北海道
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北海道(ほっかいどう、ほくかいだう)は日本列島を構成する島の一つ。本州の北に位置する面積77,981.87km²の島で、日本列島四大島の一。島名は律令制における五畿七道の各道に倣って新設された北海道による。
同島は付属島を含め、札幌市を道庁所在地とする北海道庁の管轄下にあり、これもまた「北海道」(ほっかいどう、英語表記:Hokkaido Prefecture)と呼ばれ、今日における日本全国1都1道2府43県中唯一の「道」である。ただし、北方領土はロシアが実効支配をしており、道庁が実質的に管轄出来ていない国土が存在する。
この北海道1道のみで構成される地方が北海道地方であり、日本の総面積の約2割超(22.9%)を占める。
目次 |
名称
この島の先住民であるアイヌの言葉(アイヌ語)では「アイヌモシリ」(Ainu mosir, 「人間の住む土地」の意)と呼ばれる。日本人(和人)は近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいたが、明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討し、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は政府に建白書を提出、「北加伊(きたかい)道」「海北道」「海東道」「日高見(ひたかみ)道」「東北道」「千島道」の6案を提示した。結局「北加伊道」を基本として採用し、海北道との折衷案として、また、律令制時代の五畿七道の東海道、南海道、西海道の呼称に倣う形として「北海道」と命名された。なお、松浦は建白書において「北加伊道」案はアイヌが自らを「カイ」と呼んでいる事から考案したと説明しているが、言語学者の金田一京助は、当時のそのような事実を示す証拠は見つかっていないと唱えている。
北海道の道は地方自治法に於いて他の都・府・県と同格の接尾辞とされているが、それを外して単に「北海」と表記・呼称されることは非常に稀である(北海タイムス、北海学園大学など、社名や学校名等の固有名詞に使用される例はある)。これは五畿七道にあやかって命名されたひとまとまりの地域名をそのまま地方公共団体名として転用した特殊性に拠るものといえる。逆に道の方が「道銀(北海道銀行)」「道新(北海道新聞)」等、事実上北海道を指し示す固有名詞として広く普及しているのが現実である。
後述の通り、1886年から1947年まで北海道を管轄した地方行政官庁は北海道庁であった。この場合、「北海道」は単なる地域呼称であって、「北海道庁」が「東京府」や「青森県」などと同格の官庁名であり、現在一般に理解されているような単なる庁舎の呼称ではない(樺太と樺太庁の関係に同じ)。1901年に北海道会法および北海道地方費法が公布・施行されて議会を持つ地方自治体となったが、自治体としては「北海道地方費」と呼ばれた。戦後、1946年の第1次地方制度改革で市制・町村制・東京都制とともに府県制が改正されたとき、北海道会法と北海道地方費法が廃止されて府県制に統合された。府県制は道府県制と改称され、改正法律の附則の規定により従来「北海道地方費」と呼ばれていた自治体を「道」と呼ぶこととされた。地方行政官庁としての北海道庁は1947年の地方自治法施行により「北海道庁官制」とともに廃止され、同法に基づく普通地方公共団体としての北海道となった。
地方公共団体としての北海道
地方公共団体としての北海道は、北海道本島の他、利尻島、礼文島、奥尻島、天売島、焼尻島、渡島大島、渡島小島等の属島をその領域に含む。択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島も北海道の領域の一部だが、1945年にソビエト連邦に不法占領され、現在も同国の後継国家であるロシア連邦の実効支配下に置かれており、現在、日本の施政権が及んでいない。
北海道には180の市町村(35市130町15村)、64の郡がある(この他、北方領土に5郡6村がある)。北海道では、森町が「まち」である以外は、町は全て「ちょう」、村は全て「むら」と読む。
地理
島としての北海道は、面積77,981.87km²(日本では本州に次いで2番目、世界では21番目に大きな島)。アイルランド島よりやや小さく、樺太よりやや大きい。南の本州とは津軽海峡で隔てられているが、青函トンネルにより鉄路で繋がれている。北は宗谷海峡を隔てて樺太と向かい合い、東には千島列島が連なり、間接的にではあるがロシアと国境を隔てている。西の日本海、南東の太平洋、北東のオホーツク海と、3つの海に囲まれており、周辺には対馬暖流とその分枝である津軽暖流・宗谷暖流、及び親潮と東樺太海流が流れている。
北海道は大きく分けて胴体部にあたる菱形の部分と、南西の半島部(渡島半島)よりなる。
胴体部は南北に蝦夷山系と呼ばれる山地群が貫き北海道の脊梁を成している。蝦夷山系は南の日高山脈に始まり、東の石狩山地・北見山地と、西の夕張山地・天塩山地に分岐しており、この二列の間には富良野盆地・上川盆地・名寄盆地等の盆地列が形成されている。頓別平野からこの盆地列を通り、鵡川の河谷に抜ける低地帯を北海道中央凹地帯と呼ぶ。
北海道東部は千島弧の延長である知床半島や阿寒の山々が、それぞれ北東-南西の山列を成しながら全体としては東西に伸びている。この北側は北見山地からなだらかな傾斜が海岸近くまで続き平野は少ないが、南側では十勝平野、根釧台地等の大平野が形成されている。
渡島半島に続く地域は、石狩湾から石狩平野、勇払平野を通って太平洋へと抜ける石狩低地帯である。ここには人口約190万を抱える札幌市や、千歳市、苫小牧市等が並び、北海道で最も人口が集中する地域となっている。渡島半島は東北日本弧内帯の延長部にあたり、石狩低地帯の西に位置する南西部山地、その南に黒松内低地帯、更に南には渡島山地がある。
北海道の主な高峰は、蝦夷山系と千島弧の会合する中央部の石狩山地(大雪山連峰、十勝岳連峰等)と、その南に続く日高山脈に集中している。最高峰は大雪山の旭岳で、その標高は2,290mである。南西部山地には「蝦夷富士」と呼ばれる羊蹄山等の山がある(北海道の山の一覧も参照のこと)。
一級水系は13水系ある。石狩川、天塩川、十勝川、釧路川、網走川、常呂川、湧別川、渚滑川、留萌川、沙流川、鵡川、尻別川、後志利別川。
阿寒湖、大沼、屈斜路湖、サロマ湖、支笏湖、洞爺湖、摩周湖、ウトナイ湖、網走湖、能取湖、風蓮湖などの湖がある。
- 北海道の位置
- 東端:東経148度53分59秒(択捉島ラッキベツ岬)
- 西端:東経139度20分16秒(渡島大島西端)
- 南端:北緯41度20分58秒(渡島小島南端)
- 北端:北緯45度33分19秒(択捉島カモイワッカ岬)
自然公園
- 恵山道立自然公園
- 道立野幌森林公園
- 厚岸道立自然公園(国定公園へ変更予定)
- 松前矢越道立自然公園
- 朱鞠内道立自然公園
- 天塩岳道立自然公園
- 野付風蓮道立自然公園
- 斜里岳道立自然公園
- 北オホーツク道立自然公園(クッチャロ湖がラムサール条約登録)
- 狩場茂津多道立自然公園
- 富良野芦別道立自然公園
- 檜山道立自然公園
気候
気候は道南から道央沿岸部にかけて西岸海洋性気候が見られるほか、道東や道北など多くの地域は亜寒帯湿潤気候で、夏と冬の温度差が大きく冬の積雪は根雪となる。道内全域が豪雪地帯になっている。
日本海側は日本海側気候、太平洋・オホーツク海側は太平洋側気候に属する。その気候を北見山地・石狩山地・日高山脈が分けている。
気温は夏冬とも一般に日本海側で高く、オホーツク海・太平洋側で低い。
- 日本海側は冬季には低気圧や気圧の谷の他、季節風による降雪が多く、太平洋側・オホーツク海側は冬季には低気圧や気圧の谷のみによる降雪が殆どであるが、強い冬型の気圧配置で季節風が山岳を越えて降雪することがある。
- 太平洋側では夏には霧が発生する。
- 内陸の盆地部は気温の年較差が大きく冬季には記録的な低温を示す事も多い。
- 道南地域は道内では最も温暖で東北地方と似通った気候であり植生も類似している。
北海道地方には梅雨がないとされ、気象庁でも北海道の梅雨入りは発表されていないが、梅雨前線が北海道にかかり、2週間ほどぐずついた天気になる事がある。これを蝦夷梅雨という。
また、台風の襲来も少ない。台風として上陸するのではなく、温帯低気圧となってから上陸することが多い。どちらの場合も、一度本州などに上陸したものが、海上で勢力を盛り返し上陸するケースもあり、被害が大きくなることもある。
人口
東北6県+新潟県とほぼ同じ面積をもつ北海道の人口は5,627,424人(2005年10月1日、国勢調査で国内7位)で、その8割弱が面積の3割程度の道央および道南に集中しており、概ね「西高東低・南高北低」の人口分布となっている。
道南・道央
北海道面積の半分にも満たないが、岩手県と秋田県を併せた面積程度の道南・道央主要部合計の人口は四国4県の合計よりも多くなっており、北海道支庁の半数近くが置かれ細分されている。
- 道央・道南主要部の人口及び面積
- ※数値は2007年現在
- 後志・胆振・渡島の合計
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- 人口:1,116,192人
- 面積:11,939.86km2
- 人口密度:93.48人/km2
- 参考:秋田県…人口:1,134,033人 面積:11,612.22km2 人口密度:97.66人/km2
- 石狩・空知(深川市以南)・上川(塩狩峠以南)の合計
道東・道北
北海道の面積の7割を占める道東および道北(上川支庁の塩狩峠以南は除く)の人口は合計120万人程度。各支庁の人口はいずれも都道府県別最下位の鳥取県(約61万人)の5割強以下。人口密度は概ね、岩手県の1/3、胆振・渡島両支庁の1/4、石狩支庁の1/20程度。
- 道東・道北の人口及び面積
- ※数値は2007年現在
- 道東
- 十勝支庁…道内一の面積。
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- 人口:352,903人
- 面積:10,831.24km2
- 人口密度:32.58人/km2
- 参考:岐阜県…面積:10,621.17km2(国内7位)
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- 人口:342,263人
- 面積:9,495.37km2
- 人口密度:36.05人/km2
- 参考:青森県…面積:9,606.96km2(国内8位)
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- 人口:321,660人
- 面積:10,690.53km2
- 人口密度:30.09人/km2
- 参考:岐阜県…面積:10,621.17km2(国内7位)
- 道北
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- 人口:209,889人
- 面積:12,267.85km2
- 人口密度:17.11人/km2
- 参考:新潟県…面積:12,583.40km2(国内5位)
年齢構成
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]
- データ出典:第10表/都道府県, 年齢(5歳階級), 男女別人口-総人口
(総務省統計局)
| 北海道と全国の年齢別人口分布図(比較) | 北海道の年齢・男女別人口分布図 |
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■紫色は北海道
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |
道政
歴代知事
詳細は北海道知事一覧を参照。 北海道庁時代の歴代長官については北海道庁 (1886-1947)の項を参照。
- 初代:田中敏文(1947年4月21日 - 1959年4月22日、3期)
- 2代:町村金五(1959年4月23日 - 1971年4月22日、3期)
- 3代:堂垣内尚弘(1971年4月23日 - 1983年4月22日、3期)
- 4代:横路孝弘(1983年4月23日 - 1995年4月22日、3期)
- 5代:堀達也(1995年4月23日 - 2003年4月22日、2期)
- 6代:高橋はるみ(2003年4月23日 - 、2期目)
北海道議会
定数は106人。構成は以下の通り。(2007年4月30日現在)
財政
2006年度の実質公債費比率は19.9%と、全国では長野県に次いで2番目に悪い。総務省 平成18年度 実質公債費比率の算定結果(速報)PDF、同HTML
地域区分・支庁
支庁
地方自治法155条では、「普通地方公共団体の長は、その権限に属する事務を分掌させるため、条例で、必要な地に、都道府県にあつては支庁...(中略)...及び地方事務所...(中略)...を設けることができる。」としている。
同法に基づき、北海道では、北海道支庁設置条例で支庁を設置し、各支庁はその管内において、納税証明書の発行および旅券発給等の窓口業務など、管轄地域ごとに行った方が効率のよい業務を担当している。北海道支庁設置条例によれば支庁の所管区域は郡部であり市部は含まれないが、実際には北海道が定めた北海道行政組織規則等によって支庁業務が行われている市部を含め支庁の区域と見なされる事が多い。これら、支庁に関する条例・規則の詳細は北海道の条例・規則のページを参照されたい。
北海道では山形県と同様全域を支庁で区分しており、山形県は4支庁であるが、北海道では14支庁を設置している(その他の都府県については支庁の項目を参照)。北海道内の天気予報では概ね支庁毎に予報が発表され、道内のローカルニュースでは「網走管内の大空町では、」といった支庁名を冠する表現がよく用いられるが、支庁は都道府県の出先機関に過ぎないため「北海道釧路支庁管内釧路市」のような表記はされず、道内においても「北海道釧路市」「北海道網走郡大空町」などと正確に表記される。
支庁一覧
以下に示す番号は、上で示した図の番号と対応している。管内の市町村の詳細は、各支庁の記事参照。
| 支庁 | 自治体 コード |
庁舎 所在地 |
管内市町村数 | 面積 | 域内人口 |
|---|---|---|---|---|---|
| 石狩 | 01300-5 | 札幌市 | 6市1町1村 | 3,539.86km² | 231万0001人 |
| 空知 | 01420-6 | 岩見沢市 | 10市15町0村 | 6,558.22km² | 36万5563人 |
| 後志 | 01390-1 | 倶知安町 | 1市13町6村 | 4,305.82km² | 25万0065人 |
| 渡島 | 01330-7 | 函館市 | 2市9町0村 | 3,936.32km² | 44万9371人 |
| 檜山 | 01360-9 | 江差町 | 0市7町0村 | 2,629.88km² | 4万6999人 |
| 胆振 | 01570-9 | 室蘭市 | 4市7町0村 | 3,698.00km² | 42万6627人 |
| 日高 | 01600-4 | 浦河町 | 0市7町0村 | 4,811.96km² | 8万1403人 |
| 上川 | 01450-8 | 旭川市 | 4市16町2村 | 9,852.17km² | 53万5456人 |
| 留萌 | 01480-0 | 留萌市 | 1市7町1村 | 4,019.91km² | 6万1488人 |
| 宗谷 | 01510-5 | 稚内市 | 1市7町1村 | 4,050.76km² | 7万5665人 |
| 網走 | 01540-7 | 網走市 | 3市15町1村 | 10,690.55km² | 32万4719人 |
| 十勝 | 01630-6 | 帯広市 | 1市16町2村 | 10,831.24km² | 35万4147人 |
| 釧路 | 01660-8 | 釧路市 | 1市6町1村 | 5,997.38km² | 26万1883人 |
| 根室 | 01690-0 | 根室市 | 1市4町0村 | 8,534.13km² (北方領土5,127.9km² を含む) |
8万4035人 |
地域区分
北海道では、道南・道北など道内を大きく4つに地域分けして呼ぶ事がある。この地域分けは厳密に定義されたものではなく、道民には概念的に受け入れられた地域区分であるが、気候的特徴から胆振支庁・日高支庁を道南地方とする場合や、また上川支庁の旭川市以南を道央地方に入れたりする場合もあるなど、曖昧なため以下何通りか記す。
概念的区分
概念的区分は何通りかあるが、ここではその一例を挙げる。 (人口は2007年現在)
- 道南地方:(人口101万9297人、面積は岩手県と同等)渡島・檜山・胆振・日高の4支庁管内
- 道央地方:(人口340万2109人、面積は福島県+大分県と同等)石狩・後志・空知・上川(塩狩峠以南)の4支庁管内
- 道北地方:(人口20万9889人、面積は新潟県と同等)上川(塩狩峠以北)・留萌・宗谷の3支庁管内
- 道東地方:(人口101万6826人、面積は岐阜県×2+青森県と同等)網走・十勝・釧路・根室の4支庁管内
- ※その他、道南・道央・道北の3地域については後述の地域生活経済圏と同様の区分も用いられる。
地域生活経済圏としての区分
他方、北海道庁は道内を6つの「地域生活経済圏」に分けている。「道東地方」については面積が広いため3分割し計6地域とされている。(北海道の2005年の国勢調査人口562万7424人)。
- 道南圏(49万6370人、面積は栃木県と同等):渡島・檜山の2支庁管内
- 道央圏(343万3659人、面積は長野県+山形県と同等):石狩・後志・空知・胆振・日高の5支庁管内
- 道北圏(67万2609人、面積は新潟県+三重県と同等):上川・留萌・宗谷の3支庁管内
- オホーツク圏(32万4719人、面積は岐阜県と同等):網走支庁管内
- 十勝圏(35万4147人、面積は岐阜県と同等):十勝支庁管内
- 釧路・根室圏(34万5918人、面積は青森県と同等):釧路・根室の2支庁管内
その他の地域分け
国の出先機関(地方支分部局)の支局等が、一般に札幌市・旭川市・函館市・釧路市の4ヶ所のみに設置される場合は、概ね支庁を分割することなく、その支局等が置かれる支庁と近隣の支庁を管轄することとなる(例:釧路支局が釧路支庁と根室支庁を管轄する)が、一部の機関にあっては、歴史的経緯・地理的状況により、支庁を分割して管轄する場合がある(特に空知支庁の北部と中南部であることが多い。例:札幌法務局と旭川地方法務局、札幌運輸支局と旭川運輸支局)。
また、道内の放送局は7地域に分割される。詳細は、#テレビ局にて。
歴史
アイヌの歴史も参照。
先史時代
北海道には数万年前の氷河期にシベリアから人類が渡り、温暖となってからは本州からも渡来したようで、旧石器時代を経て、土器を中心とした縄文文化が興った(縄文時代)。
その縄文時代後期の「周溝墓」と推定できる環状土籬が見つかっている。千歳市郊外に周堤の外径が74メートルもあるキウス遺跡や知床半島の付け根部にある斜里町でも朱円遺跡など環状土籬が発見されている。
本州以南は多数の渡来人(帰化人)が移住することで弥生時代を迎えたが、北海道にまでは弥生文化が伝播せず、縄文文化が続いた(弥生・古墳時代に相当する続縄文時代は、紀元前2世紀から7世紀まで続いた)。この文化は、北はサハリン南端部、東は国後島・択捉島、南は東北地方から新潟県西部にまで及んでいる。
つづいて、土師器の影響を受けて縄文がなくなり、木片の刷毛で擦ったような文様の擦文式土器を特徴とする擦文時代となって、これが12世紀ごろまで続いた。この文化は和人(本州以南の日本人)との交易によって、12世紀ごろには鉄器を持ち、狩猟のほかに農業、漁労を営むアイヌ文化に成熟した。
オホーツク海沿岸には、アイヌによって擦文時代が営まれていた頃、海獣狩猟を中心とするオホーツク文化を持った人々が移住したが、アイヌ文化が成熟した頃に忽然と姿を消した。アイヌと完全に同化したか、アイヌに追われたものと考えられる。この古代文化は、3世紀から13世紀にサハリン、北海道のオホーツク海沿岸、千島列島に展開された。このうち、北海道に分布するこの文化の遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推測されている。
和人進出
古くは『日本書紀』に渡島(わたりしま)として登場し、阿倍比羅夫と接触を持ち、奈良時代、平安時代には出羽国と交易を行なった。当時の住民は、東北地方北部の住民と同じく蝦夷(えみし)と呼ばれていた。恐らく両者は同一民族で、北海道側の蝦夷が後の蝦夷(えぞ)、現在のアイヌの先祖だと考えられている。
中世以降、北海道の住民は蝦夷(えぞ)と呼ばれ、北海道の地は蝦夷が島、蝦夷地(えぞち)等様々に呼ばれた。古代の蝦夷(えみし)は農耕も生活の柱としていたが、次第に狩猟・漁業に特化し、米や鉄等を日本人(和人)との交易で得るようになっていった。
また、鎌倉時代以降になると、後の松前藩や和人地の基礎となった渡党の活動が見られるようになる。
松前藩
室町時代には渡島半島の南端に和人が道南十二館を築き居住地(和人地)を設けた。戦乱を避けて移住する者が増えると、現地のアイヌとの間に対立が起きた。その結果、1457年(長禄元年)に起きたコシャマインの戦いで、武田信広がアイヌの指導者コシャマインを殺し、和人の勝利を決した。信広は蠣崎氏を継ぎ、その子孫は後に松前の氏を名乗り、代々蝦夷地の南部に支配権を築いた(松前藩)。
松前藩の経済基盤はアイヌとの交易にあった。安土桃山時代から江戸時代にかけて松前氏は征夷大将軍より交易独占権を認められ、アイヌとの交易条件を自らに有利なものに変えていった。アイヌはシャクシャインの戦いやクナシリ・メナシの戦いといった反乱
