秋芳洞
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秋芳洞(あきよしどう:ただし「しゅうほうどう」との読み方も慣用的に普及している[1])とは、山口県美祢市東部に立地する、秋吉台の地下100mにある鍾乳洞。
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[編集] 概略
洞窟探検家による潜水調査の結果、総延長は8,790m(日本第3位、鍾乳洞としては東洋最大規模)あり、葛ヶ穴まで連結した。このうち、観光用に公開されている部分は約1.5kmである。
国の特別天然記念物に指定されている。
秋吉台にある他の2つの鍾乳洞、景清洞、大正洞と合わせ、秋吉台地下水系という名称で2005年11月、ラムサール条約登録湿地となった。
2007年、秋吉台とともに日本の地質百選に選定された(「秋吉台・秋芳洞」)。
[編集] 名称について
洞口に瀧があるために古くから「瀧穴」と呼ばれていたが、1926年5月30日、東宮(後の昭和天皇)が行啓の折にこの鍾乳洞を探勝。このとき「瀧穴」の名称について東宮が質問したところ、時の山口県知事大森吉五郎は、以前から称え伝えた名称であり、その所在地の者がかく称えていたと回答。すると時の内大臣牧野伸顕から、「瀧穴」とは何だか名実相伴しない観があるから何とか名称をつけたらよかろうとの提案があった。これに対して大森は、天下に誇るべきこの鍾乳洞にふさわしい名を殿下から戴くことは畏れ多いので牧野内大臣から命名していただきたいと答えたが、牧野曰く、この「瀧穴」の名は今回の行啓記念に殿下の思召によって近く改めて一段の光彩を添えることがよかろうとのことだった。
1926年6月17日、『防長新聞』は「秋吉の滝穴に入江侍従長から秋芳洞と命名された」と報じた。この報は、当時東京滞在中だった大森から山口県に電報で通達されたが、その電文にはただ「あきよしどう」とあるのみで漢字の説明がないので「秋吉洞」と命名されたと当初は解釈された。しかしこの字の読み方について、念のため折返し知事に照会した結果「よしの字は芳なり」との返電があったので「秋芳洞」と書くことが判明した。こうして1926年6月23日、大森知事から村長に「秋芳洞」の名が伝達された。
[編集] 交通手段
[編集] 脚注
- ^ 旧来「しゅうほうどう」と読む者が多く、1955年に秋吉村を含む4箇村が合併した折にも町名を秋芳町(しゅうほうちょう)としたほどだったが、1963年に山口国体が開催された際、秋芳町が多数の観光客の来訪を予期して宮内庁に秋芳洞の読み方を確認したところ、「あきよしどう」であるとの回答を得た。これ以後、公的な読み方は「あきよしどう」として定着している。


