戦後

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戦後(せんご)とは戦争の終結後の短期または長期的な期間をさす言葉概念。戦争では多くの破壊や社会システムの大変革が行なわれるため戦争が終結した後は社会体制などが新しく作り直され、価値観まで変化する。このため、大きな戦争を一つの時代の区切りとして戦前戦中・戦後という区分をする。「戦後」はしばしば、戦争による混乱を抜けきっていない時代という意味合いを持つ。しかし、終わりを設けず現在までを含めることもある。一時は流行語となった。

目次

[編集] 「戦後」が指す戦争

「戦後」という言葉の意味は、経験してきた戦争や紛争によって国ごと異なる。

多くの国で、第二次世界大戦後のことを指す。日本ヨーロッパ諸国など、第二次世界大戦で戦場となったり大規模な空爆を受けたりなどして大きな影響を受けた国で顕著である。これらの国の中には第二次世界大戦後に、湾岸戦争など自国を戦場としない比較的小規模な戦争を経験している国も多いが、それらの国でも、文脈上明らかな場合を除き、第二次世界大戦後を意味することが多い。

アメリカでは日常的に戦前・戦後と言う言葉を使用していない。これはアメリカが第二次世界大戦後もベトナム戦争を始め多くの戦争に関与しており、“戦前・戦後”ではそれがどの戦争を指す言葉か分からないからである。

もちろんいずれの国でも、特定の戦争について論じていることが文脈上明らかなときなどは、その戦争の後の時代を指す。

[編集] 第二次世界大戦後

[編集] 日本での戦後の位置づけ

現在の日本では"戦後"とは、第二次世界大戦大東亜戦争太平洋戦争)以降のことを指す。但し"戦後"の時期については明確な定義はなく、第二次世界大戦を挟み、戦前・戦後と区別するという長期的な定義や"戦後"とは一度焼野原になった日本が再び国際社会の一員となり、「もはや戦後ではない」[1]といわれた1956年までの激動の期間を"戦後"と定義する意見も存在する。

日本において戦前(第二次世界大戦以前)と戦後では社会システムが大きく変化したため、他の国よりも戦後という言葉のもつ意味合いは大きい。また日本は第二次世界大戦以後、大規模な国際紛争・戦争に巻き込まれていないため、「戦後」=第二次世界大戦後から現在というイメージが固定化されている。

また"戦後"のはじまりについてもポツダム宣言を受託し、日本が敗れたとする日本人としての精神的な日(1945年8月15日)を戦後のはじまりとする意見のほかに、『日本国との平和条約』(サンフランシスコ講和条約)が発効されて国家主権が回復した1952年4月28日以降を"戦後"とする意見が存在する[2]

今日では日本政府を筆頭に精神的に大きな影響を与えた8月15日以降を"戦後"のはじまりとし、第二次世界大戦を挟み戦前・戦後として区分し、認識されている場合が多い。

"戦後"という言語・概念は明治維新以来の日本人日本にとって大変大きな変革を及ぼした。無謀な戦争で多大な損害をもたらした第二次世界大戦の経験を踏まえ、国民主権平和主義を謳う日本国憲法を新たに制定した。"戦後"、日本は西側陣営の民主主義国家の一員として国際社会に復帰、高度経済成長を経て世界第2位の経済大国となった。1989年に冷戦終結ソ連崩壊により冷戦期の仮想敵国であった東側陣営が消滅して国際社会が多様化し、多極化する世界で、再び"戦後"という概念は日本の針路に大きな影響を及ぼしてきているとし様々な論争が行われている。


[編集] 第二次世界大戦後の日本の年表

[編集] その他の戦後

[編集] 日本

日本でも、第二次世界大戦で被害が少なかった地域の中にはそれより以前に当該地域が見舞われた大規模な戦いを基準として「戦後」という表現を用いるケースがある。そうは言うものの、今日のように多くの人々が「戦後」=第二次世界大戦後というイメージが固定化されている状況のもとでは、外部の人々あるいは地域内の若い世代の人々からは違和感をもって受け止められる場合が多いという。

[編集] 京都

第二次世界大戦ではほとんど戦災による焼失を受けなかった京都では、応仁の乱蛤御門の変の後を指して「戦後」とする場合がある。これは、なによりも京都がきわめて歴史の古い町である事をいい表す用法である。

[編集] 会津地方

福島県の特に会津若松市周辺においては戊辰戦争の後を指す場合があり、特に年配者を中心にこの言葉を聴く例が多い。これは当時の戦後処理の際、西南諸藩から一方的に朝敵の名を付された会津藩斗南藩への転封を含め、懲罰的に数々の過酷な経験を負わされたとされる事に端を発していると思われる。

[編集] スイス

スイスで「戦後」は一般的に1815年以降のことを指す。1815年のウィーン会議においてスイスは国家としての「永世中立国」が認められたからである。第一次世界大戦と第二次世界大戦でも武装中立を維持し積極的に戦争には加わらなかったため、他のヨーロッパ諸国とは違い1815年からの「戦後」は続いた。

[編集] その他

[編集] 脚注

  1. ^ 経済上の指標からの定義で、高度成長が始まった時期。経済企画庁編纂、年次経済報告、1956年(昭和31年)7月
  2. ^ 降伏即戦後ではなく、降伏後を停戦状態にある戦争期間、被占領期と見做し、1952年4月28日を講和条約に基いた正式な終戦日とするもの。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク