聖霊
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聖霊(せいれい)とは、キリスト教の三体同位三位一体である神の三つの位格(ペルソナ)の内のひとつ。ギリシア語「プネウマ・ハギオン」の訳。
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[編集] 概略
聖霊は、目に見えないが神自身と同じ性格をもつ人格的な存在であって、ギリシャ語では、風や息とおなじπνευμα(プネウマ)という語で表現される。神と人とを繋ぐとりなし手[1]であって、人間が内面から刷新されることによって「善良な行い」を聖霊のみちびきによって行うことができるようになるとキリスト教では考える。
例えば、新約聖書は明らかに人間によって書かれ、神が直接的に人間に伝えたモノではない(たとえば旧約の『モーセの十戒』は神が直接人間に下した言葉、啓示とされる)。しかし、キリスト教では、聖霊が聖書の著者たちを霊的に感化させることで執筆を決意させ、またその執筆を貫徹させたと考える。こう捉えることで、新約聖書もまた「神自身が人間に与えた言葉」であるのだと主張することが可能となる。逆を言えば、聖霊が神の位格でないと考えると、特に新約聖書の宗教的権威性が失われてしまう。
但し、聖霊という用語自体は、聖書において曖昧な表現と説明しかなされていないため、上で書かれているような記述はあくまで代表的な解釈の一つに過ぎない(別の大きな意味としては、処女のままのマリアに神が自分の息子キリストを受胎させた手段、という意味がある)。ある意味、聖霊をどのように解釈するかによって教派が絶えず別れていったのが初期~中期のキリスト教の歴史とも言えるが、当項目ではキリスト教の最大宗派であるカトリックとその考えを受け継ぐ数多くのプロテスタントによる聖霊の解釈のみに絞って解説する。
また、エホバの証人といったキリスト教系新宗教団体においては解釈が全く異なるか、そもそもその存在を否定している場合もある点に留意すること。
[編集] 人間観への影響
上記の説明の通り、聖霊とは、「この世の全ては神の御心のままである」と考える過程で必要不可欠となった概念である。特にカトリックでは、この聖霊を重視するため、全ては結果的に予定調和であるという意味で、個人の意志や行動を過小評価する傾向が強い。故に、キリスト教圏の文学や美術に代表される芸術活動では、宗教改革以前と以後ではキリスト教徒による人間性の捉え方が正反対になっていると主張する研究者もいる。但し、確かにフランス東部(リヨン)からスイス西部(ジュネーヴ)またはイングランド周辺部といった地域におけて宗教改革が人間観に与えた影響は甚大[2]ではあるが、その他の地域に関してはルネサンスにおける人文主義活動がキリスト教に与えた影響によると考えるのが一般的である。
そのため、カトリック圏(南欧や中欧や南米など)の人々は大らかで陽気の傾向があり、プロテスタント圏(ドイツや北欧諸国)の人々は真面目で陰気な傾向があると主張する者も多く存在する[3]。この傾向を平たく説明すると、カトリック圏では聖霊が人間を動かしてくれるので個人が努力する必要はない(「何とかなるさ」)と考える一方、プロテスタントは個人の努力こそが聖霊の力を発揮するために必要だ[4]と考えるためだとされる。
[編集] 聖霊の時代
また、キリストが誕生する以前の神が直接イスラエルの民と対話していた時代を「父なる神の時代」、キリストが誕生し昇天するまでを「子なるキリスト(受肉)の時代」、そしてキリストの昇天後から現在に至るまでを「聖霊の時代」と呼ぶこともある。何故なら、既に神が直接人間と対話することもなく、キリストも昇天してしまっているので、後は聖霊のみが直接人間に影響を及ぼしているためである。ちなみに福音派の解釈では、世界の終末における最後の審判の後、再び「父なる神の時代」が到来することになる。
[編集] 言葉の由来及び訳語
キリスト教の正典のうち、『旧約聖書』では「ヘブライ語:רוח הקודש」(ルーアハ)、『新約聖書』では「希: Άγιο Πνεύμα」(ハギオ・プネウマ、中世以降アギウ・プネウマ)と対応する漢訳聖書からの用語である。プネウマは動詞「吹く」(希: πνεω)から派生した言葉である。
[編集] ルーアハ
聖書の中には火の柱と雲の柱[5]、燃える柴[6]、霊的な息吹といって神秘的な秘蹟の記述があり、そのうちの霊的な息吹、「風はいずこより来たりて、いずこへ行くかを知らず。されど、風の吹くところいのちが生まれる」[要出典]というふうにそっけなく訳されたりしているが、この「風」が元のヘブライ語では、ルーアハである。また、『創世記』の中、天地創造においてエロヒム(エールの複数形)が天と地を分けた際、地の水面をおおっていたのもルーアハ、ヤーヴェ・エロヒムがアダムの体に鼻からいれたのもルーアハである。
霊的な息吹、気、空気、精神、霊、そして「聖霊」とも訳され定訳はない。
[編集] 日本ハリストス正教会における「聖神」
[7]正教会に属する日本ハリストス正教会では「聖霊」に相当する位格について、"希: Πνεύμα"(プネウマ)に「神(しん)」、"希: ψυχή"(プシュケ)に「霊」をあてる同教会における訳し分けの方法の帰結として、原語のギリシャ語:"希: Άγιο Πνεύμα"に「聖神(せいしん)」を訳語として当てている。この「神」「霊」の訳し分けは「聖神」にとどまらず、聖書・祈祷書中における全ての"希: Πνεύμα"(プネウマ)・"希: ψυχή"(プシュケ)の翻訳に適用されており、教会スラヴ語の訳し分けにも同様に対応している。「精神」等の日本語に見られる通り、英語の"Spirit"にあたる言葉に「神」の字を用いる事はそれほど奇異なものではない。
[8]英語の「spiritual」に相当する訳語として「属神的(ぞくしんてき)」という訳語さえ生み出された。「せいしん」と呼ぶと、「精神」と混同されるように思う向きもあろうが、祝文(祈祷文)では大体は三つの位格をセットで称えるし、日常会話では「神聖神(かみせいしん)」など様々に呼ぶので、それほど混乱しない。また、印刷物においては「聖神゜(せいしん)」「神゜(しん)」のように、「神」の字の右上に○印を付ける事で「神(かみ)」と区別している事もある(字体が存在しない為、本項では半濁点で代用した)。
カトリック教会と正教会の間での聖神/聖霊の捉え方の根本的な違いについては、フィリオクェ問題を参照。
[編集] ありがちな誤解
以下に聖霊に関してありがちな誤解(歴史的な異端派や土着信仰的な解釈に関しては省いた)と、解説を列挙する。
- 聖霊がイエスの父親である
- 処女懐胎の説話によると、マリアは「聖霊によってイエスを身篭った」とされるが、これは聖霊自体がマリアと肉体関係を持ったということではなく、イエスの神としての位格を認めるため、マリアの妊娠自体が父なる神の意志の結果であること意味しているに過ぎない。
- 聖霊とは天使のことである
- 日本語においては、Holy Spirit の訳語である「聖霊」という言葉が「精霊(spirit - せいれい)」と同じ読みであることと[9]、神と人とを繋ぐ媒介というイメージから「聖霊とは天使のことである」とする言説もあるが、これはありがちな誤解である。旧約聖書の創世記にある通り、天使は神が天地創造の行う際の道具として作り出された存在であり、神の位格である聖霊とは全く性質の異なるものである。同時に「聖霊は天使である」という誤解から、処女懐胎の際に現れるガブリエルがマリアを身篭らせたとする誤解もあるが、ガブリエルは妊娠を告知しただけであり、マリアの妊娠に関して何の影響も及ぼしていない。
- 聖霊とは地母神信仰の名残りである
- 処女懐胎に対する誤解から、「三位一体の原型は父なる神と地母神と子なるイエスであり、女性原理を嫌うキリスト教によって変形させられた地母神のイメージの名残りが聖霊である」とする言説もあるが、全く誤解である。
- そもそも「三位一体」という概念自体がキリスト教成立以後に作られており[10]、これは古代宗教が女性原理から男性原理へと移り変わったずっと後の出来事である。そのため、ユダヤ教にもなかった地母神というイメージが突如として入り込む歴史的な余地はない。更に、父なる神もキリストも聖霊も同じ存在(イスラエルの神)の異なる側面を言い表した概念に過ぎず、「子(イエス)が父と母(イスラエルの神と地母神)から生まれる」といった概念では全くない。その場合、むしろ「父なる神とイエスとマリア」とすべきだが、マリアが神の位格であるというのは、どんなキリスト教の宗派においても異端に属する考え方である。
- 余談だが、マリアは神の母(神の位格を産んだ者)という特殊な立場にいることは事実であり、キリスト教が女性原理を嫌っているとは必ずしも言えない例の一つである。
[編集] 脚注
- ^ 『ローマ人への手紙』8:27
- ^ ジュネーブ市では、宗教改革の流れで市民による共和制が開始された。
- ^ 学術的にはマックス・ヴェーバーがその代表格。
- ^ 例えば、カルヴァンによる説教(予定説)の中に散見される。
- ^ 『出エジプト記』13:21-22
- ^ 『出エジプト記』3:2-4
- ^ 本節出典:質問:「アミン」「ハリストス」「聖神゜」「生神女」の意味は?(正教会の語彙)、教派いろいろ対照表
- ^ 出典:正教の教義と特色
- ^ 訳語としては、「聖霊」はキリスト教用語としての「精霊」だという含意もある。
- ^ ユダヤ教には三位一体という概念はないため、同じく地母神とは無関係である。
[編集] 関連項目
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