カール・ラハマン

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Karl Konrad Friedrich Wilhelm Lachmann
カール・ラハマン
生誕 1793年3月13日
プロイセン王国の旗 プロイセン王国ブラウンシュヴァイク
死没 1851年3月13日(満58歳没)
プロイセン王国の旗 プロイセン王国ベルリン
墓地 ベルリン、クロイツベルク
トリニティ墓地
職業 神学者
言語学者
業績 中高ドイツ語の研究
流派 チュービンゲン学派
宗教 キリスト教

カール・コンラート・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ラハマン(Karl Konrad Friedrich Wilhelm Lachmann, 1793年3月4日 - 1851年3月13日)は、ドイツ言語学者であり神学者である。カール・ラッハマンと表記する時もある。

ラハマンはライプツィヒゲッティンゲンで主に言語学を学んだ。1811年に批評学と言語学の会と設立した。1815年にラハマンはプロイセン陸軍に志願し、パリに進軍した。1815年ではベルリンでギナジウムの副校長になった。そして、ケーニヒスベルクのフリドリヒ・ギナジウムの校長になった。

本文批評の発展に貢献した。ベントレイと共に、4世紀のギリシア語聖書に照応するようなギリシア語聖書を計画した[1]

1835年に「マルコの福音書」の優先性を発見した[2]

脚注[編集]

  1. ^ シーセン、p.60
  2. ^ シーセン、p.206

参考文献[編集]