最後の審判

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最後の審判(さいごのしんぱん、Last Judgement)とは、新約聖書にあるキリスト教用語である[1][2]。ただし、キリスト教終末論の相違点がある。

キリスト教[編集]

キリスト教では、世界の終わりにイエス・キリスト再臨し、あらゆる死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄に墜ちる者とに分けるという。

教父[編集]

アウグスティヌスは、キリストが生ける者と死せるものを裁くために天から来られる最後の審判について「最後の」、「終りの」という語を付けるのは、神が常に人を裁いておられるからだと教えている[3]

西方教会[編集]

カトリック教会[編集]

カトリック教会では公審判の教義が保持されている。肉体が復活して魂と結び合わされた後に、公審判があるとされる。[4]

プロテスタント[編集]

ルーテル教会[編集]

ルーテル教会アウクスブルク信仰告白は、最後の審判においてイエス・キリストが敬虔な者と選ばれた者には永遠のいのちをあたえ、不敬虔な者と悪魔には限りない苦悩を宣告すると告白する。[5]

改革派教会[編集]

ウェストミンスター信仰告白33章「最後の審判について」の2は、「神がこの日を定められた目的」について告白している。それは、「選民の永遠の救いにおいて神のあわれみの栄光があらわされ、邪悪で不従順で捨てられた者の永遠の刑罰において神の正義の栄光が表されるためである。」 ウェストミンスターの全体の最後で、キリストは「すべての者に罪を犯すことを思いとどまらせるためにも、逆境にある信者の大いなる慰めのためにも」、最後の審判の日があることを信じるように望まれていると告白されており、ウェストミンスター信仰告白は、黙示録20:20の「来たりませ、主イエスよ。すみやかに来たりませ」アーメンで結ばれている。[6]

ディスペンセーション主義[編集]

ディスペンセーション主義では患難前携挙説をとり、ノンクリスチャンが地上に取り残されて、クリスチャンだけが患難時代携挙され、その後に最後の審判がある。[7][8][9][10][11][12]

東方教会[編集]

正教会[編集]

キリスト教において最後の審判をテーマにした芸術作品[編集]

絵画[編集]

最後の審判三部作之一:神の大いなる怒りの日。ジョン・マーティン
最後の審判三部作之二:最後の審判。ジョン・マーティン
最後の審判三部作之三:天国の平原。ジョン・マーティン

音楽[編集]

神の怒りを歌ったディエス・イレは最後の審判のモティーフとして出て来る[13]

イスラム教[編集]

イスラム教においても世界の終末にアッラーフが審判をくだすという[14]

ユニヴァーサリズム[編集]

究極的には全人類が救済されるとする思想もある。

脚注[編集]

  1. ^ 日本国語大辞典
  2. ^ 広辞苑
  3. ^ 『神の国』5p.117、岩波文庫
  4. ^ Catechism of the Catholic Church 990カトリック教会のカテキズム990
  5. ^ アウグスブルグ信仰告白西日本福音ルーテル教会
  6. ^ ウェストミンスター会議ウェストミンスター信仰告白日本キリスト改革派教会大会出版委員会編
  7. ^ 奥山実『世の終わりが来る!『ヨハネの黙示録』の私訳と講解』マルコーシュ・パブリケーション
  8. ^ 高木慶太『これからの世界情勢と聖書の預言(新版)』
  9. ^ 高木慶太『近づいている世界の終焉』
  10. ^ 高木慶太『「中東の激動」と聖書預言』
  11. ^ 高木慶太『近づいている人類の破局』
  12. ^ ハル・リンゼイ『地球最後の日』
  13. ^ 『標準音楽辞典』音楽之友社
  14. ^ 最後の審判 宗教法人日本ムスリム教会

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

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