ニュージーランド

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ニュージーランド
New Zealand (英語)
Aotearoa (マオリ語)
ニュージーランドの国旗 ニュージーランドの国章
国旗 国章
国の標語:なし ¹
国歌神よニュージーランドを守り給え / 女王陛下万歳
ニュージーランドの位置
公用語 英語マオリ語ニュージーランド手話
首都 ウェリントン
最大の都市 オークランド
政府
女王 エリザベス2世
総督 ジェリー・マテパラエ
首相 ジョン・キー
面積
総計 268,680km273位
水面積率 ごくわずか
人口
総計(2012年 4,445,436人(122位
人口密度 16.5人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 1,798億[1]ニュージーランド・ドル
GDP(MER
合計(2011年 1,618億[1]ドル(50位
GDP(PPP
合計(2011年 1,221億[1]ドル(57位
1人あたり 27,668[1]ドル
独立
イギリスより 1907年9月26日
通貨 ニュージーランド・ドルNZD
時間帯 UTC +12(DST:+13)²
ISO 3166-1 NZ / NZL
ccTLD .nz
国際電話番号 64
  • 注1:かつての標語は、“Onward”(英語:前方へ)
  • 注2:チャタム諸島は、ニュージーランド本土よりも45分進んでいる。

ニュージーランド英語: New Zealand)は、南西太平洋オセアニアポリネシアに位置する立憲君主制国家島国であり、二つの主要な島と、多くの小さな島々からなる。北西に2,000km離れてオーストラリア大陸オーストラリア連邦)と対する。南方の南極大陸とは2,600km離れている。北はトンガニューカレドニアフィジーがある。イギリス連邦加盟国であり、英連邦王国の一国である。

国名[編集]

ニュージーランドの国鳥キーウィ

正式名称は英語New Zealand(ニュージーランド)、及びマオリ語Aotearoa(アオテアロア)。略称は、NZ

日本語の表記は、ニュージーランド。漢字による表記は、新西蘭であり、略称は。1980年代に当時の駐日大使が漢字表記を公募し定着はしなかったが、国とも表記する。但し21世紀現在はほとんど使われず、「NZ」の略記の方が用いられる事が多い

New Zealand という国名の由来は、歴史の項を参照。マオリ語のアオテアロアは、「白く長い雲(のたなびく地)」という意味(“ao”=「雲」、“tea”=「白」、“roa”=「長い」)。元々は、北島のみを指す語であり、かつてはニュージーランド全体を指す語として英語の New Zealand を音訳した Niu Tireni が使われていた。

愛称は「キーウィ」(kiwi)。ニュージーランドに生息する鳥キーウィから名をとり「ニュージーランドの」という形容詞に用いられることがある。口語でのキーウィは「ニュージーランド人」という固有名詞に用いられる。キーウィの呼び名にニュージーランドやニュージーランド国民を侮蔑する意味はなく、ニュージーランド側も認めている呼称である(日本を「瑞穂の国」などと呼ぶのに近い)。外国為替の世界で使われるキーウィはニュージーランド・ドルを示す(例:“kiwi”または“kiwi dollar”は、NZドルのこと。為替ディーラーの間でも使われる)。

地理[編集]

ニュージーランドの衛星画像

ニュージーランドの面積は、268,680 km²である。

ニュージーランドは、北島南島の二つの主要な島と多くの小さな島々で構成される。北島と南島の間には、クック海峡がある。

北島(ノースアイランド)には、首都ウェリントンがあり、政府機関が集中している。同国最大の都市であるオークランドは、商業および経済の中心地となっている。オークランドは、オークランド市、マヌカウ市 (en)、ワイタケレ市、ノースショア市の4市によって構成されている。オークランドの年間降水日は100日以上で、雨の多い街である。近くの観光名所として、温泉地として有名なロトルアタウポ、ワイトモ鍾乳洞 (en) の土蛍などが有名である。北島は、南島ほど険しい山脈はないが、火山活動が活発である。北島の中での最高峰は、2,797m のルアペフ山である。

南島(サウスアイランド)は、最も陸地面積の大きな島で、中心都市はクライストチャーチ。島の中央には「南半球のアルプス山脈」と呼ばれる南アルプス山脈がそびえる。最高峰は、3,754m のクック山(マオリ語ではアオラキ、「雲を貫く」という意味)で、その他に3,000m 以上の峰が18ある。他にもタスマン氷河サザンアルプスクック山ミルフォード・サウンドのような豊かな自然も有名である。クイーンズタウンは世界的に有名な観光・保養地である。温泉地も各地に点在する。

気候[編集]

気候はほぼ全土が西岸海洋性気候に含まれ、夏は涼しく、冬の強烈な寒波もない。1年を通して温暖な気候であるが、北島・南島ともに多くのスキー場があり、世界中からスキーヤーが訪れる。南半球の地理的、気候的な条件も好まれ、世界各国のスキー連盟の冬季強化合宿地に選ばれている。

1世帯当りの敷地面積は約500m²、住宅床面積は約200m²である。

生態系[編集]

ニュージーランド固有の種の一つ、タカヘ飛べない鳥であり、絶滅が心配されている。

ニュージーランドの北島、南島およびスチュアート島は太古から大陸から切り離され孤立したため独特の生態系が形成された。 とりわけ、コウモリ類、クジラ類以外の哺乳類を全く欠いていたことは特筆すべきであり、そのため、通常なら陸生哺乳類が担うべきニッチを鳥類が埋める形で適応放散し、すでに絶滅した巨鳥モアをはじめ、キーウィフクロウオウムタカヘなど飛べない鳥による生態系が発達した。

人類の到来以降(特にヨーロッパ系白人移民の入植以降)は、持ち込まれた哺乳類動物(イヌ、ネコ、ネズミ、シカなど)によってこうした生態系が大きく撹乱された。現在では、生物の持込には厳しい制限を敷く保護政策がとられている。

歴史[編集]

ポリネシア人開拓者[編集]

9世紀頃、ポリネシア人開拓者が島々にやってきていて、彼らの子孫は マオリ人と呼ばれる。ニュージーランドの東に位置するチャタム諸島に行った子孫はモリオリ人と呼ばれている。モリオリ人がチャタム諸島に、ニュージーランドを経由して来たのか、他のポリネシア地域から直接渡ったのかは今でも議論がある一方、言語学的には証明がなされている[2]。マオリ人はニュージーランド北南島(特に北島)を「アオテアロア」(長い白い雲の土地)と呼んでいた。

最初の居住者はモアの狩猟者たちで、乱獲によりモアを15世紀までに絶滅させた。モアを餌としていたハルパゴルニスワシ(ハースト・イーグルとも。の仲間で、羽を広げると3mもある史上最大の猛禽類)もモアと共に絶滅している。

民族 (iwi) の縄張り (rohe) に分かれていた。マオリは海産物植物動物、モア、ナンヨウネズミサツマイモ (kumara) を食べていた。

ヨーロッパの探検家[編集]

クックエンデバー号のレプリカ

ヨーロッパ人として初めてこれらの島を「発見」したのは、オランダ人のアベル・タスマンで、1642年12月Heemskerck 号と Zeehaen 号で、南島と北島の西海岸に投錨。マオリとの争いがあったために西岸をトンガへ北上し北南島西岸のスケッチをした。彼は、最初、アントウェルペン出身の水夫ヤコブ・ル・メール (Jacob Le Maire) が1616年に「発見」したチリの南の土地だと思い、“Staaten Landt”(英:“Staten Island”)と地図に記した。

1643年ヘンドリック・ブラウエルによって改めて調査され、チリの南ではないと分かると、オランダの知識人はオランダのゼーラント州 (Zeeland) にちなみ、ラテン語で “Nova Zeelandia”(「新しい海の土地」という意味。英語の “New Sealand” にあたる)。と名付け、後にはオランダ語で “Nieuw Zeeland” と呼ばれた。

タスマンが訪れてから100年以上後、ジェームズ・クックエンデバー1769-1770年に訪れた時に、英語で “New Zealand” と呼んだ。クックが “Zeeland” を “Sea land” と直訳しなかったのは、オランダ語の発音の名残と、デンマークシェラン島(“Zealand”。コペンハーゲンがある島)にもちなんだためといわれる。ジェームズ・クックはその後の第2次・第3次航海でもニュージーランドを訪れた。その時に北島・中島・南島と名付けたが、中島が今の南島に、その時の南島が今のスチュアート島になった。

ワイタンギ条約以降[編集]

1769年、イギリス人ジェームズ・クックが、島全体および周辺の調査を行った。この調査の結果、ヨーロッパ人の捕鯨遠征が始まった。その後、イギリスを始めヨーロッパ各地からの移民流入が始まった。

1830年代前半に、ロンドンに植民地会社が組織されると、移民はさらに増加した。

1840年2月6日、イギリスは、先住民族マオリとの間にワイタンギ条約を締結し、イギリス直轄植民地とした。1860年代には、入植者とマオリ族との間で土地所有をめぐり緊張が高まり、1843年と1872年の二度に渡って戦争が勃発したが鎮圧された。19世紀後半になると工業化が進んだ。

1907年9月26日、イギリス連邦内の自治領となり、事実上独立した。第一次世界大戦では志願兵によるオーストラリア・ニュージーランド軍団 (ANZAC) を結成してガリポリの戦いに参加し、激戦を経験した。1931年にイギリス議会は、ウェストミンスター憲章を定め、自治領の独立を認めたが、ニュージーランド議会が独立を決断したのは第二次世界大戦を挟んだ1947年11月だった。第二次世界大戦では連合国側に立って参戦した。

経済改革と行政改革[編集]

戦後のニュージーランドは、イギリスを主な貿易相手国とする農産物輸出国として発展し、世界に先駆け高福祉国家となる。しかし、1970年代にイギリスがECの一員としてヨーロッパ市場と結びつきが強まり、ニュージーランドは伝統的農産物市場を失い経済状況は悪化した。さらに、オイルショックが追い打ちをかけた。国民党政権は農業補助政策を維持する一方、鉱工業開発政策を開始するなど財政政策を行うもいずれも失敗し、財政状態はさらに悪化した。

1984年労働党デビッド・ロンギが政権を勝ち取ると、「国民の支持が得られなくともやるべきことは断行する」との固い決意のもと、政権主導の改革を押し進めた。ロンギ首相(当時)とダグラス財務大臣(当時)の改革は、ロジャーノミクスと呼ばれる経済改革につながる。主な事例として、21の国営企業(電信電話、鉄道、航空、発電、国有林、金融など)が民営化され、その多くが外国資本に売却された。大学や国立研究所は法人化され、実質無料であった学費は大幅に値上げされた。保護と規制は撤廃され、外資に門戸を開き、許認可を極力なくし、官僚の数は半減された。これらの改革はライバルの国民党が政権を奪還しても受け継がれ、ニュージーランドはきわめて規制の少ない国になった。反面一連の改革は医療崩壊等様々なデメリットも招いたと指摘されている。

1990年代後半からとりわけ環境問題、自然保護政策に重点を置き、外資に売却した鉄道会社を再購入するなど地球温暖化対策に積極的な姿勢を示している。国内各地でエコツーリズムを開催するなど観光政策と自然保護政策の両立を目指している。映画産業の成長により広大な自然地形はロケーション撮影地として映画産業、海外メディアにも広く利用されニュージーランドの広報活動にも貢献している。

政治[編集]

“蜂の巣”を意味する「ビーハイブ (Beehive)」。首相や大臣などの執務塔。議事堂ではない。

政体はニュージーランド国王 (: King/Queen of New Zealand)[3] を国家元首とする立憲君主制である[4]。ニュージーランド国王は連合王国国王(イギリス国王)と同一人物であるが、王位は独立して存在する(同君連合[5]。ニュージーランド政府(通例はニュージーランドの首相)の助言に基づき国王により任命されたニュージーランド総督が国王の職務を代行する[6]。行政府の長は首相である。議会による選出に基づき、総選挙で最も多くの議席を獲得した政党の党首が選出され、ニュージーランド総督が任命する。副首相および閣僚は、首相の推薦に基づきニュージーランド総督が任命する。

議会一院制で、パーラメント (Parliament) と呼ばれる。定数は122議席、任期は3年。かつては小選挙区制を採用していたが、現在は小選挙区比例代表併用制を採用している[7]。投票者は小選挙区票と政党票の計2票を投じる。投票は18歳以上のニュージーランド国籍保有者と同国の永住権保有者により行われる。小選挙区数は人口分布により変動する。2005年総選挙(定数121議席)では、62の選挙区に加え、マオリ市民の議席を保障するために設けられたマオリ選挙区7を加えた総数69の選挙区が設けられた。

2014年総選挙での政党別議席獲得数は、中道右派ニュージーランド国民党61、中道左派ニュージーランド労働党32、緑の党13、ニュージーランド・ファースト党11、マオリ党 (en) 2、統一未来党1、ACTニュージーランド党1。

労働党のヘレン・クラーク党首(当時)は、ニュージーランドファースト党・統一未来党・緑の党からの協力を得て、革新党との連立政権を発足させた。中道の統一未来党からは閣外協力を得た。労働党・革新党の連立政権は、1999年の総選挙で、労働党と旧連合党の中道左派勢力が連立を組んだのがはじまり。労働党は3期連続して政権運営を担当した。

マオリ党は、ニュージーランドの先住民が海岸の波打ち際や領海内の大陸棚の国有化に先祖から受け継いできたものと猛反発し、固有の権利を主張して結成され、2005年9月の総選挙で4議席を獲得し国政への影響力を強めた。

2008年11月8日(現地時間)に総選挙(第49回ニュージーランド議会選挙)が行われ、ニュージーランド国民党が59議席(議席獲得率45%)を獲得し3期9年ぶりに政権を奪還した。ニュージーランド労働党は43議席(同34%)に減らし野党に転落した。以下、緑の党8議席(同6%)、ACTニュージーランド党5議席(同4%)、マオリ党5議席(同2%)、ジム・アンタートンズ革新党1議席(同1%)、統一未来党1議席(同1%)。ニュージーランド労働党と連立政権を組んだニュージーランドファースト党はピータース党首を含め議席獲得には至らなかった(2008年の総選挙は比例併用制により2005年総選挙より1議席増えて定数122議席、63の選挙区(人口分布により2005年総選挙より1選挙区増)、七つのマオリ選挙区により行われ即日開票された。人口分布により九つの選挙区で選挙区名の改名が行われた)。

2011年11月26日、総選挙(一院制、任期3年)が行われた。暫定定数121で、与党国民党は60議席(単独過半数に届かなかった)獲得で第1党、ジョン・キー首相は2期目に入る。ACT党と統一未来党はそれぞれ1議席で1期目から与党に協力。マオリ党は3議席で1期目から閣外協力。労働党は34議席獲得。[8][9]

2014年の総選挙は9月20日に行われ、定数121で、与党国民党が61議席と、単独過半数を獲得しキー政権が3期目に入る。一方で野党第一党の労働党は32議席にとどまり、議席数を減らすことになった。ファースト党は11議席を獲得し、この選挙で躍進した。

ニュージーランドは、女性の政治的権利を早くから保障してきたことで知られている。1893年に世界で初めて女性参政権を実現させたのはニュージーランドである(被選挙権は1919年から)2005年3月には女性が初めて議会議長に任命され、2006年8月までの間二人の国家元首(国王、総督)と三権の長(議会議長、首相、主席判事)すべてが女性で占められた。

ニュージーランドは、イギリスと同様に成文憲法を持たないが、1986年建国法 (en) が国の基本法となっている[6]

軍事[編集]

ニュージーランド軍として陸海空三軍を有する。直接的な脅威を受ける国家がないため、冷戦終結後は陸軍を主体とした3軍を再編し、本土防衛のほか、国際連合平和維持活動 (PKO) を重点活動とした。ニュージーランドはオーストラリアアメリカなどと共に、ANZUS条約に入っている。“ANZUS” の “A” はオーストラリア、“NZ” はニュージーランド、“US” はアメリカを表している。この条約は軍事同盟であり、太平洋の安全保障が目的であるが、のちに南太平洋非核地帯条約に参加、核兵器搭載艦艇の寄港を拒否しているためニュージーランドの加盟は有名無実となっている(“AUS”と化した)。

イラク戦争には反対し派兵しなかったが、対テロ戦争の一環でアフガニスタンインド洋に兵力を派遣している。

国際関係[編集]

ニュージーランドが外交使節を派遣している諸国の一覧図。

日本との関係[編集]

  • 1985年よりワーキング・ホリデー協定(30歳以下の若年者が1年間海外生活を総合的に体験できる制度。2010年3月29日より1雇用主の元で労働できるのは3箇月以内という期間限定が解除された)。を結んでいる。2004年の日本人への査証発給件数は3,789件(85年よりの累計45,257件)、NZ人への発給件数は211件(85年よりの累計8,769件)となっている。
  • ニュージーランドは国際博覧会には参加しない方針を取っているが、2005年の愛知万博には日本との今後の関係の重要性を鑑み、特別参加した。期間中、クラーク首相も来日している。ニュージーランド交響楽団によるコンサートも開催された。

地方行政区分[編集]

ニュージーランドの行政区画
主要都市

16地方に分かれる。

北島
1. ノースランド
2. オークランド
3. ワイカト
4. ベイ・オブ・プレンティ
5. ギズボーン
6. ホークス・ベイ
7. タラナキ
8. マナワツ・ワンガヌイ
9. ウェリントン
南島
10. タスマン
11. ネルソン
12. マールボロ
13. ウェスト・コースト
14. カンタベリー
15. オタゴ
16. サウスランド
特別領
チャタム諸島 (Chatham Islands) - 南島クライストチャーチの東方約1000kmの太平洋上の島。

以上の他に、以下の地域がニュージーランドと特別の関係を有する。本記事中のデータは、これらの領土を含んでいない。

自治領
トケラウ (Tokelau)
自由連合
クック諸島 (Cook Islands)
ニウエ (Niue)

南極条約により棚上げされているが、1957年南極ロス海周辺をロス海属領 (Ross Dependency) としてその領有を主張した。

ニュージーランド国王を元首とするニュージーランド王国は、これらの領土、自治領、自由連合国家、属領によって構成されている。

経済[編集]

オークランドはニュージーランド最大の経済都市であり、オセアニア有数の世界都市である。

第1次産業[編集]

農業[編集]

豊かな国土と地形から農業が盛ん。とくに酪農畜産が盛んに行われ、およそ3割の輸出品目は農産品で占められる(乳製品19.5%、食肉13.8%(数字は2007年6月)。近年では、国際市場での価格上昇を受け乳製品の輸出が好調[10] 。畜産を廃業し酪農へ進出する農家が増加傾向にある。人口の10倍以上家畜が多いため、国際的にも異色の地球温暖化対策を進める動きが出ている。羊や牛のげっぷ・おならに含まれるメタンガスを抑制するというもので、農家からは反発もある。メタンは二酸化炭素よりも21倍温室効果が大きい [4]フォンテラはニュージーランド最大の企業組織の一つであり生産者組合組織。

林業[編集]

林業、森林業が大変盛ん。対外輸出も好調。2006年度は、およそ31億5000万NZDを輸出し、全輸出額の10%を占める。主な輸出先はオーストラリア、日本、アメリカ、中国など。ラジアータパイン(ニュージーランド松)が主力林。木板、繊維板 (MDF) の需要が高く、カーター・ホルト・ハーベイなどの林業多国籍企業が主要企業。

第2次産業[編集]

鉱業[編集]

ニュージーランドの鉱業は小規模である。有機鉱物資源では、亜炭(20万トン、2002年)、石炭(371万トン)、原油(150万トン)、天然ガス(244千兆ジュール)が採掘されているが、国内需要と比較すると取るに足りない。幸い高低差の大きな地形を生かした水力発電が国内の総発電量の54%を占めているため、有機鉱物資源の輸入量を抑えることに成功している。例えば原油が総輸入額に占める割合は6.0%に過ぎない。

金属鉱物資源では、金(9.8トン)、銀(32トン)、鉄鉱(45万トン)が目立つ。金の採掘はニュージーランドへ移民をひきつけた最初の要因であった。1860年代に金が発見されると、一気にヨーロッパ系の人口が倍増し、主要輸出品目となったほどである。

工業[編集]

第3次産業[編集]

観光[編集]

紐西蘭.1.JPG

年間260万人以上の旅行者が訪れる観光立国である(以下、数字は2010-2011統計)。国別統計ではオーストラリアからの観光客が全体の45%を占め年間115万人以上が訪れている。その他、主な観光客の出身国はイギリス(22.5万人)、アメリカ合衆国(18.4万人)、中国(15.4万人)、日本(6.5万人)、ドイツ(6.3万人)大韓民国(5.1万人)となっている。特に中国からの観光客増加は毎年二桁成長を記録しており、観光省および政府観光局は中国からの観光客誘致に積極的である。2010-2011統計では、海外からの観光客による外貨獲得は97億NZDを記録し国内総生産(GDP) の9%を占める。 広大な自然地形とロード・オブ・ザ・リングに代表される映画、環境産業が観光客の増加に貢献。政府観光局はアジア、北米、ヨーロッパで広範囲な観光誘致活動を行っている。日本からニュージーランドへは、成田空港関西空港からフラッグ・キャリアのニュージーランド航空が直行便を運行しているほか、シドニーシンガポール香港バンコクなどから経由便を利用して入国できる。

教育[編集]

1980年代後半より留学生の受け入れを積極的に行い、現在では輸出項目の5番目に教育ビジネス(留学生ビジネス)が入る。留学生により年間$23億NZドル(2008年)の外貨と教育分野で32,000人分の雇用が生み出される。留学生は2002年の126,919人をピークに減少傾向が続き、2008年は88,557人となっている。2008年の主な地域別留学生数は、中華人民共和国(20,579人)、大韓民国(17,189人)、日本(10,676人)となっている。

貿易[編集]

国民[編集]

ニュージーランドの人口密度(色が赤いほど高い)

人口[編集]

総人口は約427万人であり、人口密度(1 km²当たり)約16人である。

民族[編集]

2006年国勢調査では、人口の約68%がヨーロッパ系の白人で、次に多いのが、先住民族マオリ人で、約15%である。3番目に多いのは、2006年の国勢調査から新しいカテゴリに加えられた自らを「ニュージーランド人」と認識する人々で約12.9%であるが、そのほとんどは以前はヨーロッパ系に分類されていた人々である。次に多いアジア人は9.2%で、2001年国勢調査では、6.6%であったのに対して急増している。太平洋諸島人は6.9%である。

言語[編集]

人名[編集]

移民も多く、さまざまな名前がある。婚姻の際には多数を占める白人は伝統的には男性の姓を名乗ることが多いが、法的には、夫婦別姓、結合性、夫婦同姓いずれも可能である[11]

同性婚[編集]

2013年より、同性間の結婚(同性婚)が認められるようになった。

宗教[編集]

英国国教会 14%、カトリック教会 13%、長老派教会 10%、メソジスト 3%、バプティスト 1%、無回答または無宗教 38%(2006年調査)だった。

社会[編集]

治安[編集]

ニュージーランドは、政策面では人種性別障害などへの差別撤廃に積極的で福祉の充実した観光立国であるという漫然としたイメージから、アジア人にとって安全な国だというイメージが先行しがちだが、路上者を襲撃する粗暴事件や凶悪事件が多数発生しており油断は禁物である[12]2007年7月から2008年6月までのオークランド市における主な犯罪の発生認知件数は「殺人:7件」「強盗:545件」「性犯罪:352件」「麻薬犯罪:2,249件」「窃盗:17,945件」。

国民一人あたり所得は日本より低く(約270万円)、失業率こそ6%(2010年1-3月期)と比較的低く押さえられているものの、就労者は全人口の約50%(2010年。日本は約65%)である。所得・消費税率 (15%)が高く贈与相続税が低く(最高税率が基礎控除後で25%)、社会保障移住者に対しても充実していることなどもニューカマーへの反発や偏見を助長している。

ニュージーランド警察ヘイトクライム人種差別犯罪に対する特別なプログラムを用意しており、個別の事案に特別に対処する体制を用意している。

文化[編集]

伝統的なケーキパブロバ英語版

芸術[編集]

文学[編集]

エンターテインメント[編集]

料理[編集]

音楽[編集]

映画[編集]

世界遺産[編集]

ニュージーランド国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された自然遺産が2件、複合遺産が1件存在する。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 New Year's Day 土日にあたる場合は、次の月曜日
1月2日 元日翌日 Day after New Year's Day 土日にあたる場合は、次の火曜日か水曜日
2月6日 ワイタンギ・デー Waitangi day ワイタンギ条約
3月-4月 聖金曜日 Good Friday 移動祝祭日
3月-4月 復活祭 Easter Sunday 移動祝祭日
3月-4月 イースター・マンデー Easter Monday 移動祝祭日
4月25日 アンザック記念日 ANZAC Day ガリポリの戦いにおけるアンザック軍団を記念
6月第1月曜日 女王誕生日 Queen's Birthday
10月第4月曜日 労働記念日 Labour Day
12月25日 クリスマス Christmas Day 週末にあたる場合は、次の月曜日
12月26日 ボクシング・デー Boxing Day 土日にあたる場合は、次の火曜日か水曜日

この他、地方により異なる日付で「Anniversary Day」が年に1日ずつある。

スポーツ[編集]

旧英領の歴史からラグビー(ラグビーユニオン、ラグビーリーグ)、クリケットネットボール(ニュージーランド代表シルバーファーンズは世界的な強豪)、ヨットレース(1995年2000年アメリカズカップ優勝)の強豪国である。

ラグビー[編集]

ラグビーユニオンニュージーランド代表オールブラックスは世界屈指の強豪チームであり、試合前にダンスのハカを踊ることでも知られる。国内ラグビーも世界屈指のクラブチームが揃いスーパーラグビーに参加している。2009年10月31日にはオールブラックス(NZ代表)対ワラビーズ(豪州代表)の公式戦が史上初めて東京で開催された。

ラグビーリーグニュージーランド代表はラグビーリーグ・ワールドカップでの優勝経験があり、キウイ (Kiwi) の愛称で親しまれている。オーストラリアのプロリーグであるナショナルラグビーリーグにはニュージーランドのラグビーリーグチームも参加している。

サッカー[編集]

サッカーは1982年のワールドカップスペイン大会で出場歴がある。サッカーニュージーランド代表チームは、オールブラックスにあやかり、オールホワイツと呼ばれる。近年、ラグビーと同様、試合前にハカを披露するようになった。

ワールドカップ南アフリカ大会予選にも参加し、7大会ぶりの予選突破を決めた[13]。本大会では3戦引き分けで負けず、健闘したが、グループステージで敗退した。

バスケットボール[編集]

ニュージーランド人初のNBA選手となったショーン・マークスが有名。国内にはNBLと呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。代表はこれまでにオリンピック出場2回、世界選手権出場3回を誇る。2000年シドニーオリンピックではアフリカ王者のアンゴラ相手に1勝をおさめた。2002年世界選手権では、大方の予想を大きく上回る4位入賞と大健闘。これには世界中のバスケットボール関係者が驚かされ、「大会最大の番狂わせ」と言われた。この大会ベスト5に選ばれたペロ・キャメロンは唯一の非NBA選手だった。2004年アテネオリンピックでは、再び1勝を挙げるのみに終わるが、2002年世界選手権優勝国だったセルビア&モンテネグロ相手に90vs87で破り再び世界を驚かせた。2006年世界選手権では、地元日本に最大18点差つけられるも逆転勝利。パナマ戦にも勝利しベスト16入りした。代表チームのニックネームは「トール・ブラックス (Tall Blacks) 」。ラグビー代表同様、試合前にはハカを踊る。

野球[編集]

野球はまだ発展途上国であるが、ここ数十年で10倍以上野球人口が増えている。今では毎年全国大会がオークランドで開催されている。2014年からは、クライストチャーチウェリントンチームも大会に加わった。2013年にはワールド・ベースボール・クラシック予選に招待されるほどの急激な成長を見せている。ニュージーランド首相ジョン・キーの息子も野球をやっており、ワールド・ベースボール・クラシック予選敗退後には「このままでは終われない。」とコメントしている。

その他情報[編集]

  • 近年水不足が多い。再生可能エネルギーへの転換を目指している。
  • 自生するシダ植物はキドニーファーン、犬の舌という意味のハウンドタングファーン、めんどりとヒヨコという意味のヘンアンドチキンファーンである。
  • 補償金を払う政府機関ACCがある。資金は税金で、外国人にも払ってくれる[14]

参考文献[編集]

  • Clark, Ross (1994). Moriori and Maori: The Linguistic Evidence. In Sutton, Douglas G. (Ed.) (1994), The Origins of the First New Zealanders. Auckland: Auckland University Press, pp. 123–135.
  • 「ニュージーランドの郵政民営化:「失敗」についての再検証」家森信善、西垣鳴人(会計検査研究No.40 2009.9)[5]
  • 「経済の発展・衰退・再生に関する研究会 第8章 ニュージーランド」宮尾龍蔵(財務総合政策研究所2001年6月)[6][7]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ Clark, 1994, AUP
  3. ^ Royal Titles Act 1974, s. 2
  4. ^ Department of the Prime Minister and Cabinet “New Zealand Honours: History of Royal Honours”(2008年3月27日アクセス)
  5. ^ Graham, D. (1997) Trick or Treaty (ISBN 978-0-908935-24-6) Institute of Policy Studies, Victoria University of Wellington, p. 2
  6. ^ a b The Governor-General of New Zealand “Constitution of New Zealand”(2008年3月27日確認)
  7. ^ ニュージーランドの選挙制度が連用制というのは誤りです
  8. ^ NZ総選挙、与党国民党が第一党 キー政権が続投 朝日新聞 2011年11月26日
  9. ^ ニュージーランド総選挙:首相が勝利宣言 「実績を国民が評価」 毎日新聞 2011年11月27日
  10. ^ FAO2010年推計では世界最大の乳製品輸出国で30.4%、2位EU24.5%、3位米国9.8%
  11. ^ NEW ZEALAND MARRIAGE: LEGAL OVERVIEW, Pre-Marriage Education, Catholic Diocese of Auckland
  12. ^ [2][3]在ニュージーランド日本国大使館治安情報
  13. ^ ニュージーランドが7大会ぶりW杯出場 スポーツニッポン 2009年11月14日閲覧
  14. ^ ACC

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光
その他