洗礼者ヨハネ

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洗礼者ヨハネ
洗礼者ヨハネ

洗礼者ヨハネ(せんれいしゃヨハネ,英John the Baptist,独Johannes der Täufer,仏Jean le Baptiste,伊Giovanni Battista,西Juan el Bautista,蘭Johannes de Doper,羅Ioannes Baptista)は、『新約聖書』に登場する古代ユダヤの宗教家、預言者。個人の改心を訴え、ヨルダン川イエスらに洗礼を授けた。『新約聖書』の「ルカによる福音書」によれば、父は祭司ザカリア、母はエリザベトバプテスマのヨハネ洗者ヨハネとも。正教会ではキリストの道を備えるものという意味の前駆(Forerunner)の称をもってしばしば呼ぶ。日本ハリストス正教会での呼称は前駆授洗イオアン(せんくじゅせんイオアン)。

イエスの弟子である使徒ヨハネとは別人である。

目次

[編集] 生涯

ルカによる福音書』ではヨハネの母エリザベトとイエスの母マリアは親戚だったという(ルカ1:36)。ヨハネは天使によってその誕生を予言されている。

マタイによる福音書』3章によればヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物」とする人物であった。改心を呼びかけながら、ヨルダン川で洗礼を授け、多くの支持者を集めた。イエスもヨハネから洗礼を受けている。

ヨハネによる福音書』1:35では、他の福音書でもイエスの最初の弟子とされるシモン・ペトロアンデレが、以前はヨハネの弟子であったとしている。

ヨハネの首を持つサロメ, カラヴァッジオ
ヨハネの首を持つサロメ, カラヴァッジオ

ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため、捕らえられ、首をはねられて処刑された(マタイ福音書14:1-13) [1]。ヘロデ・アンティパスの家令(執事)の妻が首を埋葬した。キリスト教伝承では首はのちに再び発見され、コンスタンティノポリスにもたらされたとされる。

ヨハネの死の顛末は後にオスカー・ワイルドの「サロメ」でも有名となる。(ちなみに聖書には「サロメ」という女性の名前は書かれていない。)

なお、洗礼者ヨハネの弟子たちのグループがその後も地中海世界で宣教活動をおこなっていたことが『使徒行伝』19:3から伺われる。

キリスト教において、伝統的にヨハネはイエスの先駆者として位置づけられている。このため正教会では前駆授洗者(ぜんくじゅせんしゃ・Forerunner)の称号をもって呼ぶ。キリストの先駆者として特別の尊崇を受け、カトリック、正教会、聖公会などで聖人とされている。伝統的に、誕生、斬首、首の発見のそれぞれが祭日とされる。洗礼名としても好まれ、他のヨハネと区別するため、ジャン=バティスト(フランス語)ととくに呼ぶこともある。また「洗礼者」のみを名前として用いることもある(イタリア語、バッティスタなど)。

[編集] キリスト教における崇敬

[編集] キリスト教内のヨハネ理解

福音書筆者はイエスの言葉として、洗礼者ヨハネは預言者のうち最大のものであるが、天国の最も小さいものでも彼よりは大きいとしている。キリスト教におけるヨハネの位置は、旧約時代の最大の預言者であり、イエスの到来を告げる役割をもっていたとする。そのような解釈の根拠となったのはイザヤ書マラキ書にある「主の道を備える者」についての預言である(イザ40:3、マラ3:1)。この理解は比較的早くキリスト教内に成立したとみられ、共観福音書すべてが旧約のこの箇所に言及している。またマラキ書には、この預言者をエリヤと呼んでおり(マラ4:5)、福音書ではヨハネをエリヤの再来と捉える見方が提出されている。エリヤはユダヤ教において、モーゼに匹敵する預言者と看做されており、またその不死が信仰されていたのである。また、キリストの洗礼をもって三位一体の顕現とみなす立場からも、ヨハネはキリストの本性を示す役割を担ったとされた。

このような「イエスに導くもの」としての理解から、後に、ディーシス(執り成し)において、マリアと洗礼者ヨハネを並置して描く図像表現が生まれている。また時代が下がった伝承では、新約外典のルカ福音書外典等に、荒野の幼子洗礼者ヨハネがエジプト逃避行にある聖家族と出合ったとする伝承も生まれた。これはルネサンス以降特に西方で好んで描かれる題材となった。

[編集] 美術作品

正教会における主の洗礼祭のイコン。キリストに洗礼を施す洗礼者ヨハネ(左)が描かれている。
正教会における主の洗礼祭イコン。キリストに洗礼を施す洗礼者ヨハネ(左)が描かれている。
ヨハネの首。ルーカス・クラーナハ(父)、1531年。
ヨハネの首。ルーカス・クラーナハ(父)、1531年。
「美しき女庭師」ラファエロ、1507年。
「美しき女庭師」ラファエロ、1507年。

キリスト教美術において、ヨハネは好んで題材となる聖人のひとりである。ヨハネの描き方には、いくつかの伝統的な主題がある。

  • キリストの洗礼 ヨルダン川でイエスに洗礼を施すヨハネを描く。これは浸礼であったと推測されるが、滴礼が主流となった西方教会では、しばしば川に立つイエスにヨハネが滴礼を施す場面が描かれる。
  • 荒野のヨハネ 成人したヨハネは荒野で生活し、悔い改めを呼びかけた。これは荒野での修道生活の模範のひとつとされたため、好んで描かれる。切り落とされた首を添えて描かれることもある。
  • ディーシス(とりなし):聖母マリアとともに描かれる。キリストの両側に配されることが多い。古いモティーフであり、東西教会の両方にみられるが、特に東方教会のイコノスタシスにしばしば配置される。
  • 神の子羊(アニュス・デイ):キリストを指し示すヨハネ。ヨハネ福音書1章の記事に基づく。「見よ、神の子羊」と書いた文字が添えられることが多い。西方教会に多い作例である。
  • 処刑されたヨハネ:処刑されたヨハネの首が皿に載せられている図。東西両方にみられるが、この場面のみを単独で描くのは、西方教会に多い作例である。
  • 聖母子と少年ヨハネ:ルネサンス以降、西方教会で描かれるようになった主題。「神の子羊」と組み合わされることも多い。

ヨハネとともに描かれることの多い象徴(アトリビュート)には以下のものがある。

  • 「らくだの毛の皮衣」(ヨハネの衣装として)
  • 「悔い改め」を象徴する「斧を添えた切り株」
  • 「見よ、神の子羊」(Ecce, Agnus Dei)の文字、多く十字架に結んだリボンの上に描かれる 

[編集] 祭日

洗礼者ヨハネに関しては以下のような祭日が伝統的に設定されている。ただし今日では聖人崇敬を行う教会においても、必ずしもすべてが祝われているわけではない。

またこれに加え、正教会では神現祭の翌日1月7日1月20日)をヨハネのシュナクシス(会衆祭)としている(冬の前駆受洗イオアン祭とも)。

なお6月24日はカトリックなどにおける彼の聖名祝日となっている

[編集] キリスト教以外でのヨハネ観

フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』には洗礼者ヨハネへの言及があるが、これをキリスト教徒による加筆と疑う説もある。[要出典]

イスラム教はヨハネをイエス同様、預言者として認めている。イスラム教における名はヤヒヤー。イエスとモーセを預言者として認めないマンダ教においては、ヨハネは最後のもっとも偉大な預言者とされる。

[編集] 脚注

  1. ^ 彼の死についてはサロメ (ヘロディアの娘)#伝承に引用を含む詳細な記述があるので、参照されたい

[編集] 関連事項

[編集] 外部リンク

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