ヤハウェ
ヤハウェ (YHVH, YHWH, JHVH, JHWH, IHVH, יהוה, Yahweh) とは、旧約聖書における唯一神の名である。
本項では、この神を表す他の語についても述べる。
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呼称[編集]
そもそも旧約聖書すなわちヘブライ語聖書の原文には、ヘブライ語で記されたヤハウェの名 יהוה が6859回登場するとされている。
これは4文字のヘブライ文字からなることから、ギリシャ語ではテトラグラマトン Τετραγράμματον en:Tetragrammaton(神聖四字、原義は「四字」)とも呼ばれる。
アラム文字でヘブライ語を記述するようになってからも、この4文字はフェニキア文字で書かれていたとされる[1]。
しかしながら、#発音や#消失の経緯で後述するように、4文字の名の正しい発音(読み)は消失し、代替表現やさまざまな読みが登場するに至った(もっとも、そのすべての呼称が、読みの消失にともなって考案されたわけではない)。
普通名詞[編集]
ヤハウェを指して次のような普通名詞もしくはそれに類するものが用いられる場合がある。
- 主(アドナイ)
- 神、上帝(エルもしくはエロヒム)
- 全能の神(エル・シャダイ)
主[編集]
日本語訳聖書では今日、一般に、原文においてヤハウェ יהוה とある箇所を「主」と訳す。
これはおもに、#消失の経緯で後述するユダヤ人の慣習による。今日のユダヤ人はヤハウェと読まずに、「わが主」(アドナイ)という別の語を発音するのである。アドナイ(אדני)には、「主 (Lord)[2]」の意味と、「私の御主人様 (my master)[3]」の意味がある。
カトリック系の『バルバロ訳』のほか、『口語訳聖書』(日本聖書協会)などがこれである。また、口語訳聖書を後継する『新共同訳聖書』(同)も、一部の地名(『創世記』第22章14節、#固有名詞で後述)を除き、一貫して「主」とする。
プロテスタント福音派系の『新改訳聖書』では太字で「主」とする。これは「文語訳ではエホバ[4]と訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を」「訳し」た「主」と、これを「代名詞などで受けた場合かまたは通常の<主>を意味することば」とを区別するためである[5]。
日本聖公会は、1893年の時点で、エホバではなく主の語を用いるべきだとしている[6]。
神[編集]
旧約聖書では、「神」という一般名詞であるエル(古典的なヘブライ語発音でエール)やその複数形エロヒム、またはエローヒーム、エロヒーム(אלהים)などもヤハウェの呼称として用いられる。
一般に、日本語訳聖書ではこれらの音訳は使用せず、これに相当する箇所は漢訳聖書での訳語を踏襲し神とするものが多い。
「全能・満たすもの」を意味するとされるシャダイの語を付してエル・シャダイ (El Shaddai) とした箇所は、全能の神などと訳される。
上帝[編集]
[7]「神」の字が、ヘブライ語: "אלהים"または"אלוהים"、"古典ギリシア語: "Θεός"、英語: "God"の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していた清におけるキリスト教宣教の先駆者である、ロバート・モリソン(英語版記事:Robert Morrison)による漢文聖書においてであった。
しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の1840年代から1850年代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。
大きく分けて「上帝」を推す派と「神」を推す派とが存在したが、和訳聖書の最も重要な資料と推定される、モリソン訳の流れを汲むブリッジマン・カルバートソンによる漢文訳聖書は、「神」を採用していた。
ほとんどの日本語訳聖書はこの流れを汲み[8]、「神」が適訳であるかどうかをほぼ問題とせずに[9]、今日に至るまで「神」を翻訳語として採用するものが圧倒的多数となっている。
固有名詞[編集]
#発音のセクションで後述するが、「ヤハウェ」は今日学術的に推定される名の読み、「ヤハヴェ」「ヤーウェ」もおおむね同様である。伝統的な形として「エホバ」(ヱホバ)もある。「エホウァ」は日本語の文献ではあまり見られない。
この神を誉め讃える際に発するヘブライ語「ハレルヤ」(Hallelujah) の末尾の「ヤ」(ヤハ、Jah)はその名の短縮形である。ジャマイカに発生したラスタファリ運動においても「ジャー」(Jah) という形で見ることができる。
「ヤハウェ」系の表記を採用する日本語訳聖書は少数派であるが、カトリックの『フランシスコ会訳聖書』ではヤーウェである。また無教会派の関根正雄による旧約聖書ではヤハヴェ、『中公バックス 世界の名著 13 聖書』(ISBN 978-4-12-400623-0) の中沢洽樹による旧約聖書ではヤハウェの「ハ」を小書きにしたものが用いられている。
#主で前述の通り『新共同訳』ではほぼ一貫して「主」であるが、『創世記』第22章14節でのみ「ヤーウェ」とする。これはいわゆるイサクの燔祭の行われた「ヤーウェ・イルエ」の地名を説明するために発音を示したものである。また、巻末収録の用語解説でヤハウェの読みも紹介している。
「エホバ」系の表記を採用するものもある。1887年日本聖書協会発行の『文語訳聖書』(明治元訳聖書)ではヱホバとなっている[10]。
また、エホバの証人の翻訳による『新世界訳聖書』では、ヘブライ語聖書のみならず、続くギリシャ語聖書でもエホバが用いられる[11][12]。
このほか、静岡県富士宮市麓に日本ヱホバ教団という文部科学大臣所轄包括宗教法人が所在することが指摘されている[13]。
「エホバ」もしくは「ヱホバ」の読み(表記)は、日本の文学においても古くから好まれてきた。例として、カトリック俳人・阿波野青畝の銀河を季題とする俳句を、その弟子であられるプロテスタント俳人・やまだみのる氏によるウェブサイトの秀句鑑賞のページより鑑賞されたい。
発音[編集]
もともとヘブライ語は母音の表記法を持たなかった。語句や文章は子音文字のみで記述され、母音の復元はもっぱら読み手の語彙力によった。現代アラビア語などと同様である。
やがて聖書ヘブライ語が日常言語としては死語になり、ヤハウェにあたる語を何と読むか、正確は発音は消失した。#消失の経緯で後述するように、その発音は人々の口に上らなくなっていたのである。
しかし後に、ニクダーもしくはニクードと呼ばれるいろいろな点々を打つことにより、母音の表記が可能となった。
また、すでにユダヤ人は、詠唱の際にヤハウェの名の登場する箇所をアドナイ(我が主)[14]と読み替えるようになっていた。
その際、ヤハウェ(の子音字) YHWH יהוה に、アドナイ אֲדֹנָי と同じニクードすなわち -ă -ō -a という母音を示す点々を打って、そう読み慣わした。
これをそのまま読むと、イェホワ (יְהֹוָה YəHōVaH) と読める(文法上、ヘブライ文字yには弱母音のア ă を付けられないため、曖昧母音のエ ə に変化する)。
日本語のエホバ(ヱホバ)、英語の Jehovah、および各国語のそれに類する形は、ここに由来するのである。
それらは確率的に正しい読みに偶然に一致する可能性も完全には捨てきれないかもしれないが、あくまで可能性であって、学術的にはヤハウェと推定する見解で今日ほぼ一致している[15]。
日本語ではヤハウェの他にヤハヴェ YaHVeH(ヘブライ文字 ו [w]は現代ヘブライ語読みで/v/と発音)、ヤーウェ YaHWe(HのaHを長音として音写)などの表記が用いられることもある。
人名などの要素として用いられる יהוה の略称は「ヤ」 ( יָה [yāh])、「ヤフ」 (יָהוּ [yāhû])等であり、ここから最初の母音はaであったと推測できる。
また、古代教父によるギリシア文字転写形として Ιαουε (ヤウェ?)、Ιαβε (ヤヴェ?)があり、これらからYHWHの本来の発音はYahweh、あるいはYahvehであったと推測されている。
消失の経緯[編集]
現在、ユダヤ教徒が一般生活において、יהוהを「ヤハウェ」と呼ぶことはない。かわりに「アドナイ」(אֲדֹנַי [’Ăḏōnay] 『我が主』)あるいは「ハッシェム」(הַשֵּׁם [haš Šēm] 『その名』)などの呼称を用いる。
理由のひとつとして、モーセの十戒のうちの次に挙げるひとつについて、直接神の名を口にすることは畏れ多い禁忌である、との解釈が後代に成立したためではないかと考えられている。
汝の神ヱホバの名を妄に口にあぐべからずヱホバはおのれの名を妄にあぐる者を罰せではおかざるべし
一方で、これはその名を妄に口にあげること(神の名を口にあげて誓っておきながら実際には嘘をつくこと)について、「そのようなことをすべきではない」と教えるものであって、名の発音を禁ずる趣旨ではないという指摘もある。
それに符合して、古くはこの名は自由に口にされていたようである。
南ユダ王国崩壊からバビロン捕囚までの時代に書かれた『ラキシュ書簡』にも יהוה は頻繁に現れており、この名がこの時代に至ってもなお口にされていたことがわかる。また、それ以後にもこれを記した史料は散見される。
それがいつ頃から口にされなくなったのか正確には分からない。
しかし、紀元前3世紀初めごろから翻訳の始まった『七十人訳聖書』では、原語のヘブライ語での יהוה が置き換えられ、ほとんどの箇所で「主」を意味するキュリオス (Κύριος) と訳されている。
つまり、この頃にはこの名が「主」を意味するアドナイと読み替えられていたのであり、バビロン捕囚以後の300年ほどの間にそのまま発音することが禁忌とされるようになったと考えられる。
語源[編集]
古くからヤハウェの名は、「存在」を意味する語根(√היה [√hyh])と関連づけて解釈されてきた。これは『出エジプト記』第3章第14節で、ヤハウェがモーセに応えて「私は在りて在るものである」 (אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה [’ehyeh ’ăšer ’ehyeh])と名乗った事に由来する。
この「私は在る」(אֶהְיֶה [’ehyeh])という一人称・単数・未完了相の動詞を三人称・単数・男性・未完了相の形「彼は在る」にするとיִהְיֶה [yihyeh]となり、יהוהと似た形になる。ここから、ヤハウェの名はイヒイェの転訛で「『出エジプト記』に出て来た一言 」「彼は在りて在るものである」「実在するもの」「ありありと目の前に在り、在られるもの」などの意味だと解釈されてきた。
ヘブライ人は誓言の時に「主は生きておられる」という決まり文句を使っていたが、ここからも彼らがヤハウェを「はっきりしないとはいえ、生々しく実在するもの」と捉えていた事がわかる。はっきりしているのは、創世記の冒頭により、ユダヤ教徒(キリスト教徒、イスラム教徒)は、闇が主要素となる宇宙空間を構築した正体を、ヤハウェ(ゴッド、アラー)であると考えている点である。エロヒム (אלהים) はアラハヤム(アラー)とも読める。また、ヘブライ語ではエジプトの太陽神のことをアラー (אל) と表記する。
また、היהのヒフイル(使役)態の三人称・単数・男性・未完了相の形が、יַהְיֶה[yahyeh]となり、ちょうど「ヤハウェ」と同じ母音の組み合わせになる。ここからその名を「在らしめるもの」「創造神」とする解釈もある。
ユダヤ教成立後のヤハウェ[編集]
旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、預言者を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど感情的であり、創世記のとおり人類はヤハウェに似せて造られたことが伺える。ただし、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納できる。また、『創世記』第32章第31節~や『出エジプト記』第4章第24節~などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。
キリスト教におけるヤハウェ[編集]
”Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν”(エゴー・エイミ・ホ・オーン)=「私は在るものである」はイエスとヤハウェを結び付け、その神性を現す意図で多用されている。これはセプトゥアギンタの『出エジプト記』第3章第14節でヤハウェが「私は在るものである」と名乗ったので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したとされる(『ヨハネによる福音書』第8章第58節など)。 正教会において、イエスのイコン、とりわけ自印聖像においてその光輪にギリシア文字 "Ο・Ω・Ν"(ὁ ών 『在るもの』) を記す習慣もこれに関連する。
三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、西方教会においてはヤハウェ(ラテン語文献では多く「エホバ」)を父なる神と同一視することが多く、対して東方教会においてはヤハウェはイエス・キリストの神格における名であると考えられることがある。
最近の動向として、2008年6月29日付でバチカンの教皇庁典礼秘跡省は「教皇の指示により神聖四字で表記されている神の名を典礼の場において用いたり発音したりしてはならない」との指針を示した。教皇庁はこの指針の中で、近年の神の固有名を発音する習慣が増加している事態に対して懸念を表明し、神聖四字については「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」などではなく、「主」と訳さなければならないと述べ、神の名を削除するよう求めている。これを受けて日本のカトリック司教協議会は、祈りや聖歌において「ヤーウェ」を使用してきた箇所を原則として「主」に置き換えることを決定した(一例として「主ヤーウェよ」と呼びかける部分は「神である主よ」とされた)。
異教由来説[編集]
詳細は「グノーシス主義」、「高等批評」、「文書仮説」、および「自由主義神学」を参照
ユダヤ教成立以前の信仰をヤハウェ信仰、あるいはエロヒム信仰とよぶが、両者は必ずしも同一の信仰ではなく、四資料説において、エルやエロヒムを神の呼称とする「E資料」、ヤハウェを神の名とする「J資料」資料が想定されている。両者はかなり性質の異なる別系統の神々だったが、唯一神教化する過程で混同され、同一神とみなされるようになった。エロヒムはヤハウェに比べてより古い信仰であり、もともとはセム系の諸民族にみられる多神教における最高神で、抽象的・観念的な天の神であった。イスラエルにおいてはサマリアやガリラヤなど北部で信仰された。これに対し、ヤハウェの起源はエロヒムの起源に比べるとやや時代が下り、元来は暴風の神だったとする説が有力であるが、雷の神だったという説、あるいはシナイ山で信仰された火山の神だったのではないかと考える者もいる。ヤハウェは、抽象的なエロヒムと異なり、具体的な人格神で、慈愛だけでなく怒りや妬みも表す感情的な神であり、もともとはヘブロンを中心としたイスラエル南部の信仰で、王国時代にはエロヒムと異なりヤハウェの祭儀は祭司階級であるレビ族に担われた。ヤハウェの神像は雄牛の頭に人間の身体、あるいは人間の首に胴体が蛇という姿で造形されたり、あるいはアシマとアナトという2人の女神を后としていた上、アナトとは兄妹でもあったことから、古代オリエントのバアルと同系の神ともされる。後にヤハウェとエロヒムは混同され、バビロン捕囚やキュロスによる解放などを経てゾロアスター教の影響を強く受け、ヘレニズム時代にユダヤ教が成立していく過程で唯一絶対神の性格を帯びるようになった。ただし、唯一神教化した時代をより古く見積もる説では、出エジプトの頃のヘブライ人は古代エジプトのアテン神を信仰しており、そのためアテン信仰が廃された後に弾圧され、エジプトを脱出したのではないかとする説もある。
脚注[編集]
- ^ 『ヘブライ文字の第一歩』p.2
- ^ אדני(Lord)-Genesis 15:8
- ^ אדני(my master)-Genesis 24:35,אדני(my master's)-Genesis 24:36,אדני(is my master)-Genesis 24:65
- ^ 原文まま。正しくは歴史的仮名遣で「ヱホバ」。
- ^ 『新改訳聖書』あとがき。
- ^ 『日本聖公会祈祷文訂正委員報告』p.52 1893年
- ^ 本節の出典:柳父章『ゴッドと上帝』筑摩書房、1986年、120頁から131頁、ISBN 4480853014
- ^ 出典:柳父章 (1986)、160頁 - 162頁。
- ^ 全く問題にされなかったわけではない。1938年にはキリスト教神学者前島潔が、「神」という用語について論文を書いている。出典:柳父章 (1986)、122頁。
- ^ このため明治元訳聖書は、1982年の『新世界訳聖書』日本語版(全訳)刊行まで、日本のエホバの証人がその活動で主に使用するヘブライ語聖書(旧約聖書)となった。
- ^ 「エホバの証人」の呼称は1973年の『新世界訳聖書』日本語版(部分訳)刊行よりも前、おそらく1950年頃からすでに使用され、また戦時中には灯台社(燈臺社)明石順三支部長の訳によって「ヱホバの証者」と称された。
- ^ エホバの証人と立場を異にする教会などは「エホバ」の呼称を忌避し、エホバの証人は盛んにこれを使用する、といった構図が見られる。
- ^ 『宗教年鑑平成21年版』文化庁編 p.123(PDFのページ数ではp.137)
- ^ אדני
- ^ 異論もある。『ハーザー』2011年1月号参照。
参考文献[編集]
- 旧約新約聖書大事典編集委員会編 『旧約新約聖書大事典』 教文館、1989年、ISBN 4-7642-4006-8。
- 『ヘブライ文字の第一歩』国際語学社
- 『新聖書辞典』いのちのことば社
- 『聖書翻訳を考える』新改訳聖書刊行会 いのちのことば社
- 『神のみ名は「エホバ」か エホバの証人と論じる』岩村義雄 いのちのことば社
- 『聖書の日本語』鈴木範久 岩波書店
