ジャマイカ

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ジャマイカ
Jamaica
ジャマイカの国旗 ジャマイカの国章
国旗 国章
国の標語:Out of Many, One People
(英語: 多くの部族から一つの国民に)
国歌ジャマイカ、我々の愛する地
ジャマイカの位置
公用語 英語
首都 キングストン
最大の都市 キングストン
政府
女王 エリザベス2世
総督 パトリック・アレン
首相 ポーシャ・シンプソン=ミラー
面積
総計 10,991km2160位
水面積率 1.5%
人口
総計(2008年 2,719,000人(136位
人口密度 247人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 10,449億[1]ジャマイカ・ドル
GDP (MER)
合計(2008年 143億[1]ドル(104位
GDP (PPP)
合計(2008年 209億[1]ドル(130位
1人あたり 7,776[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスより
1962年8月6日
通貨 ジャマイカ・ドル (JMD)
時間帯 UTC -5(DST:なし)
ISO 3166-1 JM / JAM
ccTLD .jm
国際電話番号 1-876

ジャマイカ英語: Jamaica 英語発音: [dʒəˈmeɪkə] ( 聞く))は、中央アメリカカリブ海大アンティル諸島に位置する立憲君主制国家であり、英連邦王国の一国である。島国であり、ケイマン海峡を隔てて北にキューバケイマン諸島が、ジャマイカ海峡を隔てて東にイスパニョーラ島に位置するハイチドミニカ共和国が存在する。首都はキングストン

イギリス連邦加盟国。米国カナダに続き、米州で三番目に英語の話者が多い国である。

国名[編集]

正式名称は、Jamaica英語: ジャメイカ)。

日本語の表記は、ジャマイカ

国名は、先住民だったアラワク人の言葉Xaymaca(ザイマカ)に因む。この言葉は、木と水の地あるいは泉の地を意味する。当初スペイン植民地となった際にスペイン語でJamaica(ハマイカ)と綴られ、後にイギリス植民地になると綴りは変えられずに読みだけが英語読みになり、Jamaica(ジャメイカ)と呼ばれるようになった。ジャマイカ英語ではJameeka、ジャマイカ・クレオール語ではJamieka、Jomieka、Jumiekaなどと呼ばれる[2]

歴史[編集]

アラワク[編集]

ヨーロッパ人の到来する前のジャマイカには、南米ギアナ地方から渡ってきたとされるアラワク系のタイノ人や、カリブ人が存在していた。

スペイン統治時代[編集]

1492年クリストファー・コロンブスアメリカ大陸を「発見」すると、多くのヨーロッパ人がジャマイカを訪れた。1494年にはコロンブス自身が第二回航海において、ジャマイカ島を「発見」した。その後1509年スペイン領となった。スペインはこの地にサトウキビプランテーションを設置して、アラワク族を容赦なく酷使したため、その数が著しく減少した。スペインは西アフリカから黒人奴隷の輸入によって労働力を確保した。

しかし1655年、イギリス護国卿オリヴァー・クロムウェルの命を受けてのイスパニョーラ島攻略に失敗したイギリス海軍提督ペンアメリカ合衆国ペンシルベニア州を創設したウィリアム・ペンの父)とベナブルズ英語版将軍が、残存兵力を率いてジャマイカに侵攻し、ほぼ無血でこの島を占領した。

イギリス統治時代[編集]

1670年マドリード条約英語版によって正式にイギリス領になった。イギリスは港町ポートロイヤル首府とし、ジャマイカにはイギリス海軍の司令部が置かれ、海賊私掠船の母港となった。1692年大地震英語版で町が倒壊したため、北のキングストンに首府が移った。さらにイギリスはジャマイカを拠点にしてカリブ海への影響力を強め、ミスキート族の王国、モスキート海岸英語版(現ニカラグアホンジュラス)や、英領ホンジュラス(現ベリーズ)がイギリス領になったのもジャマイカからの圧力のためであった。

黒人奴隷や逃亡黒人(ジャマイカのマルーン英語版)の反乱(1731年第1次マルーン戦争1795年第2次マルーン戦争英語版)は長い間続き、コロマンティ英語版アカン族英語版の黒人奴隷)が蜂起したタッキーの反乱英語版1760年)なども起こり、ハイチ革命1791年 - 1804年)の際にはトゥーサン・ルーヴェルチュールによるジャマイカ侵攻の可能性もあったが、結局は実行されなかった。ラテンアメリカ諸国の独立時にも白人支配層によってジャマイカが独立するような動きは存在しなかった。バプテスト戦争英語版1831年 - 1832年)は奴隷制度廃止法案 (1833年)英語版の成立に大きな影響を与えた。1865年には英国の支配に対する大規模な黒人の反乱が起き、総督エアは召喚されてジャマイカは英国の直轄領となった(ジャマイカ事件Morant Bay rebellion)。

1938年ジャマイカ労働党(JLP)が設立され、1958年から1961年まで西インド連邦が樹立された。1959年にはイギリスから自治権を獲得し、1962年にイギリス連邦加盟国として独立した(ジャマイカの独立英語版)。なお、独自の元首を持たず、イギリス国王を元首とした(英連邦王国)。その後、保守のジャマイカ労働党と非同盟民主社会主義政党の人民国家党が交互に政権に携わっている。近年は親米路線を踏襲している。

政治[編集]

議会の内部

政治体制ジャマイカ国王国家元首とする立憲君主制英連邦王国のため、ジャマイカ国王の地位は名目的にイギリス国王と同一人物となっており、首相の推薦に基づき国王が任命する総督がその権限を代行する。現首相ポーシャ・シンプソン=ミラーは就任翌日の2012年1月6日、独立50周年である2012年中に独自の大統領を置き、共和制に移行する計画を発表した[3]

議院内閣制のジャマイカでは、行政府の長たる首相が政治の実権を握る。総選挙の結果、下院で第一党となった政党の党首が総督によって首相に任命される。閣僚は首相の助言に基づき総督が任命する。

立法権を有する議会は両院制である。上院は全21議席。首相が13人を、下院の野党党首が8人を推薦し、総督が任命する。下院は、全60議席。議員は国民の選挙によって選出される。上下院とも任期は5年。

ジャマイカの政党には自治権の拡大と民主社会主義を掲げる人民国家党(PNP)と労働条件の改善など現実的な社会改革を求める保守中道ジャマイカ労働党(JLP)があり、二大政党となっている。ほかに国民民主運動統一人民党なども存在する。

軍事[編集]

ジャマイカ国防軍は約2,800人の規模で、ジャマイカ連隊を基幹に小規模な沿岸警備隊と航空団を有している。近年は麻薬密輸や凶悪犯罪対策のために警察支援活動を実施している。

地方行政区分[編集]

ジャマイカの地方行政区分。
セント・エリザベス教区ラヴァーズ・リープ

ジャマイカは、3つの郡 (county) に分割され、さらに14の行政教区 (Parish) に分かれる。

コーンウォール郡(西部)は以下の行政教区を含む。

ミドルセックス郡(中部)は以下の行政教区を含む。

サリー郡(東部)は以下の行政教区を含む。

主要都市[編集]

地理[編集]

ジャマイカの地図。
ジャマイカ湾。

ジャマイカは大アンティル諸島で三番目に大きい島であり、キューバから 160km 南に位置する、面積 10,991km² の島国である。山がちな島で中央部には山脈が連なり、国内最高峰は首都キングストンの東部近郊にあるブルー・マウンテン山脈英語版ブルーマウンテン山(2256m)である。ジョン・クロウ山脈英語版(1143m)はブルーマウンテン山脈のすぐ付近にあり、ブルーマウンテン山脈と共に国立公園になっている。モチョ山脈英語版ドライハーバー山脈英語版などの山脈や、コクピット・カントリー英語版の様な緑に覆われた山岳地帯もある。120にも及ぶ川が流れ、島は緑豊かな熱帯雨林に覆われた島である。本島から南、約50km から70km 離れた無人の珊瑚礁ペドロ諸島モラント諸島はジャマイカ属領である。 モンテゴ・ベイの付近の海はモンテゴ・ベイ海洋公園となっている。メイ・ペンの南方の海岸付近のアリゲーター・ホール(Alligator Hole)と言うマングローブの湿地にはワニも生息している。

ジャマイカの気候は熱帯で暑く、湿っているが、内陸部ではやや穏やかな気候になる。南岸のリグアニア平原とペドロ平原のような地域では相対的に乾燥した雨陰の地域となる。ジャマイカは大西洋ハリケーン・ベルトに位置しており、そのためにかなりの被害を受けることがある。1951年チャーリー1988年ギルバートがジャマイカを直撃し、多くの被害と死者を出した。2000年代にはアイヴァンディーンが、2010年代にはサンディが島に厳しい天候をもたらした。

経済[編集]

鉱業がジャマイカの経済を支えていると言える。ボーキサイトは世界第4位の生産量(1312万トン、2002年)である。ボーキサイト以外の鉱物資源は金、塩のみである。

農業には2002年時点で人口の10%が従事する。一人当たりの耕地面積は1.1haである。気候条件により、主食作物の栽培はサツマイモ(2万5000トン)、ついでキャッサバに偏っている。商品作物ではココナッツ、バナナである。畜産業はニワトリ、ヤギ、ついでウシを対象とする。高級コーヒー豆として有名なブルーマウンテンの80%は日本に輸出されている。コーヒー豆の生産は3000トンに留まる。コーヒー豆の生産量は世界生産量の0.04%に過ぎない。工業は食品工業、繊維業に偏る。

観光も主要産業で、モンテゴ・ベイオーチョ・リオスなどは、有名なリゾート地である。しかし、犯罪が多いため周囲に壁やフェンスを張りめぐられたリゾート施設が増えてきている。ほか、軽工業とアメリカ企業へのデータの電算機処理は成長部門である。

一人当たり国民総所得は2004年3,300ドル、2005年3,400ドル、2013年は5,220ドルとなっている。

2009年の失業率は14.5パーセントであり、14.8パーセントが貧困線以下の生活を強いられている[4]

国民[編集]

ドレッドのラスタマン。

先住民のアラワク人は、他の多くのインディヘナと同じようにヨーロッパから持ち込まれた疫病に対して免疫力が無く、植民地時代に絶滅した。

その後、砂糖プランテーションを支えるための労働力として、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系の諸部族民が住民となった。現在の国民は、アフリカ系が大部分(90.9%)を占め、インド系1.3%、白人0.2%、中国系0.2%、ムラート7.3%である。現在は中国、南アジア、コロンビア、及びその他のカリブ海諸国から移民が流入している。

20世紀の後半に大規模な製糖業が行われたが、労働力不足のためインド人(印僑)や中国人(多くは客家人)の季節労働者がジャマイカに集まった。このため、現在のような多人種国家ができあがった。国家のモットーは「One Out Of Many」(多くの部族から一つの国民に)である。

言語[編集]

イギリスの旧植民地だったこともあり、公用語イギリス英語である。日本で出版されているガイドブックなどでは『ジャマイカではパトワ語が話されている』という記述を見ることがあるかもしれないが、そもそもパトワという名前はカリブ海諸国におけるヨーロッパ言語のクレオール語の総称であり、ジャマイカの起伏が激しい地形も手伝って地域色も色濃い為必ずしも正しいとは言えない。なお、「ジャマイカ英語」は英語の方言の一つであり、クレオール言語であるパトワ語とは異なる。

ジャマイカのパトワにはrとl、bとvの区別をしない、ThatやThinkをDat,Tinkと発音するなど発音面での簡略化が見られる。またこれらの変化はパトワを表記する際にも現れることがある。パトワの語彙の中には英語だけでなくフランス語、スペイン語、ポルトガル語、アジアの諸言語(ヒンディー語、客家語)先住民の言語(アラワク語)なども混じっているが、英語以外の全ての要素を併せたよりもアフリカの諸言語(アカン語、イウェ語、ヨルバ語)の影響の方が多い。

しかしジャマイカ人は学校で標準英語の訓練を受けているため、英語が話せればジャマイカ人とのコミュニケーションで困ることはない。地名には、スペインの植民地時代を反映して、オーチョ・リオスなど、スペイン系の地名も多い。

宗教[編集]

宗教はプロテスタントが 61.3% 、ローマ・カトリックが4%、その他(ラスタファリ運動イスラム教ユダヤ教無宗教者を含む)が34.7%である。ジャマイカのプロテスタントはヴードゥー教サンテリアのように、ジャマイカで独自のアフリカ的発展を遂げたものもある。

その他の非キリスト教としては、バハーイー教仏教イスラム教ヒンドゥー教などがある。ユダヤ人の数は200人程と少ない。ジャマイカのユダヤ人は、15世紀にスペインポルトガルで迫害されていたユダヤ人にルーツを持つ。

教育[編集]

6歳から11歳までが義務教育期間となっている。2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は87.9%である[5]

主な高等教育機関としては西インド諸島大学(1948年)、ジャマイカ工科大学(1958年)、北カリブ大学(1919年)などが挙げられる。

治安[編集]

特にキングストン市では殺人強盗などの凶悪犯罪の発生率が高い[6]。2009年の殺人事件は1660件であるなど[4]、ジャマイカは長年に渡って世界で最も殺人事件発生率の高い国の一つであり[6]国連の調査によると、大抵コロンビア南アフリカ共和国に次いで世界第三位となる。警察による殺人も多く[6]、2010年にアルジャジーラが放送したドキュメンタリー番組「PEOPLE & POWER Island of music and murder」によると、2010年1月 - 4月間だけで警察による一般市民への銃撃は83件であり[7]、2000年から2009年の10年間に1900人以上が警察に殺害されている[6][8]。2010年6月には麻薬王クリストファー・コークの逮捕を巡り、軍・警察とキングストン・チボリガーデン地区の住民及びギャングとの間で激しい銃撃戦が起き、乳幼児を含む76名が死亡するなど[9][10]、ギャングや政党間の闘争も苛烈である。

ジャマイカ人移民[編集]

過去数十年の間に、百万人近い[要出典] ジャマイカ人が、主にイギリスアメリカ合衆国カナダに移住した。これらの移民は最近では数が少なくなっている。しかし、海外に居住する膨大な数のジャマイカ人は「ジャマイカ人のディアスポラ」として知られるようになった。また、キューバへのジャマイカ人の移民もあった。[11]

海外に居住するジャマイカ人の集住はニューヨーク市バッファローマイアミ大都市圏、オーランドタンパワシントンD.C.フィラデルフィアハートフォードロサンゼルスといった合衆国の諸都市で多い。カナダではジャマイカ人はトロントに集中しており、モントリオールオタワにも小さなコミュニティがある。イギリスでは、多くの都市にジャマイカ人のコミュニティがあり、そこで彼らはブリティッシュ・カリビアン共同体の大部分を占めている。

文化[編集]

ジャマイカ音楽の象徴、ボブ・マーリー

文学[編集]

イギリスの作家イアン・フレミングはジャマイカに住んでいたことがあり、『007ジェームズ・ボンド』にはジャマイカから着想を得た話がある。セント・ルシア出身のノーベル賞作家デレック・ウォルコット西インド諸島大学で学んだ。

ジャマイカ出身の作家としてはクロード・マッケイルイス・シンプソンが挙げられる。

音楽[編集]

スカ以前においてメントトリニダード・トバゴカリプソと混同されながらも1950年代にアメリカ市場で成功し、ジャマイカ音楽の世界での成功の基盤を築いた。

1960年代初頭にジャズなどのアメリカ合衆国のポピュラー音楽の影響を受けてスカが誕生し、その後ロックステディを経て、1960年代後半にレゲエが誕生し、ダブダンスホール・レゲエラガマフィンなどの音楽ジャンルが生まれた。1970年代のボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの世界的ヒット以降、レゲエとそのサブジャンルは世界的に認知を広げ、各地のポピュラー音楽に対して影響を与えている[12]

映画[編集]

ジャマイカ映画の知名度は高くはないが、キングストンのトレンチタウンでレゲエの生まれた時期を取り扱った『ハーダー・ゼイ・カム』(1972年)はジャマイカ初の長編映画として有名である。

スポーツ[編集]

国技はクリケットである。他にサッカー競馬も盛んである。サッカーは国内リーグがあり、サッカージャマイカ代表1998 FIFAワールドカップに出場、グループリーグで日本と対戦し、2-1で大会初勝利をあげた。また、2000年代に入るとスプリント競技において、義務教育からの徹底した訓練と国による助成で人材の海外流出に歯止めがかかり[13]100メートル競走200メートル競走400メートルリレー走世界記録保持者のウサイン・ボルト、及び100メートル競走前世界記録保持者のアサファ・パウエルらを輩出した。

ウィンタースポーツとしては、1988年カルガリー冬季オリンピックに出場して以来ボブスレーが盛んであり、1993年には同五輪出場時のエピソードを元にした『クール・ランニング』という映画が製作された。

ジャマイカの食品[編集]

ジャマイカでの調理方法は、主として、アフリカなど、英国、中国、インド、スペイン、アイルランド、スコットランド、マルーン、その他の多くの異なった文化の影響を受けている。

祝祭日[編集]

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 New Year's Day
2月21日 灰の水曜日 Ash Wednesday
4月5日~10日 復活祭 Easter
5月23日 労働者の日 Labour Day
8月1日 解放記念日 Emancipation Day 英領西インド諸島における1833年の黒人奴隷解放の日
8月6日 独立記念日 Independence Day
10月16日 国民的英雄の日 National Hero's Day
12月25日 クリスマス Christmas Day
12月26日 ボクシングデー Boxing Day

脚註[編集]

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ Jumieka Langwij: Aatagrafi/Jamaican Language: Orthography Jumieka Langwij/Jamaican Language
  3. ^ Jamaica to become a republic, prime minister pledges ガーディアン、2012年1月6日、2012年1月8日閲覧
  4. ^ a b Jamaica stand-off highlights links between ruling party and drug gang - インデペンデント、2010年5月26日、2010年6月1日閲覧。
  5. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/jm.html 2009年3月30日閲覧
  6. ^ a b c d "PEOPLE & POWER Island of music and murder" - english.aljazeera.net、2010年4月28日、2010年5月1日閲覧。
  7. ^ "Al Jazeera Turns Spotlight On Jamaican Police Killings" - jamaica-gleaner.com、2010年4月30日、2010年5月1日閲覧。
  8. ^ "Al Jazeera calls Jamaica the island of music and murder" - Jamaica Observer、2010年4月30日、2010年5月1日閲覧。
  9. ^ ジャマイカのコーク被告引き渡し、ニューヨークに到着 - CNN、2010年06月25日、2010年7月8日閲覧。
  10. ^ "Toll from crackdown on Jamaica slum climbs to 73" Reuters, 27 May 2010.
  11. ^ Jamaicans to Cuba
  12. ^ 北中 (2007, p.28)
  13. ^ 1990年代まではジャマイカ出身のスプリンターが他国に帰化することは珍しいことではなかった。リンフォード・クリスティ (イギリス国籍)、マリーン・オッティスロベニア国籍)、ベン・ジョンソン (カナダ国籍)、ドノバン・ベイリー (カナダ国籍)らはジャマイカ出身である。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光