さいたま市

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さいたまし
さいたま市
Saitama montage.jpg
さいたま市旗
さいたま市旗
2001年平成13年)10月25日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
団体コード 11100-7
面積 217.49km²
総人口 1,245,682
推計人口、2014年2月1日)
人口密度 5,730人/km²
隣接自治体 上尾市川口市朝霞市川越市
志木市戸田市蓮田市富士見市
蕨市春日部市越谷市白岡市
市の木 ケヤキ
市の花 サクラソウ
他のシンボル 市の花木:サクラ
市のマスコット:つなが竜「ヌゥ」
市の愛称:のびのびシティ さいたま市
市の歌:希望(ゆめ)のまち
(作詞:福原くにこ、作曲:タケカワユキヒデ
さいたま市役所
所在地 330-9588
埼玉県さいたま市浦和区常盤六丁目4番4号
北緯35度51分41秒東経139度38分44秒
さいたま市役所
外部リンク さいたま市

さいたま市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

さいたま市行政区画図

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さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南部東寄りに位置するである。同県の県庁所在地であり、日本に20市ある政令指定都市の1つである。

2001年(平成13年)5月1日に、浦和市大宮市与野市の3市による新設合併により成立した。さらに、2005年(平成17年)4月1日には岩槻市を編入した。

2014年現在、120万人余の人口を抱えるさいたま市は、日本で9番目に人口が多い市となっている。

目次

地理[編集]

位置[編集]

さいたま市は、関東地方の中央部に位置する。日本の首都である東京の都心部から北に約20-30 kmの距離にあり、県庁所在都市としては東京に最も近い。埼玉県内においては南部東寄りに位置するが、県内で用いられる地域区分では、「中央地域」とされることが一般的である[1]

さいたま市の市域は、東西19.6km、南北19.9kmにわたり、面積は217.49km²である[2]。日本の政令指定都市としては川崎市堺市に次いで3番目に狭い一方、埼玉県内の市町村としては秩父市に次いで2番目に広い。

地形[編集]

さいたま市周辺の地形

さいたま市には、山地丘陵といえる地域は存在せず、全域が台地及び低地からなる。全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜1.1m(桜区下大久保羽根倉)、最も高い地点でも標高20.5m(岩槻区表慈恩寺西)である[3]。市の西境に荒川、東寄りに元荒川が、それぞれ北西から南東に流れており、これらに近い市の西側、南側、東側の3方を低地で囲まれる。一方、市の北西側から南東に向かって大宮台地(北足立台地)が伸びており、市の中央部を貫いている。この台地の中にも鴻沼川芝川綾瀬川などの中小河川が流れている。このような中小河川に沿って谷底平野沖積平野等の低地が形成されているため、大宮台地はいくつかの「支台」に区切られている。これらの一部の低地には、江戸時代に干拓される以前は見沼鴻沼といったが存在していた。

土地利用[編集]

東京にほど近いさいたま市は、東京大都市圏における郊外住宅都市としての性質が強い。その一方で、1988年(昭和63年)に旧浦和市・大宮市が業務核都市に指定され、2000年(平成12年)にさいたま新都心が街開きをして各中央官庁の地方支分部局が東京より移転してくるなど、郊外における一大業務地としての性質も強まりつつある。

主要な商業・業務地は浦和駅さいたま新都心駅大宮駅といった市内を南北に縦断する東北本線の主要駅周辺や、東武野田線岩槻駅周辺に点在する。これらの主要な主要な商業・業務地は、その多くが大宮台地上に位置している。また、関東大震災後や第二次世界大戦後には、現さいたま市域は急激な人口流入をみたが、それに伴う都市化・宅地化も、低地より台地上で先行した。その後、1960年代以降は都市化・宅地化が低地にも伝播し(スプロール現象)、現在では低地にも市街地や住宅地が広がっている。

しかしながら、現在においてもなお、鉄道駅から離れた地区には農地が多く存在し、住宅地の中にも小規模な農地が点在している。特に、岩槻区の市街地・住宅地は、市内の他の市街地・住宅地とはやや離れている。また、治水対策として広大な河川敷が設けられている荒川周辺や、農地として保全された見沼田圃では、開発が厳しく制限されており、人口のほとんどいない地域も存在している。

気候[編集]

さいたま市の気候は、ケッペンの気候区分に基づけば温暖湿潤気候 (Cfa) に属するが、本州の太平洋側に一般的にみられるように夏季に比べ冬季の降水量が少ない。冬季の降水量の少なさと最低気温の低さは、東京(大手町)や横浜市千葉市といった近隣の沿岸部諸都市と比べ、より顕著である。アメダスのさいたま観測点(桜区大字宿)における平年値(1981年~2010年の観測結果による)は、年平均気温は14.8℃、年間平均降水量は1346.0mmである。

さいたま市(1981年 - 2010年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 18.7
(65.7)
25.5
(77.9)
25.4
(77.7)
31.2
(88.2)
33.3
(91.9)
35.9
(96.6)
38.7
(101.7)
37.9
(100.2)
37.4
(99.3)
32.1
(89.8)
25.6
(78.1)
25.1
(77.2)
38.7
(101.7)
平均最高気温 °C (°F) 9.2
(48.6)
9.9
(49.8)
13.1
(55.6)
19.0
(66.2)
23.2
(73.8)
26.0
(78.8)
29.8
(85.6)
31.5
(88.7)
27.1
(80.8)
21.6
(70.9)
16.2
(61.2)
11.7
(53.1)
19.9
(67.8)
日平均気温 °C (°F) 3.6
(38.5)
4.4
(39.9)
7.8
(46)
13.4
(56.1)
18.0
(64.4)
21.5
(70.7)
25.1
(77.2)
26.6
(79.9)
22.7
(72.9)
16.9
(62.4)
11.0
(51.8)
5.9
(42.6)
14.8
(58.6)
平均最低気温 °C (°F) −1.5
(29.3)
−0.6
(30.9)
2.8
(37)
8.1
(46.6)
13.4
(56.1)
17.7
(63.9)
21.5
(70.7)
22.9
(73.2)
19.2
(66.6)
12.8
(55)
6.2
(43.2)
0.8
(33.4)
10.3
(50.5)
最低気温記録 °C (°F) −7.8
(18)
−8.7
(16.3)
−5
(23)
−2
(28)
4.8
(40.6)
11.5
(52.7)
14.7
(58.5)
17.1
(62.8)
9.5
(49.1)
3.6
(38.5)
−2.4
(27.7)
−6.7
(19.9)
−8.7
(16.3)
降水量 mm (inch) 37.4
(1.472)
43.1
(1.697)
90.9
(3.579)
102.3
(4.028)
117.3
(4.618)
142.4
(5.606)
148.1
(5.831)
176.3
(6.941)
201.8
(7.945)
164.9
(6.492)
75.7
(2.98)
41.1
(1.618)
1,346
(52.992)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm) 3.9 5.2 9.5 9.8 10.3 11.6 12.1 8.7 11.5 9.6 6.7 3.9 102.8
平均月間日照時間 193.3 179.9 177.8 185.7 174.7 128.2 145.5 173.0 128.1 137.0 154.5 182.9 1,960.9
出典 1: 気象庁
出典 2: 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)

人口[編集]

Demography11100.svg
さいたま市と全国の年齢別人口分布(2005年) さいたま市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― さいたま市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
さいたま市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 657,425人
1975年 813,712人
1980年 879,291人
1985年 922,757人
1990年 1,007,569人
1995年 1,078,545人
2000年 1,133,300人
2005年 1,176,314人
2010年 1,222,910人
総務省統計局 国勢調査より

行政区[編集]

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さいたま市の区
合併前の旧4市域と現さいたま市の区域との比較

政令指定都市であるさいたま市には、10の行政区が設置されている。おおむね、市町村合併前の旧浦和市域に桜区浦和区南区緑区の4区が、旧大宮市域に西区北区大宮区見沼区の4区が、旧与野市域に中央区が、旧岩槻市域に岩槻区が位置する。ただし、わずかに旧浦和市内や大宮市内で中央区に編入された地区や、旧浦和市内で大宮区に編入された地区もある。

この10区には、それぞれ「区の色[4]」および「区の花[5]」が制定されている。

さいたま市の行政区
区名 団体コード 設置日 位置 面積 人口 世帯数 区の色 区の花
西区 11101-5 2003年4月1日 大宮市西部 29.14km2 84,731人 34,260世帯 あお アジサイ
北区 11102-3 2003年4月1日 旧大宮市北部 16.91km2 140,528人 60,965世帯 ふかみどり 菜の花
大宮区 11103-1 2003年4月1日 旧大宮市南部 12.75km2 109,681人 49,431世帯 オレンジ さくら
見沼区 11104-0 2003年4月1日 旧大宮市東部 30.63km2 158,354人 65,856世帯 そらいろ クマガイソウ
中央区 11105-8 2003年4月1日 与野市 8.39km2 96,526人 42,128世帯 バラ色 バラ
桜区 11106-6 2003年4月1日 浦和市西部 18.60km2 96,715人 42,352世帯 さくら色 サクラソウ
浦和区 11107-4 2003年4月1日 旧浦和市北部 11.51km2 145,320人 62,960世帯 あか ニチニチソウ
南区 11108-2 2003年4月1日 旧浦和市南部 13.89km2 175,794人 75,527世帯 レモン色 ヒマワリ
緑区 11109-1 2003年4月1日 旧浦和市東部 26.51km2 111,213人 43,396世帯 みどり サクラ
岩槻区 11110-4 2005年4月1日 岩槻市 49.16km2 111,095人 43,393世帯 やまぶき色 やまぶき

※中央区には旧浦和市(上木崎1丁目)・大宮市(錦町・吉敷町2丁目・北袋町1丁目)のうち東北本線線路西側の地区が含まれ(現在の住居表示は「新都心」)、大宮区には旧浦和市の大原6・7丁目が含まれるなど、一部旧市域と異なる地区あり

歴史[編集]

概史[編集]

さいたま市は、いわゆる平成の大合併の初期にあたる2001年(平成13年)5月1日に、浦和市大宮市与野市の3市による新設合併により成立した。また、2005年(平成17年)4月1日岩槻市を編入した。

現在では120万人以上の人口を抱える大都市であるさいたま市も、近世以前にはほとんどが農村地帯であり、市街は小規模で、かつ分散していた。現さいたま市域でもっとも早く市制施行したのは1934年(昭和9年)の旧浦和市であるが、これは日本の都道府県庁所在地として最も遅い市制施行である。

先史時代[編集]

現さいたま市域には、旧石器時代より人が居住しており、大宮台地の関東ローム層から大古里(おぶさと、緑区)遺跡、明花向(みょうばなむかい、南区)遺跡などの遺跡から、旧石器時代の出土品が発見されている[6]

縄文時代前期には、世界的な温暖化の進行により海面上昇が進み(縄文海進)、荒川や元荒川の下流域は海面下に没した(奥東京湾)。このため、内陸県である埼玉県栃木県でもこの時代の貝塚が発見されており、さいたま市内においても、当時の海岸線に近い大宮台地の縁辺部に大谷場貝塚(南区)、大戸貝塚(中央区)、中川貝塚(見沼区)等の貝塚が残されている。寒冷化の進んだ縄文時代の後期・晩期の遺跡は少なくなるものの、真福寺貝塚(岩槻区、国指定遺跡)、馬場小室山遺跡(緑区)、東北原遺跡(見沼区)などの遺跡がある[7]

弥生時代古墳時代に入ると、本格的な水稲耕作が行われるようになる中で、低地をのぞむ台地の縁辺部や、低地の自然堤防に多くの集落が形成されるようになった。古墳は、植水古墳群側ヶ谷戸古墳群(西区)、大久保古墳群土合古墳群(桜区)など古入間川沿いの台地縁辺部や低地に多く見られる[8]

古代[編集]

律令体制が整備されると、現さいたま市のうち岩槻区は埼玉郡に、それ以外の9区は足立郡に含まれるようになった。和名類聚抄には足立郡に7つの郷が所載されており、そのうち堀津(ほっつ)、殖田(うえた)、郡家(ぐうけ)、発度(はっと)、大里(おおさと)の5郷を現さいたま市域内に比定する説があるが、堀津郷や発度郡はさいたま市外に比定する説もあり、定かではない。延喜式神名帳には、現さいたま市域では氷川神社調神社足立神社の3座が所載されている(式内社[9]

平安時代中頃には、国司に抵抗する群盗の蜂起が続発して治安が悪化した武蔵国では、地方豪族や荘園管理者などが農民などを集めて武装化するようになり、ここに武士が登場した。938年(天慶元年)、足立郡司として現在の浦和や大宮を含む足立郡一帯を支配していたと考えられる武蔵武芝と、武蔵権守の興世王・武蔵介の源経基との対立が生じ、これがやがて平将門の乱の契機となったが、乱に巻き込まれる中で武蔵武芝は失脚し、以降足立氏などが足立郡司として登場した[10]

中世[編集]

1160年(平治元年)の平治の乱の際、源義朝に従って破れた足立遠元は、その後足立郡に逼塞していたと考えられているが、1180年(治承4年)に挙兵して鎌倉入りした源頼朝から足立郡の郡郷領掌を安堵され、以後有力御家人として重用された。足立遠元の屋敷は現桶川市川田谷に比定する説と、現さいたま市西区の植田谷に比定する説とがある。この他、鎌倉時代に現さいたま市域に勢力を有した武士として、髙鼻和氏、麻弥屋氏、箕勾氏、渋江氏、柏崎氏などがある[11]

戸田市西部からさいたま市南区西部にまたがる佐々目郷は、1293年(承応6年)から4度に分けて鎌倉鶴岡八幡宮寄進されたが、1394年(応永元年)以降、鶴岡八幡宮による支配に抵抗する農民の闘争がたびたび生じた[12]

室町時代の関東地方では、幾度にわたる戦乱が生じたが、現さいたま市域もその戦乱の中に組み込まれることとなった。観応の擾乱においては、1350年(観応元年)に羽祢蔵(羽根倉、現桜区付近)にて合戦が行われ、足利尊氏方の髙麗経澄足利直義方の難波田九郎三郎らを破っている[13]

また、1455年(享徳3年)に享徳の乱が勃発すると、現さいたま市一帯では古河公方足利成氏の家臣である簗田持助が足立郡に討ち入ってその大半を押領したり、関東管領の(扇谷上杉持朝が家臣の太田資清資長(道灌)父子に岩付城を築城させたりという動きが生じている[14]

その後、岩付城には太田氏による居住が続いたが、長享の乱(1487年1505年)における長期間にわたる山内上杉家扇谷上杉家との抗争の中で、関東地方では後北条氏が次第に勢力を拡大していった。1564年(永禄7年)に北条氏康に内応した太田氏資がその父である太田氏清を追放すると、一帯は後北条氏の支配体制に組み込まれていった[15]

しかし、1590年(天正18年)には豊臣秀吉による小田原征伐の過程で岩付城も陥落し、後北条氏による支配体制は終わりを迎えた[16]

近世[編集]

近代以降[編集]

市町村合併の経緯[編集]

現さいたま市域やその周辺では、第二次世界大戦前から浦和・大宮・与野の合併(官選の宮脇梅吉知事による「大埼玉市構想」など)や、さらに蕨・川口などを含む地域でのさらに大きな規模の合併など、多くの合併構想が提起されてきた。しかし、さいたま市が成立するまでは、そのような構想が実現することはなかった。

1920年代-第二次世界大戦終戦以前[編集]

  • 1927年(昭和2年) - 宮脇梅吉が埼玉県知事に就任。浦和・大宮・与野の三町と六辻・三橋の二村の合併による一大都市圏構想を打ち出す。当時、埼玉県内で市制を施行したのは川越市だけであった。
  • 1931年(昭和6年) - 宮脇梅吉が再び埼玉県知事に就任。日進を加えて三町三村の合併による「大埼玉市構想」として打ち出す。しかし大宮町の負債総額が浦和町を大幅に上回っていたことから浦和町が合併に消極的であったといわれ[17]、合併は実現せず。
  • 1933年(昭和8年) - 熊谷川口が相次いで市制を施行。合併論が再燃する。
  • 1934年(昭和9年) - 「埼玉県南水道組合」(後の埼玉県南水道企業団で、現・さいたま市水道局)が設立。後の合併の礎となる。
  • 1939年(昭和14年) - 浦和市が、与野・六辻と戸田・蕨等の一市三町六村での合併を呼びかけ。大宮町も、浦和・与野との一市二町での合併案で対抗する。
  • 1940年(昭和15年) - 埼玉県が仲裁に入り、大宮案での合併交渉に入る。六辻・日進を加えて一市三町五村での合併で一応の合意。しかし、各論では反対が続出して交渉は打ち切りとなる。
  • 1942年(昭和17年) - 与野町で大宮市への合併運動が起きる。
  • 1943年(昭和18年) - 埼玉県知事の大津敏男は浦和・大宮・与野との二市一町での合併構想を打ち出す。

終戦-1970年代[編集]

  • 1953年(昭和28年) - 9月、町村合併促進法が制定される。いわゆる「昭和の大合併」の始まり。
  • 1954年(昭和29年) - 2月、埼玉県が県内323市町村を81市町村にまで合併する合併試案を示し、浦和市・大宮市周辺では浦和市・大宮市・与野町・大久保村・土合村の2市1町2村による合併試案が示される。しかし浦和市は大久保村・土合村を編入する合併、大宮市は周辺6村を編入する合併を構想し、この枠組みでの合併は実現せず[18]。11月、与野町が大久保町村に合併を申し込むも、実現せず[19]
  • 1955年(昭和30年) - 1月、浦和市が大久保村・土合村を編入、大宮市が周辺6村(春岡、七里、片柳、植水、馬宮、指扇)を編入。2月、与野町議会に北部を大宮市、南部を浦和市に編入させ、中央部を残存させる案が提出されるも、反対議員や町民が議場を取り囲んで開会できず、与野町はそのまま残存する[20]
  • 1962年(昭和37年) - 浦和市議会が、三市と川口・蕨での五市合併を呼びかけ。第一段階で三市、第二段階で川口・蕨との合併をするというものだった。
  • 1973年(昭和48年) - 三市の市長が合併に関して初会談。また、北九州市の合併推進派の理論的支柱となった、都市社会学者の磯村英一が、三市について「合併しなければ、背を向け続けるであろう」と警告。

1980年代-さいたま市成立まで[編集]

  • 1980年(昭和55年) - 10月、県南中央地域の都市間相互のゆるやかな連合を掲げ、浦和市大宮市上尾市与野市伊奈町の4市1町および埼玉県による「埼玉中枢都市首長会議」が発足。
  • 1982年(昭和57年) - 4月、従前の首長会議の名称を「埼玉中枢都市圏首長会議」に変更。9月、「埼玉中枢都市圏構想・基本構想」策定。
  • 1985年(昭和60年)12月 - 「埼玉中枢都市圏構想」の名称を「さいたまYOU And Iプラン」(構成4市1町の英表記頭文字を組み合わせた名称)に変更。
  • 1990年(平成2年)7月 - 「政令指定都市化」を公約にして、新藤享弘が大宮市長に就任。だが、単独での実現は現実的には無理で、合併による政令指定都市化を目指すものだった。これには与野市長の井原勇も同調した。
  • 1991年(平成3年)4月 - 「政令指定都市化」を公約にして、相川宗一が浦和市長に就任。これに難色を示した現職の中川健吉を破っての就任であった。
  • 1992年(平成4年)4月 - 国土庁が4市1町の圏域を「埼玉中枢都市圏域業務核都市基本構想」として承認。
  • 1993年(平成5年)6月 - 旧国鉄操車場跡地に、国の10省庁17機関の移転決定。
  • 1993年(平成5年)12月 - 4市1町の強固な連合を目標とした「彩の国YOU And Iプラン」を策定。以後、合併政令指定都市化の動きが活発化する。
  • 1995年(平成7年)7月19日 - 上尾市が、浦和市・大宮市・与野市からの合併協議会設置請求に対し拒否回答。
  • 1997年(平成9年)12月18日 - 浦和市・大宮市・与野市による任意協議会設置。
  • 2000年(平成12年)4月29日 - 3市による法定協議会設置。
  • 2000年(平成12年)9月5日 - 合併協定調印式
  • 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市が合併し、さいたま市発足。
    人口50万の規模の大きい「双子都市」を含む合併として注目を集めた。同様の「双子都市」合併例としては、他に2003年静岡市清水市の合併がある(ただし静岡市と清水市の人口は大きな差があった)。

さいたま市成立-政令市移行[編集]

  • 2001年(平成13年)7月29日 - 上尾市が、「さいたま市との合併の是非を問う住民投票」を実施し、その結果は「反対(58.3%)」・「賛成(41.7%)」となった。
  • 2001年(平成13年)8月6日 - 伊奈町が、「合併協議を断念する」と返答する。
  • 2001年(平成13年)8月8日 - 上尾市が、「合併協議を辞退する」と正式に返答する。
  • 2002年(平成14年)3月19日 - さいたま市議会が、「政令指定都市の実現に関する意見書」を可決。
  • 2002年(平成14年)3月20日 - さいたま市が、埼玉県知事・埼玉県議会に政令指定都市移行促進について要望。
  • 2002年(平成14年)6月28日 - 埼玉県議会が、「政令指定都市の指定促進に関する意見書」を可決。
  • 2002年(平成14年)8月9日 - さいたま市が、総務大臣に政令の改正(政令指定都市移行)を要望。
  • 2002年(平成14年)10月30日 - 政令公布
  • 2002年(平成14年)11月20日 - さいたま市議会が、「政令指定都市関連議案(区の設置並びに区の事務所の位置、名称及び所管区域を定める条例案)」を可決。
  • 2003年(平成15年)1月26日 - 岩槻市が、「岩槻市の合併に関する住民投票」を実施し、その結果は「さいたま市との合併(52.6%)」・「合併しない(38.8%)」・「春日部市、宮代町、杉戸町、庄和町との合併(8.5%)」となった。
  • 2003年(平成15年)2月5日 - これを受けて、岩槻市はさいたま市に対して合併協議を申入れる。
  • 2003年(平成15年)2月24日 - さいたま市は、「岩槻市との合併について検討に入る」と返答する。これを受け、岩槻市議会が「さいたま市との任意協議会設置に関する決議案」を可決。
  • 2003年(平成15年)3月12日 - さいたま市議会が「岩槻市との任意協議会設置に関する決議案」を可決。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 政令指定都市に指定、9つの行政区が発足。

政令市移行後[編集]

市名の由来[編集]

浦和市大宮市与野市の3市合併に先だって、新しい県庁所在地に相応しい名称ということで市名公募を行った上で、県名をひらがなにした『さいたま市』に決定した。全国で唯一、ひらがな名称の県庁所在地である。さいたま市の「さ」の字体は、2画目と3画目が連続した字体(「ち」の鏡文字)を正式としており、フォントによっては作字もした上で市報などの活字を全て統一しているが、市民などが住所を表記する際にはどちらでも構わないとしている。

公募から市名選定の過程にあたっては、大宮市が新市名を『大宮市』とすることを再三主張し、公募の実施にも反対した。公募は、3市先行合併後上尾市・伊奈町の合流意志を確認するとした「6・25合意」を公募実施要項にも盛り込むことで実施が合意された[21]

市名公募の結果は、漢字表記の『埼玉市』が第1位、ひらがな表記の『さいたま市』が第2位というものであった。また合併を構成する各市の名称を用いる案は『大宮市』が第3位、『浦和市』が第6位となったが、大宮市以外の地域からの『大宮市』への応募、浦和市以外の地域からの『浦和市』への応募は少なかった[22]。また、『与野市』は100位以内に入らなかった[23]

公募後、新市名検討委員会は『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案を市名候補とした。これを受けて、浦和市・与野市は『さいたま市』を新市名として主張したが、大宮市はこの5案に含まれない『大宮市』(公募3位)をここでも主張した。その後、大宮市は新市の市役所の位置について、「さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、将来の新市の事務所の位置についての検討や庁舎建設基金を創設を行う」旨[24]を合併協議書に盛り込ませることで、この主張を取り下げた[25]

『埼玉』の地名は、本来は埼玉県北東部に位置する埼玉郡埼玉村(現在の行田市大字埼玉〈さきたま〉)に由来している。一方でさいたま市域は、岩槻区を除いて旧足立郡域に含まれ、埼玉郡に属した地域ではない。そのため、本地域に位置する市が『埼玉』『さいたま』を称する事には、「僭称地名だ」とする否定的な意見がある。また行田市は、3市合併に向けて設置されていた「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」に対し、行田市周辺が将来合併する時に用いる可能性があるとの理由で、新市の名称に『埼玉』『さいたま』を使わないでほしいという要望書を出した。 加えて、この『さいたま市』『東かがわ市』以後、全国各地でひらがな名称の市町村や企業が続々と誕生している。なお、中国語などでの表記は『埼玉市』である。

このほか、区名についても、例えば「与野」の地名が消滅したなどの批判がある[26]

名称選定までの推移 [21][27][編集]

  • 1997年(平成9年)
    • 12月18日 - 任意協議会「浦和市・大宮市・与野市合併推進協議会」が設置される。
  • 1998年(平成10年)
    • 4月15日 - 新市の名称の議論を付託された「第2小委員会」が設置される。
    • 8月30日 - 大宮市が「新市名は大宮が最善」と主張。
    • 10月30日 - 大宮市の提案に基づき、3市の市民代表・学識経験者・マスコミ関係者で構成される「浦和市・大宮市・与野市新市名検討委員会」が設置される(会長:兵藤釗埼玉大学学長)。
    • 11月2日 - 第2小委員会開催。新市名検討委員会から「新市名公募」との報告を受ける。大宮市は公募方式に対し態度を保留するも、同月10日に新市名検討委員会は国内外からの公募を再確認。その後、上尾市・伊奈町の扱いをめぐり大宮が審議をボイコット。
  • 1999年(平成11年)
    • 6月25日 - 3市先行合併、合併後に上尾市・伊奈町の意向確認を行う旨の合意が行われ(6・25合意)、審議が正常化。
    • 8月 - 19日、大宮市議会の反対で公募先送り。28日、公募実施要項に「6・25合意」を盛り込むことで公募の実施を合意。31日、第14回第2小委員会で市名の公募の実施を合意。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月10日 - 市名の公募が実施される。期限の2月18日までに全国から67,665件、8,580種類の応募がなされる。
    • 3月26日 - 新市名検討委員会での検討の結果、『埼玉市』(公募1位)・『さいたま市』(2位)・『彩都市』(5位)・『さきたま市』(7位)・『関東市』(37位)の5案が市名候補として選考され、第2小委員会委員長及び小委員会に報告される。
    • 4月4日 - 第22回第2小委員会が開催。浦和市・与野市から『さいたま市』(公募2位)、大宮市から『大宮市』(3位)の2つの市名案が提案される。尚、『大宮市』の名称は、大宮市の提案で設置された新市名検討案が提出した市名候補5案にはないものだった。
    • 4月11日 - 第23回第2小委員会が開催。『埼玉』などの名称を使用しないでほしいとする要望書を提出した、行田商工会議所会頭・行田市埼玉地区自治会連合会会長が招聘される。
    • 4月17日 - 第25回第2小委員会が開催。新市名を『さいたま市』とすることが合意される。
    • 4月24日 - 第21回合併推進協議会が開催。新市名を 『さいたま市』(公募2位)とする旨委員長報告があり、議案が提出。即日議決される。
    • 4月29日 - 法定協議会「浦和市・大宮市・与野市合併協議会」が設置される。

市名公募の結果 [23][編集]

応募総数67,665件、うち無効269件

順位 市名 応募件数 順位 市名 応募件数
1位 埼玉市 7,117 11位 浦野宮市 920
2位 さいたま市 3,821 12位 和野宮市 875
3位 大宮市 3,008 13位 埼京市 827
4位 彩玉市 2,588 14位 新埼玉市 771
5位 彩都市 2,495 15位 彩の国市 685
6位 浦和市 1,821 16位 大浦野市 579
7位 さきたま市 1,374 17位 彩央市 506
8位 大和野市 1,131 18位 宮野浦市 488
9位 彩京市 1,025 19位 氷川市 486
10位 彩市 962 20位 大野浦市 479
37位 関東市 217

地区[編集]

近世の浦和は中山道宿場町浦和宿)として、大宮は中山道の宿場町(大宮宿)や武藏一宮氷川神社門前町として、与野は脇街道の宿場町として誕生、拡大してきた。一方岩槻は岩槻城(岩付城・岩附城)の城下町、および日光御成街道の宿場町として発展してきた。また旧浦和市内には他に、大門緑区の美園地区)にも日光御成街道の宿場がおかれていた。

旧浦和市は埼玉県庁が置かれて以来、裁判所県警察、県指定金融機関でもある埼玉銀行の本店や各種政党、メディアの支局など県都としての機能が集積し、埼玉県の行政の中枢として発展した。関東大震災での被害が小さかったことから大正時代以降、東京神奈川からの移住者が相次いだ旧浦和市は、瑛九高田誠など多くの画家の活動の舞台でもあり、同時にサッカーの盛んな地としても知られるようになる。また埼玉大学浦和高校埼玉県立浦和図書館などの公立教育機関が集中的に設置された旧浦和市は「文教都市」とも言われてきた。現さいたま市の地域の中でも旧浦和地区は最も東京に近く、高度成長期以降武蔵野線埼京線などの通勤路線が発達したこともあり人口が大幅に伸び、合併前の1990年代後半には埼玉県内最大の人口を擁するに至った。合併後の現在、旧浦和市域単独でも人口が50万人を超えている。

旧大宮市は明治時代の熱心な鉄道誘致により、大宮駅北側に国鉄大宮工場が建てられ、1895年頃(明治30年頃)には南側(旧与野・浦和両市にもまたがる)に大宮機関区(現・大宮運転区)と貨物操車場が設置されるなど、「鉄道の街」と呼ばれるようになった。時代を下った1969年昭和44年)には大宮駅 - 東大宮駅間に旅客車車両基地として東大宮操車場(現・大宮総合車両センター東大宮センター)も誕生している。戦後鉄道交通の結節点として多くの企業支店が置かれ、商業、業務機能が集積し、「県都」、「文教都市」浦和に対し、「商都」、「経済都市」とも言われ、埼玉県の商業の中心地として発展した。また東北上越新幹線の開業後、両新幹線の沿線では盛岡新潟と並び、特に新幹線効果を享受した都市として知られる。なお、旧与野市や旧浦和市にもまたがる貨物操車場は1984年に廃止されたが、その跡地は後にさいたま新都心となった。

旧与野市は明治時代初期など浦和、大宮両宿場町よりも栄えていた時期もあり、当時は「大きな買い物は与野でする」とも言われた。その後、県都としての機能が集積した浦和と、交通の要衝として発展した大宮に挟まれた住宅街として発達するが、市内を通る国道17号沿いに、自動車整備・修理工場と、自動車ディーラーが多く建てられたため、「自動車の街」とも呼ばれるようになった。市域の狭さや市内のほぼ全域が鉄道駅至近に位置することもあり、市全域が人口集中地区に含まれ、人口密度は合併前の旧4市の中で最も高かった。近年も、さいたま新都心周辺でのマンション建設などに伴い大きく人口が伸びている。

旧岩槻市はかつての城下町であり、江戸時代にはこの地域の中心的な町であった。埼玉県の県庁は当初城下町の岩槻に置かれる予定であったが、県庁舎に適した建物がなかったことなどから旧浦和県庁を使用することになり、現在に至る。東武野田線岩槻駅東口を中心としてひな人形を専門とする人形店が集積しており、「人形のまち」として全国的に知られる。東京7号線埼玉高速鉄道)の延伸が計画(蓮田まで)されており、これはかつて存在した武州鉄道の計画線とほぼ同じルートである。

なお、2001年の合併時には浦和と大宮の関係をアメリカ合衆国のワシントンとニューヨークになぞらえて、「新しい市は、『政治と教育の中心』浦和と『経済の中心』大宮が上手く並存した街にしたい」と言う意見が聞かれた。しかし実際には合併後にも旧浦和市域で積極的な商業開発がなされていたり、旧浦和市中心部以外でもさいたま新都心に国の行政機能の一部が移転されている。

旧市間の関係[編集]

1960年には、浦和市・大宮市・与野市のDID(A)は一体となっていた一方、川口市・蕨市・戸田町(現:戸田市)のDID(B)や上尾市のDID(C)とは連続していない。岩槻市(現:岩槻区)のDID(D)は、2005年現在もさいたま市の他区のDIDとは連続しない。

さいたま市は浦和と大宮というほぼ同規模の都市の合併を伴って誕生した経緯もあり、しばしば旧市間、特に旧浦和市と旧大宮市の間の軋轢が指摘される。これを含め、旧市間の関係について記述する。

一体の市街地と分散した商業・業務地区[編集]

現在さいたま市を構成する旧4市域のうち岩槻市を除く3市は、旧市の中心部同士の距離が近い。1960年(昭和35年)国勢調査において初めて人口集中地区(DID)(人口密度が高いあるいは都市施設等が連続している地域)が定義された時点において、既にこの3市の中心部を含む人口集中地区は互いに接しており、一体の市街地を形成していた。他方で、1960年時点ではこの人口集中地区と、蕨市川口市上尾市といった他市町村の人口集中地区とは接していなかった。

現在のさいたま市の区域では昭和55年の調査で当時の浦和市の人口集中地区が、次いで昭和60年に当時の大宮市の人口集中地区がDID人口30万人を超え、合併直前の平成12年調査では浦和市のDID人口が46万7654人、大宮市のDID人口が41万1951人であり、DID人口が40万人を超えているのは県内でこの2都市だけであった(市域全体の人口で浦和市に次ぐ2位であった川口市の平成12年DID人口は39万245人)。このことからもこのエリアが連檐した県内随一の都市構造を有していたことが分かる。

一方で、このような一体的な市街地にあって、浦和、大宮、与野のそれぞれの商業・業務地区は相互に離れている。特に商業・業務地区としての規模の大きい大宮駅周辺地区と浦和駅周辺地区とは、約6kmの距離があり、その間は主に住宅地となっている。

さいたま市役所の位置に関して[編集]

さいたま市役所の位置に関しては合併前から一貫して旧市間での政治的対立の火種となっている。旧浦和、大宮、与野市にまたがってさいたま新都心が建設されてからは、さいたま新都心が浦和・大宮両都心に次ぐ「第三極」となっているが、さいたま新都心は旧市境上にあり、かつ旧浦和市中心地域よりは旧大宮市中心地域からの方が距離が近いことから大宮市は合併時に、新市の名称を「大宮市」とする主張を取り下げるかわりに新市庁舎のさいたま新都心への建設を主張した。結局「将来の新市の事務所の位置については、さいたま新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ、新市成立後、新市は、交通の事情、他の官公署との関係など、市民の利便性を考慮し、将来の新市の事務所の位置について検討するものとする。」という文章を合併協定書に盛り込むことで玉虫色の妥結がとられた(#名称問題も参照)[28]。さらに合併後の市役所に関しては、新市役所建設までの当面の措置としては3市いずれかの市役所庁舎を使用することとしどの庁舎がふさわしいか合併協議会の3市の議員で視察を行ったうえで決定するという提案が浦和市側からなされた。しかし庁舎の築年数、敷地面積、道路交通のアクセス(3市の市役所で唯一国道17号線に面する)などの点では旧浦和市役所庁舎が他2市より優位であることは視察をせずとも明らかであり、最終的に旧浦和市の市役所庁舎が「当分の間」の新市の市役所本庁舎、旧大宮・旧与野両市の市役所庁舎は「総合支所」に相当する総合行政センター庁舎として使用されることになった。

合併した三市の他にYOU And I(与野・大宮・浦和・上尾・伊奈から頭文字が取られている)構想に組み込まれていた上尾市と伊奈町も合併すると旧大宮市域が新市の地理的な中心に位置することとなることから、大宮市議会は上尾市の合併離脱を取り下げるよう説得を行っていたが上尾市は住民投票により合併離脱に至り、上尾市抜きではさいたま市と地域が連続しない伊奈町は合併を断念した。

なお前掲の合併協定書の文言に関して、現在でもたびたび市議会で旧大宮市域選出の議員を中心に「現市役所を使用し続けることは合併の憲法とも言える合併協定書の同意を反故にすること」等の指摘がなされているが、平成23年度第2回さいたま市庁舎整備検討委員会では「さいたま新都心に(市役所)庁舎を持ってくるという前提で話がなされていたのではないか。」という委員の質問に対しさいたま市庁舎整備検討委員会事務局から「合併協定書をよく読んでもらいたいが、新都心周辺地域と限定しているわけでなく『新都心周辺地域が望ましいとの意見を踏まえ検討する』という表現になっている。(中略)審議会を設置して、まずは、庁舎の位置が問題となっていくと思う。」との回答がなされており、事務局当局は合併協定書の文言が将来の市役所の「さいたま新都心周辺地域」への設置を確約するものではないとの解釈を示している[29]。合併後政令指定都市化に伴い区役所が設けられ、実質的に市内各地における住民サービスの拡充が図られたこともあり、2014年現在も新市役所を建設する計画は具体化しておらず、2012年11月22日には、現在の市役所本庁舎に対し2014年から15年にかけて耐震補強工事を行う予定がさいたま市から発表され[30]、さいたま市本庁舎整備審議会ではこれにより現本庁舎の耐用年数が15-20年延長するため本庁舎整備の時期的目標はその後になるとの発言も見られている。

近年では旧大宮地域、与野地域選出の議員を中心に引き続き市役所移転の意見が出されているが、その多くは「市役所の新都心周辺への移転は合併協定書における合意事項」という根拠によるものである。これは上記の合併協定書における文章を「市役所のさいたま新都心周辺への設置を確約するもの」と解釈したものだが、一方旧浦和地域選出の議員からは「合併協定書の文章はあくまで合併当時三市間で最後まで合意に至れなかった「将来の市役所」の位置に関し、当時旧大宮市を中心にさいたま新都心周辺に市役所を設置せよという意見があったためそれを記載したまでで、合併協定書における合意としての「将来の市役所」の位置は未定である」との発言も出されている(市議会ウェブ議事録参照)ほか、市役所を移転させないことを公約にしている議員もいる。さらに、一見同様に「さいたま新都心周辺への移転」を主張しているように見える議員の中にもさいたま新都心駅東側の旧三菱マテリアル跡地(大宮区内)を推す旧大宮市域選出の議員と、さいたま新都心駅西側8-1A街区(中央区内で旧与野市内にあたる)を推す旧与野市域選出の議員がいるなど、市役所誘致をめぐる旧3市域選出の議員らの主張はまさに三者三様である。なお三菱マテリアル跡地に関しては1999年に敷地内の放射能汚染が明らかになってから永らく空き地になっているが、現在までに東側の一部に造幣局や警察署の移転が決まっているほか、2013年秋には残る西側敷地の中央部に防災公園とバスターミナルが建設される方針が決まり、徐々にではあるが土地利用の方針が決定しつつある。一方のさいたま新都心8-1A街区に関してもさいたま赤十字病院と県立小児医療センターの当地への移転が決定している。

この他、前述の宮原土地区画整理事業敷地の一角に北区の区役所が設置されているが、かつて大宮市議会はここに大宮市の新しい市役所を建設する計画があったために、新市の市役所として活用する案を推していた。ただしこの場合そもそも現在使用している旧浦和市役所庁舎以上にさいたま新都心からは離れた場所になる。政令指定都市に移行時に建設された北区役所の庁舎はプレハブ造の仮庁舎で業務をしていたが、建設予定地だった場所に北区役所本庁舎を中心とした「プラザノース」が建設され、2008年4月28日に新庁舎での業務を開始した。この北区役所の周辺の土地は長く更地の区画が多かったが、建築物が建つようになりつつある。

埼玉県庁の位置に関して[編集]

埼玉県では、明治維新以降度々県庁の位置をめぐる綱引きが行われており、その多くに浦和大宮が関わってきた。1869年以降県庁が置かれる浦和、交通の要衝であり一時は県庁誘致にも乗り出したことのある大宮、旧城下町であり当初埼玉県庁の設置が予定されていた岩槻と、県庁をめぐる様々な動きの渦中にあった三つの街が、一つの大都市となる珍しい経緯を持つことになった。

  • 1869年(明治2年) - 1月、大宮県が誕生。名目上の県庁所在地は大宮宿であったが、実質的な県庁機能は殆どなかった。9月、浦和住民の土地の提供や川口住民の請願により、県庁は浦和宿に置かれることとなり(設置は翌10月)、県名も浦和県に改称。
  • 1871年(明治4年) - 7月、廃藩置県により岩槻藩が岩槻県になる。11月、岩槻・浦和・忍の3県が合併して、埼玉県が誕生。太政官は県庁を岩槻町におくよう達したが、県令野村盛秀の巡視の結果、当分の間旧浦和県庁で執務が行われることとなる。(同時に、西部・北部・秩父地方では川越県品川県を併せて入間県が誕生する。その後1873年(明治6年)6月に入間県は群馬県と合併し熊谷県となる。)
  • 1876年(明治9年) - 8月、熊谷県のうち旧入間県部分と埼玉県が合併、現在の埼玉県の領域がほぼ確定する。この際、県庁所在地は浦和宿となった。
  • 1886年(明治19年) - 1884年(明治17年)の秩父事件への対応の遅れなどから県庁所在地の偏りの弊害が指摘され、熊谷町への移転運動が浮上。しかし熊谷に支庁を設置することで対応し、県庁は浦和に残る。
  • 1890年(明治23年) - 9月25日勅令により、正式に浦和町が県庁所在地となる。
  • 1897年(明治30年) - 12月15日、埼玉県議会が熊谷町への移転建議を可決。しかし、翌1898年(明治31年)1月27日内務省より「不可」との通知が下る。
  • 1948年(昭和23年) - 10月25日、放火により県庁の大部分が焼失すると、その後3日のうちに大宮、熊谷が県庁の誘致に乗り出し、浦和大宮熊谷3市の激しい誘致合戦となる。
  • 1950年(昭和25年) - 県庁復興対策特別委員会における浦和と大宮の決選投票の結果、県庁の浦和市残留が決定。

鉄道駅に関して[編集]

現在のさいたま市内で最初に鉄道駅が開業したのは、県庁所在地駅である浦和駅である。その2年後に、現在の高崎線東北本線の分岐点として大宮駅が設けられ、その後鉄道工場が開設された。当初は浦和駅・大宮駅ともに東北本線の急行停車駅であったが、昭和初期以降大宮駅が鉄道交通の要衝としての機能を蓄積していく。

1932年に、現在の京浜東北線である「省線(京浜)電車」が赤羽から大宮まで延伸開業すると、電車による高頻度運転の開始と引き換えに東北本線・高崎線の中長距離列車は、普通列車を含め全て浦和駅を通過するようになり、これと前後して大宮駅を起点とする川越線と現在の東武野田線が開業する。戦後もしばらくの間、旧浦和市内には京浜東北線の電車以外は停車せず、当時の浦和駅は埼玉県の代表駅にも拘わらず中長距離列車が停車しない駅として有名であった。また、現さいたま市の市域を通り東西の隣接都市と結ぶ鉄道輸送は、大宮駅を発着する川越線と東武野田線のみが担っていた。なお、この時期の旧与野市内には鉄道駅自体が存在しなかった(与野駅は旧浦和市内に所在)。旧岩槻市内では、武州鉄道が開業。赤羽を目指して建設され、旧岩槻市内と旧浦和市内を南北に貫く形で運行していた。だが、現在の東武野田線の開業や資金難により廃止となった。

1965年に大宮駅に特急列車が停車を開始し、1967年には駅ビルが開業。大宮駅は埼玉県内随一のターミナル駅へと変貌を遂げる。一方、1968年に旅客線の緩急分離による赤羽-大宮間の6線化で、浦和駅に列車線ホームが開設された。これに伴い、朝夕のみ中距離電車が停車を開始し、一往復のみながら急行列車が36年ぶりに停車を再開した。また1973年には、南浦和駅を通るルートで新たな首都圏外郭環状鉄道路線である武蔵野線が開業した。武蔵野線はその後徐々に運行本数を増やし、川越/八高線や東武野田線より速達効果を持つルートとして発達する。

1982年には、東北新幹線上越新幹線の暫定開業で大宮駅が新幹線の暫定始発駅となり、1985年の上野延伸開業まで東北・上信越方面の玄関口となる一方で、浦和駅にもようやく終日中距離列車が停車するようになった。その後、1985年に浦和駅に停車する特急列車も設定され、2013年4月現在では夜行寝台特急など一部を除く多くの在来線特急、また東北本線・高崎線の快速系統を含む中距離列車全列車が浦和駅にも停車している。2008年度のJR大宮駅の1日平均乗車人員は約24万人で、JR東日本では新宿・池袋・渋谷・横浜・東京・品川・新橋に次ぎ8位を誇っている。現在も、整備新幹線の延伸などにより大宮駅の鉄道拠点としての重要性が増す一方、近年では昭和期に比べ浦和駅の相対的な拠点性が上昇しており、南浦和駅武蔵浦和駅も通勤列車の一部始発駅として機能するなど、市内の鉄道ネットワークは以前より複雑化している。なお、かつて市内に鉄道駅がなかった旧与野市は、1985年に埼京線が開業したことにより、東京都心への通勤利便性が大幅に向上している。同時に川越線も電化され、埼京線との直通運転により旧与野市と同様な効果がみられる。

なお、先述されている本市成立前から続く旧浦和市と旧大宮市の市域間対立の背景には、こうした鉄道交通の状況が挙げられてきた。国鉄時代より、大宮駅に多くの中長距離列車が停車してきた一方で、旧大宮市内では南端近くにある大宮駅はいわゆる国電区間の終点にもあたる。このため、東京への通勤利便性という観点からは旧大宮市域は旧浦和市域・旧与野市域の京浜東北線・埼京線沿線に比べ人口が増えにくい状況にあった。それは現在でも同様であり、さいたま市の都市計画において、旧浦和市域を中心とする京浜東北線・埼京線地域を優先的に開発しようとする意見と、新幹線停車駅の大宮駅周辺を重点開発しようとする意見が、時として市議会などで対立が見られる。

このように、旧浦和市は東京へのアクセスの利便性を背景に、旧大宮市は東北・上信越方面への広域交通の利便性を背景に発展してきたと言える。新幹線の速度が東京~大宮間で在来線同様の110km/hに制限されることや、JR東日本とJR東海(JR西日本・JR九州も含む)の新幹線が直通運転をしないことなどから、現時点で東京以西の各都市との連絡においては、新幹線の停車自体が旧大宮市にとって決定的なアドバンテージになっていない。また、武蔵野線開業後も都心への直通運転をしない東武野田線は、主に地域のローカル輸送に用いられている。そのような背景もあり、たとえば2001年のさいたま市長選挙では、旧浦和市長の相川宗一が「市内のバス網の整備」などを謳う一方、旧大宮市長の新藤享弘は「大宮発の九州方面行き新幹線の運転・東武野田線大宮発の日光・鬼怒川・会津方面への特急運行」など、大宮駅に始発着・停車する長距離列車の増発を自身の交通政策に挙げていた。選挙の結果は、相川が当選したために新藤の政策が実現することはなかったが、後者に関しては2006年3月より新宿駅発着のJR-東武直通特急が運行を開始し、ルートは異なるもののさいたま市と日光・鬼怒川温泉方面を直通する特急の運行が実現することとなった。この列車は2013年現在、浦和駅にも停車しており、結果として旧市域間の対立の中で大宮駅の拠点性・利便性を排他的に高めるものではなくなっている。

  • 1883年(明治16年) - 8月、日本鉄道により現在の東北本線及び高崎線の一部、上野~熊谷間の鉄道が開通。県庁所在地である浦和に駅が設置される。大宮には駅が設置されなかった。
  • 1885年(明治18年) - 3月、大宮に駅が設置される。7月、現在の東北本線の大宮~栗橋間の鉄道が開通。建設にあたり鉄道の分岐点としてさまざまな案が出されその中で浦和・大宮はともに候補として挙げられていた。しかし大宮住民の土地の提供などの誘致運動や鉄道が浦和分岐となることで分岐した北側で経由することになる岩槻の住民による鉄道反対運動(これについては鉄道忌避伝説によるものとの疑いも否定できない)、アメリカ人技師のクロフォードによる大宮案の支持などにより、分岐点案は最終的に大宮と桐生・足利などの機業家の支持を受けた熊谷の2案で争われ、コスト面から大宮に決定した。
  • 1894年(明治27年) - 大宮駅に鉄道工場が併設される。

2つのプロサッカークラブ[編集]

後述するように、本市は浦和レッドダイヤモンズ大宮アルディージャの二つのプロサッカークラブが本拠地としているが、これは旧浦和市を本拠地とする浦和レッドダイヤモンズと、旧大宮市を本拠地とする大宮アルディージャが自治体合併のために結果として同一市を本拠地としているものであり、たとえば商業地区の街灯に掲げられている応援旗も、旧浦和市内では浦和レッドダイヤモンズの赤い旗のみ、旧大宮市内では大宮アルディージャのオレンジ色の旗のみでその逆は一切見られないなど、同一市とはいえ地域により明確なカラーの違いが認められる。両チームが対戦するさいたまダービーでは、サポーターから相手チームのみならず相手の地区そのものに対する揶揄も飛び出し、スポーツの試合が一種の代理戦争としての側面も持っている(詳しくはさいたまダービーを参照)。


政治・行政[編集]

首長[編集]

さいたま市歴代市長
氏名 就任 退任 期・備考
井原勇 2001年5月1日 2001年5月26日 市長職務執行者
1983年5月1日-2001年4月30日まで与野市長として5期在任
相川宗一 2001年5月27日 2005年5月26日 1期・1991年5月2日-2001年4月30日まで浦和市長として3期在任(通算4期)
2 2005年5月27日 2009年5月26日 2期(通算5期)
3 清水勇人 2009年5月27日 2013年5月26日 1期
4 2013年5月27日 現職 2期

過去の市長選挙[編集]

2013年5月19日さいたま市長選挙 投票率 37.98% 有権者数 981,707人 有効投票数 368,585票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
171,876 清水勇人 無所属
118,362 長沼威 無所属
53,513 吉田一郎 無所属
24,834 大石豊 無所属
2009年5月24日さいたま市長選挙 投票率 42.78% 有権者数 953,436人 有効投票数 403,867票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
155,966 清水勇人 無所属
98,816 相川宗一 無所属
62,991 中森福代 無所属
32,249 日下部伸三 無所属
27,448 松下裕 無所属
26,397 高橋秀明 無所属
2005年5月15日さいたま市長選挙 投票率 35.51% 有権者数 921,336人 有効投票数 321,168票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
135,553 相川宗一 無所属
121,735 中森福代 無所属
63,880 沼田道孝 無所属
2001年5月27日さいたま市長選挙 投票率 46.41% 有権者数 795,006人 有効投票数 365,903票
当落 得票数 候補者 党派 市長歴
131,822 相川宗一 無所属
109,552 新藤享弘 無所属
49,505 岡真智子 無所属
39,323 高橋秀明 無所属
21,662 沼田道孝 無所属
8,647 高瀬広子 無所属
3,377 吉田一郎 無所属
2,015 山口節生 無所属
  • 2001年5月27日 - 初の市長選挙。前浦和市長の相川宗一(自由党推薦)が当選。
  • 2003年4月13日 - 初の市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2004年12月26日 - 南区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2005年5月15日 - 市長選挙。岩槻区選出議員の市議会議員増員選挙。浦和区選出議員の市議会議員補欠選挙。議員定数を71に増加。
  • 2007年4月8日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を64に削減。
  • 2009年5月24日 - 市長選挙。西区・北区選出議員の市議会議員補欠選挙。
  • 2011年4月10日 - 市議会議員一般選挙。議員定数を60に削減。
  • 2013年5月19日 - 市長選挙。見沼区選出議員の市議会議員補欠選挙。

さいたま市議会[編集]

さいたま市議会を参照

国政選挙[編集]

本市における衆議院小選挙区は、3つに区分されている。

県政選挙[編集]

本市における県議会の議員定数は15で、行政区ごとに選挙区を区分している。

  • 南第3区:西区(定数1)
  • 南第4区:北区(定数2)
  • 南第5区:大宮区(定数1)
  • 南第6区:見沼区(定数2)
  • 南第7区:中央区(定数1)
  • 南第8区:桜区(定数1)
  • 南第9区:浦和区(定数2)
  • 南第10区:南区(定数2)
  • 南第11区:緑区(定数1)
  • 南第12区:岩槻区(定数2)

広報活動[編集]

市の一般的な広報活動は、広報課により行われている。同課内には、一般的な広報活動の企画立案や各区ごとの広報活動の取りまとめを行う「広報係」のほか、行政情報の見える化を推進することを主な業務とする「企画推進係」がある。[31]

主な広報媒体として、広報誌『市報さいたま』(毎月1回発行、全戸配布)、テレビ番組『のびのびシティさいたま市』(テレビ埼玉で放送)のほか、ウェブ媒体によるもの(公式サイトおよびメールマガジン)などがあり、このうち『市報さいたま』については視覚障害者向けにカセットテープ版や点字版も制作されている[32]。また、この他にも市議会や市政の個別テーマ・部局・地域ごとの広報が多くなされている。

市のマスコットキャラクターとして、市内の見沼(見沼田んぼ)に伝わる伝承に因んだ「つなが竜ヌゥ」が2007年9月20日に制定された[33]。このキャラクターは一定の条件(要綱・マニュアルに記載)を満たせば営利目的を含めて誰でも使用することができるほか、着ぐるみの貸し出しも行われている[34]。また、埼玉県の自治体のゆるキャラで構成されるゆる玉応援団にも加盟している。


県の出先機関[編集]

埼玉県庁(浦和区)
埼玉県計量検定所
  • さいたま農林振興センター(浦和区)
  • さいたま県土整備事務所(南区)
  • 企業局大久保浄水場(桜区)
  • 企業局第一水道建設事務所(桜区)
  • 中央産業労働センター(浦和区)
  • 埼玉県計量検定所(北区)
  • 埼玉県創業・ベンチャー支援センター(中央区)
  • 埼玉県立職業能力開発センター(北区)
  • ヤングキャリアセンター(大宮区)
  • 埼玉県動物指導センター南支所(桜区)
  • 埼玉県衛生研究所(桜区)
  • 中央家畜保健衛生所(北区)
  • 中央環境管理事務所(浦和区)
  • さいたま県税事務所(浦和区・浦和合同庁舎)(平成24年4月1日、浦和県税事務所と大宮県税事務所が統合し改称)
  • 自動車税事務所(大宮区・大宮合同庁舎)(平成24年4月1日、旧大宮県税事務所の一部業務(県民税(利子割、配当割及び株式等譲渡所得割)、県たばこ税、ゴルフ場利用税、軽油引取税及び鉱区税に関する事務を引き継ぎ移転)
    • 自動車税事務所大宮支所(西区)(平成24年4月1日、自動車税事務所が大宮合同庁舎へ移転に伴い設置。)
  • 埼玉県男女共同参画推進センター(WithYouさいたま)(中央区)
  • 競技事務所(大宮区)
  • 中央地域創造センター(浦和区)
  • パスポートセンター(大宮区)
  • 南部教育事務所(浦和区)
  • 埼玉県立文書館(浦和区)
  • 県民生活部交通安全課交通事故相談所(浦和区・埼玉県庁内)
  • 荒川左岸南部下水道事務所(南区)
  • 別所沼会館(南区)
  • 食肉衛生検査センター(中央区)
  • 母子福祉センター(大宮区)
  • 埼玉県救急救命士養成所(桜区)
  • 産学連携支援センター埼玉(中央区)
  • 障害者交流センター(浦和区)
  • 児童養護施設いわつき(岩槻区)
  • さいたま労働時間等相談センター(浦和区)

県の公社[編集]

国の出先機関[編集]

合同庁舎などの行政機関が集積するさいたま新都心
さいたま地方法務局庁舎


安全[編集]

消防[編集]

警察[編集]

第一方面本部、さいたま市警察部、交通管制センターを併設

その他警察施設[編集]

  • 交通機動隊(西区)
  • 警察学校(北区)
  • 高速道路交通警察隊岩槻分駐隊(岩槻区・東北自動車道岩槻インターチェンジ内)
  • 鉄道警察隊(大宮区・大宮駅西口)
    • 大宮駅派遣所
    • さいたま新都心駅派遣所
  • 音楽隊(北区)
  • 運転教育課大宮分室(北区)
  • 国外運転免許センター(大宮区)
  • 機動センター(西区)
  • 木崎分庁舎(浦和区)
  • 鹿手袋分庁舎(南区)
  • 宮原分庁舎(北区)

経済[編集]

NACK5サテライトスタジオが入居する大宮アルシェ
浦和ロイヤルパインズホテルとうらわ美術館が入居する浦和センチュリーシティー(2013年03月)
埼玉県やさいたま市の指定金融機関でもある埼玉りそな銀行の本部(浦和区)

産業[編集]

地域[編集]

健康[編集]

(2010年9月1日現在)

  • 平均年齢:41.94歳(男=40.96歳、女=42.92歳)

インフラ整備の状況[編集]

教育機関[編集]

小中学校及び高等学校、特別支援学校等は各区を参照。

公立小学校の飽和問題[編集]

人口増加の続くさいたま市では、「過大規模」とされる小学校の多さが指摘されている。2002年の時点では、全国に17校しかなかった「児童数1200名以上の公立小学校」のうち4校がさいたま市で占められており、更に2005年2006年にはそれが5校に増加した(南区の沼影小、大宮区の三橋小、北区の宮原小・大砂土小、見沼区の大砂土東小)。また一般に「過大規模」とされる31学級以上の小学校も2006年現在で9校(上記に加え南区の辻小、北区の日進小・日進北小、見沼区の春岡小)ある。これに鑑み、さいたま市では教育委員会内に「大規模校教育環境整備推進検討会議」、「大規模校解消プロジェクト会議」が設置され、大規模校の施設改善のあり方・地区の実情に合わせた学校新設・通学区域の見直し等の全市的な取り組みが始められている。また、2007年には南区に「辻南小学校」、2009年には北区に「つばさ小学校」、2012年には緑区に「美園小学校」が開校した。

また、桜区の東日本鉄工・工場跡地に862戸(実際は812戸)のマンションが建設されたが、着工時に開かれた住民説明会では1,000人の児童が増えることが見込まれるという説明があった。だが、市当局は2006年1月20日の審議会でマンションの世帯数から実際の児童数は100人から150人にとどまるだろうという見解を示している。[1]

スポーツ[編集]

サッカー[編集]

2007年、浦和レッズがAFCチャンピオンズリーグで優勝した際に真っ赤なイルミネーションで飾られた浦和駅西口。
同じく東口。

さいたま市は、旧浦和市を中心としてサッカーが盛んな街でもある。現在のさいたま市役所付近に置かれた埼玉県師範学校(現・埼玉大学教育学部)が1937年の全国中等学校蹴球大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で初優勝し、初めて優勝旗が箱根の山を越えた(かつては関西地方で全国大会が開かれていたため)。以来、1950年代から1970年代にかけて浦和高校浦和西高校浦和市立高校浦和南高校が次々と全国制覇し、静岡県広島県と共に「サッカー御三家」と称された[35]。2013年の時点ではJリーグに所属の2チーム、浦和レッドダイヤモンズ大宮アルディージャを本拠地に置き、人気を博している。両チームの対戦はさいたまダービーと呼ばれている。

また女子サッカーなでしこリーグ(旧L・リーグ)所属の浦和レッドダイヤモンズ・レディースのほか、かつてL・リーグに所属し現在は関東女子リーグに加入の浦和本太レディースFCがあり、そのほかにも各年代のチームが男女ともに活動している。

2002年には、FIFAワールドカップの埼玉会場として、日本代表の初戦や準決勝戦など4試合が緑区埼玉スタジアム2002で行われた。

2007年9月30日にはJR大宮駅の2番線に大宮アルディージャ公式ソング『Vamos Ardija』が、10月1日にはJR浦和駅の1番線に浦和レッズ公式応援歌『Keep On Rising』がそれぞれ発車メロディとして流れることになった。

バスケットボール[編集]

バスケットボールについては、bjリーグ所属の埼玉ブロンコスホームタウンである他、2006年8月26日から9月3日まで、FIBAバスケットボール世界選手権のファイナルラウンドが中央区さいたまスーパーアリーナにて行われた。女子では現在は廃部となったが、日本リーグにも参戦していた日本通運ディアーズ浦和市に本拠を置いていた。

野球[編集]

野球も市内で盛んであり、県営や市営の野球場が多数占めている。高校野球においては、1968年大宮工業高校2013年浦和学院高校選抜高校野球大会優勝を果たしている他、大宮東高校埼玉栄高校といった強豪校が存在している。社会人野球においても、戦前は大宮町に本拠に置いた「全大宮」が1932年から都市対抗野球大会に5年連続で出場し、1935年1936年と二年連続で準決勝に進出する活躍で全国にその名を轟かせた。戦後は、浦和市に本拠に置いた日本通運1964年に埼玉県勢初の都市対抗野球大会優勝を果たし、1994年には日本選手権の優勝を果たした。また、多くのプロ野球選手を輩出している。

ボクシング[編集]

日本ボクシングコミッションより公認を受けたボクシングジムは市内に3箇所。そのうち、オサムボクシングジムはかつて旧大宮市出身で「和製ヘビー級」と謳われた西島洋介山(後の西島洋介)が所属し、当時の大宮市内で試合を行ったこともある。また、さいたまスーパーアリーナでは過去に幾度世界タイトルマッチが組まれたこともある。

スポーツ文学賞[編集]

さいたま市は、スポーツが盛んな都市というイメージを生かし、1994年にさいたま市スポーツ文学賞(開始時は「浦和スポーツ文学賞」。現在は終了)を創設した。スポーツを題材とする小説およびエッセイを全国から公募する文学賞で、2010年まで隔年で実施された。また、受賞者の作品をまとめた作品集『SPORTS STORIES』を毎回刊行していた。

スポーツ施設[編集]

さいたまスーパーアリーナ正面の夜景
埼玉スタジアム2002

サッカー[編集]

野球[編集]

その他[編集]

観光[編集]

名所・旧跡[編集]

さいたま新都心・けやきひろばのイルミネーション

観光スポット[編集]

祭事・催事[編集]

特産品[編集]

  • 盆栽(北区の土呂駅大宮公園駅付近には、関東大震災の際に盆栽業者が集団移住した通称「盆栽村」がある。この周辺は、後に住居表示においても盆栽の名前が採用されて「盆栽町」と命名されている。)
  • 岩槻人形ひな人形)(岩槻区の中心部は、古くから「人形の街」として有名。経済産業大臣指定伝統的工芸品
  • 慈姑(緑区は、国内有数の産地として知られている。)
  • (岩槻区は「岩槻ねぎ」の産地として知られ、落語の「たらちね」の中に登場している。)

料理[編集]

  • ウナギ蒲焼(浦和は鰻の蒲焼発祥の地とされており、江戸時代、浦和近郊は沼地が多く、魚釣りなどを楽しむ行楽客に沼地でとれたうなぎを出したのが始まりと言われている。現在でも浦和地区の名物として知られ、2002年から「うなぎまつり」が開催されている。)
  • ケーキ(総務庁統計局家計調査年報<1998年〜2000年(平成10年〜12年)平均より>によると、旧浦和市の1世帯当たりの年間ケーキ購入額が全国で1位となったため、埼玉中央青年会議所(埼玉中央JC)が「ケーキのまち・さいたま」を宣言し、ケーキで街おこしをしようと毎年ケーキにちなんだイベントを開催している。)また、パスタの消費量も全国で1位である。
  • 豆腐ラーメン (豆腐とひき肉の餡がかかったラーメン。埼玉県のご当地ラーメンとされる。)
岩槻城黒門 
岩槻城址公園 
大宮公園 
さいたま市立博物館 

交通[編集]

交通面でも、東北新幹線上越新幹線が分岐するほか、多くの在来線の路線も交錯しており、また東北自動車道東京外環自動車道などの高速道路も通過する首都圏北側の交通の要衝といえる。


鉄道路線[編集]

市中心駅(埼玉県代表駅):浦和駅[41] [42]

新幹線停車駅:大宮駅

ただし市の都市計画においては双子都市合併とも言える合併の経緯から双方の駅周辺をそれぞれ「都心地区」に指定しており、市の方針としてどちらかの駅周辺が単独で市の中心ということではない[43]

埼玉高速鉄道線
埼玉新都市交通伊奈線

路線バス[編集]

市の全域で民営バスによる運行が行われており、主に南部は国際興業バス、西部は西武バス、北部は東武バスウエストが運行している。公営交通(市営バス)の運行実績はない。乗車方法は後乗り前降り後払い方式で、運賃は整理券方式による区間制である。PASMOSuica(非接触型IC乗車カード)が利用でき、乗車時に読取機にタッチし、降車時に運賃箱に併設された読取機にタッチして精算する。また、回数券が利用できるバス会社もある(国際興業バスなど)。ただし、100円均一区間(浦和駅周辺など)では、現金以外で支払うと割引が適用されないので、注意が必要である。なお、バス共通カードは、さいたま市内を通るバス路線ではすでに販売・使用を終了しており、手数料無料で払い戻しを行っている。

さいたま市のコミュニティバスに関してはこちらを参照のこと。

タクシー[編集]

タクシーの営業区域県南中央交通圏で、川口市鴻巣市上尾市戸田市などと同じエリアとなっている。

道路[編集]

首都高速埼玉新都心線
国道17号・与野大宮道路を歩道橋から。

高速道路・有料道路[編集]

一般国道[編集]

都道府県道[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

出身有名人[編集]

政治家[編集]

文化人[編集]

スポーツ[編集]

芸能[編集]

音楽[編集]

キャスター・アナウンサー[編集]

学者[編集]

その他[編集]

ゆかりのある人物[編集]

名誉市民[編集]

※旧市で名誉市民に推挙された人物は、さいたま市名誉市民として自動的に継承されている。

市民栄誉賞[編集]

※旧市で市民栄誉賞に表彰された人物は、さいたま市民栄誉賞受賞者として自動的に継承されている。

その他[編集]

  • 市外局番は市内全域「048」。市内局番が「6XX」(旧大宮市域)「7XX」(旧岩槻市域)「8XX」(旧浦和市域、旧与野市域)の地域との通話は市内通話料金で利用可能(浦和MA)。「7xx」から始まる市内局番はさいたま市以外も広範囲に使われている。エリアは上尾市、桶川市、北足立郡伊奈町、蓮田市、春日部市はさいたま市内から同一の市内通話料金の課金となっている。
  • 上尾市北足立郡伊奈町との合併も構想されていたが、上尾市では住民投票の結果、合併反対が多く、伊奈町が飛び地となってしまうため計画は頓挫した。その際のプロジェクト愛称名は「さいたまYOU And Iプラン」(構成地域の与野、大宮、浦和、上尾の4市と伊奈町のローマ字表記の頭文字を組み合わせた名称で、後に「彩の国YOU And Iプラン」と改められた)
  • 初めて都市名がひらがなで、また初めて内陸県で誕生した政令指定都市である(2007年8月現在唯一)。
  • さいたま市の全国地方公共団体コードは11100(検査数字を除く)で、行政区は11101から順に割り当てられる。これに基づいて仮定すると、現在最も新しく発足した岩槻区が11110であるため、仮に新たな行政区が発足(11番目)した場合は11111のゾロ目となる。ちなみに、2006年2月現在実在するゾロ目の団体コードは、静岡県伊豆市の22222だけである。

さいたま市に関わる百選[編集]

  • 日本さくら名所100選:大宮公園
  • 日本の都市公園100選:大宮公園
  • 公共建築百選:埼玉県立歴史と民俗の博物館
  • 名木百選:与野の大カヤ
  • 都市景観100選:盆栽町地区
  • 歴史の道百選:見沼通船堀

さいたま市に関わる作品[編集]

小説など
主人公が友人に誘われ出掛けたのが大宮。二人は、氷川公園氷川神社を巡る。
寺田寅彦本人が写生のため氷川公園を訪れた時の手記が綴られている。
児童文学作品。舞台には作者の石井が幼いころ遊んだ旧浦和町の神社や池が使われている。
映画
主人公がさいたま市に住んでいる。
漫画・アニメ
サッカー漫画及びアニメ作品。浦和南高校が舞台(作中では「新生高校」)。
思春期をテーマとした漫画及びアニメ作品。群馬県で育った主人公がさいたま市に引越してくる(街のモデルが大宮区)。
テニス漫画。作者の山本鈴美香の出身校である浦和西高校が舞台のモデル(アニメ・ドラマ版の舞台は「神奈川県立西高校」)。
野球漫画。原作者のひぐちアサの出身校である浦和西高校が舞台のモデル(作中では「西浦高校」)。
ギャグ漫画。作者の古谷実の出身地である旧浦和市及び校舎のみだが出身中学校がモデル(作中では「稲豊市」)。
サッカー漫画。大宮公園サッカー場浦和駒場スタジアムが実名で登場している。
サッカー漫画。初期の頃は、主人公が浦和レッズに所属している設定だった。その関係で旧浦和市が舞台だった。
ライトノベルが原作。アニメ版は、大宮駅の周辺が舞台のモデルとなっている(作中では「御﨑市」)。
アニメ作品。見沼区大和田町が舞台。実際の町内の風景がそのまま登場する。
天文をテーマにした漫画及びアニメ作品。さいたま市青少年宇宙科学館さいたま市立東浦和図書館などの施設がモデルとなった(作中では「小杉野市」)。
漫画作品。大宮駅東口の周辺に実在した飲食店・ボウリング場や、さいたま市大宮武道館が登場する。
山興証券浦和支店を舞台とした株式をテーマとする漫画作品。
PS-VITA用ゲーム。主人公が生活する最初の地域の天宮は大宮がモデル。

脚注[編集]

  1. ^ 県最西部は「秩父地方」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため
  2. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」」
  3. ^ さいたま市統計書(平成24年版)「土地及び気象」に記載の標高で、同資料の注にはさいたま市地形図に記載の標高点の最低・最高のものと説明されている。
  4. ^ さいたま市ホームページ 「区の色・ロゴマークの使用について」
  5. ^ さいたま市ホームページ 「10区の「区の花」が決定しました」
  6. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)23-25頁
  7. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、210、219、982頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)18-19頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)30-34頁
  8. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、219-220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)40-41、52頁
  9. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)59、69頁
  10. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)78頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)69~70頁
  11. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)73~74頁
  12. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121頁
  13. ^ 『図説 浦和のあゆみ』(1993)77頁
  14. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)122、983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)118~119頁
  15. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)118~119頁
  16. ^ 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)137~138頁
  17. ^ 『与野の歴史』(1988)228-229頁
  18. ^ 『与野の歴史』(1988)245-246頁
  19. ^ 『与野の歴史』(1988)246頁
  20. ^ 『与野の歴史』(1988)247頁
  21. ^ a b 2000年4月19日埼玉新聞記事「どこまで本気?「大宮市」 新市名“バーター”で 第2小委員会の主な経過」
  22. ^ 2000年3月29日埼玉新聞記事「既存市名には抵抗感 県外の投票でも不人気」。なお、『大宮市』の応募の75.2%が大宮市、『浦和市』の応募の70.3%は浦和市から行われたものである。
  23. ^ a b さいたま市ホームページ 「新市名称公募」結果のお知らせ
  24. ^ 大宮市は当初「新都心周辺地域とする」との表現を主張、それが浦和市側の反発を招き、「望ましいとの意見を踏まえ」「将来の位置を検討する」との文言が入れられた(2000年4月20日埼玉新聞記事「「さいたま市」へ 痛み分けあった合意」)。
  25. ^ 2000年4月18日埼玉新聞記事「新市名は「さいたま市」 将来の市役所 位置新都心周辺含め検討」
  26. ^ 今尾恵介『地図から消えた地名』東京堂出版。
  27. ^ 合併推進協議会報告書
  28. ^ 平成20年度第1回さいたま市庁舎整備検討委員会資料
  29. ^ 平成23年度第2回さいたま市庁舎整備検討委員会議事概要
  30. ^ 毎日新聞2012年11月23日
  31. ^ 広報課の紹介 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  32. ^ さいたま市の主な広報活動 - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  33. ^ さいたま市長9月定例記者会見 平成19年9月20日(木曜日) (PDF)
  34. ^ つなが竜ヌゥ - さいたま市(2010年10月21日閲覧)
  35. ^ さいたま市中学校向け授業「埼玉サッカー100年と浦和レッズ」を開始”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2013年3月19日). 2013年12月28日閲覧。
  36. ^ 人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり - hinameguri.com(2010年11月1日閲覧)
  37. ^ さくら草まつりをまもなく開催します!(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年4月2日付、同年11月1日閲覧)
  38. ^ やなせさんコンサートも 浦和うなぎまつり盛況 - MSN産経ニュース(2010年5月29日付、同年11月1日閲覧)
  39. ^ 踊る阿呆に見る阿呆〜第33回北浦和阿波おどり大会(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年8月27日付、同年11月1日閲覧)
  40. ^ 与野停車場通り 第19回大正時代まつり(もぎたてさいたま情報) - さいたま観光コンベンションビューロー(2010年10月8日付、同年11月1日閲覧)
  41. ^ JTB時刻表JTBパブリッシング各号[要出典]
  42. ^ JR東日本 路線図
  43. ^ 都市整備 〜広域交流・産業活力・地域復興の拠点の形成 (PDF) (都市局概要2009) - さいたま市
  44. ^ 当初、浦和駅は貨物線にホームがなく通過となっていたが、ホームの設置工事が完了し、2013年3月16日のダイヤ改正より停車駅に追加された。

参考文献[編集]

  • 『与野の歴史』 与野市総務部市史編さん室 編、与野市、1988年

関連項目[編集]

市域にかつて存在した市町村の項目[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 浦和市総務部行政資料室編 『図説 浦和のあゆみ』 1993年
  • 財団法人日本地図センター 『地図で見るさいたま市の変遷』 2003年
  • 有限会社平凡社地方資料センター編 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』 1993年
  • 与野市総務部市史編さん室 『与野市史 通史編上巻』 1987年