静岡県

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しずおかけん
静岡県
富士山と三保半島
静岡県旗
静岡県旗[1][2]
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
団体コード 22000-1
ISO 3166-2:JP JP-22
面積 7,780.60km²
(境界未定部分あり)
総人口 3,699,527
推計人口、2014年8月1日)
人口密度 475人/km²
隣接都道府県 神奈川県山梨県長野県愛知県
県の木 モクセイキンモクセイ[3]
県の花 ツツジ[4][3]
県の鳥 サンコウチョウ[5][3]
県の歌
県愛唱歌
県民の日
静岡県歌
しずおか賛歌~富士よ夢よ友よ
8月21日
静岡県庁
知事 川勝平太
所在地 420-8601
静岡県静岡市葵区追手町9番6号
北緯34度58分36.9秒東経138度22分58.8秒座標: 北緯34度58分36.9秒 東経138度22分58.8秒
静岡県庁
外部リンク 静岡県庁
静岡県の位置

静岡県行政区画図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町

ウィキポータル 日本の都道府県/静岡県
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静岡県(しずおかけん、: Shizuoka Prefecture: La préfecture de Shizuoka西: Prefectura de Shizuoka)は、太平洋に面する、日本の一つ。県庁所在地静岡市中部地方及び東海地方に含まれる。2012年(平成24年)現在、人口は約374万人で、都道府県別で、第10位であり、静岡市浜松市の2つの政令指定都市を有する。

概要[編集]

直線距離にて、県域の東西が155km、南北に118kmと、広大な県域を保つ(⇒#広袤(こうぼう))。旧令制国伊豆国の殆ど[6]駿河国遠江国の凡そ3国に相当する県である。地域によって住民の意識に違いが見られ、地域によって方言も異なり、文化面に於いても地域により差異が大きい。県を代表するシンボルとして富士山伊豆半島駿河湾御前崎といったものが挙げられ、県旗もそれらに基づいてデザインされている。

地理・地域[編集]

広袤[編集]

国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、静岡県の面積は7780.60平方キロメートルである[7]

静岡県の東西南北それぞれの端は以下の位置である[8]。北端は間ノ岳、南端は神子元島、東端は初島、西端は普門寺 (豊橋市)の北北東方向にある。県境未確定地域に仮の境界線を入れて求めた重心も併記する[9]。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は静岡市‎駿河区丸子付近にある[10]

静岡県の広袤
重心
北緯35度01分13秒東経138度19分37秒

北端
北緯35度38分46秒東経138度13分43秒
人口重心
北緯34度55分36.93秒東経138度19分02.58秒
西端
北緯34度45分00秒東経137度28分27秒
静岡県庁舎所在地
北緯34度58分37秒東経138度22分59秒
東端
北緯35度02分22秒東経139度10分36秒

南端
北緯34度34分25秒東経138度56分36秒

地形[編集]

北部には標高3,000mを越える峰もある赤石山脈の山々がそびえ、一級水系大井川安倍川の源流となる。東部には第四紀火山が多く、富士山や、箱根山、伊豆東部火山群が現在でも活動しており、すでに活動を終えた天城山達磨火山等の数々の大型火山が伊豆半島の大地を造り上げた。この伊豆半島は、本州の中で唯一フィリピン海プレート上にあり、プレート境界である駿河トラフの延長線上に富士山が形成されている。南西部には台地や平野が多くなる。県の中央には糸魚川静岡構造線が南北に走り、安倍川がその南端に当たる。したがって、地質構造はこの安倍川を境にして県の東西で全く異なる。静岡県の形は金魚に例えられることがあり、この場合、西部を頭、東部を尾に見立てる。

静岡県の地勢。おおよそ黄色が600m以上、茶色が1400m以上、青色が2500m以上である。 説明
スペースシャトル標高データ使用。
主な半島
伊豆半島
三保半島
主な湖沼
浜名湖
佐鳴湖
主な河川
狩野川
富士川
安倍川
大井川
菊川
天竜川
隣接都道府県
神奈川県
山梨県
長野県
愛知県
  • 陸域で境を接する都道府県のみ

自然公園[編集]

県立自然公園
日本平県立自然公園
奥大井県立自然公園
御前崎遠州灘県立自然公園
浜名湖県立自然公園

気候[編集]

全域が太平洋側気候であるが、標高差が大きいため地域による寒暖の差が激しい。冬の平野部や沿岸部は黒潮の影響で本州の中でも非常に温暖であり、寒気の影響を受けにくいために放射冷却によって朝晩は氷点下まで下がることがあっても、日中は10°Cを超えることがほとんどである。特に伊豆地方の沿岸部では氷点下まで下がることはなく、雪が降ることもほとんどないなど、南九州並みに温暖な気候である。一方、旧井川村と旧水窪町などの赤石山脈に接する北部山間部は中央高地式気候の影響も受けており、冬はが多く豪雪地帯である。また、東部内陸部の御殿場市などでも南岸低気圧によりかなりの積雪をもたらし、東北地方並みのかなり厳しい冷え込みになることが多い。夏は、天竜地域など西部内陸ではかなりの酷暑となるが、それ以外の地域ではそれほどの酷暑とはならず、東部や伊豆地方を中心に比較的冷涼である。

ケッペンの気候区分によると県域の大部分は温暖湿潤気候ではあるが、富士山は最暖月の平均気温が6℃しかなく、ツンドラ気候に相当している。

静岡県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
西部 中部 東部 伊豆
浜松 浜松市
天竜区
浜松市
佐久間
磐田 御前崎市
御前崎
菊川市
菊川牧之原
牧之原市
静岡空港
川根本町 静岡市
井川
静岡 静岡市
清水
富士 富士山 御殿場 三島 松崎 南伊豆町
石廊崎
東伊豆町
稲取
熱海市
網代
平均
気温
()
最暖月 26.7
(8月)
26.6
(8月)
26.1
(8月)
26.2
(8月)
26.2
(8月)
25.2
(8月)
24.8
(8月)
21.9
(8月)
26.8
(8月)
26.4
(8月)
26.2
(8月)
6.0
(8月)
23.4
(8月)
26.5
(8月)
25.9
(8月)
25.8
(8月)
25.3
(8月)
26.0
(8月)
最寒月 5.8
(1月)
5.3
(1月)
3.6
(1月)
6.1
(1月)
6.5
(1月)
4.6
(1月)
3.0
(1月)
1.2
(1月)
6.6
(1月)
6.5
(1月)
5.5
(1月)
−18.5
(1月)
2.5
(1月)
5.5
(1月)
6.8
(2月)
7.9
(2月)
6.5
(2月)
6.7
(2月)
降水量
(mm)
最多月 262.2
(9月)
292.5
(6月)
350.1
(9月)
239.7
(9月)
265.7
(6月)
304.8
(9月)
438.3
(9月)
502.5
(9月)
304.3
(9月)
307.6
(9月)
281.9
(9月)
371.4
(9月)
249.3
(9月)
263.3
(6月)
243.9
(6月)
310.2
(6月)
262.5
(9月)
最少月 50.1
(12月)
46.6
(12月)
50.6
(12月)
40.6
(12月)
62.4
(12月)
50.6
(12月)
62.3
(12月)
68.9
(12月)
59.6
(12月)
55.0
(12月)
53.5
(12月)
69.1
(12月)
54.7
(12月)
54.2
(12月)
59.1
(12月)
58.2
(12月)
46.0
(12月)

静岡県の分類[編集]

名目上の行政区分で、東日本中部地方東海地方広域関東圏などに区分されている。また、名古屋圏関東地方からも独立した地域として、「静岡(県)地方」とされるケースも存在する。しかし、糸魚川静岡構造線を挟んで東側と西側に広い面積を占めているため、行政やその他諸々の区分では、これらとは違う区分に属することもある。とりわけ、東海地方と中部地方の両方に扱われることがある。特に、熱海市御殿場市長野県軽井沢町福島県いわき市などとともに[誰によって?]関東地方の一部として扱われることが多い。

全域を一括する場合[編集]

東日本西日本
静岡県は、歴史的・文化的経緯や人口・面積の比率・経済等を勘案して、東日本に分類されることが多い。しかし、日本の経済の重心が首都圏に偏っていることから、特に経済分野で相対的に弱い西日本を補完するために、まれに西日本に分類されることもある。NTTの東西分割の際、静岡県がどちらに編入されるか問題になったこともあり、本来東日本であるNTT東海のエリアだったが東西で利用者数や資産規模のバランスを均一化するために、NTT西日本のエリアに編入された。
中部地方東海地方)、広域関東圏
静岡県(知事)は、中部圏知事会議関東地方知事会の両方に所属している。中央省庁や民間企業の管轄も、中部地方(東海地方)とする機関と関東地方とする機関が混在している。この場合、中央省庁の出先機関の所在地が、中部(東海)はほぼ全て名古屋に置かれ、関東は東京さいたまに置かれている場合が多い。

県を分割する場合[編集]

その他のエリア区分例[編集]

(1) 静岡県全域を愛知県西部などと一緒で東海や中部に入れる企業もあれば、(2) 静岡県全域を広域関東圏(もしくは南関東)に入れる企業もあり、(3) さらには静岡県全域で東海とする企業もある。(4) 特定の川で静岡県を分割する企業もあるなど、エリア区分は各社ごとに異なる。

企業のエリア区分は、それぞれの監督官庁のエリア区分を反映している物が多いが、基本的に静岡県が地域分類される場合、大まかに分けて次の4分類のいずれかが見られる。

中部(東海)
一番よく見かける分類である。
広域関東圏(関東・甲信越静)
次に多いのがこの分類である。また、大井川以西(旧浜松県)のみを「中部(東海)」として、大井川以東を「関東」とする例も最近では見受けられ、静岡市から新幹線東京横浜に通勤・通学する人間も少数ながら存在する。
神静(神奈川県と静岡県)
日本ビクターダイア建設など、神奈川県全域と静岡県全域を一緒にするエリア区分も少数ながら存在する。この枠組みでは、横浜を業務拠点として、静岡県はその管轄下となるケースがある。
なお、コカ・コーラセントラルジャパンは、山梨県神奈川県・静岡県の3県全域(旧称:富士コカ・コーラボトリング営業エリア)を富士地区統括としている。
静岡県
静岡県労働金庫日本金融新聞社のように、首都圏名古屋圏とも別にして、静岡県を単独のエリアとするエリア区分も存在する。この場合、静岡県が「東海」と区分されることがある(例えば、東海工業地域《静岡県》と中京工業地帯愛知県三重県岐阜県》)。
なお、ユニーのように、静岡県全域と山梨県で「静岡ブロック」「山静(甲静)ブロック」とするエリア区分も存在する。

道州制[編集]

静岡県を巡る道州制の区割り案について、地方制度調査会は、9道州案では中部州、11道州案や13道州案では東海州に含まれるとしている。また、国土交通省広域地方計画では、静岡県は中部圏に含まれるとしている。ただ東部では国政への発言力増大のため、静岡県東部 政令指定都市構想が出される等動きが活発であり、今後の動向が注目される。また、静岡県は北陸3県(福井県、石川県、富山県)と同等の面積を有するため、単独の州としても不自然ではない。

地域区分[編集]

西部 、中部 、東部(狭義の東部 、伊豆

静岡県は、富士川大井川を境として、東部、中部、西部の3地域に区分される。東部はさらに狭義の東部伊豆に分けることもある。ただ富士川より西にあり中部であった旧富士川町2008年(平成20年)11月の富士市に編入されたことで富士川による境は実質なくなってしまい、県庁による地域区分でも必ずしも川が境界線とは限らない場合がある。

静岡県内には以下の23512がある。村は旧龍山村が浜松市と合併したことにより2005年(平成17年)6月30日をもって消滅した。

「町」の読み方は、森町のみ「まち」で、それ以外は「ちょう」。

東部[編集]

旧駿河国のうち富士川以東、および伊豆諸島を除いた旧伊豆国に相当する。市外局番は0544、0545、055または055Cであり、郵便番号は41から始まる。自動車のナンバープレートはかつては全域で「沼津」であったが、2006年(平成18年)10月から伊豆地域(上記「伊豆」エリア)でご当地ナンバーの「伊豆」が、2008年(平成20年)11月からは富士市、富士宮市、御殿場市、裾野市、小山町で「富士山」が導入されてからは、新規で沼津ナンバーを配布しているのは、沼津市と駿東郡清水町、長泉町のみである。

狭義の東部
伊豆

中部[編集]

旧駿河国のうち富士川以西と、旧遠江国のうち牧之原台地以東に相当する。市外局番は054または054Cであり、郵便番号は42から始まる。自動車のナンバープレートは「静岡」である。

西部[編集]

榛原郡域を除く旧遠江国に相当する。現在は、「遠州」と言われている。市外局番は053または053Cであり、郵便番号は43から始まる。自動車のナンバープレートは「浜松」である。

ただし例外がある。

  • 御前崎市のうち、旧御前崎町は、旧浜岡町との合併まで中部に属していたことから、市外局番と郵便番号は中部と同じで、合併後も変更されていない。
  • 教育行政上の区分では、掛川市、菊川市、御前崎市は中部教育事務所に管轄される。

浜松市南部、湖西市を西遠として、浜松市北部を北遠、磐田市袋井市掛川市南西部、森町を中遠、掛川市菊川市御前崎市を東遠、中遠と東遠を合わせて中東遠と区分することがある。[要出典]

歴史[編集]

※各地域ごとの歴史は「伊豆国」「駿河国」「遠江国」を参照すること。

先史[編集]

旧石器時代には1960年(昭和35年)~1962年(昭和37年)、静岡県西部の浜北市根堅(現浜松市浜北区根堅)において、約1万4000年前に生息の浜北人の人骨が発見された。2002年(平成14年)9月、科学的な測定法で確認された。浜北人骨は20歳代の女性で身長143センチと考えられている。人骨の発見以来、県内での調査例が増加し、今では200カ所近くに達している。場所は、天竜川左岸の磐田原台地西端一帯、沼津市の背後の愛鷹山南麓、箱根山西麓の3カ所に密集している[11]

縄文時代の遺跡総数は約2000カ所を超える。縄文草創期の遺跡は少ないが、伊豆の国市三福の仲道A遺跡で土器が出土している。早期になると撚糸文(よりいともん)や押型文(おしがたもん)の土器が集落跡から出土している。その後(約7000~8000年前)愛鷹山南麓から箱根山西麓・伊豆半島にかけて集落が急増し、県中部にかけても広がっていく。縄文前期には、遺跡数が減少するが、前期末から中期・後期前半までになると、遺跡数も増加し、県内の縄文最盛期を迎える。東部では集落遺跡・住居の形と構造・土器・土偶・石棒・石斧などの様相が類似・発達した文化が伊豆半島から掛川市付近まで広がっている。それに対して、西部の遠江平野では、近畿・瀬戸内地域の土器が流入し、伊那谷系の土器なども分布し、東部とは様相を異にしている。また、矢尻として多く使用された石鏃の原料の石材も県内西部の天竜川付近までは、畿内の二上山産出のサヌカイトや下呂石などが大量に使用されているのに対し、東部では八ヶ岳や神津島の黒曜石が主流である。遠隔地との交易・交流が盛んに行われていたことが分かる。縄文後期後半になると遺跡数が、東部では激減し、中・西部では緩減する。一方では儀式用の石器が普及し出す[12]

1958年(昭和33年)~1960年(昭和35年)、静岡県西部の三ヶ日町只木(現浜松市北区三ヶ日町只木)で、約7500~9500年前に生息の三ヶ日人の住んでいた遺跡が発見されている。また、約4000~6000年前のものとされる全国的に見ても大規模な集落跡である千居遺跡が静岡県東部の上条地区(現富士宮市)で確認されている。

弥生時代には、静岡市駿河区登呂で、弥生時代の水田、住居跡などが発見されている(登呂遺跡)。

古代[編集]

中央から派遣された国司が政務を司る政庁は、国府に置かれ、国衙と呼ばれた。まず、遠江国府は磐田市御殿二宮遺跡が、駿河国府が静岡市駿府城東南地区が候補地としてあがっているが、伊豆国府は三島市内に候補地を見出していない。その土地の国造や新興の有力者が就任した郡司の郡衙は郡家とも呼ばれた。官衙遺跡では、浜松市の伊場遺跡・城山遺跡・梶子遺跡・梶子北遺跡が発掘されている。これらの遺跡は敷智郡家および関連官衙(館・厨)や栗原馬家など地方官衙が複合する遺跡と考えられている。また、これらの遺跡は、出土する木簡から天武朝に溯る事が分かり、柱立建物が13~14棟、絵馬・墨書土器が検出されている。このほか、藤枝市御子ヶ谷遺跡(国指定遺跡)と秋合遺跡は駿河国志太郡家遺跡と考えられ、袋井市坂尻遺跡(佐野郡家ヵ)、藤枝市郡(こおり)遺跡(益頭(さしず)郡家ヵ)などの郡衙遺跡の存在が明らかになってきている[13]

『絹本着色富士曼荼羅図』(重文富士山本宮浅間大社蔵)
富士山の他、浅間大社・村山浅間神社(村山修験者)・三保の松原、駿河湾、東海道、富士川などが描かれている[14]
遠江国
次の3つの国造を統合
遠淡海国:磐田市に比定
久努国:袋井市久能に比定
素賀国:掛川市大須賀に比定
駿河国
次の2つの国造を統合
珠流河国:伊豆を含む富士川以東に比定。
廬原国:大井川と富士川の間に比定。
伊豆国
駿河国成立から程なく分立した。伊豆諸島を含む。
国造国の比定地については異説が多い

記紀においては、ヤマトタケルが蝦夷征伐に赴いた時、駿河国でだまし討ちに遭う。その時に草薙剣で草を薙ぎ払って難を逃れたというヤマトタケル伝承が記されており、その地を「草薙」と呼んだ。また、賊を焼き払った野原を「焼津」と呼んだという。

律令制で中央集権国家が形成されるに従って、現在の静岡県内に有った国造は、伊豆国、駿河国、遠江国という3つの令制国に合併・再編された。

律令制下には、遠江国には白輪官牧(しろわのかんまき)があり、その後荘園化し白羽荘と称した。故地は御前崎西方の砂丘地帯から北方の牧之原台地におよぶと推定される。駿河国には岡野(大野)・蘇弥奈の2官牧がある。前者は愛鷹山の東南麓、現沼津市の大岡・金岡・愛鷹を中心とする地域に存在し、後に大岡牧、あるいは大岡荘と呼ばれる荘園になった。後者の位置は明確でないが、現静岡市街地の西北、安倍川藁科川とに囲まれた牧ヶ谷から美和の内牧に至る一帯の山地と思われる。伊豆国では、官牧の存在が明確ではないが、現伊豆市修善寺町に牧之郷という地名がある。後にこれらの地域に武士団が簇生した[15]

伊豆国は畿内から遠いために、流刑地の一つとされていた。一方で、駿河国には藤原南家の末裔(まつえい)の多くが住み着き、土着したようである。

遠江国の国分僧寺は磐田市中央町に、国分尼寺はその北にあったことが確かめられている。駿河国分僧寺は静岡市大谷の片山廃寺がその有力候補とされており、国分尼寺は不明である。伊豆国分僧寺は三島市泉町に、国分尼寺は三島市南町にあった。

中世[編集]

伝源頼朝像(神護寺三像

平治元年(1159年)、平清盛に敗退した源義朝は東国に敗退する最中に謀殺され、義朝三男の源頼朝は平家方に捕らえられるが助命され、伊豆国韮山(韮山町)に流刑された。豆駿伊豆三国はいずれも平家の勢力圏であったが、頼朝は伊豆において在庁官人北条氏の庶流北条時政の娘政子を室として婿になり、伊豆の反平家方の武士たちから支持を受けると治承4年(1180年)には以仁王の平家討伐令旨に応じて挙兵する(治承・寿永の乱)。

治承・寿永の乱は豆駿遠三国のみならず相模国や甲斐国など東国圏から西国にかけて展開するが、三国内における平家勢は治承4年8月23日に相模石橋山合戦(小田原市)において頼朝勢を撃退するが、8月25日には駿河目代橘遠茂の軍勢が富士山麓において甲斐源氏の勢力に敗退し(波志田山合戦)、甲斐源氏の勢力と安房へ逃れた頼朝が三浦氏の後援を得て勢力を挽回すると反平家勢は再び三国方面へ侵攻し、平家勢は10月14日には富士山麓における鉢田の戦いにおいて敗退し、さらに10月20日の富士川の戦いにおいて大敗し、三国は頼朝や甲斐源氏の勢力圏となった。

頼朝が鎌倉幕府を開府すると三国の所領も恩賞として御家人に安堵された。伊豆は北条氏が守護となったが、治承・寿永の乱においては特に甲斐源氏の功績が大きく、駿河は武田信義、遠江は安田義定が守護となったが、頼朝は甲斐源氏の粛清を行い、三国は北条氏の影響下に置かれた。『曽我物語』に拠れば建久4年(1193年)5月15日には富士の巻狩が行われ、5月28日には曽我の敵討が発生する。

鎌倉幕府において源氏将軍が途絶すると北条氏は執権として幕政を主導する執権政治を開始し、三国は北条氏の所領における中心となる。承久3年の承久の乱において三国の武士は幕府勢の主力である東海道軍に加わり活躍し、乱の平定後に三国の御家人は西国にも恩賞を獲得し、勢力を拡大した。

頼朝や北条氏は寺社を振興し、三国においても頼朝の信仰した伊豆山神社や北条氏の氏寺である願成就院など幕府にゆかりのある寺院が分布している。三国においては天台宗・真言宗の旧仏教の影響が強かったが、鎌倉新仏教においても臨済宗の高僧である円爾(聖一国師)や南浦紹明(大応国師)は駿河の出身で三国でも臨済寺院が分布しており、日蓮宗の宗祖である日蓮は伊豆において布教を行っており、日蓮が甲斐国南部の身延(身延町)に草庵を構え信仰の拠点となると駿河・伊豆においても門徒が拡大し、日興大石寺(富士宮市)・北山本門寺(富士市)など岳南地方において日蓮宗の拠点寺院を建立した。

南北朝時代に入ると、今川氏守護大名として駿河国府中(駿府)に入った。14世紀後半に入ると今川氏は遠江国の守護職も兼ねて勢力を伸長する。

戦国期には今川氏親は伊勢宗瑞(北条早雲)らの力によって一族の抗争を終わらせ、戦国大名への道を歩んだ。また、応仁の乱の後に、散逸した貴族達が多く逗留した。一方の北条早雲は、伊豆国の堀越公方を攻め滅ぼし、それを足がかりに関東の支配へ乗り出す。

駿府は今川領国の中心として繁栄し、今川義元は相模国の後北条氏との争い(河東の乱)を収束させると、甲斐の武田氏、相模後北条氏と三国同盟を形成し駿河国、遠江国、三河国の3国を支配した。永禄3年(1560年)、尾張国織田信長との桶狭間の戦いにおいて当主義元が敗死し今川氏真に当主交代すると三河においては松平元康(徳川家康)が独立するなど今川領国は動揺する。外交関係においても武田氏と手切となり、永禄11年(1568年)に武田信玄と徳川家康が協調して今川領国へ侵攻し、今川氏は相模後北条氏の支援を得るが領国は崩壊した。

その後は武田信玄と徳川家康は今川領国の割譲を巡り対立し、さらに徳川氏と協調し武田氏に敵対する後北条氏や越後上杉氏、徳川氏と同盟関係にありつつ武田氏とも友好的関係を持ち将軍義昭を擁する尾張の織田信長など旧今川領国を巡る情勢は複雑に推移するが、元亀年間に武田氏は駿河を確保すると、後北条氏との同盟も回復する。その後、武田氏は矛先を遠江・三河方面に向け家康や信長と対決し畿内情勢にも影響を及ぼしたが(西上作戦)、元亀4年には信玄が死去し自体はいったん収束する。

信玄の死後、信長は畿内において政権を確立し家康も岡崎から浜松に拠を移し勢力を回復し、武田氏では勝頼に当主交代すると再侵攻を繰り返すが、天正3年の三河において織田・徳川勢が武田勢に致命的打撃を与えた長篠の戦いと、天正9年の高天神城陥落を契機に駿遠二国における武田氏の勢力は後退し、天正10年(1582年)に武田氏は織田・徳川勢により滅ぼされた。

同年、本能寺の変において信長が横死し旧武田領国が空域化すると家康は本国の三河・遠江のみならず武田遺領である甲斐・信濃国・駿河を確保し(天正壬午の乱)、5国を支配し東国における一大勢力に成長した。

近世[編集]

駿府城

豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼすと、1590年には家康は駿府から江戸に移され、代わって駿府には中村一氏が入り、遠江国には掛川に山内一豊堀尾吉晴が入り、それぞれ織田家の家臣が入った。

1603年、徳川家康が江戸幕府を開くと後継者の徳川秀忠将軍職を譲り、家康は駿府において大御所政治を敷いた。江戸時代の伊豆国、駿河国、遠江国の3国(以下「豆駿遠三国」と略称)には、幕府直轄領や譜代大名の藩領、旗本領が入り組んでおり、伊豆国には韮山の代官江川太郎左衛門、駿河国には沼津藩の水野出羽守、田中藩の本田紀伊守、小島藩の瀧脇丹後守、遠江国には相良藩の田沼玄蕃頭、横須賀藩の西尾主計頭、浜松藩の井上河内守、掛川藩の太田惣次郎、堀江藩の大澤右京太夫といった具合に領主支配は複雑に変遷している。

近世には江戸日本橋から京都に至る東海道宿場が整備されるが、豆駿遠三国には53の宿場のうち22宿が存在し、各地に宿場町が成立した。東海道は西国諸大名の参勤交代朝鮮通信使琉球使節も通行し、新居関所(今切関所)は箱根関所と並ぶ重要な関所として知られ、大井川では川越制度が整えられ、大井川徒歩が行われた。

新居関所

近世には新田開発が行われ米麦や畑作物の生産が増大したほか、椎茸山葵などの特産物の生産も行われる。また、伊豆や駿河では金銀山での採掘が行われたほか、豆駿遠三国では林業が行われ幕府の御林も設置されていた。

近世後期には天命の大飢饉天保の大飢饉などに際して豆駿遠三国でも凶作や飢饉の被害を受け、強訴や打ちこわし、百姓一揆が発生しており、明和元年(1764年)の駿河小島藩の惣百姓一揆、天明3年(1783年)の駿河御厨一揆、天明6年の遠江笠井・二俣騒動、文化13年の蓑着騒動などが発生している。

文化面では国学を創始した確立した荷田春満の弟子に浜松諏訪神社大祝杉浦国頭がおり、国頭は江戸において春満に学び、春満の姪を妻に迎え浜松で私塾を開き多くの門弟を育てた。そのなかには伊庭村の賀茂明神神職の賀茂真淵がおり、真淵は春満に国学の学問的手法を確立し、地元出身者を含む多くの門弟を育て、豆駿遠三国では春満・真淵との関わりから遠州国学が発達する。

韮山反射炉

幕末には嘉永6年(1853年)にアメリカ艦隊司令長官ペリーが日本との通商を求めて来航し、翌嘉永7年1月には下田・函館両港が開港する。下田にはアメリカ領事タウンゼント・ハリスが駐在し、安政5年に日米修好通商条約が締結されるまで、玉泉寺はアメリカ総領事館として機能した。また、嘉永6年にはロシアのプチャーチン艦隊も日本との通商を求めて来航し、同年11月1日には下田において幕府側全権と考証を行っている。嘉永7年11月4日には安政東海地震が発生しプチャーチン艦隊のディアナ号は沈没し、日本側では韮山代官江川英龍が主導し、戸田港において代船ヘダ号の造船を行っている。

近代[編集]

江戸幕府が倒されて明治維新が起こると、1868年5月には、駿河国の天領沼津藩田中藩小島藩・交代寄合の榊原家の久能陣屋、諸旗本領、遠江国の相良藩横須賀藩掛川藩浜松藩・交代寄合の近藤家の気賀陣屋、諸旗本領が合併されて、静岡藩(70万石)が設置され、徳川将軍家徳川慶喜が入った。同年6月、伊豆国(旧韮山代官領)の地域に韮山県が成立した。同年9月、旧堀江陣屋(5600石、申告1万6石。今の浜松市舘山寺地区)が堀江藩に昇格した。そして、1869年には、駿府は静岡に改名された。

1871年8月29日廃藩置県では、静岡藩は静岡県に置き換わり、堀江藩が堀江県に置き換わった。同年12月31日には、当時の静岡県は分割され、駿河国部分が静岡県となり、遠江国部分は浜松県となった。堀江県は浜松県に編入された。韮山県は、荻野山中県や小田原県と合併して、足柄県となった。

しかし、1876年(明治9年)4月18日には足柄県が分割され、相模国部分は神奈川県に編入され、伊豆国部分は静岡県に編入された。そして、同年8月21日になると、浜松県が廃止されて静岡県に編入された。1878年(明治11年)には、伊豆諸島東京府(現在の東京都)に編入された。

このように、伊豆国、駿河国、遠江国の3国が、1876年(明治9年)に行われた県の合併によって、現在の静岡県となった。

人口[編集]

Demography22000.svg
静岡県と全国の年齢別人口分布(2005年) 静岡県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 静岡県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
静岡県(に該当する地域)の人口の推移
1970年 3,089,895人
1975年 3,308,799人
1980年 3,446,804人
1985年 3,574,692人
1990年 3,670,840人
1995年 3,737,689人
2000年 3,767,393人
2005年 3,792,377人
2010年 3,765,044人
総務省統計局 国勢調査より

政治・行政[編集]

静岡県は、「住んでよし、働いてよし、訪れてよし」の「富国有徳の日本の理想郷」を創るための施策に取り組んでいる[16]。「富国有徳」は、前知事石川嘉延の県政キャッチコピー「富国有徳――しずおかの挑戦」にも現れるが、これは現知事川勝平太の著した『富国有徳論』(1995)[17]の思想に賛同したもの。

国政[編集]

衆議院小選挙区が8。参議院では、全県で1区を構成。

県政[編集]

静岡県のイメージキャラクターは「ふじっぴー」(2003年(平成15年)開催 NEW!!わかふじ国体マスコットキャラクター)である[18]

歴代知事(公選)[編集]

経済・産業[編集]

※本社を置く企業は「Category:静岡県の企業」を参照すること。

第二次産業の割合が高いが、緑茶みかんに代表される農業やマグロ・カツオ・桜エビなどで有名な漁業、伊豆半島赤石山脈南アルプス)・浜名湖などの観光等のサービス業も盛んである。

生活・交通[編集]

警察[編集]

電気[編集]

富士川を境に県の東部のみ50Hz(ヘルツ=東京電力管轄)。その他は60Hz(中部電力管轄)。新潟県の佐渡島糸魚川市の一部や長野県の一部で電源周波数が県の大半と異にする地域があるものの、同一都道府県内で電源周波数が東西に大きく二分されるのは本県のみであるため、電気の分野では富士川がよく知られている。

テレビCMも、東京電力と中部電力、両方が放送されている。

浜松市北部の佐久間ダム近傍に、東西の電力を相互に融通するための佐久間周波数変換所がある。また、静岡市清水区中部電力東清水変電所内に同様の目的の東清水周波数変換装置 (FC; frequency converter) が建設中であり一部稼働している。

ガス[編集]

静岡県内では、静岡ガス系やザ・トーカイ系、中部ガス系を中心として、複数の業者が地域を分けてガス事業を行っている。静岡県内の主な一般ガス事業者は次の通り。

  • 静岡ガス 本社:静岡市駿河区、供給エリア:静岡市、沼津市、三島市、裾野市、富士宮市、富士市、袋井市、清水町、長泉町、函南町
  • 東海ガス 本社:焼津市、供給エリア:焼津市、藤枝市
  • 中部ガス 本社:愛知県豊橋市、供給エリア:浜松市、磐田市、湖西市
  • 湯河原ガス 本社:神奈川県湯河原町、供給エリア:熱海市
  • 熱海ガス 本社:熱海市、供給エリア:熱海市
  • 伊東ガス 本社:伊東市、供給エリア:伊東市
  • 下田ガス 本社:下田市、供給エリア:下田市
  • 御殿場ガス 本社:御殿場市、供給エリア:御殿場市
  • 島田ガス 本社:島田市、供給エリア:島田市
  • 中遠ガス 本社:掛川市、供給エリア:掛川市
  • 袋井ガス 本社:袋井市、供給エリア:袋井市

交通[編集]

東海道の沿線として、古くから関東地方近畿地方とを結ぶ大動脈が整備されてきた。特に浜名湖畔は、首都圏東京鎌倉)と畿内大阪京都奈良)から等距離に位置している。

鉄道[編集]

JR線
私鉄


※ 伊東線全線と東海道本線(在来線)熱海駅東日本旅客鉄道(JR東日本)の管轄。ほかのJR線は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄。

このように東西に新幹線などの幹線級の鉄道が敷かれており関東、中京、関西を結ぶ大動脈として整備されているが、反面通過点としての意味合いしか持ち合わせておらず大都市圏程の流通はない。現に東海道新幹線では『のぞみ』が県内の全駅を通過している現状もある。

静岡県内のJR線は全線電化されている。私鉄も天竜浜名湖線と大井川鉄道井川線(アプト式区間を除く)を除いて電化されている。

道路[編集]

高速道路
その外の有料・地域高規格道路など
主要国道


※ このほかの詳細は「静岡県の県道一覧」「中部地方の道路一覧」を参照のこと

[編集]

これらのほかに、地方港湾漁港などがある。

船舶航路[編集]

空港[編集]

静岡空港

医療・福祉[編集]

災害拠点病院
保育所

教育[編集]

義務教育[編集]

伝統的に公立小・中学校が義務教育の中心を担っており、地域の公立小中学校への進学者が多い。

自由な校風を特徴とする国立小・中学校や学力指導・生活指導が充実している私立小・中学校も従来から一定の支持を得ていたが、近年、都市部を中心に公立小・中学校に不満を持つ保護者が増え、国立・私立校の人気がさらに高まっている。学校側も、特に私立校においては少子化時代の生徒確保を意識して高校に小・中学校を併設する動きが出ている。教育内容についても、例えば小学生の英語教育で全国的に有名な加藤学園暁秀初等学校など、公立とは異なる特色ある教育を行っている。

高等学校[編集]

伝統的に旧制中学校を前身とする下田北高2008年(平成20年)と下田南高が統合した下田高韮山高沼津東高富士高清水東高静岡高静岡東高静岡市立高藤枝東高榛原高掛川西高磐田南高浜松北高浜松西高の各公立高校が地域の進学校とされている。

私立高校についても、浜松日体高日大三島高東海大翔洋高などの大学付属高や、静岡雙葉高不二聖心女子学院高などの中高一貫女子校、中高一貫男子校である静岡聖光学院高といった特色のある高校が存在し、優秀な人材を輩出している。

高等専門学校[編集]

高等専門学校(こうとうせんもんがっこう)は、「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的とする」日本の学校である。 後期中等教育段階を包含する、5年制の高等教育機関と位置付けられている。一般には高専(こうせん)と略される。 静岡県には沼津工業高等専門学、英語名称は Numazu National College of Technology(NCT)がある。

高等教育[編集]

入学希望者に対し県内の高等教育機関が不足しているため、県内の高校生は県外に進学する者が比較的多い。県内に大手企業の本社が多いこともあって、UターンIターン就職者が比較的多い。

6年制課程または専門職大学院としては、医学部浜松医科大学薬学部静岡県立大学法科大学院静岡大学にそれぞれ存在する。

マスメディア[編集]

新聞[編集]

地方紙
  • 静岡新聞
    静岡県内を主な購読地域とする地方紙。静岡県内一円に取材拠点を置いており、静岡市で印刷している。静岡県内情報や茶業情報については最も詳しい。系列テレビ・ラジオ局を有し、県内に一大メディアグループを築いており、県内各界への影響力も大きい。囲碁碁聖戦主催紙の一つでもある。特定の系列販売店はないので、県内の大半の新聞販売店で購入が可能である。
  • 中日新聞東京新聞
    富士川以西では主に中日新聞、大井川以東では主に東京新聞が販売されている。また、浜松市東海本社があり、東京新聞の県版を含む静岡県内向けの編集と発行が行われている。なお東京新聞は、県内を「統合版」エリアとしているため、朝刊のみの発行。
全国紙
全国紙は基本的に東京都もしくは神奈川県愛知県の工場で印刷して静岡県に輸送している物が多い。いずれの新聞も、紙面のうち1~2面程度の広さを静岡県内記事(静岡県版)に割いている。静岡県版は、静岡県東部版、静岡県中部版、遠州版の3つに分けられているが、支局の表示は3つとも同じである。
  • 読売新聞は、浜松市を除く県内向けの朝刊・大井川以東向けの夕刊は神奈川県横浜市瀬谷区の横浜工場で印刷され、大井川以西向けの夕刊及び浜松市向けの朝刊は愛知県清須市の清須工場で印刷されている。
  • 朝日新聞は、天竜川以西(浜松市の一部・湖西市)向けの朝・夕刊は、名古屋市の名古屋本社(北名古屋市西春工場で印刷)での編集・発行。天竜川以東向けの朝・夕刊は東京本社での編集・発行。
  • 毎日新聞は、静岡県向けの朝刊・大井川以東の夕刊は、神奈川県海老名市の毎日新聞首都圏センター海老名工場で印刷されたものが販売されているが、大井川以西の夕刊は名古屋市中区の中日新聞本社工場にて受託印刷されたものが販売されている。
  • 日本経済新聞は、東京本社が編集し、紙面印刷を静岡新聞社に委託している。このため、静岡県内向けには静岡市内から各販売所に配送されている。
スポーツ紙
全国向けスポーツ紙は、東京都もしくは神奈川県で印刷して静岡県内に輸送している。紙面の一部を静岡県版として割いている物が多い。
地域密着紙
ごく狭い地域のみで発行される新聞、タブロイド版のものが多い。
  • 伊豆新聞 ※静岡新聞系
    • 伊東版 (伊東市)
    • 下田・賀茂版 (下田市、賀茂郡:東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町、伊豆市(旧田方郡土肥町))
  • 熱海新聞 ※静岡新聞系(熱海市、神奈川県湯河原町)
  • 伊豆日日新聞 ※静岡新聞系 (伊豆の国市、伊豆市、田方郡函南町、駿東郡清水町、三島市、沼津市)
  • 日刊伊豆毎日 (熱海市)
  • 岳麓新聞 (御殿場市)
  • 日刊静岡 (御殿場市)
  • 沼津朝日新聞 (沼津市、駿東郡清水町)
  • 沼津新聞 (沼津市)
  • 富士ニュース (富士市、富士宮市)
  • 岳南朝日新聞 (富士宮市、富士市)
  • 岳陽新聞 (富士宮市)
  • 庵原新聞 (静岡市清水区(由比・蒲原)、富士市(富士川))
  • 郷土新聞 (掛川市)
  • タウン情報はままつ (浜松市)
  • 日刊焼津港報 (焼津市)

テレビ局[編集]

NHK Eテレを除くいずれの局も静岡県を放送対象地域とする県域放送局で、県内全域と県外周辺で受信可能である。全局が日本平日本平デジタルタワー日本平テレビ・FM放送所)を親局としている。

静岡県のテレビ放送の特徴として、東京キー局同時ネット番組の放送が比較的多い。また、NHKは基幹局(NHK名古屋放送局)からのネット受けをしている時間帯(ブロックネット)であっても県内ローカル番組を放送したり、関東甲信越地方の番組やニュースをネット受けし放送するケースもあった。

SBS とテレビ静岡は、アナログ放送時代は大井川以東と以西で別の放送免許が認められていたため、地域ごとにCMを差し替えるなど別編成の放送を行っていた。またNHKも、大井川以西の地理的・地域的事情を考慮して浜松放送局を開局させたが、独自編成はほとんどなされないまま機構改革に伴い静岡放送局へ統合された後は、同局の支局として報道取材拠点や資料センターおよび中継局の役割を担っている。

静岡県ではTXNテレビ東京)系列が無いため、県西部を除く全域ではテレビ東京、県西部ではテレビ愛知三河支社が取材を担当している。

ラジオ局[編集]

AMラジオ局
FMラジオ局
  • NHK静岡放送局(FM放送
  • K-mix(静岡エフエム放送)(JFN系列)
    ※かつてはMegaNet系列の「愛知国際放送(RADIO-i・本社名古屋市)」も浜松市に中継局を置いていた(在名局で唯一静岡県の一部も公式放送区域としていた)。しかし同局は開局当初からCM収入が伸び悩んでいたため慢性的赤字を解消出来ず(単年度黒字化を一度も果たせず)経営破綻。2010年(平成22年)9月30日24時を以て(2000年(平成12年)4月1日の開局以来10年半にわたり続いた)放送を完全終了。(会社更生法民事再生法適用を申請しての経営再建や他社への経営譲渡は行われず)日本の県域地上波民放としては史上初の「閉局(廃業・廃局)」に追い込まれた。放送免許は同年10月7日付で総務省東海総合通信局へと返上され、法人としての「愛知国際放送」は清算手続きを経て完全消滅した。
コミュニティFM局

ケーブルテレビ[編集]

インターネット掲示板[編集]

  • しずちゃん(静岡県内に関するインターネット掲示板)

文化・スポーツ[編集]

方言[編集]

食文化[編集]

郷土料理

伝統工芸[編集]

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

スポーツ[編集]

観光[編集]

静岡県を舞台とした主な作品[編集]

県内には自治体・商工会議所・企業または任意団体などが地域ごとにフィルム・コミッションを組織し、各地域での映像作品制作の支援が行われているが、これらの団体および撮影地に関する情報提供や撮影手配の支援など行う「静岡フィルムコミッションnet」が県により組織されている。この取り組みは、地域を題材とした映像作品が発信されることにより、県内各地の広報および地域活性化や観光振興につなげるためのものである[19]

以下のリストは発表年順での記載である[要出典]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ[編集]

楽曲・PV[編集]

楽曲
PV

文学[編集]

アニメ・漫画[編集]

静岡県内
西部
中部
東部
伊豆
富士山

ゲーム[編集]

静岡県出身の人物[編集]

友好関係[編集]

  • 韓国・忠清南道 2013年4月30日締結[20]

脚注[編集]

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  1. ^ 1968年(昭和43年)8月26日制定
  2. ^ 県の概要-県章・県旗”. 静岡県ホームページ. 2014年7月19日閲覧。
  3. ^ a b c 県の概要-県の鳥・花・木work=静岡県ホームページ”. 2014年7月19日閲覧。
  4. ^ 1965年(昭和40年)9月21日選定
  5. ^ 1964年(昭和39年)10月2日制定
  6. ^ 伊豆諸島を含まない。
  7. ^ 全国都道府県市区町村別面積調 国土地理院 2013年11月28日閲覧
  8. ^ 静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系) 国土地理院 2013年2月22日閲覧
  9. ^ 中部地方の東西南北端点と重心の経度緯度 国土地理院 2013年2月22日閲覧
  10. ^ 我が国の人口重心 -平成22年国勢調査結果から- 統計局 2013年2月22日閲覧
  11. ^ 荒木敏夫「静岡県の夜明けと律令体制の成立」 本多隆成・荒木敏夫・杉橋隆夫・山本義彦『静岡県の歴史』山川出版社 1998年 10-11ページ
  12. ^ 荒木敏夫「静岡県の夜明けと律令体制の成立」 本多隆成・荒木敏夫・杉橋隆夫・山本義彦『静岡県の歴史』山川出版社 1998年 12-15ページ
  13. ^ 荒木敏夫「静岡県の夜明けと律令体制の成立」 本多隆成・荒木敏夫・杉橋隆夫・山本義彦『静岡県の歴史』山川出版社 1998年 40-43ページ
  14. ^ 富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議/富士山を世界遺産にする国民会議 発行 『富士山 信仰と芸術の源』 小学館 2009年 p84
  15. ^ 杉橋隆夫「地域の武士社会と政権」 本多隆成・荒木敏夫・杉橋隆夫・山本義彦『静岡県の歴史』山川出版社 1998年 66-68ページ
  16. ^ 静岡県 / 応援していただきたい施策の紹介
  17. ^ 川勝平太著 『富国有徳論』(B6) 紀伊國屋書店1995年9月ISBN 9784314006910
    対談部分を除く出版元を変え再版 -- 川勝平太著 『富国有徳論』(文庫) 中央公論新社中公文庫〉、2000年1月25日ISBN 9784122035713
  18. ^ 静岡県 / ふじっぴー紹介
  19. ^ 静岡フィルムコミッションnet(2013年9月2日閲覧)
  20. ^ 韓国・忠清南道と静岡県 友好協定を締結(聯合ニュース、2013/4/30)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

行政
観光
先代:
静岡藩

足柄県の一部(伊豆国


浜松県

行政区の変遷
1871年 -
次代:
-----

東京府伊豆諸島