宮城県
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宮城県(みやぎけん)は、日本の県の1つで、東北地方に属する。東は太平洋に面し、西は奥羽山脈に接する。県庁所在地は仙台市。
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[編集] 概要
県名の宮城は県の一部である宮城郡に由来する。宮城郡には17世紀に伊達政宗が仙台城を築いて仙台の城下町を開いた。廃藩置県で仙台藩は仙台県となったが、約半年後に宮城郡の名をとって宮城県と改称した。
宮城県の農産物として、ササニシキ、ひとめぼれを初めとした米が最も有名である。また、世界三大漁場の「三陸沖漁場」に近いため、県内に気仙沼港・石巻港・塩釜港の3つの特定第三種漁港を抱え、全国屈指の水揚げ量を誇る。1県に複数の特定第三種漁港を持つ県は、日本国内において他に例がない。カツオ、サンマ、マグロの他、牡蠣、ふかひれ、ホヤなどの特産の水産物を持つ。その他、高級和牛牛肉の仙台牛、イチゴや梨などの果物、仙台伝統野菜に山菜など、豊富な食材を多く産出している点から、県は「食材王国・宮城」を宣伝句に掲げている。
現在、仙台市を中心として仙台都市圏が形成されている。また、仙台市都心部の物販・サービスの商圏として、隣接県に及ぶ仙台経済圏が形成されている。
[編集] 地理
気候は、夏は酷暑が少なく、冬の降雪量は東北の中では少ないので、過ごしやすい。気候区分は北部が太平洋側気候三陸型気候、南部が同関東型気候に属する。気候の特徴は東部が海洋性気候、西部が内陸性気候の特徴を呈す。
- 行政区分
- 松島丘陵:東西方向に延びる。仙台平野を仙北・仙南の2つの平野に分ける
- 陸前丘陵:幅10-30kmで南北方向に延びるなだらかな丘陵地。阿武隈高地の延長。南部では仙台平野(仙南平野)と西部盆地群とに分ける青葉山丘陵などがあるが、北部の仙北平野では孤立した丘陵地も多い。
- 角田丘陵(亘理丘陵、亘理地塁山地):南北方向に延びる。阿武隈高地の延長。宮城県内の浜通り部と角田盆地を分ける
- 仙台平野(仙北平野と仙南平野に分ける事もある)
- 盆地(括弧内は盆地を造り出した支流の名前)
[編集] 地域
[編集] 都市圏
都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷
| 1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 |
|---|---|---|---|
| 仙台都市圏 1,248,616人 |
仙台都市圏 1,395,486人 |
仙台都市圏 1,492,610人 |
仙台都市圏 1,555,691人 |
| 石巻都市圏 194,680人 |
石巻都市圏 211,991人 |
石巻都市圏 211,124人 |
石巻都市圏 207,558人 |
| 気仙沼都市圏 105,626人 |
古川都市圏 152,834人 |
古川都市圏 169,858人 |
古川都市圏 169,910人 |
| 古川都市圏 65,525人 |
気仙沼都市圏 94,773人 |
気仙沼都市圏 91,400人 |
気仙沼都市圏 88,685人 |
| 白石都市圏 41,275人 |
白石都市圏 42,017人 |
白石都市圏 44,026人 |
白石都市圏 54,338人 |
[編集] 地域圏
- 地図:宮城県の「広域圏」
行政面では、宮城県庁により以下の7つの地域圏に分類されている。広域行政圏であるため、経済学的な都市圏の範囲とは異なる。括弧内は中心地区の呼び名。地域圏内の新幹線駅、空港、港についても付記する。
県北部は、平成の大合併以前に小規模な市町村が多くあった。なお、北部と東部は過疎が問題になっており、県庁による地域圏(地方行政組合)の再編が予定されている。
- 県北部
- 県東部
- 県央部
- 県南部
- 仙南圏(白石、大河原、船岡、角田) 19.0万人 :白石蔵王駅
[編集] 自治体
- 地図:宮城県の「自治体」
それぞれの地域圏の市町村を以下に列挙する。現在、県内には13市10郡22町1村がある。 町の読み方は、利府町、大和町、大郷町、亘理町、山元町、女川町、色麻町、涌谷町、本吉町、南三陸町の10町が「ちょう」で、残る12町は「まち」である。人口は宮城県発表の2006年10月1日の推計人口[1]。
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仙台都市圏 1,466,047人 仙南圏 189,889人 |
石巻圏 219,632人 大崎圏 216,660人 気仙沼・本吉圏 95,375人 登米圏 88,254人 栗原圏 79,135人 |
[編集] 歴史
[編集] 古代
現在の宮城県の地には、古墳時代からヤマト王権の影響力が及んでおり、東北地方最大の雷神山古墳(名取市)などの前方後円墳が造られていた。古墳時代後期には、厚葬禁止の令に従い、横穴式古墳も多く造られた。
最初の陸奥国府と推定される官衙(郡山遺跡)は、現在の仙台市太白区郡山(旧名取郡)に設置された。724年には、多賀城(旧宮城郡)が設置され、現在の宮城県中南部は奥六郡(日高見国)と対峙する軍事・政治の拠点化が進んだ。又、陸奥国分寺・国分尼寺が、現在の仙台市若林区木下周辺(旧宮城郡)に設置された。後に多賀城は、現在の仙台市宮城野区岩切(旧宮城郡)に移転したと考えられている(遺構は発見されていない)。
奈良時代末期から平安時代初期、仙台平野北部・三陸沿岸の蝦夷がたびたび大和朝廷の拠点を襲撃し、38年戦争が勃発した。伊治(コレハル、栗原?)を拠点とするアザマロは当初大和朝廷側に帰属し多賀城に出仕していたが、蝦夷への差別に怒って反乱を起こし多賀城を滅ぼした。これをきっかけに胆沢のアテルイ・モレによる抵抗戦争がおこった。11世紀半ば北上平野の俘囚の奥州安倍氏が仙台平野に影響力を拡大し、多賀城の国司と対立した。安倍氏討伐の命をうけた源頼義が下向しても仙台平野の郡司らは中立を守り、苦戦した朝廷軍は仙北の俘囚主清原氏の参戦でようやく安倍氏を滅ぼすことが出来た。その後12世紀、奥州藤原氏の時代になると、奥州の軍事警察権が平泉にうつり、仙台平野は中央勢力の荘園と在地勢力の自治が混在するようになった。奥州藤原氏の行政権の程度については諸説がある。
[編集] 中世
鎌倉時代には、奥州藤原氏征伐の恩賞により、葛西氏などの関東地方の有力氏族や武士たちが守護・地頭として現在の宮城県域に多く入植した。室町時代に入ると、南北朝の争いが起こったが、足利一族の斯波氏が奥州探題を称して多賀城に入ると、争いは次第に沈静化していった。
斯波氏の傍流である大崎氏が奥州管領職に着くと、大崎氏が東北地方(奥羽両国)の盟主となった。1392年に奥羽両国が鎌倉府直轄支配下に置かれ、大崎氏の奥州管領権は大きく制約を受けた。1400年に大崎氏が奥州探題となると、再び大崎氏は東北地方の盟主の座に上り、以後、戦国時代に到るまで、東北地方は室町幕府→奥州探題・大崎氏を中心とした支配体制になる。
[編集] 戦国時代から江戸時代まで
戦国時代になると、南東北の奥羽山脈西側に連なる盆地群に拠点を置く武将たちの勢力が強くなり、大崎氏の権勢は衰退し、最終的に福島盆地(伊達郡・信夫郡)と米沢盆地(置賜郡)を本拠地とする伊達氏の軍門に下った。安土桃山時代に伊達政宗が、奥州移封を受けて米沢から大崎地方の岩出山に拠点を移したが、間もなく千代(せんだい。仙台)に拠点を移した。
伊達政宗は、豊臣氏や徳川氏との緊張関係を考慮して、天然の地形が防御に適した青葉山に居城として仙台城を構えた。1600年に城の縄張りを始め、「千代(せんだい)」を「仙臺(仙台)」に改めて、城下町の建設も開始した。冬季の乾燥や季節風対策として、防火林や防風林、防雪林の植樹を城下町に奨励した。又、四ツ谷用水の開削もあって、仙台は多くの居住者を涵養できるようになり、62万石の仙台藩の藩経済を背景に、仙台城下は奥州一の都会となった。江戸中期には実石高は100万石を超え、港町である石巻は江戸(東京都区部)との交易で栄えた。家老の片倉氏は代々白石城(現宮城県白石市)を居城とし、家臣や一族を一国一城令にもかかわらず「要害」と言う特有の制度化で藩内を治めさせた。要害としては涌谷城、岩出山城、金山城、岩沼城、角田城、丸森城、寺池城、佐沼城、宮沢城、高清水城、不動堂城、川崎城、平沢城、船岡城、亘理城、坂本城、岩ケ崎城、滝野館、石森城、米谷城、武田館、宮崎館、宮崎城、千石城、大窪城、吉岡城、宮床館、村田城などがあった。
伊達氏は源頼朝の奥州征伐で功を立てて伊達郡に封じられた関東武士の末裔で、鎌倉時代から陸奥国伊達郡(現在の福島県伊達市と福島県伊達郡、福島市の一部)を中心に勢力を拡大した。戦国時代~安土桃山時代に本拠地を伊達郡から置賜郡(米沢)、岩出山、仙台と家臣団や寺社、職人集団を引き連れて移動したため、現在仙台に残る寺社や旧家、職人の家系には、伊達郡をルーツとする系図あるいは伝承の残る家柄が少なくない。
伊達氏は代々「陸奥守」を称し、東北の雄藩となった。1868年の戊辰戦争の際に奥羽越列藩同盟の盟主となったが、薩長軍に敗れて石高を28万石にまで減らされた。すると、秩禄が減って困窮した家臣団は、蝦夷地(北海道)に大量に移住した。この中の亘理伊達氏が北海道伊達市の由来である。
- なお、平成18年の伊達郡5町合併によって、伊達氏の先祖の地福島県伊達市と伊達氏の末裔の地北海道伊達市の、2つの伊達市が存在することとなった。
[編集] 近現代
明治政府が誕生すると、日本は中央集権体制の下に組み込まれたが、東北地方支配の政治的拠点とされた仙台市を中心に発展が始まった。仙台には、富国強兵政策によって陸軍が置かれ、また東北帝国大学を初めとした高等教育機関が設立された。一方で、仙台湾の大半が砂浜で臨海工業の適地がなかったため、殖産興業時代から高度経済成長に至るまで、宮城県では第二次産業が発展しなかった。ただし、石巻湾に石巻工業港、仙台湾に仙台港(いずれも掘り込み式)が造られ、工業集積はある程度進んだ。
高度経済成長期頃から、第二次産業から第三次産業への転換が進むと、東北自動車道や仙台バイパスの建設、および広大な流通団地の建設によって、仙台は東北地方の卸売り商業の中心地、そして支店経済都市として人口が激増し、その他の県内拠点都市も発展した。その後、東北新幹線の開業やモータリゼーション、仙台市の政令指定都市化、バブル景気の影響から、仙台市とその周辺が特に発展して「仙台都市圏」の一極集中が進んだ。
[編集] 年表
- 1400年:大崎氏が奥州探題となり、東北地方を支配する。
- 1600年:伊達政宗が仙台城を築き、仙台藩の基礎を築く。
- 1868年:陸奥国が分割され、仙台藩は陸前国全域と、陸中国・磐城国の一部に渡るようになる。
- 1871年:仙台藩が分割されて仙台県と一関県が置かれ、一部が磐前県に組み込まれる。
- 1872年:県境が変更になり、宮城県が置かれる。
- 1887年:東京・上野と塩釜の間に鉄道が開通する。
- 1907年:東北帝国大学が設立される。
- 1957年:仙台空港開港
- 1960年:チリ地震津波来襲
- 1971年:仙台港開港
- 1978年:宮城県沖地震発生
- 1982年:東北新幹線開業
- 1989年:仙台市が政令指定都市に移行
- 1999年:ベガルタ仙台がJリーグに参入する
- 2003年:東北地震発生
- 2004年:楽天市場が仙台を拠点としたプロ野球球団、東北楽天ゴールデンイーグルスを設立(2005年シーズンから参戦)
- 2005年:プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)の仙台89ERSが設立される
- 2006年:10月10日、仙台ナンバー(ご当地ナンバー)を導入。
[編集] 人口
県庁所在地である仙台市への人口集中率が約43%と著しい(プライメイトシティ)。これは京都府に次ぎ全国第2番目の高さである。2005年国勢調査速報値によると、1924年以来一貫して伸び続けてきた人口が初めての減少に転じた。仙台都市圏の人口は依然として伸びているが、郡部の人口減少が著しい状況となっている。
[編集] 年齢構成
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]
- データ出典:第10表/都道府県, 年齢(5歳階級), 男女別人口-総人口
(総務省統計局)
| 宮城県と全国の年齢別人口分布図(比較) | 宮城県の年齢・男女別人口分布図 |
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■紫色は宮城県
■緑色は日本全国 |
■青色は男性
■赤色は女性 |
| 総務省統計局 / 国勢調査(2005年) | |
[編集] 行政
[編集] 歴代宮城県知事(公選)
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詳細は宮城県知事一覧を参照。
- 初代 千葉三郎 昭和22年4月12日~昭和24年1月3日
- 2代 佐々木家寿治 昭和24年2月25日~昭和27年10月4日
- 3代 宮城音五郎 昭和27年10月5日~昭和31年10月4日
- 4代 大沼康 昭和31年10月5日~昭和34年1月12日
- 5代 三浦義男 昭和34年3月4日~昭和40年2月8日
- 6代 高橋進太郎 昭和40年3月31日~昭和44年3月27日
- 7代 山本壮一郎 昭和44年3月28日~平成元年3月27日
- 8代 本間俊太郎 平成元年3月28日~平成5年10月4日
- 9代 浅野史郎 平成5年11月24日~平成17年11月20日
- 10代 村井嘉浩 平成17年11月21日~
[編集] 国際交流
宮城県は1987年6月1日に中華人民共和国吉林省と、1997年9月10日にアメリカ合衆国デラウェア州と、2001年10月8日にイタリア共和国ローマ県と友好提携を締結し、交流を行っている。また、ドイツ連邦共和国ザールラント州との交流も行われている。この他に1990年5月に塩竈市、石巻市、気仙沼市と共同で、アメリカ合衆国シアトル港湾局と友好港提携書に調印している。
[編集] 財政
- 財政力指数:0.48(17年度)
[編集] 行財政改革
現在、財政難に陥っており、向こう5年間の累積財源不足額は約1000億円と試算されている。自治体財政健全化法によると、宮城県は165億円の赤字発生で、国に財政健全化策の報告が義務付けられる早期健全化団体に移行。そのため、このままの進度が維持されると財政再建団体(民間会社でいう「倒産」)に指定される恐れがある。このため、急務な財政改革が求められている。
[編集] 経済
宮城県の1人あたり県民所得はおよそ250万円(2001年)で全国的には中位に位置する。
以前は、仙台都市圏とその他の地方の所得格差があったため、仙台市が求職者を吸引して社会増を実現し、毎年1万人程度の人口増があった。同時に仙台市のベッドタウンとなっている周辺自治体の人口増もあった。しかし、1998年頃から仙台市の社会増の減少が顕著になってきている(周辺自治体は社会増がある)。これは、仙台の景気後退を受け、東京と仙台との間の所得格差が開いたために、仙台よりも東京に就職口を求める傾向が出てきたことによる。ただし、高卒の就職口としては仙台が未だ人気があるため、東北地方の他県からの求職者が仙台に集中して競争率が上がり、宮城県内の高校卒業者の就職内定率は東北地方内で最低水準が続いている。なお、仙台都市圏以外では、道路の改良によってロードサイドショップの商圏が拡大している大崎市(旧古川市)が社会増となっており、宮城県の第二の都市の地位を石巻から奪う勢いがあるが、最寄品を販売している中心部商店街は苦境に立っている。
宮城県内の経済は、仙台市周辺から石巻市にかけての「仙台湾沿岸部中心」の時代から、内陸部の仙台都市圏を中心とした「国道4号沿い」に変化しており、これは関東での「東京湾沿岸の時代」から、北関東を含めた「首都圏の時代」への転換と同期している。
第一次産業は、デフレによる農産物の価格低迷、水産物の水揚げ高の変動や重油価格の高騰により不況感がある。第二次産業は、工場の統廃合や業界再編の時期が過ぎ、収益性が上がってきている。第三次産業は、他の七大都市圏を擁する都道府県と同様に、仙台都心部で仙台経済圏を対象とした広域ビジネスを展開する高級消費財を扱う業種、各地域の大型ロードサイドショップが好調なのに対し、商圏が半径数百m程度の最寄品を販売する小規模商店は苦境に立っている。
[編集] 第一次産業
総生産額は1888億円、県内総生産に占める割合は2.2%(2001年)
- 農業:平野部では、米(ササニシキ、ひとめぼれ等)が主であるが、南部の沿岸地域では、海洋性気候によって宮城県内においては温暖であり、奥羽山脈・阿武隈高地(亘理丘陵)に雪雲が遮られて冬季の晴天率が高いことを利用し、イチゴなどのハウス栽培もおこなわれている。また、松島丘陵(特に利府町)では梨の栽培が盛んであり、高原では高級和牛牛肉である仙台牛の産地となっている(みちのく三大牛:米沢牛・前沢牛・仙台牛)。
- 漁業:全国有数の水揚げ高を誇る漁港がある。以下に、2002年の貝類・海藻類を除く海での漁獲高による全国順位等を示す。
- 5位 石巻港(10.8万t):かつお類、いか類、いわし類
- 7位 気仙沼港(8.8万t):さんま、かつお類、まぐろ類
- 16位 女川港(4.5万t):さんま
その他、塩釜港の漁獲高も多い(近海マグロが多い)。松島湾や三陸海岸の入り江では、