文書仮説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Modern document hypothesis.svg

文書仮説(ぶんしょかせつ、: Documentary hypothesis)とは、旧約聖書モーセ五書の記者がモーセであるという伝統的なキリスト教会の立場を否定し、これがモーセの後の異なる時代の別々の著者による合成文書であるとする聖書学における仮説である。これにより、たとえば『創世記』においてエロヒムによる人間の男と女の創造とヤハウェ・エロヒムによるアダムとイヴの創造の記述が重複していることなどの理由を説明することができる。

近代において、聖書の批評学による、『創世記』の研究が行われた。特に19世紀ドイツ聖書学ユリウス・ヴェルハウゼンの新資料仮説(文書仮説)は『創世記』の成立に関して、革命的な新説を打ち立てた。それはモーセ五書の成り立ちについて説明するものだが、その説によれば『創世記』は以下のような異なる伝承の資料を組み合わせてつくられた。

  • J資料- Jahwistヤハウェスト)により、BC950年頃に南ユダ王国で書かれた。ヤハヴェという神の名を用いる資料で一番古いもの。
  • E資料 - Elohist(エロヒスト資料)(エロヒスト)により、BC850年頃に北イスラエル王国で書かれた。:エロヒムという神の名を用いる資料で二番目に古いと考えられる。
  • D - Deuteronomist申命記文書作者)により、BC621年頃にエルサレムの改革時に書かれた。
  • P資料(祭司資料)- Priestlyにより、BC450年頃に書かれた祭司文書バビロン捕囚時に書かれたと思われる資料。天地創造の記述の一部など。
  • R - 最後にエズラと考えられる編集者がこれらを混ぜ合わせた。

ヴェルハウゼンは4文書がイスラエルの宗教の歴史における、中央集権化と祭司の力の拡大を示していると考えた。

神学的には自由主義神学派によって広く受け入れられている。

歴史[編集]

歴史的キリスト教会がモーセを記者であるとしてきたモーセ五書に関しては、それを否定する四資料仮説が19世紀より唱えられリベラル派の旧約聖書学の標準学説として知られている[1]。それによれば、ソロモン王国時代にヤハウェストと呼ばれる個人ないしグループが主に南部の部族に伝わる伝承を基にして「J資料」を書いた。その後、分裂後の北イスラエル王国でエロヒストと呼ばれる個人ないしグループが、「J資料」とは異なる伝承を基にして「E資料」を書き、これらがどこかの時点で編纂されてひとつにまとめられた。おそらくは北イスラエル王国の滅亡時にユダヤ王国へ亡命してきた人々がE資料をユダヤ王国にもたらして、そこでまとめられたのだろう。これを「JE資料」と称する。さらにユダ王国末期に申命記記者と呼ばれる個人ないしグループが主に申命記からヨシュア記以降列王記までの歴史書を書いて付け加えた(これを「D資料」と呼ぶ)。最後にバビロン捕囚期に祭司階級に属する個人もしくはグループが別に保持していた資料を用いて加筆編纂を行った(この加筆部分を「P資料」と呼ぶ)。この仮説によれば、創世記の1章1節から2章3節まではP資料、それ以降から第4章まではJ資料である。また、ノアの箱舟や、出エジプト記の葦の海でもJ資料とP資料が繋ぎ合わされている、とする。

ただし、この四資料仮説はあくまで仮説に過ぎず、細部に至るまで完全に合意されたものではない。J資料などは執筆時期をバビロン捕囚期とする説もあり500年くらい振れ幅がある[2]。それでも、バビロン捕囚期にモーセ五書から列王記までが編纂されたであろうことは学者たちの間でおおよそ合意されており、これに各種の預言書や諸書が時代を経るに従って順々に執筆されて付け加わっていったものと推測される。

この新資料仮説は、20世紀中頃までの創世記研究において支配的だったが、20世紀後半以降この仮説に対する矛盾点が指摘され、現在では支配的学説ではなくなっている。

単純なものから複雑なものへというアプリオリに進化主義的な文書資料説について見直され、モーセの時代に、『旧約聖書』の最初の五つの書であるモーセ五書の原形ができあがっていたと考える研究者、またモーセによって五書が口伝的に与えられたものがヨシュアアロン、エルアザルなどの助けもあってモーセの死後間もない時期に完成したと考える研究者もいて、実際のところもちろんモーセ自身を含め著者が誰であるのかは諸説ある。

2つの立場説[編集]

旧約聖書を批判的に分析研究する学問を旧約聖書学の内、文書仮説高等批評といい、その研究の結果、『創世記』では、2つの立場(信仰)の「天地創造」が併記されていることが明らかになったと主張される。下記の経緯をたどった結果、祭司記者資料の部分ではいくつかの点でバビロニア神話との類似点が見られる。むしろ、バビロニア神話を含む先行する神話を素材にして、それらを換骨奪胎して、新しい天地創造物語を作り出したというのが実態に近い。以下にそのあらすじを示す。 ただし、保守的な教会はこれを認めていない。

アダムとエバ[編集]

『創世記』の創造の箇所は、聖書の文献批判的研究の聖書学での文書仮説では二つの異なる伝承の組み合わせになっていると考えられている。その分類に基づくアダムとエバの創造の記述は以下の通りである。

  • 祭司資料による伝承(『創世記』1:27-1:31)
    • (3日めに乾いた陸と植物が創られ、5日めに水中の生き物が創られ、6日めにまず地上の動物が創られた。)
    • 全能者である神エロヒムは自らにかたどって人間を創造した。
    • 男と女は同時に創造された。
    • 神は男女を祝福し、子孫を増やして地上に満ちて地を支配するよう命じた。
  • ヤーウィスト資料による伝承(『創世記』2:6-2:25)
    • 主なる神ヤハウェが天と地を作ったとき、地に木も草もまだはえていなかった。神は雨を降らせていなかったが地は「泉」(地下からの水)でうるおっていた。神は土の塵(アダマ)から人(アダム)を形作り、その鼻から命の息吹を吹き込んだ。のち、草木を創りエデンの園を管理させた。
    • アダムが動物の中で自分に合うふさわしい助け手をみつけられなかったので、神はアダムを眠らせ、あばら骨の一部をとって女をつくった。
    • アダムは女を見て喜び、男(イシュ)からなったものという意味で女(イシャー)と名づけた。

一般にはヤーウィスト資料のアダムとエバの創造物語が有名であり、中世においては、この部分の記述から「男のあばら骨は女より一本少ない」と真剣に考えられていた。かつては(その解釈が聖書の著者の意図に沿っているのかどうかはともかく)女性蔑視の根拠となったこともあるが、祭司資料においてはより人間賛美的・男女同権的思想であるといえよう。[3]

文書仮説による天地創造の内容の理解[編集]

『創世記』1章1節 - 2章4節前半 天と地の創造 [編集]

  • はじめに(ヘブライ語:ベレシース、beresit)、神により天と地が造られた。地には何もなく闇が水の面にあり神の霊が水面をおおっていた。神が「光(ヘブライ語:オール)あれ」といい、光が造られた。光と闇が別けられた。光が昼、闇が夜と名づけられた。夕があり朝があり第一日となった。
  • 二日目は水が上下に分けられて空が作られた。空は天と名づけられた。
  • 三日目は水を集め乾いた所をつくり、そこを地と名づけ、水の集まった場所を海と名づけた。地の上に草、種をもつ草、果樹が造られた。
  • 四日目は空に2つの大きな光体(ヘブライ語:マオール、発光体の複数形)を造る。大きい光体と小さい光体とが作られ昼と夜をつかさどらせた。
  • 五日目は水の生き物である海の大いなる獣と水の全ての動く生き物と翼ある全ての鳥が造られた。
  • 六日目は、地の生き物の家畜、這うもの、地の獣が造られた。神は「われわれのかたちに、われわれをかたどって人をつくり・・」と語り、海の魚、空の鳥、家畜、地の全ての獣・這うものを治めさせる人間の男と女を創造した。
アダムの創造。ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画より。

『創世記』2章4節後半 人の創造 [編集]

神は土のちり(アダマ)で人(アダム)をつくり、その鼻に息(ルーアハ)を吹き入れ、人を創造する。また、神は、人・男の助け手として、男(イシュ)から取ったあばら骨から女(イシャー)を創造する。

『創世記』1章1節 - 2章4節前半:「祭司記者資料」[編集]

『創世記』1章1節 - 2章4節前半では、創造主をエロヒムと呼ぶ(なお漢訳聖書では「神」と訳し、明治の日本の聖書も訳語を引き継いだ)。 この物語の部分は、祭司記者資料と呼ばれる(頭文字を取りP資料ともいう)。紀元前587年に南王国ユダが新バビロニア帝国に敗れ、エルサレム神殿が徹底的に破壊され、その当時の指導者層の人々がバビロニアに連行された(これをバビロニア捕囚という)。規模は、数千人 - 数万人と言われている。圧倒的なバビロニアの神々の宗教(主神マルドゥク)に囲まれ、今までの神ヤハウェ信仰が危機の状態に陥り、民族が自信を失っていた。この様な状況の下で祭司職人(現在祭司記者と呼んでいる)の中から、バビロニアの神話に対抗する形で、自分たちの信仰書を作り出し(創造信仰)、この危機状況から再び生きる力を生み出していった。

バビロニアの創造物語は紀元前1500年頃に作られたと言われており、この祭司記者たちはその内容を知っていて、それを否定し乗り越えるかたちで神ヤハウェを受け止め直して信仰を記述している。例えば、その神話では、新バビロニアでは極端な階層社会であり、その頂点に立つ王だけが神・神の子であり政治支配の正当化を強めているが、『創世記』では人間は全て神から神の似姿として作り出され平等(みな神の子である)であることが主張され信仰告白されている。このように『創世記』は、素朴な伝承・神話などではなく、当時の知識階層が執筆した宗教書(表現形態は物語ではあるが神学書)である点が世界の他の天地創造物語とは異なる。

『創世記』2章4節後半 - 3章:「ヤハウィスト資料」[編集]

『創世記』2章4節後半 - 3章では、創造主をヤハウェ・エロヒムと呼ぶ(日本では主なる神または神である主と訳されている)。 この物語の部分は、ヤハウィスト(ヤーウィスト)資料と呼ばれる(同じくJ資料ともいう)。以前の学説では、ヤハウィスト(ヤーウィスト)資料は祭司記者資料よりも古いとされてきたが、研究が進み、表現形式・信仰内容も知識文学に近い部分もあり、現在では、上記バビロニア捕囚よりも後代という説が強くなってきている。この場合も、神話というものではなく、知識階層の人々が自分たちの信仰を執筆しており、ヤハウェ・エロヒムと人間に対し深い洞察がなされており、それが現在に至るまで救いを生み出している。

評価[編集]

なおこれらの仮説は、先にも述べたように福音派は退けているが[4]、近年においては、例えば日本基督教団出版による創世記注解がこの仮説に立たないと明言するなど、他の教派においても退けられつつある[5]

脚注[編集]

  1. ^ R.E.フリードマン著(松本英昭訳) 『旧約聖書を推理する』 海青社、1989年ISBN 4-906165-28-1、序章部で四資料仮説の要約史が読める
  2. ^ 四資料仮説については、『新版 総説 旧約聖書』 日本キリスト教団出版局、2007年、ISBN 978-4-8184-0637-7、pp.137-141や、W.H.シュミット著(木幡藤子訳) 『旧約聖書入門 上』増補改訂版 教文館、2004年、ISBN 4-7642-7145-1、pp.79-93 などを参照
  3. ^ 絹川久子著『聖書のフェミニズム-女性の自立をめざして』ヨルダン社 ISBN 4842800763
  4. ^ ケアンズ『基督教全史』いのちのことば社
  5. ^ 月本昭男『創世記注解』日本基督教団出版

参考文献[編集]

  • E.ケアンズ著 聖書図書刊行会訳 『基督教全史』 聖書図書刊行会、1957年(昭和32年)、ASIN B000JAYJCG


外部リンク[編集]