アルブレヒト・リッチュル

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アルブレヒト・ベンヤミン・リッチュル
生誕 1822年3月25日
プロイセン王国の旗 プロイセン王国 ベルリン
死没 1889年3月20日(満66歳没)
プロイセン王国の旗 プロイセン王国 ゲッティンゲン
職業 神学者
大学教授
ボン大学
ゲッティンゲン大学
著名な実績 自由主義神学
影響を受けたもの イマヌエル・カント
宗教 キリスト教
宗派 プロテスタントルター派

アルブレヒト・ベンヤミン・リッチュル(Albrecht Benjamin Ritschl, 1822年3月25日 - 1889年3月20日)は、ドイツルター派神学者である。歴史文献批評を取り入れて、聖書を歴史的文書として研究し、共同体としての教会を視点に据えた神学を展開し、フリードリヒ・シュライアマハーとともに自由主義神学の先駆者になった。

生涯[編集]

教会史家フェルディナント・クリスティアン・バウアから思弁的な歴史学を学び、バウア学派に属する学者として活動した。

1857年に『古いカトリック教会の起源』の第二版を出版時に、バウア学派から離脱する。リッチュルは原始キリスト教の共同体と歴史的イエスを理解するために、歴史批評学の提供する手段を完全に用いるように主張した[1]

1846年にボン大学で教え始め、1864年にゲッティンゲン大学の教授になり、1889年に死去するまで、25年間その地位にあった。

1870年から1874年にかけて『義認と和解とに関するキリスト教の教理』を出版し、リッチュル神学を表す主著になった。リッチュルの個人的弟子は少数であったが、リッチュルの著書によって影響を受けた人々がリッチュル学派を形成する。リッチュル学派の後継者として、アドルフ・ハルナックヴィルヘルム・ヘルマンユリウス・カフタン (Julius Kaftan) がいる。

神学[編集]

哲学者イマヌエル・カントに影響を受けて、実践的確実性の基礎としての道徳感動を肯定して、絶対的なものの知的認識を否定して、宗教的な感情に重きを置く信仰理解を持つ[2]

キリスト教信仰を明らかにする助けとして、形而上学を無用とみなしたが、哲学者ルドルフ・ヘルマン・ロッツェの認識論を利用した。ロッツェが主張する価値判断による知識の代わりに、キリストを知ることを協調した。

正統主義神学に見られる伝統主義と、バウアの学派の根幹であったゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル思弁哲学を廃して、マルティン・ルター神学の振興と、聖書とキリストの啓示性の回復を図った。

シュライアマハーの神信仰の基礎として、宗教的意識を主張したことに強く影響されている。しかし、シュライアマハーの個人主義的な宗教意識よりは、キリスト者の共同体としての教会の意識を協調した。

リッチュルによれは、イエス・キリストは偉大な倫理の教師にすぎず、義認和解も人間の側の主観・価値判断の問題とされた。ゆえに、人間の十字架や神のさばきについて聞くことは意味がなく、愛に満ちた神と倫理の教師たるキリストが強調された。教会は、贖罪との関係において語られるのではなく、善良な国民が善行に励む共同体であるとされた。リッチュルの神学は、19世紀のヨーロッパのブルジョア階級に、当時の社会体制を維持するための宗教的理論を与えた[3]

脚注[編集]

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  1. ^ 『キリスト教史4 近・現代のキリスト教』pp. 174-175
  2. ^ 『キリスト教史4 近・現代のキリスト教』p.175
  3. ^ カール・ヴィスロフ『現代神学小史』いのちのことば社、p.31

著書[編集]

  • 『古カトリックの成立』
  • 『義認と和解』

参考文献[編集]