ベルリン
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- ベルリン
- Berlin
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市の旗 市の紋章 
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面積 891.82 km² (第14位) 人口
- 総計
- 人口密度(2005/12/31)
3,395,189 人 (第8位)
3,807.3 人/km²座標 北緯52度30分
東経13度22分標高 34-115 m ナンバープレート B 自治体コード 11 0 00 000 ISO 3166-2 DE-BE 公式サイト ベルリン市 政 治 市長 クラウス・ヴォーヴェライト (SPD) 与党 SPD・Linke.PDS連立 前回選挙 2006年9月18日 次回選挙 2011年 連邦参議院(上院)
での投票権数4
ベルリン(Berlin、伯林)は、ドイツの北東部に位置する都市で、ドイツ連邦共和国の首都である。
行政区画上は一市単独で都市州を構成している。ベルリン特別市やベルリン州とも表記する。
目次 |
[編集] 概要
ベルリンは、1871年のドイツ帝国成立から1945年の第二次世界大戦の終結まで、ドイツ国の首都であった。戦後の冷戦時代には東西に分断され、東ベルリンは旧東ドイツの首都、西ベルリンは事実上旧西ドイツの州の一つ(名目上は米英仏共同管理区域)であった。1990年の統一以降は、再び統一ドイツの首都となった。ドイツ最大の都市であり政治の中心地であるが経済の中心地はフランクフルトとされる。
標準ドイツ語の会話における一般的な発音では「ベアリーン」[bɛɐˈliːn]となる。
[編集] 地理
ベルリンはドイツ東部の平原(北緯52度31分、東経13度24分)に位置し、周りをブランデンブルク州に囲まれている。面積は約890平方キロメートル、人口は約340万人(2005年11月)である。市の中央を東西にシュプレー川が流れており、テーゲル湖などの湖を擁している。
ベルリン特別市は、行政単位として12個の区に区分されている。
- ミッテ区 (Mitte) 「ミッテ」は「中央」の意味で、日本風に言うと「中央区」に当たる。
- フリードリッヒスハイン・クロイツベルグ区 (Friedrichshain-Kreuzberg)
- パンコー区 (Pankow)
- シャルロッテンブルグ・ヴィルマースドルフ区 (Charlottenburg-Wilmersdorf)
- シュパンダウ区 (Spandau)
- シュテグリッツ・ツェーレンドルフ区 (Steglitz-Zehlendorf)
- テンペルホーフ・シェーネベルグ区 (Tempelhof-Schöneberg)
- ノイケルン区 (Neukölln)
- トレプトー・ケーペニック区 (Treptow-Köpenick)
- マルツァーン・ヘラースドルフ区 (Marzahn-Hellersdorf)
- リヒテンベルグ区 (Lichtenberg)
- ライニッケンドルフ区 (Reinickendorf)
[編集] 歴史
- 主要記事:History of Berlin
[編集] 第二次世界大戦まで
ベルリンという名称が歴史的文書で最も古く遡れるのが1244年である。1448年にはブランデンブルク辺境伯がブランデンブルクからベルリンに宮殿を移した。
1871年にプロイセン国王が皇帝となってドイツ帝国が成立し、ベルリンはその首都となった。ビスマルクの外交手腕とオーストリア・ハンガリー帝国の凋落とによって、ベルリンはヨーロッパにおける国際政治の中軸となる。1880年代には日本の文豪森鷗外が留学したことでも知られている[1]。
第一次世界大戦でドイツ帝国は崩壊し、戦後はヴァイマル共和国の首都となった。ベルリンはなおもヨーロッパの芸術・学問の中心として栄えた。その一方でベルリンは政治的に「赤いベルリン」の異名を持つ共産主義の牙城であり、ヒトラー政権成立直前の1932年11月の選挙ではドイツ共産党がベルリンで投票総数の31%を獲得して単独第一党となった。1933年にナチスが政権を奪取し、ベルリンはそのゆがめられた政策によって文化が衰退する。そして第二次世界大戦ではアドルフ・ヒトラーの最後の戦場となり徹底的に破壊された(ベルリンの戦い)。
[編集] 米ソ冷戦時代
第二次世界大戦後、ベルリンの周辺地域はソ連の占領地域となったが、ベルリンはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連によって周辺地域とは別に分割占領され、西側3か国占領地域はソ連占領地域の中に位置する飛地西ベルリンとなった。1948年にはソ連が西ベルリン封鎖を行ったが、西側は空輸作戦でこれに対抗した。
1949年に東西ドイツが分裂して独立し、ソ連占領地区はドイツ民主共和国の首都東ベルリンとなり、西側3か国占領地域はドイツ民主共和国の中の飛び地のまま、形式的には米・英・仏の共同信託統治領ながら、実質的にはドイツ連邦共和国が主権をもって実効的に統治する西ドイツ領となった。西ドイツ本土と西ベルリンは空路または直通専用道路で往来が可能だったが、形式的には西側三カ国の管理下に置かれたため、テーゲル空港など西ベルリンの空港への乗り入れは米・英・仏の航空会社のみが認められ、ルフトハンザの乗り入れは禁止されていた。
スターリンの死から3か月後の1953年6月、東ベルリンで、直接的にはノルマ引き上げなどを理由とする大規模な反政府デモが起きたが、人民警察とソ連軍によって鎮圧された(ベルリン暴動)。西ベルリンの主要な道路であるシャルロッテンブルク通りはこの事件を機会に「6月17日通り」と改名された(6月17日は暴動鎮圧の日で、旧西独はこの日を「ドイツ統一の日」とした)[2]。
東西ドイツの国境が封鎖された後も東西ベルリンの間だけは往来が自由であったため、ベルリン経由で東ドイツから西ドイツへ脱出する人が続出した。労働人口の流出を恐れた東ドイツ政府は1961年8月13日に東西ベルリンの境界線を封鎖。後には西側占領地区と東ドイツとの境界線上にベルリンの壁を建設した。この時代のベルリンは、東西冷戦の最前線であった。1989年11月9日、東ドイツ政府は東西ベルリンの境界線を解放し、ベルリンの壁は崩壊した。
[編集] ベルリンの壁崩壊後
1990年10月3日には東西ドイツが統一し、1991年には東西統一ドイツの首都と定められた。以降、東西に分断されていた道路網や地下鉄も含む鉄道網といった、交通網の東西直結工事が行われ、インフラ整備や再開発が旧東ベルリン地区を中心に進行した。また、再度首都と定められて以降、ボンからの連邦政府諸機関の移転も漸次進められた。首都機能移転は2001年5月2日に完了し、現在では再度、名実ともにドイツの首都となっている。
ベルリンの壁が撤去され市内中心部には広大な空き地が出現した。その一つであるポツダム広場は再開発され、巨大なビジネス・商業エリアになっている。ベルリン東西分断まで最も賑わっていたウンター・デン・リンデン通りの代わりを自然に担わされたクーダム通りは、ベルリン統合・再開発後、皮肉にもその座を追われ、東京で言うところの銀座の様なポジションに落ち着いている。
[編集] 交通
[編集] 空港
空港は旧西ベルリン地域のベルリン・テーゲル国際空港とテンペルホーフ空港、旧東ベルリン地域のシェーネフェルト空港がある。シェーネフェルト空港はかつてのインターフルクの拠点であるが、拡張されてベルリン・ブランデンブルク国際空港となる予定で、その際にテーゲル国際空港は閉鎖される見込みである。
[編集] 鉄道
鉄道は、ベルリン地下鉄のUバーン(ウーバーン)、都市近郊電車のSバーン(エスバーン)、旧東ベルリン地域の路面電車(トラム)が運行されている。長距離列車は、ドイツ国内各地へのICEやインターシティ、パリ、ウィーン、東欧各国への列車が運行されている。東西分断時代は、西側がツォー(Zoo.動物園)駅、東側はベルリン東(Ost)駅がターミナルとなっており、2つのターミナルが併用されていた。2006年5月、東西のターミナルを統合した新しいベルリン中央駅が完成し、営業を開始している。
[編集] 観光名所
- 連邦議会が置かれている国会議事堂(Reichstagsgebäude am Sitz des Deutschen Bundestags)
- ブランデンブルク門(Brandenburger Tor)
- ベルリンテレビ塔(Fernsehturm)(旧東ベルリン)
- 博物館島(Museumsinsel)(世界遺産)
- ペルガモン博物館(Pergamon-Museum)
- シャルロッテンブルク宮殿(Schloss Charlottenburg)
- フンボルト大学(旧称ベルリン大学)(Humboldt-Universität zu Berlin)
- 赤い市庁舎
- カイザー・ヴィルヘルム教会(Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche)
- ベルリン国立歌劇場 (Staatsoper Unter den Linden)
- ベルリン・フィルハーモニー(ベルリン・フィルの本拠)(Berliner Philharmoniker)
- ベルリン・ドイツ・オペラ(Deutsche Oper)
- ティーアガルテン(Tiergarten)
- ウンター・デン・リンデン(Unter den Linden)
- 戦勝記念塔(Berliner Siegessäule)
- ノイエ・ヴァッヘ(戦没者国立中央追悼所)(Neue Wache)
- ハンザ地区
- ルター・ウント・ヴェーゲナー
- ポツダム広場(Potsdamer Platz)
- ベルリン大聖堂(Berliner Dom)
- ベルリン・オリンピアシュタディオン(Olympiastadion Berlin)(オリンピックスタジアム、ブンデスリーガ1部・ヘルタ・ベルリンのホームスタジアム)
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ベルリン大空襲以前のカイザー・ヴィルヘルム教会 |
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Uバーン(地下鉄)の車両 |
Sバーン(都市高速鉄道)の車両 |
[編集] 娯楽・文化
[編集] 映画
- ベルリン国際映画祭の開催地として有名である。
[編集] 音楽
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を初めとする、幾つものオーケストラや歌劇場を抱えている。欧州では、ウィーンなどと並ぶクラシック音楽の中心都市ともなっている。
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- シュターツカペレ・ベルリン
- ベルリン・ドイツ交響楽団
- ベルリン交響楽団
- ベルリン放送交響楽団
- ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
[編集] ナイトクラブ
ベルリンの特徴の一つがナイトクラブを核としたアンダーグラウンド・シーンである。壁の崩壊後から、欧州各地から若手アーティストが続々とベルリンへ集まってきており、今日ではロンドンに対等するヨーロッパ随一のクラブシーンとなっている。市内には220を超えるナイトクラブがあり、交通機関が24時間運行する週末の夜にはクラブからクラブへ渡り歩く多くの若者を目にすることが出来る。その形態は豪華な内装がほどこされたポッシュなものから、倉庫跡地を利用したものまで様々である。入場料はほとんどのクラブが10ユーロ以下で、日本や他の欧州都市と比べても安い。また、営業時間も多くが23時前後から朝の9時ごろまでオープンしている。
特にテクノミュージック(現地ではElectro,House music 等に分類されるが、ここでは総称してテクノとする)においてはは世界のテクノミュージックシーンの牽引役となっている。人気のテクノクラブとしてWatergate, Berghain/Panorama bar, Weekend club,そして2年間の休止を経て2007年春に再オープンした圧倒的人気のTresorがある。また、近年サルサダンスも根強い人気を見せており、多くのサルサクラブで無料または格安の初心者レッスンが開かれ、サルサ人口の増加を促進している。
日本と比べても、その規模は"夜遊び"の枠を超えており、ナイトクラブはベルリン文化の重要な一役を担っている。
[編集] スポーツ
- ヘルタ・ベルリン - ブンデスリーガ所属のプロサッカークラブ
- 1.FCウニオン・ベルリン - レギオナルリーガ(3部)所属のプロサッカークラブ
- アルバ・ベルリン - バスケットボール・ブンデスリーガ所属のプロバスケットボールチーム
- 2006年ドイツ FIFAワールドカップの開催都市の一つであり、オリンピアシュタディオンにて決勝戦が行われた。
- ベルリン・サンダー - アメリカンフットボールチーム
- アイスベーレン・ベルリン(ベルリン・ポーラーベアーズ) - プロアイスホッケーチーム
[編集] 放送局
- ベルリン・ブランデンブルク放送(RBB) - 旧名「自由ベルリン放送(SFB)」。2003年より改名。
- ドイッチュラントラジオ
[編集] 市長の一覧
[編集] 旧東ベルリン市長(1948年~1990年)
- フリードリヒ・エーベルト (Friedrich Ebert (Sohn)) (1948年 – 1967年)ヴァイマル共和国初代大統領フリードリヒ・エーベルトの息子。
- ヘルベルト・フェヒナー (Herbert Fechner) (1967年 – 1974年)
- エアハルト・クラック (Erhard Krack) (1974年 – 1990年)
[編集] 旧西ベルリン市長
- エルンスト・ロイター (Ernst Reuter) (ドイツ社会民主党-SPD, 1948年 – 1953年)
- ヴァルター・シュライバー (Walther Schreiber) (キリスト教民主同盟-CDU, 1953年 – 1955年)
- オットー・ズール (Otto Suhr) (SPD, 1955年 - 1957年)
- ヴィリー・ブラント (Willy Brandt) (SPD, 1957年 - 1966年)後の連邦首相
- ハインリッヒ・アルベルツ (Heinrich Albertz) (SPD, 1966年 - 1967年)
- クラウス・シュッツ (Klaus Schütz) (SPD, 1967年 - 1977年)
- ディートリッヒ・シュトッベ (Dietrich Stobbe) (SPD, 1977年 - 1981年)
- ハンス=ヨッヒェン・フォーゲル (Hans-Jochen Vogel) (SPD, 1981年)
- リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー (Richard von Weizsäcker) (CDU, 1981年 - 1984年)後の連邦大統領
- エーベルハルト・ディープゲン (Eberhard Diepgen) (CDU, 1984年 - 1989年)
- ヴァルター・モンパー (Walter Momper) (SPD, 1989年 - 1990年)
[編集] 東西統一後のベルリン市長
- ヴァルター・モンパー (Walter Momper) (SPD, 1990年 - 1991年)
- エーベルハルト・ディープゲン (Eberhard Diepgen) (CDU, 1991年 - 2001年) - 2回目
- クラウス・ヴォーヴェライト (Klaus Wowereit) (SPD, 2001年 - 現在)
[編集] ベルリン出身の著名人
- ウルフ・ティンマーマン - 陸上競技選手
- ヴィルヘルム・フルトヴェングラー - 指揮者・作曲家
- マレーネ・ディートリッヒ - 女優
- ルネ・コロ - オペラ歌手
- ギド・ブッフバルト - サッカー選手(元ドイツ代表)
- トーマス・ヘスラー - サッカー選手(元ドイツ代表)
- ロベルト・コバチ&ニコ・コバチ - サッカー選手(元クロアチア代表)
- クリストフ・フォン・ドホナーニ - 指揮者
- フジ子・ヘミング - ピアニスト、ロシア系スウェーデン人の父と日本人の母を持つ。
- ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ - バリトン歌手
- クリスタ・ルートヴィヒ - メゾソプラノ歌手
- カルロス・クライバー - 指揮者
- クリスティアン・ティーレマン - 指揮者
- ブルーノ・ワルター - 指揮者
[編集] 姉妹都市
[編集] 脚注
- ^ ベルリン留学中の森鷗外の動向については舞姫参照。
- ^ なお、この通りはちょうど東西ベルリンの境界となったブランデンブルク門を境に、名前が変わる。東ベルリン側にあたるのが有名なウンター・デン・リンデン通り。
[編集] 関連項目
- ベルリンの壁
- ベルリン封鎖
- 東ベルリン
- 西ベルリン
- ベルリン美術館
- ヴィリー・ブラント
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- ラブパレード
- ベルリーナー・プファンクーヘン(発音が似ている これにまつわるエピソードは当該項目参照)
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- ベルリン市公式サイト (ドイツ語)(英語)
- ベルリン市観光局 (日本語)
- ドイツ政府観光局 - ベルリン (日本語)
- Doitsu.com/Berlin (日本語)
[編集] 日系機関・団体
[編集] その他
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