堀津郷や発度郡はさいたま市外に比定する説もあり、定かではない。延喜式神名帳には、現さいたま市域では氷川神社調神社足立神社の3座が所載されている(式内社[9]

平安時代中頃には、国司に抵抗する群盗の蜂起が続発して治安が悪化した武蔵国では、地方豪族や荘園管理者などが農民などを集めて武装化するようになり、やがてそのような武装集団が武士となっていった。938年(天慶元年)、足立郡司として現在の浦和や大宮を含む足立郡一帯を支配していたと考えられる武蔵武芝と、武蔵権守の興世王・武蔵介の源経基との対立が生じ、これがやがて平将門の乱の契機となったが、乱に巻き込まれる中で武蔵武芝は失脚し、以降足立氏などが足立郡司として登場した[10]

中世[編集]

1160年(平治元年)の平治の乱の際、源義朝に従って破れた足立遠元は、その後足立郡に逼塞していたと考えられているが、1180年(治承4年)に挙兵して鎌倉入りした源頼朝から足立郡の郡郷領掌を安堵され、以後有力御家人として重用された。足立遠元の屋敷は現桶川市川田谷に比定する説と、現さいたま市西区の植田谷に比定する説とがある。この他、鎌倉時代に現さいたま市域に勢力を有した武士として、髙鼻和氏、麻弥屋氏、箕勾氏、渋江氏、柏崎氏などがある[11]

戸田市西部からさいたま市南区西部にまたがる佐々目郷は、1293年(承応6年)から4度に分けて鎌倉鶴岡八幡宮寄進されたが、1394年(応永元年)以降、鶴岡八幡宮による支配に抵抗する農民の闘争がたびたび生じた[12]

室町時代の関東地方では幾度にわたる戦乱が生じ、現さいたま市域もその戦乱の場となった。観応の擾乱においては、1350年(観応元年)に羽祢蔵(羽根倉、現桜区付近)にて合戦が行われ、足利尊氏方の髙麗経澄足利直義方の難波田九郎三郎らを破っている[13]

また、1455年(享徳3年)に享徳の乱が勃発すると、現さいたま市一帯は古河公方方と関東管領方との対峙の場となった。1456年(康正2年)には、古河公方の足利成氏の家臣である簗田持助が足立郡に討ち入ってその大半を押領した。また岩付城は、関東管領方の(扇谷上杉持朝の家臣である太田資清資長(道灌)父子による築城であるとする説と、古河公方方の成田正等による築城であるとする説とがあり、築城後も太田氏が城主となった時期について複数の説があるなど、両勢力の角逐が続いた。

その後、長享の乱(1487年1505年)における長期間にわたる山内上杉家扇谷上杉家との抗争を経て、関東地方における上杉氏の力は消耗し、かわって後北条氏の勢力が次第に拡大することとなった。1524年(大永4年)には北条氏綱の勢力がすでに三室郷に及んでおり、この頃から現さいたま市域一帯は岩付太田氏の勢力と後北条氏の勢力の接点となったが、やがて1546年(天文15年)の川越夜戦にて北条氏康軍が勝利すると、武蔵国における後北条氏の勢力拡大はさらに本格化した。そのような状況下で、やがて1564年(永禄7年)には太田氏資がその父である太田氏清を追放して北条氏康に内応し、その結果、一帯は後北条氏の支配体制下におかれることとなった[14]

しかし、1590年(天正18年)には豊臣秀吉による小田原征伐の過程で岩付城も陥落した。これにより後北条氏による支配は終わり、かわって豊臣秀吉の命で関東地方を与えられた徳川家康が関東入りした[15]

近世[編集]

徳川家康は、関東における支配を固める過程で、江戸の近隣に幕府領旗本領譜代大名を多く配置した。江戸時代幕藩体制下で現さいたま市域におかれた藩としては、岩槻城を藩庁とする岩槻藩がある。現さいたま市域のうち、岩槻区域の大部分はこの岩槻藩の所領であった。一方、他の9区の区域は幕府領や旗本領を中心に、さらに寺社領や岩槻藩領が入りまじり、さらに相給も多いという、複雑で細分化された支配体系下にあった[16]

江戸時代に、現さいたま市域において街が形成されていたのは、岩槻町浦和宿大宮宿与野町、および大門町の5ヶ所であった。このうち、岩槻町が唯一の城下町であり、またこの岩槻町と大門町が、将軍の日光参詣や岩槻藩の参勤交代の経路として用いられた日光御成街道宿場町である。また、浦和宿と大宮宿は、五街道の1つとして整備された中山道の宿場町であり、与野町は甲州街道と日光御成街道を結ぶ脇往還である奥州道中岩槻道の継立場として成立した街である。しかし、大門町の規模はきわめて小さく、また浦和宿や大宮宿も中山道の宿場町の中では比較的小規模であって、与野町の方が規模の大きい街であった[17]

江戸時代は、利根川荒川流域において、多数の河川の付け替えや沼地干拓が行われた時代であり、現さいたま市域もその影響を大きく受けることとなった。まず、1629年寛永6年)には関東郡代伊奈忠治らが、利根川東遷事業の一環としてそれまで現在の元荒川へと流れていた荒川の河道を、現在の熊谷市久下付近で締切り、和田吉野川市野川を経由して入間川筋に流す河川改修を実施した。この河川の付け替えにより、元荒川筋では水害が減少して新田開発が盛んに行われるようになった反面、入間川筋ではより一層洪水の危険性に晒されることとなった[18]。同じく1629年には灌漑用水の確保を目的として、現在の東浦和駅南東側付近の芝川をせきとめる八丁堤も築堤され、その上流側に見沼溜井が形成された。

1728年享保13年)には、享保の改革の一環として新田開発を進めていた徳川吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛が、八丁堤を切り開いて見沼溜井を干拓して新田とし(見沼田圃)、それにかわる水源として利根川から見沼代用水(現さいたま市域は見沼代用水東縁見沼代用水西縁に分流)を開削させた。1732年(享保17年)には見沼代用水西縁から分水する形で高沼用水路が開削され、見沼に続いて鴻沼が干拓された。さらに1731年(享保16年)には、もとの八丁堤があった付近に日本で最古級の閘門式運河である見沼通船堀が開削され、見沼代用水東縁・見沼代用水西縁と芝川をつなぐ内陸水運路となった。

また、江戸時代には現上尾市域から現南区域にかけての広い範囲が、紀伊徳川家徳川将軍家鷹場となっていた[19]

近代[編集]

明治維新の過程において、日本の地方行政に関わる制度が府藩県三治制(1868年~)、版籍奉還(1869年)、廃藩置県(1871年)と移行してゆく中で、現さいたま市域では1869年(明治2年)1月に大宮県が設置された。大宮県の県庁は大宮宿(現:大宮区)に置かれる予定であったが、当時の実質的な県庁機能は東京府馬喰町にあった。同年9月には県庁が浦和宿(現:浦和区)に移転し、県名も浦和県へと変更された。一方、岩槻藩1871年(明治4年)7月の廃藩置県により岩槻県となった。その後、同年11月に、浦和県、岩槻県、忍県が合併して埼玉県が誕生した。

埼玉県の県庁所在地は岩槻町(現:岩槻区)とされたが、当面の仮県庁として引き続き、旧浦和県の県庁舎が使用され続けた。その後、熊谷県のうち旧入間県部分と埼玉県との合併(1876年8月)や、 1884年(明治17年)の埼玉県庁の熊谷町への移転運動を経ても埼玉県庁が浦和から移転することはなく、1890年(明治23年)9月に、勅令によって浦和町が正式に県庁所在地とされた。1897年(明治30年)の県議会決議、1948年(昭和23年)の県庁火災の際にも県庁の熊谷や大宮への移転運動が起こっているが、やはり埼玉県庁は浦和に存在し続け、現在に至る。

日本初の鉄道開業新橋駅 - 横浜駅(現桜木町駅)間)から11年後の1883年(明治16年)には、日本鉄道上野駅 - 熊谷駅間(現:京浜東北線高崎線の経路に相当)が開通し、現さいたま市域では初の鉄道駅である浦和駅が開業した。 

江戸時代荒川入間川筋への付け替え以降、入間川筋では度々水害が発生していたが、1907年(明治40年)8月と1910年(明治43年)8月の水害は、荒川をはじめ埼玉県内の多数の河川が大雨により氾濫し、埼玉県東京府の広い範囲が浸水するなど、大規模なものとなった。特に1910年の水害は、関東大水害として知られる。これらの水害を契機に、荒川では「荒川下流改修計画」「荒川上流改修計画」が策定され、一体的な治水対策や河川改修工事が行われるようになった。しかしながら、戦争を含む当時の日本の経済・社会情勢の影響を受け、工事は当初予定よりも大幅に時間を要することとなった。現さいたま市域は、荒川上流改修計画に含まれているが、これによる河川改修工事は、開始年が1918年(大正7年)、付帯工事も含めた終了年は1953年(昭和29年)のことである。これにより、さいたま市付近の荒川は、幅2km弱にわたる河川敷を有することとなった[20]

太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)には、日本の多数の都市がアメリカ軍の空襲を受けた。現さいたま市域でも、4月14日に浦和市大宮市、5月26日に再び浦和市が空襲を受けて死傷者が生じ、また爆撃予告ビラが投下されるなどしたが、市街の大部分を焼失するような大規模空襲に遭うことはなかった[21]

現代[編集]

市町村合併の経緯[編集]

現さいたま市域やその周辺では、第二次世界大戦以前より浦和・大宮・与野の合併(官選の宮脇梅吉知事による「大埼玉市構想」など)や、さらに蕨・川口などを含む地域でのさらに大きな規模の合併など、多くの合併構想が提起されてきた。しかし、さいたま市が成立するまでは、そのような構想が実現することはなく、浦和や大宮などがそれぞれ周辺町村を編入しながら拡大するという経過をたどった。

第二次世界大戦終戦以前[編集]

  • 1927年(昭和2年) - 宮脇梅吉が埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想を打ち出すも、在任わずかで他県に転出し、実現せず[22]。当時、埼玉県内で市制を施行したのは川越市だけであった。
  • 1931年(昭和6年) - 宮脇梅吉が再び埼玉県知事に就任。日進を加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」を強く提唱する[22]。しかし大宮町の負債総額が浦和町を大幅に上回っていたことから浦和町が合併に消極的であったといわれ[23]、合併は実現せず。
  • 1933年(昭和8年) - 熊谷川口が相次いで市制を施行。合併論が再燃する。
  • 1934年(昭和9年) - 浦和・大宮・与野・六辻・三橋の1市2町2村の上水道を取り扱う「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団、現:さいたま市水道局)が設立。「大埼玉市」構想の一部が実現する[22]
  • 1939年(昭和14年) - 浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和・与野との一市二町での独自の合併案を提示する[22]
  • 1940年(昭和15年) - 埼玉県が仲介に入り、大宮案での合併交渉に入る。六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意。しかし、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。
  • 1942年(昭和17年) - 与野町で大宮市への合併運動が起きる。
  • 1943年(昭和18年) - 埼玉県知事の大津敏男は浦和・大宮・与野との二市一町での合併構想を打ち出す。

終戦-1970年代[編集]

  • 1953年(昭和28年) - 9月、町村合併促進法が制定される。いわゆる「昭和の大合併」の始まり。
  • 1954年(昭和29年) - 2月、埼玉県が県内323市町村を81市町村にまで合併する合併試案を示し、浦和市・大宮市周辺では浦和市・大宮市・与野町・大久保村・土合村の2市1町2村による合併試案が示される。しかし浦和市は大久保村・土合村を編入する合併、大宮市は周辺6村を編入する合併を構想し、この枠組みでの合併は実現せず[24]。11月、与野町が大久保村に合併を申し込むも、実現せず[25]
  • 1955年(昭和30年) - 1月、浦和市が大久保村・土合村を編入、大宮市が周辺6村(春岡、七里、片柳、植水、馬宮、指扇)を編入。2月、与野町議会に北部を大宮市、南部を浦和市に編入させ、中央部を残存させる案が提出されるも、反対議員や町民が議場を取り囲んで開会できず、与野町はそのまま残る[26]
  • 1962年(昭和37年) - 浦和市議会が、三市と川口・蕨での五市合併を呼びかけ。第一段階で三市、第二段階で川口・蕨との合併をするというものだった。
  • 1973年(昭和48年) - 三市の市長が合併に関して初会談。また、北九州市の合併推進派の理論的支柱となった、都市社会学者の磯村英一が、三市について「合併しなければ、背を向け続けるであろう」と警告。

1980年代-さいたま市直前[編集]

  • 1980年(昭和55年) - 10月、県南中央地域の都市間相互のゆるやかな連合を掲げ、浦和市大宮市上尾市与野市伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」が発足。
  • 1982年(昭和57年) - 4月、従前の首長会議の名称を「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。9月、「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
  • 1985年(昭和60年) - 12月、「埼玉中枢都市圏構想」の名称を「さいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字を組み合わせた名称)に変更。
  • 1990年(平成2年) - 7月、「政令指定都市化」を公約にして、新藤享弘が大宮市長に就任。だが、単独での実現は現実的には無理で、合併による政令指定都市化を目指すものだった。これには与野市長の井原勇も同調した。
  • 1991年(平成3年) - 4月、「政令指定都市化」を公約にして、相川宗一が浦和市長に就任。これに難色を示した現職の中川健吉を破っての就任であった。
  • 1992年(平成4年) - 4月、国土庁が4市1町の圏域を「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」として承認。
  • 1993年(平成5年) - 6月、旧国鉄操車場跡地に、国の10省庁17機関の移転決定。12月、4市1町の強固な連合を目標とした「彩の国YOU And Iプラン」を策定。以後、合併政令指定都市化の動きが活発化する。
  • 1995年(平成7年) - 7月19日 、上尾市が浦和市・大宮市・与野市からの合併協議会設置請求に対し拒否回答。
  • 1997年(平成9年) - 12月18日、浦和市・大宮市・与野市による任意協議会設置。
  • 2000年(平成12年) - 4月29日、浦和市・大宮市・与野市による法定協議会設置。9月5日、合併協定調印式。

さいたま市成立以降[編集]

  • 2001年(平成13年) - 5月1日浦和市、大宮市、与野市が合併し、さいたま市発足。7月29日、上尾市が「さいたま市との合併の是非を問う住民投票」を実施。反対が58.3%、賛成が41.7%という結果となった。8月6日、伊奈町が合併協議を断念する旨を表明。8月8日、上尾市が合併協議を辞退する旨を正式に表明。
  • 2002年(平成14年) - 11月20日 - さいたま市議会が、「政令指定都市関連議案(区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例案)」を可決。
  • 2003年(平成15年) - 1月26日 - 岩槻市が「岩槻市の合併に関する住民投票」を実施。「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市、宮代町、杉戸町、庄和町との合併(8.5%)」との結果となった。4月1日さいたま市が政令指定都市に移行し、9つの行政区が発足。7月15日、さいたま市・岩槻市任意合併協議会設置。
  • 2004年(平成16年) - 6月25日、さいたま市・岩槻市による法定協議会設置。8月24日、合併協定調印式。
  • 2005年(平成17年) - 4月1日、さいたま市が岩槻市を編入合併し、旧岩槻市の市域を区域とする岩槻区が発足。

市名の由来[編集]

浦和市大宮市与野市の3市合併に先だって、新しい県庁所在地に相応しい名称ということで市名公募を行った上で、県名をひらがなにした『さいたま市』に決定した。全国で唯一、ひらがな名称の県庁所在地である。さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としており、フォントによっては作字もした上で市報などの活字を全て統一しているが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。

市名の公募から選定の過程においては、大宮市が新市名を『大宮市』とすることを再三主張し、市名公募の実施にも反対した。公募の実施は、3市先行合併後上尾市・伊奈町の合流意志を確認するとした「6・25合意」を公募実施要項にも盛り込むことで合意された[27]

市名公募の結果は、漢字表記の『埼玉市』が第1位、ひらがな表記の『さいたま市』が第2位というものであった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が第3位、『浦和市』が第6位となったが、大宮市以外の地域からの『大宮市』への応募、浦和市以外の地域からの『浦和市』への応募は少なかった[28]。また、『与野市』は100位以内に入らなかった[29]

公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案を市名候補とした。これを受けて、浦和市・与野市は『さいたま市』を新市名として主張したが、大宮市はこの5案に含まれない『大宮市』(公募3位)をここでも主張した。その後、大宮市は新市の市役所の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨[30]を合併協議書に盛り込ませることで、この主張を取り下げた[31]

『埼玉』の地名は、本来は埼玉県北東部に位置する埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈さきたま〉)に由来している。一方でさいたま市域は、岩槻区を除いて旧足立郡域に含まれ、埼玉郡に属した地域ではない。そのため、本地域に位置する市が『埼玉』『さいたま』を称する事には、「僭称地名だ」とする否定的な意見がある。また行田市は、3市合併に向けて設置されていた「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」に対し、行田市周辺が将来合併する時に用いる可能性があるとの理由で、新市の名称に『埼玉』『さいたま』を使わないでほしいという要望書を出した。 加えて、この『さいたま市』『東かがわ市』以後、全国各地でひらがな名称の市町村や企業が続々と誕生している。なお、中国語などでの表記は『埼玉市』である。

このほか、区名についても、例えば「与野」の地名が消滅したなどの批判がある[注釈 4]

名称選定までの推移 [27][32][編集]

  • 1997年(平成9年)
    • 12月18日 - 任意協議会「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」が設置される。
  • 1998年(平成10年)
    • 4月15日 - 新市の名称の議論を付託された「第2小委員会」が設置される。
    • 8月30日 - 大宮市が「新市名は大宮が最善」と主張。
    • 10月30日 - 大宮市の提案に基づき、3市の市民代表・学識経験者・マスコミ関係者で構成される「浦和市・大宮市・与野市新市名検討委員会」が設置される(会長:兵藤釗埼玉大学学長)。
    • 11月2日 - 第2小委員会開催。新市名検討委員会から「新市名公募」との報告を受ける。大宮市は公募方式に対し態度を保留するも、同月10日に新市名検討委員会は国内外からの公募を再確認。その後、上尾市・伊奈町の扱いをめぐり大宮が審議をボイコット。
  • 1999年(平成11年)
    • 6月25日 - 3市先行合併、合併後に上尾市・伊奈町の意向確認を行う旨の合意が行われ(6・25合意)、審議が正常化。
    • 8月 - 19日、大宮市議会の反対で公募先送り。28日、公募実施要項に「6・25合意」を盛り込むことで公募の実施を合意。31日、第14回第2小委員会で市名の公募の実施を合意。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月10日 - 市名の公募が実施される。期限の2月18日までに全国から67,665件、8,580種類の応募がなされる。
    • 3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案が市名候補として選考され、第2小委員会委員長及び小委員会に報告される。
    • 4月4日 - 第22回第2小委員会が開催。浦和市・与野市から『さいたま市』(公募2位)、大宮市から『大宮市』(3位)の2つの市名案が提案される。尚、『大宮市』の名称は、大宮市の提案で設置された新市名検討案が提出した市名候補5案にはないものだった。
    • 4月11日 - 第23回第2小委員会が開催。『埼玉』などの名称を使用しないでほしいとする要望書を提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長が招聘される。
    • 4月17日 - 第25回第2小委員会が開催。新市名を『さいたま市』とすることが合意される。
    • 4月24日 - 第21回合併推進協議会が開催。新市名を 『さいたま市』(公募2位)とする旨委員長報告があり、議案が提出。即日議決される。
    • 4月29日 - 法定協議会「浦和市・大宮市・与野市合併協議会」が設置される。

市名公募の結果 [29][編集]

応募総数67,665件、うち無効269件

順位 市名 応募件数 順位 市名 応募件数
1位 埼玉市 7,117 11位 浦野宮市 920
2位 さいたま市 3,821 12位 和野宮市 875
3位 大宮市 3,008 13位 埼京市 827
4位 彩玉市 2,588 14位 新埼玉市 771
5位 彩都市 2,495 15位 彩の国市 685
6位 浦和市 1,821 16位 大浦野市 579
7位 さきたま市 1,374 17位 彩央市 506
8位 大和野市 1,131 18位 宮野浦市 488
9位 彩京市 1,025 19位 氷川市 486
10位 彩市 962 20位 大野浦市 479
37位 関東市 217

政治[編集]

首長[編集]

さいたま市歴代市長
氏名 就任 退任 期・備考
井原勇 2001年5月1日 2001年5月26日 市長職務執行者
1983年5月1日-2001年4月30日まで与野市長として5期在任
相川宗一 2001年5月27日 2005年5月26日 1期・1991年5月2日-2001年4月30日まで浦和市長として3期在任(通算4期)
2 2005年5月27日 2009年5月26日 2期(通算5期)
3 清水勇人 2009年5月27日 2013年5月26日 1期
4 2013年5月27日 現職 2期

過去の市長選挙[編集]

2013年5月19日さいたま市長選挙 投票率 37.98% 有権者数 981,707人 有効投票数 368,585票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
171,876 清水勇人 無所属
118,362 長沼威 無所属
53,513 吉田一郎 無所属
24,834 大石豊 無所属
2009年5月24日さいたま市長選挙 投票率 42.78% 有権者数 953,436人 有効投票数 403,867票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
155,966 清水勇人 無所属
98,816 相川宗一 無所属
62,991 中森福代 無所属
32,249 日下部伸三 無所属
27,448 松下裕 無所属
26,397 高橋秀明 無所属
2005年5月15日さいたま市長選挙 投票率 35.51% 有権者数 921,336人 有効投票数 321,168票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
135,553 相川宗一 無所属
121,735 中森福代 無所属
63,880 沼田道孝 無所属
2001年5月27日さいたま市長選挙 投票率 46.41% 有権者数 795,006人 有効投票数 365,903票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
131,822 相川宗一 無所属
109,552 新藤享弘 無所属
49,505 岡真智子 無所属
39,323 高橋秀明 無所属
21,662 沼田道孝 無所属
8,647 高瀬広子 無所属
3,377 吉田一郎 無所属
2,015 山口節生 無所属
  • 2001年5月27日 - 初の市長選挙。前浦和市長の相川宗一(自由党推薦)が当選。
  • 2003年4月13日 - 初の市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2004年12月26日 - 南区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2005年5月15日 - 市長選挙。岩槻区選出議員の市議会議員増員選挙。浦和区選出議員の市議会議員補欠選挙。議員定数を71に増加。
  • 2007年4月8日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2009年5月24日 - 市長選挙。西区・北区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2011年4月10日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を60に削減。
  • 2013年5月19日 - 市長選挙。見沼区選出議員の市議会議員補欠選挙。

さいたま市議会[編集]

さいたま市議会を参照

国政選挙[編集]

本市における衆議院小選挙区は、3つに区分されている。

県政選挙[編集]

本市における県議会の議員定数は15で、行政区ごとに選挙区を区分している。

  • 南第3区:西区(定数1)
  • 南第4区:北区(定数2)
  • 南第5区:大宮区(定数1)
  • 南第6区:見沼区(定数2)
  • 南第7区:中央区(定数1)
  • 南第8区:桜区(定数1)
  • 南第9区:浦和区(定数2)
  • 南第10区:南区(定数2)
  • 南第11区:緑区(定数1)
  • 南第12区:岩槻区(定数2)


行政[編集]

市役所[編集]

さいたま市役所は、合併前の浦和市役所に置かれている。市役所の位置に関しては、合併前から一貫して旧市間での政治的対立の火種となっている。旧浦和、大宮、与野市にまたがってさいたま新都心が建設されてからは、さいたま新都心が浦和・大宮両都心に次ぐ「第三極」となっているが、さいたま新都心は旧市境上にあり、大宮市は合併協議にあたり、新市の名称を「大宮市」とする主張を取り下げるかわりに新市庁舎のさいたま新都心への建設を主張した。結局「将来の新市の事務所の位置については、さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、新市成立後、新市は、交通の事情、他の官公署との関係など、市民の利便性を考慮し、将来の新市の事務所の位置について検討するものとする」という文言を合併協定書に盛り込むことで玉虫色の妥結がとられた(#名称問題も参照)[33]。さらに合併後の市役所に関しては、新市役所建設までの当面の措置としては3市いずれかの市役所庁舎を使用することとし、どの庁舎がふさわしいか合併協議会の3市の議員で視察を行ったうえで決定するという提案が浦和市側からなされた。その結果、庁舎の築年数、敷地面積、道路交通のアクセス(3市の市役所で唯一国道17号線に面する)などの点において旧浦和市役所庁舎が他2市より優位であるとされ、最終的に旧浦和市の市役所庁舎が「当分の間」の新市の市役所本庁舎及び「総合支所」に相当する総合行政センター庁舎、旧大宮・旧与野両市の市役所庁舎は政令指定都市に移行の際の区役所庁舎への転用を見越して総合行政センター庁舎として使用されることとなった。

合併した3市の他にYOU And I(与野・大宮・浦和・上尾・伊奈から頭文字が取られている)構想に組み込まれていた上尾市と伊奈町も合併すると旧大宮市域が新市の地理的な中心に位置することとなることから、大宮市議会は上尾市の合併離脱を取り下げるよう説得を行っていたが上尾市は住民投票により合併離脱に至り、上尾市抜きではさいたま市と地域が連続しない伊奈町は合併を断念した。

なお前掲の合併協定書の文言に関して、現在でもたびたび市議会で旧大宮市域選出の議員を中心に「現市役所を使用し続けることは合併の憲法とも言える合併協定書の同意を反故にすること」等の解釈が示されているが、平成23年度第2回さいたま市庁舎整備検討委員会では「さいたま新都心に(市役所)庁舎を持ってくるという前提で話がなされていたのではないか」という委員の質問に対し、さいたま市庁舎整備検討委員会事務局から「新都心周辺地域と限定しているわけでなく『新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ検討する』という表現になっている。(中略)審議会を設置して、まずは、庁舎の位置が問題となっていくと思う。」との回答がなされており、事務局当局は合併協定書の文言が将来の市役所の「さいたま新都心周辺地域」への設置を確約するものではないとの見解を示している[34]。合併後政令指定都市化に伴い区役所が設けられ、実質的に市内各地における住民サービスの拡充が図られたこともあり、2014年現在も新市役所を建設する計画は具体化しておらず、2012年11月22日には、現在の市役所本庁舎に対し2014年から15年にかけて耐震補強工事を行う予定がさいたま市から発表された[35]

近年では旧大宮地域・旧与野地域選出の議員を中心に引き続き市役所移転の意見が出されているが、その多くは「市役所の新都心周辺への移転は合併協定書における合意事項」という解釈によるものである。これは上記の合併協定書における文章を「市役所のさいたま新都心周辺への設置を確約するもの」と解釈したものだが、一方旧浦和地域選出の議員からは「合併協定書の文章はあくまで合併当時三市間で最後まで合意に至れなかった「将来の市役所」の位置に関し、当時旧大宮市を中心にさいたま新都心周辺に市役所を設置せよという意見があったためそれを記載したまでで、合併協定書における合意としての「将来の市役所」の位置は未定である」との発言も出されている(市議会ウェブ議事録参照)ほか、市役所を移転させないことを公約にしている議員もいる。さらに、一見同様に「さいたま新都心周辺への移転」を主張しているように見える議員の中にもさいたま新都心駅東側の三菱マテリアル中央研究所跡地(大宮区内。現在も規模を縮小して存在)を推す旧大宮地域選出の議員と、さいたま新都心駅西側8-1A街区(中央区内。旧与野市内にあたる区域)を推す旧与野地域選出の議員がいるなど、市役所誘致をめぐる旧3市域選出の議員らの主張はまさに三者三様である。なお三菱マテリアル跡地に関しては1999年に敷地内の放射能汚染が明らかになってから永らく空き地になっているが、現在までに東側の一部に造幣局東京支局大宮警察署の移転が決まっているほか、2013年秋には残る西側敷地の中央部に防災公園とバスターミナルが建設される方針が決まり、徐々にではあるが土地利用の方針が決定しつつある。一方のさいたま新都心8-1A街区に関しても、さいたま赤十字病院埼玉県立小児医療センターの当地への移転が決定している。

この他、前述の宮原土地区画整理事業敷地の一角に北区の区役所が設置されているが、かつて大宮市議会はここに大宮市の新しい市役所を建設する計画があったために、新市の市役所として活用する案を推していた。ただしこの場合そもそも現在使用している旧浦和市役所庁舎以上にさいたま新都心からは離れた場所になる。政令指定都市に移行時に建設された北区役所の庁舎はプレハブ造の仮庁舎で業務をしていたが、建設予定地だった場所に北区役所本庁舎を中心とした「プラザノース」が建設され、2008年4月28日に新庁舎での業務を開始した。この北区役所の周辺の土地は長く更地の区画が多かったが、建築物が建つようになりつつある。

広報活動[編集]

市の一般的な広報活動は、広報課により行われている。同課内には、一般的な広報活動の企画立案や各区ごとの広報活動の取りまとめを行う「広報係」のほか、行政情報の見える化を推進することを主な業務とする「企画推進係」がある。[36]

主な広報媒体として、広報誌『市報さいたま』(毎月1回発行、全戸配布)、テレビ番組『のびのびシティさいたま市』(テレビ埼玉で放送)のほか、ウェブ媒体によるもの(公式サイトおよびメールマガジン)などがあり、このうち『市報さいたま』については視覚障害者向けにカセットテープ版や点字版も制作されている[37]。また、この他にも市議会や市政の個別テーマ・部局・地域ごとの広報が多くなされている。

市のマスコットキャラクターとして、市内の見沼(見沼田んぼ)に伝わる伝承に因んだ「つなが竜ヌゥ」が2007年9月20日に制定された[38]。このキャラクターは一定の条件(要綱・マニュアルに記載)を満たせば営利目的を含めて誰でも使用することができるほか、着ぐるみの貸し出しも行われている[39]。また、埼玉県の自治体のゆるキャラで構成されるゆる玉応援団にも加盟している。

県の出先機関[編集]

埼玉県庁(浦和区)
埼玉県計量検定所
浦和合同(地方)庁舎
  • さいたま農林振興センター(浦和区)
  • さいたま県土整備事務所(南区)
  • 企業局大久保浄水場(桜区)
  • 企業局第一水道建設事務所(桜区)
  • 中央産業労働センター(浦和区)
  • 埼玉県計量検定所(北区)
  • 埼玉県創業・ベンチャー支援センター(中央区)
  • 埼玉県立職業能力開発センター(北区)
  • ヤングキャリアセンター(大宮区)
  • 埼玉県動物指導センター南支所(桜区)
  • 中央家畜保健衛生所(北区)
  • 中央環境管理事務所(浦和区)
  • さいたま県税事務所(浦和区・浦和合同庁舎)(平成24年4月1日、浦和県税事務所と大宮県税事務所が統合し改称)
  • 自動車税事務所(大宮区・大宮合同庁舎)(平成24年4月1日、旧大宮県税事務所の一部業務(県民税(利子割、配当割及び株式等譲渡所得割)、県たばこ税、ゴルフ場利用税、軽油引取税及び鉱区税に関する事務を引き継ぎ移転)
    • 自動車税事務所大宮支所(西区)(平成24年4月1日、自動車税事務所が大宮合同庁舎へ移転に伴い設置。)
  • 埼玉県男女共同参画推進センター(WithYouさいたま)(中央区)
  • 競技事務所(大宮区)
  • 中央地域創造センター(浦和区)
  • パスポートセンター(大宮区)
  • 南部教育事務所(浦和区)
  • 埼玉県立文書館(浦和区)
  • 県民生活部交通安全課交通事故相談所(浦和区・埼玉県庁内)
  • 荒川左岸南部下水道事務所(南区)
  • 別所沼会館(南区)
  • 食肉衛生検査センター(中央区)
  • 母子福祉センター(大宮区)
  • 埼玉県救急救命士養成所(桜区)
  • 産学連携支援センター埼玉(中央区)
  • 障害者交流センター(浦和区)
  • 児童養護施設いわつき(岩槻区)
  • さいたま労働時間等相談センター(浦和区)

県の公社[編集]

国の出先機関[編集]

合同庁舎などの行政機関が集積するさいたま新都心
さいたま地方法務局庁舎

安全[編集]

消防[編集]

警察[編集]

第一方面本部、さいたま市警察部、交通管制センターを併設

その他警察施設[編集]

  • 交通機動隊(西区)
  • 警察学校(北区)
  • 高速道路交通警察隊岩槻分駐隊(岩槻区・東北自動車道岩槻インターチェンジ内)
  • 鉄道警察隊(大宮区・大宮駅西口)
    • 大宮駅派遣所
    • さいたま新都心駅派遣所
  • 音楽隊(北区)
  • 運転教育課大宮分室(北区)
  • 国外運転免許センター(大宮区)
  • 機動センター(西区)
  • 木崎分庁舎(浦和区)
  • 鹿手袋分庁舎(南区)
  • 宮原分庁舎(北区)

経済[編集]

産業構成[編集]

さいたま市と埼玉県、日本全国、政令市・特別区部平均の従業人口ベースの産業構成。

さいたま市では、従業者の80%以上が商業・サービス業等の第三次産業に従事している。この構成割合は、政令市および東京特別区部全体とほぼ同様である。埼玉県全体や日本全国と比べると、製造業の構成割合が小さく、サービス業の構成割合が大きい。

主な企業[編集]

NACK5サテライトスタジオが入居する大宮アルシェ 
浦和センチュリーシティー 
埼玉りそな銀行の本部(浦和区) 

地域社会[編集]

健康・医療[編集]

さいたま市は、1市で1つの二次医療圏(さいたま保健医療圏)を構成する。

  • 平均年齢(2010年9月1日現在):41.94歳(男=40.96歳、女=42.92歳)

インフラ整備の状況[編集]

教育機関[編集]

小中学校及び高等学校、特別支援学校等は各区を参照。

スポーツ[編集]

サッカー[編集]

2007年、浦和レッズがAFCチャンピオンズリーグで優勝した際に真っ赤なイルミネーションで飾られた浦和駅西口。
同じく東口。

さいたま市は、旧浦和市を中心としてサッカーが盛んな街でもある。現在のさいたま市役所付近に置かれた埼玉師範学校(後の埼玉大学教育学部)が1937年の全国中等学校蹴球大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越えた(かつては関西地方で全国大会が開かれていたため)。以来、1950年代から1970年代にかけて浦和高校浦和西高校浦和市立高校浦和南高校が次々と全国制覇し、静岡県広島県と共に「サッカー御三家」と称された[40]

2014年現在、さいたま市内を本拠地とするプロサッカークラブとしては、Jリーグ1部(J1)に所属する浦和レッドダイヤモンズ大宮アルディージャ、女子サッカークラブとしてはなでしこリーグ(旧L・リーグ)に所属する浦和レッドダイヤモンズ・レディースがある。浦和レッドダイヤモンズ大宮アルディージャとの試合はさいたまダービーと呼ばれることがある。

2002年には、FIFAワールドカップの埼玉会場として、日本代表の初戦や準決勝戦など4試合が緑区埼玉スタジアム2002で行われた。

バスケットボール[編集]

バスケットボールについては、bjリーグ所属の埼玉ブロンコスホームタウンである他、2006年8月26日から9月3日まで、FIBAバスケットボール世界選手権のファイナルラウンドが中央区さいたまスーパーアリーナにて行われた。女子では現在は廃部となったが、日本リーグにも参戦していた日本通運ディアーズ浦和市に本拠を置いていた。

野球[編集]

野球も市内で盛んであり、県営や市営の野球場が多数占めている。高校野球においては、1968年大宮工業高校2013年浦和学院高校選抜高校野球大会優勝を果たしている他、大宮東高校埼玉栄高校といった強豪校が存在している。社会人野球においても、戦前は大宮町に本拠に置いた「全大宮」が1932年から都市対抗野球大会に5年連続で出場し、1935年1936年と二年連続で準決勝に進出する活躍で全国にその名を轟かせた。戦後は、浦和市に本拠に置いた日本通運1964年に埼玉県勢初の都市対抗野球大会優勝を果たし、1994年には日本選手権の優勝を果たした。また、多くのプロ野球選手を輩出している。

ボクシング[編集]

日本ボクシングコミッションより公認を受けたボクシングジムは市内に3箇所。そのうち、オサムボクシングジムはかつて旧大宮市出身で「和製ヘビー級」と謳われた西島洋介山(後の西島洋介)が所属し、当時の大宮市内で試合を行ったこともある。また、さいたまスーパーアリーナでは過去に幾度世界タイトルマッチが組まれたこともある。

スポーツ文学賞[編集]

さいたま市は、スポーツが盛んな都市というイメージを生かし、1994年にさいたま市スポーツ文学賞(開始時は「浦和スポーツ文学賞」。現在は終了)を創設した。スポーツを題材とする小説およびエッセイを全国から公募する文学賞で、2010年まで隔年で実施された。また、受賞者の作品をまとめた作品集『SPORTS STORIES』を毎回刊行していた。

スポーツ施設[編集]

さいたまスーパーアリーナ正面の夜景
埼玉スタジアム2002

サッカー[編集]

野球[編集]

その他[編集]

観光[編集]

名所・旧跡[編集]

さいたま新都心・けやきひろばのイルミネーション

観光スポット[編集]

祭事・催事[編集]

特産品[編集]

  • 盆栽(北区の土呂駅大宮公園駅付近には、関東大震災の際に盆栽業者が集団移住した通称「盆栽村」がある。この周辺は、後に住居表示においても盆栽の名前が採用されて「盆栽町」と命名されている。)
  • 岩槻人形ひな人形)(岩槻区の中心部は、古くから「人形の街」として有名。経済産業大臣指定伝統的工芸品
  • 慈姑(緑区は、国内有数の産地として知られている。)
  • (岩槻区は「岩槻ねぎ」の産地として知られ、落語の「たらちね」の中に登場している。)

料理[編集]

  • ウナギ蒲焼(浦和は鰻の蒲焼発祥の地とされており、江戸時代、浦和近郊は沼地が多く、魚釣りなどを楽しむ行楽客に沼地でとれたうなぎを出したのが始まりと言われている。現在でも浦和地区の名物として知られ、2002年から「うなぎまつり」が開催されている。)
  • ケーキ(総務庁統計局家計調査年報<1998年〜2000年(平成10年〜12年)平均より>によると、旧浦和市の1世帯当たりの年間ケーキ購入額が全国で1位となったため、埼玉中央青年会議所(埼玉中央JC)が「ケーキのまち・さいたま」を宣言し、ケーキで街おこしをしようと毎年ケーキにちなんだイベントを開催している。)また、パスタの消費量も全国で1位である。
  • 豆腐ラーメン (豆腐とひき肉の餡がかかったラーメン。埼玉県のご当地ラーメンとされる。)
岩槻城黒門 
岩槻城址公園 
大宮公園 
さいたま市立博物館 

交通[編集]

さいたま市では、東北新幹線上越新幹線が分岐するほか、多くの在来線の路線も交錯している。また東北自動車道東京外環自動車道などの高速道路も通過している。

鉄道交通[編集]

現さいたま市域において初めて鉄道が開通したのは、日本初の鉄道開通(新橋駅~横浜駅間)より11年後の、1883年(明治16年)のことである。この時に開通したのは、現在の京浜東北線高崎線の経路の各一部に相当する、日本鉄道上野駅熊谷駅間であり、現さいたま市域で開業した鉄道駅は、浦和駅のみであった。その2年後の1885年(明治18年)には、大宮駅が設置され、直後に現在の東北本線の一部をなす日本鉄道の大宮駅~栗橋駅間が開通した。東北本線と高崎線の分岐点となった大宮駅には、さらに1894年(明治27年)に鉄道工場が併設されるなど、鉄道交通の要衝としての機能を蓄積していくこととなった。

その後、新たな鉄道路線の開通や新駅の開業により、現さいたま市域を通る路線や駅は次第に増加していった。2014年現在、さいたま市には4つの事業者が運行する11の旅客鉄道路線[注釈 5]と、31の鉄道駅がある。

このうち主に長距離交通を担う路線として、東北新幹線上越新幹線の2路線の新幹線大宮駅で分岐しており、東北地方北陸地方および東京へと伸びている。

新幹線以外の旅客鉄道路線の多くは南北方向に通じており、東京大都市圏における放射状の路線をなしている。特に大宮駅以南のJR東北本線は、京浜東北線(電車線)、高崎宇都宮線(列車線)、湘南新宿ライン(貨物線)の3複線となっており、多数の列車が運行されている。一方で、東京大都市圏における環状の路線をなす路線として、市の北部に東武野田線JR川越線、南部にJR武蔵野線が、それぞれ東西方向に通じている。

一般に、東京大都市圏においては放射状方向に比べて、郊外どうしを結ぶ環状方向の鉄道路線が少ない。一方でさいたま市では、東西(≒環状)方向、南北(≒放射状)方向の両方に、それぞれ複数の鉄道路線が通じており、市内相互や市内と市外とを結んでいる。しかしながら、東西方向の鉄道路線は南北方向よりも運転本数が少ない傾向にあり、特にJR川越線日進駅以西は、単線となっている。

埼玉高速鉄道線
埼玉新都市交通伊奈線

鉄道路線と駅の一覧[編集]

路線バス[編集]

市の全域で民営バスによる運行が行われている。市の南部には国際興業バス、北西部には西武バス、北東部には東武バスウエストの運行路線がそれぞれ多く、大半のバス路線は鉄道駅を起点もしくは終点としている。公営交通(市営バス)の運行はないが、運行費用の一部を市が補助する形で民営バスが運行するコミュニティバス路線が存在する。

乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券方式による区間制である。PASMOSuica(非接触型IC乗車カード)が利用可能なバス事業者が多く、また、回数券が利用できるバス事業者もある(国際興業バスなど)。ただし、100円均一区間(浦和駅周辺など)では、現金以外で支払うと割引が適用されない。

さいたま市のコミュニティバスに関してはこちらを参照のこと。

タクシー[編集]

タクシーの営業区域県南中央交通圏で、川口市鴻巣市上尾市戸田市などと同じエリアとなっている。

道路交通[編集]

首都高速埼玉新都心線
国道17号・与野大宮道路を歩道橋から。

高速道路・有料道路[編集]

一般国道[編集]

都道府県道[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

出身有名人[編集]

政治家[編集]

文化人[編集]

スポーツ[編集]

芸能[編集]

音楽[編集]

キャスター・アナウンサー[編集]

学者[編集]

その他[編集]

ゆかりのある人物[編集]

旧浦和市

旧大宮市

旧与野市

名誉市民[編集]

※旧市で名誉市民に推挙された人物は、さいたま市名誉市民として自動的に継承されている。

市民栄誉賞[編集]

※旧市で市民栄誉賞に表彰された人物は、さいたま市民栄誉賞受賞者として自動的に継承されている。

その他[編集]

  • 市外局番は市内全域「048」。市内局番が「6XX」(旧大宮市域)「7XX」(旧岩槻市域)「8XX」(旧浦和市域、旧与野市域)の地域との通話は市内通話料金で利用可能(浦和MA)。「7xx」から始まる市内局番はさいたま市以外も広範囲に使われている。エリアは上尾市、桶川市、北足立郡伊奈町、蓮田市、春日部市はさいたま市内から同一の市内通話料金の課金となっている。
  • 上尾市北足立郡伊奈町との合併も構想されていたが、上尾市では住民投票の結果、合併反対が多く、伊奈町が飛び地となってしまうため計画は頓挫した。その際のプロジェクト愛称名は「さいたまYOU And Iプラン」(構成地域の与野、大宮、浦和、上尾の4市と伊奈町のローマ字表記の頭文字を組み合わせた名称で、後に「彩の国YOU And Iプラン」と改められた)
  • 初めて都市名がひらがなで、また初めて内陸県で誕生した政令指定都市である(2007年8月現在唯一)。
  • さいたま市の全国地方公共団体コードは11100(検査数字を除く)で、行政区は11101から順に割り当てられる。これに基づいて仮定すると、現在最も新しく発足した岩槻区が11110であるため、仮に新たな行政区が発足(11番目)した場合は11111のゾロ目となる。ちなみに、2006年2月現在実在するゾロ目の団体コードは、静岡県伊豆市の22222だけである。

さいたま市に関わる百選[編集]

  • 日本さくら名所100選:大宮公園
  • 日本の都市公園100選:大宮公園
  • 公共建築百選:埼玉県立歴史と民俗の博物館
  • 名木百選:与野の大カヤ
  • 都市景観100選:盆栽町地区
  • 歴史の道百選:見沼通船堀

さいたま市に関わる作品[編集]

小説など
主人公が友人に誘われ出掛けたのが大宮。二人は、氷川公園氷川神社を巡る。
寺田寅彦本人が写生のため氷川公園を訪れた時の手記が綴られている。
児童文学作品。舞台には作者の石井が幼いころ遊んだ旧浦和町の神社や池が使われている。
映画
主人公がさいたま市に住んでいる。
漫画・アニメ
サッカー漫画及びアニメ作品。浦和南高校が舞台(作中では「新生高校」)。
思春期をテーマとした漫画及びアニメ作品。群馬県で育った主人公がさいたま市に引越してくる(街のモデルが大宮区)。
テニス漫画。作者の山本鈴美香の出身校である浦和西高校が舞台のモデル(アニメ・ドラマ版の舞台は「神奈川県立西高校」)。
野球漫画。原作者のひぐちアサの出身校である浦和西高校が舞台のモデル(作中では「西浦高校」)。
ギャグ漫画。作者の古谷実の出身地である旧浦和市及び校舎のみだが出身中学校がモデル(作中では「稲豊市」)。
サッカー漫画。大宮公園サッカー場浦和駒場スタジアムが実名で登場している。
サッカー漫画。初期の頃は、主人公が浦和レッズに所属している設定だった。その関係で旧浦和市が舞台だった。
ライトノベルが原作。アニメ版は、大宮駅の周辺が舞台のモデルとなっている(作中では「御﨑市」)。
アニメ作品。見沼区大和田町が舞台。実際の町内の風景がそのまま登場する。
天文をテーマにした漫画及びアニメ作品。さいたま市青少年宇宙科学館さいたま市立東浦和図書館などの施設がモデルとなった(作中では「小杉野市」)。
漫画作品。大宮駅東口の周辺に実在した飲食店・ボウリング場や、さいたま市大宮武道館が登場する。
山興証券浦和支店を舞台とした株式をテーマとする漫画作品。
PS-VITA用ゲーム。主人公が生活する最初の地域の天宮は大宮がモデル。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 県最西部は「秩父地方」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため
  2. ^ 旧浦和市上木崎1丁目および大宮市錦町・吉敷町2丁目・北袋町1丁目のうち、それぞれ東北本線西側の地区(現:中央区新都心)。さいたま新都心のうち東北本線西側の地区を一体的に中央区に編入することとなったことによる。
  3. ^ 大原6丁目・7丁目。
  4. ^ 今尾恵介『地図から消えた地名』東京堂出版。
  5. ^ 東北本線(宇都宮線)・京浜東北線・埼京線・川越線をそれぞれ1路線として扱い、湘南新宿ラインを1路線とは数えない時の路線数。

参照[編集]

  1. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
  2. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」に記載の標高で、同資料の注にはさいたま市地形図に記載の標高点の最低・最高のものと説明されている。
  3. ^ さいたま市ホームページ 「さいたまWeb/将来の行政区の区割りに関する方針について」
  4. ^ さいたま市ホームページ 「区の色・ロゴマークの使用について」
  5. ^ さいたま市ホームページ 「10区の「区の花」が決定しました」
  6. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)23-25頁
  7. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、210、219、982頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)18-19頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)30-34頁
  8. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、219-220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)40-41、52頁
  9. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)59、69頁
  10. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)78頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)69~70頁
  11. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)73~74頁
  12. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121頁
  13. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)77頁
  14. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)118~119頁
  15. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)137~138頁
  16. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122~123、210、221、983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)153頁
  17. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122~123、211、221、983頁、財団法人日本地図センター『地図で見るさいたま市の変遷 解説』(2003)20~21、25頁
  18. ^ 『荒川総合調査報告書3 荒川 人文Ⅱ』(1988)13~14頁
  19. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122~123、211、222頁
  20. ^ 『荒川総合調査報告書3 荒川 人文Ⅱ』(1988)16~28頁
  21. ^ 国立公文書館デジタルアーカイブ「戦災概況図」
  22. ^ a b c d 『さいたま市誕生 浦和市・大宮市・与野市合併の記録』(2001)14~16頁
  23. ^ 『与野の歴史』(1988)228-229頁
  24. ^ 『与野の歴史』(1988)245-246頁
  25. ^ 『与野の歴史』(1988)246頁
  26. ^ 『与野の歴史』(1988)247頁
  27. ^ a b 2000年4月19日埼玉新聞記事「どこまで本気?「大宮市」 新市名“バーター”で 第2小委員会の主な経過」
  28. ^ 2000年3月29日埼玉新聞記事「既存市名には抵抗感 県外の投票でも不人気」。なお、『大宮市』の応募の75.2%が大宮市、『浦和市』の応募の70.3%は浦和市から行われたものである。
  29. ^ a b さいたま市ホームページ 「新市名称公募」結果のお知らせ
  30. ^ 大宮市は当初「新都心周辺地域とする」との表現を主張、それが浦和市側の反発を招き、「望ましいとの意見を踏まえ」「将来の位置を検討する」との文言が入れられた(2000年4月20日埼玉新聞記事「「さいたま市」へ 痛み分けあった合意」)。
  31. ^ 2000年4月18日埼玉新聞記事「新市名は「さいたま市」 将来の市役所 位置新都心周辺含め検討」
  32. ^ 合併推進協議会報告書
  33. ^ 平成20年度第1回さいたま市庁舎整備検討委員会資料
  34. ^ 平成23年度第2回さいたま市庁舎整備検討委員会議事概要
  35. ^ 毎日新聞2012年11月23日
  36. ^ 広報課の紹介 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  37. ^ さいたま市の主な広報活動 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  38. ^ さいたま市長9月定例記者会見 平成19年9月20日(木曜日) (PDF)
  39. ^ つなが竜ヌゥ - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  40. ^ さいたま市中学校向け授業「埼玉サッカー100年と浦和レッズ」を開始”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2013年3月19日). 2013年12月28日閲覧。
  41. ^ 人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり - hinameguri.com(2010年11月1日閲覧)
  42. ^ さくら草まつりをまもなく開催します!(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年4月2日付、同年11月1日閲覧)
  43. ^ やなせさんコンサートも 浦和うなぎまつり盛況 - MSN産経ニュース(2010年5月29日付、同年11月1日閲覧)
  44. ^ 踊る阿呆に見る阿呆〜第33回北浦和阿波おどり大会(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年8月27日付、同年11月1日閲覧)
  45. ^ 与野停車場通り 第19回大正時代まつり(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年10月8日付、同年11月1日閲覧)

参考文献[編集]

  • 浦和市総務部行政資料室編 『図説 浦和のあゆみ』 1993年
  • 財団法人日本地図センター 『地図で見るさいたま市の変遷』 2003年
  • 有限会社平凡社地方資料センター編 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』 1993年
  • 与野市総務部市史編さん室 『与野市史 通史編上巻』 1987年
  • 与野市総務部市史編さん室編『与野の歴史』1988年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]