エホバの証人

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宣教の様子。聖書の例に倣い2人組みで行動するのが一般的である。マルコ 6:7、ルカ 10:1

エホバの証人(-しょうにん)とは、1884年にチャールズ・テイズ・ラッセルにより創始され、かつて聖書研究者(国際聖書研究者)と呼ばれた宗教団体である。聖書は主に新世界訳聖書(1970年代頃までは文語訳聖書 日本聖書協会発行)を使用している。信者は全世界(2008年現在235の国や地域)で活動しており、人々に聖書を学ぶよう促し永遠の命へ導くことが愛を表す最高の方法とし宣教活動に活発であることで知られる。1世紀のクリスチャンを復興させたものとしているが、宗教学上はキリスト教の一派、もしくはキリストの再臨終末論など教理的特徴の類似から千年王国運動の系譜を引く新宗教に分類される。また、三位一体説を否定しているなどを理由に正統とされるキリスト教からは異端として扱われている。

目次

[編集] 神の名

ヤハウェの項も参照

「エホバ」とは、旧約聖書に描かれる主要な神の名に対応する、日本語表記の1種である。古くには文語訳聖書で「ヱホバ」とも表記された。レニングラード写本 B 19Aの母音符号の打ち方では、四文字語יהוה (アルファベットではYHWH)はエフワー、エフウィ、およびエホーワーと読め、ギンスブルクの編さんしたマソラ本文の母音符号の打ち方では、エホーワーと読めることから、これが派生して「エホバ」という発音が出来たとも考えられる。[1]

現在、その正確な発音がどのようなものであったのかについては様々な見解が存在するが、彼らの関心事は「正確な発音」や「正確な名称」そのものにはなく、神の御名が人々の間で高められることに焦点が置かれる(詩篇 83:18,『文語訳聖書』; マラキ 1:11; マタイ 6:9)。むしろ、「正確な発音が神にとって真に重要であるならば、神ご自身がその保存を怠るはずもなく、そういう事実が無い以上、発音それ自体は重要ではない」、「もし神の名を正確に発音することが必要なら、イエス・キリストもエホーシュア・マシーアハ(ヘブライ語)に変えなければならない」といった見解が見出される。また、聖書に登場するダゴンモレクバアルといった他の神々と区別するためには「主」や「神」といった称号では不十分であり、固有名詞の使用は不可欠であると彼らは主張する[2]

1931年より以前、彼らは「ラッセル派」、「ラザフォード派」、「千年期黎明派」、「地獄否定者」、「ものみの塔信奉者」などの蔑称で呼ばれていた。その一方で、彼らは自身のことを「聖書研究者」、「国際聖書研究者」、などと呼称していたが、後者にしても、決して彼らの正式名称というわけではなかったといわれる。1931年にオハイオ州コロンバスで開かれた大会(7/24-7/30)において、7月26日、日曜日に「エホバの証人」との名称を採択する決議が承認される。そのプログラムでは、使徒15章14節の「み名のための民」、黙示録3章14節の「忠実で真実な証人」(イエス・キリスト)、ヨハネ18章37節の「真理について証しする」、ペテロ第一2章9節の「卓越性を広く宣明する」などの聖句に言及した後に、イザヤ書の様々な記述へと注意が向けられた[3]。この大会を皮切りとして、その後、世界各地で開かれた大会もこれに追随し、以降「エホバの証人」は彼らの正式名称となった。

この名称には、エホバが卓越した神であることを宣言する、人類唯一の希望はキリストの統治する神の王国にしかないことをふれ告げる、などの様々な意味が込められている。また、ヘブライ12章1節における「雲のような証人たち」という表現を根拠として、ヘブライ11章に登場する人物達(旧約聖書の義人たち)は全てエホバの証人であるとされる他、イエス・キリストは「かつて地上に存在した最も偉大なエホバの証人」であると説明される[4]

通常は、この名称はイザヤ書43章10-12節に由来する、と簡潔に解説される場合が多い。その他、古い日本語の資料には「エホバの証者」との表記も見出される。また、イエスの昇天を描いた使徒1章8節には、彼の追随者がイエスの「証人」となる旨の記載があるため、彼らは自らの事を「エホバのクリスチャン証人」と呼ぶこともある。

[編集] 統計

平均伝道者数, 1945年–2005年

エホバの証人の全世界での平均伝道者数は2008年時点で700万人超と公表している。これは世界人口の約0.1%である。 日本においては約21万人の伝道者が活動しており、キリスト教として扱った場合カトリックに次ぐ規模となる。

[編集] 教理

エホバの証人に関する論争」も参照

[編集] 主要な教理

  • 聖書正典は真理であり、神の霊感を受けている (ギリシャ語字義では「神が息を吹き込んだ」) とする。外典(間訳聖書、続編)は「作り話」として退ける。 - ヨハネ 17:17、テモテ第二 3:16、4:4。
    聖書の音信は、神の存在を信じる最大の根拠であるとされる。この結果、進化論を退け、創造論を支持することにも繋がる。
  • 聖書正典にその根拠が見出せないとして、三位一体を否定する。 - ガラテア 1:8、啓示(黙示録) 22:18
    • 「父」は、旧約聖書中で「エホバ」と呼ばれる神であり、「全能の神」(Almighty God)である。 - 創世記 17:1、出エジプト記 3:6-7[5]
    • 「子」は、イエス・キリストであり、全能者なる神ではない。イザヤ書の「力ある神」(Mighty God)、箴言の擬人化された「知恵」であり、人となる前はミカエルであり、黙示録の白い馬の乗り手でもある[6]。 - ヨハネ 8:54、イザヤ 9:6、箴言 8:12, 22-31、ユダ 9、啓示 6:2。
    • 「聖霊」は、神の行使する目に見えない力(活動力)である。(使徒 2:2,3,33。ヨハネ 14:17)新約聖書中の「聖霊」の語について、原文のギリシャ語に定冠詞の存在が認められないものが多数あるため、人格を持つ特殊な存在であるとは考えられない[7]
    • イエス・キリスト自らヨハネ14:28後半(新共同訳)で「父はわたしよりも偉大な方だからである」と述べていること、キリストが神なら地上ではいったい誰に祈っていたのかなどの疑問が残る。
    • 三位一体説は後世に加えられた教義である。: 正統と異端の項も参照
  • それに対し、「悪霊」とは悪魔サタン配下のみ使い(天使)である。(ルカ 11:15;啓示 12:9)「悪魔」は人の心の内にある悪ではなく、実在の霊者であり、元々はケルブというみ使いであったが、自分の美しさゆえに傲慢になり、神に反逆した。(エゼキエル 28:12-19)そのため、蛇を用いて、神に従うのではなく、自分に従うようにアダムエバを唆し、神に反逆させた。(創世記 3:1-7;啓示 12:9)さらに、神の主権の正しさと人間の忠節に異議を唱えた。(ヨブ 1:6-12;2:1-5)1914年以降、地に投げ落とされ、「世の支配者」、「この事物の体制の神」(この世の神)と呼ばれて、人間社会や政府を背後で動かしている。(啓示 12:9, 12;マタイ 4:8, 9;ヨハネ 14:30;コリント第二 4:4)
  • 霊魂不滅の否定 - エゼキエル 18:4(文語訳、新世界訳)
    • 人や獣そのものが魂である。魂が不滅であることを前提とする、「地獄」及びその「永遠の責め苦」や「煉獄」などの概念を否定する。人は死ぬと、その罪から解放される。 - 創世記2:7。ローマ 6:7
    • 人間を火で焼くという概念は、神のものではありえない。 - エレミヤ 7:31
    • 義人が死んでも「天国」へは行かない。復活後の人類が住む場所はあくまで地上である。 - 詩編 37:29、イザヤ 45:18
    • 霊は生命の活動力であり、人が死ぬとなくなる。-詩編 146:4; 104:29

復活に対するエホバの証人の解釈では、「天への復活」と「地上への復活」の2種類があるとされる。天への復活への道は、キリストの死によって初めてもたらされたとされ、地震によって神殿の聖所と至聖所とを隔てる垂れ幕が2つに裂かれた出来事は、それを象徴的に表すものであったと主張する(マタイ27:51、ヘブライ10:19-20)。こうした解釈は、イエスの死に先んじて死亡することになったバプテスマを施す人ヨハネが、その当時までに「女から生まれた者」のうち最も偉大であると同時に「天の王国において小さい方の者も彼より偉大」であるとするマタイ11章11節の記述と調和するという(この聖句はバプテスマを施す人ヨハネが天へは行かないと同時に、偉大さの点で彼よりも劣る、アブラハムやモーセでさえも天に行かない、と解される)[8]

天への復活には人数制限があり、その数は黙示録の記述から14万4千人であるとされる。一方、地上への復活には人数制限がなく、やはり黙示録の「だれも数えつくすことのできない大群衆」との表現がこれに該当するとされる(黙示録 7:4,9, 14:1,3)。

[編集] その他、特徴的な教理

  • 戸別訪問による宣教 ― マタイ10:1-15; マルコ6:7-12; ルカ9:1-6; 使徒20:20
    • イエス・キリスト本人が教えたとおり、また使徒パウロが行ったとおり、通常「二人ずつ」ペアで「家から家」の戸別訪問での宣教を行う。宣教に対する教団からの金銭的な報酬はない。[9]
  • 偶像礼拝を避ける - コリント第一 10:14
    • クリスチャンに求められているのは「霊と真理」による崇拝であり、ここに偶像の入り込む余地はない。 - ヨハネ 4:24
    • 崇敬の対象となる像や宗教画は、文字通りの偶像である。 - 出エジプト記 20:4-5
    • 国旗敬礼(旗に対する専心)[10]や国歌斉唱(国家の賛美)などは、巧妙な形態の偶像礼拝である。
    • さらに、淫行、性的欲情などの不道徳、強欲も偶像礼拝に当たるとしている。-コロサイ3:5
    • タバコ、麻薬など惑溺性のあるものの使用を禁じている。[11]
  • 「神の王国」について - マタイ 6:10
    • キリストの再臨は「しるし」であり、目には見えない(「臨在」という語が用いられる)。 - マタイ 24:3
    • キリストは「雲と共に」来る。地上に現れるのではなく、知覚可能であるに過ぎない。 - マルコ 14:62、黙示録 1:7
    • 神の王国は、すでに天で統治を開始している。 - 詩篇 110:2、ダニエル 2:44
    • それらの出来事は1914年を起点としている。
  • 政治的な中立を保つ - ヨハネ 17:16
    • 神から見て相対的な立場にある人間の政府が課す命令には従わなければならない。 - ローマ 13:1
    • ただし、神の掟に背く行為を要求された場合には、神の掟を優先する。 - 使徒 5:29
    • 神の王国への支持を表明するため、政治への参加(投票など)をしない。 - ヨハネ 18:36
  • 兵役拒否の他、格闘技や護身術の習得さえも忌避する。 - イザヤ 2:4、ローマ 12:18
  • 血を避ける。食事による摂取のみならず、輸血をも忌避する。 - 使徒 15:29
  • 信者間では称号を用いない。ただし、公的な場等においては許容範囲内で用いることもある。 - マタイ 23:8-9、使徒 26:25
  • イエス・キリストはエホバによって遣わされた者(代理者)である。(ヨハネ16章27,28節)[12]彼は会衆の頭でもある。(コロサイ1章18節)ものみの塔聖書冊子協会の会長、統治体の成員、監督(長老)は「指導の任」にあって(ヘブライ13章7節)、指導者として振舞ってはならず、そのように振舞うものは「指導の任」を外されることになっている。
  • エホバの証人は「解き明かしは神による」と信じている。(創世記 40:8)エホバは、ちょうど朝日が昇るにつれて夜の暗がりが徐々に変化してゆくように、ご自分の奴隷たちに「時に応じて食物を」与えてくださるため、その度に教理(信条)の調整を行ってきた。(箴言 4:18;マタイ 24:25)一世紀のキリストの弟子たちも、イエスの教えを徐々に理解していき、その度に教理を調整した。(使徒 10:1-45)
  • バプテスマとして浸礼を採用する。 - マタイ 3:16
  • 誕生日を祝わない。また、キリストの誕生日も祝わない。聖書に記述されている誕生日は2例存在するが、そのどちらも異教徒による祝いである。[13]。 - 創世記 40:20-22、マルコ 6:21-29
  • キリストの死の記念を祝う。 - ルカ 22:19-20

[編集] 誤解されやすい教理

  • ハルマゲドンの予言について -
    • 1916年「今はハルマゲドンのさなかである」、1941年「数カ月もすれば、ハルマゲドンに突入する」、1967年「人類歴史の第七の千年区分(ハルマゲドンの後に来る千年王国)は1975年の秋に始まる」、1995年「1914年の出来事を見た世代が絶える前にハルマゲドンが来る」と発言して物議をかもし、予言が外れたとされるが、エホバの証人はこれらは信徒以外の誤解であると言い、エホバにあって「その日を予言する」ことは誰にも許されていない(聖書を理解した者だけが算出可能)と説いている[14][要出典]
  • 医療行為に関して
    • 種痘、ペニシリン、ワクチンは血液を穢す理由から禁止されたと一般に理解されたが、これは信徒以外の誤解であって、当時はまだ安全性に不備があるので警告しただけであって、現在は差し支えないという立場をとっている。 臓器移植、骨髄移植の禁止もこれに並ぶ。 輸血は禁止されており、自己輸血(自己血液の一次保存後に再輸血)の使用も認められていない。しかし、血液製剤の使用については、これを禁止してはいない。
  • 離婚について - マラキ 2:16
    • 本来、淫行以外の理由で配偶者に離婚を要求するべきではない。しかしながら、実際に離婚するかどうかは当事者が決定すべき事柄である。相手方の不貞行為に起因する離婚等、幾つかの事例においては再婚の自由が認められる[15]。 - マタイ 19:9、テモテ第一 5:14
    • 一方、配偶者からの暴力が絶えず、生命の危機が冒されリ、配偶者が当人の宗教活動を禁じたりする場合には、淫行以外の理由での離婚もやむを得ないとされる。ただし、こうした離婚に踏み切った場合には、再婚の自由はない[16]。 - コリント第一 7:11, 13
    • また、状況によっては離婚することを推奨する。1947年には一夫多妻制を明確に否定する教理が追加される[17]。第一夫人以外の女性についても同様である。

[編集] エホバの証人における歴史観

[編集] 古代イスラエル人

エホバの証人の信条によれば、最初のエホバの証人はアベルであった。(ヘブライ11:4)聖書中、アベルは神の「大勢の証人たち」の一人とされている。(ヘブライ12:1)エノクノアアブラハムイサクヤコブヨセフもそのように呼ばれている。古代イスラエル人は一国民として神に献身しており、彼らもまたエホバの証人と呼ばれた。[18]

[編集] イエス・キリストとクリスチャン

聖書中、イエス・キリストは神の忠実な証人と呼ばれている。(啓示 1:5)イエスはその生涯中、神の王国の良いたよりを宣べ伝えた。(ルカ4:43)イエスの死後、一世紀のキリスト教徒たちはイエスの証人となった。(使徒1:8)彼らは神の栄光を証ししたゆえに、神の証人ともなった。(フィリピ2:9-11)しかし、西暦56年ごろ、背教が起こり、彼らの心は引き離され始めた。(使徒20:29, 30)最後の使徒であった、ヨハネの死後、背教が拡がり始めた。(テモテ第二2:17)エホバの証人の信条によると、初期キリスト教徒たちは聖書の教義からそれ、ギリシャ哲学や他宗教の教えを取り入れ始めた。エホバの証人は、背教したキリスト教徒たちがカトリック教会を形成した、と考えている。彼らの信条によると、この背教した状態が1914年の「終わりの時」開始まで続くことになっていた。(テサロニケ第二 2:3; マタイ 13:24-30)

[編集] 現代のエホバの証人

現代のエホバの証人の起源は聖書研究者という名の宗教運動にある。聖書研究者は、1870年代後半にチャールズ・テイズ・ラッセルにより創始された。1917年にラッセルの後継者、ジョセフ・フランクリン・ラザフォードがものみの塔聖書冊子協会の会長になると、それを不服とした人々が離れていった。聖書研究者たちは1931年、ラザフォードの講演で「エホバの証人」という名を採択した。彼を支持しない人々がラッセルの教えを引き継いだ別の聖書研究者のグループを結成した。それ以後、エホバの証人は自分たちのことを「聖書研究者」とは呼ばなくなった。(ものみの塔聖書冊子協会の他の会長についてはものみの塔聖書冊子協会参照)

[編集] 慣行

  • 毎日、聖書を読んで黙想の伴った研究(←信者の間では「個人研究」と言う)をすることが勧められている。(新世界訳聖書でなくても良い。)そのために、支部事務所から、「日ごとに聖書を調べる」という冊子や、「神権宣教学校の週ごとの聖書通読の予定」という予定表が備えられている。こうしたもの以外にも、個人で別の箇所を通読することも勧められている。
  • 聖書通読の他、毎回の集会の予習を行うことが勧められている。近年は家族が信者であれば、一緒に研究(←信者の間では「家族研究」と言う)を行うことが強く勧められている。
  • 週に2回、集会を行い、週中に、会衆の聖書研究・神権宣教学校・奉仕会、週末に、聖書講演・「ものみの塔」研究が行われる。集会は信者でなくても入場でき、寄付の強要はない。王国会館での集会は祈りで始められる。
  • 上記以外に年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会が催される。また1年に1度、ユダヤ暦のニサン14日に主の記念式を祝う。―詳細はエホバの証人の組織構造参照
  • 支部事務所は、宣教奉仕に週に1回は参加することを勧めている。近年、宣教奉仕ではなるべく新世界訳聖書から証言することが強く勧められている。伝道者はみな月末に支部事務所に「野外奉仕報告用紙」を提出しなければならない。
  • 反聖書的な伝統的行事を祝わない。ただし、何を反聖書的とするかはキリスト教の多数派とエホバの証人との間で相違が見られる点が多い。

[編集] 社会的側面

[編集] 国旗敬礼、国歌斉唱

エホバの証人が国旗敬礼、国歌斉唱を忌避するのは、「人間の国家への忠誠は、神の王国を支持する立場と相容れない」また「人間の国家への忠誠は偶像礼拝である」とするためである。米国ウェストバージニア州での事例「バーネット事件」(この戒律に基づき星条旗への表敬を拒んだ姉妹の姓にちなむ行政訴訟)が有名である。

[編集] 兵役拒否

「戦いを学ばない(イザヤ書2章4節)」「剣を取るものは剣によって滅びる(マタイ26章52節)」の適用であり、兵役が義務化されている国々で問題視されることがある。国家はそれに対してエホバの証人を投獄するのが一般的であったが、近年では、社会奉仕活動への参加を義務付けることによって、兵役の義務の代わりとする事例も増えている(良心的兵役拒否)。

場合によっては投獄ではなく、「兵役」か「処刑」かのどちらかの選択を迫られることもあったが、その場合にも処刑されることを選んだという(エホバの証人とホロコースト参照)。日本では他に、同じ聖句を理由として武道の科目を履行しなかったことが争われたケースなどがある。

[編集] 輸血の拒否

輸血拒否は、エホバの証人の教義(使徒15章28,29節に基づく)として広く知られており、証人もしくはその子供が輸血を拒み、医師が輸血の代替医療を行う病院への転院ないし代替医療そのものを拒否したために結果として死亡した例もある。態様によっては輸血が不可欠である場合もあり、社会においては輸血拒否を命の軽視だとして非難されていることが多い。これに対してエホバの証人側は、輸血という1つの手段を望まないだけで、代わりの代替療法(無輸血治療)は積極的に受け入れる立場をとっているため決して命を軽視していないと主張している。

[編集] 他宗教との関係

原則、冠婚葬祭や年中行事等の参加は禁じられていないが、異教由来の儀式(焼香をあげる行為など)は偶像崇拝にあたるとし参加しない。そのため地域社会や親族と摩擦が起きることもあり、中にはDVなどの深刻な問題に発展するケースもある。

エホバの証人は、他宗教を「偽りの宗教」として教義上退けている。宗教多元主義のような考え方や宗教間対話などにも批判的である。

また、七夕地鎮祭節分など宗教色の薄い民間信仰の行事にも不参加が原則であり、学校にてこれらの行事が行なわれる際には証人の子どもたちは自習や見学などとなる。

宗教系の保育所や福祉施設、病院などを利用したりということも嫌悪する信者もいるが、これについては、地域によっては利用できる施設が不足していることなどから、これらについては信者個々の良心上の問題とされている。

社会生活の中で広く受け入れられている慣習を、どこまで宗教とみなすかは非常に難しい問題であるため、個別的なケースを見れば、信者個々によって対応が異なるということもある。明確な教義上の違反でない限り、個人の下した決定に対してほかの信者が批判することは許されていない。

教団側も制限を幾分緩和する場合もある。例えば、かつては教会や寺院などでの宗教施設で開かれる葬儀や結婚式には参列しないよう信者は指導されていたが、近年では参列そのものは良心上の問題とされるようになった。

[編集] 大衆作品中のエホバの証人

映画
ドラマ


[編集] 脚注

  1. ^ 『聖書に対する洞察』、第一巻、391ページ
  2. ^ 『神のみ名は永久に存続する』(ものみの塔聖書冊子協会、1984年)3、11、26、29ページ
  3. ^ 『エホバの証人-神の王国をふれ告げる人々』(1991年)150、155-156ページ、『ものみの塔』1995年5月15日号19ページ
  4. ^ 『ふれ告げる人々』13-19、157ページ
  5. ^ 出エジプト記 3章7節の「主」は、ヘブライ語 יהוה である
  6. ^ 聖書は悪魔でさえ「神」と呼んでいる(コリント第二 4:4)ことから、「神」呼ばれることそれ自体は神である証拠とはならないという。『聖書に対する洞察』第1巻 179、181ページ、第2巻 152、907-908ページ
  7. ^ 『洞察』第2巻 1205-1206ページ
  8. ^ 『ものみの塔』1996年4月1日号8ページ、1996年7月1日号15ページ
  9. ^ 使徒20:20を信者に対する牧羊訪問と捉えるキリスト教もあるが、エホバの証人はこの訪問が「神に対する悔い改め」を含んでいる(21節)いることから牧羊訪問ではなく、未信者への改宗活動であった、と考えている
  10. ^ 1935年より導入された概念。『ものみの塔』1974年4月15日号254ページがこの点に関して詳しい。また、日本の国旗に関して言うならば、これは「天にあるもの…に似せた…形」という、偶像に関する十戒の規定に文字通り当てはまる。
  11. ^ 「魔術」と訳されるギリシャ語に「麻薬の使用」という意味があるとする。(ガラテア 5:20;「新共同訳」)
  12. ^ 「ものみの塔」2005年9月15日号 21-23ページ。2002年3月15日号 8-13ページ。1987年8月1日号15-20ページ
  13. ^ 他にも、一般的に誕生日の出来事であるとみなされる記述が聖書には存在する(ヨブ 1:4, 3:1)。ヨブ記はヘブライ語ヨーム(「日」、日の出から日没までの時間帯を指す)で表されるが、誕生日を表すヘブライ語はヨームとフッレデト、2つの語の合成語である。創世記40章20節には、「三日目」の語にヨームを、「誕生日」の語にヨームとフッレデトを充てていることから、「日」と「誕生日」が異なることは明らかなため、ヨブ記の記述が誕生日を表すとは考えられないという。『洞察』第2巻 176ページ
  14. ^ 「ものみの塔」誌1990年5月15日号
  15. ^ 『ものみの塔』1983年6月15日号29ページ、1980年4月15日号30-31ページ、1978年1月1日号31-32ページ
  16. ^ 『ものみの塔』1975年8月1日号479-480ページ。ただし、再婚の自由はないが、再婚そのものが不可能なのではない。離婚相手が再婚した場合、そこには事実上の姦淫が成立するとみなされる。他、幾つかのケースで再婚が可能となる。
  17. ^ 『ものみの塔』1947年1月15日号(英文)、『ふれ告げる人々』176ページ
  18. ^ 『エホバの証人-神の王国をふれ告げる人々』–1993年、 11ページ © Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania.

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク