尾瀬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
尾瀬ヶ原、上田代の池塘と燧ヶ岳
左から順に尾瀬沼、燧ケ岳、尾瀬ヶ原.手前の谷は三条ノ滝から奥只見湖(銀山湖)に繋がる只見川最上流部(2006年06月撮影)

尾瀬(おぜ)は、福島県南会津郡檜枝岐村)・新潟県魚沼市湯之谷地区)・群馬県利根郡片品村)の3県にまたがる高地にある盆地状の高原であり、阿賀野川水系最大の支流只見川の源流域となっている。中心となる尾瀬ヶ原は約1万年前に形成されたと考えられる湿原である。尾瀬国立公園に指定され、日本百景に選定されている。

概要[編集]

尾瀬は活火山である燧ケ岳の噴火活動によってできた湿原であり、ミズバショウミズゴケなど湿原特有の貴重な植物群落が見られる。ほぼ全域が国立公園特別保護地域および特別天然記念物に指定されており、歩道以外への立ち入りが厳しく制限され、ごみ持ち帰り運動の発祥地であるなど、日本の自然・環境保護運動の象徴でもある。

一般的に尾瀬とは、『尾瀬ヶ原』のほか、『尾瀬沼』や『至仏山』、『燧ヶ岳』等が含まれる国立公園特別保護地域を指すが、広義には、国道401号片品川沿いの登山口駐車場を『尾瀬駐車場』と呼んだり、その近隣のスキー場を『スノーパーク尾瀬戸倉』と呼ぶなど、登山口周辺地域を尾瀬と呼ぶこともあり、『大清水』や『御池』なども尾瀬と云うことがある。

地理[編集]

至仏山燧ヶ岳、袴腰山、中原山などの2000メートル級の山に全方向をかこまれた盆地である。東側が上流域にあたる尾瀬沼で標高1660m、西側の下流域にあたる尾瀬ヶ原が標高1400m。尾瀬沼と尾瀬ヶ原周辺に湿原が多い。沼や湿原は只見川の源流となっており、尾瀬ヶ原の水は全て三条の滝となって流れ出る。東西約6km、南北3km。特別保護地域の面積はおよそ8690ha

尾瀬ヶ原の湿原と拠水林[編集]

尾瀬ヶ原の湿原は「拠水林」によっていくつかに分割されている。拠水林とは、湿原の外部から湿原を貫通して流れる川の両側に成立している林のことである。湿原の外部から流れてくる川は多くの土砂を運び、川の両側に自然堤防を形づくり、そこだけは樹木の成長が可能となる。ただし、全ての川に拠水林が成立するわけではない。小規模な川は湿原に流入直後の短い距離にしか拠水林を作れない川が多い。また、湿原内に湧き出た泉を水源とする川にも拠水林は成立しない。

拠水林によって尾瀬ヶ原の湿原は、いくつかに分割されており、それぞれに独自の名称がついている。川上川と上ノ大堀川に囲まれた「上田代」。上ノ大堀川とヨッピ川、沼尻川に囲まれた「中田代」。沼尻川と只見川に囲まれた「下田代」が主な湿原であるが、周囲にも「背中アブリ田代」や「ヨシッ堀田代」、「赤田代」などの湿原があり、至仏山や燧ヶ岳の山頂から尾瀬ヶ原を展望するとモザイク状に拠水林によって分割されている様子がわかる。

尾瀬ヶ原と至仏山。木道はほとんどの場所が複線化されており、右側通行である。右にある池は、池塘と呼ばれる。
燧ヶ岳山頂より見た至仏山と尾瀬ヶ原。湿原を縁取っているのが拠水林である。
川沿いに成立する拠水林。樹種はシラカバが中心。
東電尾瀬橋から見た上流部の只見川。尾瀬ヶ原の水はヨッピ川、沼尻川に集まり、この只見川に注ぐ。


気候[編集]

標高約1400mの高地に位置し、亜寒帯湿潤気候である。夏は冷涼、冬は非常に寒さが厳しく、-30度近くまで下がることもあり、1995年12月28日には尾瀬沼で-31.0℃、山の鼻で-30.0℃が観測されている。冬季の降雪量が多い日本海側気候であるが、太平洋と日本海の分水界でもあり、太平洋側気候の特色も持つ。

尾瀬(山の鼻)の平均気温と平均降水量[1]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温(C -7.6 -6.7 -3.4 2.0 7.0 12.4 16.6 17.2 13.2 6.9 1.1 -4.3 4.6
降水量(mm 149.5 142.4 133.5 85.1 101.8 139.8 173.8 190.8 204.8 157.3 113.9 182.7 1775.1
鬼怒沼八島原の平均気温(C[2]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
鬼怒沼(2020m) -10.3 -10.1 -6.7 -0.3 5.8 9.9 14.4 15.4 10.6 4.5 -1.6 -6.3 2.2
八島原(1630m) -8.7 -8.9 -4.5 2.6 7.5 13.0 16.1 17.4 13.3 8.0 2.2 -6.8 4.3

周辺の山[編集]

尾瀬ヶ原中田代付近の空中写真。(1976年撮影)斑模様に見える小さな池が池塘。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

尾瀬沼の近辺に至仏山燧ヶ岳があり、周辺には日光白根山帝釈山平ヶ岳武尊山などのがある。

Mt.Shibutsu 01.jpg Hiuchigatake 080923 1.JPG Mt.Nikko-Shirane.jpg Mt Josyu-Hotaka.jpg
至仏山 燧ヶ岳 日光白根山 武尊山

周辺の峠[編集]

源流の河川[編集]

以下の源流となる只見川水系河川日本海へ流れ、利根川水系の河川は太平洋へ流れる。

  • 只見川尾瀬沼と尾瀬ヶ原を源流とする河川)
  • 桧枝岐川(只見川の支流
  • 利根川(大清水平、小渕沢田代などを源流とする河川)

観光・登山[編集]

尾瀬ヶ原と至仏山
尾瀬ヶ原、下田代のシラカバと燧ヶ岳

尾瀬はほとんどの場所に木道が整備されており、湿原だけを回る場合は標高差は最大でも260m程度であり、歩行はそれほど困難ではない。

登山道から木道があることから、軽装の観光客も多いが、現地は山岳地帯であり、同じ群馬県内の高崎などの平野部と比べて気温も10℃以上差がある。多くの人が訪れる初夏のミズバショウの季節は残雪も多く、気象の変化により急激に気温が低下することもある。

また、中央分水嶺付近に位置することなどから夏の山の天気は崩れやすく、雨天時や雨天後は木道が水没していることもある。

木道区間がほとんどであるため、タウン用のスニーカーなどで訪れる人も多いが、雨や残雪などで濡れた木道は特に滑りやすい。また、雨天後の雨水や融雪により木道が冠水していることもあるため、登山ハイキングに適した雨具などの装備が必要とされる。

ツキノワグマが生息しており、過去に観光客が襲われた事例もあるが、環境省が尾瀬に2つ設置したビジターセンターはツキノワグマに対し正しい知識を持って対処すれば危険は低減できる事を、ポスターや掲示板などで知らせている。

携帯電話はほとんどの場所でサービスエリアの圏外となる。公衆電話は多くの山小屋等にあるものの、衛星公衆電話なので通常の公衆電話よりも通話料が高額となる。

Lysichiton camtschatcense Mizubasyou in Sakaitouge 2008-4-25.JPG Hemerocallis dumortieri Nikkoukisuge in Bessan 2002-6-16.jpg Veratrum stamineum Kobaikeisou in bessan 2004-6-13.JPG Formosan Black Bear01.jpg
ミズバショウ ニッコウキスゲ コバイケイソウ ツキノワグマ

山小屋などの施設[編集]

尾瀬見晴十字路の山小屋群

尾瀬沼の東端及び尾瀬ヶ原の西端には、ビジターセンター[3]国民宿舎がある。

山小屋・休憩所

尾瀬は広大なため、日帰りで一周することは非常に難しい。このため、湿原内に多くの山小屋が設置され、利用される場合がある。ただし、他地域の山小屋と異なり、すべての山小屋が事前予約制をとっている[4]。これは、予約制でない時代に多くの登山者が詰めかけ、収容人員をはるかに上回る事態となったためであり、自然保護のための入山規制の意味合いもある。山小屋は、鳩待峠、山の鼻、竜宮、ヨシッ堀田代、富士見峠、見晴、赤田代、渋沢温泉、尾瀬沼東岸、三平下、大清水、御池、七入の各地区に存在する。多くの山小屋は、昼間もカレーや麺類など軽食を出す休憩所や記念品、飲料などを販売する売店としても営業している。山小屋以外にも管理人が常駐し、軽食の提供や売店を営業する有人の休憩所が各所にある。山小屋の物資はヘリコプター輸送のほか、尾瀬ヶ原地区では生鮮食料品などはボッカにより輸送されている[5]。そのため、シーズン中は毎日郵便物の取集があり、主要な山小屋には期間を限って郵便ポストが設置される。なお、ポストによっては現在はボッカではなく依託された郵便物取集人が取集を行っている。

キャンプ指定地

キャンプは指定された3ヶ所(山の鼻、見晴、尾瀬沼東岸)で可能であるが[6]、尾瀬沼野営場は尾瀬沼ヒュッテでの予約が必要である。

公衆トイレ

公衆トイレは山小屋の存在する場所に設置されている。チップ制が採用され、使用料(1回100円程度、沼尻では200円)を入口の箱に投入するというようなシステムになっている。

自然保護運動[編集]

尾瀬では自然保護運動がさかんであり、これらの運動の一部は尾瀬の後に他地域で実践されるようになったものも多い。このため、これらの活動について列挙する。なお、自然保護を目的として1972年には群馬県尾瀬憲章が制定。1996年には尾瀬保護財団が設立されている。

反ダム運動[編集]

最初期の自然保護運動は、尾瀬原ダム計画の反対運動であった。尾瀬沼のほとりに住んでいた平野長蔵は、一人でこれに反対。発電所の建設に反対するために、尾瀬への定住を始めたという。実際には、発電用施設は尾瀬沼南岸に取水口が1つ建設されたのみで、それ以外は建設されなかった。1956年に尾瀬地域が天然記念物に、1960年には特別天然記念物に指定され、その時点で発電所計画は事実上不可能になっていたものの、東京電力1966年まではこの地に発電所建設計画を持っていた。また、それ以降も太平洋側への分水路建設計画は残されていた。東京電力が発電所建設や分水路建設計画を正式に断念するのは1996年になってのことである。ただし現在でも尾瀬地域の群馬県側は全てが東京電力の所有地である。現在の東京電力や子会社の東京パワーテクノロジー‎(旧尾瀬林業)は、木道の建設や浄化槽式トイレの建設、湿原の復元など、環境省や各自治体と並び尾瀬を守る活動の主体のひとつとなっており、東京パワーテクノロジー‎は尾瀬地域の5つの山小屋の経営母体でもある。

反道路建設運動[編集]

その後尾瀬が有名な観光地になると、自動車で乗り入れができる、より簡便な観光ルートの建設が開始された。1960年代当時、自動車で入山できる場所は富士見峠しかなかったが、この後、鳩待峠沼山峠が整備され、峠の頂上付近まで自動車で乗り入れることができるようになった。この後、三平峠と沼山峠を結ぶ自動車道の建設が始まるが、建設開始直後の1971年7月25日、平野長蔵の子孫の平野長靖が当時の環境庁長官大石武一に建設中止を直訴。5日後、大石が平野とともに現地を視察すると、直後に建設は中止された。竣工した道路の一部は1998年までに廃道になった。

ごみ持ち帰り運動[編集]

ごみ持ち帰り運動も、尾瀬が元祖であるとされる。それまで尾瀬には多くのゴミ箱が設置されていたが、ごみの処理に苦労していたうえ、ごみ箱はすぐにあふれたため、入りきらなかったごみはごみ箱周辺に散乱し、風などで周囲に飛散していた。ごみ持ち帰り運動は「逆転の発想」として1972年に開始され、翌年までにはすべてのごみ箱が撤去された。この運動はその後他の地域にも広まっていった。また、それまでは不燃ごみは穴を掘って埋めることが多かったが、それらの「過去のごみ」も順次発掘の上尾瀬の外に搬出する作業が、ボランティアも交えて行われている。

廃棄物の処理[編集]

ごみ以外の廃棄物も原則として尾瀬には廃棄しないのも特徴である。公衆トイレの排泄物などは、合併浄化槽で液体部分は排水しても問題ないレベルまで処理して放流し、固体部分は脱水・乾燥処理しヘリコプターで回収している。排水をパイプラインを通して尾瀬外の河川に流すトイレもある。ただ、合併浄化槽を運転するために、24時間自家発電の運転が必要となり、維持コストがかさむために、1回使用あたり100円から200円のチップ制になっている。尾瀬はほとんどの山小屋に風呂が設置されているが、現在は汗を流すだけで石鹸シャンプーは使用できない。食器洗いの際も汚れは極力ふき取り処理が行われており、洗剤の使用は最低限に抑えられている。これは、これらの生活排水などが自然環境に影響を与えると考えられているためである。

自動車乗り入れの制限[編集]

1999年には自然保護を理由に、乗合自動車以外の自動車の乗り入れが一部禁止された。規制は数年かけて徐々に強化されており、2008年現在、群馬県側の鳩待峠口では5月中旬から7月末および10月初めから中旬の全日と8・9月の週末は自家用車の乗り入れができなくなっている。また、福島県の沼山峠口では通年自家用車の乗り入れができなくなっている。その他、かつて唯一峠まで自動車で登ることができ、1960年代は最も多くの登山者が利用した富士見峠は、後述するアヤメ平の保護のために、富士見下から富士見峠間について通年許可車以外の通行はできなくなっている。

尾瀬の木道[編集]

Ozegahara 17.jpg
木道は計画的に更新工事されている(上:2009年9月、下:2011年7月)
木道は計画的に更新工事されている
(上:2009年9月、下:2011年7月)

ほぼ全域にわたって木道が整備され、木道以外の場所を歩けないようにしてあるのも、尾瀬の特徴である。尾瀬に最初の木道が設置されたのは1950年代と言われている。当初、木道の目的は登山者を湿原のぬかるみから守るためのものであった。しかし1960年代、当時尾瀬で唯一すぐ近くの富士見峠まで自動車で行くことができた、尾瀬地域で最も標高の高い湿原のひとつであるアヤメ平が、単線の木道しか設置されていなかったために、行き違いが出来ずに湿原に降りた多くの登山者により踏み荒らされたことを契機に、1966年から尾瀬のほぼ全領域で計画的に複線の木道が整備されるようになり、木道以外の場所は歩けないようになった(一部登山道を除く)。現在では木道の目的は湿原を登山者の踏みつけから守るものへと変化している。なお、複線部分の木道は右側通行となっている。

かつての木道は尾瀬周辺の林で伐採した木材が利用されていた。しかし、尾瀬地域が特別天然記念物に指定されるなどして、この方法は使えなくなり、その後は地域外の木材をヘリコプターなどで搬入して利用している。最近の木道はカラマツ材が使われることが多い。カラマツは樹脂が多く、湿原の水分に浸された状態でも比較的長持ちするが、それでも10年前後で更新が必要であるため、計画的に更新工事が尾瀬の各所で行われている。木道の廃材の一部は、中心部の朽ちていない部分が各種木材製品に転用されている。

尾瀬木道焼印.JPG
東京電力設置の木道に押印された焼印(上:H19、下:H23)
東京電力設置の木道に押印された焼印
(上:H19、下:H23)

木道の設置・更新工事は、現在は福島県域では福島県によって、群馬県域では群馬県と東京電力によって、新潟県域では東京電力によって行われている。木道の表面には設置年を示す焼印が木道一本ずつに押されている。この焼印はたとえば2007年(平成19年)設置のものなら群馬県設置のものは「群H19」、福島県設置のものは「福H19」、東京電力設置のものは「(東京電力のマーク)H19」と記されており、設置者と設置年が明らかになっており、更新の参考になっている。

木道はかつては湿原に横板を介して直接置かれたものがほとんどであった。しかし低層湿原部分などで、大雨のあとの増水時などに冠水しやすい部分や、融雪期に雪解け水で冠水しやすい部分は、橋梁状の地面からの高さが高いものに作り直されている。

木道の単線あたりの幅は、ほとんどの場所で約50cmで、幅広の木材を2枚使ったものから、幅の狭い木材4枚を使ったもの、その中間の3枚の木材を使ったものまである。群馬県側の大清水の湿原と、福島県側の御池登山口の湿原には車椅子対応の幅150cmのものが設置されている。段差をなくし、車いすが落ちないように両端に車止めを付けるなどの配慮がなされている。歩行者の少ない地域では単線の木道だけの場所や、幅30cm程度の狭い木道が設置されている場所もある。

なお、複線木道整備のきっかけになったアヤメ平は1966年から群馬県が復元事業を開始、また1969年からは東京電力(尾瀬林業)も復元事業を実施している。採取した種子をまき、高山植物を現地で栽培するという方式をとり、2008年現在も、復元作業は継続されている。2010年10月23日に、NHK総合テレビジョンの番組小さな旅で、木道の修復の様子が放送された[7]

その他[編集]

登山口に設置されている種子落としマット(大清水登山道)

主な登山口には種子落しマットが設置され、外来植物が極力尾瀬に持ち込まれない努力がなされている。

山の鼻と尾瀬沼畔にはビジターセンターが設置され、尾瀬の自然の紹介と、自然保護活動の啓蒙を行っている。スライドショーや観察会等も行われる。なお、山の鼻ビジターセンターは群馬県が、尾瀬沼ビジターセンターは環境省が設置しているが、両センターの運営管理とも現在は尾瀬関係3県によって設立された財団法人尾瀬保護財団が運営管理を行っている。

近年、ニホンジカが増加し、ニッコウキスゲなどの花芽が食べ尽くされ、極端に開花が少なくなる場所が増えるなどの影響が起こり始めている。1995年ごろから尾瀬に現れたニホンジカは2008年には約300頭にまで増加し、頭数の調整のため環境省は特別保護地域内での捕獲を認める方針を示している。2009年4-11月には、福島県の特別保護区などで駆除に乗り出したが、捕獲数は16頭にとどまった。これは面積が広いことと、現地におけるシカの処理、搬出などが重労働であるため効率があがらないためという[8]

2003年、長蔵小屋が周辺に廃材などの廃棄物を不法投棄していたことが判明。2004年、従業員2名に執行猶予付きの有罪判決が下され、山小屋には罰金120万円が命じられた。

歴史[編集]

燧ヶ岳の火山活動によって誕生した尾瀬沼

数十万年前から1万年前までの間に周辺の火山活動により川がせき止められ、盆地が形成されたと考えられている。最初期に成立したのは尾瀬ヶ原で、かつてここは湖で、後の堆積により湿地になったと考えられていた。しかし、1972年にボーリング調査が行われた結果、地下81mまでの場所では、ここに湖があったという証拠が得られなかった。このため、尾瀬ヶ原の成立については不明であるが、現在は盆地に堆積した土砂によって平坦な湿原が形づくられたとする説が有力になりつつある。

約1万年前に、火山の燧ケ岳が誕生した。火山活動による溶岩などによって、盆地の東半分がせき止められ、これにより尾瀬沼が成立したと考えられている。

このようにして尾瀬ヶ原と尾瀬沼が成立した頃は、氷河期時代であり、周辺では寒冷地の植物が自生していた。その後、氷河期が終了し、温暖な時代になると、南方から温暖地に住む植物が勢力を伸ばしてきたため、それまでこの地にいた植物たちは、しだいに北へ後退していった。しかし、尾瀬は、高原の盆地という特殊な地理条件のため、他地域の植物があまり入り込まず、氷河期時代に生育していた植物がそのまま現在も自生している。尾瀬の植物には、尾瀬以外ではロシアが南限というものが多く存在する。ただし、気候的には他の南方系植物も十分に生育可能なため、尾瀬へは他地域の植物の種子が入り込まないよう、特に監視がされている。

やがて文字による歴史の時代になるが、尾瀬はあまりにも奥地のため、ほとんど記述が残っていない。

群馬県と福島県との間には尾瀬を経由して「会津沼田街道」が通っており、1600年頃は交易が盛んに行われていた。

年表[編集]

同年、平野長蔵らが当時処女峰の燧ケ岳の登頂に成功したというのが、比較的古い記録である。渡邉千吉郎が1894年に残した記録によれば、尾瀬の南にある戸倉村(現在の片品村戸倉)と、北にある檜枝岐村は、江戸時代から尾瀬沼の東岸で交易を行っていた。小さな小屋を立て、そこに村の特産物を置き、かわりに向かいの村の産物をもって帰ったという。
  • 1890年 平野が尾瀬沼西端の沼尻(ぬじり)に小屋を建てる。
  • 1903年 尾瀬原ダム計画が明らかになると、平野は沼尻の小屋に定住を始める。
  • 1908年1910年説あり) 平野が尾瀬沼西端の沼尻(ぬじり)に尾瀬で最初の山小屋、長蔵小屋を建設。その後平野は尾瀬沼の漁業権を取得し、ヒメマスなどの養殖を試みるが失敗した。なお、長蔵小屋は1915年に尾瀬沼東岸に移動した。
  • 1922年大正11年) 関東水電(現在の東京電力)が水利権を取得。尾瀬原ダム建設が計画される。
  • 1934年昭和9年) 日光とともに日光国立公園に指定。
  • 1938年 国立公園特別地域に指定。
  • 1944年 取水工事開始。1949年、竣工。尾瀬沼から片品側の三平峠に向けて、水力発電用の水を通すトンネルが完成する。
  • 1949年 NHKが、江間章子作詞・中田喜直作曲の尾瀬を扱った曲『夏の思い出』を放送。この曲により尾瀬は一躍有名になり、多くの観光客が訪れるようになる。
  • 1952年 福島県側で木道の整備が始まる。
  • 1953年 国立公園特別保護地区に指定。
  • 1956年 天然記念物(天然保護区域)に指定。
  • 1960年 特別天然記念物に指定。
  • 1967年 尾瀬沼でのボート、釣りが禁止される。
  • 1970年 尾瀬沼東岸を通り、片品村から桧枝岐村を結ぶ県道沼田只見線(現・群馬県道・福島県道1号沼田檜枝岐線)の建設が開始されるが、自然保護運動により翌年、計画は中断される。
  • 1971年 尾瀬周辺を通過する奥鬼怒スーパー林道が着工される。なおこの林道は、のちに尾瀬周辺を通らないよう設計変更されて竣工した。
  • 1972年 ゴミ持ち帰り運動開始。翌年までに尾瀬のゴミ箱がすべて撤去される。撤去されたゴミ箱の数は、東京電力関連会社の尾瀬林業が管理していたものだけで1400個。
  • 1974年 沼山峠、鳩待峠のマイカー規制開始
  • 1981年 国道401号が制定施行。
  • 1989年平成元年) 尾瀬西端の至仏山登山道のうちの1つが、自然保護を理由に閉鎖される。なおこの登山道は、1997年に供用が再開された。JTBが雑誌「旅」1989年9月号の誌上において「尾瀬」を日本の秘境100選のひとつとして福島県新潟県および群馬県に亘る地域を選定。
  • 1996年 東京電力、尾瀬ケ原水利権更新を断念、尾瀬原ダム計画は正式に消滅する。尾瀬沼の水利権は2011年1月現在も保持し、取水トンネルにより利根川水系片品川に導水したものを水力発電に利用している。これにより尾瀬沼の水位は低下したままである。一部に尾瀬沼の水利権放棄との情報もあるが、間違いである。
  • 1999年 沼山峠側で乗り合い自動車以外の自動車の乗り入れが通年通行禁止。
  • 2005年10月21日に、日本政府は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)が指定する湿地の候補として国内での登録を終え、11月8日の同第9回会議において正式に決定された。
  • 2007年 日光国立公園から尾瀬地域を分離、会津駒ケ岳等を編入し単独で尾瀬国立公園となる。
  • 2008年 大江湿原ニッコウキスゲ鹿による食害、深刻化。
  • 2009年 読売新聞が7月18日付で、至仏山の登山道周辺がかなり裸地化したと報じる。

交通・アクセス[編集]

最も入山者数が多い入山口である鳩待峠
鳩待峠から尾瀬ヶ原まではこのような樹林帯の中の木道を1時間ほど歩く

現地には自動車道は通っていないため、登山口からは徒歩で行くことになる。主な登山口は群馬県側が鳩待峠富士見峠・大清水(三平峠)の3ヶ所で、福島県側が御池・沼山峠の2ヶ所。このほか新潟県側からの入山口(越後口)がある。バス停から尾瀬までの行程が短い鳩待峠と沼山峠の2つの入山口からの入山者が多く、これら2箇所では前記のように自家用車乗り入れ規制がある。特に東京方面からの便が良く峠まで自動車が上がるため体力的に楽な鳩待峠からの入山が半数以上を占めている。

マイカー利用時

自家用車の場合、群馬県側は、片品村戸倉の尾瀬第一駐車場(有料)、尾瀬第二駐車場(並木駐車場)(有料)に止め、そこから路線バスまたは乗合タクシーで登山口である鳩待峠に向かう。乗車券はバスと乗り合いタクシーは共通であり、頻発運転により利便性を確保している。福島県側からは、御池駐車場(有料、規制期間によっては使用不可のことあり)、七入駐車場(無料)に止め、同様に路線バスなどを利用する。これらの駐車場のほか、大清水駐車場(有料)、鳩待峠駐車場(規制時は使用不可)、富士見下駐車場(無料)がある。このうち、鳩待峠駐車場は狭いため規制期間中は使用できず、また規制期間外でも満車の時が多い。しかも自然保護を理由として周辺よりも高い駐車料金となっている。

公共交通機関利用時

電車・バスを利用する場合、群馬県側は上越新幹線上毛高原駅または上越線沼田駅から鳩待峠行バス連絡所行きまたは大清水行きのバスを利用。福島県側からは、野岩鉄道会津鉄道会津高原尾瀬口駅から沼山峠行きバスを利用する。なお、東武鉄道がシーズン中の週末を中心に浅草駅から会津高原尾瀬口駅まで夜行列車(尾瀬夜行)を走らせている(沼山峠行きの連絡バスに接続する)ほか、関越交通新宿駅および東京駅から大清水行き高速バスを走らせている。(戸倉で鳩待峠行きのシャトルバスに乗り換えられる) このほかに、上越線浦佐駅から奥只見行きのバスに乗り、そこから定期船で尾瀬口、尾瀬口から定期バス(予約制)で小沢平・御池・沼山峠まで行く方法があるが、バスの本数が非常に少ない(1日2本(繁忙期のみ3本))こと、積雪のために開通が6月上旬になることから、このルートを利用する場合は、関係各機関に問い合わせるなど、事前の準備を十分に行う必要がある。

最も利便性の高い鳩待峠や沼山峠からでも、バスの終点から尾瀬の湿原までは、徒歩で1時間ほどかかる。なお、冬季は降雪により、冬山経験者以外の訪問は困難である。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 尾瀬の気候と準備
  2. ^ 鬼怒沼の位置と気候
  3. ^ 尾瀬保護財団
  4. ^ 中央アルプスの有人の山小屋は完全予約制となっている。
  5. ^ 夏山期間中毎日ボッカを職業とする人の姿を見ることができるのは、今や尾瀬ヶ原地区と白馬岳くらいになっている。
  6. ^ 国立公園であり、キャンプ指定地以外でのキャンプは禁止されている
  7. ^ NHK総合テレビ『山の歌・秋はるかな尾瀬へ』 
  8. ^ 2009年の駆除については、新潟日報2010年1月4日紙面による

関連図書[編集]

関連画像[編集]

関連項目[編集]