矢祭町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| やまつりまち 矢祭町 |
|
|---|---|
| 国 | |
| 地方 | 東北地方 |
| 都道府県 | 福島県 |
| 郡 | 東白川郡 |
| 団体コード | 07482-9 |
| 面積 | 118.22km² |
| 総人口 | 6,234人 (推計人口、2012年1月1日) |
| 人口密度 | 52.7人/km² |
| 隣接自治体 | 福島県:棚倉町、塙町 茨城県:常陸太田市、大子町 |
| 町の木 | アカマツ |
| 町の花 | ツツジ |
| 町の鳥 | ヤマバト |
| 矢祭町役場 | |
| 所在地 | 〒963-5118 福島県東白川郡矢祭町大字東舘字舘本66番地 |
| 外部リンク | 矢祭町役場 |
| ウィキプロジェクト | |
矢祭町(やまつりまち)は福島県中通りの最南端に位置する町である。東白川郡に属する。
目次 |
[編集] 地理
町のほぼ中心に矢祭山があり、矢祭山を回り込みながら久慈川が南北に流れる。西端にある八溝山は南方を茨城県、西を栃木県とする県境の山で東側の茗荷川流域のみが矢祭町に属する。町の東は阿武隈高地になっており、町の東西は山がちで久慈川に沿ってJR水郡線や国道118号が走る。
久慈川とその支流沿いに開けた村落であり、道路沿いに田畑や集落が広がり東館駅周辺に小さな商店が点在する。
近年では政府が主導する「平成の大合併」で小規模町村が切り捨てられるとの懸念から、「合併しない宣言」を出して話題になった。現在、自立財政確立のため全国の自治体から注目を集めるほどの行政改革を遂行中である。
- 地形
[編集] 現在の町勢
- 総人口 - 6,740人(2005年)
- 世帯数 - 1,957世帯(2005年)
- 年少(15歳未満)人口率 - 13.5%(2005年)
- 高齢(65歳以上)人口率 - 30.7%(2005年)
- 昼間人口 - 6,516人(2000年)
- 労働力人口 - 3,706人(2000年)
- 第1次産業就業者数 - 751人(2000年)
- 第2次産業就業者数 - 1,609人(2000年)
- 第3次産業就業者数 - 1,239人(2000年)
- 農業産出額 - 1,980百万円(2004年)
- 製造品出荷額等 - 45,759百万円(2004年)
- 商業年間商品販売額 - 3,915百万円(2003年)
- 出典
- 総務省統計局『統計で見る市区町村のすがた2007』2007年
[編集] 人口
| 矢祭町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 矢祭町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||
|
■紫色 ― 矢祭町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 |
|||||||||||||||||||||||||||
矢祭町(に該当する地域)の人口の推移
|
||||||||||||||||||||||||||||
| 総務省統計局 / 国勢調査 | ||||||||||||||||||||||||||||
[編集] 歴史
- 江戸時代まで
- 明治以後
- 1889年(明治22年)4月1日 - 豊里村、石井村、高城村が発足。
- 1953年(昭和28年) - 国道118号が制定。
- 1930年(昭和5年)4月16日 - 水郡線の常陸大子 - 東館間が開業。
- 1955年(昭和30年)3月31日
- 豊里村と高城村の一部(茗荷・内川・関岡)が合併し矢祭村が発足。
- 塙笹原町・石井村・高城村の残部(台宿・伊香・植田・真名畑)が合併し塙町が発足。
- 1957年(昭和32年)1月10日 - 塙町の旧・石井村の一部(中石井地区、下石井地区、戸塚地区)が分離され、矢祭村に編入。
- 1963年(昭和38年)1月1日 - 矢祭村は町制施行し矢祭町となる。
- 2001年(平成13年)10月31日 - 市町村合併をしない矢祭町宣言を町議会が可決。
[編集] 行政区域変遷
- 変遷の年表
| 矢祭町町域の変遷(年表) | ||
|---|---|---|
| 年 | 月日 | 現矢祭町町域に関連する行政区域変遷 |
| 1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村が発足。[1][2] |
| 1955年(昭和30年) | 3月31日 |
|
| 1957年(昭和32年) | 1月10日 | 塙町の旧・石井村の一部(中石井地区、下石井地区、戸塚地区)が分離され、矢祭村に編入。 |
| 1963年(昭和38年) | 1月1日 | 矢祭村は町制施行し矢祭町となる。 |
- 変遷表
| 矢祭町町域の変遷表 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1868年 以前 |
明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
| 大垬村 | 豊里村 | 豊里村 | 昭和30年3月31日 矢祭村 |
昭和38年1月1日 町制 |
矢祭町 | 矢祭町 | |
| 上関河内村 | |||||||
| 下関河内村 | |||||||
| 小田川村 | |||||||
| 宝坂村 | |||||||
| 東舘村 | |||||||
| 金沢村 | |||||||
| 山下村 | |||||||
| 高野村 | |||||||
| 茗荷村 | 高城村の一部 | 高城村の一部 | |||||
| 内川村 | |||||||
| 関岡村 | |||||||
| 中石井村 | 石井村の一部 | 石井村の一部 | 昭和30年3月31日 塙町の一部 昭和32年1月10日 矢祭村に編入 |
||||
| 下石井村 | |||||||
| 戸塚村 | |||||||
[編集] 行政
- 町長:古張允
- いわゆる「昭和の大合併」で「血の雨が降る」と言われる程の犠牲を出した歴史と合併によって山村が見捨てられるとの懸念から「平成の大合併」に反対して、他の市町村に先駆けて合併を行わない事を宣言していた(合併しない宣言)[3]。その後は独自で財政の歳出削減を行っていた。こうした地方自治体自立の試みで全国的に有名となった。
- 町長を6期24年という長期間にわたって務め、全国の顔となった[4]。
- 職員・人件費と削減
- 職員削減に伴う、職員の職務兼務・組織変更
- 7課体制を5課体制に。庁舎の清掃も、町長・助役・教育長も行う。管理職もトイレ清掃を行う。
- 開庁時間
- 役場窓口業務にフレックスタイム導入。年中無休。平日は7:30 - 18:30。
- 出張役場制度の創設
- 役場職員の自宅を出張役場として利用。町民は職員自宅で各種届出・納付可能に。
- 保育所・幼稚園の一元化
- 保育時間は平日7:25 - 18:45。土曜日は7:45 - 12:45。
- 町税等の公共料金の支払いをスタンプ券で支払い可能に
- 地元商店会が発行するスタンプ券(買い物の際に2万7000円で500円分)で、介護保険料含む各種公共料金を支払うことが可能になった。
- 役場職員消防隊の結成
- 役場職員が消防員として、消火活動にあたっている。
- 税金滞納対策
- 職員自ら回収にあたる。夜は超過勤務手当のかからない課長クラスが担当。
- 住民基本台帳ネットワークシステムに非接続
- 2002年7月、全国で最初に離脱を宣言。個人情報保護の観点と、利用者が年10人足らずだったことから。同じく離脱していた国立市が再接続した2012年2月以降は、唯一の不参加自治体となっている。
- 町議会が議員報酬を月額制から日当制に変更
- 月額20万8000円を廃止し議会に1回出席するごとに日当制の3万円とし、ボーナスに当たる期末手当も廃止。2008年3月31日以降の議会から導入。試算では議会の人件費が3分の1以下になる。この日当制は全国で初めて。
- その他
- 2006年には図書館(矢祭もったいない図書館)設立のため蔵書の寄贈を一般に募り、約1年で全国から約43万5000冊の寄贈を受けた(収納容量に到達したため図書の募集は終了した)。建屋は古い武道館を改修した。
- 削減するだけでなく、住民サービスは格段に向上している。また、大規模で破格的な条件で企業・住宅誘致を行うことで町税の増収を図っている。
- 介護保険料は福島県で最も安い。
- 全国自治体から多数の視察団が訪れている[5]。
[編集] 姉妹都市・友好都市
[編集] 学校
[編集] 中学校
- 矢祭町立矢祭中学校
[編集] 小学校
- 矢祭町立内川小学校
- 矢祭町立関岡小学校
- 矢祭町立東舘小学校
- 矢祭町立下関河内小学校
- 矢祭町立石井小学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 路線バス
[編集] 道路
- 一般国道
- 一般県道
[編集] 空港
[編集] 注釈
[編集] 関連項目
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||