下部温泉
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| ♨下部温泉 | |
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下部温泉 神泉橋
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| 温泉情報 | |
| 所在地 | 山梨県南巨摩郡身延町下部 |
| 交通アクセス | 鉄道:身延線下部温泉駅を下車。湯町の温泉街は下部温泉駅より約2.5Km |
| 泉質 | 単純温泉 |
| 泉温 | 32 ℃ |
下部温泉の空中写真。(1978年撮影)
写真左上に見える身延線下部温泉駅より東南方向(右下)、小さな河川が蛇行する狭い谷間に温泉街が形成されている様子が分かる。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
写真左上に見える身延線下部温泉駅より東南方向(右下)、小さな河川が蛇行する狭い谷間に温泉街が形成されている様子が分かる。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
下部温泉(しもべおんせん)は山梨県南巨摩郡身延町下部にある温泉。
目次 |
[編集] アクセス
[編集] 泉質
- 単純泉
- 源泉温度32℃
[編集] 効能
- 疲労回復、外傷、火傷、リューマチ、神経痛
※注 : 効能はその効果を万人に保証するものではない
[編集] 温泉街
旧下部町南西部に位置。南東の毛無山西麓で、富士川の支流で毛無山から発する下部川(湯川)に沿って静かな温泉宿が並んでいる。源泉館の足下湧出泉が有名。
[編集] 歴史
『甲斐国志』に拠れば、承和3年(836年)に熊野権現が出現して温泉が湧いたといわれ、温泉を中心に下部村が形成される。鎌倉時代の日蓮書状(『日蓮聖人遺文』)や室町時代には塩山向嶽寺の開祖[抜隊得勝]が湯治をしたと伝わり(『抜隊語録』による)、甲府の一蓮寺過去帳にも名前が見られる。戦国時代に下部村は湯之奥金山や木材伐採など河内地方の産業を支える拠点にもなり、下部温泉は河内領主である武田一族の穴山氏が再興し(天正6年(1578年)7月20日佐野次郎右衛門尉宛穴山信君朱印状、風水被害を受けた温泉の復興を命じる内容)、徳川家康も入浴したという(『国志』)。
江戸時代に湯治場となり、身延山久遠寺参詣者も利用した。戦国時代には武田信玄の隠し湯であるとする付会伝説が加わり、近代には富士身延鉄道(身延線)の開通により浴客は急増した。昭和31年6月15日、国民保養温泉地に指定。
2004年に発生した温泉偽装問題では、9月2日に、一部の源泉が温泉法の規定外であるとニュースに取り上げられた。その後の詳細な検査の結果、10月4日に調査結果が報告され、温泉法の規定を外れていたと発表された。原因として、1969年に温泉法の規定を満たしていることを確認した後、低温の地下水の泉脈への流入量増加による泉温低下と推定された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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