韮崎市

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にらさきし
韮崎市
TakedahatimanguuDVC00241.JPG
Flag of Nirasaki Yamanashi.JPG
韮崎市旗
山梨県韮崎市市章.svg
韮崎市章
1955年9月21日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
関東地方
都道府県 山梨県
団体コード 19207-4
面積 143.73km²
総人口 31,254
推計人口、2014年12月1日)
人口密度 217人/km²
隣接自治体 南アルプス市北杜市甲斐市
市の木 こぶし
市の花 レンゲつつじ
市の鳥 ちょうげんぼう
韮崎市役所
所在地 407-8501
山梨県韮崎市水神一丁目3番1号
北緯35度42分31.9秒東経138度26分46.1秒
Nirasaki City hall.JPG
外部リンク 韮崎市

韮崎市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

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韮崎市(にらさきし)は、山梨県の北部に位置する

地理[編集]

七里岩台地先端部付近の空中写真(1976年撮影)
韮崎の地名の由来となった、ニラの葉に似た形状であることが分かる。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

県北西部に位置し、甲府盆地北西端に属する。やや横長の市域で、東西は南アルプス国立公園県立南アルプス巨摩自然公園に属する山地や丘陵地となっている。西部は赤石山系に属する巨摩山地で最西部の鳳凰三山などがあり、東部は茅ケ岳丘陵に属する。

市域中央には釜無川、塩川の両河川が南流し、かつての氾濫原であった平坦地に沿って市街地となっている。

市名は近世の韮崎宿に由来し、「韮崎」の地名は、長く伸びる七里岩ニラ(韮)の葉のように見え、その先端(崎)に宿場町が位置しているから、あるいはニラの群生地であったことに由来するなどの説がある。

市西部の「清哲町」(せいてつまち、北巨摩郡清哲村)は、特殊な合成地名の例として、地理・地名関連の書籍で取り上げられることがある(「上」(さんずい)と「木」で「清」、「居」と「樋」で「哲」と、合併した各村の漢字の一部分を合成して作られた)。

県外などでは「宮崎」などと同じように二文字目にアクセントを付けた「にさき」と発音されることが多い(中央本線の特急あずさの車内放送・中央高速バスの車内放送など)が、県内では「高崎」などと同様の平坦な「にらさき」と発音される(「韮崎市」と発音するときの「にらさき」と同じである)。

主な山・河川[編集]

隣接している自治体[編集]

歴史[編集]

先史・古代[編集]

古代の律令制下には巨麻郡余戸郷に属し、官牧である穂坂牧が存在していた。平安時代後期には宝荘厳院領甘利荘が成立した。平安後期には常陸国から配流された源義清清光の子孫が旧北巨摩郡地域に勢力を伸ばし、武田信義は市域に居館を構え武田氏を起し、氏神武田八幡宮や氏寺の願成寺を建立。武田氏をはじめ甲斐源氏の一族は治承4年(1180年)に源頼朝の挙兵に応じて各地で活躍するが頼朝による粛清を受け、信義の子一条忠頼も謀殺される。武田氏の勢力は減退し甲斐守護職二階堂氏へ移るものの、甲斐源氏の盟主として甲斐国内へ勢力を広げた。

中世[編集]

戦国時代には、台頭した国人駿河国今川氏相模国後北条氏等が荷担し、市域も武田氏との抗争の舞台となり、享禄4年(1531年)には武田信虎大井氏今井氏らの国人勢力に信濃国諏訪領主の諏訪氏が荷担した河原辺合戦が起こり、国人連合軍を撃破した武田氏により国内統一が進む。武田晴信(信玄)時代には市域の甘利庄を本拠地とした甘利氏や、駒井郷の駒井氏らが家臣団として活躍する。

近世[編集]

近世には38か村が成立し、釜無川以西の20か村が巨摩郡武川筋に、釜無以東・塩川以西の10か村と塩川以東の2か村を加えた12か村が同郡逸見筋、東部の6か村が同郡北山筋に属する。全村が幕府直轄領、近世初頭には徳川義直領、徳川忠長領、旗本領も存在した。甲府藩領を経て、享保9年(1724年)に甲斐一国が幕府直轄領化されると、再び幕領となる。享保9年以降在方は三分代官支配となるが、市域の村々は甲府代官支配に属し、一部は川田、上飯田、市川の各代官支配に属した時期があったと考えられている。また、御三卿田安家領も存在し、河原部村には陣屋も存在した。

龍岡将棋頭

市域東西の山麓・台地は乏水地帯で生業は畑作が中心であったが、近世には東部の茅が岳山麓で穂坂堰楯無堰の開鑿が、西部山麓では徳島堰の開鑿が実施され、新田開発も行われた。米麦栽培のほか、木綿煙草の栽培も行われる。

甲斐、信濃、駿河を結ぶ交通の要衝であり、河原部村には甲州街道(甲州道中)や駿州往還、塩川沿いの佐久往還などの宿場町である韮崎宿が整備されたほか、河岸も設置され甲斐北西部や信濃からの廻米輸送も行われた。

近現代[編集]

韮崎宿は明治以降にも県北西部から信濃地域における交通・流通の拠点としての地位を保ち、明治6年の地租改正以降には米穀や馬宿を中心とした繁栄を見せていた。明治36年に中央線が開通すると、通過地であった韮崎は交通の要衝としての地位が低下するが、路線バスの発達や北巨摩郡の郡役所や地方事務所が設置されるなど北巨摩郡行政の中心的役割を担い、戦後には御勅使川工業団地の造成も行われる。

また韮崎は全国高等学校サッカー選手権大会の常連で5回の準優勝を誇る山梨県立韮崎高等学校や選手権大会の出場経験がある山梨県立韮崎工業高等学校を擁するサッカーの街でもあり、市内にはサッカー場がいくつも存在する。同時に日本プロサッカーリーグヴァンフォーレ甲府の設立当初からの主要ホームタウンおよび大株主でもあり、市内にはチームのクラブハウスも存在する。

沿革[編集]

人口[編集]

Demography19207.svg
韮崎市と全国の年齢別人口分布(2005年) 韮崎市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 韮崎市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
韮崎市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 27,267人
1975年 27,334人
1980年 27,343人
1985年 28,175人
1990年 29,766人
1995年 32,097人
2000年 32,707人
2005年 33,801人
2010年 32,483人
総務省統計局 国勢調査より

行政[編集]

  • 市長
    • 小野修一(1998年11月28日~2006年11月27日)
    • 横内公明(2006年11月28日~)

姉妹都市・提携都市[編集]

海外[編集]

地域[編集]

教育[編集]

小学校[編集]

  • 穂坂小学校
  • 甘利小学校
  • 韮崎北西小学校
  • 韮崎北東小学校
  • 韮崎小学校

中学校[編集]

高等学校[編集]

交通[編集]

韮崎駅

鉄道[編集]

バス[編集]

高速バス[編集]

一般路線バス[編集]

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

出身有名人[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 村岡花子の「生家」、「教会」の隣に移築へ読売新聞、2014年09月07日