巡礼

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巡礼(じゅんれい、: pilgrimage)とは、聖地を巡るという宗教的行為のことを指す。

概要[編集]

キリスト教イスラム教に見られる一つの聖地を訪れる直線型と、インド東洋で見られる複数の聖地を巡る回国型に分類する人がいる[誰?]

巡礼と同じような意味の言葉に巡拝(じゅんぱい)がある。「巡礼」は宗教色が強く、「巡拝」はどちらかと言えば観光や娯楽の意味合いが強いとされるが、明確な区別はない。

日本においては、かつて「巡禮(巡礼)」という言葉が、もっぱら神社寺院を訪ね巡り礼拝することを指していたこともあった。[1]

ヒンズー教の巡礼[編集]

ヒンズー教徒の巡礼。ガンジス河を訪れ、沐浴を行う。

聖地であるガンジス河へ行き、そこで沐浴をする。

仏教の巡礼[編集]

インド[編集]

釈迦の死後数百年後には、仏教の僧によって釈迦生誕の地とされるルンビニへの巡礼が行われるようになっていたことが知られている。

チベット[編集]

五体投地で巡礼を行うチベットの人々

チベットでは、聖地とされるカイラス山への巡礼が行われる。 12年に一度、「神々が集う」とされる聖なる年、巡礼年を迎える[2]。カイラス山の周囲の巡礼路を、チベット仏教徒は右回りに巡礼する。(ボン教徒は左回りに巡礼する。) 近年は歩いて巡礼する人が多いが、熱心な人は五体投地によって進む。1回の五体投地で身長分しか進まないので、一周するのに3万5千回ほど五体投地を行うことになる[2]

日本における仏教の巡礼[編集]

四国八十八箇所の巡礼(青龍寺

仏教末法思想の流行により、後白河法皇熊野詣でなど浄土信仰を背景とした極楽往生を願う巡礼が行われ、中世に入ると、戦乱や貧困の中で一般階級による巡礼も行なわれるようになった。近世に入ると平和な世の中を反映して、人々は現世利益を求めるようになり、旅行の要素も加わって大衆化した。伊勢神宮などの大寺社では御師(おんし)と呼ばれるツーリストが誕生し、宿坊と共にそれぞれの担当地域の巡礼者を案内していた。

養老2年(718年)、長谷寺徳道上人の病の床での閻魔大王が現れ、「世の苦しむ人々のために三十三箇所の観音霊場を作って巡礼を勧めよ」と言い、起請文と三十三の宝印を授けた。夢から覚めた上人は宝印に従い三十三箇所の霊場を設けるが、世の信仰を得ることが出来ず発展しなかったため、宝印を摂津中山寺で石棺に収めたと伝えられる。

熊野への巡礼がさかんになったのは平安末期のこと。平安末期の浄土信仰における「極楽浄土の地」としてとらえた。なぜかというと、『日本書紀』の一書に「イザナミノミコトが紀伊国の熊野に葬られた」とされていること、熊野の語源説の一つに「クマ=こもる」で「死者が籠る地」があることで、熊野を「死者の国」とみる考え方がもともとあったためである。奈良時代より修験道の修行地となっていた熊野三山本宮阿弥陀如来西方極楽浄土新宮薬師如来の東方浄瑠璃浄土そして那智大社を「千手観音の南方補陀落浄土」として「現世の浄土の地」と考えることでその信仰が深まったと考えられる。

寛和2年(986年)19歳で出家した花山法皇比叡山で修業の後、三十三箇所観音霊場巡礼を発願し、書写山円教寺性空上人と共に中山寺で石棺の宝印を捜し出して永延2年(988年)に紀州熊野から宝印の三十三箇所霊場を巡礼し再興を祈願した。これが現在の西国三十三所の起源といわれている。

  • 源頼朝が深い観音信仰を持っていたことから西国に倣って坂東三十三箇所霊場を発願、実朝の代になって成立したものと考えられている。福島県の八槻都々古別神社観音像の墨書銘に、「僧成弁が三十三箇所巡礼中に八溝山観音堂での三百日参篭中別当の求めによって天福2年(1234年)に観音像を作った」とある。このことからこれ以前に坂東三十三箇所が成立していたとみられる。

台湾や韓国の仏教の巡礼[編集]

20世紀末から21世紀初頭にかけて、日本の巡礼を手本として、台湾台湾三十三観音霊場(1997年)、韓国韓の国三十三観音聖地(2008年)といった霊場が指定されている。

キリスト教の巡礼[編集]

キリスト教は、当初から殉教者を出したが、その墓所に詣でて敬意を表する信者がいた。これをmartyrium マルティリウムといい、礼拝の場である教会と並び、キリスト教コミュニティの重要な中心となった。

4世紀にキリスト教が公認されると、キリスト教発祥の地であるパレスチナ、ことにキリストの生地であるベツレヘム受難の地であるエルサレムへ、その遺構に参拝する信者が旅行するようになった。また各地の殉教者記念堂も巡礼の対象となった。

巡礼者を描いた1500年ころの絵画。(ヒエロニムス・ボッシュ画)
巡礼者のシンボルとして用いられているホタテの貝殻。リュックなどにぶら下げる。

キリスト教における巡礼は聖地への礼拝だけでなく、巡礼旅の過程も重要視されている。すなわち聖地への旅の過程において、人々は神との繋がりを再認識し信仰を強化するのである。(サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の物語を、「時間と空間を越える神の存在への問いかけの物語」にしたフランス映画に『銀河』がある)

地中海沿岸からヨーロッパ各地に諸聖人の遺骨(聖遺物または不朽体)または十字架ノアの箱舟の跡などの遺物を祭ったとされる教会、聖堂などが多数あり、そのような地への巡礼が行われた。巡礼は多くの旅行者を集めた(『カンタベリー物語』など)。もっとも有名なものには、エレナが発見したとされる十字架の遺物、アルメニア王アブガルス3世enに贈られ、エデッサ(en:Edessa)からコンスタンティノポリスにもたらされたマンドリオン(手で描かれたのではない聖像)、コンスタンティノポリスの聖母マリアの衣、洗礼者ヨハネの首などがある。これらの宝物は中世後期に失われた。また、巡礼者を惹きつけるために他の教会から聖遺物を盗んできたり、偽造するということもあったとされる。また西方では、中世中期からミラノのキリストの聖骸布聖杯聖杯伝説騎士道物語を生み出す元になった)などの伝承が生まれた。

古代後期から、殉教者の遺骨によって奇跡がおき、参拝した巡礼者に病気が治癒したり歩けなかった足が動くようになったなどの事例が報告されるようになった。こうした奇跡が起こったということから巡礼者が集まるようになったというものも多い。ピレネー山中のルルドや、カトリックの三大巡礼地の1つサンティアゴ・デ・コンポステーラなど。例えば、ライ麦につく麦角菌に起因する麦角病(四肢が壊疽したり、精神錯乱を招く)は「巡礼に赴くことで癒える」とされた。[3]

カトリックの三大巡礼地は、ローマ(=ペトロの地)、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、そしてエルサレムともされる。

こうした巡礼の旅で病に倒れた人、宿を求める人を宿泊させた巡礼教会、その小さなものを「hospice ホスピス」と呼んだが、そこでのもてなしから「hospitality ホスピタリティ(歓待)」の語がうまれ、病人の看護などの仕事をする部門が教会の中に作られるようになって今日の英語でいう「hospital(病院)」が派生した。ゆえに「hospital」は、「病院」だけではなく、「老人ホーム」「孤児院」の意味も持つ。またhospiceは、現代では終末期の患者が残りの時を過ごす近代的な「ホスピス」の語源となっている。

イスラム教の巡礼[編集]

カアバ神殿にやってきた巡礼者たち。

メッカ(マッカ)にあるカアバ神殿へ歩いて向かうこと。アラビア語で「ハッジ」。イスラム教の五行のひとつ。行程に若干異なる点があるが、巡礼にはイスラム教各宗派の信徒が共に参加する。

ヒジュラ暦で12番目の月を「ハッジの月(巡礼月)」と呼び、この月にメッカのカアバへ巡礼することは、特に奨励されている。これを大巡礼と言う。対して、これ以外の月に巡礼することは小巡礼(ウムラ)と言う。

巡礼は、体力的、経済的に可能な者に、一生に一度は行なうよう義務付けられている行為であるが、巡礼を果たしたムスリム(イスラム教徒)は、「ハーッジー」と呼ばれ、特に尊敬される。

現在ハッジの希望者数は受け入れ可能人数を超えており、ハッジに参加するにはメッカを管理するサウジアラビア政府の発給する特別ビザが必要。ビザ発給枠はムスリム人口を考慮し各国に割り当てられる。サウジアラビア政府は巡礼地での礼拝時の宗教的興奮において起こると危惧される政治的混乱を恐れている。

富士講[編集]

江戸時代にさかんになった富士講では、富士山への巡礼(富士登山)を行い、また富士五湖や白糸の滝などを巡った。富士山までなかなか行くことができない人々は、住まいの近くに富士塚をつくりそこを登った。

主な霊場や巡礼地[編集]

日本

脚注[編集]

  1. ^ 日本語において、この言葉が各宗教の聖地を訪ねること全般を指すようになったのは、明治以降のことである。日本語では「着物」は着るもの全般を指す用語であったが、ものとしては「和服」しかなかったので、「着物」が結果として「和服」を指していたのと、同じ理屈。あくまで結果としてそうなっていたということであって、「巡禮」という言葉自体には、「神社や寺院でなければならない」という意味はまったく込められていない。
  2. ^ a b NHK BS「チベット カイラス巡礼」2015年1月4日放送。
  3. ^ 巡礼中の断食により、汚染したライ麦を食べなくなったためであったという。このように「奇跡」とされるものには、科学的に説明がつく例もある。

参考資料[編集]

関連書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]