埼玉県

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さいたまけん
埼玉県
Sakitama-bridge.jpg
彩湖に架かる幸魂大橋
埼玉県旗
埼玉県旗
日本の旗 日本
地方 関東地方
団体コード 11000-1
ISO 3166-2:JP JP-11
面積 3,798.08km²
(境界未定部分あり)
総人口 7,237,734
推計人口、2014年10月1日)
人口密度 1,910人/km²
隣接都道府県 群馬県茨城県栃木県千葉県東京都山梨県長野県
県の木 ケヤキ
県の花 サクラソウ
県の鳥 シラコバト
他のシンボル 県の魚:ムサシトミヨ
県の蝶:ミドリシジミ
県のマスコット:コバトン・さいたまっち
県の歌:埼玉県歌
県民の日:11月14日
埼玉県庁
知事 上田清司
所在地 330-9301
埼玉県さいたま市浦和区高砂三丁目15番1号
北緯35度51分26秒東経139度38分56.9秒
埼玉県庁
外部リンク 埼玉県庁
埼玉県の位置

埼玉県行政区画図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキポータル 日本の都道府県/埼玉県
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埼玉県(さいたまけん)は、日本都道府県の一つで、関東地方の中央西側内陸部、東京都の北に位置する。県庁所在地はさいたま市

概要[編集]

日本で8つある内陸県の一つであり貿易港臨海工業地帯を有さないものの、日本の都道府県中、人口は7,237,734人「平成26年10月1日」、県内総生産は20兆円強(2006年)で共に第5位、人口密度は1,890人/km²で第4位である(内陸県中ではいずれも第1位)。また農業産出額は第17位(2010年)であるが、ネギホウレンソウブロッコリーなど産出額が全国5位以内に入る農作物も多い。農業産出額が第2位の茨城県、第3位の千葉県とともに、首都圏における近郊農業の盛んな地域といえる。

県の西側(秩父地域)には山が多い一方、それ以外の地域は関東平野の一部をなしており平地が多い。平地部においては、東京に隣接する南側ほど人口が密集し、逆に北側ほど農地が多くなるという傾向がある。県庁所在地であるさいたま市は、内陸県にある最大規模の都市であり、内陸県唯一の政令指定都市でもある。

名称[編集]

旧埼玉県(現在の埼玉県の東側3分の1)の設置当初、県庁埼玉郡岩槻町(現:さいたま市岩槻区)に置かれる予定であったため、その郡名から埼玉県と名付けられた。ただし、当時の岩槻には県庁として使用するために適した建物がなかったため、県庁業務は足立郡浦和宿(現:さいたま市浦和区)にある旧浦和県庁舎で行われた。一方、現在の埼玉県の西側3分の2に当たる地域は入間県となり、その後、群馬県と合併して熊谷県となるも僅か3年で熊谷県は解消され、旧入間県地域は旧埼玉県と合併した。その際に、埼玉県の名称のまま県庁所在地も浦和宿となったため、岩槻町が実質的な県庁として機能することはなかった。1890年(明治23年)9月25日には、勅令により正式に北足立郡浦和町が県庁所在地となった。

「埼玉」の地名の発祥地は「埼玉郡埼玉(さきたま)村」(現:行田市大字埼玉)である。その名称の由来は諸説あるが、埼玉古墳群が由来とする説や、幸福をもたらすの働きを意味する「幸魂」(さきみたま)から名づけられたとする説がある。奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(さきたま)という記述があり、また、平安時代の『和名類聚抄』に「埼玉」「佐伊太末」(さいたま)という郡名がみられる。当時、既に「さいたま」と呼ばれていることが分かる。

地理・地域[編集]

武蔵国が記された地図

律令国においては、現在の埼玉県の領域は大部分が武蔵国に含まれており、東端部の江戸川沿いの一部地域が下総国に含まれていた。武蔵国には東京都、及び神奈川県の北東部も含まれることから、埼玉県は武蔵国の中部・北部にあたるといえる。

埼玉県の形状は、東西約103km、南北約52kmと東西方向に長い。日本の都道府県中面積が9番目に狭いが、最も狭い都道府県である香川県の約2倍の面積を有する。また周囲は7都県と隣接し長野県の8県に次いで多い。

県の東側では江戸川を境に千葉県に接し、北東側には茨城県栃木県ともわずかに接する。北側および北西側は概ね利根川、神流川(利根川の支流)といった河川、および荒川・神流川の分水嶺を境として群馬県に接している。南側はほぼ東西に真っ直ぐに東京都・山梨県と接している。この南境は、西部では荒川と多摩川あるいは笛吹川分水嶺にあたるが、東部では一部が荒川となっている他は河川や分水嶺などの地形に見いだすことは難しい。

埼玉県の地形は、児玉小川飯能を走る八王子構造線によって、その東側の平地部と西側の山岳部に分けられる。東側の平地部は古来利根川荒川入間川などの流域であり、低地や台地(武蔵野台地大宮台地など)が広がるほか、一部に丘陵(比企丘陵など)もみられる。江戸時代徳川家康により現在の古利根川の流路に近かった利根川の流路は、渡良瀬川(現在の江戸川の流路に近い)、ついで鬼怒川(毛野川)に導かれ、また現在の元荒川の流路に近かった荒川の流路は入間川に導かれ、現在の河川形態となった(利根川東遷事業)。西側の山地部は関東山地に含まれ、その中央部に秩父盆地がある。秩父盆地東側の比較的標高の低い山塊は特に外秩父山地とも呼ばれる。西側の長野県境は日本海側との分水嶺を形成しており、その南端に位置する甲武信ヶ岳は千曲川、荒川、笛吹川(富士川の支流)の源流であるとともに、埼玉県・長野県・山梨県の県境となっている。その北には県最高峰である三宝山(2,483m)がある。

中央部・西部・東部の南側の地域は首都である東京に近く、近代以降の大都市圏の拡大に伴い、1970年代を中心に急激な人口流入と都市化をみてきた。このようにして形成された市街地は、その多くがスプロール現象によるものであり、このような地域では現在も道路などの社会基盤の整備に難を抱える。

県内は首都高速東京外環道関越東北常磐圏央道などといった高速道路自動車道が多く集まり、高速道路が比較的整備されているが、一般道については十分に整備されていない地域が多く、自動車の増加や大規模商業施設の郊外立地化に伴い各地で道路渋滞が慢性・深刻化している。

また、埼玉県の諸都市の特徴のひとつに、同等の人口を持つ自治体が多数存在することが挙げられる。県全体の人口は全国で5位と高位でありながら、合併によってさいたま市が誕生するまで、50万人都市は存在しなかった(さいたま市の合併時である2001年当時浦和市約48万人、川口市約46万人、大宮市約45万人。その後の人口増加により、2014年までに旧3市域とも人口50万人を突破)。埼玉県の行政の中枢であり、高級住宅地として名高い浦和市、商業の中心大宮駅を擁する大宮市という二大都市があったが、市制施行は川越市が最も早かった。一方、2001年に浦和市・大宮市・与野市の合併で100万都市である「さいたま市」が成立し(その後岩槻市2005年に編入)、「双子都市の合併」と言われる状況ながら政治・経済共に中心と呼べる自治体区域が誕生した。国などの関東地方出先機関が集まるさいたま新都心も造成されたことで、東京のベッドタウンから関東地方において独自の重要性を持つ地域になりつつある。現在こうした県東西の移動・交流の活発化、既存交通網の混雑緩和を狙った「東西交通大宮ルート」と「東西交通県南ルート」と呼ばれる2つのLRT整備計画が検討されている。「東西交通大宮ルート」は、所沢-上福岡-大宮、大宮-さいたま新都心-浦和美園、浦和美園-越谷-吉川の3区間で構成される。大宮-浦和美園区間の11.4kmについては、2015年の開業を目指して調査・検討がなされている。また、東西交通県南ルートは川口-南鳩ヶ谷-草加の8.9kmとなっている。

埼玉県は、場面や分野に応じて北関東に区分される場合もあれば南関東に区分される場合もある。また、埼玉県は千葉県東京都神奈川県とともに「東京圏」を構成し、相互の通勤・通学等の流動が多いことなどを重視し、南関東に区分されることが多いが、衆議院議員総選挙における比例ブロックにおいては北関東に区分されている。

地形[編集]

県東部は関東平野に位置しており、全体的に低地で平坦な土地が広がる。利根川の支流である江戸川中川が流れている他、それらの支流も数多く流れている。河床勾配が緩く、蛇行しているも多数流れることから洪水が起きやすい地域であるため、21世紀に入っても首都圏外郭放水路大相模調節池などの治水事業が行われている。利根川と荒川、中川に挟まれた地域は大宮台地が南北に広がっている。

県中部は荒川が流れており、荒川から西にかけて武蔵野台地入間台地高坂台地東松山台地江南台地などの台地が広がっている。ただし、台地に挟まれた地域は、荒川の支流である不老川入間川などが流れており、周辺と比較すると標高が低い。さらに西へ進むと狭山丘陵加治丘陵岩殿丘陵比企丘陵などの丘陵が点在し、西に進むにつれて標高が高くなっている。

県西部は関東山地が広がっており、秩父山地に囲まれた地域では秩父盆地を形成している。

平地
丘陵
山地
主な山

甲武信ヶ岳三宝山雲取山宝登山両神山伊豆ヶ岳武甲山三峰山木賊山飛竜山和名倉山大平山奥秩父山塊

河川

荒川入間川芝川高麗川綾瀬川利根川江戸川中川神流川新河岸川大落古利根川元荒川大場川霞川笹目川黒目川成木川伝右川渡良瀬川垳川鴨川新方川不老川都幾川柳瀬川

湖・湖沼・用水路

秩父湖秩父さくら湖奥秩父もみじ湖西秩父桃湖狭山湖玉淀湖神流湖彩湖宮沢湖鎌北湖、名栗湖、白幡沼伊佐沼武蔵水路見沼代用水野火止用水利根大堰首都圏外郭放水路

自然公園[編集]

  • 狭山自然公園
  • 奥武蔵自然公園
  • 黒山自然公園
  • 長瀞玉淀自然公園
  • 比企丘陵自然公園
  • 上武自然公園
  • 武甲自然公園
  • 安行武南自然公園
  • 両神自然公園
  • 西秩父自然公園


隣接都道府県[編集]

隣接都県数が7都県と多く、関東地方では神奈川県を除く全ての都県と接している。長野県は未舗装道路中津川林道(長野県側は舗装済)のみでしか直接的な行き来はできず、さらに冬季や夜間は通行止めとなっている。(詳しくは中津川林道の項目を参照)

気候[編集]

秩父などの西部山間部は中央高地式気候、それ以外の地域は太平洋側気候である。また、に接していないため、内陸性の気候(昼夜の寒暖差の激しい気候)である。そのため冬季は全体的に冷え込みが厳しく、東京23区や横浜市、千葉市などとは異なり毎日のように氷点下を記録する地域が多い。中でも秩父地方は特に冷え込みが厳しく、厳冬期は-10℃以下まで冷え込むこともある。一方夏季は他県と比較して全体的に暑さが厳しく県内のほぼ全域で猛暑日がみられ、熊谷や越谷などでは日本国内でも屈指の酷暑となり、40℃を超える気温も観測されている。降水量は全般的に少ない。

  • 西部山間部・秩父地方 ・・・秩父盆地は典型的な内陸性の気候で冬寒く、夏暑くなる。一年を通して日較差が大きく、冬は秩父市内でも氷点下5度を下回る気温も珍しくないほどに冷え込み、1954年の1月27日には-15.8℃の低温を記録した。しかし、近年は温暖化が著しく、1月平均最低気温は旧平年値の-4.8度から-4.2℃と大幅に上昇した。夏は日中はかなり暑くなり、埼玉県の他地域と同様猛暑日も見られるが、朝晩は涼しく熱帯夜も非常に稀で、1926年の観測開始以来6日しかない。さらに湿度も低いために過ごしやすい地域である。冬季は南岸低気圧の接近により、他地域が雨の場合も秩父地方は雪となることがほとんどであり、30㎝以上の積雪を記録することもあり、2001年と2005年には秩父市の年間降雪量が200㎝を超えているなど関東地方の都市部では最も積雪が多い。秩父山地ではしばしば大雪となることもある。秋、春においても朝晩の気温はかなり下がるのが特徴である。
  • 北部平野部・上武 ・・・熊谷市深谷市などの群馬県との県境に連なる北部平野部は、夏は非常に暑くなる地域で、しばしば40度近い酷暑となることもあるなど日本一暑い地域の一つとなっている。また、冬は内陸の割には、最低気温が比較的高い。これは、夜になっても季節風がおさまりにくいためで、南部や東部よりも高くなることも多い。実際、熊谷の1月最低平均気温は-0.7℃とさいたま市の-1.5℃よりも高い。降雪についても南岸低気圧が当地域に到達しにくいため、関東地方の中でも少ないほうである。
  • 南部・東部 ・・北部ほどではないが、東部を中心に夏は酷暑となり、特に越谷市周辺は全国有数の酷暑地域となっていおり、2007年には40.4℃を観測している。冬は、朝晩は放射冷却の影響を受けやすいため北部よりも気温が下がることも多く、-5度前後の冷え込みとなることも珍しくない。さいたま市は東京23区に近いものの、1月の平均最低気温は-1.5℃と低く、2月半ばまではほぼ連日冬日となる。-5℃以下まで冷え込むことも多く、東京大手町の気温とは大きく異なる。
  • 西部 ・・比較的標高が高い丘陵地帯・武蔵野台地に位置しているために、北部や東部、南部の平野部と比較し、より内陸性の気候を有している。夏季は暑く、冬季は寒い。特に鳩山町は関東平野部でも最も冷え込みの激しい地点の一つとなり、1月の平均最低気温は-3.9℃であり、21世紀に入っても-10度以下を観測している。この地域は南岸低気圧による大雪となることもしばしばで、全体的には県南部や東部と比較し、東京の多摩地域の気候と類似性が見られる。気象庁の統計によると所沢のアメダス地点は夏涼しく、冬の冷えこみが緩いという特徴がでているが、これは観測露場狭山湖畔に設置されているという局所的な影響が大きいからである。
埼玉県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
秩父 北部 西部 東部・南部
秩父 寄居 熊谷 鳩山 所沢 久喜 越谷 さいたま
平均
気温
()
最暖月 25.0
(8月)
25.5
(8月)
26.4
(8月)
25.3
(8月)
25.5
(8月)
26.0
(8月)
26.6
(8月)
26.4
(8月)
最寒月 1.3
(1月)
3.2
(1月)
3.7
(1月)
2.5
(2月)
3.6
(1月)
3.2
(1月)
4.0
(1月)
3.5
(1月)
降水量
(mm)
最多月 242.1
(9月)
229.0
(9月)
208.7
(9月)
224.6
(9月)
244.8
(9月)
210.7
(9月)
188.8
(9月)
219.7
(9月)
最少月 19.0
(12月)
16.7
(12月)
20.1
(12月)
23.2
(12月)
27.0
(12月)
26.5
(12月)
32.4
(12月)
26.9
(12月)

地域[編集]

埼玉県には、40の、22の、1つのがある。市の数40は日本の都道府県で最多、市町村数63は北海道長野県に次いで日本国内第3位である。なお、町はいずれも「まち」、村は「むら」と読む。

埼玉県内では、区分が行われた時期や施策分野、広域行政の実績等に応じて、様々な地域区分の設定がなされている。この項では、そのうち代表的なものを記載し、うち最も区分数の少ない5地域ごとに、地域の概要を記述する。

郡・旧郡による区分[編集]

埼玉県 地域区分図(郡・旧郡による区分)

埼玉県には1896年以来、以下の9つのがおかれている。郡に含まれる地域は、市制施行や市町村合併に伴い次第に縮小しているが、現在属する郡、および過去に属していた郡による地域区分が、「○○地方」「○○地区」「○○郡市」といった名称で、教育行政等の分野で用いられることがある。(例:埼玉県内公共図書館等横断検索[1]

5地域区分[編集]

埼玉県 地域区分図(5地域区分)

従来、埼玉県庁などにおいて広く用いられていた地域区分。「彩の国5か年計画21」(計画期間:2002年度-2006年度)など、数次にわたる5か年計画に用いられ、埼玉県庁のホームページ上でもこの地域区分が紹介されていた。また、2008年までは5地域それぞれに「地域創造センター」が置かれていた。(埼玉県庁ホームページ上の地図Internet Archiveによる2008年時点のもの)

中央地域[編集]

中央複合都市圏とも称する。おおむね、北足立郡か、同郡に属していた地域のうち旧新座郡域(4市)以外の部分が該当する。中央地域創造センターはさいたま市浦和区にあった。

荒川と綾瀬川とに挟まれた地域で、その広がりは南は川口から北は鴻巣にわたり、南北に細長い。浦和以北では、この南北に細長い地域の中央を大宮台地(北足立台地)が走っている。江戸時代以降、五街道のひとつである中山道がこの台地上を通り、現在ではこの旧中山道に並行して京浜東北線高崎線が通っている。これら南北に結ぶ交通路を中心に形成された市街地は、県内最大規模を有する。この中心となっているのが県庁所在地であるさいたま市であり、さいたま市は2003年政令指定都市となった。

このような市街地は現在では東京ベッドタウンとしての性格が強く、近代以降の東京の郊外拡大に伴い人口・経済規模が著しく増大してきた。工業の中心は、鋳物などから携帯電話等の精密機械の製造へと重心が移っている。

西部地域[編集]

西部複合都市圏とも称する。おおむね、入間郡比企郡およびこの2郡に属していた地域と、旧新座郡域が該当する。西部地域創造センターは川越市にあり、東松山市に東松山支所が置かれていた。

荒川から外秩父山地の東側手前に至る地域である。東端の荒川沿いの低地から西に行くにつれ台地―丘陵と遷移し、秩父地方と接する西端は一部山地にかかる。武蔵野台地や比企丘陵・岩殿丘陵・狭山丘陵など奥武蔵の自然美が残る。古来より秩父地方とともに武蔵国の枢要であり、関東旧来の生活風俗が色濃く残る地域でもある。多摩地域と繋がりが深く、現在は東京のベッドタウンとしての性格が強い。西部地域は東武東上線を中心とする都市軸、西武池袋線西武新宿線を中心とする都市軸の二つの都市軸が形成されている。このうち小江戸と呼ばれる川越藩城下町川越をはじめ和光志木坂戸東松山などが前者、西武ドームのある所沢をはじめ狭山入間飯能などが後者に属する。

農業については、関東ローム層に属する水はけの良い地質のため、ゴボウ・ニンジン・サツマイモなど根菜類の生産が盛んである。また戦後早くから製造業を中心とした大企業が生産・研究の拠点を進出するケースが多く見られた。本田技研工業(狭山市・和光市)や西武鉄道(所沢市)の本拠地。柳瀬川流域(志木市・新座市・所沢市)には現在も武蔵野の原風景を残している地区があり、宮崎駿監督のアニメーション映画となりのトトロ」ではその舞台となった(所沢市松郷周辺など)。

秩父地域[編集]

秩父リゾート都市圏とも称する。おおむね、秩父郡および同郡に属していた地域が該当する。秩父地域創造センターは秩父市にあった。

県の一番西側に位置する地域である。関東山地やその周辺の山々とそれらに囲まれた秩父盆地からなり、秩父巡礼などの観光産業が発達。結晶片岩の岩畳を特徴とする長瀞の景勝地は、サメなどの古生物の化石が発掘されることから「日本地質学発祥の地」「地球の窓」とも呼ばれ有名である。

北部地域[編集]

北部複合都市圏とも称する。おおむね、児玉郡大里郡およびこの2郡に属していた地域が該当する。北部地域創造センターは熊谷市にあり、本庄市に本庄支所が置かれていた。

北端を利根川、南を荒川が流れており低地や台地を主体とするが、秩父地方に接する南西側に近づくにつれ丘陵へと遷移する。熊谷の商業地を中心に、周辺都市や隣接する群馬県から消費者が流入する。工業は各地の工業団地を中心に発達している。また、農業ではナシ・ミカン・ネギなどの生産が盛んである。

東部地域[編集]

東部複合都市圏とも称する。おおむね、北埼玉郡南埼玉郡北葛飾郡およびこの3郡に属していた地域が該当する。東部地域創造センターは春日部市にあり、行田市に行田支所が置かれていた。

日光街道の沿線を中心とする地域であり、中央地域と同様、南北に細長い地域である。江戸川中川などの河川が南北に流れ、流域は低地となっておりその立地を生かした米を中心とした農業が盛んな地域である。そのような立地条件から東京との近接性の割に宅地化は遅れ気味であったが、高度経済成長期以降東武伊勢崎線沿線を中心に、草加市越谷市・春日部市・久喜市などで急速な宅地化が進んだ。

9地域区分[編集]

埼玉県 地域区分図(9地域区分)

上記の5地域区分をより細分化する形で設けられていた地域区分。過去の「埼玉県中期計画」(計画期間:1982年度-1986年度、1987年度-1991年度)などに用いられており、広域行政圏もこの9地域を単位として設定されていた。また2010年3月までの二次保健医療圏も同じ名称で、一部を除きこの9地域区分を単位に設定されていた。

10地域区分[編集]

埼玉県 地域区分図(10地域区分)

現行の5か年計画「ゆとりとチャンスの埼玉プラン」(計画期間:2007年度-2011年度)で用いられているほか[1]、2010年4月より、この10地域区分に基づく二次保健医療圏の再編が行われ、名称もプランに合わせる形で変更となった[2]2008年4月、上記の「地域創造センター」と「産業労働センター」とを再編する形で、政令指定都市であるさいたま市1市でなるさいたま地域を除く9地域それぞれに、「地域振興センター」が設置された。埼玉県ホームページ上の地図

太字は地域振興センター所在市町村である。

歴史[編集]

先史・古代[編集]

県内で旧石器時代の遺跡は、大宮武蔵野江南下総の各台地、秩父盆地の各河川流域に約500が確認されている。この時代の遺跡・遺構は3万年前以降の立川ローム層・大黒ローム層から発見されている[3][4]

県域は隆起海退によって形成された。海面は、現在よりも高く、東京都江戸川区から県域南東部を中心とした海抜の低い地域は、古東京湾の入り江が大きく入り込んでいたため、海底だったと推定される。その証拠に、川口市等に貝塚が至る所に発見されており、その影響は縄文・弥生時代まで続いたとされる。

古代の国選史書である『日本書紀』にある534年安閑天皇元年)に、「閏の十二月…(中略)…是の月に武蔵国造笠原直使主と同族小杵と国造を相争いて年経るに定めがたし」云々とあり、鴻巣市笠原地区付近に居を構えていたとされる豪族、笠原直使主と同族の小杵による武蔵国造の勢力争いが起き、朝廷の力を借りた直使主が勝利し、武蔵国造となった使主は朝廷に横渟(多摩郡または横見郡)・橘花(神奈川県橘樹郡)・多氷(多摩)・倉樔(神奈川県久良郡)の四箇所を屯倉として差し出した。と記述されていることや、6世紀に突如現れたこの地の巨大古墳郡、および後述の鉄剣などから大和朝廷の直接支配まで、長らく武蔵国における中心だったと考えられる。本域は、律令制以前は、毛野国と呼ばれ、筑紫吉備に比肩する大国であったとされ、大和朝廷との関係において高い地位にあり、現在の東京地域よりも繁栄していた。

708年(和銅元年)に、現在の埼玉県秩父市黒谷にある和銅遺跡から、和銅(ニギアカガネ、純度が高く精錬を必要としない自然銅)が産出した事を記念して、「和銅」に改元するとともに、日本最初の流通貨幣となる和同開珎が発行される。

1978年(昭和53年)には、行田市埼玉にある さきたま風土記の丘(現:さきたま古墳公園)の稲荷山古墳の中から、金錯銘鉄剣が発掘され、のち奈良にある元興寺文化財研究所へ持って行き調べた所、表裏に金象嵌で115文字の銘文があることが分かり注目を浴びた。その文中にある「獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)」は『記紀』に出てくる雄略天皇であり、『宋書』倭国伝に見える倭王武である。また、冒頭の「辛亥の年」は471年である。との学説が主流である。古代史ブームの巻き起こる中で、鉄剣の解釈をめぐりさまざまな議論がある。

埼玉県域の郡は、足立新座入間高麗比企横見埼玉大里男衾幡羅榛沢那珂児玉賀美秩父郡である。また郷の数は県域で75郷である(『和名類聚抄』)。県域内の郡衙所在地は不明なところが多い。769年(神護景雲3年)9月17日に正倉4倉が焼失し、穀類や人に死傷者が出ている。雷火による天災か神火(じんか)[5]による人災か不明である[6]

中世[編集]

中世には武蔵国で人口の特に多かった北武蔵の丘陵地や台地に武蔵武士が出現し、河越氏畠山氏ら諸氏を分出した秩父氏の一族が活躍した。また同族集団として形成された武蔵七党など中小規模の在地土豪も出た。平治の乱を経て武蔵国が平氏の知行国になると武蔵守には平氏一門が任じられると武蔵武士は被官化し、新恩地を得て西国へも進出した。1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵後に服従した豪族には、県域に勢力を持っていた秩父一族が主に頼朝に味方し、治承・寿永の乱における合戦に参戦した。河越氏や畠山氏、比企氏らは鎌倉幕府の創設期に重用されて政務に参画するが、幕府権力の確立課程では河越氏を除き没落し、武蔵武士の地位は低下した。

中世には鎌倉幕府の成立を契機に街道が整備され、西武蔵には南北に鎌倉街道の上道や中道が通じて奥州方面と結ばれ、物資の流通路となったほか軍事的にも重視され、沿道には城館が分布する。幹線道の整備に伴い脇道や水上交通も発達し、多くの市や宿が成立した。

河越氏が武蔵平一揆で没落すると戦国期の武蔵は鎌倉公方足利氏関東管領上杉氏との対立、鎌倉公方・関東管領の分裂などの影響を受けて乱国状態となった。県域は北武蔵(前線拠点は五十戸(今の本庄市))を地盤とし堀越公方方の山内上杉氏、南武蔵(拠点は川越城)に本拠をおいた扇谷上杉氏などが勢力を争った。下総国方面には古河公方が勢力を張った。

戦国後期には相模国後北条氏が台頭する。1541年(天文10年)には最重要拠点の川越城を巡り、川越を後北条氏に奪われた扇谷上杉氏の上杉朝定関東管領上杉憲政と古河公方と結び、城の救援に向かった北条氏康との間で川越夜戦が行われた。敗北した扇谷上杉氏は滅亡し、後北条氏の勢力圏となった武蔵には多くの支城が築かれ、氏康は上杉憲政を圧迫する。

憲政は越後国守護代の長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼り、関東管領職と上杉家家督を譲り受けた景虎は関東出兵を行い氏康と争った。後北条氏は甲斐国武田氏駿河国今川氏三国同盟を結び景虎と争っていたが、同盟破綻後の1569年(永禄12年)には越後と和睦して越相同盟を結び、武田氏の秩父方面への侵攻を招いており、こうした複雑な外交情勢のなか北関東の国衆は翻弄された。

後北条氏は天正年間には関東の大半を支配し豊臣羽柴)家に次ぐ全国第二位の勢力となる。

近世[編集]

『岐阻街道 深谷之駅』 渓斎英泉
『岐阻街道 深谷之駅』 渓斎英泉
『川口のわたし善光寺』 歌川広重
『川口のわたし善光寺』 歌川広重

1590年(天正18年)には豊臣秀吉天下統一における小田原征伐において後北条氏は没落する。後北条氏の没落に際して東海五カ国を支配していた徳川家康が関東へ転封され、武蔵を含む関東地域には徳川氏の家臣団が配置された。関ヶ原の合戦を経て江戸幕府による支配が確立すると、埼玉県域には「武蔵三藩」と呼ばれる川越藩忍藩岩槻藩(それに武蔵国には知行地をほとんど持たなかった岡部藩など)が立藩。江戸に近く親藩譜代の重臣が配されたが、川越藩を除き城下町の形成は小規模であった。川越は江戸北方の防衛拠点として、また武蔵国の商工業の中心地として「小江戸」と呼ばれ繁栄した。

江戸幕府により江戸を起点とした五街道の整備が進められ、埼玉県内には中山道に9つの宿場蕨宿浦和宿大宮宿上尾宿桶川宿鴻巣宿熊谷宿深谷宿本庄宿)、日光街道奥州街道)に6つの宿場(草加宿越ヶ谷宿粕壁宿杉戸宿幸手宿栗橋宿)が置かれた。五街道に準ずる脇往還は、県内では川越往還川越・児玉往還千人同心街道日光御成街道、関宿往還、秩父往還、秩父甲州往還が整備された。

明暦年間には野火止用水が、享保年間から見沼代用水が開鑿され、元禄年間に三富新田の開発が行われ米麦栽培が増大したほか、養蚕織物木綿の栽培や野菜など地域特産物の生産も盛んになり、定期市で販売されたほか、利根川・荒川・新河岸川の舟運を通じて江戸へも移出された。

1764年(明和元年)には、大規模な百姓一揆である中山道伝馬騒動が発生している。

近世後期には幕領と旗本領の錯綜する関東一円で無宿人・浪人が増加したため社会不穏が増大し、幕府では文政の改革に伴い1805年(文化2年)に関東取締出役を設置して警察力の強化が行われ、村々では組合村を形成して対応している。

幕末には異国船が日本近海に出没し、1853年(嘉永6年)6月3日にはアメリカのペリー艦隊が来航し幕府に通商を求めるが、江戸湾の海防は川越藩、忍藩が彦根藩会津藩を加えた四藩で担当し、藩士の現地派遣や遠見番所の設置などを行った。ペリー艦隊の来航に際しては海防策が修正され、品川台場の防衛を川越藩・忍藩・会津藩が担当した。海防強化は村々へも負担が生じるが、一方で日本が開国し本格的な貿易を開始すると積極的に対外交易を試みる投機商も出現した。

近世後期の社会変動、開港前後の諸役負担や経済変動は農村社会に影響を与え没落農民層も発生していたが、1866年(慶応2年)6月13日には入間郡を中心に中山道以西地域に波及した武州一揆が発生し、関東取締出役の出向により鎮圧される。

明治時代以降[編集]

最近の出来事[編集]

人口[編集]

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埼玉県と全国の年齢別人口分布(2005年) 埼玉県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 埼玉県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
埼玉県(に相当する地域)の人口の推移
1970年 3,866,472人
1975年 4,821,340人
1980年 5,420,480人
1985年 5,863,678人
1990年 6,405,319人
1995年 6,759,311人
2000年 6,938,006人
2005年 7,054,243人
2010年 7,194,957人
総務省統計局 国勢調査より

平均年齢[編集]

41.6歳(男40.7歳、女42.5歳。2006年(平成18年)1月1日現在)

政治・行政[編集]

国政[編集]

衆議院小選挙区が15。参議院では、全県で1区を構成。

県政[編集]

歴代知事(公選制以降のみ)[編集]

財政[編集]

平成19年度[編集]

  • 財政力指数 0.74
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中4位

平成18年度[編集]

  • 財政力指数 0.69
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中6位

平成17年度[編集]

  • 財政力指数 0.65
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)10自治体中4位

平成16年度[編集]

  • 財政力指数 0.63
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)8自治体中5位

姉妹提携都市[編集]

インターネット放送[編集]

埼玉県はインターネット放送を通して知事記者会見、県議会中継などを映像配信し、県政の広報に務めている[9]

国の機関[編集]

※全都道府県に設置されているものを除く。

財務省

国税庁

警察庁

総務省

厚生労働省

農林水産省

環境省

経済産業省

国土交通省

法務省

公安調査庁

  • さいたま公安調査事務所-さいたま市

防衛省

文部科学省

人事院

  • 関東事務局-さいたま市(さいたま新都心)
  • 公務員研修所-入間市

最高裁判所

主要施設[編集]

経済・産業[編集]

産業[編集]

2008年(平成20年)度の県内総生産は21兆7961億円であり[10]アラブ首長国連邦の国内総生産よりやや多い程度である[11]。世界で40位前後の国に相当する経済規模を有している。[12]。2006年(平成18年)時点での県内の事業所数は254,835事業所で、東京都、大阪府、愛知県、神奈川県に次いで全国第5位である。

産業別の事業所数では、卸売・小売業、サービス業、製造業、飲食店・宿泊業、建設業の順に多く、従業者数では、卸売・小売業、製造業、サービス業、医療・福祉、飲食店・宿泊業の順に多い。また、市町村別の事業所数では、さいたま市、川口市、熊谷市、川越市、所沢市と続き、従業者数では、さいたま市、川口市、川越市、所沢市、熊谷市と続く。2007年(平成19年)の年間商品販売額は15兆1,109億5,967万円、製造品出荷額等は、14兆7,302億円である。

2006年(平成18年)の観光客入込数は1億1,019万人と推計されており、近年増加傾向にある。目的別で最も多いのは各種行事まつり見学客で、スポーツ客、遊園地客がこれに続く。寺社参詣・文化財・産業観光客数は増加傾向にあるが、レジャー客は減少している。

県内の主要企業[編集]

工業[編集]

諸工業[編集]

商業[編集]

金融機関[編集]

生活・交通[編集]

警察[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

秩父鉄道 C58363牽引「パレオエクスプレス」
秩父鉄道 C58363牽引「パレオエクスプレス
埼京線
埼京線
東武100系 特急「スペーシア」
西武山口線 「レオライナー」
西武山口線 「レオライナー
宇都宮線
宇都宮線

路線バス[編集]

など

道路[編集]

国道298号
国道298号
東京外環自動車道と下を走る国道298号
東京外環自動車道と下を走る国道298号
国道17号・与野大宮道路
国道17号・与野大宮道路
首都高速埼玉新都心線
首都高速埼玉新都心線

ヘリコプター[編集]

埼玉県内に空港はないが、ヘリポートはある。

医療・福祉[編集]

災害拠点病院
保育所

教育[編集]

専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園

マスメディア[編集]

新聞社[編集]

テレビ局[編集]

NACK5サテライトスタジオが入居する大宮アルシェ
県域放送のテレビ埼玉のほかに、広域放送NHK放送センター総合テレビEテレ)と在京キー局5局(日本テレビテレビ朝日TBSテレビテレビ東京フジテレビ)が県内全域が放送対象地域に、また放送対象地域外のTOKYO MXが県内東部のほとんどが受信エリアのめやすとなっている[13]

ラジオ局[編集]

※なおJFN系の加盟局について南部はTOKYO FM[14]、北部はFMぐんま[15]放送区域となっている。また、InterFMが、県内の対象地域はさいたま市のみではあるが[16]、南部を中心に放送区域となっている[17]。さらに、J-WAVEも南部を中心に放送区域になっている[18][19]
  • AMラジオ局
※後述する当県に送信所があるAMラジオの他にニッポン放送が放送対象地域になっている。

ケーブルテレビ局[編集]

送信所がある放送局[編集]

広域放送[編集]

下記の関東地方の広域放送局の送信所が埼玉県内にある。

また県内各所にNHK放送センターと広域民放5社の地上デジタルテレビジョンの中継局(児玉・本庄・小鹿野・小川・鬼石・秩父定峰・秩父・秩父栃谷・飯能上赤工・飯能唐竹・飯能原市場・風布・横瀬根古谷の各中継局)[21]が設置されている。 ※送信チャンネルについては総務省関東総合通信局のウェブサイト(デジタル中継局開局情報)を参照。

県域放送[編集]

文化・スポーツ[編集]

方言[編集]

1908年明治41年)の国語調査委員会報告以来、関東地方において京阪式アクセントに似たアクセントの使用地域(主として旧葛飾郡域にて。実態は東京式アクセントの一段階変化形特殊アクセントであった)として注目を集めたが、退潮著しく、高年層の発話に聞かれるだけになっている。他はほぼ全域にわたって東京式アクセントによる東部方言西関東方言が用いられる。東京に近い上に県外からの転入者が多いことから共通語の影響が強く、西関東方言も衰退し、いわゆる「首都圏方言」が使われているところも多い。

食文化[編集]

郷土料理
ご当地グルメ

伝統工芸[編集]

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品
民芸品

日本一[編集]

スポーツ[編集]

野球
サッカー
ラグビー
バレーボール
バスケットボール
ハンドボール
ロードレース
相撲部屋

公営競技[編集]

埼玉県は、公営競技4種である競馬競輪ボートレースオートレースにおける全ての競技場が揃っている珍しい県でもある(ほかに4種揃っているのは福岡県のみである)。

観光[編集]

詳細は埼玉県内の指定文化財についてを参照。

埼玉県を舞台とした作品[編集]

埼玉県出身の人物[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 地域別計画埼玉県ホームページ、2010年11月閲覧
  2. ^ 地域保健医療計画埼玉県ホームページ、2010年11月閲覧。
  3. ^ 田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』山川出版社 1999年6月
  4. ^ 塩野博「狩猟・採集の時代と農耕の時代」前掲県史12ページ
  5. ^ 郡司は有力地方豪族の終身制であったので、郡衙で一番重要な正倉に放火し郡司を失脚を狙う手段で、東国では8世紀後半から9世紀に集中して発生している。
  6. ^ 塩野博「辛亥銘剣と武蔵国の隆盛」前掲県史56ページ
  7. ^ 埼玉県民の日:埼玉県ホームページ
  8. ^ “週刊首都圏 -飛び地、線上のドラマ-”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年5月28日) 
  9. ^ 埼玉県インターネット放送
  10. ^ 埼玉県県民経済計算
  11. ^ 内閣府による県民経済計算
  12. ^ World Economic Outlook Database
  13. ^ 受信エリアのめやす(東京メトロポリタンテレビジョン)
  14. ^ [http://www.tfm.co.jp/specialweek/201302/tower/index.html TOKYO FM× 東京タワー頂上新アンテナ送信記念 TOWER OF LOVE(2014年6月4日閲覧)
  15. ^ FMぐんま営業案内(2014年6月4日閲覧)
  16. ^ 放送普及基本計画第2の2の(1)のウの規定による一般放送事業者の行う超短波放送のうちの外国語放送を行う放送局の放送対象地域(総務省)
  17. ^ About InterFM(2014年6月4日閲覧)
  18. ^ JーWAVE概要(2014年6月4日閲覧)
  19. ^ 東京スカイツリーFM局エリア図(総務省) (PDF)
  20. ^ 熊谷ヤバいラジオ88.1
  21. ^ 地上デジタル放送開局済一覧 - 一般社団法人デジタル放送推進協会
  22. ^ “利根川自転車道:日本一!170キロ 1日に全線開通”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年5月31日). http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110601k0000m040152000c.html 2011年6月2日閲覧。 
  23. ^ MUSASHI HEAT BEARS公式サイト

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

行政
観光
先代:
忍県岩槻県浦和県
千葉県の一部(下総国江戸川以西)
熊谷県の一部(武蔵国
行政区の変遷
1871年 -
次代:
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