久遠寺

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久遠寺

本堂、右奥は身延山山頂
所在地 山梨県南巨摩郡身延町身延3567
位置 北緯35度22分54.92秒
東経138度25分29.45秒
山号 身延山
宗派 日蓮宗総本山
本尊 十界曼荼羅
創建年 弘安4年(1281年
開基 日蓮
正式名 身延山妙法華院久遠寺
札所等 日蓮上人霊跡
甲斐百八霊場108番
文化財 絹本着色夏景山水図(国宝)
宋版礼記正義2冊、本朝文粋(巻一欠)13巻、絹本着色釈迦八相図(重要文化財)
  
祖師堂(撮影:2006年2月)
祖師堂(撮影:2006年2月)
三門(撮影:2006年2月)
三門(撮影:2006年2月)

久遠寺(くおんじ)は、山梨県南巨摩郡身延町にある、日蓮宗の総本山。山号は身延山

目次

[編集] 起源と歴史

文永11年(1274年)、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮は、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長(波木井実長)の元に身を寄せ、この地に庵室を築いて法華経の読誦と弟子信徒の育成を行った。日蓮が起居していた庵室は現在の久遠寺のやや西方の西谷と呼ばれる地にあった。

弘安4年(1281年)、十間四面の大坊が整備され、日蓮によって「身延山久遠寺」と名付けられた。

弘安5年(1282年)9月、日蓮は、湯治療養のため久遠寺を下山した。途中、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)に到着したが、日蓮の病状は重くなり、同年10月13日、同地でその生涯を閉じた。 日蓮の遺言に従い、遺骨は身延山に祀られることになった。

久遠寺が、日蓮の庵室があった西谷から現在地へ移されたのは文明7年(1475年)、11世法主日朝の時であった。

現法主は92世内野日總猊下(潮師法縁、本山谷中瑞輪寺より晋山)。

[編集] 伽藍

  • 総門
  • 三門 - 日本三大門の1つに数えられることもある。
  • 菩提梯 - 全287段の石段。
  • 本堂 - 昭和60年(1985年)落慶。本尊は一塔両尊四士の形式に従う。
  • 祖師堂
  • 仏殿納牌堂
  • 御真骨堂
  • 開基堂 - 日蓮を身延に招いた波木井実長を祀っている。
  • 水鳴楼
  • 祖廟
  • 奥之院思親閣 - 山頂にある。
  • 龍華樹院清水坊 - 開基龍華樹院日像。
  • 行学院覚林坊 - 行学院日朝隠居所。
  • 法寂院北之坊 - 開山波木井実長。
  • 大乗坊 - 開基九老僧日澄。
  • 端場坊 - 開基四条金吾。
  • 大善坊 - 開山大善院日辺。
  • 窪之坊 - 開山蓮華阿闍梨日持(六老僧)。
  • 妙石坊 - 開山学禅院日逢。
  • 六牙院智寂坊 - 開山智寂院日省。
  • 正行院武井坊 - 開山正行院日勢。
  • 樋沢坊(元法雲坊) - 開山佐渡阿闍梨日向(六老僧)。
  • 林蔵坊 - 開山常在院日興(六老僧)。
  • 宝聚院麓坊 - 開山宝聚院日伝。
  • 本地院本行坊 - 開基比企大学三郎能本。
  • 正法院竹之坊 - 開山大国阿闍梨日朗(六老僧)。
  • 恵善坊
  • 長松閣松井坊 - 開山波木井長氏。
  • 本國院山本坊 - 開山伊予阿闍梨日頂(六老僧)。
  • 鏡円坊 - 開山鏡円阿闍梨日台。
  • 久遠成院岸之坊 - 開山久遠成院日親。
  • 清けい寺(元樋之沢坊)
  • 大林坊 - 開山中老僧日源。
  • 要行院志摩坊 - 開山中老僧日伝。
  • 延寿坊 - 開山宝蔵院日叙。
  • 宝蔵院定林坊 - 開山宝蔵院日叙。
  • 蓮華院花之坊 - 開山蓮華院日応。
  • 山之坊
  • 蓮盛坊
  • 大光坊(三光堂)
  • 円台坊 - 開山中老僧日源。
  • 巡泉坊(鬼門除清正公堂) - 開山巡泉院日泉。
  • 不軽院南之坊 - 開山辨阿闍梨日昭(六老僧)。
  • 紅葉山積善坊
  • 了円坊 - 開山了円院日清。
  • 松樹庵
  • 感井坊
  • 奴多山十万部寺
  • 宗説坊(妙法大善神)
  • 明浄院
  • 神力坊(伽藍房様) - 開山円教院日意。
  • 長徳山妙福寺(七面山鍵取り妙福寺)
  • 肝心坊
  • 中適坊 - 開山蓮信法師。
  • 晴雲坊 - 開山善心院日修。
  • 神通坊
  • 安住坊(栃の木坊)

[編集] 文化財

[編集] 国宝

  • 絹本着色夏景山水図 昭和30年6月22日国宝指定

唐物を積極的に輸入した室町幕府の三代将軍足利義満の収集した東山御物のひとつである山水図京都金地院に所蔵されている秋景山水図、冬景山水図とともに国宝指定。東山御物は幕府の財政窮乏に伴い散逸したものが多いが、当品も経緯は不詳であるが、寛文13年(1673)に遠江国浜松藩主の太田資宗から寄進されている。現在は東京上野の東京国立博物館に寄託されている。

縦118.5㎝、横52.8㎝。制作年代は中国、12世紀の北宋末代、あるいは対角線構図であることから13世紀の南宋代とも考えられている。画面中央に雄大なの木が描かれ、下辺の左隅には山間の小道にを持つ高士が描かれている。高士の衣冠が風にたなびいていることから、夕立を描いているものとも考えられている。金地院本の二図と寸法や絹質が共通し、上下にはそれぞれ「仲明珍玩」「廬氏家蔵」の鑑蔵印があり、将軍義満の「天山」印が見られる。また、画風にも共通点が認められることから、失われた春景山水図とともに四季の風景を描く一連の山水画四幅のうちのひとつと考えられている。

作者を示す落款や印章がなく、『御物御画目録』には北宋皇帝徽宗の作とされているが、久遠寺本には伝記不詳の画家「胡直天」の作とする伝承がる。

[編集] 重要文化財

  • 絹本着色釈迦八相図 - 平成3年6月21日指定
鎌倉時代に盛んに制作された釈迦八相図のひとつ。根津美術館所蔵品と一連の仏伝図であると考えられており、久遠寺本は3幅が現存している。
  • 宋版礼記正義2冊 - 昭和15年5月3日指定
北宋の頃に成立した五経のひとつである「礼記」の注釈書である『礼記正義』の写本。上下二巻(上巻は原本の63~66巻、下巻は67~70巻を収録)。で、日本国内では国宝の足利文庫本(国宝)が知られているが、身延文庫本は昭和3年に徳富蘇峰(猪一郎)により「本朝文粋」などとともに発見された。刊記欄外部分には金沢文庫の黒印があり、金沢文庫旧蔵本であったと考えられている。
  • 本朝文粋(巻一欠)13巻 - 昭和31年6月28日指定
平安時代の漢詩文集である『本朝文粋』の写本で、全14巻のうち1巻が欠巻。巻子本の折本であったが、指定後に巻子本に戻された。
奥書によれば、身延本は鎌倉時代の健治年間に金沢文庫所蔵であった「文永写本」を基に書写されたという。これは北条時宗持本で清原教隆の加点がある「相州御本」の写本で、身延本は第三写本にあたる。発起者は鎌倉時代に甲斐国守護であったと考えられている二階堂氏と推定されている。全巻に墨訓や朱点があり、清原隆教の加点した相州御本の原型を伝える写本として注目されている。

[編集] 県指定文化財

  • 銅鐘 - 昭和34年2月9日指定
上帯上部が欠損している中世梵鐘。火災跡があり、銘文によれば旧巨摩郡大井庄最勝寺所蔵の梵鐘で、伝来した経緯には諸説ある。『甲斐国志』では武田征伐の際に織田氏により陣鐘として徴発されたとしており、ほかに水害による流出や最勝寺の経営事情から売却されたとする説や、庄司により寄進されたとする説などがある。佐藤八郎は諸説を検討し、陣鐘として徴発された後に河内領穴山氏により寄進されたとする見解を示している。
  • 銅鐘(朝鮮鐘) - 昭和35年11月7日指定
県内に残存する唯一の朝鮮鐘
  • 刺繍十六羅漢像 - 昭和58年3月10日指定
  • 紙本墨弘決外典鈔 - 昭和35年11月7日指定
  • 版本法華経 - 昭和48年7月12日指定
法華経」7巻27品の完本で、堤婆達多品を欠くものの明代翻訳本の舶載品。墨書折本。各巻は桐箱に収められ、奥書によれば戦国時代の天文19年(1550年)に武田晴信(信玄)により奉納されたもの。天文年間は信濃侵攻を本格化させている時期でさかんに諸宗寺社への納経が行われており、武田家と日蓮宗寺院の関係を示す資料にもなっている。

[編集] 主な行事

  • 2月 - 節分会
  • 3月中日 - 春季彼岸会
  • 4月6日~8日 - 釈尊御降誕会
  • 4月28日 - 立教開宗会
  • 5月3日~5日 - 千部会 
  • 6月15日~17日 - 身延山開闢会
  • 9月12日 - 龍口法難会
  • 10月11日~13日 - 御会式
  • 11月中旬の日曜日 - 七五三祝祷会
  • 12月31日 - 歳末読誦会

[編集] 交通アクセス

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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