身延町

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みのぶちょう
身延町
Kuonji-temple-Hondou.jpg
身延山久遠寺本堂
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
関東地方
都道府県 山梨県
南巨摩郡
団体コード 19365-8
面積 302.00km²
総人口 13,998
推計人口、2012年1月1日)
人口密度 46.4人/km²
隣接自治体 山梨県:甲府市南部町市川三郷町
富士河口湖町富士川町早川町
静岡県静岡市富士宮市
身延町役場
所在地 〒409-3392
山梨県南巨摩郡身延町切石350
(旧中富町役場)
外部リンク 身延町の公式サイト

身延町位置図(山梨県)

― 市 / ― 町 / ― 村
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身延町(みのぶちょう)は、山梨県の南西部に位置する南巨摩郡

日蓮聖人で有名な身延山の門前町。2004年9月13日西八代郡下部町・南巨摩郡中富町と合併した。町名は公募により「身延町」が選ばれ、南巨摩郡に属すことが県議会で決定した。

目次

[編集] 地理

旧身延町 画面上部は富士川

[編集] 隣接している自治体・行政区

山梨県

静岡県

[編集] 歴史

旧身延町(1955-2004)、県内位置図
『富嶽三十六景 身延川裏不二』
身延道から見る富士山

律令制下では富士川左岸が巨摩郡川合郷、富士川東岸は八代郡川合郷に比定される。平安時代後期には、大野近辺に『玉葉』安元2年条に見られる施薬院領飯野牧が成立する。

鎌倉時代、飯野牧内の波木井郷は甲斐源氏の一族加賀美氏の分流である南部光行の子波木井実長が地頭になり、波木井郷に館を構え南部氏の河内支配の一端を担った。また下山郷には秋山光行の兄光季の子下山光重が、帯金には加賀美氏の一族とされる帯金氏が入部するなど、町域では加賀美一族の影響が強い。鎌倉期の文永11年(1274年)には波木井実長の庇護のもと日蓮が草庵を構え、日蓮の草庵から発展した身延山久遠寺は甲斐・駿河方面における日蓮宗の拠点となり、波木井実長ら南部一族も帰依した。

南北朝期には南部氏が奥州に入府し、河内地方には守護武田氏の一族である穴山氏が入府する。戦国期には守護武田氏の勢力が衰え、甲斐国内では武田氏と有力国人勢力との抗争が行われるが、穴山氏も有力国人のひとつとして台頭する。穴山氏は信友期に武田氏に臣従し、本拠を南部から下山に移転し、下山館を築いて河内支配の本拠とした。下山は下山館を中心とした城下町(下山城下町)が形成され、河内路(近世の駿州往還)の宿場が設けられ交通の要地としても機能した。その後、穴山氏は信君期に領国化された駿河江尻領を任され支配領域が拡大し、下山は引き続き穴山領の中心として機能するが、武田氏滅亡後、天正15年(1587年)に当主の勝千代が早世し、穴山氏の河内支配は終焉を迎えた。

その後、支配領主は徳川氏、豊臣系大名と変遷し、近世には巨摩郡西河内領の13か村、八代郡東河内領の11か村が成立する。全村が幕府直轄領甲府藩領を経て、享保9年に甲斐一国が幕府直轄領化されると在方は三分代官支配となり、町域は上飯田代官支配、後に市川代官支配となる。このころは身延山久遠寺の門前町が発達し、多くの参詣者が訪れた。山間部の河内地方は米麦栽培が乏しく農間余業が行われ、町域でも紙漉三椏栽培が行われた。

  • 中富町地域
  • 下部町
    • 1889年以前
      • 1875年 - 共和村(下田原村、宮木村、上田原村、一色村)、久那土村(三澤村、樋田村、車田村、切房木(きりふさぎ)村、道村、水船村、柴草村)、古関村(大磯小磯村、瀬戸村、根子村、古關村、釜額村、中倉村)、富里村(北川村、市之瀬村、杉山村、岩欠村、大炊平村、清澤村、常葉村、上野平村、波高島村、桃ヶ窪村、下部村、湯之奥村 旧大垈村川向)
    • 1889年(明治22年) 7月1日 - 町村制施行 久那土村、古関村、富里村、共和村
    • 1949年(昭和24年)4月1日 - 共和村宮木一部 → 富里村
    • 1951年(昭和26年)3月20日 - 落居村(のちの六郷町,現市川三郷町)熊沢 → 久那土村
    • 1954年(昭和29年)4月1日 - 富里村、下部町として町制施行
    • 1954年(昭和29年)11月3日 - 下九一色村折門・八坂 → 古関村へ編入。下九一色村残部は他村と合併して三珠町(現市川三郷町)を新設。
    • 1955年(昭和30年)4月1日 - 山保村久保、嶺、大山、山家一部 → 久那土村へ編入。山保村残部は市川大門町(現市川三郷町)へ編入。
    • 1956年(昭和31年)9月30日 - 久那土村古関村共和村 下部町合併
  • 旧身延町

[編集] 人口

Demography19365.svg
身延町と全国の年齢別人口分布(2005年) 身延町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 身延町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
身延町(に該当する地域)の人口の推移
1970年 27,697人
1975年 25,083人
1980年 23,222人
1985年 22,327人
1990年 20,849人
1995年 19,570人
2000年 18,021人
2005年 16,334人
2010年 14,460人
総務省統計局 / 国勢調査

[編集] 行政

  • 首長名:望月仁司(もちづきひとし、2008年10月24日就任 1期)
前町長:依田光弥(よだみつや)

[編集] 経済

[編集] 産業

  • 主な産業
    • 下部町地域: アイガモ農法による農業
    • 中富町地域: 西島和紙と呼ばれる手漉き和紙、特産品の曙大豆を用いた味噌・豆腐
    • 旧身延町地域: 特産品は南天のど飴、南天ワイン、みのぶゆば
  • 産業人口

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 国内

[編集] 教育

[編集] 大学

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

  • 身延町立久那土中学校
  • 身延町立下部中学校
  • 身延町立中富中学校
  • 身延町立下山中学校
  • 身延町立身延中学校

[編集] 小学校

  • 身延町立久那土小学校
  • 身延町立下部小学校
  • 身延町立西嶋小学校
  • 身延町立静川小学校
  • 身延町立原小学校
  • 身延町立下山小学校(旧身延町立身延北小学校)
  • 身延町立身延小学校(旧身延町立身延西小学校)
  • 身延町立豊岡小学校(旧身延町立身延南小学校)
  • 身延町立大河内小学校(旧身延町立身延東小学校)

上記小学校内の、"下山" "身延" "豊岡" "大河内"について、平成の大合併により、下部町中富町・身延町の合併で、新しい身延町が誕生した。 旧身延町の小学校の名称に「東西南北」を付けて読んでいたが、身延町の面積拡大に伴い、旧身延町の小学校の名称はふさわしくないと判断し、町と住民の協議の結果、小学校の地名を生かし、平成19年4月から名称変更される。昭和の大合併以前には、この新しくなる小学校の名称が存在していた。

[編集] 交通

[編集] 鉄道路線

身延駅下部温泉駅には特急ふじかわが停車する。

[編集] バス

[編集] 道路

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

久遠寺の桜
  • 下部町地域
    • 甲斐黄金村・湯之奥金山博物館:戦国期に稼働し、「武田信玄の隠し金山」として伝承される湯之奥金山遺跡の出土品や関係資料の展示と金山の歴史等を映像シアターが観覧できるほか、砂金採りの体験室がある。
    • ヤマメの里: バーベキュー等のキャンプ施設とバンガロー10室を併設する渓流釣り場。
    • 下部温泉
    • ホタルまつり
    • ヤマメまつり
    • 毛無山
  • 中富町地域
    • 山梨県立なかとみ青少年自然の里: 和紙・陶芸の手作り体験ができる陶芸工房を備え、雨天時にも活動可能な体育館と定員数100人の宿泊施設をもつ。
    • なかとみ和紙の里: 西島和紙の手漉き体験、全国の和紙の展示、工芸美術館、地元特産品の飲食施設の4施設で構成されている。
    • ふるさと富士川まつり
    • 西島秋季例大祭
    • 八日市
  • 旧身延町地域

[編集] 出身有名人

[編集] 外部リンク

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