カルナータカ州

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カルナータカ州
Karnataka
ಕರ್ನಾಟಕ
インド国内の位置
(インド国内の位置)
基礎情報
Flag of India.svg インド
行政区 カルナータカ州
州都 バンガロール
面積 192,000 km²
人口 2001年
 - 合計 55,868,200 人
 - 人口密度 290.98 人/km²
時間帯 インド標準時(IST)UTC+5:30
公用語 カンナダ語
創立 1956年11月1日
知事 T. N. チャットールヴェディ(T. N. Chaturvedi)
首相 H. D. クマラスワミー(H. D. Kumaraswamy)
立法機関(議席数) 二院制(224+75)
略称ISO IN-KA
州公式ウェブサイト http://www.karnataka.gov.in

カルナータカ州カンナダ語: ಕರ್ನಾಟಕ英語:Karnataka)は、インドの南西部にあるの一つ。面積は191,791平方キロで、全インドの5.83%を占める。州都バンガロールは、インドにおける急成長を見せる経済と技術進歩の最前線である。

名称[編集]

カルナータカの語源としては、カンナダ語のカル(karu)とナードゥ(nādu)で「高地」を指すという説、カル・ナドゥ(黒い地域)が黒い綿土を指すという説、かつてイギリスがクリシュナ川以南のインド亜大陸の両側を指す語として「カーナティック(CarnaticまたはKarnatak)」を使用したとの説など、いくつかの説がある。

地理[編集]

カルナータカ州は西をアラビア海に面し、北西をゴア州と接し、北をマハーラーシュトラ州と接し、南東をタミル・ナードゥ州と接し、東をアーンドラ・プラデーシュ州と接し、南西をケーララ州と接している。

主要河川はカーヴィリ川で、ダムでの水力発電による電力が州内に供給されている。水利権を巡って、農業に利用しているタミル・ナードゥ州と対立している。

歴史[編集]

ベールール英語版チェナケシェヴァ寺院英語版聖堂入り口のホイサラ朝様式のレリーフ

カルナータカの歴史は、この地域で手斧(ハンド・アックス)などが発見され旧石器時代にまでさかのぼる。旧石器時代までさかのぼると、カルナータカは古代インドの有力な帝国の地でもあった。これらの帝国によって支持された哲学者や音楽的詩人などが、社会宗教的で文学的な文化活動を生み、現在まで伝えられている。新石器時代巨石文化の遺跡[1]もこの州で見つかっている。

また、ハラッパー遺跡で発見されたもカルナータカより持ち込まれたものであり、一般に、紀元前3000年には古代カルナータカはインダス文明との接触があったという仮説が成り立っている。

紀元前3世紀以前のアショーカ王マウリヤ朝成立前は、カルナータカはナンダ朝の一部であった。その後、サータヴァーハナ朝支配の400年が続き、カルナータカの大部分が支配下に置かれた。

サータヴァーハナ朝が没落し、カダンバ朝英語版西ガンガ朝英語版という初期の地元の独立王朝が成立した。345年マユーラシャルマ英語版王が即位してカダンバ朝が成立し、バナヴァシ英語版に都を置いた。これらは政事でカンナダ語を使用する初めての王朝であり、バナヴァシで発見された5世紀の銅貨に刻まれたハルミディ刻印で証明された。[2][3]

その後、さらに前期チャールキヤ朝ラーシュトラクータ朝後期チャールキヤ朝のようなカンナダ語の王朝が現在のカルナータカの地で歓迎され、デカン高原の大部分の支配を続け、カルナータカに首都をおいた。後期チャールキヤ朝は独特の西チャールキヤ様式建築や、カンナダ文学を生み、12世紀のホイサラ芸術の礎となった。

11世紀になり、ホイサラ朝がこの地域の実権を握り、ホイサラ文学が栄える。カンナダ拍子やホイサラ様式建築が栄えた。ホイサラ朝の拡大は、現在のアーンドラ・プラデーシュ州タミル・ナードゥ州まで及んだ。

14世紀初頭には、ハリハラブッカの兄弟がカルナータカ州南部、トゥンガバドラー川南岸のヴィジャヤナガルを首都に、ヴィジャヤナガル王国をに建国した。この王朝は進出するイスラーム王朝バフマニー朝に対する砦として、この地域を3世紀にわたり支配した。

1565年、カルナータカと他の南インド地域は、ターリコータの戦いでヴィジャヤナガル王国が没落しムスリム5王国英語版が興隆することで、大きな社会地理的な変化が起こった。[4]ビーダルバフマニー朝の後興ったビジャープル王国がカルナータカ地方を支配した。

17世紀末、その後ビジャープル朝はムガル帝国によって滅ぼされた。[5][6]バフマニー朝とビージャプル王国はともに、ウルドゥー語ペルシャ語文学や、インド・サラセン洋式建築を推奨し、その中でもゴール・グンバス廟はその様式の極みとなっている。[7]

ティプー・スルターンマイソール戦争イギリスの侵略に抵抗し、植民地にとなる前のインドで最も聡明で強い支配者の一人である。

この時代の後、北部カルナータカはイギリスといち早く友好関係を結び、その隷下となったハイダラーバードニザーム王国の支配下となる。南部では、ヴィジャヤナガル王国の元属国であったマイソール王国が独立しつつあった[8]

マイソール王国の将軍であったハイダル・アリーは、君主クリシュナ・ラージャ2世から実権を奪い、王国を支配下に置いた。ハイダル・アリーの死後、マイソール王国は彼の息子ティプー・スルターンに引き継がれた。[9]

ハイダル・アリーとティプー・スルターンは南インドのヨーロッパ勢力拡大を止めるため、またイギリスのインド植民地化政策に反対し、彼ら二人はマイソール戦争として徹底的に戦った。結果としてティプー・スルタンも白兵戦で戦死し敗れ、この地域は1799年にイギリスの植民地と化した。[10]マイソール王国は藩王国となり、イギリス領インド帝国のもと、藩王国としてオデヤ朝の管理下に戻され、存続を許された。

その後、当時のインド総督であったジェームズ・ラムゼイ伯爵による「失権の原理」がインド国中で藩王国の異議と反抗を呼び、1857年インド大反乱の約30年前の1830年に、カルナータカでも反旗を上がった。また、スパバガルコートショーラープルナルグンドダンデリなどでも同様の蜂起が起こった。1857年インド大反乱とあわせて、いくつかの蜂起が起こった。19世紀末までには、インド解放運動には勢いがつき、20世紀に突入していくこととなった。

インド独立後、マイソール藩王家はインドへの編入に同意し、1950年にはマイソール藩王国は同名のとなった。元藩王は1956年までラージ・プラムクの称号で州知事を勤めた。

1956年11月1日国家再編法によってこの地域の州が統合され、マイソール州が成立し、現在の州域が確定した。

その後、悲願であったカルナータカ再統合運動を受け、1956年国家再編法により、マドラスハイダラーバードボンベイコダグ語カンナダ語を話す地域をマイソール州に編入し、17年後の1973年に州名をカルナータカ州と改称した。

地方行政区分[編集]

カルナータカ州の行政区分

カルナータカ州は、30県(ジッラガル ಜಿಲ್ಲೆಗಳು)に分けられている。

経済[編集]

カルナータカ州の州内純生産は226億ドルで、インド内5位である。また、1992-2002年の外資の直接投資額は、インド内4位を記録している。

人口の80%が農業を営む。州の収入の49%が農業収入である。ウッタラ・カンナダ県英語版ダクシナ・カンナダ県英語版を含む海岸平原地方は、サトウキビを栽培する。またコダグ県英語版を中心とした西ガーツ山脈の山麓では、珈琲紅茶が栽培されている。特にカルナータカ州の珈琲の生産量は全インドの生産量の70%を占め、生産されたうちの50%は輸出される。州北西部の黒土地帯は農業に適しており、綿花玉葱・穀類・向日葵落花生が栽培されている。

マーレーナードゥ地方英語版の森林からは、木材・材・白檀が産出される。特に白檀の生産は世界有数であり、インド内ではこの地域のみから輸出され、世界で精製される白檀油の原料のほとんどはカルナータカ州産である。

インドで産出されるは、すべてカルナータカ州のコーラール県英語版からのものである。またカルナータカ州はその他の鉱産資源にも富んでおり、バドラヴァティー英語版などで作られる鉄鋼の原料の大部分が産出されている。

カルナータカ州には、合わせて18の発電所がある。このうち、シヴァナサムドラ英語版水力発電所は、1902年に建設されたアジア初の水力発電所である。しかし、これらの発電所のみでは州内の電力需要を満たすことができず、州外から電力を買い付けている。

州都のバンガロールは、航空宇宙産業、情報技術産業、ビジネス・プロセス・アウトソーシング業が盛んである。特に情報技術産業については「インドのシリコンバレー」の異名を持ち、カルナータカ州電子技術振興公社により多くの情報技術産業団地が設置されている。また、インド科学研究所 (IISc) ・インド経営研究所 (IIM) などの高等教育機関も置かれている。

この他、マイソールマンガロールフブリ・ダールワールフブリ英語版及びダールワール英語版)にも、情報技術産業振興のため産業団地が建設されている。

住民[編集]

言語[編集]

カンナダ語公用語で、最も話されている言語である。

文化[編集]

カルナータカではカルナタカ音楽ヒンドゥースターニー音楽の両方のインド古典音楽の豊かな伝統も生まれた。カンナダ語文学の作家はインドの文学賞を最も多く受賞している。

脚注[編集]

  1. ^ ブラフマギリなどが好例として挙げられる。
  2. ^ From the Halmidi inscription (Ramesh 1984, pp. 10–11)
  3. ^ Kamath (2001), p10
  4. ^ Kamath (2001), pp. 190-191
  5. ^ Kamath (2001), p201
  6. ^ Kamath (2001), p202
  7. ^ Kamath (2001), p207
  8. ^ Kamath (2001), p171
  9. ^ Kamath (2001), p171, p173, p174, p204
  10. ^ Kamath (2001), pp. 231–234

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式[編集]