平野長蔵

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平野 長蔵(ひらの ちょうぞう、明治3年8月10日1870年9月5日) - 昭和5年(1930年8月20日)は、「日本の自然保護の象徴」とも言われる「長蔵小屋」初代主人。福島県南会津郡檜枝岐村出身。平野長英は息子。平野長靖は孫。

生涯[編集]

  • 1889年(明治22年)19歳の時燧ヶ岳に登頂、登山道を開く。その後「燧嶽神社附属愛国講社」を結成、拝殿を設ける。
  • 1902年(明治35年)「尾瀬沼区画漁業権」を獲得。
  • 1910年(明治43年)尾瀬沼尻の尾瀬沼湖畔のすぐそばに小屋を立て、栃木県今市市と往復する日々を送る。
  • 1922年(大正11年)尾瀬に永住する覚悟で入山。この年、関東水電が尾瀬の水利権を獲得、尾瀬ヶ原をダムにし、尾瀬沼・尾瀬ヶ原間と至仏山にトンネルを掘り発電所を作る計画を発表。長蔵は単身上京して、同年7月26日付で当時の水野錬太郎内相に宛て、請願を提出。

その他エピソード[編集]

  • 牧野富太郎が尾瀬で植物採集した際にあまりに植物を採るので、研究するだけでなく保護を考えろと叱ったというエピソードがある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]